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2021年7月31日土曜日

見聞録06 空調を使わないビル エコ・オフィス  ムナラ・メシニアガ・ビル クアラルンプール郊外 建築家:ケン・ヤング

 布野修司 共同通信 学芸=見聞録 連載全21回 2000年8月~20024

  空調を使わないビル  エコ・オフィス

 ムナラ・メシニアガ・ビル クアラルンプール郊外 建築家:ケン・ヤング

 


 一風変わったビルだ。円筒形は珍しくないが、所々に窪みがある。よく見ると凹(へこ)んだ空間は螺旋状になっていて、空中に樹木が階段状に植わっている。低層部は半分芝生を植えた屋根で覆われ、屋上には模型飛行機のような形に鉄骨が組まれている。

 ムナラ・メシニアガ・ビル。マレーシアの首都クアラルンプールの中央駅から西南へ二〇分ほど行った郊外にこのビルは建っている。建築家はケン・ヤング。ケンブリッジ大学で博士号をとった学者建築家である。一九九〇年代初頭に彼の名を一躍有名にしたのがこの一四階建てのオフィス・ビルだ。

 一言で言えば、「空調を使わないビル」というのが思想である。いかに自然の風を取り入れるか、その工夫が螺旋状の通風階段である。屋根の鉄骨は輻射熱を防ぐ装置である。樹木や芝生は断熱効果を狙っている。理論的な裏付けをもった大胆な挑戦である。

 二〇年ぶりに訪れたクアラルンプールは思わず絶句するほどの変わり様であった。新都心には、世界一の高さ(四五二メートル)を誇るペトロナス・ツイン・タワー(シーザ・ペリ設計、一九九八年)が聳える。そして、思い思いの形を競うようにビルがにょきにょきと建っている。そうした中で、ケン・ヤングのビルは群を抜いている。二七階建てのセントラル・プラザ(一九九六年)、二一階建てのムナラUMNOビル(一九九七年)も、風の通り抜ける外部空間を大胆に取り入れる同じ思想に基づくデザインだ。

 高気密、高断熱というのが日本では常識である。しかし、空調を全く使わないとしたらどうか。ケン・ヤングのビルはひとつの方向を示している。圧倒的に人口が増え続ける熱帯地方で、クーラーが一般的になると大変なエネルギーが必要になる。しかし、それを指摘しながら、空調を使い続けるのは身勝手だ。日本でも地球環境時代に相応しい全く新たなビルが生み出されてしかるべきである。

 



➊仮設住宅の創意工夫 台湾のまちづくり最前線 伝統文化の継承 見聞録01,共同通信,200007

❷循環型の社会へ一戸の住宅から 石井の家 見聞録02,共同通信,200008

❸出島の復元  日蘭交渉400年 まちづくりの世界史 見聞録03,共同通信,200009

❹緑再生の巨大な実験 傷つけて癒す・・・建築の本質 見聞録04,共同通信,200010

❺出雲大社は一六丈あったのか 巨大木造建築の伝統 見聞録05,共同通信,200011

❻空調を使わないビル  エコ・オフィス 見聞録06,共同通信,200012


❼知られざるモニュメント  丹下健三の「動員学徒記念若人の広場」見聞録07,共同通信,200101

❽木匠塾の目指すもの  ざらざら,ぼこぼこの素材感 見聞録08,共同通信,200102

❾笑う住宅   くねって,捻(ひね)って,捩(よじ)って 見聞録09,共同通信,200103

❿縄文の森を埋め込む  屋上緑化 壁面緑化 見聞録10,共同通信,200104

⓫自然素材の魅力 誰でも建築家になれる 建築探偵の佳作,見聞録11,共同通信,200105

⓬建築の保存再生 建物を大事に使う時代へ 無闇に壊すな,見聞録12,共同通信,200106

⓭骨太の建築 斜めの空間 新たな空間を生み出そうとする悪戦苦闘 デコン(破壊)派の傑作!?,見聞録13,共同通信,200107

⓮バブリーなハーグの建築,見聞録14,共同通信,200109

⓯メキシコ・シティの再開発 タワーめぐり一騒動勃発,見聞録15,共同通信,200110

⓰超高層の危険隠した20世紀の「設計思想」ー何故ビルは一瞬で崩壊したか,見聞録16,共同通信,200111

⓱コレクティブ・ハウスの行方 新しい共同住宅のあり方を求めて 使われない共用空間!?,見聞録17,共同通信,200112

⓲巨大な「箱」に多様空間 はこだて未来大学,見聞録18,共同通信,200201 21

⓲土木デザインの新展開 都営大江戸線・飯田橋駅,見聞録19,共同通信,20020201

⓴古都にふさわしい建築とは 巨大マンション登場,見聞録20,共同通信,200203 11

㉑京都都心の惨状 林立するマンション 消えゆく町家 覆いがたい理念の分裂,見聞録21,共同通信,200204

 

2021年7月30日金曜日

見聞録05 出雲大社は一六丈あったのか 巨大木造建築の伝統

 布野修司 共同通信 学芸=見聞録 連載全21回 2000年8月~20024

  出雲大社は一六丈あったのか 巨大木造建築の伝統

  出雲大社の柱根

 


出雲大社の境内から、昨年、柱三本を束ねた巨大な柱の根元が発掘されて、いささか興奮している。出雲に生まれたこともあるが、日本の木造建築の伝統に伊勢神宮などは別の系譜がよりはっきりと見えてきたからである。仏教建築伝来以前の日本建築の古式を伝えるのは神社建築というが、その原型は必ずしもわかっていないのである。

 出雲大社(杵築大社)の言い伝えとして、古代には高さが三二丈、あるいは一六丈(四八メートル)あったとされる。現状は八丈だ。また、平安時代、天禄元年(九七〇年)に源為憲のつくった『口遊(くちずさみ)』に「雲太、和二、京三」とある。出雲大社が一番、二番が大和の東大寺大仏殿、三番が平安京大極殿という意味だ。東大寺大仏殿が一五丈だから、一六丈でもおかしくない。さらに、高すぎて度々転倒したという記録が残されている。建築史学の泰斗、福山敏男らによって復元案が作られ、技術的可能性も検討されてきた。

 今回の発見が衝撃的だったのは、柱三本束ねる形式が、出雲国造千家家に伝わる『金輪御造営差図』と同じだからである。柱を金輪で固めることは東大寺でも行われている。東大寺の場合、集成材だけれど、出雲大社は三本をそのまま束ねて豪快である。 

 『金輪御造営差図』には「引橋長一町」とある。一町は約一〇九メートルだ。これだけの階段が果たしてあったのか。過日、同じ大社造りの神魂神社(国宝、松江市)での結婚式に参列する機会があり、ふと思った。急な階段を上がって本殿がある。この階段を含めて考えると同じような形式となるのではないか。探してみると出雲には、急な階段の上の小高い丘の上に本殿を頂く形式が久武神社(斐川町出西)など他にもある。

 三二丈は本殿背後の八雲山だという説がある。しかし、一六丈の神殿はありうるのではないか。階段を支えた柱跡を掘ってみるわけにはいかないものか。




 

➊仮設住宅の創意工夫 台湾のまちづくり最前線 伝統文化の継承 見聞録01,共同通信,200007

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2021年7月29日木曜日

見聞録04 緑再生の巨大な実験 傷つけて癒す・・・建築の本質   淡路夢舞台 安藤忠雄

 布野修司 共同通信 学芸=見聞録 連載全21回 2000年8月~20024

   緑再生の巨大な実験 傷つけて癒す・・・建築の本質

  淡路夢舞台 安藤忠雄      兵庫県淡路島

 


 会期半ばを過ぎた淡路花博(ジャパン・フローラ二〇〇〇、九月一七日まで)を一日楽しんだ。博覧会そのものにはさしたる期待はなかった。未来都市のイメージを競った大阪万博(一九七〇年)が建築が主役でありえた最初で最後の博覧会である。沖縄海洋博(一九七五年)も筑波科学技術博(一九八五年)も、そのイメージを超えることはなかった。メインゲート付近に並ぶ白いテントはまさに予想通りだった。とは言え、今回の主役は花だ。折からのガーデニング・ブームで大変な盛況である。イヴェントとしては大成功だという。

 自然の再生をうたう会場に溢れる擬石や擬木、造花にいささか辟易しながら、夢舞台ゾーンに向かうと、今を時めく安藤忠雄ワールドである。野外劇場、「奇跡の星の植物園」と題された温室、百段園と称した花壇、主立った建物は全て彼の手になる。

 会場はかつての灘山だ。京阪神臨海部の埋め立てのために大量の土砂が採掘されて無惨な姿になった。その禿げ山に自然を蘇らせるのが花博の真のテーマだ。石灰岩の採掘で荒廃した山を蘇らせたバンクーバーのブッチャート・ガーデンがモデルだ。ジオウエーブ工法というのだという。緑の山が再生されようとしていた。まずは壮大な実験に敬意を表する。日本中の禿げ山、コンクリートで固めた醜悪な崖面も即刻緑に復元すべきだ。

 安藤は一貫して自然との共生をうたう。しかし、彼は積極的に緑を取り込むことはしない。むしろ、自然をどう見せるか、自然と人工物である建築とをどう際だたせるかに意が用いられる。コンクリートとガラスと水の絶妙の配列が全体を形作る。圧巻は水面の下に敷かれた煌めく百万枚ものホタテ貝だ。

 本質的に、自然を傷つけることによって建築は成り立つ。傷つけて癒す、矛盾に充ちた行為だ。だから安易に建築に自然を取り入れればいいというわけではない。安藤は建築の本質を直感的に知っているのである。


           





➊仮設住宅の創意工夫 台湾のまちづくり最前線 伝統文化の継承 見聞録01,共同通信,200007

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2021年7月28日水曜日

見聞録03 出島の復元 日蘭交渉400年 まちづくりの世界史

 布野修司 「見聞録」01-21 共同通信 2000.072002.04


 出島の復元  日蘭交渉400年 まちづくりの世界史

 写真 出島の中の出島 布野修司

 


オランダ船リーフデ(慈愛)号が大分県臼杵湾の佐志生に漂着したのは関ヶ原の合戦の年だ。以降、鎖国体制にも関わらず、日本とオランダの交渉は続く。今年は日蘭友好四〇〇周年である。縁の深かった平戸や長崎などでは様々な催しが開かれている。

 ケープ・タウン、コロンボ、ゴール(スリ・ランカ)、ジャカルタ(バタヴィア)、ゼ-ランジャー城(台湾)、いずれもオランダが造った町である。リーフデ号のウイリアム・アダムズ(三浦按針)やヤン・ヨーステンはよく知られるが、ヤン・ファン・リーベックのような興味深い人物もいる。外科医の卵であった彼は若干二十歳で東インド会社の船に乗り、バタヴィアに赴く。一六四二年には出島を訪れている。単独で絹貿易に従事するが失敗、紆余曲折があって、一六五一年、ケープ・タウンの建設を命じられる。その後、マラッカ総督となり、オランダに帰ることなくバタヴィアで没した。オランダと日本をめぐる様々な糸を手繰りながら世界史に思いをめぐらすのは楽しい。

 その大きな手がかりとなるのが出島の復元である。出島は既に島ではなく、ビルの谷間の小公園といった趣だ。かつてカピタンたちがビリヤードに興じた庭園に大きな模型が置かれていて全貌がわかる。ハウス・テンボスのようなテーマ・パークは所詮キッチュ(まがいもの)である。出島はこの場所に存在したという事実がある。そして復元によって、空間のスケールを感じることができる。

 他のオランダ植民都市と違って、出島は長崎の商人たちによって建設された。オランダ人には監獄であった。このほど世界文化遺産に指定されたゴールの町はオランダ人の手になるがオランダの町の面影はない。バタヴィアの建設にはシモン・ステヴィンの理想都市のモデルが用いられたらしい。出島の復元を通じて古今東西の街づくりを比較するのも一興である。  











布野修司 「見聞録」01-21 共同通信 2000.072002.04

 ➊仮設住宅の創意工夫 台湾のまちづくり最前線 伝統文化の継承 見聞録01,共同通信,200007

 ❷循環型の社会へ一戸の住宅から 石井の家 見聞録02共同通信200008

 ❸出島の復元  日蘭交渉400年 まちづくりの世界史 見聞録03共同通信200009


 ❹緑再生の巨大な実験 傷つけて癒す・・・建築の本質 見聞録04共同通信200010

 ❺出雲大社は一六丈あったのか 巨大木造建築の伝統 見聞録05共同通信200011

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❽木匠塾の目指すもの  ざらざら,ぼこぼこの素材感 見聞録08共同通信200102

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 ⓲巨大な「箱」に多様空間 はこだて未来大学,見聞録18,共同通信,200201 21

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 ㉑京都都心の惨状 林立するマンション 消えゆく町家 覆いがたい理念の分裂,見聞録21,共同通信,200204

 

 

2021年7月27日火曜日

見聞録02 循環型の社会へ一戸の住宅から 石井の家 新居照和・ヴァサンティ

  布野修司 学芸=「見聞録」連載全21 共同通信  2000年8月~20024

➊仮設住宅の創意工夫 台湾のまちづくり最前線 伝統文化の継承 見聞録01,共同通信,200007

❷循環型の社会へ一戸の住宅から 石井の家 見聞録02,共同通信,200008 

 石井の家 徳島県名西郡石井町

 設計 新居照和・ヴァサンティ

 写真 北田英治

 



 四国山地と讃岐山脈に挟まれ、吉野川はゆったりと西から東へ流れている。徳島は、第十堰問題で揺れているけれど、流域にはのどかな田園風景が広がる。そんな中にこの瀟洒な住宅は建っている。

 黒い壁に銀色の屋根、真っ赤な玄関、二階の大きな窓、一際目立つ。しかし、他を圧して自己主張しているわけではない。むしろ、辺りの風景に溶け込んで見える。緩やかに沿った屋根は後ろの山並みを明らかに意識したものだ。垣根がないから実に開放的だ。

 二階まで大きく吹き抜けた居間が気持ちいい。大きな窓は雄大な山並みを毎日楽しませてくれる。極めて原理的な架構、木の床、天井に白い壁、中に大きく湾曲した朱色の壁のアクセント。近代建築正統の手法だ。全体に無理がない。

 それもその筈だ。設計者の新居照和・ヴァサンティ夫妻はアーメダバードのB.V.ドーシのもとで学んだ。巨匠ル・コルビュジエに師事したインド第一の建築家である。

 新居照和は、一方、インドで自然と人間の関係を徹底的に学んだという。この住宅の第一の主題も自然との関係である。第一に、地場産材の利用がある。黒い外壁は、安価で丈夫な地場産の焼杉である。第二は、資源の再利用である。アプローチは古い家の基礎石を組み直したもだ。第三は、合併浄化槽の使用である。浄化槽を通った水は庭の池に導かれ、蓮やメダカなどの生物を生育させ、農業用水へと流される。自らの敷地から可能な限り汚水を出さない。敷地内で、地域内で循環系を確立する、一個の住宅から、というのが新居の主張である。吉野川流域に既に数軒の作品が建つが、この理念は共通である。

 インドと日本の風土は大いに異なる。地域に相応しい表現という意味ではさらに試行錯誤が続くであろう。夫妻は第十堰問題にも積極的に取り組んできた。地域の自然があって建築なのであって逆ではないのである。






❸出島の復元  日蘭交渉400年 まちづくりの世界史 見聞録03,共同通信,200009 

❹緑再生の巨大な実験 傷つけて癒す・・・建築の本質 見聞録04,共同通信,200010 

❺出雲大社は一六丈あったのか 巨大木造建築の伝統 見聞録05,共同通信,200011 

❻空調を使わないビル  エコ・オフィス 見聞録06,共同通信,200012 

❼知られざるモニュメント  丹下健三の「動員学徒記念若人の広場」見聞録07,共同通信,200101

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❾笑う住宅   くねって,捻(ひね)って,捩(よじ)って 見聞録09,共同通信,200103 

❿縄文の森を埋め込む  屋上緑化 壁面緑化 見聞録10,共同通信,200104 

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⓲巨大な「箱」に多様空間 はこだて未来大学,見聞録18,共同通信,200201 21 

⓲土木デザインの新展開 都営大江戸線・飯田橋駅,見聞録19,共同通信,20020201 

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㉑京都都心の惨状 林立するマンション 消えゆく町家 覆いがたい理念の分裂,見聞録21,共同通信,200204

2021年7月26日月曜日

見聞録01 仮設住宅の創意工夫 台湾のまちづくり最前線 伝統文化の継承

 布野修司 学芸=「見聞録」連載全21 共同通信  2000年8月~20024

  仮設住宅の創意工夫 台湾のまちづくり最前線 伝統文化の継承

 


 一見何の変哲もない小屋に見える。だが、建築家の大いなる思いが込められた小屋だ。

 この三月、中央研究院での講義と震災復興の調査を兼ねて台湾に出かけた。三月十八日は総統選投票日。二十一日は大地震からちょうど半年になる。投票日直前、李遠哲中央研究院院長が陳水扁候補を支持して辞任、政治的緊張の高まりの中での訪台となった。

 台風の目となったノーベル化学賞受賞者、李遠哲氏は社区営造学会会長でもある。社区とはコミュニティー(地域社会)のことだ。この間の社区総体営造(まちづくり)運動を精力的にリードしてきた。台湾大地震後は、全国民間災後重建連盟の理事長をつとめる。

 中寮、集集、長寮尾、埔里と社区営造学会が支援する地区を中心に回った。びっくりするのは山の樹木がすっかりずり落ちて黄色い山肌が所々あらわになっていることだ。農村集落が広範に被害を受けた。都市直下型だったら、死者 二千人ではすまなかったろう。

 それぞれに興味深い復興の動きがあった。なかでも引きつけられたのが、この小屋、日月潭のタオ族のための仮設住宅であった。設計は建築家謝英俊。現場に事務所を移して陣頭指揮を執る。彼がバイブルにしたのが千千岩助太郎の「台湾高砂族の住家」(一九六〇年)だ。原住民の伝統文化をどう継承するをテーマとし、大いに学んだという。

 ローコストだから、軽量鉄骨の骨組みに竹で屋根、壁を組むシンプルな構法だ。これだと建設に原住民が参加でき、日当も手に入る。鉄板の屋根や壁より暖かみがある。原住民にとっては単に住空間があればいいというわけではない。祭祀(さいし)のための空間も必要だ。機械的に棟を並べるのではなく共用の広場がきちんと設けられている。

 将来の利用方法も周到に考えられている。仮設住宅地といえども多彩な創意工夫がある。近接して神戸から送られた仮設住宅が建てられていた。その光景の方が寂しげに見えた。













 布野修司 学芸=「見聞録」連載全21 共同通信  2000年8月~20024

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❾笑う住宅   くねって,捻(ひね)って,捩(よじ)って 見聞録09,共同通信,200103 

❿縄文の森を埋め込む  屋上緑化 壁面緑化 見聞録10,共同通信,200104 

⓫自然素材の魅力 誰でも建築家になれる 建築探偵の佳作,見聞録11,共同通信,200105 

⓬建築の保存再生 建物を大事に使う時代へ 無闇に壊すな,見聞録12,共同通信,200106 

⓭骨太の建築 斜めの空間 新たな空間を生み出そうとする悪戦苦闘 デコン(破壊)派の傑作!?,見聞録13,共同通信,200107 

⓮バブリーなハーグの建築,見聞録14,共同通信,200109 

⓯メキシコ・シティの再開発 タワーめぐり一騒動勃発,見聞録15,共同通信,200110 

⓰超高層の危険隠した20世紀の「設計思想」ー何故ビルは一瞬で崩壊したか,見聞録16,共同通信,200111 

⓱コレクティブ・ハウスの行方 新しい共同住宅のあり方を求めて 使われない共用空間!?,見聞録17,共同通信,200112 

⓲巨大な「箱」に多様空間 はこだて未来大学,見聞録18,共同通信,200201 21 

⓲土木デザインの新展開 都営大江戸線・飯田橋駅,見聞録19,共同通信,20020201 

⓴古都にふさわしい建築とは 巨大マンション登場,見聞録20,共同通信,200203 11 

㉑京都都心の惨状 林立するマンション 消えゆく町家 覆いがたい理念の分裂,見聞録21,共同通信,200204

2021年7月25日日曜日

カミの宿る建築とゴミの宿る建築ー建築の死と再生,『C&D』,19920910

 カミの宿る建築とゴミの宿る建築ー建築の死と再生,『C&D,19920910

 

カミの宿る建築とゴミの宿る建築

建築の死と再生

                               布野修司

 

ピラミッド=テトラポット

 高津道昭氏の『ピラミッドはなぜつくられたか』(新潮社 一九九二年六月刊)を読んだ。余程「ピラミッドの謎」は人々を惹きつけるのであろう、「ピラミッドの謎」に挑む書物はそれこそ枚挙に暇がない。建築家、渡辺豊和氏も前々著『発光するアトランティス』(人文書院 一九九一年)で、独特の説を打ち出したところだ。高津道昭氏も「ピラミッドの謎」に魅せられた一人なのであるが、ひと味違う。かなり興味深い新説である。

 実は高津氏には秘かな期待があった。その『レオナルド=ダ=ヴィンチ 鏡面文字の謎』を読んでその推理の見事さに感心した記憶があったからである。何故、レオナルド=ダ=ヴィンチの手稿は左右逆さまの鏡面文字なのか、どうやって描いたのか、実は、印刷を前提とした版型のためだったというのである。鮮やかに「レオナルド=ダ=ヴィンチの謎」を解いた同じ著者が「ピラミッドの謎」に挑む。思わず期待した由縁である。そして、期待は裏切られなかった。

 ピラミッドは何の為につくられたのか。ヘロドトスの昔から、王墓説、日時計説、葬祭神殿説、天文台説、タイム・カプセル説と色々ある。しかし、万人を納得させる決定的な説は未だない。そうした中で、高津説は、これまでのどの説とも違う。それだけで、まずは興味深々だ。

 その説とは何か。一言でいうと、ピラミッド=テトラポット説である。どういうことか。詳しくは読んでのお楽しみなのであるが、「ピラミッドはなぜ、エジプトだけにあるのか」、「ピラミッドはなぜ、古王国にはじまり、中王国の時代で終わっているのか」、「ピラミッドはなぜ、あれほどの大きさを必要とするのか」、「ピラミッドはなぜ、四角錐の形を選んだのか」、「ピラミッドはなぜ、ナイルの西岸に集中しているのか」、「ピラミッドはなぜ、北部デルタの手前に集中しているのか」、「ピラミッドはなぜ、王墓と思われやすいのか」、といった疑問を突きつけていくと、ピラミッドとナイル川の深い結びつきが浮かび上がってくる。ピラミッドは、ナイルの水をコントロールし、利用するためにつくられた構築物(テトラポット)であった、というのである。

 

「永遠の建築」?

 地球上で最も寿命の長い建築物といえば、誰もが真っ先に思い浮かべるのがピラミッドである。ピラミッドは四千年の長きにわたって存在し続けることによって、「永遠の建築」のシンボルである。

 しかし、ただ寿命が長いということであれば、ピラミッドでなくてもいいであろう。一千年、二千年の寿命を誇る建築は他にもある。法隆寺だって、この先きちんと維持されれば五千年だって持つ筈だ。

 ピラミッドはなぜつくられたのか。もしかすると、「世界の七不思議」などと、余りに神秘的に考えてきはしなかったか。ピラミッドの謎を神秘化しておきたい人にとっては、それをテトラポットと言われると興醒めかも知れない。しかし、如何に巨大な権力をもった王がいたからといって、莫大な労力と長大な時間を人々に強いることが果たして可能か、それに見合うごく当たり前の理由がいるのではないか、という高橋説も一理ある。ピラミッドの建設に必要な労働力はどうやって確保されたのか。それを支える生産力はあったし、人々が生活して行くためにこそ、ナイル川のコントロールはエジプト人にとって最大の関心事だったのである。

 あまりにも唯物論的な解釈かも知れない。しかし、アスワン・ダムが今世紀初頭(一九〇二年)に完成するまでは、ピラミッド時代から変わらないナイルと人々の戦いは続いてきた。もしピラミッドが建設されなければどうであったか、高津説は数千年を越える歴史を問題とするのである。ピラミッドが何故建てられたかはやがて忘れ去られたと高津氏はいう。もし数千年のスケールで構想された建築が今あれば果たしてその未来はどうなのか。

 

廃虚と式年造替

 永遠の建築をつくりたいという夢は、永遠の命が欲しいという夢と同様、強大な権力をもった、あるいはもとうとする支配者のものだ。古今東西、そうした夢を実現しようとした権力者の試みは数しれない。建築家もそうだ。そうだからこそ、建築家というのはもともと権力的で、ファシストの素質をもっていると言われるのであるが、そのことはここでは触れずにおこう。

  問題は、にも関わらず、建築というのは永遠ではありえない、ということである。物理的な存在としては明らかにそうだ。ピラミッドも例外ではない。地球環境の温暖化や砂漠化によって考えられない変化が起こるということもあるし、古代遺跡を容赦なく近代兵器で破壊してしまった湾岸戦争のような事態を考えてみてもいい。

 しかし、それにも関わらず、永遠の建築を望むとするとどうすればいいか。ひとつは、最初から、廃虚として建築をつくることだ。A.ヒトラーの夢を実現しようとして、A.シュペーアの「廃虚価値の理論」がそうだ。もちろん、A.シュペーアに限らない。自らの建築が廃虚になった様を予め描いた建築家は数多い。古代遺跡や廃虚へのロマンティシズムは昔から建築家を捉えてきたのである。

 もうひとつは、式年造替だ。伊勢神宮のように二〇年毎に同じ形式の建築をつくり続けるのである。原理的には、建築の形式は永遠に保存されていく。日本建築の特性として、仮設性がよく指摘される。式年造替がその原理だという。しかし、「所詮、この世は仮の住まい」という意識(無常観)とは明らかに違う。式年造替は、永遠性をこそ目指すのである。

 

スクラップ・アンド・ビルド

 建築は生まれては死ぬ、そうした存在である。問題は、どのように生まれるかであり、また、どのように死ぬかである。結果として、どのように生きるかがそこで問われる、われわれの人生と同じである。

 しかし、わが現代建築の、とりわけ日本の現代建築の生死のありさまはどうか。スクラップ・アンド・ビルドを繰り返すのみで、あまりにも短命ではないか。大方の実感である。

 建築が耐久消費財となったこと、すなわち、建築は、そこで何がしかの行為が行われ、何物かが生産される場であるより、そのものの生産が剰余価値を生む手段になったこと、さらに言い換えて、建築が単なる容器と化し、消費の対象となったことは、建築のあり方にとって決定的なことである。そして、そうした建築の商品化の趨勢が、深いところで近代建築の理念や方法と結びついていることは、われわれにとって、もはや明かなことであろう。建築生産の工業化、建築の工業生産化は、建築の商品化と同じことである。建築をどこでも同じようにつくるためには、建築を場所の固有性から切り離す必要があった。建築が場所の固有性と切り離される瞬間、建築は単なる容器に還元されたのである。もちろん、「建築」が「建築」であるためには、具体的な場所に建つという意味で、場所との関係を百パーセント断ち切るわけにはいかない。そこに建築の再生のひとつの手がかりがある。

 

カミの宿る建築

 おそらく、建築の再生のためにはふたつの道筋がある。ひとつは、建築を、仮にであれ、現実の過程から切り離すことである。いうまでもなく、この道筋は、あくまで仮構の道筋であり、フィクションとしてしか成立しない。現実の建築の生産過程を支配している論理をどんな建築家も逃れることはできないからである。

 しかし、建築を現実の生産流通消費の過程から解き放つためには、建築を全く別の広大な時空において捉えることがどうしても必要である。具体的に何がイメージされるか。宗教建築である。

 宗教の世界において建築はとてつもない時間性を帯びたものとして存在してきた。神々のための建築というのは、世俗の建築とはきっぱりと区別される。そこにひとつの可能性がある。実際、例えば、様々な新興宗教がばっこする中で、とてつもない建築が建てられつつあるではないか。五百年はもつコンクリートのモニュメントが計画されつつあるし、顔をしかめようが、しかめまいが、びっくりするようなデザインの巨大な宗教施設が陸続と建てられつつあるのである。少なくとも、桁外れのお金をかけた建築を今日実現するとしたら、そのパワーをもつのはまず宗教法人なのである。

 もちろん、建築はお金の問題ではない。方法的には、建築をコスモロジカルな秩序にもう一度たち返らせようとする試みはこの道筋に位置づけることができるだろう。

 

ゴミの宿る建築

 もうひとつの道筋は、現実の過程にあくまで拘ることである。現代社会においては、物はひたすら消費されるために生産される。そして、そのスピードは、ますます加速されつつある。その物のあり方に即して建築の再生を夢見ることである。

 物は、ここでは建材や建築部品や家具をイメージしているのであるが、つくられ、やがて廃棄される。問題は、その物のライフ・サイクルが物理的な耐用年限とは全く関係ないということである。ある場合には、全く新品であろうと捨てられる場合もある。要するに、物のライフ・サイクルは社会的に規定されているのである。

 一般の場合、物は誕生して一定期間社会的な役割を果たし、そして、その使命を終えるのであるが、物そのものが死ぬわけではない。死を宣告するのは専ら社会の側であって、物は、社会の価値体系に沿って裁断されるだけである。廃棄物とはそういうものだ。

 社会に一旦死亡宣告を受けた物、すなわち、廃棄物を再生するにはどうすればいいか。二番目の道筋はそうした戦術を建築において展開することである。

 使い古された枕木とか電柱、地下埋設用のコルゲート管など、廃棄物や別の目的のために大量生産された工業材料を用いた一連の建築がすぐさま想い浮かぶかも知れない。しかし、僕の頭にまずあるのは、第三世界の大都市を埋め尽くすバラックの群れである。

 東南アジアの大都市を歩いていて、まず圧倒されるのは「スコッター・スラム」のバラックの風景である。バラックは、廃棄物で建てられている。一度捨てられた物が集められて、再び建築となる。建築の死と再生の全くプリミティブなレヴェルでの物語をそこに見るのである。

 問題は決して奇をてらって廃棄物を用いるファッションとしてのデザインの問題ではない。一個の建築に廃材を用いることでもない。リサイクルやエコロジーを含めた建築の全生産システムがそこでは視野に入ってくる筈である。