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2025年11月11日火曜日

布野修司:アジア諸都市の都市組織と都市住宅のあり方に関する比較研究,文部科学省科学研究費基盤(B),2006ー2009年, 2010

アジア諸都市の都市組織と都市住宅のあり方に関する比較研究,文部科学省科学研究費基盤(B),2006ー2009年, 2010


平成22年 331日現在

研究種目: 基盤研究(B)

研究期間: 20102012

課題番号: 18360295

研究課題名(和文) アジア諸都市の都市組織と都市住宅のあり方に関する比較研究

 

研究課題名(英文) Comparative Study on Urban Tissues and Town House in Asian Cities

 

研究代表者  

布野 修司(FUNO SHUJI

滋賀県立大学・環境科学部・教授

 研究者番号:50107538

 

 

 

 研究成果の概要(和文):

 第一に、アジアの都城の系譜について、『曼荼羅都市―ヒンドゥー都市の空間理念とその変容―』(2006年)、“Stupa & Swastika” (2007)、そして『ムガル都市--イスラーム都市の空間変容』(2008)をまとめることによって、大きな見取り図を描くことができた。また、第二に、アジアの都市組織研究の原点としてきたスラバヤのカンポンについて、四半世紀後に全く同じフォーマットで臨地調査を行い、都市組織の持続力と変容について貴重な知見を得ることが出来た。第三に、特に店屋(ショップハウス)の起源と広がりについて、中国南部、台湾、東南アジアの調査によって、これまでの仮説を確認できた。第四に、西安の回民居住地区の調査によって、中国都城とイスラーム都市の重層関係について明らかにすることができた。以上は、アジア都史研究の大きな基礎を築くことになったと考える。

 

研究成果の概要(英文):

 The study firstly discussed the urban traditions in Asia based on the previous study and showed the scope of the research strategy by publishing “The City as Mandala”, “Stupa & Swastika” and “Mughal Cities”. The field study of kampungs in Surabaya carried out by the same format of a quarter century ago was valuable to clarify the sustainability of urbantissues. The confirmation of the origin and the distribution of shophouse is also the important outcome of the study. The survey of Muslim quarter in Xian gave us the clue to consider the differences between Islam city and Chinese gridiron city. The results of the study is sure to strengthen the base of urban studies of Asian cities.

 

交付決定額

                                 (金額単位:円)

 

直接経費

間接経費

合 計

18年度

4,300,000

1,290,000

5,590,000

19年度

3,200,000

960,000

4,160,000

20年度

3,600,000

1,080,000

4,680,000

21年度

3,400,000

1,020,000

4,420,000

  年度

 

 

 

総 計

14,500,000

4,350,000

18,850,000

 

研究分野:工学

科研費の分科・細目:建築計画・都市計画

キーワード:アジア、都市組織,都市住宅,街区,ショップハウス,植民都市,都城,グリッド

 


1.研究開始当初の背景

本研究計画は、研究者の四半世紀に及ぶアジア都市研究の具体的実践をもとにしており、これまで展開してきた多くの研究テーマが関わっている。インドネシア(スラバヤ)のカンポンkampung(都市内集落)についての臨地調査をもとにハウジング計画論を展開した『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究』(学位請求論文、1987年)以降、大きくは都市形成史に関する研究とエコハウスのモデル開発に関する研究に分かれる。都市形成史研究としては、まず、格子状(グリッド)パターンの都市に焦点を当て(チャクラヌガラ(インドネシア))、続いてヒンドゥー都市(ジャイプル、マドゥライ、ヴァーラーナシー(インド)、バクタプル、パタン(ネパール)など)について臨地調査を展開してきた。さらに、インド・イスラーム都市(ラホール、アーメダバード、デリーなど)を対象とし、両者の差異をテーマとしてきた。また、東アジアの都市(北京、台北)について、都市住居と街区組織を問題にしてきた。それぞれの地域に、それぞれの都市型住宅が成立していることを明らかにしたことは、本研究の大きなベースになっている。また、近年展開した植民都市に関する研究(布野修司編著:『近代世界システムと植民都市』、京都大学学術出版会、2005年)は、ますます、アジアの諸都市のそれぞれに応じた独自の都市型住宅モデル、居住地モデルの必要性を痛感させることになった。都市組織と都市住居のあり方に焦点を当てた本研究によってこれまでのアジア都市研究の集大成を試みたいと考えた。

すなわち、アジアの都市についての建築学、都市計画学における研究はこれまで拡散的に行われてきており、体系化することで今後の研究展望を示す段階にある、というのが背景にあった。

現在も変わらないが、アジアの諸都市についての欧米における研究は極めて薄い。アジアの数多くのユニークな都市の空間構成を明らかにすること自体に大きな意義があり、さらにアジア都市研究の体系化への道筋を示すことが本研究の大きな役割であると考えた。我が国におけるアジア都市研究の基礎を固めるとともに、その水準を世界に示すことが大きなねらいとして意識されていた。

 

2.研究の目的

本研究は、アジア諸都市における都市組織と都市住宅のあり方を、臨地調査によって明らかにし、一定の型の形成とその変容について体系的に明らかにすることを大きな目的にしている。

アジアの大都市、とりわけ発展途上地域の大都市では、深刻な都市問題、居住問題を抱えており、その克服のためのひとつの対応策として、それぞれの都市において新たな都市型住宅、都市居住地モデルが求められている。本研究を支える問題意識は、大袈裟に言えば、21世紀半ばには深刻な事態を迎えると予想されるグローバルな居住問題である。

本研究は、もとより歴史研究にとどまるものではなく、植民地化のインパクトとその後の変化がより大きなテーマである。都市の形成、変容、転成の過程を、都市組織、都市住宅のあり方に即して明らかにすることは、個々の都市におけるこれからの都市住居あるいは街区のあり方を考えるための大きな手掛かりである。都市組織と都市住宅の関係を明らかにすることによって、スラバヤ・エコハウス以来追求してきたエコハウス、エコ街区モデルへの展開を考えるのが本研究のユニークな点と考える。

 

3.研究の方法

 本研究を、一貫(一環)するものとしてまとめあげるために、まず、以下のACを基礎作業とした。

A アジアの都市組織および都市住居に関する文献・資料の収集とリストの作成

文献収集は、各年度継続して行うが、現地での収集とともに、かつての宗主国における収集が中心となる。具体的には、大英図書館、ハーグの国立公文書館(ARA)、王立図書館(KB)、ライデン大学王立民族文化研究所(KITLV)等、セヴィージャのインディアス公文書館などを集中的に収集したい。これまでフランス、ポルトガルについての情報が薄いので重視する。アウトプットとして、「アジア都市組織研究文献リスト・解題」をまとめ、今後の研究展開のために供する。

B 地図資料のインヴェントリーの作成

文献資料の収集と平行して、地図資料も引き続いて収集する。これまで、植民都市研究に関連して、オランダ、イギリスにおいてかなりの地図を収集してきたが、さらに収集対象を拡大し、一般に利用可能な形(CD-Rom等)にまとめる。

C 都市組織図の作成

これまで調査してきた都市、また本研究計画で臨地調査を行う都市を中心として、各都市について共通のフォーマット(GIS)で比較可能なかたちにまとめたい。建物の用途、階数、構造、・・・・など調査項目に基づく施設分布図、住居類型分布図などが基本となる。A,Bによって得られる資料から作製可能な都市も可能な限り含める。

また、最終的なまとめのために、また、重点調査都市の位置づけを明確にするために、以下のDEの作業を平行して行う。

D アジア各都市の都市組織と都市住宅の類型化

アジア全体を広く見渡すと、前近代については、大きくイスラーム都市の系譜と中国・インド都城の系譜に分けることができる。あるいは、グリッド系と非グリッド系といってもいい。この類型はあまりにも大雑把であるが、少なくとも街区組織の名称に関わる語彙の分布を明らかにすることにおいて、ある程度のフレームを得ることができるという見通しがある。最終的に、アジア全体について類型と分布図を作成する。

E ショップハウスの類型とその分布図の作製

Dのうち、ショップハウスについては東南アジアについてはかなりのデータの蓄積がある。文献による補足も合わせて、最終的に、今後の研究を加速するような分布図が作成可能である。

臨地調査の対象都市は、AEの作業から、典型的な都市を選ぶことになるが、研究計画としては、各研究年度、重点調査と広域調査(文献調査を含む)を組み合わせて行う。

臨地調査における調査内容は、各都市共通である。これまで積み重ねてきた調査手法を共通としたい。都市全体についての基礎的情報を整理した上で、典型的街区を選定、詳細なベースマップを作製した上で、各種分布図を作製するとともに、住居の実測、ヒヤリングを行う。

 臨地調査は、毎年一都市を重点的に行う。ヒンドゥー都市の系譜/イスラーム都市の系譜/中国都市の系譜/ショップハウス都市の系譜から、各年一都市を選定することとし、予備的広域調査を次年度のために行う。研究計画段階において、重点調査都市(地域)と考えているのは、カトマンズ盆地都市、ミャンマー諸都市(古都)、タイ・コーラート高原クメール都市、ラージャスタン諸都市、グジャラート諸都市、福建・広州諸都市、台湾諸都市、ジャワ諸都市である。初年度:ヒンドゥー都市重点調査+中国系都市予備調査、第2年度:中国系都市重点調査+インド・イスラーム都市予備調査、第3年度:インド・イスラーム都市重点調査+ジャワ都市予備調査、最終年度:ジャワ都市(スラバヤ)重点調査+補足調査というのが研究プログラムであった。

 

4.研究成果

以下、年度別に記したい。

平成18年度

第一年度として、まず、当初の計画通り、『曼荼羅都市』(20062月)を取りまとめた上での、ヒンドゥー都市の系譜についての補足作業として、“Stupa & Swastika”の刊行(20072月)にかなりの時間を割いた。カトマンズ盆地を含めることによって、南アジアについて大きな見通しを得ることができた。一方、全体を見通すべく、基本文献の収集については、中国を中心として行った。

 臨地調査は、イスラーム圏についての見通しを得るために、計画より先行する形で、デリー、ラホールをターゲットとした。当初計画では、中国の「店屋」の系譜について予備調査を行う予定であったが、第二年度に向けて、研究者も参加を求められた、国立歴史民俗博物舘の共同研究「東アジア比較建築文化史」が中国を対象として展開されることから、イスラーム圏を先行させることとした。また、タイのホンナンを臨地調査の対象と考えていたが、タイ人留学生を博士後期課程の学生として受け入れることとなったため、これの次年度以降に先送りすることとした。

 以上のような経緯から、第一年度の主調査対象として、最終年度に予定していたスラバヤを選定し、研究の大きなまとめを展望することを優先することになった。スラバヤについては、4つのカンポンについて、1982年に詳細調査を行っているが、本年度は、そのうち、カンポン・サワプロとカンポン・サワハンの二つについて、同じ方法で調査を行った。四半世紀を経た同じ年の居住地を調査することによって極めてユニークなデータを得ることができた。初年度の大きな成果である。また、最終的なとりまとめを得ることができたことも大きい。

 平成19年度

臨地調査については、まず、滋賀県立大学の特別研究プロジェクト(「東アジアの城郭都市の比較研究」)に参加することを求められた関連で、予定外であったが、中国都城の系譜に関して、西安-洛陽-開封について、回民地区を中心とした調査を行うことが出来た。また、倭城の調査に関連して研究室で続けている韓国都市の都市型住宅についても短期間の調査を行った。インド・イスラーム都市の系譜として、サマルカンド、ブハラなど中央アジアについて、短期間の調査を行うことが出来た。また、研究室ではヴァーラーナシー調査を行った。さらに、都市型住宅の典型としてショップハウス(店屋)をめぐって、当初は、福建、広州を主ターゲットとする予定であったが、台湾の蓄積があることから、台湾と福建の間を探るべく膨湖島に焦点を当てた。ショップハウスという意味では馬公が中心であったが望安島の集落調査も比較のために行うことができた。

インド・イスラーム都市をめぐって、調査と併行して、『ムガル都市―イスラーム都市の空間変容―』(京都大学学術出版会)のまとめに多くの時間を割いた。イスラーム都市の原型として、オアシス都市の系譜を明らかにし、西アジアについてもある程度見通しをもつことができた。昨年行った、最終年度に想定していたスラバヤのカンポン(都市村落)調査については、研究室の学生の修士論文としてほぼまとめることができた。来年度には論文として公表を考えたい。四半世紀を経た同じ都市の居住地を調査することによって極めてユニークな論文となる

 平成20年度

臨地調査については、重点調査として、中国・福建をターゲットとし、泉州について予定通り行った(20088月下旬)。また、福州、アモイについても資料収集を行った。昨年度の膨湖島調査と合わせて、中国福建と台湾との都市組織に関する関係についてある程度の見通しを得ることが出来た。イスラーム都市の系譜として、マグリブの諸都市について、臨地調査を行う計画であったが、イエメンの高層住宅の系譜を優先し、マグリブについては断念した。イエメンでは、サナア、シバームの他、ムカッラにおいても調査をおこなった。さらに、東南アジア大陸部について見通しをつけたいとしていたが、ラオスのヴィエンチャン、ルアンパバンについて調査を行った。ベトナムからチャイニーズによってショップハウスが持ち込まれていることがはっきりし、ひとつの系譜を明らかにすることが出来た。

前年度の研究成果は、6編の審査論文(ヴァーラーナシー、西安、タイ、インドネシアのカンポン)他、学会発表論文として速やかにまとめた。また、布野修司・山根周、『ムガル都市--イスラーム都市の空間変容』(京都大学学術出版会、20085月)を上梓することができた。

 平成21年度

最終年度として、まとめの作業を集中的に行った。

当初研究計画において、重点調査都市(地域)と考えていたのは、カトマンズ盆地都市、ミャンマー諸都市(古都)、タイ・コーラート高原クメール都市、ラージャスタン諸都市、グジャラート諸都市、福建・広州諸都市、台湾諸都市、ジャワ諸都市であった。そして、初年度:ヒンドゥー都市重点調査+中国系都市予備調査、第2年度:中国系都市重点調査+インド・イスラーム都市予備調査、第3年度:インド・イスラーム都市重点調査+ジャワ都市予備調査、最終年度:ジャワ都市(スラバヤ)重点調査+補足調査というのが研究プログラムであったが、上述のように、調査都市の順序は、状況に応じて変更してきた。最終年度に予定していた、ジャワ都市、スラバヤにおけるカンポン調査をいち早く行ったことによって、全体の見通しを得ることが出来たことが大きい。ミャンマーについては調査環境が整わず断念せざるを得なかったのであるが、それに変わって予定外ではあったが、中国・中原および朝鮮半島について調査することが出来た。最終年度の臨地調査は、まず、昨年度の補足として、ラオス南部の集落調査を行い、メコン中流域について、ほぼ把握することが出来た。また、カトマンズ盆地について当初の予定を果たすことが出来た。また、必ずしも当初の予定にはなかったが、福建・広州諸都市、台湾諸都市についてのショップハウス研究が進展したことから、フィリピンの諸都市の中国人街について調査を行った。

 

5.主な発表論文等

(研究代表者、研究分担者及び連携研究者には下線)

〔雑誌論文〕(計22件)

[126]J.R.ヒメネス・べルデホ,布野修司:サント・ドミンゴ(ドミニカ共和国)の都市形成と空間構成に関する考察Considerations on the Urban Process and Space Formation of the City of Santo Domingo(Dominican Republic),日本建築学会計画系論文集,20102,75,648, pp.385-393

127川井操,布野修司,山根周:西安旧城・回族居住地区の棲み分けの特性に関する考察,Considerations on Characteristics of Habitat Segregation of  Hui’s Residential District in Xi’an Old Castle, 日本建築学会計画系論文集,75巻,第651,pp1097-1102,20105

128チャンタニー・チランタナット*,布野修司**,額田直子***:バーン・パーク・シー村(ルアンパバーン,ラオス)の空間構成に関する考察Considerations on Spatial Formation of Ban Paksy Village in Luangprabang, Lao,日本建築学会計画系論文集, 第75巻 第651号,1117-1123 20105

129J.R.ヒメネス・べルデホ,布野修司,「セブ市(フィリピン)の都市形成とその都市核の空間構成に関する考察」,日本建築学会計画系論文集,76,No.668,pp1867-1874201110

130趙冲,布野修司(2011),川井 操,「泉州鯉城区(福建省)の住居類型とその分布に関する考察」,日本建築学会計画系論文集,77,No.669pp2033-2040201111

131ハイルル・フダ,山本直彦,牧紀男,布野修司‘On-Site Permanent Housing Supply in the Reconstruction Stage after 2004 Indian Ocean Tsunami-The case of UN-Habitat in Banda Aceh municipality in Indonesia-’,日本建築学会計画系論文集,77,No.675pp959-96820125

132J.R.ヒメネス・べルデホ,布野修司, 若松堅太郎,「ハバナ旧市街の都市形成と街路体系に関する考察 Considerations on Urban Formation and Street System of Habana Vieja」,日本建築学会計画系論文集,77,No.675pp1069-107620125

133趙冲,布野修司,川井 操,山田香波,張鷹,「福州上下杭社区(福建省)の住居類型とその変容に関する考察 CONSIDERATIONS ON SPATIAL FORMATION AND TRANSFORMATION OF HOUSE TYPES IN SHANGXIAHANG NEIGBOURHOOD DISTRICT (FUZHOU, FUJIAN)」 日本建築学会計画系論文集,77,No.682pp2689-2695201212

134J.R.ヒメネス・べルデホ,布野修司, 若松堅太郎,「ハバナ旧市街の街区構成と住居類型に関する考察 Considerations on Block Formation and House Types of Habana Vieja」,日本建築学会計画系論文集,77,No.682pp.2781-2788201212

135趙冲、布野修司(2012、川井操『泉州鯉城区(福建省)の住居の平面構成とその変容に関する考察』日本建築学会計画系論文集、pp2499-2506、第77巻、NO.6812012.11

136塩田 哲也,J.R.ヒメネス・ベルデホ,布野 修司(2012「イントラムロス(マニラ)の形成と街路体系に関する考察」,日本建築学会計画系論文集,77,No.681pp2545-2552201211

[137]趙冲,布野修司(2012,川井 操,山田香波,張鷹,「福州上下杭社区(福建省)の住居類型とその変容に関する考察」 日本建築学会計画系論文集,77,No.682pp2689-2695201212

[137] J.R.ヒメネス・べルデホ,布野修司(2012, 若松堅太郎,「ハバナ旧市街の街区構成と住居類型に関する考察」,日本建築学会計画系論文集,77,No.682pp.2781-2788201212

[138] 布野修司2012),「地域の死と再生―建築の遺伝子 建築類型・地形・所有と所有・街区組織」「場所性・地域継承空間システムと都市建築のフロンティア」『総合論文誌』第10号,2012

[139] 趙冲,于航,布野修司(2013,川井操「開封旧内城の空間構成とその変容に関する考察―文殊寺・学院門社区の都市組織―」,日本建築学会計画系論文集,第78,No.685pp519-52620133

[76]Chong Zhao, Shuji Funo2012Considerations on Transformation of House Plan of Licheng District (Quanzhou, Fujian)The 9th International Symposium On Architectural Interchanges in Asia, Kwngju, Korea, 2012.10.22-25

[77]Natsumi Kono, Shuji Funo2012A Consideration on Spatial Formation of Xiangcheng District in Zhangzhou City, Fujian:’ The 9th International Symposium On Architectural Interchanges in Asia, Kwngju, Korea, 2012.10.22-25

[78]Keizo Umetani, Shuji Funo2012’Considerations on the Urban Formation of Binondo and San Nicolas Disarict in the City of Manila’: The 9th International Symposium On Architectural Interchanges in Asia, Kwngju, Korea, 2012.10.22-25

[79]Kanami Yamada, Juan Ramón, Jiménes Verdejo, Shuji Funo2012‘Considerations on Spatial Formation and Transformation of House Types in Shangxiahang Neighbourhood Area(Fuzhou, Fujian)’: The 9th International Symposium On Architectural Interchanges in Asia, Kwngju, Korea, 2012.10.22-25

 

〔学会発表〕(計25件)

①中川雄輔,前田昌弘,布野修司(2006)「コロンボ近郊における津波被災シャンティ・セツルメントの復興過程 その1 スリランカにおける居住政策の変遷と津波復興政策の位置づけ」,pp195-196,日本建築学会学術講演会梗概集,神奈川大学,200697日~9日.
②前田昌弘,中川雄輔,布野修司(2006)「コロンボ近郊における津波被災シャンティ・セツルメントの復興過程 その2 沿岸居住地の被害状況と復興の実態」,pp197-198,日本建築学会学術講演会梗概集,神奈川大学,200697日~9日.
③朴重信,趙聖民,金泰永,布野修司(2006)「日本植民地期における韓国の河川の日本人移住漁村について その1密陽の三浪津邑の事例」,pp197-198日本建築学会学術講演会梗概集神奈川大学200697日~9日.
④趙聖民,朴重信,布野修司(2006)「韓国密陽市三浪津邑鉄道官舎の形成と空間変容に関する考察三浪津鉄道官舎の形成と空間変容を中心として」,pp139-140,日本建築学術会学会講演会梗概集,神奈川大学,200697日~9

⑤前田昌弘(京都大)・中川雄輔・布野修司・高田光雄(2007)「スリランカにおける津波被災地居住地の再定住事業の実態に関する研究 その1 再定住事業のプロセス」,日本建築学会大会(福岡)学術講演梗概集5003

⑥中濱春洋(滋賀県立大大学院)・趙聖民・布野修司2007)「韓国安東における旧鉄道官舎地区の居住空間の変容に関する考察 その1 安東旧鉄道町の街区構造について」,日本建築学会大会(福岡)学術講演梗概集5016

⑦趙聖民(滋賀県立大大学院)・中濱春洋・布野修司2007)「韓国安東における旧鉄道官舎地区の居住空間の変容に関する考察 その2 -旧鉄道官舎の居住空間変容-,日本建築学会大会(福岡)学術講演梗概集5017

⑧朴光成(滋賀県立大大学院)・川井操・布野修司2007)「西安城における回族居住地区の空間構成に関する考察 その1 社区構成と施設分布」,日本建築学会大会(福岡)学術講演梗概集7336

⑨川井操(滋賀県立大大学院)・朴光成・布野修司2007)「西安城内における回族居住地区の空間構成に関する考察 その2 街路体系と街区構成」,日本建築学会大会(福岡)学術講演梗概集7337

⑩柳沢究(神戸芸術工科大)・中濱春洋・岡村知明・布野修司(2008)「ヴァーラナシー(インド)旧市街における住居の平面構成と類型」, 日本建築学会大会(広島)学術講演梗概集2008年,E-2分冊,p.185

⑪小川哲史(滋賀県立大)・川井操・布野修司,「西安旧城・回族居住地区の住居類型に関する考察 その1 住居の概要,宅地類型」,日本建築学会大会(広島)学術講演梗概集2008年,E-2分冊,p.187

⑫中濱春洋(滋賀県立大大学院)・柳沢究・岡村知明・布野修司,「ヴァーラーナシー(インド)における居住区の比較に関する研究   ヒンドゥー教徒地区とイスラーム教徒地区について」,日本建築学会大会(広島)学術講演梗概集2008年,E-2分冊,p.353

⑬高橋俊也(滋賀県立大)・陳春名・川井操・岡崎まり・美和絵里奈・鮫島拓・山田協太・布野修司,「台湾・澎湖群島の集落および都市の空間構成に関する研究 その3 望安島の集落の基本構成と各集落の空間構成」, 日本建築学会大会(広島)学術講演梗概集2008年,E-2分冊,p.359

⑭鮫島拓(滋賀県立大)・陳春名・高橋俊也・川井操・岡崎まり・美和絵里奈・山田協太・布野修司,「台湾・澎湖群島の集落および都市の空間構成に関する研究 その4 望安島・中社の集落空間構成」, 日本建築学会大会(広島)学術講演梗概集2008年,E-2分冊,p.361

⑮陳春名(滋賀県立大)・高橋俊也・川井操・岡崎まり・美和絵里奈・山田協太・布野修司・鮫島拓,「台湾・澎湖群島の集落および都市の空間構成に関する研究 その1 澎湖群島の発展と集落,都市の概要」, 日本建築学会大会(広島)学術講演梗概集2008年,E-2分冊,p.369

⑯美和絵里奈(滋賀県立大)・陳春名・高橋俊也・川井操・岡崎まり・山田協太・布野修司・鮫島拓,「台湾・澎湖群島の集落および都市の空間構成に関する研究 その2 馬公市の都市空間構成および中央里付近の社区構成」,日本建築学会大会(広島)学術講演梗概集2008年,E-2分冊,p.369

⑰渡辺光一郎(滋賀県立大大学院)・川井操・布野修司2009)、北京牛街・回族居住地区の街路変遷に関する考察、日本建築学会大会(仙台)学術講演梗概集 5754

⑱若松堅太郎(滋賀県立大)・川井操・布野修司2009)、北京内城・朝陽門地区の街区構成とその変容に関する考察、日本建築学会大会(仙台)学術講演梗概集 5755

⑲山根周(滋賀県立大学)・岡村知明・西村弘代・深見奈緒子・布野修司2009)、インド洋海域世界における港市の形成と変容に関する研究その1 ムカッラー旧市街(イエメン,ハドラマウト州)の都市構成と集住形式、日本建築学会大会(仙台)学術講演梗概集5756

Chantanee chiranthanut(滋賀県立大大学院)・山田愛・額田直子・布野修司2009)、ヴィエンチャンにおける都市空間の変容と住居形式に関する考察 その1 都市形成とショップハウスの分布、日本建築学会大会(仙台)学術講演梗概集5758

21山田愛(滋賀県立大大学院)・CHANTANEE CHIRANTHANUT・額田直子・布野修司2009)、ヴィェンチャンにおける都市空間の変容と住居形式に関する考察 その2 植民地住居の形態と変容について、日本建築学会大会(仙台)学術講演梗概集5759

22趙沖(滋賀県立大大学院)・川井操・布野修司・石川智章(2009)、福建・泉州市における鯉城区の空間構成に関する研究 その1 街路体系および施設分布、日本建築学会大会(仙台)学術講演梗概集5772

23石川智章(滋賀県立大大学院)・川井操・趙沖・布野修司2009)、福建・泉州市における鯉城区の空間構成に関する研究 その2 騎楼型住居の空間構成、日本建築学会大会(仙台)学術講演梗概集5773

24美和絵里奈(滋賀県立大大学院)・陳春名・高橋俊也・川井操・岡崎まり・山田協太・布野修司2009)、台湾・澎湖群島の集落および都市の空間構成に関する研究その5 将軍島・将軍村の集落空間構成、日本建築学会大会(仙台)学術講演梗概集 5774

25川井操(滋賀県立大大学院)・布野修司2009)、西安旧城・回族居住地区の住み分けに関する考察、日本建築学会大会(仙台)学術講演梗概集5778

 

〔図書〕(計3件)

①布野修司、『曼荼羅都市・・・ヒンドゥー都市の空間理念とその変容』京都大学学術出版会,2006225

Shuji Funo & M.M.Pant, Stupa & Swastika, Kyoto University Press+Singapore National University Press, 2007

③布野修司+山根周『ムガル都市--イスラーム都市の空間変容』京都大学学術出版会,2008530

〔その他〕

ホームページ等

www.ses.usp.ac.jp./lab/funo

 

6.研究組織

(1)研究代表者

布野修司(滋賀県立大学環境科学部・教授)

 研究者番号:50107538


2025年7月14日月曜日

中高層ビルと「目隠し塀」 中国古都の光と影,『CE 建設業界』Volume59, 日本土木工業協会,201010

 中高層ビルと「目隠し塀」 中国古都の光と影,『CE 建設業界』Volume59 日本土木工業協会,201010


中高層ビルと「目隠し塀」―中国古都の光と影

布野(ふの)修司(しゅうじ)

 「中国都城の系譜とその空間構造の変容に関する研究」(科学研究費助成研究)といういささか大それたテーマで、中国を移動中である(201086日~94日)。北京から南京、杭州、開封、洛陽、西安と、歴代古都―七大古都という場合、安陽(殷墟)、八大古都という場合鄭州がさらに含まれる―をほぼ歴史の逆向きに回って北京に戻ってくる。

 中国国家文物局中国文化遺産研究院が研究拠点を置く天津大学との打ち合せのために北京経由でまず天津に入った。阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件以来だから15年ぶりである。当時は、唐山地震(1976年)の被害の痕跡がまだ残っており、旧天津城内部には、スコッター(不法占拠者)然のバラックが多数残っていたが、再開発されてその面影もない。超高層ビルが建ち並び、さらにクレーンがここそこ聳えており、渤海湾には渤海新区が建設中である。天津生まれですら、全く別の町になったようだという。それでもかつての日本租界を歩いてほっとする。15年前の記憶が蘇ってきたからであるが、日本租界のまちの作り方、そのスケール感が合うのである。

 一方、イタリア租界のようにかつての建物を修復復元して再生する地区もある。古代建築の復元について、その最前線に立つのが、1930年代から実測を続けてきた天津大学である。天津大学は、この間、明・清朝の皇帝陵墓群など中国の世界文化遺産登録のための調査を一貫して行ってきた。3Dスキャンを用いたその実測とCADを駆使したその一連の仕事は、いまやカンボジアのアンコールにまで及んでいる。

 問題は、天津のケースでいうと「古文化街」(天后旧門前)あるいは「旧天津城」のような復元である。「造景」といってもいいけれど、いわゆる「もどき」の復元、「○○」風の復元である。日本でも彦根のキャッスルロードのように歴史的街並みを装う「造景計画」があるが、中国全土を覆うのがこの種の復元である。歴史的一画のみそれらしく装われて残され、全体は超高層ビルで包囲される、そんな景観がいたるところで見られる。北京しかり、西安しかり、洛陽ですら既にそうである。

 天津から上海に抜ける途中で、揚州、蘇州に寄ったがいずれも同じ印象である。揚州は、隋の煬帝が掘削した大運河によって栄えた町である。この大インフラが中国の千年を超える歴史を支えてきたことには感慨を覚えるが、いまや交通インフラは高速道路網あるいは新幹線に置き換えられている。揚州周辺はまるでアメリカの大都市郊外のようである。聞けば揚州は江沢民の出身地だという。旧市内にその生居がある。日本人にとって揚州は、なによりも鑑真の故郷である。彼が修行した大明寺には唐招提寺を模した記念館がつくられている。江沢民は、古代文明と現代文明の融合をうたうが、歴史的建造物や庭園を残して、あとは超高層建築で包囲しようがどうしようがいい、というのは解答ではないだろう。

 「上海世博2010」で沸く上海であるが、上海でも超高層ビルの谷間に解放前に遡る里弄街区が残され、低所得者層が住んで都市の様々なサービスを支えている。南京では、明代の城壁が残る中華門のすぐ近くの実輝巷社区を歩き回ったが、路地が入り組んで迷路のようで貧相なバラック然の住居が並んでいる。一歩表通りに出ると観光客が大勢訪れる歴史的地区であり、まるで異次元の異空間である。朝夕、廃品回収の荷台付の自転車が何台も回ってくる。おかげで社区内はゴミ捨て場が要らないほどなのであるが、廃品回収が人々の生業となっているのである。コミュニティはしっかりしており、路地では様々な会話が飛び交い、夕方になると、将棋、トランプの輪ができる。

 現在、実輝巷社区を含めた城南地区では、面白い試みがなされている。地区の周囲、車道に面した住宅のみについて改修が行われ、街並みの再生、修景が一斉に進行中なのである。改修と同時に看板を統一し、瓦を用いるなど一定のデザイン・コードが採用されている。大通りについては、塀が新たに建てられる。悪く言えば、「もどき」のデザインによる「目隠し壁」であるが、徐々に事業が進んでなんとなく雰囲気が出来つつある。同じように明代の城壁が残る数少ない古都である西安の場合も、城内については、鼓楼広場の下にスーパーマーケットを設け、周辺を歴史的様式の建物で囲むなど新たな取組みが見られる。一方、この鼓楼広場に隣接する歴史街区には回族(ムスリム)が数多く住む。研究室の川井操君が一年住んで学位請求論文「西安旧城回族居住地区の空間構成とその変容に関する研究」を仕上げたばかりだ。それによると社区の住民組織は南京同様極めて自立的である。

こうした都市の自立的コミュニティを維持できるのであれば、「目隠し塀」もひとつの手法かなと思う。考えてみれば、古代都城の各坊は塀で囲われていたのである。

しかし、都市には都市の歴史がある。815日、「南京大虐殺記念館(侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館)」を訪れて、いまさらのようにそう思う。歩き回った実輝巷社区のまさにその場所で南京攻略の戦闘が行われた。古都を蹂躙してきたのは幾多の戦争であり、日本も無縁ではない。「目隠し塀」で隠しようのない中高層のアパートはどうするんだろう、ファサード保存の手法とどう違うのか、日本に誇れる事例はあるのか、様々なことを愚考しながら杭州へ向かう。

 

Prof. Dr. Shuji Funo            布野修司






 

 

2025年7月13日日曜日

鈴木成文先生の逝去を悼む,建築雑誌,日本建築学会,201007

 鈴木成文先生の逝去を悼む,建築雑誌,日本建築学会,201007

 

追悼 鈴木成文先生

布野修司

 

 37日未明、鈴木成文先生が逝去された。前日、東海支部設計計画委員会主催シンポ「ユーザー参加から見る学校建築」に教え子の柳川奈奈さんが基調講演をされるというので参加され、懇親会にも出席、最終の新幹線で東京駅着、地下鉄駅へ向かわれる途中で突然倒れられたという。

一昨年、大きな心臓手術を受けられ、お身体は万全ではなかったものの、完全に通常の活動に復帰され、以前にもましてご活躍であった。昨年の大会懇親会でも、若い世代を叱咤鼓舞するスピーチをされ、その回復ぶりというか、意気軒昂ぶりに舌を巻いたばかりである。どころか、5日には建築計画委員会があり、先生が娘のように可愛がられていた田島喜美恵さんから上野に長谷川等伯展を一緒に見に行ったという話を聞いたばかりであった。余りにも突然の死に絶句である。

教えを受けたものたちが拠り所としてきた先生の公式ホームページ『文文日記日々是好日』は3月3日の「雛人形/えるの会記念帳」が最後になった。「えるの会」とは、東京大学建築学科1950卒業の同期会のことで、「鈴木家住宅」保存の近況報告を書いて送ったとある。最近は「住文化と文化遺産を守る会」の設立に尽力されていた。天寿を全うされたとはいえ、いささか無念であったかもしれないと思う。謹んでご冥福をお祈りしたい。

 西山夘三、吉武泰水の両先生が切り開かれた建築計画学研究の分野を中心的に担われてきた先生のご経歴、ご業績については、とてもこの限られたスペースで振り返る余裕はない。「日本建築学会大賞」を受賞(2001年)され、名誉会員(2002年)でもある先生については本会会員にはよく知られているところである。

 1959年に大阪市立大学から東京大学へ戻られた先生は、公共住宅の設計計画の分野で精力的に研究活動を展開された。研究史については、『建築計画学の軌跡―東京大学建築計画研究室一九四二-一九八八』(鈴木成文先生退官記念出版、1988年)がある。「51C」批判に対する晩年の応答が示すように、鈴木先生の建築計画学の初心は揺らぐことがなかったように思う。

70年代から80年代にかけて、量から質へ、高層から低層へ、画一性から地域性、多様性へ、建築に関わるパラダイムが大きく転換する中で、ハウジング・スタディ・グループを組織、視野を東アジアへ、韓国・台湾・中国のフィールドにも拡げられ、一貫して調査研究を展開された。

 何よりも伸び伸びと活動の幅を拡げられたのは、神戸芸術工科大学に拠点を移されて以降である。「芸術工学」を拠り所とされ、デザイン教育を媒介として若い学生たちを活き活きと育てられた。晩年は、留学生の支援(「文文奨学金」)に熱心に取り組まれた。

 葬儀には、鈴木先生の一番弟子といっていい、朴勇換教授(韓国漢陽大学建築大学校前学長)が駆けつけられた。朴教授は自らの研究を集大成する大部の『韓国近代住居論』を上梓されたばかりで、その前書きが鈴木先生の絶筆となった。

(滋賀県立大学、前建築計画委員会委員長)


略歴

 

1927(昭2)年         誕生

1950(昭25)年         東京大学建築学科卒業

1955年(昭和 30年)     東京大学大学院(旧制)修了

1955年(昭和 30年)     川村建設事務所 入社

1957(昭32)年        大阪市立大学理工学部建築学科講師

1959(昭34)年        東京大学建築学科助教授

1959(昭34)年-61(昭36)年 日本建築学会評議員

1968(昭43)年         日本建築学会賞(論文)受賞

「集合住宅の計画に関する一連の研究」

1971(昭46)年-73(昭48)年 日本建築学会評議員

1974(昭49)年        東京大学建築学科教授

1976(昭51)年-77(昭52)年 日本建築学会理事(図書)

1988(昭63)年        東京大学名誉教授

1989(平元)年        神戸芸術工科大学環境デザイン学科教授

1998(平10)年        神戸芸術工科大学学長、同名誉教授

2001(平13)年        日本建築学会大賞受賞「住まいを中心とした建築計画研究の確立と建築教育の発展に対する貢献」

2002(平14年        神戸芸術工科大学学長退任 日本建築学会名誉会員

2010(平22)年        逝去(37日)

 

主要著書

『集合住宅 住戸』建築計画学6、丸善、1971

『五一C白書 - 私の建築計画学戦後史』、住まいの図書館出版局2006

『住まいの計画・住まいの文化 - 鈴木成文住居論集』、彰国社、1988

『住まいを読む - 現代日本住居論』、建築資料研究社1999

『「いえ」と「まち」 集合の論理』鹿島出版会、共著、1984

『文文日記 日々是好日 I - VII』、文文会KOBE2004 - 2009





 

 


   ①                   ②

布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...