地域再生を目指して:ディテールから
布野修司 滋賀県立大学 建築計画委員会委員長
「タウンアーキテクト」は、自治体と地域住民のまちづくりを媒介する役割をもつ。そして、まちづくりは、そのまちに住む人々の生活全てに関わる。「タウンアーキテクト」の仕事は、景観の問題や都市計画の問題に限定され、閉じるわけではない。景観の問題は、地域の生活環境の全体の問題であることは、本書で繰り返し触れてきたところである。「タウンアーキテクト」の仕事を包括するのが「コミュニティ・アーキテクト」の仕事である。
「タウンアーキテクト」から「コミュニティ・アーキテクト」へ
京都CDLの活動に一区切りつけて、拠点を彦根(滋賀県)に移したのであるが、新たな職場である滋賀県立大学で引き続いて日本の「タウンアーキテクト」のあり方を模索することになった。「近江環人(コミュニティ・アーキテクト)地域再生学座」という教育プログラム(内閣府「地域再生のための人材育成プログラム」)を新たな仲間と始めることになるのである。
「地域診断からまちづくりまでを一貫して担う人材」を「コミュニティ・アーキテクト」と呼び、「近江商人」になぞらえて「近江環人」と呼ぶのである。「環」は環境の「環」であり、ネットワークの「環」である。あっという間に大学の学則まで変更できたのにはびっくりしたが、それだけ「コミュニティ・アーキテクト」という存在の必要性がかなり広範に共有されているということである。
地域には地域の課題がある。少子高齢社会となって、日本の人口は減少していくことになるが、全国で滋賀県だけは増加するという。京阪神への通勤者が転入することが予測されるのである。しかし、それは県南の県庁所在地大津を中心とした地域のことであって、県北では過疎化が進行し、「限界集落」も少なくない。滋賀県の「南北問題」である。嘉田由紀子知事が、新幹線駅(栗東駅)の新設を「もったいない」と訴えて当選したのは、開発拡大成長路線ではどうしようもない現実があるからである。
滋賀県には琵琶湖があり、世界有数の古代湖として、貴重な生物が生息してきた。ところが、次々に絶滅危惧種に指定されつつある。環境問題は近江(滋賀)の大テーマである。また、近畿の水瓶であり、淀川水系の治水・利水問題の要である。県内にダム問題も抱える。
滋賀県立大学では、大学院の教育プログラムである「近江環人(コミュニティ・アーキテクト)地域再生学座」の開設に先駆けて、「地域に根ざし、地域に学ぶ」をスローガンに学生が地域活動に取り組む「スチューデント・ファーム近江楽座」というプログラム(文部科学省の現代的教育ニーズ取組支援プログラム)があって、地域の様々な課題に取り組んできた。
キャンパスそのものがまずフィールドである。省資源、省エネルギー、自然共生(ビオトープ)、地産地消など環境への負荷の低減、循環型社会実現のための取組みの基地として、木工作業所「もくれん」、古民家の蔵を移築活用したエコハウスがある。そして、近江八幡には「NPO 法人エコ村ネットワーキング」、「(株)地球の芽」による「小舟木エコ村」がある。「湖国菜の花エコ・プロジェクト」は、環境に配慮したバイオディーゼル燃料の可能性を追求してきたが、学生たちも参加する。倉を学生たちのシェアハウスに改造する「豊郷改造プロジェクト」といったプロジェクトもある。
こうして挙げていけば、地域それぞれ数多くの、コミュニティ・アーキテクトのテーマがある。固有の課題を固有の方法で解くのが「コミュニティ・アーキテクト」の手腕である。そして、こうした地域再生の試みは、全国で多様に展開されつつあり、数多くの「コミュニティ・アーキテクト」が既に活躍しつつある。
地域の自立へ
日本の地域社会は、急速に変貌しつつある。「景観」の問題以前に、地域社会の存立基盤に関わる数多くの問題を抱えており、その建て直しが急務なのである。地域の景観の貧しさは、地域社会の貧しさの表現である。
実は、「タウンアーキテクト」のような存在が必要だと痛感したのは、「景観」という観点からだけではない。地域の安心・安全のためにも、すなわち防災という観点からも、いざというときに地域を支援する存在が必要だという想いも強かった。阪神淡路大震災の経験が決定的であった。「タウンアーキテクト」論を「裸の建築家」というタイトルのもとに書いたのは、「建築家」が何も出来なかったという、自虐的な想いを込めてのことである。
「タウンアーキテクト」は、「景観」以前に、「都市計画」として、地域再生に取り組む多くの課題を持っている。地域再生とは、地域に住む誰もが活き活きと暮らしていける空間とそれを支える仕組みを持続的なものとすることである。
阪神淡路大震災に学んだことを反芻しながら、地域再生の課題を列挙すると以下のようになる。一言で言えば、地域社会が自立できること、また自律できる仕組みをつくることである。
a 自然の力・・・地域の生態バランス
阪神淡路大震災以降も日本に限らず世界中で毎年のように災害が起こるが、つくづく思うのは自然の力のすごさである。いくつものビルが横転し、高速道路が捻り倒される。山が崩れて川を堰きとめてしまう。
また、避難所生活を通じての不自由さは自然に依拠した生活基盤の大事さを思い知らせてくれる。水道の蛇口をひねればすぐ水が出る。スイッチをひねれば明かりが灯る。空調機械で室内気候は自由に制御できる。人工的に全ての環境をコントロールできる、というのは不遜な考えである。一方、自然のもつ力のすばらしさも再認識させられる。例えば、家の前の樹木が火を止めた例がある。緑の役割は大きいのである。河川や井戸の水も消火に当たって、その大切さを思い知ったのである。
山を削って土地をつくり、湿地に土を盛って宅地にする。海を埋め立てる。自然景観を大きく変える都市開発を行ってきたが、そうして造った土地は本来人が住んでこなかった場所だ。災害を恐れるから人々はそういう場所には住んでこなかった。その歴史の智恵をいつのまにか忘れてしまっている。
人工環境化、あるいは人工都市化が都市計画の戦後一貫した趨勢となるなかで、自然は都市から追放されてきた。何度も述べたが、自然の生態バランスに基礎を置いた都市、建築のあり方こそが基本である。
b 多極分散構造
日本の大都市は、移動時間を短縮させるメディアを発達させひたすら集積度を高めてきた。郊外へのスプロールが限界に達するや、空へ、地下へ、海へ、さらにフロンティアを求め、巨大化してきた。その一方で都市や街区の適正な規模について、われわれはあまりに無頓着であった。
都市構造の問題として露呈したのが、一極集中型のネットワークの問題点である。大震災が首都圏で起きていたら、東京一極集中の日本の国土構造の弱点がより致命的に問われたのは確実である。
阪神淡路大震災によって、ライフラインと言われるインフラストラクチャーの多くが機能停止に陥った。阪神間の都市構造が大きな問題をもっていることは、以前から指摘されてきた。交通機関について、鉄道が幅一キロメートルに四つの路線が平行に走るけれど迂回する線がない。道路にしてもそうである。それぞれに代替システム、重層システムがなかった。多極分散型のネットワークは、交通インフラに限らず、上下水道などライフラインのシステム全体に必要である。エネルギー供給の単位、システムについても同様である。
c 公共空間の豊かさ
災害の発生、避難所生活、応急仮設住宅居住、そして復旧・復興へという過程において明らかになったのは、公共施設、公共空間の少なさ、貧しさである。病院や消防署がダメージを受けるとどうしようもない。避難所として期待される学校もそうだ。地域施設としての公共施設には、非常時を想定した性能が要求されるのである。全体としてクローズアップされたのは、オープンスペースの少なさである。空地が少なくて、仮設住宅を建てるスペースがないのである。また、空き地は防火上も必要である。
地域が豊かであるかどうかは、多様な公共空間が身近にどれだけ用意されているかどうかで測れるであろう。とりわけ必要なのは、社会的弱者のためのスペースである。多くの場合、最もダメージを受けるのは、高齢者であり、障害者であり、住宅困窮者であり、外国人であり、要するに社会的弱者である。結果として、浮き彫りになるのは、都市計画の論理や都市開発戦略がそうした社会的弱者を切り捨てる階層性の上に組み立てられてきたことである。
社会的弱者のみならず、地域住民にとっても、
d 相互扶助とヴォランティア
目の前で自宅が燃えているのを呆然とみているだけでなす術がないというのは、どうみてもおかしい。同時多発型の火災の場合にどういうシステムが必要なのか。防火にしろ、人命救助にしろ、うまく機能したのはコミュニティがしっかりしている地区であった。救急車や消防車が来るのをただ待つだけという地区は結果として被害を拡大することにつながった。
阪神淡路大震災において最大の教訓は、非常時には行政が役に立たないことが明らかになったことだ、という自虐的な声がある。一理はある。自治体職員もまた被災者である。行政のみに依存する体質が有効に機能しないのは明らかである。問題は、自治の仕組みであり、地区の自律性である。行政システムにしろ、産業的な諸システムにしろ、他への依存度が高いほど問題は大きかった。教訓として、その高度化、もしくは多重化が追求されることになろう。
阪神淡路大震災において、日本にはじめて、ヴォランティア活動が誕する。そして、それが大きな流れとなって、NPO(非営利組織)が日本に根づいていくことになった。
地域を運営し、維持管理していくのは地域住民であり、責任を負うのは自治体である。しかし、地域社会も、自治体も、うまく機能しなくなっているのだとしたら、あらたな仕組みを構築する必要がある。その象徴が「タウンアーキテクト」であり、「コミュニティ・アーキテクト」なのである。
ディテールから
「タウンアーキテクト」の仕事が「コミュニティ・アーキテクト」の仕事に広がっていく、あるいは包括されるということを確認したうえで、「景観」について何をすればいいのか、何から始めればいいのか。
景観に関わる法的枠組みは「景観法」によって一応用意されたのであるが、その枠組みに従えばいいということではない。第一、法律は「こうしなさい」と書いているわけではない。「するならこうですよ」「こういうことはできますよ」というだけである。
「景観法」は、「まちづくり協議会」や「景観整備機構」といった組織の設置を認めており、それを活用することは出来るが、誰がどうやって何を始めるのかは自治体や地域住民に委ねられている。本文で触れたように、行政主導のプロセスとして想定されているのは、まず、自治体が「景観行政団体」となり、「景観計画」を立案する。「景観地区」「準景観地区」を定め、「景観協定」などを定めることができる。
行政主導の景観計画については、既に多くのマニュアルもあるし、多くの自治体が「景観行政団体」として名乗りを上げつつある。それぞれの自治体がそれぞれの独自な取り組みを競うことが求められている。っしかし、成果が議論されるにはもう少し時間がかかるであろう。何しろ、景観計画は少なくとも百年の計である。
しかし、全体的に上からコントロールしたり、指針をつくったり、マニュアルができたということで、必ずしも日本の景観が「よくなる」(変わる)わけではない。問題が「合意形成」であることは、様々な事例が示しているのである。
ただ、「景観戦争」が勃発してからでは遅い。
この状況は、「景観法」施行以降も変わったわけではない。法的拘束力をもった「景観計画」が成立しているかどうかが問題であり、私権を制限するルールを他から強いるのは容易ではない。
だからこそ、日常的に地域のことを考える「タウンアーキテクト」の存在が必要なのである。
しかし、何から始めるか、という点に関しては同じである。報告書やマニュアル、提案だけ立派でも仕方がない。
まず、誰もが「建築家」であるという原点に立ち返って考えることである。景観形成の主体は、いうまでもなく、市民であり、住民である。行政、あるいは「タウンアーキテクト」の役割は以上のように大きいのであるが、住民の参加は不可欠である。また、住民こそが主体となり、イニシアティブをとるべきである。
一般的に市民参加型の景観づくりの組織体として、まちづくり協議会のようなシステムが必要となる。景観の問題のみならず、これからまちを活性化するためにどうするのかという議論を重ねながらまちづくりをする。 まちづくり協議会の形態はそれこそ多様でいい。その形態のユニークさが地域に固有な景観を創り出す鍵になるだろう。原則は、システムの透明性であり、公開性である。決定のプロセスが常に公開されていれば、常にチェックが可能である。どんな仕組みをとるにせよ、公開性をもった試行錯誤が積み重ねられて多様な仕組みができるであろう。
出発点は、身近なこと、小さなこと、ディテールからである。
たとえば、「街並み景観として自動販売機やクーラーの室外機、看板が気になる」といったこと、どんな小さなことでもどんどん知恵と工夫を出せばいい。住民ができることは、やはり身近な問題なのである。できることは、もしかすると家の前を掃除することかもしれないし、花壇を作ったりすることかもしれない、とにかく自分でできる身近なことからというのが出発点である。景観法に基づく「景観計画」にしても、小さなことを各都市で様々にゲリラ的に展開したほうがいい。
この間、「イスラーム都市」について考えている。実際、イスラーム圏のいくつかの都市について臨地調査も行って、『ムガル都市―イスラーム都市の変容―』(布野修司+山根周共著、京都大学学術出版会、二〇〇八年)という本も書いた。
都市計画や景観計画のモデルはヨーロッパだけではない。アラブのイスラーム都市にも学ぶべきことがある。一言で言えば、「ディテールから」という原理である。予め全体計画(マスタープラン)として立案される都市計画の伝統とは異なった伝統がイスラームにはある。『ムガル都市』にかなり詳細に書いたので省略するが、要点は二つである。
ひとつは、相隣関係に関する細かな規定が積み重なって街が出来上がっていることである。イスラームが専ら関心を集中するのは,身近な居住地,街区のあり方である。道路の幅はラクダが通れる範囲とか、ラクダに人間が乗るから、何メーター以下のものを作ってはいけないとか、そういった細かいディテールについてイスラーム法(シャリーア)や様々な判例がある。日本にももちろん民法あるいは建築基準法上の規定はあるが、より細やかである。白紙の上に線を引くような規定ではないのである。上からコントロールするのではなく、身近なルールを積み上げるそういったまちづくりのあり方が模索されるべきである。相隣関係のあり方が鍵である。
もうひとつは、ワクフという寄進制度である。イスラームには、自ら得た富を街に還元(寄付)する教えがある。モスクやマドラサなど主要な都市施設は、一般的にワクフ財によって建設されるのが一般的である。
何も特殊なことではなく、日本でも社寺仏閣に寄進の仕組みはある。まちづくりには本来こうした制度が不可欠である。
議論をいくら積み重ねてもある段階から先へは進めない、という事態となる。何でもそうであるが、要はお金である。どうしても財政的な裏づけが必要となる。自治体の財源、財政の問題となるが、地方財政には限りがある。
そうした状況の中で、「景観基金制度」というような仕組みを考えられないかと思って『裸の建築家』にも書いた。「景観を壊すな!マンション建設反対」というけれど、先立つものがない。景観問題に口は出すけど、金は出さない、というのではどうにも動きがとれないのである。補助金や他人のお金を当てにするだけでは消極的である。
「景観基金制度」が出来ても、まちの全体をカヴァーしようとすると薄くなる。ターゲットを絞って、戦略的に施策を展開する。優先順位を決めて順番に基金を回転させていくそんな仕組みが各都市毎にできればいい。場合によると、ナショナル・トラスト的な形も必要になるかもしれない。ここでも、多様な基金集めのやり方が問われるであろう。また、小さなお金をいかに有効に効果的に使うか、その創意工夫が問われるであろう。
お金の話で締めくくるのは本位ではないが、言いたいのは、「景観で飯が食える」世界のほうが、「景観」を売り飛ばす世界より、遥かに豊かで健全である、ということである。