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2024年12月18日水曜日

職人大学へ,新建築,199907

 職人大学へ,新建築199907


職人大学へ

布野修司

 

 いまムンバイ(ボンベイ)である。かってのネイティブ・タウンを歩き回っている。立ち寄った本屋ですばらしい写真集を見つけた。”The Indian Courtyard Houses"(T.S. Randhawa, Prakash Books,1999)。今年出たばかりだ。ジャイプールやアーメダバードのハヴェリなど多少調べだしたけれどインド各地にはさらに奥深くすばらしい都市型住宅がある。都市の伝統の厚みの違いであろう、日本の都市が実に薄っぺらに思えてくる。冒頭に「本書は、これらのすばらしい建物を設計し建設した無名の職人たちに捧げる」とある。職人世界の活き活きとした存在とまちの景観は密接不可分なのである。

 1990年11月27日、サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)という小さな集まりが呱々の声を上げた。サイト・スペシャルズとは耳慣れない造語だが、優れた人格を備え、新しい技術を確立、駆使することが出来る、また、伝統技能の継承にふさわしい、選ばれた現場専門技能家をサイト・スペシャリストと呼び、そうした現場の専門技能家、そして現場の技術、工法、機材、労働環境まで含んだ全体をサイト・スペシャルズと定義づけたのである。横文字にせざるをえなっかたのが癪であったが、要は建設現場で働く職人の社会的地位の向上、待遇改善、またその養成訓練を目的とし、建設現場の様々な問題を討議するとともに、具体的な方策を提案実施する機関がSSFである。スローガンは当初からわかりやすく’職人大学の設立’であった。主唱者は日綜産業社長小野辰雄氏。中心になったのは、待遇改善に極めて意欲的な専門工事業、いわゆるサブコンの社長さんたちである。

 顧問格で当初から運動を全面的に支援してきたのは内田祥哉元建築学会会長。内田先生の命で、田中文男大棟梁とともに当初からSSFの運動に参加してきた。最初話を聞いて、大変な仕事だという直感があった。藤沢好一(芝浦工業大学)、安藤正雄(千葉大学)の両先生にすぐさま加わって頂いた。また、土木の分野から三浦裕二(日本大学)、宮村忠(関東学院大学)の両先生にも加わって頂いた。それからかなりの月日が流れ、その運動はいま最初の到達点を迎えつつある。具体的に「国際技能工芸大学(仮称)」が開学(20014月予定)されようとしているのである。バブルが弾け、「職人大学」の行方は必ずしも順風満帆とは言えないが、SSFの運動がとにもかくにも大学設立の流れになった、ある種の感慨がある。

 当初はフォーラム、シンポジアムを軸とする活動であった。海外から職人を招いたり、マイスター制度を学びにドイツに出かけた。議論は密度をまし、職人大学の構想も次第に形をとりだしたが、実現への手掛かりはなかなか得られなかった。そこで兎に角はじめようと、SSFパイロットスクールが開始された。第一回は19935月の佐渡(真野町)でのスクーリングであった。その後、宮崎県の綾町、新潟県柏崎、神奈川県藤野町、群馬県月夜野町、茨城県水戸とパイロットスクールは回を重ねていく。現場の職長さんクラスに集まってもらって、体験交流を行う。参加者の中から将来のプロフェッサー(マイスター)を見出したい。そうしたねらいで、各地域の理解ある人々の熱意によって運営されてきた。

 そして、SSFの運動に転機が訪れた。KSD(全国中小企業団体連合会)との出会いである。SSFは、建設関連の専門技能家を主体とする集まりであるけれど、KSDは全産業分野をカヴァーする。”職人大学”の構想は必然的に拡大することになった。最早、SSFの手に余る。KSDは全国中小企業一〇〇万社を組織する大変なパワーを誇っている。

 KSDの古関忠雄会長の強力なリーダーシップによって事態は急速に進んでいく。「住専問題」で波乱が予想された通常国会の冒頭であった(19961月)。村上正邦議員の総括質問に、当時の橋本首相が「職人大学については興味をもって勉強させて頂きます」と答弁したのである。「職人大学」設立はまもなく自民党の選挙公約になる。

 めまぐるしい動きを経て、国際技能振興財団(KGS)の設立が認可され、設立大会が行われた(199646日)。以後、財団を中心に事態は進む。国際技能工芸大学が仮称となり、その設立準備財団(豊田章一郎会長)が業界、財界の理解と支援によってつくられた。梅原猛総長候補、野村東太(元横浜国大学長)学長候補を得て、建設系の中心には太田邦夫先生(東洋大学)が当たることが決まっている。用地(埼玉県行田市)も決まり、1997年にはキャンパス計画のコンペも行われた。

 国際技能工芸大学(仮称)は、製造技能工芸学科と建設技能工芸学科(ストラクチャーコース、フィニッシュコース、ティンバーワークコース)の二学科からなる4年生大学として構想されつつある。その基本理念は以下のようである。

 ①ものづくりに直結する実技教育の重視、②技能と科学・技術・経済・芸術・環境とを連結する教育・研究の重視、③時代と社会からの要請に適合する教育・研究の重視、④自発性・独創性・協調性をもった人間性豊かな教育の重視、⑤ものづくり現場での統率力や起業力を養うマネジメント教育の重視、⑥技能・科学技術・社会経済のグローバル化に対応できる国際性の重視

  教員の構成、カリキュラムの構成などまだ未確定の部分は多いがSSFの目指した”職人大学”の理念は中核に据えられているといっていい。もちろん、「職人大学」がその理念を具体化していけるかどうかはこれからの問題である。巣立っていく卒業生が社会的に高い評価を受けて活躍するかどうかが鍵である。


2024年12月8日日曜日

エースが何人も欲しい 久米設計の元気の秘密,大阪インタビュー、日刊建設工業新聞,19990118

 エースが何人も欲しい  久米設計の元気の秘密,大阪インタビュー、日刊建設工業新聞,19990118


 布野 先日本社でいろいろお聞きして、僕自身も楽しかったのですが、僕に対して、久米設計が非常に元気だ、その元気の秘密を探ってくれというのがぶっちゃけた話でして、それは組織の総合力ということで、大手設計事務所の中でも大変元気がよろしいということなんですよ。

 それで冒頭に、この間東京でもお聞きしたのですが、それぞれお三方に、久米設計とはということを最初に一言ずつお聞きしたい。

 小笠 業界の中ではいつも雄であっていかないといかんという前提で、リーディングカンパニーではないですが、そういう気持ちを持ってやっていかないといかんなと。先ほどのお話の「元気」という言葉にも関連すると思うのですが、リーダーシップ的に持っていくような会社でなければいけない。それが久米設計の第一要素、条件ではないか。それが久米設計だと(笑い)。

 上出 僕が入ったときは30年ぐらい前ですが、そのときは大変若い組織だという印象がありました。

 布野 そのときは権九郎先生は。

  上出 私のときはもういらっしゃらなかったですね。

 小笠 私ぐらいでしょうね、一緒にやりましたのは。

 上出 ちょうどいまの半分ぐらいの人数だったと思うのですが、私は西麻布のときに入ったのですが、本当に若いという印象があって、そういう意味で活気がある。いまはかなり組織化されている面もあって、仕事としてはしやすい組織じゃないかという印象があります。

 竹田 希望的なあれも入るのですが、個人の顔が見える組織体であってほしい。そういう可能性としてはあるのじゃないかと思います。

 布野 本社でお聞きしたときには、イシムラ副社長だと思いますが、久米権九郎先生のことにも伝統ということで触れられたのですが、お若い2人は入られるときに、久米先生について何かイメージをお持ちで入られたのですか。

 上出 久米先生については、大震災の後にヨーロッパに行かれて、久米式耐震壁とかを開発されて、技術的なことに造詣が深い先生でいらっしゃるということと、ドイツのハウジングを学んで来られたので、それでやられたということは入ってすぐ後ぐらいにわかったのです。

 当初入ったときに、私はもともと北海道でございまして、むしろ久米設計の代表作が北海道に集中していたという印象を持ったということで、もうそのときは組織事務所という感覚でございましたので、そういう印象で入ったということですね。久米先生のことはその後に少し教わったということで覚えております。

 竹田 私も正直申しまして入社後間接的に聞きました。ただ知識としては、日本近代建築史の中で特に辰野の関係とかでチラッと読んだことがある程度(笑)。

 布野 この間東京で聞いたときは、ヒラタさんだったかな、どこでもよかったと(笑い)、正直におっしゃってました。

 たとえばキャッチコピーはどうかとか、社是はないかとか、いろいろお聞きしたのですが、「個を生かす組織」ということで、皆さんがおっしゃって、ボワッと何となくわかってきたような気もしたのですけども。

 今日は主に組織のあり方とか、仕事の仕方の中に久米式というものがあるのじゃないかということで、特に支社、あるいは地域と本社というか、全体みたいなところをお聞きしたいのです。ざっと仕事の流れとか支社の位置づけをお聞かせいただけますか。

 小笠 東京と大阪といいますのは、地域的に、私は生まれも育ちも大阪なんですが、どうしても関西の人間は対抗意識的なものがあるのですね。その中で、大阪が設計できるのは大阪で処理をやっていこうという気持ちはいまだに持っている。本当はいけない、組織であれば、むしろ連携をとっていかないといけないことはあるのですが、半面そういう気持ちもまたあるのですね。やはり支社ですので、蓄積が少ない、実績も少ない、そういうときには本社の情報網を利用して資料提供、あるいはまた専門部署が先行してますので、そういうところと相談してやっていく。

 一般的な建物は大体大阪で処理できる。いまは病院もできるようになってきましたので、そのあたりは十分できるということで大阪は動いておるような状態なんです。

 布野 ざっと陣容は何名ぐらいですか。

 小笠 全体では710ぐらいですか。大阪は46人なんです、現場も全部含めまして。

 布野 そのうち設計は。

 上出 意匠・設計としては16人ぐらいです。

 小笠 あと構造、整備、積算、管理部門。本社部門を圧縮したような感じですね。

 布野 そうすると支社といっても他の支社とはちょっと違うわけですね。

  上出  支社の中では、セクション的には充実しています。

 布野 先ほど病院もやれるようになったとおっしゃいましたが、病院についてはスペシャルチームが育ってきたということですか。

 小笠 そういうことですね。ただ十何人かのうちの3人か4人が育ってきたということです。それでも人数は足りませんので、当然大きなプロジェクトが来ると、本社から応援が来たり、こっちでチームを一つつくったりはやるようになっています。

 布野 PA(プロジェクト・アーキテクト)は支社では何名ですか。

 上出 いまは3名です。

 布野 希望も含めて、本社でも「顔の見える組織、事務所でありたい」と。僕なんかも特にコンペなんかやるときに、多分いまコンペは担当者の実績という資料なんかの形になってきていると思いますし、組織事務所でも個人を出してくださいと、僕も審査なんかやったりするときに言うのですけど。

 たとえば大手のゼネコン設計部とか、大手の組織事務所にエースがいてという形はあると思うのです。「顔の見える」といったときの組織イメージというのはどんな感じでしょうか。あとは、言っちゃ悪いですけど、手を抜くと。僕もある地方に関わっていて、コンペなんかでとられるのはいいのですけど、必ずしも優秀なチームとは限らない、そういうことがよくあるのですね。そうじゃないチームが仕事としてやったりする。

 竹田 いま言われたように一握りのエースがいて、あとは日常的なルーティンワークをこなすという形ではあってほしくないというのは当然だと思うのです。特にこの担当者としては、それぞれが皆それぞれの顔を持って、その中で、ある機会があってチャンスがあった人間はより伸びていくだろうし、たまたま恵まれないにしても次の機会を待ち続けるという形ではあってほしいなと思います。そういう意味で希望的なというのはある。

 先ほど、仕事のやり方に久米式があるかというお話で、僕が入った頃はまだ二十数人ぐらいの非常に小さな組織でしたので、アトリエ的な色彩が残ってまして、本当の入り立ては別として、それぞれ1人でやっていたという形がだいぶ長い間あったのです。この六、七年の間に人数的にもだいぶ増えてきたということがあるし、チームとしての仕事のやり方をより強く出していこうという方向にはなってきているのかなと思います。

 布野 顔の見えるというと、先ほどのPAがそれに当たると理解していいのですか。

 小笠 若い人でもコンペとか参加して、アイデアとか、突然パッと出てきますので、それで逆にいえば当選したりする場合もあります。そういう若い人も入ってくるということでしょうね、PAじゃなしに。

 竹田 プロポーザルの場合ですと、総括なり主任という形で、PAクラス以上の人間が名前としては出てくるだろうと思います。実際の仕事になってきますと、実質担当の人間のほうがよりウエートが高いことになってきますので、その辺を僕としてはイメージしたい。その中の一人でありたい。

 上出 アーキテクトの集団としてPAの場合はマネージメント的なこともかなり負わされている。かなり広範でして。PAが一つのチームをつくって、PAがすべての責任をとって、社内的にも社外的にも一つの顔としても、実質的にデザインとかをやるのはもっと若い人がやる場合が多いという状況になっていますね。

 布野 そうすると実力の相場、相乗効果みたいなものが久米の実力になるわけですね。採用が非常に重要ではないかと申し上げたのです。その辺についてスペシャリストとしてどういう人材を確保するか。

 小笠 いま不景気ですからあれですが、当然会社の方針として、年間、意匠何人、構造何人、設備何人という採用の目標を立てるわけです。そこで各学校へ行きまして、先生方にお願いしているのが実情です。

 布野 本社採用ですか。支社で独自に。

 小笠 各支社から推薦して、ある程度支社で本人が書いたものがいろいろありますので、そういうものを見せて、支社は支社で検討して、なかなかユニークなものを持っているなとか、いいなとか、そういうことで推薦する。本社で全国から20人、30人を面接、多いときはまた試験をやってるようです。先生の推薦をまずいただいて、こういう意匠で優秀なものがおるぞ、ということでやっているのが現状です。

 昔は大胆なデザインをする人がおりましたけど、最近は大体同じような、均一ですので。

 布野 どうなんですか。それも本社で話題になったんです。僕は知らなかったけど、渡邊洋治先生がいらっしゃって、昔は大変だったとか(笑)。

 竹田  学生のほうからしても、志向として組織事務所を志向する人間と、アトリエ系と、いまこれだけ情報が流れている中ではわかってくるだろうと思うのです。先ほど話が出ましたが、それぞれの研究室の先生方からの推薦が基本になっていますので、その辺の先生方の適正判断みたいなものも当然入ってくるだろうと思うのです。その上でのこちら側での面接を通じての判断ということになってくると思います。

 布野 あとでまた地域との関わりみたいなことをお聞きしたいのですが、北海道ですと、北海道の大学とか、地元をわりと大事にしていますとおっしゃっていますね。

 小笠 以前は違ったのですが、ここ何年か前からはそういう傾向になってきていますね。対お客さんに対してもそのほうがスムーズに行くみたいです。環境も地元におった人間が一番よく知っておりますから、そういう傾向がだんだん強く、うちの事務所もなってきているのは事実ですね。

 布野 本社で何年かトレーニングというのは全員ですか。全員とは限らない。

  小笠 技術、意匠、全員だね。昔はそうだったけど、いまはちょっと変わってきているね。

 上出 いまは支社採用の人もいますし、支社から何年か本社へ行って、また戻ってくるというのも多いのじゃないですか。

 小笠 以前は本社へ行って、何年かやって、こっちへ戻ってきたのが事実ですね。バブルのときは即ということで変わってきたのかな。また今後変わってくるかもわからん。

 竹田 私の時代は1週間とかそれぐらいの研修があって、すぐ配属でした。

 小笠 使いものになる人間は即……(笑)。

 布野 本社が大きいですので、たくさん仕事が来て、仕事の担当を決めたりするときに、プロジェクトごとの編成を会議なんかでわりとフレキシブルにやられるという話だったのですが、支社ではどうですか。

 小笠 支社はPAと私の間で大体割り振りを決めていきます。人が少ないですから、それで十分いける。

 上出 3人しかいないのですが、PA会議みたいなものでどういうふうに仕事をするかという話を支社長のほうから仕事が来たときに話をして、適性とか、そのときの仕事の状況で割り振ったりするということをやっています。

 布野 仕事のジャンルといいますか、官民ということではだいぶ比率が変わってきているということもあると思います。先ほど病院という話も出たのですが、支社の特徴みたいなところがあるのですか。営業範囲とか。

 小笠 やはり本社機構が東京ですので、大阪という町そのものが難しいところでございます。難しいといいますのは、有名な設計事務所、本社機構を持った事務所が在阪にある。それとゼネコンさんの立派な設計部を持ったのがある。その中で生きていくためには、支社の場合大変なんです。東京本社、大阪支社ということは、今後厳しさがどんどん出てくるという意味で、大阪支社の場合は、官庁よりは民間のほうが多かったですね。バブルが崩壊してこういう状態になってきて、民間が冷え切りましたので、やはり役所をやっていかないといかん。どうしても支社というのは、関西の場合弱みがあるのは事実です。公共の工事に対して弱いという意味で、各社一緒だと私は思います。当然地元志向で大阪市とか、当然そうなってきます。京都でもそうだし、兵庫県でも多分そうだという考えを持っておられますね。

 布野 僕はコンペなんかのときに、顔が見える形であってほしいということと、もう一つは組織事務所の場合に、地域にわりと張り付いて、密着してやるのが不得手ではないかと。たとえば最近はバブルがはじけたということもありましたが、わりと時間をかけて地元の住民と話しながら、ワークショップ方式でとか、わりと手間暇かかるふうに今後なってくるのじゃないかといったときに、それだけ組織事務所が対応できるのかどうかということで、多少ご意見を聞いたりしているのです。その辺はいかがですか。

 特に支社の場合は、本社に比べて地域と密着していかないといけないというところがあるのですね。

 小笠 地域といいましても大阪市内、あるいは近畿全体のテリトリーの中で、山陰のほう、あるいは四国のほうへ行きますと、どうしてもいま先生がおっしゃるような問題が出てきますね。なかなか密着性というのは無理ですね。

 布野 それは経費的にとか、人員的に。

  小笠 人の数も影響しますね。

 上出 私もこっちへ来てまだ2年弱ですけども、たまたま再開発的なことで地元の意向というのは大変強い。再開発ですから当然そうなんですけど。そのときはたまたま設計が本社で、窓口が大阪ということもあったのですが、日常のレスポンスに関しては大阪がしなければいけないという状況なんです。大阪でなきゃレスポンスが悪い、というふうに言われるのが一番我々としてはつらくて、東京で仮にやっているとしても、組織事務所の良さというのは情報とかが非常にスムーズにいろんなチャンネルがあるということで、決して地元に対してのレスポンスということでは悪くない。大阪がきちっとそれをまとめるということでご理解願うという状況にあると思います。それは組織事務所の良さと思います。ですから必ずしも大阪だから、全部大阪だということではなく、情報的なものはきちっとした本社のバックアップを受けられるということの中で信頼を得ていくという形をとっています。ただ言えるのは、私が接した小さなあれでは、大阪は大阪でというニーズは非常に感じました。

 小笠 関西は強いですね。東京は東京だ、大阪は大阪だという意識が、官庁も民間の方もみな持っておりますね。

 布野 一番最初対抗意識があるとおっしゃいましたね、東京都に対して。それといまの東京本社の支社というので、地元になかなか苦戦するとか、その辺のジレンマについては。

 小笠 それはそのとおりでしょう。他社さんも一緒じゃないかなと私は思います。たとえば名古屋とか、他社さんが本社機能を持ってない地域は、まだましじゃないかと思うのです。大手さんの中で、たとえば九州、名古屋、北海道もそうですけど。北海道は北海道日建というのがありますね。そういう組織がないところではまだ動きやすいのじゃないかなと私は思うのです。

 布野 竹田さんは長いのですか、こっちは。

 竹田  最初2年ほど名古屋にいて、あとずっと大阪で14年ほどになります。

 布野 地域としての近畿なり大阪というのは……。

 竹田 特に相手先の組織がそんなに大きくなければないほど、その辺の意識が強い。また一方で、相手の組織が大きくなっていくと、そことの話というのが担当者レベルとの話で、先ほどの住民の意向とか、使用者側の意向は間接的な形でしか聞き取れないということはあります。これは別に関西に限らずということですが。

 田舎にいって小さな自治体の決定者である市長や、その周辺と直接話をしながら進めていくという機会にはおもしろいという場面もあります。苦戦する場面も多々ありますけど(笑)。

  布野 そういうインティメートな関係で仕事がどんどん来るということもあるのですか、担当者の。ある一つコンペで取ったりすると、次もとか。

 小笠 それはたまにありますね。東京と違うところは、個人と個人のつきあいのほうが、営業的には関西は強いですね。関東とか東京の場合はビジネスライクで割り切って、会社対会社というあれで営業的に成り立っています。関西は個人のつきあいで大変ですね。それでつながっている部分が多いです。お役所の場合は話が別ですけど、民間の場合は多いですね。

 布野 文化論になりますね。

 小笠 そうですね。歴史といいますか、昔からのあれがあるみたいな感じがしますね。

 布野 逆に東京本社の支社である強みみたいなものはどうですか。本社だからということではなくて、実力なんでしょうけども、たとえばあるコンペなんかでは、勝つ確率が高いとか、強みみたいなものはどうですか。

 小笠 最近はあまり確率が高くない(笑)。営業が下手で、なかなかうまくいかんですけど。

 布野 やっぱり情報とか組織力ということになるのでしょうか。

 小笠  なると思いますね。情報というのは東京から関西に入ってきますのは事実ですね。

 上出 きわめて末梢的な話で恐縮ですが、関東にいてクライアントと話している話し方と、こちらのクライアントと話していると、初め言っていることがよくわからない部分がありましたね。

 布野 日本語がわからないということではなくて(笑)。

 上出 日本語はよくわかるのですけど、何を意図して何を指示したいのかということがわからないことがあります。

 布野 僕らは京都でいまだにわかりませんから(笑)。

  上出  ずっと関西にいる同じ仕事の仲間に、「あれは何を言ったんだ」と聞いて、「そうか、そういうふうに今度やればいいんだな」と、そういう違いというのは東京と大阪は本当に感じます。逆に大阪にいる人のアンテナというのは、そういう意味では東京にいる人にはないものを持っていて、そういう面でのコミュニケーションはとりやすいと感じました。よく支社長に「微妙なものがあるんだ」と言われても、我々はわくわからない部分があるわけです。

  布野  いろんなジレンマとか、地元のライバル社がある中でいろいろご苦労されていることはよくわかっていますが、一方で久米設計の規模のように、そうそう日本にないぐらいの設計ですと、たとえば景観とか、ある町に果たす役割があるのじゃないかと僕は勝手に思ったりするのですが、その辺のお考えとか、意識というか。仕事を取るので大変だということかもしれませんが、いかがでしょうか。大阪の町に対するアプローチの仕方とか、久米流の考えとか。

 竹田 大阪という大きな町になると、それは局地的なその場所性においてどう作るかという話になってくるのじゃないかと思うのです。むしろ、もう少し小さな町のところで、町にとっては代表的な作品を1年担当させてもらうという機会はあるわけです。そのときには当然町の骨格を作っていくというような意識を持ってやるべきだろうと思います。それは久米だからどうこうという話ではないように思います。

 上出 この間の座談会のときに、これは大阪という地域性ではなくて、たまたま再開発なんかで1ヘクタールとかそういうオーダーでの街的なものを設計させてもらったときに、先生がおっしゃったつながりというか、周辺とのつながりをどうするかという話が出ましたときに、私どもとしては私的な空間と公共的な空間の間をつなぐ中間的な空間をその周りとの関係でどう作るかということが非常に重要だということで、街のつくり方、設計の仕方を一面で考えておりますということを紙野先生に申し上げたのですけど。

 私個人としては大阪というものをまだわかっておりませんので、そういうことしか言えなかったのですけども、そんなつもりで共通的に考えていこうかなと。うちはたまたま本社の恵比寿ガーデンプレイスにしても、そんなような視点でやらせていただいたということがあるものですから、そういうことを申し上げたのです。

 布野 再開発というのは当然日本のこれからあるメインの仕事になっていくのだろうと思うのです。その辺の位置づけはいかがですか。

 上出 大変面倒くさい仕事だと思いますけど、先生おっしゃられるように、新しい真っさらの土地なんてないわけですし、スクラップ・アンド・ビルドがあるかということもあるでしょうけど、再開発でないともう大きな仕事はないのじゃないかと思います。

 それこそ再開発の場合には、新しい都市の開発と違いまして、そこに以前から住んでいる人が、またそこに半分ぐらい住まれるという前提でのまちづくりなものですから、新しいコンセプトというより、その人たちが引きずっているようなこだわりをどう実現しているかというあたりもかなり重要なことなので、クライアントは再開発組合じゃなくて、むしろ地権者の方だという意識をすると大変面倒くさくて、大変な仕事だなと。うちの事務所は再開発が多いのですよね、いま確かに。

 布野 これからは多分そういう手間暇かかるのが主流になっていくし、あとはリニューアルですね、スクラップ・アンド・ビルドよりも。それは組織事務所に限らず、仕事がそういうふうになっていきますから、そっちのほうの人材なり技術なりノウハウをということになると思いますね。

  小笠 うちの事務所もそちらのほうに力を入れていこうと。建てたらいいという時代は終わりました。

  上出 たまたま東戸塚という物件を私も担当させてもらったのですが、東戸塚はほとんど更地で区画整理事業から始めたまちづくりで、それは十数年参画させてもらいました。再開発は5年、10年というオーダーがかかるということで、新しい開発と再開発の難しさは全然違うなという印象を持ちました。

 小笠 再開発というのはものすごく手間がかかり、スパンも長い。設計事務所も生きていくために大変なんですね。どうしても現実的なことを申し上げますが。

 布野 仕事が減ると、設計屋というのはみんな一生懸命やっちゃう。時間を使ってしまうから、管理する側からはとても合わない。

  小笠 そのとおりです(笑)。

  布野 それも自覚してもらわないといけない。要するに適当にやめると。設計者をあげるときに、時間は使わないとか、そういうことをおっしゃってました。

 小笠 そのとおりですね、のめり込んでしまって、プロポーザルもギリギリいっぱいまでやってしまうのと一緒で、のめり込んで時間は幾ら使おうが、どうしようが、関係なく設計者はやっていきますからね(笑)。

 大きい建物は新しいことを試みていこうと思うと、どうしても再開発でないとこれから無理ですね。

 布野 そのときはやっぱり組織力がものをいうと。

 上出 それはそういうふうに思いますね。やっぱり人がかかりますし、それだけのバックアップがないとできないですね。

 小笠 アトリエの人とか小さな事務所でしたら、パンクもいいとこですね。

 布野 ちょっとこまかい話になるかもしれませんが、最近のコンペですね、圧倒的にプロポーザルのほうが多い……。

 上出 はい、プロポーザルのほうがずっと多いと思います。

 布野 指名が……。

 上出 指名が多かったですが、工法型も出てきたのじゃないでしょうか。

 小笠 指名プロポーザルがまだ多いみたいですね。

  布野 そのやり方自体は労力という意味では、大変時間がかかってしょうがないからプロポーザルでという方針で来ているわけですが、最近の現状でコンペについてのお考えというか、お感じになっていることはありますか。多分公募型がどんどん増えると、ディスクローズしていかないといけないという流れにはずっとなっていくのだろうと思いますけど。

 小笠 大阪はこの前もコンペがあったのですけど、断ってしまった。指名コンペがあったんです、八尾の病院だったのですけど。断った経緯があるのです。そのときも病院でコンペというのは我々は問題があるなという想定をしておったのです。プロポーザルですと、決定してから変更してどんどん変えていくことはできますが、コンペの場合はなかなか難しさがある。

 最近コンペは確かに減ってきましたのは事実ですね。そういう意味で、プロポーザルのほうが多いですね。

  上出 プロポーザルは基本的には事務所とか人を選ぶ。コンペは案を選ぶということをよく言われていますが、この頃のプロポーザルはかなりコンペに近いプロポーザルです。

 布野 やる側も同じですね。

 上出 全部プランまでつくらなければいけないという状況になります。

 布野 僕は実を言うと反対なんです、プロポーザルですね。ある地域に建つわけでして、そのつど何がしかの提案がない限りにおいては選べないのです、審査委員なんかやるときに。非常に困るのです。やけに変なマニュアルが出てまして、何か案があったら失格だとか、全然おかしいのです。

 お聞きしたかったのはそういうことなんですよ。コンペと同じぐらいの労力を使わされて、しかも安上がりの(笑)、ですからそれは大問題だと思っているのです。

 小笠 そのとおりですね。設計事務所というのは零細企業ですので、プロポーザルをやらされますと相当な費用がかかってくる。ましていま先生がおっしゃるように確かにエスカレートしていって、コンペに近いプロポーザルだとなると、ある程度プランニングまでやっていかないといかん。それをうまく縮小して、そこまで書くなという条件だから縮小して、あるいはスケッチを書くなということであっても、やはりパースぐらい書いてやっていく。費用がべらぼうにかかってくる。あのあたりも見直しをやっていってほしいなという気持ちを持っていますけどね。確かに失格という時もあることはあるのです。

 竹田 我々の組織の人数とか実績からということで指名される機会は結構多いですね。プロポーザル、コンペをやる機会は、他の設計組織の形態に比べればきっと多いだろうと思うのです。それが日常的な業務として、やりだしてしまえばそれにかかってしまうのですが、すべてがすべてそういうものではないことも事実です。特に要項づくりといいますか、発注する側の用意、準備は不十分なままということも多いと思うのです。

 とにかくプロポーザル方式が推奨されているし、議会や地元に対しても通りがいいからということで、入札もプロポーザルに切り替えるところがある。それに参加する十何社とか、その事務所さんが何百万円という金を使って、1案を除いては全くの労力のむだになっていくわけですね。それは本当に問題だろうと思います。

 ただ、我々のほうとしてはそういう機会があるから、それに対して何回に1回でも通っていければ、逆にそういうところで提案が受け入れられる可能性も高い。単純に受注の機会としてもありがたい話だろうとは当然思わなくてはいけないだろうと思うのです。

 小笠 ただ議会対策ということでプロポーザルをやるのが確かに増えましたね。地方へ行くと、なおさらそういうことが多いですね。耳でどこかからプロポーザルという方式があると聞いてきて、中身は全然わからんと。地方へ行くとそういう町長とかが多いみたいですね。

 上出 オフレコでございますけど、先生がプロポーザルの審査委員をやられたものに、私、たまたま応募させていただいたことがあります。大津の湯野浜の公共公益施設、発表は伊藤という専務が。落選しちゃったのですが、あのプロポーザルは各社全部プランを作っていました。

 布野 僕はあのときは、怒って下ろさせてくれと言ってたんです。暮れのコンペだったですね。多分40日もなかったはずです。正月をはさんで。参加料40万円で、100億ですよ。僕のところに12月の頭ぐらいに審査委員になってくれと来られて、「いいですよ」という話をしたら、何のことはない、行って当日札を入れるだけなんです。要項も何も全然チェックもさせなければ。それで僕はこういうコンペは、主義として参加しない、しかも指名料が安過ぎる。しかも期間が短過ぎると言って、下りますと滋賀県のほうへ出したら、僕の上の先生とか、マアマアと、とにかくこの時は出席だけはしてくれという話になって、ブスッとしてあそこに座っていたんですよ(笑)。だけど何言うかわかりませんよという話で。

 あのときも池田タケフミさんを僕は個人的に知ってまして、そこで何か県を批判するような講演をされたらしい。それで指名から外れるとかいうことがあって、日本設計ならあけすけに聞いても大丈夫だなと思って、日本設計のときに僕がどう思いますかと聞いたんです。指名料40万円出して。県の幹部も審査委員で聞いているときに、あけすけに聞いたわけです。そしたら立派で、担当者が「1桁は最低違います」とズバッと言ったんです。それがものすごく受けたのです、結果的には(笑)。

 いまの内藤社長は、僕の汚い部屋にすっ飛んで来られましたよ。終わってから。何でうちが入ったんだ(笑)。連戦連敗だったのにね。「いや、説明がうまかったからじゃないですか」。だけど僕はひそかに、正直に言って、それで審査委員の特に学識関係の先生方が傾かれた。もちろん案があれだったのですけど。

 上出 先生が質問していただいたときの質問事項を覚えています。

 布野 何と言いましたか。

 上出 何で体育館が地下にあるのですか、というようなことを言われたのは覚えています。

 布野 あれはすごかったですよ。疑りたくないんですけど、県の部長クラスの審査会での発言はコーラスみたいでしたよ、声をそろえてある案を。それも反発したんですよ、みんなが。裏はいっぱいあるんですよ。

 もう一つだけ言いますと、ある個人事務所の先生が審査委員長をやって、まず指名参加者を決めるときに点数でやって。僕は点数主義もきらいなんですけど、一応評価しないといけないから。あれは地元が3ぐらいで、全国7ぐらい。その割り振りはいいでしょう。規模がでかいので、全国から知恵を借りましょうと、7社です。8のところに線が引いてあって、上から7がほぼ決まっているのです。そのときは高名な審査委員長だったのですけど、僕はふてくされまして、「何だ、これは委員会やる必要ないじゃないか、決まってるじゃないか」。 「布野君、そんなこと言うな」とか言ってね。リストが30ぐらいあって、「下のほうでも君がいいと思ったら推薦しろ、それで審査委員に来てもらった」と。僕はふてくされたんです、これで決めればいいじゃないですか、点数で決まってる。

 1番が日本設計だったんです。2番が日建設計。あと大手事務所が入ったり、いろいろ入っていて、他の建築家ですけど何人か有名な先生が入られていて、その先生はその路線に乗って下のほうから推薦したんです。ここまで候補に入れて決を取りましょうといって、やったら、下のほうのやつがみんな入って、日建が落ちたんです。得点で1番です。そしたらその先生が何を言い出すかというと、「これは困る」と言い出した。「別のところで仕返しされる」というんです。これは3年ぐらいそのコンペの後の話です。

 小笠 それはコンペですか。

 布野 コンペです。第一次の指名を決める段階です。裏が大変なんです。

 小笠 それを見極めるのが大変なんです、営業が(笑)。コンペの費用がすごいでしょう。何千万円かかります。先ほどの病院でしたら四、五千万いってしまうと思います。それをいかに見極めるか。

 布野 先ほどのこれから再開発とか、リニューアルとか、メンテナンスとか、日本の建築界全体がそうなっていくと思うのです。いまゼネコンさんは大変で、人ごとではなくて設計事務所だって同じだと思います。どう考えても土建業とか建設業は多すぎますね。学生を教育する側も同じことなんですけど。その辺はいかがですか。

 リストラはしていかなくてはいけないというのは、業界全体はそうですが、少し久米を離れてでも結構ですが、21世紀の設計事務所のあり方ということで。

 小笠 設計事務所のあり方となってくると、社長あたりぐらいが決めてもらわないと(笑)。

 布野 そういう質問をしたつもりだったのです。本社では久米設計の組織のリストラの話と勘違いされまして、「うちはリストラはやりません」(笑)。700なら700の規模の役割があるという話でありました。

 竹田 設計者の役割としては、いまよりもっと広い範囲、今日も言われた住民参加の組織をどうやって作っていくか、建築をもっと川上にさかのぼって、あるいはもっと川下にくだって、もっと広い範囲を担当していく勇気というのがあるだろうか。いま職業として成り立つのは限られた領域ですけども、可能性としてはあるだろうと思います。いっぱいそういうものがあるだろうと思います。それが実際の仕事になっていくかどうか、いま探っている段階だろうと思って、リニューアルとか、あるいはCMとかBMという話も含めまして。

 小笠 分担化して、分かれていく。支社長となってくるとどうしても目先のことになってしまいますからね(笑)。

 布野  仕事は全然落ちてないですか。

 小笠 やっぱり仕事量は減ってます。ダウンして、それを皆で上げていくにはどうするかということを考えていかないと。考えるものは、いま先生がおっしゃるような考えが理想というのはよくわかるのですけど、私、個人的には、現実的には本当にいま目先のことしか考えが出てこないです。理想じゃなしに。それが本当の僕のいまの気持ちですね。

 上出 設計工事自体は規模の大小とか用途に関わらず、やることはやらなきゃいけないという現状になっていますから、世の中がこういう状況ですから、どうしても大変だということですね。

 小笠 社員が逆にまじめになってきたね。まじめという表現はちょっとおかしいかもわからないですけど、バブルのときは、まあまあこのぐらいでもいいわ(笑)とやってましたね。絶対そうだと思うのです。仕事をどんどんどんどんこなしていかないといきませんから。それが仕事が減ってきたとなると、そこに一つの真剣さ、大きい、小さい、自分がやりたい、やりたくないという建物とは関係なく、やはり真剣に取り組んできているというのが事実ですね。それが逆にいえば、将来僕はプラスになっていくのじゃないか。この不景気を逆に利用しまして。そういう気持ちが僕はありますね。

 布野 あんまりのめり込まれると……(笑い)。

 小笠 そうです。

 竹田 モノを作る上で、設計というような立場で果たすべき役割は大きいと思うのです。実際やらなくちゃいけないことは山ほどあるわけですけど、それに見合うだけのフィーが得られてないというのが根本的な問題だと思います。

 小笠 いまは確かにそういうことです。

 上出 規模が小さければ自動的にフィーは少ないのですが、やる作業はそんなに変わらない。それは当然そうなりますね。

 本紙 大阪支社全体としての作品のジャンルの傾向として、振り返ってみますと、組織事務所ですのでほとんどのジャンルを含んでおられますが、いままで得意とした分野、それから座談会にも出てきていましたが、これから大阪支社として伸ばしていきたいジャンル、そのあたりを教えていただけますか。

 作品の数としては、オフィスビルが一番多いのですか。

 上出 いままでオフィスビルが多かったですよね。

 小笠 学校も多いですよ。事務所ビルも多いけど。以前は病院は少なかったですね、大阪支社は。それは事実です。ここ最近ですね、病院は。

 本紙 最初は古市の団地の住宅からスタートされて、それから間口を広げていかれて、事務所ビル、教育施設と。

 小笠 確かにいまおっしゃられましたように古市団地から、その時分は公共のアパート、それと住宅公団、ああいう共同住宅が多かったのは事実ですね。それに付随するというか、その中に学校が入ってくるという意味で学校もあったということですね。それは小学校、中学校ぐらいまでです。高校もその時入ってました。多かったですね。それから以降は大学も出てきてますね、大阪の場合は。75年でも、ゴルフ場、クラブハウスをやったり。

 上出 分野が多岐にわたっているということですね。

 本紙 病院は最近からやられていると。

 竹田 特に医療福祉系で。

 本紙 社会のニーズに対応してということですね。

 小笠 そういうことになってきますね。流れといいますか。いまは確かに病院が増えてきている。やはり世間全体が建て替えの時期になってきていますから、歴史そのものが受注の内容を反映してきていますね。

 本紙 将来的には、これから高齢化時代を含めて、老人福祉のあたりに事務所としても注目していくということになっていくのでしょうね。

 小笠 そういうことですね。

 本紙 先ほど再開発の話が出ましたが、大阪支社の再開発の実績は建築設計からのスタートでしたか。コーディネーター業務はまだ大阪支社は。

 小笠 事業コンサル的なことですね。それはやってないですね。

 小笠 最初は守口の駅前がそうですね。

 本紙 ユウユウの里。あのあたりのコンサル部門は。

 小笠 入ってません。建築設計だけです。

 本紙 将来的にコンサル部門は、久米の大阪支社としては。

 小笠 やるつもりはないです。いまの段階は無理です。

 布野 どこかと組まれるということになりますか。

 小笠 あくまで大阪は箱物の設計ということになってきますね。確かに今後そこまでこまかく入っていかないといけないのは事実ですが、この人数の中では当然無理だろうと思います。入りますと、また中途半端になっちゃうのですね。

 本紙 CM(コンストラクション・マネージメント)ですか、それから提案というのですか。コンペ等を含みますが、地域全体の活性化への提案という切り口でのCM部門も、これからはフィーがついてくるような気もするのですが。

 小笠 本社ではそれはやりつつあるということでしょう。いま急に言いだしましたからね。大阪の場合はそこまでは。将来的にはやるべきだと思います。

 本紙 まず最初に本社としてCM部門を確立して、それから大阪支社にそのノウハウを流していくということになるわけですね。

 小笠 ええ、そういう方法しかいまの段階はしょうがないですね。

 本紙 久米風のデザインといいますか、久米の伝統に基づくデザインは皆さん方意識されておられるでしょう、デザイナーの方は。

 小笠 やってないのと違いますか。逆に外から見られて初めて、言われてみるとそうかなという意識ぐらいと違いますか。

 上出 一昔前は、「久米さんは派手さはないけども、地道にやっている」という評価をいただきました。この頃だいぶ変わってきて、それは一つにはプロジェクト会議といいますか、デザイン会議を全社的な一つのデザインレビューとして、そういうことに久米の作品として出して統一してやっていくという、そういう全社的なあれはあれました。

 本紙 大阪支社の中でもデザインレビューというのですか。

 小笠 ミニ的なレビューをやって、メインの物件は本社のほうで必ずやると。

 本紙 大阪支社で実施された物件についても、大阪支社でデザインレビューをやって、大きな物件でしたら本社に上げて、本社の全体の中で、組織の中で。

 上出 来てもらったり、こっちから行ったりしながら、そういう検証をします。

 本紙 それは組織事務所としての総合力と。

 上出 言われればそうと思いますし、それがずっと続いております。

 本紙 そうしますと、たとえば建築家の顔の見える建築というのですか、そのあたりが出にくいような気もするのですが、そのあたりはいかがですか。

 竹田 まさにおっしゃるとおりで、我々の立場からするとその場が戦いの場でして、いかにこちらの思いを伝えて説得するか。

 小笠 ですから良いところを伸ばして、欠けている部分を補完するという形になれば、それは非常にうまくいきます。その辺は諸刃のあれというところがあるかもしれません。

 デザインというのはあくまでも絵的なデザインだけじゃなくて、エンジニアリングを含めた部分でのデザイン、そういう意味でのデザイン会議だと我々は思っております。

 本紙 支社の場合はたとえば月1回やるとか、定期的に開催するとか、物件ごと開催するとかですか。

 上出 物件ごとに。

 本紙 設計事務所の場合、金額でいくか、件数でいくか、非常に微妙な部分があるのですが、件数でいきますと、大体年間どれくらい大阪支社の陣容でこなしておられるでしょうか。

 小笠 地震以降、耐震調査とか設計が増えてきたのですね。その業務がいまものすごく増えているのは事実です。

 本紙 前年度はどうでしたか。実際の創作活動としましてはどれくらいこなされましたか。

 小笠 うちの場合、定期調査からすべて入ってくるのです。本当の基本設計から一つ一つやっていくというものだけをピックアップしたリストはないね。

 竹田 感じとしては多くても30という感じですね。

 上出 いまはもうちょっと多くなってるのじゃないですか。こまかいのを入れると。逆にバブル時代のほうが件数としては少なかったのじゃないか。いまは多いのじゃないか。

 竹田 一つ一つ耐震診断とか、設計とか、調査業務とかを含めれば、70とかになるのでしょうけれども。

 小笠 3か月で耐震は16件ありましたから。それも調査からみな含んでの話ですからね。

 本紙 大阪支社の特性としては、阪神大震災がありました。耐震診断に伴います補助関係が最近充実してきました。そのあたりで、耐震調査にからむ仕事が大阪の特徴としては増えてきているということが言えるわけですね。

 小笠 そうですね。

 本紙 ただその場合、耐震調査とか諸業務は、部門的にどのセクションが担当されているのですか。構造ですか。

 小笠 内容はいろいろです。1年ほど前にやりました尼崎の中学校か小学校のときは、結局調査して、それから全部補強設計をやれと。それだけでも10億とか十何億かかってくるわけです。建て替えのほうが安くつくぐらいです。それは日本の国の変なところですので、あくまで補強でやっていく。それの場合は意匠から設備からみな入ってきます、構造から。本当の純粋な構造計算だけというのは最近なくなってきましたね。意匠も若干入ってくる、調査の中でね。調査の仕事というのはちょっと本来のあれと違うのですけど。

 本紙 結局こういうものが震災を契機にして増えてきているということですね、リニューアルがらみにしてもそういうことですね。

 小笠 そうです。うちの事務所も積極的にやっていかないといかん中に、一ついまの調査が入ってきているということです。

 本紙 一つの物件を受注したときに、初めはどういうチームワークを組まれるわけでしょうか。

 小笠 意匠と構造と一通り入ってますね。

 上出 これは僕も感じましたのは、大阪の場合は一つのスペースに全部のセクションがおりますので、言ってみればすぐプロジェクトチームみたいな形になれるというところで、一つの物件だったら、PAがいて、その人が全部みるわけですが、それに意匠が1人、2人、3人とかついて、構造担当者、設計担当者、電気担当者がサッとつく。兼務はしますけど、そういう形でチームを組むような形になると思います。

 本紙 小さい物件でも大きな物件でも、基本的にはそういうチームを組んで。

 上出 基本的にはそういうことでやります。

 本紙 技術的に耐震とか免震関係が入ってきますと、本社の技術援助ということになってくるのですか。

 上出 たとえば構造プロパーが窓口になっても、免震とか耐震になったときに、免震なんかは全国区になりますから、情報をもらったり、やるということですね。

 本紙 そのあたりで全体的な総合的なエンジニアリングと。

 上出 バックアップするという形になりますね。

  小笠 免震をやったのは大阪のほうが先だからね。

 本紙 免震の物件は、大阪ではどこですか。

 竹田 ニッタ、免震装置のゴム部門を作っておられるところの自社の研究所にそれをという形で、当社だけでやりました。京阪奈です。

 本紙 建物としてやられたわけですね。いつ竣工ですか。

 竹田 地震のときが工事終盤だという話ですね。データとしてはとれてなかったのじゃないか。

 上出 惜しかったですね。

 本紙  免震関係につきましては久米の中では大阪支社は先駆けた仕事をやっておられる。

 小笠 最初のみな手探りの状態でやったのは事実です。それはどこの会社でも一緒だったですから。

 本紙 そのあたりは組織事務所としてお互いに情報データをフィードバックしつつ、総合的な技術力、ノウハウの蓄積を図っているということでよろしいわけですね。

 上出 そういうことだと思います。

 本紙 これからの久米のデザインのあり方なんですが、いろいろデザインレンジの問題もありますが、個人をいかに出すか。そのあたりで、エースをたとえば全面的に……。

 布野 久米デザインというか、久米流というのを本社で議論したのは、たとえば久米権九郎先生の初期の作品を見ると、いろんなものができる人なんですね。モダニズムのフラットルーフのものをやれれば。その辺は基本的に、様式が中にある人と、いろんな様式を使い分けられる人と大きく二つに分けると、どなたかの説明は、建築家というよりは事業者というのがあるから、お施主さんに合わせてやれる能力があった。それが戦後も引きずられていて、一緒に仕事をして久米様式というものを押しつける体制にはなかった。それが生きてるのだというのが説明です。

 ですから、PAによっては全然違うものが出てもおかしくないし、ヒラクラさんが編まれたのかな、これが一番いろんなバラエティーを示す。営業パンフみたいなものを見ると、無個性なものが並んでいるとか(笑)。ですからレビュー界が戦いだという話は出ていませんでしたから(笑)。

 小笠 久米事務所というのはひとつの伝統があるみたいです。自然にそうなってきているのです。

 布野 昔はスターは作らなかったでしょう。あんまり新規なデザインをするなという方針があったのだそうです。いまの桜井支社長になられてからは、エースではなくて、たくさんそういう能力を持ったものをつくる、そういう方針が出てきている。

 小笠 出てきましたね。だけどうまくそういうふうになってきたのかどうか、難しいところがあるのですけど。

 本紙 それとあわせて、大阪支社の特性として、震災以降、構造部の力が強くなったということはないわけですか。たとえば計画段階でディスカッションの中で構造の人間をまずお客さんのところへ営業が連れていって、性能表示ですね。どれくらいの構造の仕様が必要なんですか、これの単価はこうですよと、そこから入って、その後意匠が付いてくる。そういうふうに大阪支社の特徴として出てきているのですか、最近は。

 小笠 そこまできつくは……。

 上出 ただ昔よりは構造の人が市民権をより得たという感じはします(笑)。

 小笠 意見を相当取り入れているでしょう。昔は柱を1本抜けとか、無茶苦茶なことを。

 上出 それは違うと思います。

 本紙 建築基準法が性能規程に変わったということで、全体的に設計事務所の中でも構造のウエートが上がってきているという感じですね。

 小笠 ぐっとウエートが上がってきました。

  本紙 工事監理の問題なんですが、特に大阪事務所として最近神戸の地震を見ますと、工事監理の大切さが出てきましたね。そのあたりで、特に震災を教訓として大阪支社管内、久米全体ですが、工事監理のあり方が強化されたとか、マニュアルを新たに作ったとか、そういうことはないでしょうか。

 小笠 マニュアルは作っておりません。本社はマニュアルがあるのか、正直言って私はわからないのです。現役引退しましたので、この前にもお話ししたのですが、工事監理をやるのがいかに大事かということを痛感しましたね。地震以降、囲いもないときに乗り込んで、柱がこうなっているとか、提灯状になっているところとか、みな見て回ったのですが、やはりあの時分の内容を見ますと、私らでもそうなんですけど、大体あれになっているのはダイナル芯のところが多いのです。表に出てないのですけど、鉄筋を昔は90度まで曲げた、その遊びでそうなる。それが大方あれだったです。新聞には出てませんけど、大体あれが多かったのは事実です。

 ということはその時分の技術というのが、関西は特に地震が少ないということでしたので、だめだけどしょうがないなという調子でやってたのです。それがああいうことがあったから教訓で、なおさら法律的にも変わってきましたから、その辺監理者として改めていかないといけないし。また工事関係者もそういうあれをきちっとやっていかないといけないなと思うのです。

 それにはやはり、施主側の考えもちょっと変えてもらわないと困るというのがありますね。昔からそうなんですが、工事監理の建物に対する考え方があまりにもお粗末過ぎましたね。意匠ばっかり最優先にやっていましたから、その辺の見直し、今後はそれをむしろ持続性のある建物を作っていくとなると、それは最優先に考えを変えていかないといけないのじゃないか。それを第一優先して、それから意匠ありきじゃないかと私はそう思うのです。

 布野 工事監理も専任ですか。

 小笠 専任です。全く本社の縮小版です。設備からすべてにそれは言えるのです。

  布野 それは他の支社でも縮小版というのはそうですか。

 小笠  どうですか、名古屋は違うね、設計者が見てるでしょう。

 竹田 いや、最近はそうでもない。

 小笠 大阪はだいぶ前からそういうふうに分けてましたから。私は監理の親分でしたので、設計ができないものですから(笑)。

 本紙 やっぱり設計事務所は持続性のある、良質な社会資本ストックとして作るために、設計のデザインと合わせて、工事監理もきっちりと第三者性を確保してやっていくということが一番大切と。

 小笠 第三者的な扱いでやるほうが望ましいなと僕は思います。同じ総合事務所の中でそういう言い方をしてはいけないのですけど。

 本紙 総合事務所の中でも、工事監理というのは、

 小笠 独立性を持たさないといけないと思います。社内でもそうあるべき組織に作り変えていかないと絶対だめです。

 布野 設計監理という意味では、もちろん現場に出られるわけでしょう。

 上出 もちろん出ます。設計監理という意味では大変機会が多いです。

 小笠 大阪の場合わりに若い人でもね。昔はうちの事務所はだいぶ前から、若い人は何年か現場へ出せということでやってたのですけど、最近またなくなってきたのですね。だけど大阪はやっていきたいなという気持ちを私は持っているのです。

 本紙 現場を知らない人間は設計できないと。

 小笠 いや、逆に僕は現場を知らないほうがいいものができるのと違うかなと思っているのです(笑)。

 本紙 大阪の気質というのですか、東京と違って、工事監理のフィーのあたりが大阪人はノーフィーということもあるでしょう。

 小笠 お役所でも全然だめですね。民間はもちろんのこと、お役所でも全然そのあたりは考えていただけないし、つらいです。だからその改革からやっていかないといけない。

 本紙 意識を変えてもらうということが必要なんでしょうね。大阪の場合は民間でも、基本設計はただ、事前調査はノーフィーで、実施設計料だけでということを求めるお施主さんも多かったですね、東京と違いまして。そのあたりをいかに営業的に乗せていくかという経営のご苦労もあったと思うのです。

 小笠 つらいですね。

 本紙 コンペの対応ですが、最近大阪支社は何件ぐらいコンペは入りますか、月平均で。

 竹田 集中してくるのですね。

 小笠 平均して月一つか二つ。今月は四つか五つぐらい入ってます。さっきの話では、ここまでは大阪でできないから、たとえば本社で頼むよとか、その辺ができるのですね。断ると次の仕事が来ないとか、その辺があるもので。

 本紙 一つのコンペ、プロポーザルに対しまして、大体チームはどういう形でつくるわけですか。

 上出 それもモノによりますけど、構造的な提案、設備的な提案があるときには、基本はそこまで大体決めます。同じです。それは普通の設計とプロポーザルのうちのほとんど同じ決め方です。

 小笠 独自のチームというのは、人数が少ないから作れませんけど、そういうのはやってないです。

 上出 来たものに合わせて。

 本紙 フレキシブルに作っていくということですね。

 小笠 よその事務所ではプロポーザル用のチームを作ったりいろいろやっている事務所もあるらしいですが、それは大阪も本社もやってないです。

 布野 そうするとわりとはっきりするのじゃないですか。どのチームが当たる確率が高いと(笑)。

 小笠 ここのチームはよく当選するなとか、こっちはだめだというのはあるのじゃないですか。

 本紙 コンペの当選率は、目標として各事務所さん、おしなべて3割が目標とおっしゃいますよね。久米さんの場合も……。

 小笠 去年が3割だったんです。今年はもっとがんばらないとあかん。いま3割行ってないと思います。一昨年は25%とかいってました。

 本紙 やっぱり年によってばらつきがあるということですね。

 それと社員の教育、特に設計者の意匠、それから職員の研修、それとコンペ、プロポーザルとの関わりというのですか。むしろ積極的にコンペをやって、それを社員教育にするとか、そういう意味でのとらえ方といいますか。社員教育のあり方はどういう形でやっておられますでしょうか。

 小笠 社員教育もそうですけど、プロポーザルの研修というのは東京でやってますね。

 竹田 逆に偏らないほうがいいのじゃないか。プロポーザルばっかりやっているということは場合によってあり得ると思うのです。東京みたいな場合だと。それはできるだけなくしていく。一連のものにするというふうになってほしい。

 上出 それは支社の場合のほうが機会均等で、みんなが関われる。

 本紙 みんなが関わって、プロポーザルに挑戦することによってレベルを上げていくと。

 上出 それによって実質的なレベルでは上がりますけど、ソフトないろんな考え方をそこで訓練するという、まさにOJT的な感じかもしれませんけど、そういう形になっているのじゃないかと思います。

 本紙 いま大阪支社の設計関係で、平均年齢はどのあたりですか。本社に比べて若いとか。

 上出 30ぐらいの中盤が多いでしょうか。

 竹田 三十六、七。

 上出 30代ですよね。いま同じぐらいな構成だと思います。そんなに上ばかりじゃなくて、下ばかりじゃなくて、いると思います。

 布野 まんべんなく採用していかないといけないという会社の方針でもありますしね。

 本紙 佐藤総合さんなんかは、2年間東京へ研修に持っていくとか、グルグル本社と地方事業所と、人の回転をやっておられるように聞いていますが、久米さんの場合は、上出さんが東京から来られましたが、回転という意味で設計士さんはどうですか。

 小笠 東京と大阪だけかな。いま1人名古屋へ行ってるな。大体ローテーションじゃないですけど、東京と大阪は行き来しているのは事実ですね。一時そういうことで次に帰ったらまた来る、というのがだんだんなくなってきているのかな。構造設備はいまローテーション組んでますね。意匠もあなたまでが。

 上出 私の場合も浜田君が行ったりして。ガラッとはないですけど。

 竹田 行って、仕事が終わって、たまたまもう一つというぐらいで、気がついたら来るとか、戻ってくるとか、そういう形が意匠の場合は多かったですね。

 布野 いま4部制をとられているのですね。出入りは何部に行かれるとか決まっているのですか。

 上出 それはないです。四つの部のどこへ行くかは。若い人が向こうへこういうプロジェクトがあって、そこへちょっと行ったりするということもありますし。必ず大阪支社の第4設計へ行くとか、そういうことはないですね。

 本紙 大阪支社の場合は、デザイナーの部分につきましては各ジャンル平等にそれぞれのレベルまでやろうと。劇場関係とか集客施設が得意な人もあるし、分野別に得意な人がおられると思います。そのあたりはどういう形で今後教育していかれるのですか。デザイン的に特化させるというか。

 布野 本社の説明は、基本的には特化する思想はなかったのだけど、病院とか再開発部門とかはどうしても専門性が高いので、だんだん限られてきているという説明でした。

 小笠 ただ、病院のほうもいま仕事量が増えてきていますから、だれでもできるようにやっていかないといかんということで、わりにこうなりつつありますね。特に病院はそうだな。

 上出 病院はこれから受注も多くなるということになると思います。いままでは専門化していましたから。

 小笠 いま発注の数も減ってきましたからね。

 本紙 たとえば大学との交流はどうなんですか。構造部門でも、杭の問題でも、最近は専門性が高くて、大学と結びついて共同研究されている場面もございますね。大学との交流というのは、社員を派遣するとか。

 小笠 それはやってないですね。

 布野 そんなに大学って役に立つのですか(笑)。

 竹田 ただ構造に限っては、特に構造評定だとかが、いまの杭の打ちっ放しだとかいうことで、交流が一番多いだろうと思います。

 小笠 行くということはしないでしょう。

 竹田 そこに在籍するとか、そういう形ではないです。

 上出 センター評定の問題で、大学の先生が評定の委員になられて。そういうことはございますから。

 小笠 関西は京大の先生と決まってるから。

 本紙 最後にISOの支社としての取り組みですが、久米さんの場合は全社的にISOをやっておられますね。どの段階まで。

 小笠 本社と全く同じレベルです。

  竹田 9000の本審査が明日から3日間ぐらい受ける段階です、品質のですね。14000のほうが予備審査が先月末に終わって、来年2月に本審査を受けるという段階で、目標としては年度内に14000環境のほうをということです。

 本紙 現場は指定現場があるのですか。

 小笠 やってます。

 本紙 支社管内は何現場ぐらい指定現場でやっておられるのですか。

 竹田 14000は二つに絞ったのです。9000のほうはほとんど全部。

 本紙 工事の監理でキャルスが入っている現場はございますか。

 小笠 まだ入ってないな。

 本紙 これから役所さんもキャルスのほうは入ってこられますので、それに合わせて整備を進めていくわけですけども、これは久米としての全社的な取り組みということになるわけですね。

 小笠 そうですね。ただ、いまなかなかそこまで行かないのじゃないですか。東京とこっちと、電算はみなつながっているから行けるのですけど、こっちが手いっぱいの場合は、構造なんかでも向こうで頼むようとか、お互いにできますので、最近は便利がよくなりました。

 本紙 人事考課の問題ですが、人事考課は変わりつつあるわけですか。評定の仕方をいかに公平に。

 小笠 去年の10月に新人事制度に変わりまして、いま年功序列から脱皮しようということで始めまして、あと三、四年で給与の上と下の差が同じ年代でもつくのじゃないかなという想定で始めたのです。人事考課のやり方は、しゃべっていいのかどうか知らないですけど(笑)。

 本紙 設計関係でしたら、プロポーザルの当選率でやるのでしたら(笑)。

 小笠 それはないという前提です。将来そういうことになるかもわかりませんけども、人事制度が新しく変わってからはそれは前提に置かないというあれがあるのです。将来は知りませんよ。そのうちまた変わってくるかもわかりません。

  ただ、あいつはよく当選するから、6のところを8ぐらいにしておこうかとか9にしようかというのは将来あるかもわからないですね。今後設計事務所が生き残っていくためには、その辺が全面的に出てくる可能性はなきにしもあらずだと思います。

 本紙 現在のところは日常業務の中で考課を。

 小笠 設計部門は設計部門の項目があるのです。構造は構造のまた項目があるのです。構造の技術的な面、部分的には違うところがあるが、下は全く一緒という考課の方法ですね。そう上下差というのは変わらないのと違いますか。よっぽど大きな問題を起こさない限りは。そんな感じがします。経営者はどう考えているかしりませんけど、将来を考えているでしょう。

 本紙 これから役所の工事関係はプロポーザルとかそのあたりに変わってきますと、特命発注というのはなくなりつつありますね。傾向としまして、ある程度の規模以上のものは。そうなりますと、設計事務所としてコンペ対応、プロポーザル対応、組織をどういうふうにつくっていくか、それによって人事考課をどういうふうに進めていくかと。

 小笠 そうすると一体化になってきますかね。うちの本社へ行って経営者から聞いておいていただくとありがたい(笑)。

 本紙 時間が超過しましたが、お忙しい中本当にありがとうございました。(以上)



 


2024年11月26日火曜日

21世紀の建築の展望, poar(Korea),199909

建築人

 

21世紀日本建築の展望

布野修司

 

 21世紀の日本建築がどうなっていくのかを予言するのは難しい。ほとんど何も変わらないかもしれないし、日本という国そのものが危うくなっているかも知れない。おそらくこれからは日本という国民国家(Nation State)の枠組みで考えるのはやめた方がいいだろう。国際化はどんどん進み、国境を超えた建築交流はさらに進むであろう。地球環境問題はますます世界をひとつに統合するであろう。しかし、日本の近代化の過程で、建築表現としての「日本的なるもの」が繰り返し問われてきたきたように、「日本的な表現」は依然としてテーマであり続ける気がしないでもない。ナショナリズムと建築表現の問題はそう簡単ではないが、韓国でも「韓国的表現とは何か」というテーマがしばらくは問われるであろう。しかし、テーマはそう明確ではない。

 グローバルに見ても、ポストモダン建築が勢いを失って以降、世界の建築界は方向を失っているのではないか。テクノロジーの発達が世界をひとつに結びつける一方、冷戦構造の崩壊によって各地で民族紛争が勃発している。世界中で最新技術による建築デザインがファッショナブルに追い求められる一方、民族的な表現が各地でもとめられることになるかもしれない。

 全てよくわからないけれど、日本建築はこうあるべきだと思うことはある。また、近い将来はこうだろうと思うことはある。以下に無責任に記してみよう。

 

 フローからストックへ

 まず言えることは、日本建築をとりまく環境が大きく変わることである。戦後復興→高度成長→オイルショック→バブル経済→経済危機という日本経済のサイクルが再び上昇する保証はない。「右肩上がり」の成長主義の時代は終わったのであり、建設活動は確実に減るだろう。フローからストックへ、というのが趨勢である。

 農業国家から土建(土木建築)国家へ、戦後日本の産業社会は転換を遂げてきた。建設投資は国民総生産の2割を超えるまでに至ったが、建設ストックが安定しているヨーロッパの場合、建設投資は一割ぐらいだから、極端に言うと、建設活動は半減してもおかしくない。日本の産業構造の大転換は必至であり、その構造改革(Restructuring)の中心が建設業界なのである。建設業界は既に生き残りをかけたサヴァイヴァル(survival)戦争の渦中にある。

 第一にこれからは長持ちする建築が求められる。スクラップ・アンド・ビルド(建てては壊し)というのがこれまでの日本であった。木造建築を主にしてきた日本では、一定の期間で建て替えるのが自然だと考えられてきた。伊勢神宮など神社の式年造替(一定の年限で建て替える。伊勢の場合は20年)や鴨長明の『方丈記』が代表するような「仮の住まい」意識が日本の建築観の基底にある。しかし、これからはスクラップ・アンド・ビルドというわけにはいかない。建設にこれまでのように投資できないのである。

 地球環境問題への意識からも建て替えより既存のストックを再生利用する試みが増えていくであろう。耐震診断の技術や設備などメンテナンスの技術がこれまで以上に必要とされるのは必然である。要するにライフ・サイクル・コスト(LCC)が主要なテーマになり、建設の全過程におけるCO2排出量が問題にされるであろう。

 

 自然か人工環境か

 以上のような環境変化は、建築を支えるパラダイムを当然変えるだろう。既に、地球に優しい建築、環境共生建築といった言葉が盛んに使われ始めている。エネルギー消費型の建築から省エネルギー型の建築へ、耐久性のある建築へ、リサイクル可能な建築へ、・・・という流れが支配的になりつつある。確実なのは、自然(緑)を取り入れた建築が増えていくことである。屋上緑化、壁面緑化の掛け声は次第に大きくなっている。

 一方、人工環境化の流れは必ずしも変わらないだろう。室内環境をきちんとしっかりコントロールすることが地球環境への負荷の低減につながるという思想は根強い。「高気密、高断熱」という環境の理想は宇宙ステーションのような閉じた自律的な環境である。失敗に終わったが、地球上でもかって「バイオスフィア」という全くエネルギー自律的な環境実験が行われたことがある。自給自足、エネルギー自給型の建築都市のあり方が一方で高度に追求されるであろう。

 現実的には、屋根付きドーム球場のような人工環境がさらに増えていくことになろう。建築表現としてはハイテックな表現がその主流になる。自然か人工環境か、まずは建築表現の流れは二極化するであろう。

 

 工業化と地域性

 建築表現のあり方を大きく規定するのは建築テクノロジーのあり方である。鉄とガラスとコンクリートという工業生産された素材とラーメン構造(剛構造)を基本とする近代建築は世界中の都市景観をこの一世紀で一変させてしまったのである。建築材料やテクノロジーのあり方が変われば建築表現も変わる可能性がある。

 まずあげるべきは,CAD(Compuer Aided Design)表現主義とでも呼ぶべき流れである。これまでは容易に図面化できなかった形態もCADによっていともたやすく実現できる。また、CADという津具を手にすることによって思いもかけない形態を生み出すことができる。CADによる設計の大きな流れは変わらないであろう。

 しかし、CADはあくまで道具であって、現実の建築生産システムが自由自在に操作可能となるわけではない。モニュメンタルな建築を除けば現在の工業化構法の延長が主流であろう。その場合、スケルトン(躯体)ーインフィル(内装)分離が耐用年限とメンテナンスを考えて主流になる。すなわち、スケルトンの耐用年限を出来るだけ長く考え、内装や設備はより短期間にリサイクルするのである。

 建築の生産システムとしては、一方、地域産材利用など地域における生産システムを再構築する試みも現れるであろう。工業化構法によって日本列島の北から南まで覆うには無理がある。日本建築の伝統である木造建築は本来ローカルな生産システムにおいてつくられてきた。だからこそ、地域毎に固有な民家が見られたのである。近代化の過程はそうした地域的な建築生産システムを解体変容させてきたのであるが、果たしてそれでよかったのかが問われるのである。そうした中でひとつの流れとして地域性を強調する表現も求められていくであろう。

 鍵になるのは景観である。個々の建築表現は町並み景観(タウンスケープ)につながる。しかし、近代建築はその原理、理念において、地域の固有の景観を破壊してきた。世界中どこでも同じものが建てられるというのが近代建築である。それに対して各地で町のアイデンティティが問われ始めてきた。歴史的な町並みの保全や修景の試みが行われるのは地域から固有性が失われつつあるからであろう。各地域の町並み景観の固有なあり方として建築表現のあり方も問われるのである。

 

 変わらぬテーマ

 こうしてみると、建築的テーマは21世紀もそう変わらない、ということになる。インターナショナリズムかナショナリズムか、あるいはグローバリズムかローカリズムか、自然環境か人工環境か、成長拡大主か保全か、フローかストックか、・・・テーマは既に出揃っている。あるいは筆者の頭が古くて固いのかも知れない。しかし、少なくとも以上のようなテーマが、21世紀の日本建築、そして世界中の建築のあり方に大きく関わっていることは確実のように思えるのだけれど、如何だろう。

  

2024年11月18日月曜日

座談会「余りにも曖昧な建築界」、飯田 亮・梅澤邦臣・尾島俊雄・横尾義貫、建築物および都市の安全性・環境保全を目指したパラダイムの視座(座長 横尾義貫 分担執筆),日本建築学会 特別研究課題検討会,1999年3月

 座談会

「余りにも曖昧な建築界」

 Ⅰ 建築界に保険のシステムを

 Ⅱ 百パーセント安全ではない

  

飯田 亮 いいだまこと

1933年東京都生まれ/学習院大学卒業/セコム会長、セコム科学技術振興財団理事

      

梅澤邦臣 うめざわくにおみ

1916年福井県生まれ/北海道大学卒業/(財)原子力安全技術センター会長、(財)吉田科学技術財団理事長、セコム科学技術振興財団理事、元科学技術事務次官

 

尾島俊雄 おじまとしお

1937年富山県生まれ/早稲田大学卒業/早稲田大学教授、本会会長

 

横尾義貫 よこおよしつら

1914年佐賀県生まれ/京都大学卒業/京都大学名誉教授、本会名誉会員・元会長 特別研究課題検討会座長

 

 余りにも曖昧な建築界Ⅰ・・・建築界に保険のシステムを

 

 建築学会の責任

 尾島 1995年に阪神・淡路大震災があって、あれだけ多くの犠牲者を出した。建築家あるいは建築界の責任は何かということをを非常に強く痛感しました。そんな時に建築学会の会長の選挙があって、やらなければいけないのは安全の問題だと思ったんです。一方、建築士の国際的資格問題があった。加えて京都でCOPー3が開催される。環境問題は私の専門であります。会長になって、公約として安全、地球環境、資格問題をやろうと、担当副会長を決め、抱負として述べさせてもらったんです。

 安全と水はただだという神話を覆されたのは飯田さんです。安全とは一体何かと真剣に考え出した頃、「実は建築界が困っているんだ」という話を梅澤理事長に雑談的にしたんです。そのあと梅澤先生から、あのテーマは重要だから飯田会長に話をしておくよということでした。今度セコムの財団の研究助成を受けて、会長直轄の特別委員会を設置し、横尾先生にお願いした次第なんです。

 助成を頂くにあたって、梅澤先生から一言注文が付きました。会長は口を出すな、あくまでも長老の先生中心にやるようにということです。現業ではできないことをきちんとやったらどうだ。それなら横尾先生に一切お任せするしかない。

 この特別委員会は安全がテーマです。なぜ建築基準法で安全が守れないのかまず問題です。学会の基準と建築基準法という行政のミニマムスタンダード、その違いは何か。建築学会はなぜ責任が持てないのか、責任がないのか。あるいはなぜ基準法が守られていないのか。一般には信じられないような状態に置かれていることを、どうすればいいのか。

 行政基準ではない、学会が市民サイドにたって安心を守るための行動を起こす必要があるのではないか。行政ではなくて、学会が本来やらなければいけない仕事があるのではないか。本来の学会の役割をセコムの委員会で目覚めさせられたといったほうがいいかもしれません。

 

 長老の横働き

 横尾 尾島先生がまずおっしゃったのは「安全と安心に関する総合的な学会基準の検討」ということで、わりに具体的です。学会は基準はたくさんもっている。ことに構造部門がたくさんもっていて、そこに問題点がある。そこを検討したらどうかと会長がおっしゃった。それを少し敷衍して、セコムのほうに申請した題が「建築物および都市の安全性、環境保全を目指したパラダイムの視座」という、なかなか難しい題なんです。これはたいへんなことだなと、私なりに、何か新しい視点がなければやっても意味がないと思ったんです。

 私が常々感じているのは、日本は縦社会であるということです。戦後50年間、官僚主導の縦社会でやってきた。でも、縦社会のひずみがいっぱいできた。縦社会の議論はやめようではないか。横へ話をしよう。ぼくの名前も横尾だから、横をつなごうというのがぼくの基本方針なんです。非常にシンプルです。

 一つの企画として、名誉会員に話を聞くというシリーズがあります。私自身もできるだけ参加してお聞きしています。もう一つ、徹底的に議論しようではないかと、わいわい始めました。最初は議論の絡まりが少し悪かったのですが一計を案じまして、いくつか部会をつくりました。

 全ての問題は一挙に片づく問題ではないと思います。やっとこさ始まったところで、まとめないといけないんですが、若い人も集まってやろうとしています。

 

 取締り行政と民の意見・・・オープンな議論を

 梅澤 飯田先生は、社会の安全をテーマに財団をつくられたわけです。尾島先生ははじめから入られいてて、都市防災というのは最初からテーマでした。例えば、一番最初にやったのは、「危険」という信号は、どういう色で表したらいいかという課題です。その後、尾島先生が早稲田で都市防災の講座をつくられて、都市防災に関する報告書をつくっていただきました。その報告書が、今度の神戸の震災に非常に役立ったわけです。増刷して、警察にもみんな送って、セコム財団の名が非常に売れたというか、非常に役立たしてもらったわけです。

 非常に大切なのが法の問題です。建築基準法、都市計画法は、私たちから見ますと国の取り締まり行政という形になっている。いまは官から民へという流れで、民の意見が入らなければいけない。法が出来上がる前なり、途中なり、その過程をオープンにしないと民の意見は入って来ないのではないか。

 私なりにわかったことは、安心というのは自分の問題だということ。決して人から押しつけられるものではない。安全は人がつくったものであって、人に押しつけている。押しつけられたものを自分の判断で安心と思う。押しつけ方が悪ければ、いつまでたっても安心とは思わない。私も原子力をやっていて、相当押しつけていたんです。建築確認が民に移るに際して、ぼくら一般民衆が頼れる検査官というか、そんなものがあって、それで自分が安心するという体制でも取らないと、つくったものを見せられてあとから壊れてもどうにもならない。

 建築基準法を守る、検査確認する機関がどこかあっていいのではないか。先生方のいままでの議論で、どうお考えになっているのか、報告書がいただければ幸いだと思っています。

 

 不可能な確認制度

 横尾 いまおっしゃったことにお答えしなければならないと思います。端的に申します。いま基準法改正が進行しています。しかし、これに十分な答えがあるとは思えない。急激に改革が進められていくなかで、将来に向けてのしっかりした考え方を学会ではもっていなければいけないだろうと思います。私自身は非常にシンプルな見方です。建築基準法はできたときから具合が悪い、とは官僚には言えない。自分たちの先輩がそれをよしとして守ってきて、その範囲で努力してきたからね。はじめに建築基準法ありきであって、建設省のおっしゃることをすべて前提にして、あるいは建築基準法をすべて批判しないものとして進んでいる。そこに誤りがある。こういうことを言うのは学会しかないと思います。

 おかしなことですが、建築基準法のいい点、悪い点を一番よくご存じなのはお役所です。調査しておられる。ところが学者は知らない。私は法規の専門家ではありませが、地震の少し前から設計書どおりのものがきちっとできてない、設計者の不備がいわゆる欠陥建築の元になってる。それを何とか正したいと、いろいろな講習会や委員会を関西でやってきました。だけど根本に官、公のサポートがないとうまくいかない。いかにモラルを説いたり、学習を説いても、どこかでぴりっと公の支援がないとうまくいかないと思っていました。アメリカの法律の一つでUBCというのがある。この工事監理にかかわる一つの制度は、公のかかわり、公が指導して民がいかにするべきか、非常におもしろいと思いました。それを盛んに言うのですが、お金がかかりますし、なかなかうまくいかない。その線は今度の立法の案には採り入れられていると思いますが、根本的な問題をついていない。というのは基準法の最大の問題点は「確認」という非常に不明確な制度にあるんです。「確認」というのは実態として不可能だと思います。建築図書はこんなにありますから、適法性があることをコンファームするのは不可能なんです。大きい建築物は21日、簡単な建築物は7日間でやらなければいけない。これは不可能だ、不可能を強いている。基準法ができたころは大したことはなかったと思うんです、昭和25年ですからね。そのシチュエーションと全然違います。一種の性善説の法律で、ある意味で規制緩和をはじめからしっぱなしなんです。

 

 学者は評論家

 梅澤 原子力発電所の場合の安全性は、フィードバックシステムを入れて、技術で可能なかぎりのものを検討するわけです。ただある範囲内に限り安全です、ということなんです。しかし、予測できないことは起こります。チェルノブイリだってそうだと思います。抜け手があった、人工的な抜け手か、技術の抜け手があるわけです。これは技術には全部つきものだと思います。建築基準法でやっても完全なものはないと思います。「確認」は、せめて満足につくっているかどうかです。極端に言うと手を抜いているのでは?、ということが常にある。ことに建築にはそれが多いのではないかと感じています、隠しているんですからね。

 飯田 いまお話を伺っていると、全然安全になりそうもない気がするんです。安全というものは基本的に自己責任なんです。

 建築家というのは何なのかデフィニションがわからない。建築家というのはデザイナーなのか。構造設計もある。設備もある。どうも不明確である。学者の先生は評論家だと思っているわけです。はたでものを言っている。それが実現されようとどうしようと、そんなものはいいんだ。われわれは言ったじゃないかということが、あとで立証できればいいんだと言っている感じがするわけです。

 防災研究家もそうなんです。ぼくは研究家と言いまして、防災実施家とは言わない。ものを言っているだけなんです。基本的な考え方がないまま議論しても、実際上の安全は成立しないというのがぼくの考え方です。

 これでは絶対に安全にならないと思う。建築基準法は最低基準だと思います。これで建っていればいいんですよというだけ。防災問題でも言えるんです。この程度やっていたら国は認可しますよ。日本の社会というのは国が認めてくれたらそれでいいという感じがある。建築基準法は細かいところまで決めなくていい。完全に安全ではないという前提の下に、建築基準法を定めるべきだと思います。これは最低基準である。

 

 レーティング機関の必要

 飯沢 建築学会は、レーティングする機関をなぜ損害保険会社と一緒になってつくらないのか。なぜ国の第三者機関としてつくろうとするのか。それが問題なんです。官僚の話がいろいろ出てますが、学会も、それから先生方も官僚なんです。絶対損保会社と組むべきなんです。損保会社は料率と自分のロスレシオとの関係で、ある基準をつくるんです。これは経済原則なんです。そしてレーティング、格付けの会社をつくる。

 ここの保険料はいくらかを決める格付け機関をつくって、あなたのところの安全はグレードA、あんたのところはグレードC。おれは建築費にそれだけのお金しか出してないんだ、だからグレードCでいいんだよ、保険料も高くていいんだよ。いざというときには死んでもいいんだよ、ビルはつぶれてもいいんだよ。それは任せるべきだと思います。自分の財産の保全と自分の人命とかは個人が決めていい問題なんです。それまで官とか国に委ねるという思想自体が少し的外れだと思います。

 梅澤 安全は個人のものですからね。

 横尾 インターナショナルに見て、ミニマムリクワイアメントとしての建築の法規はある。土木は法規がないんです。

 飯田 それはつくったらいいですね。

 横尾 土木は横断道路の強度の規定なんかは国ではもってない。土木学会とかいろいろなところでもっている。それを勘案して今度の東京横断の橋はどういう強度にしようかというのを決めるわけです。だからある意味で民です。土木はそういう習慣なんです。建築はどういうわけか、おそらく世界中でミニマムリクワイアメントは要求することになってます。それ以上のことはおっしゃるようなことでやろうと思います。

 火災については、アンダーライターズ・アソシエーションというのがあります。どういうわけか保険屋の基準が日本では官の基準みたいに翻訳されるんです。向こうでは、おっしゃるように火災はほとんど保険屋に任せている。ただ構造強度、それから都市計画の建ぺい率、容積率とかはきちっと守らないといけない。ミニマムリクワイアメントが公共の福祉のためにという広い意味である。しかし、それは絶対という高度な安全性を要求するものではない。それ以上のものは民で決める。

 

 自己責任とミニマムスタンダード

 飯田 原子力発電所の問題と一般的な建築の問題を比較したら、安全論議は何も成立しない。原子力発電所と建築とは違いますよ。それから道路とか橋とかも違う。インフラの問題は別の問題だと思います。

 梅澤 違うけれども、安心するかしないかは自分だから。飛行機だってそうでしょう。怖いと思うけれども、自分だけは大丈夫と思う。要するにがけの下に住んでいても、ここだけは大丈夫という、自分の責任で安心をもっているわけですね。ただ日本の国民性か何か知らないけれども、何か事故が起こると国の責任だと思う。そこがちょっと違うんです。

 尾島 実は今度の基準法改正で仕様規定から性能規定になったんです。これは大問題です。グローバルスタンダードは基本的には性能規定で、それに併せて自己責任をもつ、資格においても。建築家が基本的には責任をもって、責任がもてなければ保険制度でカヴァーする。日本は護送船団で国が面倒をみる。国のミニマムスタンダードがすべてなんです。

 横尾 日本に性能規定がどこまでなじむか。イギリスで始まったことで、サッチャーが1984年に導入したわけです。構造は性能規定はなかなか難しい。イギリスでもたしか性能規定になってない。仕様書的規定です。

 たとえば音とか熱とか光、防火、耐火はどのくらいか、こういうのは性能規定になるわけです。数値計算だって、これはだいたいできるわけです。こういう分野と分けなければいけない。神戸の被害を見て、性能規定で物事が片づくと思っていたら、自然の恐ろしさ、経済の実態を知らなすぎる。そういうものではないと思います。

 尾島 性能規定ができないから、基本的にはみなし性能です。実際には仕様で、この性能はこういうものですよというみなし性能仕様ですね。範例ができてしまうと、性能規定という名の下に結果としては仕様規定になってしまう。

 横尾 それを性能規定と言ったらいけない。

 尾島 事実上そういう形にいまの基準法改正はなっているではないかと思う。

 横尾 責任となるとシステムができてない。保険の制度もないし、それから資格、権限というのが曖昧模糊としたままでいま進んでいる。このへんをひとつひとつ固めて、西欧並みの透明性とかを徐々に確保していくべきだと思うんです。

 

 保険制度

 飯田 保険制度をつくったらいいじゃないですか。すぐつくれますよ。ぼくがつくりましょうか。いままでの社会的な概念にとらわれたなかでやっていこうとするから、いろいろな制約ができてくる。やはり保険制度をつくったほうがいいですよ。

 尾島 そうは言うものの、学会は実際行為はできない、評価だけしかできない。

 梅澤 今度長老の先生方が議論して下さるから、そうすべきだという結論をぼくらはねらっているわけです。学者は評論家だと飯田先生はおっしゃったけれども、そこから出たものをぼくらが生かすので、言っていただかないと生かしようがない。

 横尾 どうなんでしょうね、火災関係は保険ではほとんどヨーロッパ並みですね。日本では法律であまり規制しすぎる。性能規定にして、あと保険でバックアップする。

 梅澤 保険は民間がやりまして、それに乗ってくる人が入れるようにする。日本の保険はだいたい生命保険から始まったんですね。アメリカは最初は傷害保険から始まっている。出所が違う。

 飯田 英国は海上保険です。詐欺師が始めたんです。いま時代がすごく動いているから、保険も簡単にできるんですよ。

 尾島 通産省に受け入れてほしいんですよ。

 飯田 少し遅れたっていいじゃないですか。

 尾島 ですから、横尾委員会に託しているわけなんです。ぜひやりたい。

 梅澤 いまの日本の建築の保険なんていうのは、国がつくった基準だけで見に行かないで入っているんですから、グレードも何もないですよ。木造の何とかというと、はい、いくらと決まっている。軽井沢であろうと川口であろうと同じ値段です。

 梅澤 地震保険も、阪神淡路大震災のあとでも、そんなに増えていません。地震保険は半額になっただけで、元々ないわけですから。

 横尾 保険の問題ということで、逃げることが多いわけです。保険がないからとか、PL法がどうだとかで。

 

 会長の責任

 飯田 それは会長の責任だと思いますね。

 尾島 ですから横尾委員会に期待したいんです。基準法改正の国会審議中の段階で学会が異議申し立てすると、性能評価の話ですらなくなる。そういうなかで建議書的な形でぜひともこういったことを議論しておいてほしいという要望だけを出したんです。具体的には、性能評価の名の下に、仕様規定のようなものをやめなければいけない。その問題は広く国民に知ってもらう必要がある。それからお金がかかることに対しても理解が必要です。ぜひとも討議してほしいと要望したんです。

 横尾 検討すべきだということは提言できる。

 梅澤 検討の結果、この次にやる検討はここですよと具体性を出してくださればいいでしょう。

 横尾 簡単ではないと思います。でも具体的にどこか民間でスタートできるようなことが一つ何か言えれば動き出す可能性があります。

 梅澤 素人から見れば、先生が新しい会社をつくればいいんだものね。保険会社、新しい会社をつくる。ほんとうを言えばそうですね。

 飯田 払うのが嫌だという建築家の人たちね。おれのつくるものは安全だからと。だから払わなくてもいいんですよ。その代わりいざというときには、あなたが全責任を背負いますよと。好むと好まざるとによらず、訴訟社会になると思います。それがいいと思うんです。アメリカみたいにエスカレーションしてはだめですが。そうなった場合には入らざるをえないことになりますからね。

 尾島 飯田会長がおっしゃっていることは、学会の理事会の中にも、賛同の声があります。この際、責任をとってもかまわないからやろうではないかということね。

 

 設計者の責任

 横尾 責任をとるというのはどういうことですか。

 尾島 設計者が、自己責任、リスクに対して責任を取る。その代わりお金が欲しい、名誉も欲しい。

 横尾 それは設計者ではないでしょう。

 尾島 構造系の人でもいいですが、多くの場合、設計者であり、教育者でもある。

 横尾 評論家だからね。

 梅澤 いままでつくったものの悪口が出てきてしまう。その責任を背負うというんですか。

 尾島 いえ、いままでではなくて、これから性能評価の名の下に責任をとるわけです。新しい技術を取り入れたときに、何らかの設計責任があるわけです。設計責任を取る代わりにそれ相応のお金がかかる。

 梅澤 現在、確認審査するお金を取ってないのがまずいんですよ。そういう世間のしきたりにもっていってしまえば、みんな払う。建築会社が悪いのは悪いけれども、設計からみんな一緒にやって下請けに出してやっているわけでしょう。ほんとうは設計は別、検査は別、それでいかないと本物はできてこないですよ。

 尾島 そのためには発注者も、設計者もいろいろな意味で責任を取らなければいけない、お金もかかる。

 梅澤 発注者がそう思ってくれれば、みんなそうなりますよ。

 尾島 そのための啓蒙活動が必要です。

 飯田 設計家が自分を守るために入らなければいけないんですよ。そのためにはいいゼネコンを選ばなければいけない。ゼネコンは保険を負担しなければいけない。

 尾島 そういう新しい体系にもっていくべきだと思います。

 飯田 そういう循環にもってこなければだめですね。

 尾島 その主張はかなりあって、そのためには、基準法改正に対しても反対すべきだという強い意見さえあったんです。まず反対しておいて世論を起こすべきだという意見。もう一つ、そうは言うものの、とりあえず性能評価という新しい考え方が出たのだから、それはそれで受け入れておいて、あと時間をかけて施行令の中で議論しようという主張と、両論あったんです。いまの学会の理事会では後者しか選択できなかった。

 

 民と官・・・設計施工一貫と分離

 梅澤 気をつけなければいけないのは、行政改革をやっているときに検査確認を国は喜んでやりかねない。民がやらなければいけないことをはっきりさせていただく。ついお金が出るなら国からもらえばという感じを持つと、もう間違える。

 尾島 受益者負担の原則です。中間検査も民間に開放するけれども、それも基本的には受益者負担です。

 飯田 民間に開放するとおっしゃったでしょう。その考え方が違うんです。なぜ開放するんですか。何から解放するんですか、官から解放するんですか。

 横尾 民間に開放するというけれども、それはとても難しい。たとえば設計・施工分離というのはヨーロッパは当たり前のことです。日本ではなぜそうでないか。建築学会がアーキテクトとエンジニアの集まりであることも、資格問題がちゃんぽんになっているのにも問題がある。構造安全性なんていうのは、いいエンジニアを雇うことから始まるのですが、いまアーキテクトの判子で全部いいようになっている。このへんの矛盾もあります。

 なぜアーキテクトが西洋と違うものが日本でできあがったか。日本に独特な、アーキテクトが構造を知っているべきだということにむしろ重点を置いてきた歴史があるわけです。ある意味で日本の後進性ですね。契約観念の未成立なときに、しかも技術は大工さんの技術だけで非常に勘のいい技術があって、そこにアーキテクト、建築家の概念が移植されてできてきた。

 飯田 私のところも建築をつくりますよ。基本的には設計と設計監理です。いわゆる建てるところ、施工とは別にするという考え方に立っています。だけど最近感じているのは、ゼネコンに全部任せても同じようなものだなということです。その原因はどこにあるんですか。

 横尾 ゼネコンのレベルが高い。

 飯田 相対的に建築家のレベルが低い。実態はそういうふうに流れている。建築家はあまり機能しないという感じがあるわけです。

 横尾 形式的には分けろということです。民間の仕事はどうでもいいんですよ。要するに公共のお金を使ったものは設計・施工は分離が原則です。

 飯田 民間の仕事も大事にしていただかないと困る。

 横尾 それはお施主さんがお考えになればいいことで、いい事務所を選択されればいい。国民の税金を使ってやる事業については、透明性とか公平性がないと具合が悪い。だから官工事については設計施工分離に日本ではいまだに固執しているわけです。日本のゼネコンは設計施工一貫です。ところが最近、外国から見て、具合がいい、うまくいく、そのまねをするということで、デザインビルドという思想が出てきた。設計と施工と一緒にしてコンペをやる、公共事業でですよ。アメリカあたりは古くからコスト・プラス・フィーシステム、コストをちゃんと計算して、それにフィーをかけて取るというのがある。日本ではそういうのがほとんどない。何十億という建物がミニマムスタンダード一本でどかんと建つんです。

 飯田 ぼくも経験があるのですが、大きな建物でセキュリティーの設計をやる。その場合には仕事は取れない、セコムという会社は外れなければいけない。設計だけしかできないんです、セキュリティーのシステムを設計して、機器を納入できない。大事なノウハウのある施工が出来ない。

 尾島 公の建物ですか。

 飯田 公の建物です。民間のものはどうということはないですよ。公の建物の場合にはそれが多いです、大きなやつは。ですから本来的にはできる仕組みのはずなんです。なぜできないのかということを解明したほうがいいような気がします。

 尾島 でもなぜかというのはおわかりなんでしょう。

 飯田 それはゼネコンのほうがより能力をもっているということですよ。総体的な構造について、何についてももっているということです。だけどニワトリが先かタマゴが先かという論議ですから、まず公共工事に関してはそれを決めさせたほうがいいと思います、設計と施工は分離と。

 横尾 公共工事はいままでそうです、形のうえではね。

 

 ゼネコンのスレイブ

 飯田 でも設計がゼネコンのスレイブになっているからいけないのではないですか。スレイブというとたいへん差し障りがある言葉かもしれないけれども、次にまた仕事が来るかもしれないという期待がある。

 横尾 ギブ・アンド・テイクみたいなことがありましてね。今度面倒をみてやるから、今度色をつけてやるということが至る所である。民間であれ、役所さえそれをやるわけです。それがあるものだから、無理してでも今度は受注しておかなければいけない。その都度、その都度、合理的な生産がなされてないわけです。

 梅澤 ゼネコンに実力があるというけれども、役所の建物をつくろうとすると、「地建」があるわけですね。みんなそこへ持っていかなければできない。そうするとそこの基準でやってしまうから、いま各社が基準を持っているわけではないでしょうから、そこへみんないってしまうわけです。集中してそこでお金を決めるから、安いのもみんなそこで決まってしまう。

 横尾 公共工事のお金の決め方をもう少し合理化しなければいけない。ISO9000にアプライしたことによって、そういう方向へもっていければいいと思いますが、建設業がISO9000を取りましたというけれども、どういう内容で取っているのか、わからない。

 梅澤 飯田会長がおっしゃったように、三つに分ければはっきりしてきますよ。確認と設計と建設、この三つに分けるだけで経済的にわかってきますよ。

 

 建築確認業務

 梅澤 確認というのは第三者がやらなければいけないわけでしょう。

 尾島 いま確認受理業務は基本的には公がやっているんですね。

 横尾 これは公です。今度開放するといっても代行です。業務委託です。

 飯田 それは官の行為ですか。

 尾島 そうです。

 横尾 確認というのは官の行為、建築基準法で定められています。

 飯田 あれは形式的で、われわれは全然信用してないですよ。信用してないものは確認と言えないのではないですか。

 梅澤 途中全然来なくて、できたものを見て確認するだけです。

 飯田 外見を見てよろしいという。鉄筋を結わえてあるかどうかわからないのにOKという。

 尾島 今度の改正では確認業務、検査業務に関しても民間に開放するという形になります。

 梅澤 ぼくの意見では、技術士ではないけれども、環境士とか、ありますね。ああいうものをつくったらいいと思いますよ、独立の確認士というのを。

 横尾 日弁連は住宅にかぎって第三セクターをつくれと言っています。その種の話はこれから出てくると思います。

余りにも曖昧な建築界Ⅱ・・・百パーセント安全はない

 

 専門の弁護士がいないから裁判に負ける

 飯田 建築というのはひどいですね。まるでだめですね。ちょっと申し上げたいけれども、たとえば私が自分のうちをつくったとしますね。クレームがあるとして調停に持ちかけますね。絶対に負けます。

 尾島 何と何との調停ですか。

 飯田 損害賠償の裁判でもいいんですよ。

 尾島 だれとだれとの裁判でだれが負けるんですか。

 飯田 原告側が負けますよ、損害をこうむった施主が負けます。

 尾島 建設会社が勝つんですか。

 飯田 ええ、どんな問題があろうと。たとえば全部請け負わせているわけですから、構造の問題とは違いますが、空調がよくない、隣を涼しくしたらこちらが暑くなるとかで住むに耐えない。これをやっても負けますね。

 尾島 いまのお話はすべてゼネコンが請け負った場合ですね。確認申請は国に、安全はミニマムスタンダードで国が責任をもつ。それが間違って壊れても天災であると片づけて、ゼネコンは責任を負わない。

 横尾 おそらくセコムでおやりになっているようなものは、建築基準法とはあまり関係ないことではないかと思います。

 飯田 ぼくは法律に関係なくやろうと思っています。

 横尾 契約上の問題ではないんですか。契約の不履行とか。

 飯田 セコムの話をしているわけではないです。ぼくは法律に頼りませんから。

 横尾  法律はできるだけしりぞいたほうがいいと思います、法律は出ないほうがいい。

 飯田 いま申しあげているのは、なぜ勝てないのだろうかということです。

 横尾 それは契約図書の問題ではないですか。

 飯田 違うんです。それに専門の弁護士がいないんです。

 横尾 ゼネコンは雇っていますね。 

 

 日本の建築家は信用できない

 飯田 こちらもそれなりの優秀な弁護士を雇いますが。一つはきっちりと検査する人間がいないでしょう。ですから曖昧なうちに負けるわけです。だから実に曖昧な世界なんです。曖昧な世界の中で建築基準法だとか、何とかという。だから言うことを言っても無駄だと思うし、お金を払う側の施主の権利はほとんどないです。片務契約ですよ。契約書は片務契約ではないですよ、双務契約です。

 尾島 設計・施工が分かれていましたら、設計図のとおりなっているかどうかということでもって検査がチェックできますね。そのためにふつうは設計・施工を分けますね。

 飯田 分けなければだめです。

 尾島 そして設計者に現場監督をお願いしているわけですね。設計者は基本的には施主側に立っているという形で、動いていますよね。

 飯田 そうですね。でも設計者は適切な監査をするでしょうか。むしろ設計会社を訴えたほうがいいんですね。

 尾島 そういうこともあります。

 横尾 法の問題といまの契約の問題と別にしなければいけない。法はミニマムリクワイアメントで、高度な要求は契約条文の中に入っていると思っています。

 飯田 こんなに厚い詳細設計の図面が来て、そのとおりやって、全部任せているわけです、こちらは素人ですから。ところが空調がうまく動かない、全部結露しちゃう。下にある材料は全部腐ってしまうという状態でも負けますね。勝てないんです。ですから実のところ全然信用してないですよ。不信感をもっているわけです。設備関係はむちゃくちゃ。だから、アメリカの会社を連れてきてやらせたんです。それなら平気です。それから下水道の設計。アメリカからエンジニアを連れてきてやらせたほうがよほどいい。

 

 建築界の総懺悔

 尾島 建築家の責任、設計者の責任、あるいは施工監理の責任等を含めて、ちゃんと誠実な仕事をしてきたか。しかも年代を超えて耐えうるようなものをつくってきたかとか、いろいろな反省があるんですね。一回総懺悔すべきだという話があります。

 横尾 懺悔したから直るものでもないと思います。謝りに行ったから許してくれるという問題でもないと思う。

 尾島 でも意識は必要です。その意識さえない。

 梅澤 学会だって、いまのゼネコンのあり方にものを言ったっていいわけでしょう。言う人がいないだけですよ。

 尾島 おっしゃることはもっともだし、認めます。そういったことを脱皮しなければいけない。これまである意味で豊かすぎた。そんなことを考えなくても、自意識をもたなくても仕事がなだれ込んできたんです。そういう社会だったということもお認めいただいて、でもこれからはそうはいかない。しかも国際社会のなかでグローバルスタンダードも受け入れなければいけない。アングロ‐サクソンのスタンダードの中で、責任に対してかなり自己責任体制が出てくるだろう。したがって先ほど飯田会長がおっしゃったように、本来は建築基準法なんていうのは最小限のスタンダードにしていただいて、あとは自己責任でやろう。そして企業も設計・施工責任のなかで解決していくべきだという主張は、相当多いんです。

 横尾 それが骨格です。ただそこで官の問題がある。官というよりもレフェリーだと思う。要するに自由競争社会で、こうしなければいけないところを見ていればいいわけです。要は自由競争なんです。ミニマムリクワイアメントというのは、サッカーならサッカー・フィールドの線を引いているようなものだと思うんです。あとはオフサイドとか何だか難しいルールもありますね。レフェリーはああいうところを見ている。それが役人であって、あとは自由にしなさい。もう少し高度の技術を要求するのだったら、民同士というか、あるいは施主同士で決めていけばいい。そういうことだ。そこまで役所が介入しないほうがいい。

 梅澤 これからはそうしなければいけないでしょう。

 

 レフェリー集団としてのエイジェンシー

 横尾 いままでは官と民が癒着というか、もちつもたれつで、官がなるべく物事を決めて、民から要求があればこういう委員会をつくりましょうというので、またそこで財団法人何々ができる。

 梅澤 いままでのゼネコンは役所を逆に使いすぎたと思います。

 飯田 だからいまのような状態になってしまうんですね。

 横尾 ぼくはゼネコンに友人もいますから、現状は認めます。たとえば官庁が悪いというけれども、ぼくが官僚だったら似たことをやるだろうし、ゼネコンだったら似たことをやるし、批評家であれば同じことをやる。同じ日本社会の一つの聖域構造の中に原因がある。それを克服することを考えていかないと、ほかに道はないと思っています。

 要するに縦社会の横働き。われわれはあくまでも縦社会の人間だと肯定しなければいけない。ただ横ばかり行ってもできない。縦というのは命令と実行のシステムです。横のシステムは違う。経済企画庁長官が大臣になってもおかしい。横でなければいけない。こういう問題が起こったときはいつも経済企画庁とか国土庁が、レフェリー集団にならなければいけない。それを間違えている、はじめからエージェンシーですよ。エージェンシーを大臣にしたらいかんと思う。総裁なら総裁でいい。そこのところが狂っていると思います。

 今度、金融監督庁ができますが、そういう思想があるのかないのか。その思想さえ徹底して、たとえばレフェリーが足りないときは学会が出ていく。学会というか民間人を登用すべきですよ。そういうことではないかと思っています。要するにそういう新しい社会に対応する心構えをわれわれはすべてもっている。そのなかで保険の一つのトライアルが出てくれば、設備の問題なんかは非常におもしろい。

 

  とにかく保険がキー

 飯田 保険というのはキーだと思います。保険会社は真剣にレーティングしますよ、自分にかぶってきますから。

 横尾 ことに設備に関しておもしろい。

 飯田 設備と構造。

 横尾 地震というと、これはようしません。地震はわからない。トップがわからない、上限がわからない、現象が。計算方式はあるけれども、わかったような振りをしているだけの話でね。

 飯田 地震というのはどういうところからどういう被害が来るのかというのはわからないと思います。でもある種の答えが、どういう構造が損害率として平均に少ないかというのは出ると思います。何が倒れるかはわかりません。でも平均して少ないというのは出ると思います。いま火災保険のロスレシオは38%です。これは保険会社が稼ぎすぎなんです。粗利益で62%あるわけですから。7月から保険が自由化されるでしょう。いまチャンスなんです、料率自由化で。

 梅澤 今度、耐震実験でそれが出てきます。震度7に耐えるのはこの程度というのが出てきます。

 尾島 建築分野に大々的に保険制度を導入すべきだという意見ですね。そのほうが安心に結びつく。

 飯田 そう思います。

 横尾 設備の規定なんかは保険の基準というのを知っているのかと設備をやっている学者に聞くと、知らないと言うんです。

 尾島 横尾委員会にそういう部会をつくってください。

 横尾 保険会社の論理でいくと、また問題がある。

 飯田 保険会社のサラリーマンが出てくるから駄目なんです。だからそこへ英国のロイズでもいいですから、英国の保険会社に日本のスタッフを入れたらいいですよ。

 梅澤 人間が安心しようと思ったときには、カネで買う以外にないでしょう。

 飯田 その代わり、火災保険料がいままでより20%下がるとか、自動車保険料が10%くらい下がる。みんな下がってくるわけです。その分を建築家に払ったらいいんですよ。これは1回ですから。

 尾島 おっしゃるとおりで、設備系の安全施策に対していろいろなものが付きますね、防炎から消火施設から、ああいったものを保険制度でカヴァーしてというのは大事ですね。

 横尾 おもしろいのは、アメリカはスプリンクラーだけで、スプリンクラーさえ付いていればいい、防火戸も何もないという話です。

 飯田 学会がサブシディアリーをつくったらどうですか、カンパニーを。

 尾島 横尾委員会がアドバイスしたらどうですか。

 飯田 ぼくが再保険を受けますよ。

 横尾 保険業界は何も知りませんが、どこかにおっしゃっているなかに、これはいけるなというのが、ぼくの勘ですが、設備に関してあるなという気がします。

 飯田 構造もあります。

 横尾 地震保険というのは無理なような気がする。

 飯田 あれは平均ですから。傷害だって平均です。すべて平均です。保険のロジックというのは全部平均なんですよ、自動車保険でも。どこの県で多いから、あんたのところは上げますよということはしないわけです。そうなんです。

 梅澤 いま変えるのはおもしろいと思いますよ。

 

 百パーセントと絶対

 飯田 たとえばぼくがビルをつくるとするでしょう。Cランクをつくりますよ。Aランクはつくりません、建築費が坪20万違ったら。それでいいと思います。それはCを覚悟するということなんです。覚悟しないでCをつくるからおかしくなるわけでしょう。

 尾島 そういう考え方、Cであるとか評価できるような体制が社会にいる。評価、検査できる技術者なり、あるいはそういう機関なりが存在してはじめて、それは可能ですね。

 飯田 保険会社で機構をつくらせれば、すぐできますよ。

 梅澤 百パーセントということはないんです。人間は死ぬから絶対というのは使えるけれども。

 横尾 ぼくは絶対安全はないということをいつでも冒頭に言うんです。ところが学園紛争のときに生物の友だちができまして、おれは逆に言うんだ、人間は絶対死ぬんだと。ああ、そうかと。絶対、フィジカルアッパーリミットというのはありうるんです。ところがわからない。知ったとしても文明が絶えてしまってから役立つようなものだったら、人類の生活と反しますね。

 飯田 安全のコストを横断アクアラインに10兆かけるというならば、95%くらいは大丈夫。80%だと1兆6000億だ。どちらを選択しますかという問題だと思うんです。社会の選択の問題なんです。

 横尾 それは文明の問題だとも思います。文化というか、歴史をどう見るか。先のことは知らんという姿勢もあるわけです。なりふりかまわずやってしまえと。だけど、孫子の代まできちっとしようというのもある。時代の変動で、変わるものだと思います。

 

 倒れたのは正解か

 梅澤 神戸では高速道路が倒れたけれども、ぼくらは孫子の代までもつと思っていました。

 横尾 信じなかったけれども倒れたんです。それだけのことです。アメリカの基準より厳しくしているのに倒れた。ノースリッジで落ちたのでアメリカの基準を笑ったわけです。日本は倍か3倍くらいの強度をもたせているんだから倒れっこないと言ったら、神戸で倒れた。えらいこっちゃということになった。

 梅澤 ただぼくらは高速道路は 100年もつと思っているでしょう。

 横尾 100年じゃないんだ。要するに 400年。慶長の地震は1600年ですね。ちょうど 400年前ですよ。地質の先生なんかは1000年にいっぺんくらいのことだという。

 梅澤 そうですね。

 横尾 とにかく400年にいっぺんが起こった。

 飯田 それで倒れていいんですか。

 横尾 倒れていいことはないよ、倒れないつもりでやったのだったらいいんじゃない。

 飯田 倒れるつもりでおやりになったのなら正解だと思います。

 横尾 いえ、それは正解ではない。それ以上のが来れば倒れるのに決まっている。

 飯田 だから、それ以上のやつが来たら倒れるんだよと。

 横尾 絶対安全というのはこの世にないと言うんだからね。

 飯田 それを承知でおやりになったのなら正解ですよ。

 

 災害評価マトリクス

 横尾 ぼくはこういう考えをもっているんです。設計者は自分の設計に傷がほしくないから、大丈夫ですと言いたいわけだ。だけど自然災害というのはそれを超えることがある。もし超えたらどうなるんですかという一つの設問がなければいけない。要するに防災というのは非常に静的な状態、構えの状態と戦いの状態、復旧の状態とわけて考える必要がある。

 飯田 防災の学者は一番簡単なんですよ。もし起これば不可抗力という。想定できないことが起こった。これが一番簡単なんですよ。

 横尾 言い訳のためにはそれでいいけれども、あいすまんという問題があるわけです。

 飯田 あいすまんというのはシステムではありませんね。

 横尾 社会に対する、それこそ責任です。ぼくの書いたものの中にあるのですが、災害評価マトリックスという考え方と、もう一つはもしも起こったらということに対する知恵がある。ぼくが見て、原子力なんていうのはそれがずいぶん多いです。たいへん圧迫感がある。自分のは大丈夫だと言うのを抑えて、もしも起こったらどのくらいの災害があるか。ぼくが考えたのは、万博の年に天神橋6丁目というところでガス爆発があった。そのときに技術屋は処罰されましたが、あなたがあの技術屋だったら、ちゃんとした措置が取れたか。なかなか取れない。原因をだいたい推定しまして、あとから詳細に聞いたらそのとおりだということなんです。それを事前にわかる能力がある。参謀会議、スタッフミーティングで討論をしてはじめて見つかるものです。それでも見つからないこともある。エマージェンシーというか、戦闘態勢がわかっていなければできない、危機管理は。それが欠けていると思います。

 

 建物の死亡診断書

 横尾 工学と医学というのは命の安全に関して少し違うところがある、とこの間吉武先生に教わったんです。

 飯田 少しは違うけれども……。

 横尾 セキュリティーもほんとうのセキュリティーは命に一番かかわる。

 梅澤 お医者さんは悪いけれども博士を取ってもみんな統計ですね。機械でやって、統計を取って、それで病気がどうのこうのという。

 飯田 お医者さんと建築家の違うところですが、亡くなった五島昇さんに、体が悪くなったら最低5人の医者にかかれと言われた。

 横尾 建築を頼むときには5人に頼まない、1人しか頼まない。

 飯田 決めたら1人にしか頼まない。それは覚悟しなければいけないというところが違いますね。お医者さんに対しては、何人かに診てもらうという選択肢があるけれども、建築の場合には最初には選択肢はあるけれども、決めたらその人でいく。

 尾島 医者は死亡診断書を書くんです。建築家も建物の死亡診断書を書けるような能力があるのか。

 飯田 ぼくのうちは死亡診断書を書いてもらわなければいけない。

 尾島 書く能力があるかどうか、このレベルで必ず壊れますとかね。

 梅澤 だから先ほどの検査官ができれば、それができる。確認ができればできるはずでしょう。

 尾島 その能力がある建築家があまりにも少なすぎる。

 飯田 医者は死んだからしようがないから書くんです。建物は死なないですから。だめですとは絶対にいわない。その前は医者も誤診だとは言わないんですよ。

 梅澤 ある建物はホスピスに入れればいいじゃないですか。

 尾島 社会が書かせる権利を与えていますね。建築家にも書かせる権利を与えて、飯田会長のお宅はもうだめですと言って建築家がサインしたときに、ほんとうにそれを壊すということになれば、相当の力ですね。

 横尾 住宅でできるかできないかは別として、公共建物にはありうることですね。

 梅澤 そうしたらいいじゃないですか。ぼくはそう思います。事後にこうなるというのはただ言っているだけです。環境が変われば、役に立たない。新しい材料が出てくると違ってくる。

 飯田 2015年くらいに現在のコンピューターのスピードが5000倍から1万倍になると言われています。新素材が出てくる。そのへんを見通しての建築の安全に関する視野があるんですか。

 飯田 新素材というのは出てくるのではないですか。

 梅澤 そう、だからその間に新素材が出ますからね。

 飯田 そうすると強度から何からみんな変わってきますから。そこまで建築学会がキャッチアップできるかどうか。

 

 システムのサイクル

 飯田 アメリカがおもしろいのは、25年たてば平均的に住宅は全部入れ替わる。25年の期間を設けて、しかるべきところには住宅も火災感知器を付ける。それから経済学的に40年周期説がある。少なくとも30年間はいままでの古いシステムを変えるためにかかる。いま日本は、すべてのシステムが、人間の考え方から何から変わってきていますから、混乱しているでしょう。

 戦後、混乱期10年を除いて、システムを変えて20年間成長したわけです。そこのところで制度疲労を起こしているわけです。制度疲労と人間の考え方が変わるんです。一つはデジタル革命です。人間の考え方が変わる。これを直すのに20年かかる。そうするとあと10年くらいかかる。そうするとあと20年間は繁栄するんです。だから、あと10年ですよ。

 横尾 40年周期説はありますね。ぼくも聞いていますが、だいたい当たっているような気がします。

 飯田 企業がディスクローズするようになってきた、コーポレートガバナンスを考えるようになってきた。いま消費が悪いというのは、技術革新とデジタル革命と一緒に、人間の心が変わったから消費構造が変わっただけなんです。その混乱なんです。日本はいま不景気ではないですよ。不景気でなぜこんなにみんな豊かな生活をしているのか。ここのところ技術革新が激しいですから、もっと早く移り変わると思います、政策さえ正しければ。

 尾島 今世紀、もうしばらくしたらまた景気が回復し、リニューアルが達成される。混乱期は間もなく脱しつつある。いま最悪のとき。

 飯田 いま最悪だと思います。

 尾島 最悪のときには一つのチャンスだ。

 梅澤 最悪が一番チャンスですよ。

 

 土地の輸入

 飯田 いま非常にチャンスだと思うのは、土地が下がり続けているでしょう。これはまだ下がります。というのはウルグアイ・ラウンドと情報化で、土地が輸入できるようになっていますからね。土地は輸入できないんだというのはうそで、いま土地は輸入できているわけです。いま食べているもの、蕎麦だって何だって、ほとんど外国から輸入しているわけでしょう。これは土地の輸入ですよね。

 横尾 でも国産主義者というか自給主義者から言うと、そういう発想はしませんよ。先進諸国で自給率がフランスだって60%とか70%ですね。自給率を上げないといざというときにまずいという。

 飯田 だから遅れているんです。英国で田園生活ができるようになったのは、50年間土地が下がり続けたからですから。輸送手段ができたので、いままで自分のところでつくっていたものをつくらなくてすんだ。アメリカから輸入されてくる。だから農地はなくなる、やりようもないから芝生にしておいて、雑草地にしていつも乗る馬を預けておく。

 尾島 日本の都市も最近、郊外は安くなりましたね。田舎のほうへ行くとほんとうにいい立派な森林公園ができています。

 飯田 土地が輸入できるようになるから、日本の国土は狭隘だという考え方は違うと思います。

 横尾 僕は国土狭隘論だけれど、輸入できたらいいですね。輸入というか、そこで経済がうまくいけばね。

 飯田 あとはゾーニングですよね。土地が狭隘である、それがバブルの論理なんです。だから土地は上がるんだと。そうではないです。土地は輸入できるんだということね。代議士は輸入できないから困るわけです。官僚は輸入できないから困るんです。

 横尾 学者は輸入できる。

 飯田 いや、学者も危ないですよ。一応英語がぺらぺらで、学会が流動化していればいいけどね。

 

 モビリティと地方分権

 梅澤 情報を耳で聞かせても安心になりません、目で見させなければ。原子力はなるべく呼んで見せれば安心する。目と耳でなければだめなんです。情報だけで安心させようとしているけれども、これは絶対無理です。資料の公開とか何とか言っているでしょう。見せても何も安心にならない。見せなければだめです。

 飯田 見せれば安心しますよ。

 尾島 阪神に行ってつぶれたうちを見ると、素人でも、ああ、このうちはつぶれるとわかるんですね。実体験するということはすごいですね。日本列島のモビリティーを高めると体験の機会が増えるわけですね。

 飯田 モビリティーを高める手法が問題なんです。この前、加藤幹事長と会って話をしたけど、財源が足りなければ東名、名神を民間に売れと言うんです。そうすると道路公団も周りの施設がなくなるから、変な子会社はなくなる。まず第1番目は民営化です。僕は財界の常識とは違って、道路をつくれ、という立場なんです。モビリティーが増しますと、情報化インフラと一緒に顔も見ることができればその方がいい。田舎もバーチャルである程度、都会の生活ができるようになる。そうなったときに日本の田舎は変わるんです。田舎が変わると日本全体の豊かさが上がる。実を言うと首都圏機能の移転なんか全然関係ないと思います。ぼくは田舎に住みたいですね。

 横尾 ほんとうに住みたいのは田舎。地方分権と言っているけれども、どういうことになっているのか。

 飯田 基本的には反対ですね。

 尾島 最終的に21世紀後半の日本のあり方というのは、基本的にはイギリス的イメージですか。

 飯田 分権化に関しては、ぼくはアメリカ的なイメージのほうが強いですね。ただ縦構造の中でうまくいい人材が地方に行くかなと思う。

 横尾 だから、横働きのシステムを考えろといってるんです。それができてない。簡単に言えば経済企画庁は横のシステム。国土庁もたぶんそうでしょう。それから直轄の科学技術庁に研究者をもったらいけない。全部民間とか大学とか、そういうことでいい。その代わりブレーンは自由に雇えるようなシステムにする。会計検査院と似たような、横のフリーなシステムに。今度の金融監督庁は3局9課かな、こういう考え方がすでに間違っていると思います。金融監督庁はもっとフリーでなければいけない。

 

 都心居住と田園生活

 飯田 道路ができたら変わりますよ。『アメリカ人』という本がずいぶん前に出ていますよね(アメリカ人(上・下)、デスモンド・ウイルコックス(編)、日本放送出版協会、1980.7)。あれをお読みになりましたか。その中で傑作なところがあって、鉄道ができる前に平均的なアメリカ人の一生の行動半径は2キロだった。鉄道ができるようになって新聞ができた、と書いてあるんです。そのあとデパートメントストアができるようになった。近隣から買いに来るからそういうものができるようになった、ということが書いてありましたが、人間のモビリティーというのは非常に重要なんだなという感じをもっています。

 横尾 ある意味で私は道路はいいと思います。というのは、鉄道、新幹線は経済効果が出るのに非常に時間がかかる、時間がもうれつにかかる。道路は少しずつつくっていくことができるでしょう、時代の変化がありますしね。

 尾島 でも見方によっては、道路と車によって建築や都市が痛めつけられましたね。がたがたになりましたでしょう。コミュニティが崩れたということもある。

 梅澤 集中しているからですよ。

 尾島 でも基本的には人口はもう増えるわけではないですね。流動ももう起こらないでしょうね。

 飯田 流動は近所で起きるんです。近所で起きるというのは、道路さえできれば 300キロ圏です。

 尾島 いまいろいろな意味で高齢化の問題と何かを含めて、都心にもっと集めたほうがいいのではないか。そうすると通勤も減り、エネルギーも平準化され、都心には都市施設もあり、にぎわいもある。いま都心がむしろゴースト化していますからね。今度の国土計画にしても都心居住のほうにむしろ傾いていますよね。

 飯田 あれは間違いだと思います。拡散させるべきだと思います。

 尾島 拡散させたほうが安全には寄与するでしょうね。

 飯田 安全にはなります。それから情報化によって、東京にいてもいなくても仕事はできるようになる。そうすると田園生活を楽しみながら、そういったことができるようになる。

 尾島 そういう国土計画なり都市づくりというのは、安全とか安心に非常に結びつく。

 飯田 そうです、拡散しますから。

 尾島 そして自分のことは自分で自立して守るような体制。

 飯田 心の安心。

 尾島 そのシステムづくりを是非やりたいですね。

 横尾  やあ、今日は随分刺激になりました。