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2023年8月1日火曜日

基調講演「今アジアは面白い.危機の時代に想像力を拡大させる」,「Back to the Future from Asia アジアの視座から地域建築の未来を照らす」日本建築学会四国支部・徳島支所,徳島県立21世紀館イベントホール,2010年10月2日

基調講演「今アジアは面白い.危機の時代に想像力を拡大させる」,「Back to the Future from Asia アジアの視座から地域建築の未来を照らす」日本建築学会四国支部・徳島支所,徳島県立21世紀館イベントホール,2010年10月2日



 

2023年7月22日土曜日

西山夘三の計画学ー西山理論を解剖する,建築雑誌,200804

 西山夘三の計画学ー西山理論を解剖する,建築雑誌,200804 


建築計画委員会「「シンポジウム+パネル展示 西山夘三の計画学—西山理論を解剖するー」西山夘三の計画学—西山理論を解剖するー」報告

 

 建築計画本委員会主催の「シンポジウム+パネル展示 西山夘三の計画学—西山理論を解剖するー」(日時:2008115日(火)17時開演(16時開場)、場所:建築会館ホール)について、以下にその概要を報告したい。

 

 建築計画本委員会では、年に一度は、建築計画学、建築計画研究の全体に関わるその時々のテーマをもとにしたシンポジウムを行うことにしているが、昨年2月の「公共事業と設計者選定のあり方―「邑楽町役場庁舎等設計者選定住民参加型設計提案競技」を中心として」に続く今年のテーマ設定の鍵になったのは、住田昌二+西山文庫編『西山夘三の都市・住宅理論』(日本経済評論社、2007年)である。西山夘三は、吉武泰水とともに建築計画学の祖とされる。その大きな足跡のもとに建築計画学は成立し、発展してきた。建築計画委員会の「隆盛」もその業績の基礎の上にある。

しかし、一方、建築計画学研究の限界も様々に指摘されてきた。施設毎の縦割り研究、専門分化、研究のための研究、・・・・等々の研究と実践との乖離の問題、また建築計画固有の手法、方法などをめぐる諸問題はこの間一貫して議論されてきている。

『西山夘三の都市・住宅理論』の上梓を機会に、建築計画学の原点に立ち戻って検討するのは必然である。建築計画委員会では、『建築計画学史』(仮)をまとめる構想をあたためている。その大きな柱となると考えた。かねてから不思議に思ってきたが、西山スクールによる西山夘三論が無かったことである。吉武研究室出身であり、西山夘三が開いた「地域生活空間計画講座」に招かれたかたちの報告者(布野修司)は、その戦前期の活動のみに焦点を当てるにすぎないが、「西山論」を書いたことがある(「西山夘三論序説」『布野修司建築論集Ⅲ 国家・様式・テクノロジー』、彰国社、1998年)。建築計画委員長という立場ではあるが、西山夘三の計画理論を広く検討したいという個人的な思いもあった。実際に、西山文庫との協賛、展覧会との併催など全てを切り盛りしたのは田島喜美恵委員であり、ポスターデザインは滋賀県立大学の学生諸君(高橋渓)、受付など事務作業を担ったのは日本大学生産学部の学生諸君である。また、パネル展示については西山文庫の松本滋(兵庫県立大学)先生に大変ご尽力を頂いた。プログラムは以下であった。

主旨説明:布野修司(建築計画本委員会委員長・滋賀県立大学教授)

問題提起:西山夘三の都市住宅理論 住田昌二(大阪市立大学名誉教授・現代ハウジング研究室)/西山夘三の目指したもの 広原盛明(龍谷大学教授、京都府立大学名誉教授)/西山夘三と吉武計画学 内田雄三(東洋大学教授)

ディスカッション:五十嵐太郎(建築雑誌編集長・東北大学准教授)・中谷礼仁(早稲田大学准教授)・司会:布野修司

 

住田昌二の問題提起は、ほぼ『西山夘三の都市・住宅理論』の総論「西山住宅学論考」に沿ったものであった。まず、「1.研究活動の輪郭」を①戦前・戦中期(193344)住宅計画学とマスハウジング・システムの体系化②戦後復興期(194461)住宅問題・住宅政策論から住宅階層論へ③高度成長期(196174)都市論の展開④低成長期(197494)『日本のすまい』(3巻)の完成、まちづくり運動に分けて振り返った上で、西山夘三の研究活動の特徴として、時代の転回、研究上の地位変化、研究テーマのシフトが見事に一致していること、研究を建築論から住宅論、都市論へと発展させた「ジェネラリスト」「啓蒙家」であること、20世紀をほぼ駆け抜けた象徴的な「20世紀人」であること、常に時代の先頭に立ち、≪近代化≫の「大きな物語」を描き続けた「モダニスト」であること、研究スタンスは、体制の外側にあって体制批判したのでなく、批判しつつ体制に参加提案し改革をはかろうとした。Revolutionistでなく“Reformer”であったことを指摘する。そして、西山は、「計画」と「設計」は峻別したが、研究=政策とみていたのでないか、卒論の序文に掲げた「史的唯物論」が生涯通じて研究の倫理的規範であった、という。続いて、「2.西山計画学の成果」として、1)住宅の型計画の展開、2)マスハウジング・システムの構築、3)住様式論の提起、4)住宅階層論による分析、5)構想計画論の提唱を挙げる。西山の研究が目標としたのは、①住まいの封建制を打破し、②低位な庶民住宅の状態の改善向上をはかり、③前近代的な住宅生産方法を改めていく、の3点であった。政治的には民主化、経済的には産業化、社会的には階層平準化の同時進行を近代化と規定するなら、西山の研究は、「近代化論」であった。西山の学問は、徹底して「問題解決学」的性格をもち、計画学としての体系は、空間を機能性・合理性基準によって解析し、社会をシステム論的に構築することで一貫していた、というのが評価である。さらに「3.西山計画学の歴史的考察」として、1)西山計画学の原点――15年戦争との対峙、2)西山計画学の発展の背景――国際的に50年続いた住宅飢餓時代、3)西山計画学のフェード・アウト――1973年の歴史転回をそれぞれ位置づけた上で、「4.「小さな物語」としての西山理論の超克」の方向として、①マスハウジングからマルチハウジングへ②階層から地域へ③計画から文化へ、を強く示唆した。

 実に明快であった。西山理論の歴史性を明確化し、そのフェード・アウト確認したこと、西山夘三を近代的システム論者と規定したことは大きな指摘である。

 広原盛明の問題提起もまた西山夘三を歴史的に位置づけるものであった。ただ、その限界についての評価は異なる。まず、「西山の生涯を通底するキーワード」として①「20世紀の実践的思」「社会主義」(マルクス主義)②「体制型思考」③「反中央権力精神」の源泉となった「大阪の西九条が育てたハビトゥス(社会的出自や生活体験などに裏打ちされた慣習的な感覚や性向の体系:プルデュー)」を挙げる。そして「1.西山のライフコースとライフスタイル」について、①大きくは第2次世界大戦を挟んでの前期(青壮年期)と後期(壮熟年期)に分け、住宅生産の工業化と大量建設を実現しようとした「革新テクノクラート」の時期と住宅問題・都市問題・国土問題等に関する啓蒙活動に邁進した「社会派研究者・大学知識人」としての時期をわける。また、②西山のライフスタイル(活動スタイル)は、戦前期は基本的に「改良主義」、戦後期とりわけ高度成長期以後は「批判対抗」だとする。さらに、③西山の啓蒙活動の重点は、戦後初期の住宅問題解決や住生活近代化を強調する路線から、高度成長期の「開発批判路線」に急速にシフトしていった、とする。続いて「2.西山にとっての計画学研究の意味」として、①「計画的思考」、「近代工業化システム」、②「戦時統制経済」「戦時社会主義」との密接な関係を指摘した上で、戦後については、③「もし日本が戦後に開発主義国家への道ではなく福祉国家への道を歩んでいたならば、西山は「体制協力型」のテクノクラートとして活躍し、また「計画技術的研究」を推進していたかもしれない」という。全体としては、西山と時代、体制が密接不可分であったという確認である。「3.学会・建築界に対して西山の果たした役割」として、研究領域の細分化と専門化をめぐる学会批判や建築界批判の意義、「外部評価機能」「日本学術会議をはじめ異分野の研究者との学際的研究プロジェクトの重視」「社会運動への参加」の意義を強調する。歴史的限界、その歴史的位置づけの中で、「学」「学会」への批判的機能・役割を大きく評価するという構えである。

 内田雄三は、西山夘三の住宅計画学と吉武・鈴木研究室の建築計画学を対比する。まず、「1.西山夘三の研究領域とその立場」、その幅広さ、庶民住宅の対象化と住み手の発展プロセスの重視などを確認した上で、「西山夘三の建築計画学」を「システム科学」「方法論としてはシステム分析である」と言い切る。この点、ほぼ住田先生の西山評価に沿っている。そして、吉武・鈴木研究室の建築計画学を西山の「システム分析の方法論を多くの公共建築の分野に適用」したものと位置づけ、より計画よりに展開したとする。すなわち、「新しい生活に向けて建築から働きかけていく志向」が強かったのが吉武・鈴木計画学だとする。そうした規定の上で、建築計画学の限界として、①近代化・合理化こそ資本の要求(利潤の拡大)であり、建築計画学はこの役割を担ってきたこと、②2DKも労働者のより廉価な再生産費を保証したという側面があること、③個々の建築の近代化・合理化にもかかわらず都市スケールで混乱が発生している点などをあげる。そして新しい建築計画学の方向として、生活者との連携、アドボカシー・プランニングを挙げ、C.アレグザンダーに触れ、空間づくり、モノづくりへの展望を述べた。

 きちんとレジュメを用意した3人の問題提起は議論の土俵を見事に用意したのであるが、如何せん、時間が足りない。早速議論に入った。コメンテーターとして期待したのは若手の論客としての中谷、五十嵐の両建築史家・批評家である。

 どちらが先に発言するか壇上でジャンケンするといったノリであったが、ジャンケンに負けて最初に発言した中谷礼仁のコメントは、場を張りつめたものにするに十分であったように思う。まず、自分の名前は、左翼(マルキスト)であった親が、時代がどう転んでもいいように「レーニン」とも「アヤヒト」読めるようにつけたそうだ、と冗談めかしながら、自分はだから「・・・すべし」「・・・すべき」という扇動家、啓蒙家の立場はとらないという。戦後まもなく「これからの時代は民主主義の時代だ」と板書した東京大学教授の例を引いて、そうしたプロパガンディストにならないことを肝に銘じているという。そして続いて、西山理論、その食寝分離論には「性」と「死」がないという。対比的に提起するのは、今和次郎との比較である。

五十嵐は、直接西山理論に切り込むことをせず、大きくは1936年の東京オリンピックを用意した戦前の過程と大阪万博に行き着く戦後の過程には同じサイクルがあるのではないかという。そして、西山の設計をみてみたいという。また、景観論の立場から見直してみたいという。

 西山理論をもっぱら歴史的、社会的なフレームにおいて位置づけて見せた3人に対して、中谷の提起はより内在的に西山理論を評価する契機を含んでいるように思えた。中谷の西山批判は、豊かな世代の時代の実相を知らない批判だ、その時代を踏まえて歴史的評価を行うべきだと、時代の制約、社会の貧困と西山の限界を説明しようとした広原に対して、一定程度それを認めながら、必ずしも、時代の問題だけではない、と中谷は切り返す。

 西山の軌跡における転換をめぐっては、1970年の大阪万博か、1973年のオイルショックか、あるいはそれ以前か、という議論がまず浮かび上がった。また、戦前と戦後の連続非連続の問題が指摘された。そして、西山夘三個人の資質、ハビトゥス(大阪下町気質)の問題が指摘された。西山は「食」にも興味がなかった、コンパクトな空間とその集合システムに興味があった、明治気質で、細かくて、資料マニアであったといった発言も飛び出した。

 建築計画という土俵を設定していたから当然であるが、西山夘三の全体像については留保せざるを得なかった。また、都市論、都市計画論についても同様である。まず、フロアから、『西山夘三の都市・住宅理論』の共著者である中林浩(地域生活空間計画論と景観計画論)、海道清信(大阪万博と西山夘三)の両先生に発言を求めた。西山スクールにおいても西山評価は様々であり、批判的距離のとり方の全体が西山夘三の大きさを物語っている。

延藤安弘先生は全体を延藤流に総括して「西山夘三の計画学」の精髄を「「構想計画」を新しい状況のもとにブラッシュアップする」「「住み方調査」から「フィールドワークショップ」へ」「「小さな物語」づくりの計画学」という三つの方向に結びつけようという。

限られた時間はあっという間に過ぎた。最後に鈴木成文先生に「面白かった」と総括頂いたけれど、手前みそだけれど、司会しながらも面白かった。問題を掘り下げる時間はなかったけれど、掘り下げるべき問題のいくつかは明らかになったと思う。主催者として、いささか驚いたことは、この地味なシンポジウムに百人を超える聴衆の参加があったことである。かなりの数の若い世代も見えた。このシンポジウムをひとつのきっかけとして「建築計画」をめぐる議論がさらに広がることを期待したい。布野修司(建築計画委員会委員長、滋賀県立大学)








2023年7月8日土曜日

2023年5月6日土曜日

篠原修vs布野修司対談、自然景観と建築について考えるシンポジウム、鳥取県建築士事務所協会、鳥取県民文化会館、1997年12月7日

 篠原修vs布野修司対談、自然景観と建築について考えるシンポジウム、鳥取県建築士事務所協会、鳥取県民文化会館、1997年12月7日  13:00~、

 

布野修司(ふのしゅうじ)

京都大学工学部助教授/工学博士

 

 

経歴

1949年 島根県生まれ

1972年 東京大学工学部建築学科卒業

1976年 同大学院博士課程中途退学 同助手

1978年 東洋大学講師

1984年 東洋大学助教授

1991年 京都大学助教授~至現在

「インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究」(学位請求論文)で、日本建築学会賞(論文賞)受賞(1991年)。現在、建築フォーラム(AF)、サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)などで活動。建築同人誌『群居』編集長。

 

著書

『戦後建築の終焉・・・世紀末建築論ノート』      れんが書房新社  1995

『戦後建築論ノート』                                     相模書房      1981

『スラムとウサギ小屋』                                   青土社        1985

『住宅戦争』                                             彰国社    1989

『カンポンの世界』                                       パルコ出版   1991

『これからの中高層ハウジング』              丸善          1992

『建築・町並み景観の創造』                              技報堂    1993

『十町十色』                       丸善          1994

『戦後建築の来た道行く道』         東京都設計者厚生年金    1995

『見知らぬ町の見知らぬ住まい』(布野修司編)       彰国社    1990

『現代建築ーーーポスト・モダニズムを超えて』       新曜社    1993

『見える家と見えない家』                 岩波書店    1981

『建築作家の時代』(布野修司 藤森照信 柏木博 松山巌)   リブロポート  1987

『悲喜劇・1930年代の建築と文化』 (同時代研究会編)  現代企画室  1981

『作法と建築空間』(日本建築学会編)                     彰国社    1990

『新建築学体系1 建築概論』(大江宏編)                 彰国社        1982

『建築計画教科書』(建築計画教科書研究会編)             彰国社        1989年他

 

主な委員

1991年~        建築文化・景観問題研究会座長(建築技術教育普及センター)

1991年~        出雲市まちづくり景観賞審査委員長

1993 8月~1995 7月 滋賀県景観審議会委員

1993 8月~1997 3月 島根県しまね景観賞審査委員

                        島根県景観審議会委員

専門

 地域生活空間計画(建築計画 都市・地域計画)


 

鳥取県建築士事務所協会

自然景観と建築について考えるシンポジウム

1997年12月7日  13:00

 

  はじめに

 京都の景観問題 : 建築文化景観問題研究会

 島根県・滋賀県景観審議会委員  出雲まちづくり景観賞委員

  全国景観会議 

 

  ●テーマと結論

  アーバン・アーキテクト シティ・アーキテクト タウン・アーキテクトをアーバン・デザインの仕組みの中で位置づけたい その日本的コンテクストの中で考えたい

 

      マスターアーキテクト制

     :熊本アートポリス CTOクリエイティブ・タウン岡山 富山のまちの顔づくりプロジェクト:コミッショナー制

      シティ・アーキテクト:ベルリン

   建築市長:シュヴェービッシュ・ハル市34000

    大市長・・市長2 建築市長と財政担当市長 企画局が建築市長補佐

     ローテンブルグと違って新しいデザインも

   都市デザインコミッティー:ミュンヘン市 月一回

    フリーの建築家4 都市計画課3 建築遺産課1 州の建築遺産課1

    3年毎にメンバー入れ替え 権限は勧告のみ 否定拒否はしない

    →景観アドヴァイザー制度 景観パトロール

 

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    景観問題とは

  なぜ都市デザインか

  なぜ景観問題か:まちのアイデンティティーか。

   景観とは何か:landshaftlandscape 土地に固有な

       風景 風情 風水 景色 風光 ・・・

   まちのアイデンティティを消すもの:近代建築の理念

       ポストモダン 入母屋御殿

 

 1.景観形成の基本原理

      ・・・・『建築・まちなみ景観の創造』(技法堂)

 

   景観形成の指針ー基本原則

       地域性の原則

    地区毎の固有性

        景観のダイナミズム

    景観のレヴェルと次元

    地球環境と景観

        中間領域の共有

   景観形成のための戦略

    合意形成

    ディテールから

    公共建築の問題

    タウンアーキテクト

    まちづくり協議会

    景観基金制度

 

 2.景観形成の手法と問題点・・・具体的な事例を通して

 

 

 素朴な疑問

   ・京都の景観問題→高さのみが問題か

 

   ・景観条例と景観マニュアル・・・規制と規制緩和→誘導

     60年代後半 66金沢 倉敷 高山 京都     全国200→400

     1975 伝統的建造物保存地区 神戸 景観形成地区

     80年代 モデル事業 

     →伝統的建造物の登録制1996

    景観条例→地区詳細計画の日本版という位置づけ

     形態規制の問題 法的根拠 

     規制の根拠

      美観地区、風致地区は1919年より 屋外広告物取締法とリンク

      美観地区が生きているのは京都だけ 東京は条例をつくっていない

     →市街地景観整備条例 千代田区 鎌倉←法的根拠もつ

     ←専門家がどう関わるか

 

   ・公共建築の発注方式

     

     ・景観審議会は何をするのか:

    湖畔の高層建築:景観基準を守ればいいのか:視点場

      建築的配慮:立地が既に問題

      建築家の姿勢:コンセプトの稀薄性      

 

 ●SRIC DESIGN FORUM PROJECT 95 について

  『明日の都市デザインへーーー美しいまちづくりへの実践的提案』

 

意識醸成○調査

   ・デザイン・サーベイ

   ・景観評価 現状把握

    建築士によるモニター:写真撮影 記録

    町並みウオッチング 景観百選 景観記録

    ・・・ユニークな地域把握 校歌 方言 湧水分布 海からの景観

   ・景観賞  →マンネリ化

       各種イヴェント、啓発事業とのリンク

       アーバン・デザイン行政とのリンク

       顕彰委員会の構成の問題

    →アーバン・デザイン・コミッティーとのリンク

 

企画・計画

  

   ・街づくりの主体・・・縦割り行政の弊害

        駅前再開発:補助金制度:所有区分

    

 

   ・「伝統」と「地域」のステレオタイプ化

              出雲大社と古都慶州

              植民地建築・・・バタビア城と朝鮮総督府

              オーセンティシティと世界遺産

        本物 真実性 コピーとレプリカ  木造と石造

        維持管理のシステム/セッティング・周辺環境

 

   ・立体模型・・・ファーレ立川

  

    ・百年計画のすすめ・・・奈良町百年計画

                          京都グランドヴィジョン

 

実践○

 

  ○環境と建築のコラボレーション

   ・隙間のデザイン

     土木と建築 高架下のデザイン 空き地のデザイン

 

  ○工業製品

   ・景観材料・・・アジアの景観を探るーー材料の未来

    THINK GLOBALLY,DESIGN LOCALLY

        生態的側面、形式美学的側面、文化的側面、経済的側面

        PRESERVATION OF LANDSCAPE , CREATION OF URBAN LANDSCAPE

        MANAGEMENT OF URBAN SPACE

    HOLISTIC APPROACH , LONG-TERM LANDSCAPE MASTER PLAN ,

    ECOLOGICALLY SOUND AND SUSTAINABLE DEVELOPMENT(ESSD)

    VISUAL COMPLEXITY

        SENSE OF LANDSCAPE   SENSE OF PLACE

        サラダ・ボール: 一元的理論 アダプタブリー・リユース

        水の文化 アジアの多様性

 

    ○法制

      ・町家再生という課題・・・防火規制

    木造建築の再生手法

     ①文化財保護法982 833

     ②建築基準法313

     ③建築基準法672

     ④都市計画区域の変更

  ○保存

    伝健地区42箇所

       登録文化財

    美観地区・風致地区

    屋外広告物法 禁止区域 自家用広告物は除外 創意工夫がない企業がつくる

    国立公園内

 

  ○アート構築物

    ファーレ立川

 

    ○調整

 

   ・公共事業の発注方式・・・公開ヒヤリングコンペの経験

 

      ・パートナーシップ方式・・ワークショップ方式

 

 

 3.景観形成と「アーバン・アーキテクト」

 

   ・「アーバン・アーキテクト」とは

    「シティ・アーキテクト」「タウン・アーキテクト」

    「コミュニティ・アーキテクト」

 

   ・地と図・・・・何故、アーバン・アーキテクトか

 

   ・アーバン・アーキテクトの仕事

 

 

2023年3月21日火曜日

2023年2月15日水曜日

Community Based Development & Sustainability, An International Symposium Urban Regeneration and Economic Development, 20071117:講演:「地域再生と持続的発展:Community Development and Sustainability」,AIA(アメリカ建築家協会)日本支部主催,テンプル大学日本校・国士舘大学アジア研究センター共催,国際シンポジウム「都市再生:環境サステナビリティと経済発展: Urban regeneration and and Economic Development」,新生銀行本店,2007年11月17日

講演:「地域再生と持続的発展:Community Development and Sustainability」,AIA(アメリカ建築家協会)日本支部主催,テンプル大学日本校・国士舘大学アジア研究センター共催,国際シンポジウム「都市再生:環境サステナビリティと経済発展: Urban regeneration and and Economic Development」,新生銀行本店,2007年11月17日

Community Based Development & Sustainability, An International Symposium Urban Regeneration and Economic Development, 20071117

































都市再生と経済発展

 地域再生と持続的発展

カンポンKampungに学ぶこと

布野修司

 


 
カンポンkampungとは、インドネシア(マレーシア)語で「ムラ」という意味である。カンポンガンというと「イナカモン」というニュアンスである。都市の居住地なのにカンポンという。このカンポン、実は、英語のコンパウンドcompound(囲い地)の語源なのである。カンポンのあり方を紹介する中でアジアの都市の共生原理と持続的発展を考えたい。 

 

自己紹介

・建築計画→地域生活空間計画→環境建築学/カンポン調査(東南アジアの都市と住居に関する研究)/アジア都市建築研究・植民都市研究

・タウンアーキテクト論 →近江環人(コミュニティ・アーキテクト)地域再生学座

    日本建築学会 建築計画委員会委員長 英文論文集委員会委員長 

    元理事 『建築雑誌』編集委員長 前アジア建築交流委員会委員長

        島根県景観審議会委員

        宇治市都市計画審議会会長 景観審議会委員

 主要著作

   [1]:戦後建築論ノート,相模書房,1981615(日本図書館協会選定図書)

   [2]:スラムとウサギ小屋,青土社,1985128

   [3]:住宅戦争,彰国社,19891210

   [4]:カンポンの世界,パルコ出版,1991725

   [5]:戦後建築の終焉,れんが書房新社,1995830

   [6]:住まいの夢と夢の住まい・・・アジア住居論,朝日新聞社,19971025

   [7]:廃墟とバラック・・・建築のアジア,布野修司建築論集Ⅰ,彰国社,1998510(日本図書館協会選定図書)

   [8]:都市と劇場・・・都市計画という幻想,布野修司建築論集Ⅱ,彰国社,1998610(日本図書館協会選定図書

   [9]:国家・様式・テクノロジー・・・建築のアジア,布野修司建築論集Ⅲ,彰国社,1998710(日本図書館協会選定図書)

   [10]裸の建築家・・・タウンアーキテクト論序説、建築資料研究社,2000310

   [11]曼荼羅都市・・・ヒンドゥー都市の空間理念とその変容,京都大学学術出版会,2006225

 

 

Ⅰ カンポンの世界

カンポンの語源については、ポルトガルのcampanha, campo(キャンプの意)の転訛、フランス語のcampagne(田舎countryの意)の転訛という説もあるが、マレー語のカンポンがその由来であるというのがOEDであり、その元になっているのが、ユールとバーネルのインド英語の語彙集である。Yule, H. and Burnel, A.C., “Hobson-Jobson: A Glossary of Colloquial Anglo-Indian Works and Phrases, and of Kindred Terms, Etymological, Historical, Geographical and Discursive, Delhi: Munshiram Manoharalal, 1903(1968)”

 

アジアの居住問題

人口問題、食糧問題、資源問題、居住問題

発展途上国の都市化の特質

  発展途上国の都市化  都市化の水準と速度

  過剰都市化とプライメート・シティ ランクサイズルール

都市化の構造的重層性

    植民都市 

    複合社会

    二重構造

    都市村落 

都市化理論と発展途上国

都市化の類型

 カンポンの特性

1.多様性

2.全体性

3.複合制

4.高度サービス社会 屋台文化

5.相互扶助システム

6.伝統文化の保持

7.プロセスとしての住居

8.権利関係の重層性

 カンポンに学ぶこと

   Urban Involution

   Shared Poverty(貧困の共有) Work Sharing

 カンポン・ハウジング・システム

カンポン固有の原理の維持/参加/スモール・スケール・プロジェクト

段階的アプローチ/プロトタイプのデザイン/レンタル・ルームのデザイン/集合の原理の発見/ビルディング・システムの開発/地域産材の利用/ワークショップの設立/土地の共有化/ころがし方式/コーポラティブ・ハウジング/アリサンの活用/維持管理システム/ガイド・ライン ビルディング・コード

 

 

Ⅱ アジア都市の伝統

アジア都市の伝統としての都市遺産を見直す必要があるだろう。今日の「世界」が「世界」として成立したのは,すなわち,「世界史」が誕生するのは,「西欧世界」によるいわゆる「地理上の発見」以降ではない。ユーラシア世界の全体をひとつのネットワークで繋いだのはモンゴル帝国である。火薬にしても,上記のように,もともと中国で「発明」され,イスラーム経由でヨーロッパにもたらされたのである。モンゴル帝国が広大なネットワークをユーラシアに張り巡らせる13世紀末になると,東南アジアでは,サンスクリット語を基礎とするインド起源の文化は衰え,上座部仏教を信奉するタイ族が有力となる。サンスクリット文明の衰退に決定的であったのはクビライ・カーン率いる大元ウルスの侵攻である。東南アジアにおける「タイの世紀」の表は「モンゴルの世紀」である。

こうして,ヒンドゥー都市(インド都城)の系譜が浮かび上がるだろう。それを,チャクラヌガラ(あるいはマンダレー)という実在の都市に因んで「曼荼羅都市」と名づけた(『曼荼羅都市―ヒンドゥー都市の空間理念とその変容―』、2006年、京都大学学術出版会)。

それでは,他の伝統はどうか。インド都城と対比しうる伝統として中国都城の伝統がある。大元ウルスが,『周礼』孝工記をもとにして中国古来の都城理念に則って計画設計したのが大都(→北京)である。中国都城の理念が,朝鮮半島,日本,ベトナムなど周辺地域に大きな影響を及ぼしたことはいうまでもない。日本の都城は,その輸入によって成立したのである。この中国都城の系譜を,ほとんど唯一,理念をそのまま実現したかに思われる大都に因んで,「大元都市」の系譜と仮に呼ぼう。「大元」とは,『易経』の「大いなる哉,乾元」からとったと言われる。「乾元」とは,天や宇宙,もしくはその原理を指す。

ユーラシア大陸を大きく見渡すと,こうして,都城の空間構造を宇宙の構造に見立てる二つの都市の伝統に対して,都市形態にコスモロジーカルな秩序を見いだせない地域がある。西アジアを中心とするいわゆるイスラーム圏である。少なくとも,もうひとつの都市の伝統,イスラーム都市の伝統を取り出しておく必要がある。具体的に焦点とすべきは,「ムガル(インド・イスラーム)都市」である。イスラーム都市の原理とヒンドゥー都市の原理はどのようにぶつかりあったのかが大きな手掛かりとなるからである。ムガルとはモンゴルの転訛である。ここでもモンゴルが絡む。モンゴル帝国は,その版図拡大の過程で,どのような都市の伝統に出会ったのか,13世紀の都市がテーマとなる。

 

Ⅲ 地域の生態系に基づく都市システム

 

 エコハウス・エコタウン

パッシブ・クーリング 冷房なしで居住性向 ミニマム熱取得/マキシマム放熱/ストック型構法長(スケルトン インフィル) リニューアブル材料 リサイクル材料(地域産出材料)/創エネルギー    自立志向型システム(Autonomous House)/PV(循環ポンプ、ファン、共用電力)   天井輻射冷房/水 自立志向型給水・汚水処理システム  補助的ソーラー給湯

ごみ処理 コンポスト 土壌浄化法 合併浄化槽

 

大屋根 日射の遮蔽二重屋根 イジュク(椰子の繊維)利用

ポーラスな空間構成 通風 換気 廃熱 昼光利用照明 湿気対策 ピロティ

夜間換気 冷却 蓄冷 散水 緑化 蓄冷 井水循環 スケルトン インフィル 混構造 コレクティブ・ハウジング 中水 合併浄化槽外構 風の道 

 

 アジアに限らず世界中で問われるのは地球環境全体の問題である。エネルギー問題、資源問題、環境問題は、これからの都市と建築の方向を大きく規定することになる。とにかく、遺産は遺産として大事にしろ、というのが筆者の意見である。スクラップ・アンド・ビルドの時代ではない。

 かつて、アジアの都市や建築は、それぞれの地域の生態系に基づいて固有のあり方をしていた。メソポタミア文明、インダス文明、中国文明の大きな影響が地域にインパクトを与え、仏教建築、イスラーム建築、ヒンドゥー建築といった地域を超えた建築文化の系譜が地域を相互に結びつけてきたが、地域の生態系の枠組みは維持されてきたように見える。インダスの古代諸都市が滅亡したのは、森林伐採による生態系の大きな変化が原因であるという説がある。地球環境全体を考える時、かつての都市や建築のあり方に戻ることはありえないにしても、それに学ぶことはできる。世界中を同じような建築が覆うのではなく、一定の地域的まとまりを考える必要がある。国民国家の国境にとらわれず、地域の文化、生態、環境を踏まえてまとまりを考える世界単位論の展開がひとつのヒントである。建築や都市の物理的形態の問題としては、どの範囲でエネルギーや資源の循環系を考えるかがテーマとなる。

 ひとつには地域計画レヴェルの問題がある。各国でニュータウン建設が進められているが、可能な限り、自立的な循環システムが求められる。20世紀において最も影響力をもった都市計画理念は田園都市である。アジアでも、田園都市計画はいくつか試みられてきた。しかし、田園都市も西欧諸国と同様、田園郊外を実現するにとどまった。というより、田園郊外を飲み込むほどの都市の爆発的膨張があった。大都市をどう再編するかはここでも大問題である。どの程度の規模において自立循環的なシステムが可能かは今後の問題であるけれど、ひとつの指針は、一個一個の建築においても循環的システムが必要ということである。

 アジアにおいて大きな焦点になるのは中国、インドという超人口大国である。また、熱帯地域に都市人口が爆発的に増えることである。極めてわかりやすいのは、熱帯地域で冷房が一般的になったら、地球環境全体はどうなるか、ということがある。基本的に冷房の必要のないヨーロッパの国々では、暖房の効率化を考えればいいのであるが、熱帯では大問題である。米国や日本のような先進諸国では、自由に空調を使い、熱帯地域はこれまで通りでいい、というわけにはいかない。事実、アイスリンクをもつショッピング・センターなどが東南アジアの大都市ではつくられている。

しかし地球環境問題の重要性から、熱帯地域でも様々な建築システムの提案がなされつつある。いわゆるエコ・アーキテクチャーである。スラバヤ・エコ・ハウスもその試みのひとつである。自然光の利用、通風の工夫、緑化など当然の配慮に加えて、二重屋根の採用、椰子の繊維を断熱材に使うなどの地域産財利用、太陽電池、風力発電、井水利用の輻射冷房、雨水利用などがそこで考えられている。マレーシアのケン・ヤンなどは、冷房を使わない超高層ビルを設計している。現代の建築技術を如何に自然と調和させるかは、アジアに限らず、全世界共通の課題である。


日本のまちづくりをめぐる基本的問題

◇集住の論理    住宅=町づくりの視点の欠如 建築と都市の分離   型の不在 都市型住宅

◇歴史の論理     

  スクラップ・アンド・ビルドの論理 スペキュレーションとメタボリズム 価格の支配 住テクの論理 社会資本としての住宅・建築・都市

◇異質なものの共存原理 

  イメージの画一性 入母屋御殿 勾配屋根

 多様性の中の貧困 

◇地域の論理 

 大都市圏と地方 エコロジー

◇自然と身体の論理

  人工環境化 土 水 火 木

  建てることの意味

◇生活の論理

 住宅生産の工業化 住宅と土地の分離

  物の過剰 家族関係の希薄化

 住宅問題の階層化 社会的弱者の住宅問題

◇グローバルな視野の欠如

 発展途上国の住宅問題

◇体系性の欠如(住宅都市政策)