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2024年6月1日土曜日

再開発の21世紀像を問う 伊東豊雄・藤本壮介・平田晃久・佐藤淳『20XXの建築原理へ』、書評、共同通信、200911

  東京都心の一等地、伊東豊雄の事務所の隣にあった病院が再開発のために壊された。築40年、老朽化したとはいえ、いまだ十分使用に耐える建物が無残に打ち砕かれ、日ごとにがれきの山と化していく姿を見て、建築家の心は痛んだ。更地となった敷地には、やがて、高層住宅やオフィスビルが林立するであろう。これでいいのか。本書は、世界的に著名な建築家のごく素朴な自問から始まる。

 建築家は、同じ敷地に架空のプロジェクトを立ち上げ、三人の新進気鋭の建築家を招集する。そして、一年にわたる濃密な議論の末に提案がまとめられた。それを評価する討論には、日本を代表する二人の建築家を招いた。この一年の議論の全過程を記録したドキュメントが本書である。

 小著ではあるけれど、建築をめぐる最も知的で良質な議論がここにある。そして建築の原理と手法をめぐる真摯な思索と提案がある。

 半世紀前、本書の若手と同じ年ごろの若い建築家たちが、先を争って次々に都市プロジェクト(「塔状都市」「海上都市」「垂直壁都市」…)を発表したのを思い出す。1960年代の日本は高度成長を続け、提案はさまざまに実現していった。その末が、われわれが現在目にする高層ビルの林立する風景である。架空のプロジェクトが目指すのは全く異なった都市の風景である。

 若い建築家たちの提案は一見、かたちをもてあそんでいるように見える。しかし、追求されるのは全く新たな環境と建築との関係なのである。あらかじめ拒否されているのは、全体を経済原理によって一元的に決定するシステムである。「巨樹」のような建築、「山」のような建築、自然と共生する生命体のような建築が共通に目指されているように思える。

 身近な環境を見つめなおすことで、日本の建築のあり方が大きく転換していく、そんな予感が本書にはある。問題は、しかし、その先にある。若い建築家たちのこの思考実験が数多くに共有され、具体的なプロジェクトに実際に生かされていくことを期待したい。(布野修司・滋賀県立大教授)

 (INAX出版・2205円)


新潟日報 20091108
福井新聞 20091101

2023年8月16日水曜日

パダン歴史地区文化遺産復興支援報告書、Shuji Funo,Yasushi TAKEUCHI et al (2009),Report to UNESCO Jakarta, Damage Assessment on Cultural Heritage in West Sumatra,National Research Institute for Cultural Properties, Tokyo,December 2009

Shuji FunoYasushi TAKEUCHI  et  al (2009)Report to UNESCO Jakarta Damage Assessment on Cultural Heritage in West SumatraNational Research Institute for Cultural Properties TokyoDecember 2009

パダン旧市街の歴史的街並み復興計画のための指針および行動計画

Some Recommendations toward the Rehabilitation Programs and Action Plan of Historical Landscape in Kota Lama Padang

都市景観(歴史的文化遺産)の継承と地域コミュニティの再生

Conservation of Urban Landscape (Historical Cultural Heritages) and Revitalization of Community Lives

日本専門家チーム

布野修司(滋賀県立大学)

竹内泰(宮城大学)

 

Ⅳ 復興地区計画のための指針と行動計画

 都市全体のマスタープラン、都市構造に関わる計画については別として、ここでは市街地の復興、地区レベルの復興について、街並み景観を文化遺産として捉える視点から、その指針、理念と具体的行動計画をまとめてみたい。

  震災復興については、住民の生活再建が第一である。そのためには住居に大きな被害を受けた住民については、早急に居住のためのシェルター(空間)が用意される必要がある。今回の調査では、詳細なデータは得られていないが、被災した住居に自力で応急措置を加え、そのまま住み続けるかたちが数多くみられた。完全に倒壊した住居の場合は、居住者は血縁地縁を頼って一時避難するかたちがとられており、パダン市内においては応急仮設住宅はほとんどみられない。被災建物にそのまま住み続ける住民に対しては、まず、安全・安心、快適な生活のための措置を講ずる必要がある。また、一時避難をしている層に対しては住宅再建のための道筋を講ずる必要がある。いずれにしても、従前の生活を従前の居住地で展開できるようにする生活再建プログラムが出発点である。実際、調査期間中においても日々住宅再建が行われ、被災地の景観は日に日に変わりつつある。

 

1 指針

1 コミュニティ主体の復興計画

復興を全て公的な援助に頼ることはできないし、財政の問題もあって現実的ではない。しかし、被災者が自力で復興に取り組むには限界があるし不可能である。また、こうした復興をすべて自助にゆだねることは公的責任の放棄である。ただ、国、自治体が各個人の、また各地区の事情や要求に細かく対応することができないとすれば、復興計画の主体として考えるべきはコミュニティであり、コミュニティによる共助がベースとなる。パダンのアーバン・コミュニティにはそうした相互扶助の精神と仕組みが維持されている。

2 参加による合意形成

 復興計画の立案、実施に当たっては地区住民の参加が不可欠である。計画に当たっては様々な利害調整が必要であり、地区住民の間で合意形成がなされなければ、その実効性が担保されない。コミュニティは、地区住民の参加による合意形成をはかる役割を有している。

3 スモール・スケール・プロジェクト

合意形成のためには、大規模なプロジェクトはなじまない。身近な範囲で復興、居住環境の改善をはかるためには、小規模なプロジェクトを積み重ねるほうがいい。

4 段階的アプローチ

すなわち、ステップ・バイ・ステップのアプローチが必要である。実際、被災地では、様々な形で自力で復興がなされつつある。個々の動きを段階ごとに、一定のルールの下に誘導していくことが望まれる。

5 地区の多様性の維持

地区に地区の歴史があり、また、住民の構成などに個性がある。復興計画は、地区の固有性を尊重し、多様性を許容する方法で実施されるべきである。すなわち、市全体に画一的なやり方は必ずしもなじまない。

6 街並み景観の再生:都市の歴史とその記憶の重要性

地区の固有性を維持していくために、歴史的文化遺産は可能な限り復旧、再生すべきである。阪神淡路大震災の場合、被災した建物の瓦礫を早急に廃棄したために、町の景観が全く変わってしまった地区が少なくない。都市は歴史的な時間をかけて形成されるものであり、また、住民の一生にとっても町の雰囲気や景観は貴重な共有財産である。人々の記憶を大切にする再生をめざしたい。

7 コミュニティ・アーキテクトの活用

復興地区計画のためには、コミュニティ住民の要望を聞いて、様々なアドヴァイスを行うまとめやくが必要である。既に、地元大学の教官と学生たちが現地にオフィスを開いて住宅相談にのるヴォランティア活動を行う例が見られるが、そうした人材を各地区に配置する仕組み、援助の仕方が望まれる。

これからはスクラップ・アンド・ビルドだけではなく、建物の寿命を伸ばすことが必要だとされる時代である。建設資材の再利用を積極的に行い、補修、再建技術の蓄積を行うべきであったという反省もある。

 

2 行動計画

 以上のような指針も、具体性を欠いては意味がない。問題となるのは、予算であり、人材である。以下に、しかし、できることから一歩ずつ進めるというのが以上の指針である。以下に、パタン旧市街の復興計画についていくつかの具体的行動計画を示したい。

ここで復興計画の主体として念頭に置くのは、パダン市など自治体とコミュニティ組織であり、中央政府の各部局がそれをサポートする体制である。それらが立案する以下の行動計画を、UNESCOなど国際機関、文化遺産国際協力コンソーシアム、JICAなど各国政府機関、NGOグループ、国際ヴォランティア・グループ、インドネシアとの大学間交流など様々なレベルの協力体制が支える、というのが前提となる理想的なスキームである。また、行動計画を提案するのは、旧市街でも、具体的に焦点を当てているのは、今回調査を行った歴史的建造物が集中するバタン・アラウの周辺地区である。

 

A 緊急対策

    住宅修復・再建技術基準・マニュアルの作成:住宅補修・修復・再建の方法について、基準を早急に検討し、わかりやすいマニュアル書をいくつかの事例を含めて作成(画一的な手法ではなくオールタナティブを示す)、被災居住者とともに建設関連業者にアピールし周知徹底することが必要である。特にレンガ造建物の補強が必要である。日本はレンガ造建物は採用してこなかったこともあって、その補強方法についての経験はほとんどないが、いくつかの方法について提案することは可能である。住宅補修・修復・再建の手法は、単に、応急的対応だけではなく、建物を維持管理していくためにも恒常的なシステムとしても必要とされる。補修・修復の現場施工グループが組織されることが、将来の街並み景観の維持システムにもつながる。住宅補修・修復・再建は、経済対策ともなりうる。至急、住宅補助の制度を実行に移す必要があるが、可能であれば①の住宅改善指針の徹底とリンクするのがベストである。

    重要歴史的建造物のモデル復元:震災後に復元すべきとされる7つの重要建造物のなかに、街並み景観に関するものとして、ショップハウスRukoが2軒(Bola DuniaEs Kompto)含まれている。この復元を①のモデルケースとすることが推奨される。これまでの建築文化を継承しつつ、構造的検討を加えた新しい型の創出を目指す。

   景観形成地区の制定と建景観築ガイドラインの作成:①②とともに、また先立って、各地区の将来像を描く必要がある。パダン市は1998年に、市条例として街並み景観の保存維持することを定め、具体的な地区(バタン・アラウ、カンポン・ポンドック、パサ・ガダン)を挙げている。しかし、具体的なアクションを起こしてきてはいない。まず、重要景観形成地区を指定し、その地区について、街並み景観に関わる高さ、形態、使用建材などについて緩やかなガイドラインをもうけたい。また最低限の建築規制を法制化(高さ、構造基準)したい。

   地区の景観イメージの作成:中長期計画にとって、必要とされるのは地区の将来イメージであり、その方向性については可能な限り早期に合意形成する必要がある。指針の1 コミュニティ主体の復興計画2 参加による合意形成を展開したい。また7 コミュニティ・アーキテクトの活用を考えたい。

 

B 中長期計画

    被災指定歴史建造物の積極活用:②には含まれないけれど、国のレベルで歴史的文化遺産として指定された建造物の多くが被害を受けている。こうした建造物については、復元そのものを目指すのではなく、コンヴァージョンも含めた様々な保存活用が図られるべきである。例えば、バタン・アラウ沿いには多くの被災建物があるが、ウォーターフロントを生かした再開発の潜在的可能性は大きいと考えられる。

    共同建替、地区再開発の検討:比較的余裕のある住民の中には震災によって、移住を決断し、宅地を手放すケースが既に見られる。土地および住民の流動化によって、地区が大きく変化していく可能性がある。また、一方、集合住宅や連棟のショップハウス(店舗併用住宅Ruko)の場合、合意形成に時間を要して、復興が進まないことも想定できる。区画整理、土地のころがしRollingシステムによる宅地の共同化など新たな手法も含めて、パダン市の新たな景観資源、文化遺産となるような地区計画を考えたい。そのためには、例えば、ショップハウスなどいくつかの建築類型についてプロトタイプを設計し、そのビルディング・システムの開発を行う必要もある。

  世界への発信:生活再建のために、住宅再建から開始される復興計画であるが、鍵となり、目標となるのは、地区の持続的な活性化である。歴史的遺産を多く有するパダン旧市街の復興はそれ自体国際的な関心であり、復興過程そのものも国際的に注目されている。ミナンカバウをはじめ多くの民族が居住し育ててきた都市をどう復興するかどうかは、パダン市のみならず、西ジャワ州政府、インドネシア政府にとっても、国のアイデンティティに関わる極めて重要な課題である。復興計画によって、その方法と過程そのものが他のモデルになるよう期待したい。

 


 

2022年9月23日金曜日

現実とフィクションのあいだを建築的に論じる:映画的建築 建築的映画 五十嵐太郎,図書新聞,20090718

現実とフィクションのあいだを建築的に論じる:映画的建築 建築的映画 五十嵐太郎,図書新聞,20090718

布野修司

 

 題名に惹かれ、一端(いっぱし)の映画少年であった昔、年間200本を超える映画を見て過ごした、また、ドイツ表現主義映画の連続映写会(『カリガリ博士』『ゴーレム』『ノスフェラトゥ』『ドクトル・マブゼ』『ファントム』・・・・)・シンポジウムを開催したこともある学生時代を思い起こしながら手に取った。一読して、いささか後悔、評する資格がないと思った。なにしろ、取り上げられる映画のほとんどを見ていないのである。古今東西の映画がDVDやインターネットで見ることができる、本書はそうした時代の作品である。年間200本見たといっても、毎週土日にオールナイトで「ヤクザ映画」を5本見るといったレヴェルであり、そうした時代のことである。映画の成立する(映画(およびTV)産業が拠ってたつ、あるいはIT産業が用意する)メディア環境の大転換をまず思う。とても批評することは適わないのであるが、本書の概要を紹介して最低限の務めを果たしたいと思う。

 著者は、冒頭序に、映画(映像)と建築をめぐる言説の基本的スタンスの違いを整理してくれている。第一に、映画に登場する建築や都市を論ずるものがある。実在の都市・建築を取り上げるもの(飯島洋一『映画の中の現代建築』)だけでなく、第二に、架空の空間も論考の対象になる。建築が生活の舞台を用意し、都市景観を形成している以上、映画が実在の空間を舞台として用いるのは一般的なことである。現実の空間を形作る建築とそれを舞台として展開される映画は、必ずしもクロスするところはない。映画と建築をめぐってテーマとなるのは、どういう文脈で、映画の場所、舞台が設定されているか、建築がどういう象徴として、またどういう記号として扱われているかである。

現実の空間が舞台として設定される映画でも、セットが用いられる場合がある。これはもはやフィクショナルな空間であり、架空の空間もまた舞台とされる。舞台美術、セット技術、CGやアニメによる空間表現の問題がテーマとなる。著者に拠れば、『戦争と建築』『「結婚式教会」の誕生』に続く作品として、現実とフィクションのあいだを建築的に論じることをテーマとするのが本書である。

映像表現の問題としては、ここまでは古典的といっていい。あくまでも映画は何を表現するかである。なんとなく血が騒いで、S.クラカウアーの『カリガリからヒトラーまで ドイツ映画1918-33における集団心理の構造分析』(1947年)を思い起こして、本棚の奥からぼろぼろになった本を見つけ出した。映画が成立しつつあった過程の、まだ、トーキーがない時代の映画についてのすぐれた映像論である。F.ラングの『メトロポリス』で描かれた未来都市、架空の都市が、『ベルリン・アレキサンダー広場』に帰着する、見事な分析だと思う。映像表現は、時代の芯を捉えているかどうかが鍵である。

 続いて、著者は、映画と建築家の関係を三つに分類する。①映画の登場人物としての建築家(『摩天楼』1949、『冬のソナタ』2002)、②建築家のドキュメンタリー(『マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して』2003、『ヒトラーの建築家アルベルト・シュペーア』2005)、③建築家が自ら製作に関わった映像の三つである。①②は、しかし、「建築的映画」あるいは「映画的建築」というテーマと必ずしもクロスはしない。③は、建築家による自らの作品のプロモーション・ビデオが例として挙げられる。

 本書は、4部からなるが、以上のような整理に従うと、第4部が専ら①②③に関わる。『摩天楼』の他、ル・コルビュジェの『今日の建築』(1930)、イームズ夫妻の『パワーズ。オブ・テン』(1977)、シドニー・ポラックの『スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー』(2005)などが論じられる。おそらく、著者が最も興味を持っているのは第3部「架空の都市」ではないか。宮崎駿のアニメ作品、『新世紀エヴァンゲリオン』など、SFやアニメ作品が専ら扱われる。叙述は最も活き活きしているように思う。第2部「空間と風景」において、映像表現と建築空間の間が問われる。『ブレードランナー』『ブラック・レイン』ぐらいはついていけたが、大半は見ていないから、理解が及ばない点が多々ある。映像、建築、言語の表現の位相の差異を否応なく考えることになる。そして第1部「舞台と美術」では、小津安二郎作品、また美術監督種田陽平の手がけた作品を中心に、映画美術が扱われる。この第1部は、建築家にとっては最も親しい。映画のみならず演劇も含めて舞台美術(設計)は、建築の空間の設計と多くを共有しているからである。

 「映画的建築」というのは、映画のあるシーンを成立させる建築ということであろうか。空間に生起するある一瞬のシーンをイメージして設計するというのは建築家の基本的構えであり、映像作家と建築家はほとんど方法を共有しているといっていい。実際、すぐれた映画監督の絵コンテは建築家のスケッチやパース(透視図)と全く変わらないのである。本書では、美術監督の種田陽平や黒澤明映画の美術を担当した村木与四郎(『東京の忘れものー黒澤映画の美術監督が描いた昭和』)に触れられている。ただ、映像表現がシーンの不連続的連続(モンタージュ)を手法とするのに対して、建築空間は日常生活の時間と空間を引き受けなければならない。

 「建築的映画」というのは、単なる比喩であろうか。あるいは、映画のシナリオや映像が、建築が部材など各部の要素から組立てられるように構成される、具体的な手法についていうのであろうか。

小津安二郎の方法について、「日本映画に建築の方法をもたらした」というドナルド・リチーの指摘(『小津安二郎の美学』)が引かれている。「日本の大工が一定のサイズの畳や襖、同一の骨組みや横架材を使って家を建てるように、小津はいわば感情の基準寸法の映画を組み立てる時に、自分が使おうとする多くの画面のサイズ、そのイメージの輪郭を知っていたし、そしてこれらの画面はどの作品でも全く同じように繰り返し出てくるのである。」 「大工のように、・・・作品の仕上げに着手し、一連の構造上のアクセントとバランスで各場面をつなぎ、・・・完全な住居を作り出す」という「大工のように」は、職人芸といったレヴェルの比喩ではない。小津の場合、実際に映画において(あるいは映画の前提となる)空間を設計しているというのである。

 おそらく、映像によって空間を設計するといった小津映画のような「建築的映画」は、そう多くはないだろう。しかし、SF映画の場合、基本的に背景となる舞台は予め設計されるから全て「建築的映画」といっていい。本書で扱われる映画の多くがSF映画であり、アニメ映画であることは、著者の建築的関心からすれば必然でもある。「架空の都市」が1部を割いて扱われるのもよく理解できる。

 映画(演劇)と建築をめぐっては、集団的表現(制作)あるいは集団的想像力をめぐる問題、映画上映の空間(映画館あるいは上映スペース)の問題などをテーマとして思いつくけれど、本書の関心とは次元が異なっている。欲を言えば、映画の方法と建築の方法をより突き詰めて比較する論考が欲しかったように思う。 



2022年8月8日月曜日

基調講演「地域再生と建築の計画・設計:コミュニティ・アーキテクトの目標」,「私の考える日本のサステナブルエリアデザインとコミュニティ・アーキテクトー地域固有の空間形成,まちづくりの仕組み・手法とその担い手像ー」,サステナブルエリアデザインとコミュニティ・アーキテクト特別研究委員会,日本建築学会,2009年11月28日

 基調講演「地域再生と建築の計画・設計:コミュニティ・アーキテクトの目標」,「私の考える日本のサステナブルエリアデザインとコミュニティ・アーキテクトー地域固有の空間形成,まちづくりの仕組み・手法とその担い手像ー」,サステナブルエリアデザインとコミュニティ・アーキテクト特別研究委員会,日本建築学会,2009年11月28日