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2026年8月1日土曜日

宮崎恒二・伊藤真・山下真司編:インドネシア (暮らしがわかるアジア読本) ,河出書房新社, 1993年:「住居」執筆

 宮崎恒二・伊藤真・山下真司編:インドネシア (暮らしがわかるアジア読本) ,河出書房新社, 1993:「住居」執筆

インドネシア読本 日々の暮し 住居

                                                     布野修司

 

 インドネシアの住居もまた実に多様である。民族によって、地域によって、ヒンドゥー、イスラーム、中国、西欧列強の様々な影響が混ざり合うことによって、住居の様相は異なる。しかし、一方、ある程度共通に語れる側面もある。例えば、木造住居の伝統が支配的であることがそうだ。インドネシアの住居を総覧しながら、いくつかの局面を浮かびあがらせてみよう。

 

 ベタウィ(ジャカルタ原住民)の住居

 人口800万人を超える大都市ジャカルタ、そのジャカルタの南西部にチョンデットCondetと呼ばれる地区がある。現在の行政区域でいうとバレカンバン Balekambang、カンポン・テンガ Kampung Tengah、バトゥ・アンパル Batu Ampar という三つのクルラハン Kelurahan(行政単位 連合町内会) からなるチリウン Ciliwung 川沿いのかなり広大な地区である。ジャカルタは、スンダ・カラパ Sunda Kelapa と呼ばれた頃からチリウン川とともに発達してきたのであるが、その遥か以前、先史時代からこのチョンデットには人々が居住してきた。様々な出土品がそれを物語っている。

 住民の八割は、ベタウィ Betawi と呼ばれる。ジャカルタ・アスリ(原住民)である。五〇万人と推定されるベタウィは、もちろん、他の地区にも分散して住むのであるが、その中心はこのチョンデットである。今猶独自の文化を保持していることで知られる。

 今、訪れてみると、チリウン川は、汚染され淀んで強烈な臭いを放つ河口の様子からは想像できないほど豊かな樹木に覆われ、美しい。辺りには、果樹園が多く、のどかな農村の風景が広がる。家々が密集し、車が走り回る、騒々しいジャカルタにもこんなところが残っているのかと思う。

 ベタウィの住居をみてみよう。ベタウィの伝統的住居といっても、その原型をとどめるのは極めて少ない。また、イスラム化、植民地化の過程で様々な要素が混じり合ってきたし、時代と共に変化もしてきている。図は、原型と思われるベタウィの住居である。屋根の形態は、寄棟、切妻などいくつかタイプがあるが、テラス、ルアン・タム(客間)、ルアン・ティドゥール(寝室)、ダプール(厨房)、カマール・マンディー(浴室・トイレ)、スムール(井戸)が前から後ろへ一列に配置されるのが基本的パターンである。

 

 カンポンの住居

 考えてみればチョンデットの今日の風景はかってのジャカルタの姿である。急速な都市化の波はあっという間にジャカルタを襲い、人家の海にしてしまったのであるがもともと周辺部は農村であった。インドネシアに限らず東南アジアでは、都市の伝統は希薄である。今日の都市の住居も農村の住居が基本になっているとみていい。都市村落(アーバン・ヴィレッジ)の特性をもっているから、都市の居住地もカンポン Kampung(ムラ)と呼ばれるのである。

 事実、ベタウィの住居の基本パターンは、今日、都市のカンポンでもよくみることができる。平面の構成(間取り)は地域によって多少異なるが、こうした住居が密集するのが都市である。インドネシアの都市人口の割合は今のところ二割を超える程度であるが、都市に住む一般庶民はおよそ以下のような住居に住んでいるのである。

 図は、スラバヤの事例であるが、どのように都市カンポンの住居ができあがっていくかを示している。まず、一室ないし二室の空間がつくられ、やがて、寝室や客間が付加され、分化していく。そして、井戸やカマール・マンディーの部分が室内化されていく。住居はひとつのプロセスとしてつくられていくのである。

 カンポンの住居といっても多様である。上述したのは、カンポン住居の標準型ともいうべきパターンであるが、規模が小さいものももちろん多い。一室、二室に数人が居住するパターンも少なくない。平屋建てで人口密度ヘクタール当たり千人、二千人といったカンポンもジャカルタ、スラバヤといった大都市にはある。都市の居住問題は極めて厳しいのである。

 どうやって暮らすのか。幸い、インドネシアの場合、気候がいい。日常生活のほとんどは戸外である。炊事、調理、洗濯、水浴び(マンディー)、そして就寝ですら戸外で行われる事があるくらいである。

 一方、大規模な住居ももちろんある。その場合、カンポンの住居の標準パターンを横につなげていく形で住居がつくられる。場合によると、その付加した部分を地縁血縁の家族に賃貸したりする。長男が都会に出て、やがて家族を呼ぶパターン、同じ村の出身者が巡回的に移住するパターンと様々あるが、カンポンには強い人的ネットワークが存在する場合がある。一般的にもコミュニティー組織はしっかりしており、アリサン arisan(頼母子講)、ゴトンロヨン gotong royong(相互扶助)といった活動がカンポンの日常生活を支えているのである。

 

 インドネシア住居の原像

  西スマトラの一帯にミナンカバウ族が居住する。世界最大の母系制社会を形成することで知られる。また、ムランタウ merantau (出稼ぎ)慣行が著名だ。そのミナンカバウ族の住居が極めて特徴的である。棟が空へ向かって弓なりに反り返り、妻側が尖塔になっている。ミナンカバウとは、「勇敢なる水牛」(menang(勇敢な) kerbau(水牛))を意味し、水牛の角をシンボライズしたものともいわれるが、大きな家になると三対、六本の尖塔を持つものもある。

 多様なインドネシアの住居のなかでも、代表的な例とされるのがこのミナンカバウの例である。あるいは、サダン・トラジャ族(スラウェシ)やバタック・トバ族(北スマトラ)の住居の例である。この屋根が反り返った、また妻側の破風が前に転んだ屋根形態をした高床式住居は確かに世界の他の地域には見られないインドネシア(東南アジア)に特徴的なものといっていい。

 実は、こうした住居がかってインドネシア(東南アジア)一帯に存在していたのではないかという推測がある。根拠とされるのが、中国は雲南、石寨山出土の貯貝器や家屋模型である。実に、ミナンカバウの住居によく似ている。

 あるいは、東南アジア各地で発見されたドンソン銅鼓の家屋紋やボロブドゥールなど、中部ジャワ、東部ジャワのチャンディーのレリーフに描かれた住居がある。特に、スンバワのサンゲアン Sangean で発見された銅鼓の家屋紋をみると、古くから、ミナンカバウやバタック・トバやトラジャのような住居が存在してきたのは間違いないようである。

 

 高床式住居

 インドネシアの住居の特徴のひとつとして、高床式であることをまずあげねばならない。形態は様々であるが、スマトラのアチェから西イリアンまで、高床式住居は今日猶広範にみることができるのである。しかし、例外がある。ジャワ、バリ、ロンボクの一部の住居がそうである。

 ジャワといっても、スンダは別である。スンダ地方のナガ Naga やバドゥイ Baduiといった古くからの集落は高床式であり、ベタウィにしても海岸部では現在でも高床式である。ジャワにしても、もともとは地床(土間)式であったと考えられるのであるが、何故、地床式になったのか。政治的な理由から高床が禁じられたとか、土の感覚を大事にするヒンドゥーの影響が根強いとか、諸説あって決着しがたいが興味深いことである。

 もともと、高床式住居は、水上や湿地などで湿気を防ぐため、また、猛獣や害虫から身をまもるため、さらに通風をとったり、床下利用をするためなど様々な事由から成立したと考えられるのであるが、床の高さや床利用の形態は地域によって様々である。

 地床式といっても、全ての生活行為が地面で行われるわけではない。就寝にはベットが用いられる。地床式であるジャワ、バリ、ロンボクにしても、床を使いわけている点ではそれぞれに独自性がある。バリの場合、基壇を持つし、床から三〇~四〇センチのところに床(腰掛け、あるいはベッド)をもつ棟もある。ロンボクの場合、地床(土間)が二段に分かれる形が多くみられる。また、穀倉やブルガ Berugaq と呼ばれる露台、晒し台は高床式である。生活様式に応じた床面の選択がなされているのである。

 ロンボク島の場合、床は土と馬糞を固めてつくられる。寝るとひんやりと気持ちがいい。高床式住居が支配的である中で、地面に直接寝たり、座ったりする文化が維持されていることは、インドネシアの多様な住文化の一面である。

 

 住居とコスモロジー

 高床式住居の場合、その屋根裏、床上、床下という三つの空間の区分は、世界観、宇宙観としての、天井界、地上界、地下界という三界観念に結びつけられることが多い。もちろん、それだけでは極めて図式的な理解にすぎないともいえるのであるが、住居とコスモロジーの深い結びつきをみることができるのがインドネシアである。とりわけ、ジャワ、バリ、東インドネシアにはそうした事例が多く報告されているのであるが、一般によく知られているのはバリの住居とコスモロジーであろう。

 バリの場合、宇宙、バリ島、集落、屋敷地、建物、柱、身体と、マクロコスモスとミクロコスモスの間の各レヴェルにコスモロジカルな秩序が貫かれていることが意識されている。集落には、カヤンガン・ティガ Kahyangan tiga と呼ばれる、プラ・プセ pura puseh(起源の寺)、プラ・デサ pura desa(村の寺)、プラ・ダレム pura dalem(死の寺)という三つのプラがセットで置かれ、それぞれ、頭、胴体、足に擬せられるし、屋敷地は、ナワ・サンガ Nawa Sanga と呼ばれる方位観に基づいて個々の建物の配列が決定される。カジャ kaja(聖なる山の方向)ークロッド kelod(汚れた海の方向)、カンギン kangin(日の登る東の方向)ーカウ kauh(日の沈む西の方向)といった方向によってスペースの重みが違う。東西南北それぞれにウタマ utama、マディア madia、ニスタnistaの三つの領域が区別される。例えば、バリ島の南だと北東のカジャ・カンギンの方向が最も聖なる場所として屋敷神が置かれるサンガのスペースとなる。各建物も九分割されたサンガ・マンダラに従って場所が決められ、建物の隣棟間隔は身体寸法に基づいて決定される。屋敷内で様々な儀礼が行われるのであるが、礼拝の方向、祭祀のプロセスなどが住棟の配置に深く関わっているのである。 

  各建物は屋根、柱・壁、基壇の三つに分けられる。また、柱は柱頭、柱心、柱脚に分けて装飾がなされる。その一貫性は驚く程である。

 

 米倉   

 インドネシアの住居をざっとみてみると一棟だけで完結するケースはほとんどない。当然のことであるが、様々な付属屋や共用施設が一緒になって一つの屋敷地が構成され、集落が構成されるのが一般的である。いくつかの棟からなる分棟式のバリの住居はその典型である。

 付属施設として、インドネシアの住居を特徴づけるのはなんといっても米倉である。稲作文化の建築的表現が米倉である。各地に、実にヴァラエティーに富んだ形の米倉をみることができる。

 ミナンカバウの場合、家の前に一対の米倉が置かれるのがフォーマルな形式である。母屋と同じように尖塔をもっている。バタック・トバやトラジャの場合は、家の形と同じである。東インドネシアにいくと、円形の米倉が多くなる。極めて面白いのは、ロンボク島の米倉である。竹で編んで篭状の構造をしているのであるが、実に独特の形である。

 その形のヴァラエティーの面白さは別として、米倉が興味深いのは、それが高床式住居の原型になったのではないかという点である。建築技術的には、住居と倉は同じである。実際、インドネシアにも、米倉(と同じ構造物)を住居とする例があるのである。

 

 ロングハウス

 住居と米倉など付属施設がどのように配置されるかは様々である。先のバリの住居はかなりユニークである。しかし、以上は、バリ島の南部、ゲルゲル、ギャニャール、クルンクンといったバリ・マジャパイトの中心域において高度に形式化された例であって、バリでも住居は多様である。階層の低い人々の住居は様子が異なるし、他に、バリ・アガと呼ばれるバリ原住民の住居がある。例えば、東部のタガナン Tenganan がそうである。タガナンの場合、住居棟と共用施設が平行に並ぶ極めてきれいな集落パターンをしているのである。

 住居棟と他の付属施設が平行に並ぶ集落パターンは他でも多い。極めて原初的なパターンといえるかもしれない。バタック・トバやトラジャは、米倉と住居棟が平行に並ぶ。マドゥラ島でも、住居棟と作業小屋や家畜小屋が並列される。いずれも間のオープン・スペースが共用スペースとなる。マドゥラの場合、その西端にランガー langgar(礼拝所)が置かれる。スンバワ島の集落のように、もちろん、地形に沿って、円形に建物が配置される例も少なくない。しかし、ニアス島の場合、ロンボク島のワクトゥ・テル waktu telu(敬虔なイスラーム教徒であるワクトゥ・リマ waktu lima に対して、ヒンドゥー教や土着の宗教的伝統を保持する集団をいう。)の集落の場合など、他にも、こうした素朴な配列パターンは多いのである。

 住居の集合という意味で興味深いのは、カリマンタンから西イリアンにかけてみられるロングハウス(長屋)である。インドネシアの場合、集合住宅の伝統はほとんどないのであるが、このロングハウスは数少ない例とみていい。イバン族、ダヤク族など民族や地域によって少しずつその形態は異なるが、大家族居住ではなく、それぞれ自立した家族が単位となって結合する形態といっていいからである。

 

2025年12月25日木曜日

PFI(「総合評価」)による事業者(設計者)選定方式、建築のあり方研究会編:建築の営みを問う18章,井上書店,2010年

 建築のあり方研究会編:建築の営みを問う18章,井上書店,2010


PFI(「総合評価」)による事業者(設計者)選定方式

布野修司

「世界貿易機構(WTO)」案件はもとより、国の事業は、既に「PFIPrivate Finance Initiative)」事業が主流となっており、公共事業の事業者選定におけるPFI方式は着実に定着しつつある。国あるいは地方公共団体が、事業コストを削減し、より質の高い公共サービス提供する(安くていいものをつくるという「説明責任」を果たす上で極めて都合がいいからである。第一に、PFI事業は、事業者選定の過程について一定の公開性、透明性を担保する仕組みをもっているとされる。第二に、国あるいは地方公共団体にとって、設計から施工、そして維持管理まで一貫して事業者に委ねることで、事務作業を大幅に縮減できる、第三に、効率的な施設管理(ファシリティ・マネージメント(FM))が期待される、そして第四に、何よりも、設計施工(デザイン・ビルド)を実質化することで、コスト削減が容易となる、とされる。しかし、「説明責任」が果たせるからといって、「いい建築(空間、施設)」が、実際に創り出されるかどうかは別問題である。

 

日本のPFIPrivate Finance Initiative)法は、欧米PFIでは禁止されている施設整備費の割賦払を禁止していないばかりかむしろ割賦払いによる施設整備を促進しており、財政悪化の歯止めをはずした悪法となっていることなど[i]、その事業方式そのものの問題はここでは問わない。事業者(特別目的会社SPC)および設計者の選定に関わる評価方式を問題にしたい。決定的なのは、地域の要求とその変化に柔軟に、また動態的に対応する仕組みになっていないことである。

 

BOTBTO

 公共施設整備としてのPFI事業が、BOT(建設Build→管理運営Operate→所有権移転Transfer)か、BTO(建設→所有権移転→管理運営)かは、建築(空間)の評価以前の問題である。

PFI事業がBTOに限定されるとすれば、設計施工(デザイン・ビルド)とほとんど変わらなくなることは容易に予想される。すなわち、設計施工の分離をうたう会計法の規定?をすり抜ける手段となりかねない。

SPCは、民間企業として、事業資金の調達および建築物の設計・施工・管理を行い、さらに、その運営のための多くのサービスを提供するのに対して、公共団体は、その対価を一定期間にわたって分割して支払うのがPFI事業の基本である。地方公共団体にとって、財源確保や管理リスクを回避できることに加え、契約期間中に固定資産税収入があることで、メリットが大きい手法となるはずである。問題は、民間企業にとって、どういうメリットがあるかである。PFI事業の基本的問題は、すなわち、公民の間の、所有権、税、補助金などをめぐる法的、経済的関係、さらにリスク分担ということになる。

公には「施設所有の原則」があり、「施設を保有していないのに補助金は出せない」という見解、主張があった。公的施設の永続性を担保するためには公による所有が前提とされてきたからである。実際は、BTO方式によるPFI事業にも補助金を出すという決定(補助金交付要項の一部改正)がなされることになる。SPCにとっては、補助金がないとすれば、メリットは多くはない。BOT方式のPFI事業では、所有権移転を受けるまでの30年間(最近では10年~20年のケースが増えつつある)は、SPCの所有ということになる。従って、SPCは税金を払う必要がある。これではSPCにはさらに魅力がないことになる。

実際上の問題は、公共施設のプログラム毎にケース・バイ・ケースの契約とならざるを得ない。「利益が出た場合にどうするか」というのも問題であるが、決定的なのは「事業が破綻した場合に、その責任をどのようにとるか」である。契約をめぐっては、社会的状況の変化をどう考えるかによって多様な選択肢があるからである。公共団体、SPC、金融団等の間に「秘密保持の合意」がなされる実態がある。破綻した際の責任をだれが取るのか、建築(空間)の質の「評価」の問題も同じ位相の問題を孕んでいる。

 

責任主体 

PFI事業によって整備される公共施設の「評価」を行い、SPCの選定に関わる審査機能をもつ委員会は基本的に法的な権限を与えられない。従って、責任もない。これは、PFI事業に限らず、様々な方式の設計競技においても同様である。また、審査員がどのような能力、経験、資格を有すべきかどうかについても一般的に規定があるわけではない。

地域コミュニティや自治体に属する権限を持った「コミュニティ・アーキテクト」あるいは「タウンアーキテクト」、また法的根拠をもってレビューを行う英国のCAVE(Committee of Architecture and Built Environment)のような新たな仕組みを考えるのであれば別だが、決定権は常に国、自治体にある。都市計画審議会にしろ、建築審議会にしろ、諮問に対して答申が求められるだけである。

日本の審議会システム一般についてここで議論するつもりはないが、PFIをうたいながら、すなわち民間の活力、資金やノウハウを導入するといいながら、審査員には「有識者」として意見を言わせるだけで、予め設定した枠組みを全く動かさないという場合がほとんどである。

「安くていいものを」というのが総合評価方式であり、一見オープンで公平なプロセスであるように見えるが、プロジェクトの枠組みそのものを議論しない仕掛けが「審査委員会」であり、国、自治体の説明責任のために盾となるのが「審査委員会」である。

予め指摘すべきは、地域住民の真のニーズを汲み上げる形での公的施設の整備手法は他にも様々に考えられるということである。

 

プログラムと要求水準

公共施設整備の中心はプログラムの設定である。しかし、公共施設は様々な法制度によって様々に規定されている。施設=制度institutionの本質である。

民間の資金やノウハウを活用することをうたうPFI事業であるが、予め施設のプログラムは、ほとんどが「要求水準書」によって決定されている。この「要求水準書」なるものは、多くの場合、様々な前例や基準を踏襲してつくられる。例えば、その規模や設備は現状と変わらない形で決められてしまっている。また、容積率や建蔽率ぎりぎりいっぱいの内容が既に決定されており、様々な工夫を行う余地がない。極端に言えば、あらたな質をもった建築空間が生まれる可能性ほとんどないのである。

「要求水準書」は、一方で契約の前提となる。提案の内容を大きく規定するとともに、審査における評価のフレームを大きく規定することになる。すなわち、公共施設の空間構成や管理運営に地域住民のニーズを的確に反映させる仕組みを予めPFI事業は欠いているといっていい。参加型のワークショップなど手間隙はかかるけれどもすぐれた方法は他にある。

 

総合評価

公共施設整備の核心であるプログラムとして、設計計画のコンセプト、基本的指針が本来うたわれ、建築的提案として競われるべきである。そして、公的な空間のあり方をめぐってコンセプトそのものが評価基準の柱とされるべきである。あるいは、コンセプトそのものの提案が評価の中心に置くべきである。しかし、コンセプトはしばしば明示されることはない。PFI事業においては、「総合評価」方式が用いられるが、「総合評価」といっても、あくまで入札方式としての手続きのみが問題にされるだけである。

問題は、「総合評価」とは一体何か、ということになる。

A 評価項目とそのフレーム

多くの場合、審査員が参加するのは評価項目とその配点の決定からである。予め「先例」あるいは「先進事例」などに倣った評価項目案が示され、それを踏襲する場合も少なくない。すなわち、国あるいは地方公共団体の「意向」が反映されるものとなりやすい。

問題は、建築(空間)の質をどう評価するか、であって、そのフレームがまず審査員の間で議論されることになる。ここで、審査員によって構成される委員会におけるパラダイムに問題は移行することになる。例えば、建築を計画、構造、設備(環境工学)、生産といった分野、側面から考えるのが日本の建築学のパラダイムであるが、一般の施設利用者や地域住民にそのフレームが理解されることは稀である。「要求水準書」を満たすことは、そもそも前提であり、しばしば絶対条件とされる。審査委員会の評価として「プラス・アルファ」(それはしばしば外観、あるいは街並みとの調和といった項目として考慮されようとする)を求めるといった形でフレームが設定されるケースがほとんどである。

B ポイント制

フレームはフレームとして、提案の全体をどう評価するかについては、各評価項目のウエイトが問題となる。各評価項目を得点化して足し合わせることがごく自然に行われる。複数の提案から実現案1案を選ぶのであるから、審査員が徹底的に議論して合意形成に至ればいい(文学賞などの決定プロセス)のであるが、手続きとしてごく自然にこうしたポイント制が採られる。審査員(専門家)が多数決によって決定する、またその過程と理由を公開する(説明責任を果たす)のであればいいのであるが、ポイント・システムは、例え0.1ポイント差でも決定理由となる。建築の評価の本質(プログラムとコンセプト)とはかけ離れた結論に導かれる可能性を含むし、実際しばしばそうしたことが起こる。

各評価項目もまた、客観的な数値によって評価されるとは限らないから、多くの場合、相対評価が点数による尺度によって示される。個々の審査員の評価は主観的であるから、評価項目ごとに平均値が用いられることになる。わかりやすく言えば、平均的な建築が高い得点を得るのがポイント制である。

建築の評価をめぐる部分と全体フレームをめぐる以上の問題は「建築」を専門とする専門家の間でのパラダイムあるいはピア・レビューの問題であるといってもいい。

C 建築の質と事業費

「安くていいものがいい」というのは、誰にも異を唱えることができない評価理念であるが、「いい」という評価が、Bでの議論を留保して、点数で表現されるとして、事業費と合わせて、総合的にどう評価するかが次の問題である。

建築の質に関わる評価と事業費といった全く次元の違う評価項目を比較するとなると、点数化、数値化は全く形式的なものとならざるを得ない。そこで持ち出されるのが実に単純な数式である。

事業費を点数化して、建築の質の評価に関わる点数と単純に合わせて評価する加算法と、質は質として評価した点数を事業費で割って比べる除算法が用いられているが、数学的根拠はない。極めて操作的で、加算法を採る場合、質の評価と事業費の評価を5:5としたり、4:6にしたり、3:7にしたり様々である。除算法を採る場合、予め、基本事項(要求水準)に60%あるいは70%の得点を与える、いわゆる下駄が履かされる。基本的には、質より事業費の方のウエイトを高くする操作と考えられても仕方がない。

単純に事業費のみとは限らない。SPCの組織形態や資金調達能力などが数値化され、係数を加えたりして数式が工夫される。

事例を積み重ねなければ数式の妥当性はわからないというのが経営学の基本的立場というが、建築の質の評価の問題とはかけ離れているといわざるを得ない。

地方公共団体の施策方針と財務内容に基づいて設定された事業費に従って、施設内容、プログラムを工夫するやり方の方がごく自然である。

D 時間的変化の予測と評価

事業費そのものも、実は明快ではない。いわゆる設計見積を評価するしかないが、設計・施工のための組織形態によって大きな差異がある。そして何よりも問題なのは、時間の変化に伴う項目については誰にも評価できないことである。維持管理費やランニング・コストについては、提案書を信じるしかない。

結局は、予測不可能な事態に対処しうる組織力と柔軟性をもったSPCに期待せざるを得ない、ということになる。

事後評価

PFI事業の事業者選定委員会は、設計競技の審査委員会も同様であるが、多くて数回の委員会によってその役割を終える。当初から事業に責任がないことは上述の通りであるが、事後についても全く責任はなく、なんらの関係もない。そもそも、PFI事業は一定の期間を対象にしているにも関わらず、事後評価の仕組みを全く持っていない。

事業の進展に従ってチェックしながら修正することが当然考えられていいけれど、そうしたフレキシビリティをもったダイナミックな計画の手法は全く想定されていない。

 

以上、PFI事業による公共施設整備の問題点について指摘してきた。透明性の高い手法として評価されるPFI事業であるが、実は、建築(空間)の評価と必ずしも関わらない形式的手続きによって事業者が決定されていることは以上の通りである。PFI事業の制度は、結局は事業費削減を自己目的化する制度に他ならないということになる。「いい」建築を生み出す契機がそのプロセスにないからである。少なくとも、地域住民のニーズに即した公共建築のあり方を評価し、決定する仕組みを持っていないことは致命的である。

問題点を指摘する中でいくつかのオールタナティブに触れたが、「コミュニティ・アーキテクト」制の導入など、安くていい、地域社会の真のニーズに答える仕組みはいくらでも提案できる。要は、真に「民間活力」を導入できる制度である。

4800字 4p



[i] 割賦払いの契約を締結すると公共には施設整備費を全額支払う義務が生じ、施設の瑕疵担保リスクを超えた不具合リスクを民間に移転することが出来なくなるというデメリットが生じる。そして、公債よりも資金調達コストの高い民間資金を利用して施設を整備する合理的な理由がなくなる。


布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...