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2026年1月29日木曜日

初心に還る, 『雑口罵乱』③(談話室,滋賀県立大学), 2009

 初心に還る, 『雑口罵乱』③(談話室,滋賀県立大学), 2009

初心に還る

布野修司 

 昨年(2008)の1月号から『建築ジャーナル』誌に「メディアの中の建築家たち」と題して日本の現代建築家を取り上げて連載している。1月~3月号は前書きの総論のような形で、4月号から3ヶ月、安藤忠雄、続く7月~9月号を藤森照信、以降、伊東豊雄、山本理顕、石山修武、渡辺豊和、象設計集団と続けて、原広司論(20101月~3月号)を入稿したところである。

2008年の4月号は「ボクサーから東大教授へ 安藤忠雄の軌跡」というタイトルであったが、連休の前だったか後だったか、いきなり安藤さんが電話してきた。どうも気に入らなかったらしい。

聞くと、3箇所誤りがあるという。さしさわりがあるので書かないが、ひとつはボクサー時代の戦績が違うという。「ボクサー時のリングネームは「グレート安藤」、フェザー級、戦歴はプロ戦績通算831分―231337分け、という説もある。」と書いたのであるが、そんな試合数できるわけがないじゃないか!という。しかし、Wikipediaに書いてあるじゃないか、と言い返すと、あれが間違っているのだ!とのこと。単行本にするとき訂正します、で一件落着、と思いきや、「それはそうと、今度お前の大学に話しに行ってやるよ。この間、東大の入学式で1万人の前でしゃべったけど、評判よかったよ。建築といわず、新入生にしゃべるよ」とおっしゃる。

「ええ!」と絶句。

あとは省略するけれど、学長を引っ張り出すやらなんやら800人ぐらいは集まった。その様子を石野君が書いている。DVDにとってあるけれど、そのまま使うことはまかりならん、とのこと。安藤節は生の毒舌がいい。

西沢立衛さんとは初めてであったが、スライド・レクチャーを聞いて、そのセンスに感心。いきなり、「西沢さんは理論家肌じゃないのがいいね」と言って怒らせてしまった。「僕ほど理論家はいない」のだとか。なんでも修士論文は「設計資料集成」についてなんだそうで、建築計画学の野村東太先生とか小滝一正先生に習ったとか。吉武研究室出身の僕とは義兄弟ということになる。

いつか西沢論をという気になったけれど、先の連載は、僕の年齢以上と決めていて、隈研吾、妹島和世以下の世代は、第二ラウンドに書けたらいいと思う。

芦澤さんの会は、海外で出席できなかったけれど、一昨年卒業設計の講評会に来てもらって知っている。とにかく元気がいい。昨年来てもらった、ヨコミゾマコト、藤本荘介、佐藤淳も含めて、連載でとりあげる候補である。

飯田さんとは、学会賞作品賞の審査委員会で一緒だったけれど、ほぼ同い年で、初めて全体の仕事を見せてもらった。手堅い。横浜国大はこれであと北村恒さん呼ばなくちゃ。

重村さんとは学生時代からの付き合い。その全仕事をあらためてみせてもらった。生命循環都市の方向性は真に共鳴できる。

談話室は、学生たちのためだけではない。教師にとっても、自分の仕事、自分の歴史を振り返る機会でもある。いつも刺激をもらえる。建築を志した頃の初心を思い出さしてくれる。

今年、ついにというか、なんというか、還暦を迎えた。来年からは赤ん坊に還ったつもりで頑張ろうかな。

2026年1月19日月曜日

飯田敏史、外池実咲、中島圭一、若松堅太郎 ハノイの変貌 建築計画委員会春季学術研究集会・ハノイ報告 建築計画委員会 20060605~07

 主催・主旨説明:建築計画委員会春季学術研究集会・ハノイ: 「ハノイの変貌Changing VietnumHanoiits History & Environment Symbiosis for Architectural Planning 歴史・環境・共生と建築計画」,司会 内海佐和子(昭和女子大学)講演1 「ヴェトナム現代建築の動向」 ファン・ダオ・キン 建築家協会副会長,講演2 「ハノイ旧市街の保存活動」 ファン・トゥイ・ロアン ハノイ建設大学都市建築研究所副所長,200965日~7


2009年度 建築計画委員会春季学術研究会報告

ハノイの変貌:歴史・環境・共生と建築計画

建築計画委員会


 200965日、6日の2日間ベトナムのハノイにて2009年度建築計画委員会春季学術研究会が開催された。2006年ソウル、2007年北京、2008年台湾と続き国外アジアでの開催は4度目である。

ベトナムは、今、来年(2010年)の建国1000年を前にして、ハノイのタンロン(昇竜)城の発掘が急ピッチで進められており、ホイアンに続く世界文化遺産への登録を目指している。また、建国の祖先たちの出身とされるドンラム村の整備が進められている。この事業にはホイアンの歴史的町並み整備事業に続いて日本も協力体制をとっている。

開催にあたって今回も参加者に配布する冊子を作成した。初めにハノイ、ホイアン、ミーソンの歴史的概要、歴史的建造物、現代建築そしてベトナムに関する論文を系統別に掲載した。冊子づくりにあたって昭和女子大学の内海佐和子先生の協力が大きかった。ベトナムの保存修景事業に長年携わってこられた内海先生から、ハノイ36通り地区、ドンラム村に関してわかりやすくまとめられた冊子を頂き、配布用冊子を作成する私たちにとって大きな手助けとなった。

例年、他大学の学生も含め大所帯での開催となってきたのだが、今年は大会前に日本が新型インフルエンザの感染国となる事態で参加できない大学がでたため、参加者数は例年よりも少ない43人であった。

65/シンポジウム「ハノイの変貌」


 シンポジウムは、ハノイ建設大学都市建築研究所所長・ドアン・ミン・クォイ先生の開会の辞で始まり、昭和女子大学・内海佐和子先生の司会で進められ、建築計画委員会委員長・布野修司先生の閉会の辞で締めくくられた。また、通訳としてノ・ダン・ベト氏に御協力を頂いた。プログラムは以下の通りである。

16:00 17:00「ベトナムの現代建築の動向」

講師:ウェン・ロン氏(ベトナム建築家協会広報部部長)

17:15 18:15「ハノイ旧市街の保存活動」

講師:ファン・トゥイ・ロアン(ハノイ建設大学都市建築研究所副所長)

1――『ベトナムの現代建築の動向』

前半はベトナムの現代建築の動向についてお話をしていただいた。予定ではベトナム建築家協会副会長のファン・ダオ・キン先生からお話をしていただくはずであったが、ファン・ダオ・キン先生はベトナム南部でベトナム建築家協会によるベトナム建築展覧会に出席されていたため、ベトナム建築家協会広報部部長であるウェン・ロン氏が代行で講演されることになった。ベトナムの現代建築はまだ最初期の時代であり、現在大きく動き始めている。研究集会の会場ハノイ建設大学では、昨年、安藤忠雄や藤本壮介等の日本人建築家を招くなど、アメリカの建築家とも交流がある。今年には、ベトナム建築家協会による第1回ベトナム建築展覧会が開かれた。

レクチャーは、ベトナム戦終結(1975年)後から現在に至る動向を大きく総括的に示すものであった。ベトナム戦争後10年は、ホーチミン廟に代表される社会主義リアリズム(装飾を欠いた古典主義)建築が支配的であり、ソ連の影響が強い。しかし、ドイモイ政策導入(1986年)以後、多様な傾向が現れる。ウェン・ロン氏は、伝統志向、地域志向、近代主義、ポストモダン志向、擬似古典主義の5つの傾向に分けて、紹介してくれた。地域産材を用いた若い建築家の作品にはすぐれたものも見られた。

ウェン・ロン氏                ベトナムの現代建築

2――『ハノイ旧市街の保存活動』

 後半はハノイの旧市街の保存について、ファン・トゥイ・ロアン先生にお話していただいた。ロアン先生はハノイ36通り地区の保存に関する日本の調査グループのカウンターパートであり、1996年以降、地区の保存活動に取り組まれている。

講演ではハノイ36通り地区の歴史・文化から、現在の問題・取り組みについても詳しくお話いただき、スライドや写真により旧市街の構造の変容とともに、現在の街の状況がよく理解できるものであった。ハノイ36通りは、歴史的な街区として、経済的な中心として、また、観光地として発展し続けている。2004年に国家文化財に指定された。しかし、人口が一貫して増加することによって、地区は大きく変容しつつあり、歴史的建造物は大幅な減少している。そうした変化とともに、保存活動の取り組みも対応し変化してきている。ロアン先生は、36通り地区は街の側を流れるホン河との強い結びつきにより形成されているという周辺環境も踏まえ、当該地区に於いては有形の建築物だけではなく、無形文化財であるコミュニティの仕組みや様々な活動とともに保存していきたいと考えておられる。

ファン・トゥイ・ロアン氏        会場風景

66/都市建築視察

研究会の2日目はバスをチャーターして、ハノイ周辺の視察を行った。当日は午前8時に出発、まず「ドンラム村」に向かい、次に「ハノイ36通り地区」を視察、最後に「ベトナム民族学博物館」を訪れた。

1――ドンラム村

ドンラム村に向かう道程で交通渋滞に見まわれ、予定より約1時間遅れの到着となった。ドンラム村は、池や水田に囲まれたベトナム北部を代表する農村集落である。モンフーのディン→ザンバンミン祀堂→ハン邸近くの井戸→ハン邸→ザ邸→ミア寺の順に徒歩で巡回した。村内は青年海外協力隊員の宇都光恵さんに案内していただいた。

ベトナムのコミュニティにはディンと呼ばれる村の集会所があり、そこには村の守護神も祀られている。モンフー集落には最も高い場所にディンがある。1859年に建築されたもので、旧暦の14日には盛大な祭りが行なわれる。床や建具等の保存状態も良く、建物に施された彫刻が華麗であった。モンフー集落内には祖先(江氏、阮氏、藩氏、河氏等)をまつる祀堂がある。ザンバンミン祀堂は、江氏の祀堂であり、17世紀に中国に正使として派遣されたベトナムの英雄ザンバンミンを祀っている。敷地内には、拝殿と本殿があり、拝殿は1943年の建築で、本殿は老朽化により1845年に再建したと伝えられる。本殿は行事を行なうため広々とした軒下空間を持ち、華麗な小屋組みを見せていた。ドンラム村の住まいは閉鎖的である。敷地を建物や塀で囲われているので街路からは内部を見ることはできない。敷地中央には中庭を配し、主屋は中庭を正面とし、街路に対して開口部を持たない。庭の脇には井戸を配置している。概観正面は、重厚な平瓦葺き屋根と、軒下の丸柱の列、木造間仕切りと建具が特徴的である。中庭には多数の大きな壷があり、一年間発酵させて味噌を作る伝統的な生活様式が見られた。ドンラム村の生活には井戸が必要不可欠である。古くは共同井戸を利用していた。現在では各家に井戸があり、洗濯や入浴、料理などに使用されている。ミア寺は、寺に残る石碑によると1694年に創建した。広場に面して門が開き、前方に石塔が建つ庭があり、その奥に大伽藍を構える。伽藍は下寺と上寺からなり、それらは回廊でつながれる。両寺は17世紀後半の建築と考えられ、低い軒で異常に太い柱を使用し、洞穴を模した仏壇が置かれ、重厚な空間をつくっている。




 ベトナム北部は湿度が高く、蒸し暑かった。しかし、ディンや住宅などの建物内は涼しく気持ちの良い空間であった。人々はディンに集まり、なにげない会話を楽しんでいる。私たちが通りかかると挨拶をし、暖かく迎えてくれた。


2――ハノイ36通り地区

バスツアーによりドンラム村を視察した後の午後1時半頃、ハノイの旧市街「36通り」に到着。人々が道にあふれ、商店は道に向かって商品を広げる。歩道に置かれた低い椅子とテーブル、薄暗い店の奥から運ばれてくるフォーは格別に美味そうである。天秤棒を担いだ行商人が行き来し、歩道のそこここに即席の店舗が展開される。建物の入口付近には近所の人が集まって何やら話をしている。36通りには独得の生活感が漂っていた。

ハノイ36通り地区とは、首都ハノイにあるホアンキエム湖の北側に位置する商業地区のことである。その歴史は古く、1010年のハノイ遷都の際、宮廷への貢物を作らせるために近郊の村々からの職人を集め、居住させたことに端を発する。その長い歴史の中で、ハノイ36通り地区は中国やフランスの影響を受けながら独自の文化を持つ都市として発展してきた。一方、近年においては経済発展や観光客の増加に伴い、ミニホテルや店舗、現代的住居への建替えや改造が急速に進行。さらに人口密度は年々増加し662/haに達しているなど、現在はこれらの問題の解消が急務とされている。

 36通り地区の歴史的価値は、歴史的な都市の遺構や古い建物が残されていることだけではない。街路パターンや地割、町並み、そして無形の文化遺産。これら多くの文化遺産が人々の日常に包まれながら、その長い歴史を物語っている。この地区を特徴付けている非常に細長い住宅はチューブハウスと呼ばれ、間口24mに対し奥行きが深い場合は70mにも達する。それによって地区全体のプランが埋め尽くされている様相には圧倒される。またこの地区は同業者町で、同じ業種がひとつの通りに集まっている。角を曲がるごとに変化する通りの雰囲気は非常に印象深かった。36通り地区内には古跡や寺社などの文化財も分布している。それらは仏教寺院、神社、ディン(集落の祭殿・集会所)などである。ベトナムの寺社は、守護神や土地神、歴史上の人物などを祀っている。ディンはベトナム村落の土地神や職業神を祀った建物で、集落の寄合の場でもあった。各集落が自分たちの祭神を祀る場を持ったため、コミュニティの数だけディンが存在していた。現在においてその数は減ったものの、残存する多くの宗教施設では行事や儀式が行われており、本来の機能はあまり失われていない。ハノイの人々の生活は常に町とともにあった。現在においてもハノイ36通りは生きた町として、千年の時を経て尚もその人々の暮らしを現代に伝えている。

道に並べられた商品           間口の狭い建物が並ぶ

3――ベトナム民族学博物館

2日目の午後3時頃、ハノイ市中心部からバスで西へ20分、カウザイ地区にあるベトナム民族学博物館に到着。1997年に開館、3ヘクタールを超える広大な敷地に建設された博物館は屋内展示だけではなく広々とした野外展示があるのも大きな魅力のひとつである。ここには約15000点にも及ぶ少数民族の生活道具や衣装が展示され、ベトナムに暮らす54の民族の風習、風俗などが紹介されている。

屋内展示は地理的、言語的に近い民族ごとに分類されている。1階はベトナム国内で大多数を占めているキン族と、北部とベトナム平野部から山岳部に暮らすムオン族の紹介。2階は北西部山岳地帯に暮らすモン族、ザオ族の紹介をはじめ、様々な民族の日常着や婚礼衣装、祭り道具などが展示されている。特に色取り豊かな民族衣装には目を見張った。

野外にはベトナム諸民族の特徴ある10棟の民家が展示されている。これらは移築されものだけではなく、現地の職人によってオリジナルと同じものが作られたものもある。いずれの建物も内部に入ることができるが、そのなかでもとりわけ印象深かったのはバナ族の集会所とエデ族の民家、ザライ族の集団墓地である。バナ族の集会所は高さが19mもある。堂々とした巨大な屋根は圧倒的である。「ニャー・ゾン」と呼ばれるこの集会所は各村に1つしかなく、その巨大さは村の豊かさを象徴していた。床までの高さは約2.5mもあり、梯子を上り中に入る。竹で編まれた床から下が透けて見え若干怖い。室内中央には何本もの竹柱が立っているが、祭り時に酒瓶や肉料理をくくりつけるために使われる。エデ族の民家は42.5mもの長さをもつ、いわゆるロングハウスである。規則的に開口が配置された側面が印象的である。エデ族は女性上位の民族で、家の入り口には女性の胸と月をかたどった木製の階段があるが、それが立派であるほど富のある家と見なされる。家の中にはドラ、太鼓、1mほどもある酒瓶などが置かれている。梁には異形な動物たちが彫られている。ザライ族の集団墓地は、墓を囲むようにして木彫り人形が装飾されている。これらの彫刻は性的象徴を示すものが多い。男性・女性・それに妊婦も含まれており、生命感に満ち溢れたポーズをとっている。これらは豊かさや誕生を象徴しているようだが、死者のためのその特異な表現方法には驚いた。

まともに見学するならば丸一日を要する展示規模であり、じっくりと見回ることができなかったのは残念だが、その展示密度からもベトナムがいかに多様な文化を保っているかを実感できた。


まとめ

ハノイは現在、大きな発展の最中にある。人口の増加や社会・経済・文化の中心がハノイに集中してきた。そこには経済発展に飲まれ歴史的建造物や生活様式を消失させている地区もあれば、積極的に保存活動が行われその価値を保っている地区もある。それらの風景は、かつて高度経済成長を経験した日本とは異なり、将来をつくる選択肢に満ちているように感じる。

講演中、日本人建築家の名前が幾らか挙げられたが、それらは少なくともハノイに生きる人たちがハノイの前途を危惧し、積極的に海外の意見を取り入れようとする姿勢を示している。

生活の豊かさをどの様に理解すべきなのかが問われ始めている現代に於いて、高度経済成長とともに多くのものを失ってきた日本は、これから大きな発展を遂げようとするハノイに対して如何なる役割を果たすべきなのであろうか。2日間に亘って行なわれた本研究集会はそれら考えるための貴重な時間を与えてくれた。

飯田敏史、外池実咲、中島圭一、若松堅太郎

/滋賀県立大学大学院






2026年1月17日土曜日

座談会 構造設計者の夢と現実 斎藤公男・布野修司・竹山 聖・大崎 純・諸岡繁洋・高木次郎, traverse10, 新建築学研究,2009

 座談会 構造設計者の夢と現実 斎藤公男・布野修司・竹山 聖・大崎 純・諸岡繁洋高木次郎  traverse10, 新建築学研究,2009

構造設計者の夢と現実

 

参加者 斎藤公男(日本大学名誉教授)

布野修司(滋賀県立大学)

竹山 聖(京都大学)

大崎 純(京都大学)

諸岡繁洋(東海大学)

高木次郎(首都大学東京)

 

大崎

本日はお忙しいところお集まりいただき,有難うございます。座談会のテーマは「構造設計者の夢と現実」ですが,このテーマにとらわれずに,構造設計とデザイン全般について,忌憚のないご意見をお願いします。まずは斎藤先生の建築学会長としてのご経験を中心に,話を進めていきたいと思います。

 

姉歯問題

 

斎藤

会長としての2年間を無事終えることができました。布野さんをはじめ,多くの方にご協力いただき,この場をお借りしてお礼申し上げます。会長を終わって,言葉を発するのは今日が始めてです。会長になった時に最も重たかったのは姉歯問題ですね。副会長の時に,この事件が起きました。学会としても何かしないといけないということになり,20069月に,「健全な設計・生産システム構築のための提言」をまとめました。大崎さんも参加されていましたね。本来は構造設計について重点的に考えなければならなかったのですが,学会にもいろいろな方がおられて,当時の村上会長をはじめとして国に近い方もおられたので,設計と生産全体の枠組みを概括するだけで,姉歯問題の核心部分である構造計算や構造設計はほんのちょっとしか入っていません。

 

大崎

姉歯という人が悪いことをしたということの焦点がぼやけて議論が拡大して,施工や保険まで入ってきました。

 

斎藤

そうですね。そこで,学会長になった時に,学会は職能団体と違った発言ができるので,少なくとも構造設計の問題を総括し顕在化させないといけないと考えました。ということで,すでにあった「社会ニーズ対応推進委員会」を活用して,「建築学からみたあるべき構造設計特別調査委員会」を発足させた。いろいろストレスの溜まっていそうな和田章さんを中心として,高木さんも入っていただいて,いろいろな方面の若手から意見を出してもらっています。

 

高木

この委員会は,構造設計を中心に20人くらいの委員で構成されていて,斎藤先生,和田先生,金箱温春さんになどに圧倒されながら議論を進めています。今年度中に新たな提言をまとめようということで,前の提言をふまえて,構造設計をとりまく状況がどのように変わったのか,これからどのようにあるべきかを考えています。資格の問題や,コンピュターに依存しすぎることの問題点とか,確認申請はどうあるべきかといったことを含めて,構造設計の本来のありかたを全般的に考えています。

 

大崎

前の提言では学会としての自助努力の項目をいろいろ挙げましたが,いろいろなしがらみで実現が困難でした。そのような虚しさはないですか?

 

高木

制度のあるべき姿を発信するにあたって,ある程度の公共性とか中立性がある意見を述べられるのは学会であり,JSCAが何か言っても「身内でなんか言ってるよ」というようにとらえられるので,何か言う時の重みは学会が格段に上であるという認識があります。提言は一般的な形でまとめなければいけませんが,抽象的になってはだめで,それを解説するというかたちで具体性を持ったものにするというようなことを考えています。

 

斎藤

今回は「構造設計」に虫眼鏡をあてて,拡大して,そこに課題を特化してます。だからメンバーも実際に構造設計をやってる若手が中心で,自分たちが実際に法律をつくる立場であれば,あるいは意見を求められれば,どういう姿であれば責任を果たして誇りをもてるかを明文化しようということからスタートしてます。前回の虚しさは私も感じましたが,今回は虚しさを感じないように頑張ろうということです。私が会長のときに姉歯事件が起きたら,多分,全然別のアクションを起こしていたのではないかと思ったりもします。若い頃,私も安保闘争とか学園紛争を経験しましたので,その時期に精いっぱいのことをしないといけないという気持ちは大きいです。布野さんもそうだと思いますけど。

 

布野

10年違いですが。

 

斎藤

いずれにしろあの時の重要かつ緊急性のあるミッションがあったはずなので,もう少しジャーナリズムを引き込んで,社会に理解されるようなデモンストレーションをしたかった。だから,副会長のときにあれだけしかできなかったという無念さはありました。「前回の提言」では,自助努力と共に緩やかに法規制を進めるべきだという内容でしたが,緩やかであるべき法規制のほうがどんどん先に行っちゃって,学会や職能団体の自助努力が追い付かないということになってしまいました。今からでも遅くない。はたして自助努力は何だろうということを若い人を中心に議論して,次の青写真を示すというのが今回の活動の一つの目標です。

 

布野

阪神淡路大震災のあとで,横尾委員会というのを尾島俊雄先生が立ち上げて,2年ぐらい議論して提言を出しました。尾島先生から横尾義貫先生に依頼があって,SECOMの会長や内田祥哉先生に意見を聞くなど相当議論しました。そのときのひとつの結論は保険です。建物に関して保険が成立するためには建物のレーティングが必要で,学会のイニシアチブ下に格付け機関を作ったらいいというのが私の意見でした。

 

大崎

耐震等級と保険をリンクさせるという話ですね。

 

布野

そうです。耳学問ですが,カリフォルニアはどうだとか,ずいぶん勉強しました。もう一つ,保険の前提は自己責任あるいはクライアント責任です。でもそんなことは今でも大きい声で言えない。もちろん設計者責任もあるけど,全部ゼネコンにおんぶにだっこできた。その直後に第3者検査機関の制度ができて,姉歯問題で全て振り出しに戻ってしまった。

 

斎藤

何年ぐらい前のことですか。

 

布野

震災の2年後ぐらいなので,97年か98年です。建築雑誌にインタビュー記事は載っています。

 

諸岡

そのころのアメリカの保険では断層からの距離とかもはいっていたと思うので現実的だったのではないですか。でも日本ではぜんぜん普及してない。

 

布野

そうですね。国交省はまったく理解していない。基準法にしても,建築士法にしても,きつく縛ることしか頭にない。

 

社会へのメッセージ

 

斎藤

「提言」のもう一つの問題点は,市民に届かなかったということすね。

 

大崎

提言を誰に向かって何のために出すのかという意味づけが難しいです。

 

斎藤

阪神大震災の時に,構造設計で安全性を保証するのがいかに難しいかということをしっかり伝えないといけなかったし,姉歯事件の時に,構造計算がいかに危ういかをもっと考えるべきでした。いずれにしろ,耐震設計の難しさを市民にもっと分かりやすく伝えるのが重要です。それと同時に社会資産としての建築の役割と魅力を伝えたい。ということで,2年前の会長就任の折,何か見える形でやれないかということを考えて,2年前の6月に「『建築』への責任と誇り」というマニフェストを出しました。バビロニアのハムラビ法典の時代から,建物が壊れると設計者は厳しく処罰されたように,国から言われなくても本物の構造設計者は命がけで仕事してるわけだけど,「責任」に加えて,「誇り」を共有できないとまずいと思いました。マニフェストのサブタイトルは「建築学とデザイン「力」の融合」です。学会には幸い,広範で深い建築学があって,各々の分野で進化していくんだけと,それを社会に出していくのが大事です。おそらく今年末には定款改正の議論が出てくると思うけど,50年ぐらい前に「社会」とか「公共」という言葉が定款から抜けちゃったんですね。なぜかというと,JSCAなど建築家協会や事務所協会とかの職能団体が成育して来て,そちらに社会的活動を任せて,学会は「学術・技術・芸術」を中心に学術団体として特化しようということになった。

 

大崎

学会は学術団体ですから,研究者や学生などの学術関係の会員に貢献すればよくて,どこまで市民に貢献すればよいかという判断は難しいです。

 

斎藤

芦原義信さんが会長だった20数年前に「開かれた学会」というのを標榜して以来,定款にはないけど,提言やいろいろなイベントを通じて学会の社会性は重視されてきました。横断的とか総合的とかの特徴のある学会の中で,何か共有できる社会的な建築テーマがあっていいのではないかと思いました。例えば,「既存建築を活かす対震改修デザイン」という委員会を松村秀一さんにやってもらっていますが,耐震補強を促進するという意味でも,ソフトとハードの両面から,建築的な魅力を作っていくということを議論してもらっています。

 

建築デザイン発表会

 

斎藤

特別調査委員会以外でも,形として見える学会活動をやりたかった。ひとつは「建築デザイン発表会」で,去年の広島大会からです。

 

布野

もともとは誰の発想ですか?

 

斎藤

芸術的な分野での自由な発表の場が村上会長の時に必要だという意見はありました。私は「デザイン」を広義にとらえて,技術的なアイデアとか,論理性を持った,プロジェクトについて建築家や,計画系の院生などが発表できる場所を学会として創設したかった。副会長のときには実現できなくて,去年やっと実現できました。

 

布野

「斎藤先生が建築計画委員会はいらないと言っている」という噂が流れていました。建築家とエンジニアがいればいいんだといわれれば,確かにそうかな,という感じだったんですが,まさか私が建築計画委員長になるとは思ってなかった。建築デザイン発表会の実現にはそれなりに貢献させていただきました。

 

斎藤

中に向かってはデザイン発表会ができたので,外に向かって何か必要だということで,考えたのがアーキニアリング・デザイン展(AND展)です。

 

竹山

10月に関西でも巡回展があるので協力させていただきます。

 

斎藤

こういうイベントをやりたいと思ったきっかけは,1996年にパリのポンピドーで開催された「エンジニアリングの芸術展」です。過去200年のエンジニアリングの歴史展を,あのエッフェル塔が非難されたパリでやったわけです。学会はお金も人もなく,「殿ご乱心あそばしたか」といわれそうでしたが,皆さんの賛同がやっと得られ動き出しました。学会のいいところは教育界があって学生や先生方がいるということだから,建築を志してそれぞれの職能に入っていく前の段階の学生たちが参加できる形にできないかと思いました。

 

布野

陶器さんに模型作りを手伝わされました。

 

斎藤

結果的に130の模型が集まったんだけど,ただ作るんではなく,世界古今東西の建築や都市や住宅が持っている魅力やしかけや秘密をどういう角度で展開したらいいかというスタディや中間発表会を,半年ぐらいかけてやりました。考えながら作っていく制作プロセスそのものがイベントになったわけです。

 

資格問題と職能団体

 

斎藤

今回の建築士法改正で,構造設計一級建築士と,設備設計一級建築士ができたけど,「肝心のアーキテクトはどこなの?」というのが資格での大きな問題で,ちゃんと議論しないといけないですね。建築関係の職能団体が三すくみの様な状況にも見えます。学会が中心になって日本における将来の建築家像を議論しないといけないように思います。

 

布野

竹山さんは建築家協会には入ってるの?

 

竹山

最近入りましたね。出江寛さんが近畿の支部長をやめられるときに,あとを頼む人が欲しいといって誘われました。それまでは,学会以外のところとはなるべく距離を置くというスタンスでした。新建築家協会も,丹下健三さん会長での立ち上げにあたって,伊東豊雄さんも入ったし,長谷川逸子さんからはわざわざ電話で誘ってもらいましたが,原広司先生に「いい建築家は新建築家協会には入らない」といわれてやめたんです。

 

斎藤

「いい建築家」がキーワードですね。

 

竹山

当時,社会にもの申せるだけの建築家の政治的な団体がなく,クラブ的な建築家協会しかないという問題があったのでしょうね。「建築家」という言葉自体,行政の認識にはなくて,関空の建築家を選べと外圧がかかってはじめて役所で用いられはじめたくらいですから。ここ3,4年,大阪府建築士事務所協会の機関誌に連載しているので,事務所協会のことはわかってきました。それから,今年,大阪建築コンクールというかなり長い歴史のあるコンクールの審査委員長をしました。渡辺節賞という栄えある名の新人賞もあり,これは建築士会ですので,建築士会の会にも呼ばれ雰囲気もわかってきました。最近いろんなことを知るようになって,難しいことが山ほどあるなと思いました。だから,斎藤先生のようにピュアなかたちで,知らないふりをして構造の専門家としてアーキテクトや社会に物申すというのがいいのかなという感じです。今までの三すくみとか五すくみとかを知りすぎてどうにもならんよと言ってるうちに,官僚がすごい法律作って建築技術教育普及センターで講習を受けさせられたり高い更新料を払わされたり,確認審査料もべらぼうに高くなってしまう。コンクリートと木造を混ぜたりすると,混構造ということになって簡単には建たない。これもうまく設計すれば合理的なわけで,いわば構造設計者の工夫の余地が全くないような方向に法律が進んでいる。姉歯をきっかけとして官僚が焼け太ってとっているという状態です。学会がピュアな立場で意見を言わないと。

 

斎藤

デザインが後退してますね。

 

竹山

ひどいですね。最初から「ルート1で行きましょうね」,「そんなことしたら構造設計料も高くなるし時間もかかるのでやめたほうがいいです」という状態です。クリエイティビティの余地がない。

 

斎藤

戦略としてはどうしますか?

 

竹山

これをチャンスに官僚と組んで自分たちの利権を広げようという動きもあるようです。そこに突破口を開いてリーダーシップをとるのは学会しかない。それから,教育の面で一番若年層まで広がってるのは学会ですから,鉄は柔らかいうちに打てということで学生の意欲を掻き立てるという意味で,斎藤先生はいいビジョンをお持ちだと思います。

 

布野

仙田満会長のとき,「建築家協会と間違えてるんじゃない?」という印象がありました。もともと建築学会も建築家協会,つまり建築家の集まりということで出発してるんですけどね。。。学会長と協会長の両方をやられたのは芦原先生と仙田先生だけなんじゃないですか。関西はそれほど人材がいないので,学会も建築士会も建築家協会もみんないっしょにやっていると聞きました。地方に行くともっとそうでしょう。建築家協会に入ってると,エリートという感じでしょうか。去年1年間,山本理顕さんと国交省の委員会で,イギリスのCABE(Committee for Architecture and Built Environment)のようなデザインレビュー組織をつくってタウンアーキテクト制を推進しようという話をしました。今年から1億5千万円を街づくりに配るという制度ができたんですが,配分する委員会の委員は建築家協会,建築士会,事務所協会という業界団体になってしまった。地域で決めるというのとは違います。

 

竹山

最近出席した建築士会の会合で,藤本昌也会長が士会でみんなもらおうと檄をとばしてましたよ。(笑)

 

布野

私が97年にアーバンアーキテクト制といったときも藤本先生が出てきてました。

 

大崎

中立を保てるのは学会しかないということですね。

 

斎藤

建築基本法なんかも,うまくやればいいんだけど,結局定量的なことが入って韓国とかと違う,役人向きになってしまうかもしれない。学会でも神田順さんなんかがずいぶん前からやってて,いい骨格ができ始めたのに,いいところだけ国に吸い取られて,形を変えてくるとか。こういうことに対して,学会はもっと発言しないといけない。いい議論をして建築を文化にしていくのも学会の役目だと思います。そのために,市民に声が届くための方策を考えないといけない。

 

布野

副会長になった辻本誠さんと,各特別委員会などの発表を,NHK解説委員の前でやるべきじゃないかという話をしてます。業界誌ではなくて,一般誌を呼んで記者会見をしたらいい。

 

大崎

学会では定期的にプレスリリースをしてますか?

 

布野

してるけど一般誌はこない。

 

斎藤

今年度の最初の記者会見の時に,一般誌の新聞記者がいて,専門誌ではなくて我々が取り上げられるような魅力的なことをもっとやってくれないとこまる,と言われたそうです。

 

布野

東国原知事じゃないけど,もっとメッセージ性のあることをやらないと。

 

斎藤

布野さんがそれをやってくれるはずだったんけど。。。今日はそれを一番大きい声で言いたい。(笑)

 

大崎

御用学会とまでいわなくても,学会で主導的な立場におられる先生も国の委員会や審議会に呼ばれたら参加するでしょう。

 

布野

建築基本法も国では重視してないけど,理念法だけだと心配です。

 

大崎

だから,中立性を保って良いとこどりをされないためには国とは一線と画さないと。

 

布野

それは,建築センターに使われるのが良いとか,悪いとか積年の問題でしょう。

 

斎藤

でも,組織としては,事務局に天下りがいないというのは建築学会だけです。団体や組織を背負っているという鎧をすてて,個人の純粋性が必要です。そのような意味で,私はちょっと硬いけど「建築学」という言葉を使ってます。建築学というと,構造,環境,計画ということもあるけど,もっと広い意味で,本来あるべき建築が見えるかたちで意見がでていったらいいなと。

 

構造設計

 

斎藤

構造設計は「技術」だから,「科学」とは違うわけで,科学的に計算すれば結果が出ると考えると,ものを設計する技術にはつながらないですね。だから,「建築学」の視点からいろいろ考えないといけない。「科学」と「工学」があれば「技術」ができるというようなことはなくて,科学も工学もない時代から技術は連綿とつづいてます。世界遺産もそうだし,日本の匠の世界もそうです。だから,科学と工学を技術にするためには人間が必ず介在しないといけない。それを飛ばして,数値化すればよいというのでは,これからできる建築基本法も危ういものがあるので,それにうかうか乗らないように議論していかないといけません。

 

竹山

構造設計でも,安藤忠雄のようなスターが出てくるといいです。ピーター・ライスとか,たとえばセシル・バーモントが来ると,すごい数の学生が聞きに行きますね。日本では,斎藤先生をはじめ何人かおられますが,セルフプロモーションが十分じゃない。

 

諸岡

アーキテクトの横に構造設計者の名前が併記されるようにならないと,建築の学生でさえ,構造設計者の名前を知らないですよね。

 

竹山

たとえばカーサ・ブルータスに取り上げられるような構造設計者がいないといけないのかも。(笑)安藤忠雄みたいに。

 

諸岡

昔は11PMが目標でした。

 

大崎

構造設計一級建築士ができて,名前が出るようになりますね。

 

斎藤

規模によってですが。それから現場の看板には出るかもしれないね。

 

高木

それは申請上の手続きであって,パブリックに公表されるわけではない。

 

大崎

アーキテクトが構造設計者の名前を出したがらないということではないですか。

 

竹山

そんなことはないでしょう。でも,アラップのイギリスとは違って,制度上は,構造設計者は設計事務所からの外注で仕事をしているから,外から認知されにくいということはあるかもしれません。イギリスなんかは直接契約ですから。

 

斎藤

でも,ピーターライスとかノーマンフォスターの名前が出るという話は,制度上の問題とは違って,そのプロジェクトで,かなり重要な役割を果たすからです。そうすると,自然と名前が出てくるんですね。シドニー・オペラハウスでも,ウッソンの名前は分からなくても,アラップといえば分るじゃないですか。だから,プロジェクトの内容とか進め方とか素質の問題だと思う。仕事をとるときはアーキテクトが出向いていくというのは仕組みの問題ですね。でも場合によっては,川口衞先生が橋の仕事をされたようなケースもある。ピーターライスの名前が出たというのは,組んでたアーキテクトが,そういう構造設計者を必要とするというプロジェクトが多かったということですね。

 

竹山

ピーター・ライスが全盛のときは,コンペの時にどのアーキテクトが先に電話をするかという感じで,ピーター・ライスの取り合いだったと聞いています。今の日本の若い人でも,どの構造設計者と組めば,たとえば佐々木睦朗と組めば面白い仕事ができるかということを考えているみたいです。そういった情報交換もアーキテクトの間でやりますよ。

 

斎藤

日本でも優秀な構造設計者は,若手であってもアーキテクトが評価してますね。ちょっと変わったことや新しい試みをしようとした時に,どの構造家に依頼するかを考えるのは最近の風潮ですね。

 

布野

陶器浩一さんも売れっ子で,5件ぐらい同時に9月着工です。

 

竹山

妹島和世さんも,構造設計者が変わると面白い仕事ができているような感じです。今の若いアーキテクトの気分を,一般の人も共有できれば,構造もまた文化ということになるんでしょうね。

 

斎藤

単に構造計算する人と,クリエイティブなことをする人を見分けるというのは,業界の中ではできてる。組織事務所やゼネコンでも,面白いことのできる人は,評価されてるみたいですね。エンジニアの名前は出にくいけど,そのような人が関わることのできるプロジェクトがもっと増えて表に現れれば,若い人も含めて,コンピュータだけでなくて人間が介在することによって建築は面白くなるんだということがわかってもらえる。教育の問題でもあるんだよね。講義でどのように紹介してるかとか。

 

諸岡

著名なアーキテクトの本ではなく,著名な構造家の作品を集めた本というのは可能でしょうか。

 

竹山

もちろん可能でしょう。しかもそれが売れるような世の中にしないといけない。

 

諸岡

どっちが先かということですが。出さないと売れないし。。。

 

高木

木村俊彦先生の本はありますね。

 

布野

一般に本は売れないしね。

 

建築と文化

 

布野

学会に話を戻せば,学会活動を点数稼ぎと考えている先生が多いように思います。研究協議会のパネリストになるとかが目的で,斎藤先生のいわれるような建築を愛するという発想は全くない。

 

斎藤

それは業績評価と関係しますね。アーキテクトの業績を大学でどのように評価するか。それを学会がもっと発信して,建築の先生が論文以外の設計とかソフトの面で評価されるべきだという意見を出すべきだと思う。建築デザイン発表会はそのために提案しました。アーキテクトの発表を活性化しないと建築学科がダメになります。

 

布野

構造の先生がそう言われるのも面白いですね。

 

斎藤

やろうと思えば学会にはいろんな可能性があるなということを2年間で感じました。あるプロジェクトやアイデアに社会性があれば,企業も大学も協力してくれます。

 

竹山

アーキニアリング・デザイン展はいろんな職能団体が相乗りですか?

 

斎藤

協賛です。お金は出さないのが一般ですが,JSCAだけは応援してくれました。

 

竹山

昔アーキテクチャーオブザイヤーというのがあって,僕も委員に入ってたけど,初めて5団体が協賛したそうですね。お金がなくなって終了しましたが。木村俊彦先生が全体のコーディネータをされたのが最後でした。

 

斎藤

池袋でやったときですね。

 

竹山

その時に,阪神大震災があって構造や地震について何か発言するようなテーマにすべきだし,そのようなコーディネータを選ぶべきだと言って,木村先生になったんです。それまでは丹下さんや篠原さんといったアーキテクトがその年の10作品ぐらいを選んで展示するということでした。でも木村さんになって違うテーマになった。結局,バブルもはじけて寄附が集まらなくなって,終わりになりました。

 

斎藤

模型も壮大なものでしたね。

 

竹山

あのときには一般の人もすごく入ったんですよ。アーキニアリングにしても,一般の人に来てもらおうとすると,テーマにしろメッセージにしろ何かいいえさを投げないといけないですね。結局,ちまたで売れてるのは「間違いのない家を建てるために」とかの本ですから。

 

布野

でも,安藤忠雄なんかが言ってるのは普通のことですよ。

 

竹山

安藤さんなんかは,確信犯的にポピュリズムのど真ん中の分かりやすいメッセージを出して,自分で興業を打ってるわけです。一般の人がそれに飛びつく。構造設計者についても,姉歯事件で,いろいろな種類の人がいることがわかったわけだし,構造設計を楽しい教養として一般の人が理解するような文化が生まれるかどうかですよ。イタリアなんか田舎の町に行っても,建築とか都市の話をやってる。日本ではどのマンションが安いかとか,どこのゼネコンのマンションだったら後で高く売れるかというような話ばかりです。

 

斎藤

文化になってないよね。

 

斎藤

オープンアーキテクチャを五十嵐太郎さんがやってますが,地方にいくと,地域の人を巻き組むようなことがやりやすいのではないですか?

 

竹山

京都でJIAが中心になって,「京都の町に根付いた建築」というテーマで,40人ぐらいの建築家の展覧会を,旧日銀の京都博物館でやって,結構一般の人が来ていましたね。京都のような町でちょっと興味のある人が来やすいところで展覧会を無料でやると,週末にいっぱい人が来ます。

 

布野

それは不思議ですね。京都でシンポジウムをやると,全然来ない。シンポジウムは大阪のほうが集まる。

 

大崎

なぜですか?

 

布野

京都は,某先生がやってるのは行かないとか,難しいんです。

 

諸岡

構造の話が分かるような子供向けの絵本のようなものがあればいいですね。建築については高松先生の絵本などがありますが,構造については川口衞先生の「建築の絵本」しか思いつかないです。

 

竹山

最近2カ月に1回ぐらい住まいのクリニックという催しを,エンジン01文化戦略会議で今川憲英さんと一緒に全国行脚してます。構造については難しいですね。数式が出てくると,とたんにみんな寝てしまいます。一般の人は,定量的でなく,定性的な話を聞きたいわけです。だいたい,鉄筋コンクリートと鉄骨の違いが分からない人も多いんですから。

 

布野

学生と同じですね。

 

竹山

非常に下世話な話になりましたが,でも,一般の人が建築を文化としてとらえるようになってくれるように盛り上げるしくみは,学会が中心になって取り組むべき課題だと思います。

 

大崎

子供から教育していかないといけないですね。高校生ぐらいからでも,建築を志望する人が増えるかもしれない。デザイナーより構造設計者のほうが人不足ですね。

 

高木

構造設計より設備設計のほうが足りないと聞いています。とくに電気系。

 

構造設計教育

 

竹山

京大の構造設計教育ってどうですか。

 

布野

教育してないでしょう。

 

竹山

設計演習には参加してもらってますが。そもそも学生たちに構造の基本的なセンスとか素養がないんだけど,構造の先生も,コンクリートだったらスパンの1/10, 鉄骨だったら1/15とかしか言わない。もっと実務に近くて面白いことをやってくれる先生がいるといいですね。

 

大崎

でも,この前,「ここに柱がいるよ」と言ってあげて,学生が素直に柱をつけたら,講評会で,デザインの先生に「なぜこんなところに柱があるんだ」とお叱りをうけていたのを見て,指導する意欲がなくなりました。(笑)

 

布野

西澤英和さんは,設計演習で図面見て,どうとでもなるといつも言ってたよ。「ここに柱がいるんじゃないの」と僕が心配したぐらいです。

 

竹山

京都大学がアピールするためには,スター構造設計者が必要です。教育にはいろいろなやり方があって,直接教えるのも大事だけど,背中をみて学ぶというのもあります。柱云々というようなことと違うところを伸ばしたほうが良い学生もいれば,しっかり設計することを教えたほうが良い学生もいる。せっかく構造の強い京都大学で,構造のスーパースターがいてほしいな。

 

大崎

京都大学は研究者も育てないといけないし,難しいですね。構造デザイナーを養成するという教育はしていない。

 

諸岡

でもベースはしっかり教えているので,構造設計事務所に就職しても,そこの先生とは違う独自のことを提案できる。

 

高木

設計演習を教えてて,これで建つかと聞かれたら,たいてい何とかなるんじゃないですかという答えになるんですが,そのことで余分にお金と労力がかかるので,どうしてもそれをやりたいということを説明してくださいよと学生に教えてます。経済的観点を持ち込まないと,実務的な設計演習にはならないでしょう。

 

布野

こんなに柱が太くなるよということでしょう。

 

高木

もちろんそうです。プロポーションの話もあります。

 

斎藤

でも,大事なことは,やりたいことがあった時に,答えは無数にあるわけでしょう。素材とかコンストラクションとか。それで目指すものをどのように実現するかということまで見せてあげないと,本物の構造デザインの教育にはならない。

 

高木

それは教える学年にも関係して,建築のことがわかってくれば,そのような話をするのもいいんです。

 

竹山

2回生にも,広い意味のデザイナーとアーティストの違いを説明しています。アーティストは自分で自分のためにものをつくり,デザイナーは,社会のため,ひとのお金でひとのために作るので,責任がある。勝手なことをやるな。「こんなことやりたい」ではなく,「こうやるべきではないかと思います」と言うように。君のこの変てこりんな形は社会に認知されるか,誰かがお金を出して作ってくれるか,お金を出してもらうためには,説得力が必要であり,なお価値を共有してもらわなければならない。それがデザインだ,と。このようなことは,2回生でも分かります。

 

布野

最初の設計を見るのは好きです。それで能力が分かったりします。一般に授業を聞いていくとだんだん下手になる。最初に輝いてたことを貫く子が結局活躍してます。

 

斎藤

知識だけが増えるとだめになる。建築家のプロの世界でも同じかもしれない。

 

布野

儲かっていっぱい設計しだすとだんだんつまんなくなる。

 

斎藤

あやしくなって踏み越えてはいけないところに行っちゃったり。

 

布野

高崎正治は,造形センスは2歳ぐらいまでに決まるという。4歳ぐらいになると,粘土細工をしてて「家に見える?」みたいにお母さんの顔を見るようになって,全然面白くなくなる。

 

竹山

高崎さんは僕とは違う種類の人だと思ってて,馬鹿みたいに高いのをつくります。坪400万と聞いたので,「そんなの建てる人がいるの?」と言ったら。「安いよ。彫刻なんて坪いくらだと思う?」と言われました。藤森照信さんは,坪80万は普通の建築,90万はまずまずの建築,100万超えたら建築家の建築といって,坪100万以上取る。

 

布野

何時ごろの坪単価の話なの?

 

竹山

少し前かな。僕は坪60万と思ってたからそういう説得の仕方もあるのかと思いました。でも,納得する人だったら,坪100万でも200万でもいいわけでしょう。だから,説得力のある学生は別のレベルで生きるかもしれない。

 

高木

僕の場合は設計理論のレベルが低いので,こんなんじゃだめだといいながら,学生がいろいろ言ってくると,それじゃ構造的に何とかしようかと考えたりして。

 

竹山

シドニーのオペラハウスもずいぶんお金と年月をかけたけど,完成したらみんなお金のことは忘れてしまうから。

 

斎藤

結果的には集客力もすごいので元は取れてるし,社会資産になった。一般的なことをいうと,アーキテクトにもピンキリというか,スター建築家から,基本的なことができる人までいるわけです。構造というのはもっとそれが激しくて,基本は健全な設計ができるということですね。まずは安全を守るということを教育するのが大事です。その中で,何らかの素質や才能がある人が,何年かに一人現れるというのが構造の世界だと思う。みんなが創造的になるのは無理な話だけど,建築や空間の質とかに関わるような仕事があるんだよということは教えないと。コンピュータの魅力は大きいけれど,その魔力に負けないように,個人の力によって何ができるかという展望が開けるような教育が必要です。

 

大崎

座談会テーマの「構造設計者の夢と現実」に関して十分に議論できたか自信がありませんが,時間もオーバーしてますので,構造教育が重要だということで,traverseにふさわしい結論で締めさせていただきます。有難うございました。

 

平成217月,建築会館会議室

 

 

 


2026年1月13日火曜日

國松孝男(代表)・布野修司/松岡拓公雄/秋山道雄/三田村緒佐武/倉茂好匡/野間直彦/増田佳昭/岡野寛二/須戸 幹/岩間憲治/他,滋賀県立大学特別研究,琵琶湖自然共生流域圏の構築ー宇曽川流域圏モデルー,2009年3月

 國松孝男(代表)・布野修司/松岡拓公雄/秋山道雄/三田村緒佐武/倉茂好匡/野間直彦/増田佳昭/岡野寛二/須戸 幹/岩間憲治/他,滋賀県立大学特別研究,琵琶湖自然共生流域圏の構築ー宇曽川流域圏モデルー,20093

2007年度-2008年度 滋賀県立大学特別研究報告書

琵琶湖自然共生流域圏の構築―宇曽川流域圏モデル―

國松孝男(代表)/

布野修司/松岡拓公雄/秋山道雄/三田村緒佐武/倉茂好匡

野間直彦/増田佳昭/岡野寛二/須戸 幹/岩間憲治/・・・・・・

 

 1 最終報告書は、出版計画を中に含み込む形とし、三部構成とする(案)。第Ⅱ部を出版の核とし、必要に応じて、Ⅰ部、Ⅲ部の原稿を出版計画に取り込む。

   第Ⅰ部 原像と現況 

   第Ⅱ部 諸問題とその分析(対応含む) 國松監修(出版計画)

   第Ⅲ部 構想・構築(創生・再生) 

2 研究費は、20万×5名(布野修司/松岡拓公雄/秋山道雄/三田村緒佐武/倉茂好匡)=100万+その他40万(報告書印刷費含む)を目安とする。

3 各原稿(論文)は、10頁(1p 2000字)を標準(特に第Ⅱ部、出版予定の原稿)とするが、自由に設定していい。

4 最終報告書の編集を軸として、議論を行い、必要に応じて1~2回研究集会を行う。目次仮案の確定まではメールで審議を行う。

5 締切は、12月末、3月上旬に採集報告会を行う。

 

目次(案)

はじめに

宇曽川流域をモデル流域圏として,湖東山系から琵琶湖に至る自然共生流域圏の構築のための基礎的知見を得るために、特に際(きわ)に焦点を当てて自然と地域のあり方について学内外の研究者・機関との共同研究の萌芽を形成することを目的とした。山ぎわについては,ナラ枯れの進行が森林渓流の水質に与える影響を解明するとともに,里山牧場による里山の活用と獣害対策の実用化、タケの有効利用技術に関する基礎研究を行う.水ぎわについては、コウノトリand/orトキが棲みつける流域圏空間の自然再生の基盤になる、水田稲作の通年湛水・不耕起栽培による米生産と水質保全効果を実証する。

さらに、新たに自然共生流域圏創生のモデル流域圏を宇曽川流域に設定して、象徴としてコウノトリand/orトキが棲みつく自然再生のあり方について、学部横断的総合的研究を行う。流域圏の自然再生にかかる研究は分散的には本学をはじめ多数取り組まれているところであるが、湖東山系から琵琶湖岸までの宇曽川流域圏を共通のモデル流域圏とすることによって、分担研究者を相互に連絡・連携させ、具体的改善策につなげる研究とする。

そのために宇曽川流域をモデル流域圏として,湖東山系から琵琶湖に至る自然共生流域圏の構築のための基礎的知見を得るために、特に際(きわ)に焦点を当てて自然と地域のあり方について学内外の研究者・機関との共同研究の萌芽を形成することを目的とした。山ぎわについては,ナラ枯れの進行が森林渓流の水質に与える影響を解明するとともに,里山牧場による里山の活用と獣害対策の実用化、タケの有効利用技術に関する基礎研究を行う.水ぎわについては、コウノトリand/orトキが棲みつける流域圏空間の自然再生の基盤になる、水田稲作の通年湛水・不耕起栽培による米生産と水質保全効果を実証する。

 

 総(序)論 自然共生流域圏の構築                        国松孝雄

 第Ⅰ部 自然共生流域圏の原像と現況―宇曽川流域圏の歴史的形成―         担当 布野

     1 環境動態
          1-1 地形・地質(倉茂)

1-2 水環境(丸尾・後藤)
      2 生物・生態
          2-1 水生植物(浜端)

2-2 魚(沢田、岩間)

2-3 植生(野間)
   

   3 土地利用(布野研究室): GIS―現況図をDVDで付す        

      

  第Ⅱ部 琵琶湖集水域の諸問題

1 森林を蝕むナラ枯れの水質影響(國松・岡村・籠谷)

2 棚田と畜産を救う里山牧場の展開(岡野・岩間)

3 獣害対策技術とその普及(野間)

4 タケ・間伐材の利用-飼料化の可能性(岡野)

5 森林のメタン吸収の評価(籠谷)

6 水田のメタン放出量の評価(小谷)

7 通年湛水不耕起栽培による水質保全・自然共生型水田の可能性(國松・中江)

8 琵琶湖の農薬汚染の実態と自然再生(須戸)  

 

  第Ⅲ章 自然共生流域圏の構築(創生・再生)

1 水ぎわの自然再生(三田村) 琵琶湖再生の哲学

流域圏の水田から河川-琵琶湖湖岸に繋がる水際・湿地帯の生態系の水質改善機能を評価し、生物多様性を維持・向上させるための修復の基本的課題を明確にする。

     2 湖岸の保全と森林管理(倉茂)

近年、琵琶湖はヨシ地の後退、固有種の減少、湖岸・砂浜の浸食など水際生態系は大きなダメージを受けている。水際生態系のダメージは湖岸の浄化機能の低下を来すと考えられるので、その主因と推定される河川改修・治山事業などによる土砂供給の減少を定量的に評価する。

3 水草帯の再生と水質(浜端)

4 農業濁水問題と環境教育(増田)

宇曽川流域で作業日誌の記録やアンケートなど農業者の協力も得ながら、流出メカニズムの解明と対策の検討を行った。その結果、農業濁水流出には前後2回のピークがあるが、1回目のピークは主として主として耕土のひび割れなど代かき前後の土壌の物理的状況に強く依存し、2回目のピークは土壌物理的状況に加えて人為的な「落水」のによるところが大きいことがわかった。それとともに、これらが水田作業の土日集中という兼業農業構造と強い関連があることもわかった。流出前対策を基本に、経済性を意識した、複数の手段の組み合わせによるより効果的な対策が求められる。

5 琵琶湖自然共生流域圏の水利用ビジョン(秋山)

宇曽川河口の沿岸域を中心に愛知川から矢倉川までの沿岸域を対象として、沿岸域再生のビジョンを構想する。曽根沼や野田沼などの内湖を中心に、市街地の拡大による沿岸域の改変や湖岸堤の建設による沿岸域の改変も視野に入れ、自然景観の変貌と文化景観の創出を統合して捉える方法を検討しつつ、沿岸域再生のあり方を考察する。(秋山)

6 自然共生田園都市の形成計画(松岡・布野)

宇曽川河口の沿岸域を中心に愛知川から矢倉川までの沿岸域を対象として、沿岸域再生のビジョンを構想する。曽根沼や野田沼などの内湖を中心に、市街地の拡大による沿岸域の改変や湖岸堤の建設による沿岸域の改変も視野に入れ、自然景観の変貌と文化景観の創出を統合して捉える方法を検討しつつ、沿岸域再生のあり方を考察する。






布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...