日本建築学会2021年度大会パネルディスカッション「都市インフォーマリティから導く研究・実践理論」討論会議事録(2021.09.07 9:00-12:30開催/ 最終更新:2021.11.30)
都市インフォーマリティから導く研究・実践理論<討論会議事録>
小野:今回報告がありましたが、公開研究会を5回開催し、その際に先生方にお越し頂いて意見交換を行って議論を深めてきました。今日はこの討論を通じて、先生方から学びながら、いかに私たちで新しい地平を切り拓いてくか、きっかけを掴んでいきたいという思いで討論を行いたいと思います。皆様よろしくお願いいたします。
前半では、先ほど各主題解説者から各コメンテーターに質問がありましたが、そちらに回答していただきます。後半は、この委員会のメンバーにも加わって頂いて「なぜインフォーマリティを問うのか」「なぜ研究を行うのか」というところの意見交換をしていきたいと思います。
では、前半の各主題解説者からの質問に対する回答をいただきたいと思います。都市インフォーマリティについて計5回で、居住環境・土地取得・参加型計画・建築物と技術・プロジェクト実践の5つの切り口で発表を行ってきました。第1回から、私の方でそれぞれ簡単に質問をまた紹介させて頂きますので、コメンテーターの皆様にはご回答いただければと思います。
5つの質問があり、岡部先生と布野先生、穂坂先生にそれぞれご回答いただければ幸いです。
では初めに、第1回・居住環境のテーマからですが、成さんからのご質問です。岡部先生はご自身が取り組んできたプロジェクトを「古民家とスラム」と言い両者の共通点を、既成の社会システムの外にあるものという表現を使っています。岡部先生の「システムの〈外〉に身を置いてみると、必ず見えてくるものがある。」というコメントに対して、「具体的な実践方法や事例を教えていただけますか?」ということで、岡部先生よろしくお願いします。
岡部:成さんから頂いた質問を私なりにもう一度解釈してみると、「〈外〉に身を置いてみると、必ず見えてくるものがある。」というのは宗教みたいな話で、かなり問い詰められているような感じがしました。具体的には「どうやって、一体何が見えてくるのか」が、聞かれていることかと思います。〈外〉をキーワードにして、もう一つの質問に対してもお答えしたいと思います。
〈外〉というのは冒頭の阿部さんの趣旨の説明にもあったように「フォーマルの外」を一般的に私たちは〈外〉と認識しており、私もここから入りました。
阿部さんの解説を読ませて頂くと、〈外〉ということで言うとフォーマル・インフォーマルの継続だと。つまりフォーマライズされていく、あるいはフォーマルを乗っ取るという話にもなるかもしれません。もう1つはフォーマル・インフォーマルの解体であり、3つのアプローチが示されていて、解体とはフォーマル・インフォーマルの枠組みを解体する話であり、それに合わないものとしてノンフォーマルに近いものがあるのかなと思いました。最後にもう一つはフォーマル・インフォーマルからの脱却というのがあり、これは穂坂先生がおっしゃったセルフフォーマル化というのがこれに近い話で、フォーマル・インフォーマルとは何か別の枠組みを作るという話なのかと思いました。
では、私が言う〈外〉が何かというと「フォーマルの〈外〉」でもない。この3つのいずれでもない。「そのまた〈外〉?」と思われるかなと思いますが、そこに生きている人たちにとって自分が〈外〉にあることがどういうことかと考えると、それは意外にも「3つのいずれでもある」と思います。「矛盾する3つのいずれでもあるところが、〈外〉である」というのが、私がここで言いたい〈外〉であって、「ここに居続ける」、「ここにいる」ということが、ここにいてより良く生きていくことを諦めない、ということなのではないかと思います。
全体の話を聞いていて、なんとなく外から見ていると言いますか、ここに生きている人たちへの洞察力が薄れてきているのではないかと感じました。きっと皆様コロナ禍ですごく悩まれていて、フィールドから遠くなっていることもあると思いますが。
〈外〉に居続けるというは、別に環境が悪いのを政府のせいにしたり、市場や資本主義が悪いとするわけでもなく、では自助が問題なのかというと、自分が悪いわけでもない。そこでよりよく生きることを考えるというような意味で私は〈外〉という言葉を使っています。
そこで何が見えてくるのかということですが、最後に雨宮さんが研究室のプロジェクトについてお話してくださいました。私はいつも雨宮さんに「住めば?」と言うのですが、一つそこに身を置くという中でも簡単なこととしては物理的にそこに住むということがあります。ただ、雨宮さん決して住もうとはしないのですね。今日もお話されたように、「外部者としての」というところにこだわっていて、私はとても大切なことだと思っています。住むのだけど外部者として住むのでとても孤独なのですが、「住む」みたいなことを通してそこへの洞察力を働かせていく。だから、「実現手法は何か」と先ほどの問いにありましたが、ともかく色々なこと、今まで持っていた先入観を取り払って住んでみる、住んでみることによって取り払わられるということだと思います。
では、そこでどんな良いことが起きるのかというと、そこでは常に空間をめぐる交渉が起きていて、ダイナミックに起きていると理解できるけども、それは普通に見ればいざこざが起きているということでもある。逆に制度やルールを作ればそのような、いざこざが回避されるじゃないかと普通考えるけども、空間をめぐる交渉や調停はみんながより良く生きるためにやっていて、その結果、先ほど成さんがお話されたような中国の四合院が大雑院になっていくというように環境がどんどん悪化していくのですよね。みんな自分がより良く生きようとして悪化していくのをどうしたらいいのか。その彼らが持っている空間を交渉するというのは、コミュニティが希薄化してきている問題を抱え、なんとかして人との繋がりを取り戻そうとしている私たちの方から見ると、必要に迫られて空間をめぐる交渉がいつも起きているということであって、そういうものがあるならばそこからより良く生きる方向にどう持っていけるのか、果たしてそれの支援ができるのかは分からないですが、その時にそこに生きている・生活しているという洞察力を持って関わっていく。その際、結果的にどちらかと言えば私たちの方が学んでいて救われている、ということなのかなと思います。
小野:岡部先生ありがとうございます。成さんか阿部さんに振りたいと思いますけども、空間を巡る交渉が日常的に行われるという状況は私たちから見ると、もしかしたらすごくコスト大きいという風に見られるかもしれないのですが
、先生がおっしゃたように法律によって白か黒かを付けるというのは、必ず黒を生み出すという側面があって、誰一人取り残さないということを望む社会であれば日常的な交渉によってより良い社会を目指すというアプローチの仕方が必要なのかなと拝見しました。
ということで成さんか阿部さん、岡部先生のコメントについて〈外〉という場所がどこか分かりましたでしょうか?
成:岡部先生ありがとうございます。自分自身の話から言うと、今の研究は修士から続いており、最初修士の研究では建物的なものしか見てこなかったのですが、研究が進むにつれて段々と自分の対象地のように、巨大な都市の中心部にあるが経済原理が働いていないところで、一般的な計画と異なる仕組みで動いているところに、すなわち、ある意味物理的には中にあるものの、システム上・ソフト面では離脱している〈外〉にあるところに関心を持ち始め今取り組んでいます。
先程ご紹介できなかったのですが、再開発は本来であればみんな平等で、立ち退かせて同じような制度で対応すべきだと思うのですが、一方、所有や権利の問題をめぐって必ず平等になることは難しいとも思います。本来の一般的な建築設計であれば用途や使用者を決めてから建築設計を始めますよね。しかしこの対象地の場合は、少なくとも今のデベロッパーが用途やどのようなプロセスで進めるかが分からないので、自分がその場で用途と使用者を明確にすることで、この地区の再生が始められるのではないかと思い、研究に取り組んでいます。
小野:岡部先生が先ほど言われていた「〈外〉に住めるか」は委員会でも議論があり、住める派と住めない派に真っ二つに分かれました。後半のインフォーマリティーを問う意義のところで中心的な議論になるかと思いますのでよろしくお願いいたします。岡部先生ありがとうございました。
それでは第2回の土地所有の回からの質問です。両川さんからのご質問です。岡部先生から「セルフフォーマル化というのが脱却ではないか?」というお話がありましたけども、そのセルフフォーマル化についてです。穂坂先生へのご質問です。
「南米のインフォーマル地区で住民組織によるフォーマル化を目指した活動がありました。しかし、こうしたセルフフォーマル化を目指す活動がどこでも起こるかというとそうでもないように思います。セルフフォーマル化が起こるための、あるいは起こりやすい条件についてどのようにお考えでしょか。
また、その際の外部の団体、行政やNPOの役割についてもお聞きしたいです。」ということです。
第3回の参加型の回からの質問も、穂坂先生に対するセルフフォーマル化のご質問ですので一緒にいきたいと思います。「セルフフォーマル化『self-formalization』の方法論が求められている、その意義も含めて改めて討論の中でご教示頂きたいです。加えて、穂坂先生は中間領域としての社会空間ということも言われています。その『self-formalization』における『中間領域」とは何かお聞きしたいと思います。また、国際的に見たとき日本の若手研究者・建築家に期待することは何でしょうか?そして、セルフフォーマル化が日本における参加に関する議論にどのように関連していく、あるいは逆に日本にどのように影響を及ぼし得ると思いますか?私たちの海外住宅参加型研究をどのように価値付けたらいいのでしょうか?』というご質問になります。たくさんありますが、よろしくお願いいたします。
穂坂:皆さん、こんにちは。両川さんのご質問で、「どのような条件か?」というのはなかなか一般化できることではないと思います。両川さんが例に挙げられたような人々がまず土地をスクワットしていて、そこから様々な生活環境を築いていくというプロセスを、私はかなり時代的な状況として、つまりグローバルな資本主義の下で居住の不安定化が進んでいるという現代的な状況下でインフォマル・セトルメントにどう立ち向かっていくか、その手がかりを得るという文脈で議論しています。現象そのものとしては昔からあるものだと思います。つまり、特に両川さんのフィールドであるラテンアメリカはそういう意味では先進的で、私が学生時代に大学の図書室で見た写真で未だに鮮烈な印象を持っているのは、ジョン・ターナーの論文の中でこれは50年代か60年代なのですが、ペルーのリマの郊外に一夜にして農村からやって来た人たちがセトルメントをつくるという迫力がある写真がありました。そこから、いかにして人々が都市生活への手掛かりを得ていくかがターナーのテーマだったわけです。これを先事例として、先ほどのから何人かの方がプレゼンなさっているように70年代のスラム改善やサイト・アンド・サービスが広がったと思います。これは、両川さんがおっしゃたように、世銀が後押ししたというのが圧倒的に大きいです。しかし時代背景というのがあって、この委員をされている皆さんはまだ生まれていらっしゃらない時代かと思いますが、70年代というのは本当にある意味「熱っぽい時代」で、先行する近代化路線に対してオルタナティブな開発が百家争鳴に花開いた時代です。
例えば、保健分野ではプライマリー・ヘルス・ケアが、また宮地さんがお話なったスモール・イズ・ビューティフルに始まるAppropriate Technologyが70年代に展開し、いろんな分野でそういう展開がありました。もちろん住宅分野ではアナーキストであるジョン・ターナーが国家・官僚による支配から脱するということで「housing by people」と定義しています。その中で一連のスラム改善も行われているということで、それを今振り返ると、例えばスラム改善にしろ、サイト・アンド・サービスにしろ、個々に総括すべきことはたくさんあるわけですが、まとめてざっくり一言で言うと所謂「pro-poor」が個別プロジェクトをちまちま重ねても、結局改善につながるようなシステムが生まれてこないのではないかという総括があったと思います。世銀は段々そこから手を引いて、もっとシステム的な住宅金融の問題であるとか自治体のマネジメントの方にいきました。一方で、ジョンターナーなど民衆派の人たちはそれを総括して個別プロジェクトを積み重ねるよりも、人々がまさに「housing by people」ではなく「housing themselves」ですよね。自分たちがhousingしていくためのリソースへのアクセスを確保できるような、それを保障するような政策に転換しなければいけないのではないか。具体的には土地、情報、あるいは社会的認知や融資であるとか、そういうリソースへのアクセスをどのように確保していくかということがイネーブリング戦略に繋がっていった。イネーブリング戦略そのものは、その後市場セクターにハイジャックされたと僕は思っています。そのため、イネーブリングそのものが批判されるようになっているわけです。
人々に必要なリソースをいかに確保するかは政府にしかできないことであって、それが一生ある種の前提としてそこにセットされていれば、人々が自ら改善していくことを明らかにファシリテートされるので、政府・行政・外部がとるべきスタンスとしては一つ重要なことだったと思います。今でもそれは重要だと思います。そういうポリシーを最も先進的に取ったのはスリランカでして、さっき太田さんがご説明になったコミュニティアクションプランニングは元々80年代後半にスリランカで始まって、自分たちは今何を必要としているかをコミュニティの中でワークショップを重ねながら、表明されたニーズに対応して政府がそれを支援していくプログラムをやっていたわけです。その問題はそれでまたありますが、私はその頃国連から派遣されてCAPの支援をする側にいました。その時同時に、国を越えたコミュニティプログラムをやっていたものですから、スリランカの現場にインドのムンバイで路上生活の女性たちの再定住プログラムを支援していたSPARCというNGOからトリマ・ゴパランという方を呼びました。彼女はタミール人で、まさにその頃スリランカ国内はタミール人と言えば焼き討ちに遭うという大変な状況だったのですが、幸運なことに彼女はスラムの中でタミール語を使って住民と話をすることできたのです。1週間現場を見てもらって、どうだった?とトリマに聞いたところ、トリマが言ったのは「こんなに住民のために一生懸命やる行政職員(つまりCAPというのは基本的に住宅公社がやっていたわけです)はインドではとても考えられない。それはそれで素晴らしい。だけど、これは明らかに参加型とは言え、政府のプログラムだ。自分たちのところでは、例えば路上でテントを張っている女性が隣のテントの女性から学び合う。あるいは街を越えて学び合う。(SPARCはその頃すでに国を越えたエクスチェンジもやっていたのですが)国を越えてコミュニティ同士の交流から新しい力が起こるようなことを私たちは考えている。」というようなことを言っていました。僕はその時は生意気だなと思いましたが、それから数年にしてスリランカのコミュニティアクションプランニングを支えていた大統領が暗殺されて、活動が解体されて、全然サスティナブルでなかったことが明らかになってしまいました。その中で、コミュニティ同士で学びながら出来上がっていったのが、女性組合というスラムの中でできてきた女性組織だったのです。
コミュニティ同士が学び合うというのは、実はコミュニティの人だけに任せたらなかなか上手く回っていかない。行政の中にも、それ程センスがある行政はなかなかいないので、やはりコミュニティのことについてよく知っていて尚且つ他のコミュニティを知っているNGO、ここで言う外部組織としてのNGOならばできることだと思います。コミュニティが学び合うというのは重要であり、単に上手く成功した一般化したモデルを他方に持っていくというよりも、さらに深く、コミュニティを訪問した人が、「こういうことが可能なのか」と感じた後に、まず自分たちの経験を振り返る。そこで、「あっちではそういうことやっているのか。じゃあ自分たちはこういうことができるかな。」と考えて、自分たち自身のイニシアティブをそこで振り返りながら発掘していく、新たにチャレンジしていくことで新しいダイナミズムが生まれる。NPOの1つの役割としては、コミュニティを媒介すること。それは、「風の人」ができることなので、外からやってきた研究者にもできることではなかろうか。私が参加させていただいた第3回目の研究会で最後に横山先生がそのようなコメントを残していかれたのではないかなと思います。
また、インフォーマル・セトルメントも参加型計画も倒錯した概念じゃないかと思います。参加型計画に関して、私は「デベロップメント」というのはそこに住んでいる地域の人たちが様々な資源を利用しながら生活を少しずつ向上させていくようなプロセスを言うと思います。それは昔から自然的な流れの中であるものですよね。だけど戦後、普通に開発と言うと、そういう風にしてそれを「開発」とは呼んでないわけです。それは1949年にトゥルーマンが選挙の洗礼を受けて、最初の大統領就任演説で「Point 4
Program」という戦後の冷戦構造を見据えた対東アジアへの戦略として自分たちの国の外交戦略を打ち出した。その中で、我々が今後やることの1つは、つまりPoint4のうちの1つは「Under development country」であり、「Under developmentとはそれぞれの国に対して進んだアメリカの科学技術の恩恵を及ぼして人々を貧困から救う。」ということを示し、これが「デベロップメント」になりました。つまり、援助としての「デベロップメント」はそこから私たちのイデローグに染みついてきました。
今、国際開発を学ぶ学生たち、新入生に、『「開発」ってなんですか?』って聞くと、「貧しい国を豊かな国が援助することです。」との回答になってしまいます。彼らだけを責められないのは、やはりそういったステレオタイプが一般化しているからです。例えば、海外の貧しい地区と言われる現場に出かけていき、「そこにいる貧しい地区に住んでいる人たちが貧しいな。これは何とかしたい、貢献したい。」と。そうすると、それはその「対象地域に住んでいる人々」として客体化されてしまうわけです。一旦客体化された人々が、また主体的に開発に参加するためにはどうしたらいいのかと、また苦労が始まるわけですよね。だから、それはすごく倒錯した話で、その主体的になってもらうためにいろんな手練手管を使っていく。PRA(Participatory Rural Appraisal)とか。
参加型の話というのは先ほど申しましたように、1970年代のジョン・ターナーの時代に参加やセルフリライアンスが議論されました。その後90年代以降、ロバート・チェンバースと共にPRAとか一連の参加型手法なるものを駆使して、一旦客体化された住民を主体化するという倒錯の話になっているわけです。それはおかしいじゃないかと。我々が本当に言いたいことは何だろうか、参加型計画で言いたいことは何だろうかと。
番外編の講演会で岩崎さんが「今痛めつけられているインフォーマル・セクターの人たちがどのように立ち上がるかというと、痛めつけられた中でも保っている、ある種農村的、自然的なクオリティから出発するしかない、のだと。そこでキーになるのは参加と自然なのだ」と言っていました。その時彼が言っている「参加」は参加型計画とはずいぶんニュアンスが違うじゃないかと僕は思います。
僕の言葉で言い換えると、それは「当事者主体の自治」ではないか。「当事者主体の自治」をどういう風に守っているか。そこに表れてくるクオリティをどう展開していくか。その時に、「支援」というと「援助」の話に戻ってしまうので、「支援プロジェクト」ではなくて「人間的交流の場」を作るのではないか。「当事者主体の自治」を外から支える人間的な交流。その中には支援もあるし、場合によっては技術的なアドバイスなど色々なことが含まれていいと思います。私たちのNGOの中では「フェア・トレード」という言葉もあります。そういうような形での展開がこれから目指される。
今頂いた質問の中で、「セルフヘルプというのは運営・実行が自前であり、自立性があるということか?」とありましたが、自立性というのは、まさにそういったことでありまして、それをなんとか外から支えられることがあったら支える、その中で研究活動を位置付けるということではないか思います。
小野:ありがとうございました。前半のお話はセルフフォーマル化が起こる条件についてでしたが、こちらについてはコミュニティ同士の学び合いがとても重要で、コミュニティ自身が気づくというプロセスが重要で、そこにNGOや研究者の果たしうる役割があるではないかというお話かと思いました。また、後半については参加型ではなく「当事者主体の自治」ではないか、支援ではなくて「外からの人間的な交流と視点」が重要なんじゃないかというお話かと思いました。後半の討論の中で両川さんと白石さんに引き続き議論して頂ければと思います。穂坂先生ありがとうございました。
では第4回の質問に移りたいと思います。こちらは布野先生へのご質問になります。第4回ではですね、ノンエンジニアド建築について各国の比較を行いました。そこで、「複数の研究者・実践者が別々のフィールドで実践・研究しているときに相互比較が非常に難しいと感じた」ということですが、「相互比較するにはどうしたらいいでしょうか。またどのような相互比較なら可能と考えますか。」というご質問です。布野先生はアジアをはじめ世界各国の都市研究をされていますので、そういった視点から是非ご回答いただければと思います。よろしくお願いいたします。
布野:これはノンエンジニアドの度合いについての比較が難しかったから、どうしたらいいかということでしょうか。要するに何を比較するかということですよね。例えば穂坂先生の話、あるいはこの会全体が共有していると思われるコミュニティとコミュニティが相互に学び合う・経験交流をしていくということであれば、そのレベルで色々情報を共有できるのではないかと考えています。
まず、関連する研究報告や論文を読む時に比較した情報が揃わないというレベルのことにお答えしますと、僕自身は、基本的に建築計画学を出自としていますので、住宅で言うと使われ方や居住者にインタビューなどの住宅調査をします。しかし、1戸の住宅だけ見ていてもわからないことがある、基本的に住居の集合、街区、都市組織といっていますが、コミュニティ単位をベースに調査フォーマットを持っていいます。大体世界中どこでもやっていてそのレベルであれば共有できる。都市組織研究として、共有された調査手法があります。ノンエンジニアド建築については、当然、建築については、どこで資材を調達しどういう技術を基にしているかを調べます。都市組織研究については、比較可能なデータは構築できると基本的に思っています。
しかし一般的に言えば、個別のフィールドについて緻密なモノグラフを重ねてれば、研究者同士のコミュニケーションの中で比較できるのではないか、と思います。報告や論文に書かれていなくとも、研究者の研究交流によって比較はできるのではないかと思います。
ただ、何のために何を比較するかが問題ですね。個別のフィールドで得られたものがどれだけ一般化できるかは常に問われます。それで比較したいとなるわけですが、その基本は、、個々のでフィールドに「世界を読む」ということです。「地域研究(フィールド調査)」の存立根拠については議論が積み重ねられてきています。例えば、どこへ行ってもグローバルな資本主義の浸透があるわけですよね。そのメカニズムが、ある地区を調査しただけでも見えるはずですね。それを記述せよ、ということです。例えば、誰かが何かを食べているとしたら、それがどこで調達されて、どうここに届けられているのかというところまでちゃんと調べなさい、ということですね。「地域をディテールに世界を見る」というのが基本だと思っています。
あとは聞かれていないのかもしれないけど、僕が引っかかるのは「ノンエンジニアド」という言い方です。では、エンジニアが入れば良いのか、という前提です。これは、日本でも建築基準法や建築専門家によって絶対的な安全性とか、良好な環境とか、居心地のいい生活が担保されますか?ということです。既存不適格とかあるじゃないですか。大災害がある度に、国交省は法改正をして基準を改めていますが、それを通して宮地さんが議論されているようなことが果たして実際に担保されているのかが心配しているわけです。僕らの学生の頃には、AT (Appropriate Technology)やIT (intermediate
Technology)といっていましたが、ヴァナキュラーな知恵をどう活かしていくかということを考えていました。
フィジーの例、バングラの例、バヌアツの例、これは素晴らしい。僕らが考えていたATやITの実践例ではないかと思います。それを基準にして、どこか別の所に輸出するという発想ではなくて、現場でそれぞれのコミュニティが選択するというのが基本だと僕は思っています。エンジニアド、ノンエンジニアドの定義がどうのこうのというのは次元が違う話ではないかと思って聞いていました。
何を比較するのかというのはそれも調査であって、ディープな知恵を持っている現地の人や研究者から情報収集をする、本当に必要なら現地調査やればいいというのが僕の考えです。
小野:布野先生ありがとうございました。おそらく、この会自体がいろんな国や地域をフィールドにして、かつ専門分野が少しずつ違った研究者が集まっていて、その中で知を蓄積して新しい知見を生み出したいと思いつつも、少しずつの視点の違いでなかなか議論がしづらいだとか深まりづらいという部分があるのかなと思っています。この研究会で、どのようにアプローチしていけばいいのかというのも、これからご相談させて頂きたい部分かなと思います。
布野:こうやって集まっているグループが素晴らしいと思います。番外編も含めて全部参加させて頂き、1年と半年くらい付き合っていて、、今日の報告を聞いても、ものすごく議論の密度が上がった感じがします。お互いはもう影響し合っていて、次にフィールドに行かれる時には、色んな視点で情報を得られるはずで、こういう場を積み重ねることと広げていくということにしたいとと思います。
小野:心強いお言葉ありがとうございます。既にこの中で知識的な交流が生まれているということなのかなと思います。ありがとうございました。
では最後、第5回は岡部先生へのご質問に戻ります。少し毛色の違う質問になりますが、川井先生より「成長モデルを前提とした近代の建築教育のフォーマットの限界を感じています。敷地が与えられ、建てることを前提にした設計演習中心のカリキュラムと現実には大きな乖離があります。所有概念そのものを捉え直す『行為としての所有、占有原理』の考え方を建築教育プログラムの中でどのように組み込めるのか、さらにはそこから働き方・就職先の変化として期待したいこと、についてご自身がお考えになっていることをお聞かせください。」というご質問になります。よろしくお願いいたします。
岡部:川井先生の発表を聞きまして、今、湖東地域で取り組まれていることは、私が館山の南房総地域で取り組んでいることと重なることが非常に多くて、共感しながら聞きました。おそらく悩まれているのは、そうした周縁でいろんな気付きがあって、行ってみないと得られないような気付きを得て、あるいは、途上国のインフォーマル居住地のようなところでも気付きを得て、いざ大学の教員として若い建築の学生たちを指導しようというときに、そこにあるギャップに悩まれているのだと思います。結論からいうと、私はそこであまり悩まないところがあります。教育はどうなのか、これからこの子たちの仕事はどうなっていくのか、ということだと思いますけど、行為としての所有とか占有原理とか今のシステムの基盤になっているような所有の概念自体を覆すことに気づいてしまったときに、何か全て教育も働き方もガラッと変わってしまうのではないかという気がするのだけれども、どちらかというとそうではなくて、人間がつくってきた合理的なシステムは非常に不完全なもので長い間かけて精緻化するほどひずみが見えてきて、特に若い学生たちはそれに私らの世代よりもはるかに敏感で既に気づいていて、川井先生がなさっているようなことにも関心を持つようになっていると思います。
今日は〈外〉をテーマにお話ししましたけど、それはフォーマルの〈外〉のインフォーマルから発想しろという訳ではなく、フォーマル・インフォーマルという枠組みを取り払って考えてみましょうということです。建築だけでなくあらゆる教育において、人としての一般教養と専門的な教育があると思いますが、それの〈外〉の学びの場が必要なのではないかと。みんなそれを必要としているし、大学というフォーマルな教育の場では難しいが、何か別の学生との付き合いなどの中でそういった〈外〉の学びの場、専門教育や一般教養ではない〈外〉の学びの場をつくっていかないといけない。私はそれをコロナ禍で痛感するようになりました。
そういう気付きを得て私もゴンジロウ塾で〈外〉の学びの場をつくろうと思って試行錯誤をして、色んな大学の学生さんも参加し、必ずしも建築の学生だけでない。あるいは、人生の迷子さん的な人も参加するような教育の場をつくっているわけです。
じゃあ、そういう人たちがこれからどういう仕事に就いていくかということですが、仕事は仕事でこれまで人間が創ってきたシステムの中で「金銭と交換する」という意味での仕事が一つあると思います。その「金銭と交換する」とかしないとかを越えた、人間の本性として仕事をするという、つまり「仕事」=「生活」をどうしていくのかということが、問いになります。川井先生もおそらく琵琶湖の湖東地方でされているのはその問いを探ろうとしているということかと思います。それはロバーツの言葉を借りれば「On Work」すなわち「自分しごと」にもなるし、イリイチの「Tools of
Conviviality」でもあると思います。そういうものを学ぶことが建築教育の中にあって、それを学生たちがある時気づくものになっているということなんじゃないか。生活の上で必要なものだし、実際の土地所有はあるルールの中で建築を造ったりしている中では「所有」は決められたものとしてあるけど、実際は、例えば植木は隣にも生えているし水も流れてくるということで、実際に排他的に所有というのは完全に虚構でしかないわけですよね。それが必要なものになって、そういうところを教育するのであり、彼らの新たな仕事の仕方として、「生活」と「仕事」をイコールで繋ぐような生き方に気づいていくことではないかと思います。それとは別に仕事はあってもいい。
具体的に言うと、去年1年間はコロナ禍でゴンジロウ塾を中心とした活動が多くて、途上国のインフォーマル地区には行けない状況だったので、私の場合は相対的には日本での活動が多くなりました。そういう中で実際に伝統工法の仕事をしたり裏山の木を切り出して何か建物を作ったりというのを学部4年の学生が学んで、その中から自ら大学院に進学するよりも大工の修行をしようと決めた人も現れました。そういうことが起こることもあるし、うちの研究室の場合では大手デベロッパーとか鉄道会社とかに就職する人とこのような活動をしていく人の2極化しているところがありますが、私はデベロッパーや都市開発系のところに就職していく人たちに結構期待しています。20年、30年後に何か起こるのではないかという期待を持って学生たちと付き合っています。
小野:岡部先生ありがとうございました。川井さん何かありますか?
川井:ありがとうございます。すごく心の奥のところまで読んでいただいて。まさに岡部先生がずっと考えて来られたこと、本当に人生の先輩として勇気づけられる言葉をいただいたなと思いました。僕自身、まさに自分がオンタイムでやっていると非常に盲目的になって「こうじゃないといけないのではないか」というように感じてしまうのですが、最後おっしゃっていた、デベロッパーとかに就職した子たちの20年、30年後に期待を持てるような感性、射程の深さのようなものを岡部先生から感じさせてもらいましたし、非常に勇気づけられました。良く色々なことを客観的にそして主観的に見られているなと思いました。ありがとうございました。
小野:川井さんありがとうございます。私も岡部先生が本で書かれている、1週間を4日と3日に分けてみて金銭的なお金を稼ぐのとそうじゃない何か生活的な仕事をやっていくといいのではないか、というのがすごく印象に残っていてそれを思い出しました。一般教育と〈外〉での学びというところから、「フォーマル・インフォーマル」や「生活と仕事」の枠組みを取っ払って、そうやって分断されていたモノをもう少し繋げてその間に立つということかと理解しました。ありがとうございました。
岡部:やはり人間は整理して物事を合理的に考えようとするところが得意なわけだから二分法で考えていくのはとても良いことなのですが、それじゃどうしても歪みが出てしまうのですよね。それを補完することを、無理にその中に作ろうとせずにその〈外〉に作ればいいのかなと。
小野:でもそれは〈外〉と言いつつも中なのですよね?
岡部:そうです、実は両方です。
小野:その視点がおもしろいです。以上で前半の質疑応答を終わります。前半は若手研究者から先輩研究者への悩み相談の様な形になりましたが、後半は「インフォーマリティを問う意義」とはなにか、それぞれみなさんがどのような想いでフィールドに関わっているのかという題目から、願いとしては、先生方から学ぶ中で私たちがどのようにこの研究会や都市インフォ―マリティ研究をどこに向かって進めていけばいいのかを考えるきっかけを1つ掴みたいなと思っています。ここに集まっているメンバーが、フィールドから何を拾い上げてどこへ繋げようと模索しているのかをざっくばらんに意見交換できたらと思います。まず委員会メンバーの主査の阿部さんからどういう問題意識でこの研究に取り組まれているかをお願いします。
阿部(確認済):なぜ僕がこの研究をやっているかというと、建築学の講義や教科書では、スラムやインフォーマル・セトルメントがどうやって形成されるのかを説明する資料がなかったからです。このような既存の知識で説明できないものを自分なりに言語化できれば、それは建築学にとって新しい知識になるのではないかと考えたからです。
またスラムでは、人間の生活が建築物にそのまま表現されているだろうと考えました。その表現は、住まい手によるセルフビルドや、増改築など、状況の変化に臨機応変に対応することでつくられていったのだと思います。他方で日本の家は、ファサードが整えられて、その中で暮らす人びとの生活が見えません。私がつくりたいのは、住まい手の生活とダイレクトにむすびつく建築です。そのための参考にしたいというという個人的な動機が、この研究を続けている理由です。
小野:ありがとうございます。では次は宮地さんお願いします。宮地さんは農村研究をされていますよね。
宮地(確認済):私はこの委員会には太田先生から招待されて参加しました。インフォーマル市街地ではなく農村の研究をしているので、この委員会での自分の立ち位置をずっと模索してきました。私自身としては、インフォーマル市街地そのものというよりは、第5回で岩崎先生からご指摘があった「農村からインフォーマル市街地という課題が派生している」という点をこの5回の報告会とパネルディスカッションで深く考えてきました。特にフィールドの土地所有について深く考えたことがなかったので、土地所有はこんなにもいろいろな多元性があるのだと、この研究会を通して勉強させてもらっています。
5回を通してみて自分の立ち位置を振り返ると、根源的な課題というか人間の生活のあり方みたいなものを、農村研究を通して見えてくるものがあるという点で、研究の意義が段々と見えてきたかなと思います。ただ、それを整理していくことが難しいなと。布野先生に質問させて頂きましたが、相互比較となるとそれぞれバックグラウンドが違う中で、やはり自分の立ち位置を見つけていくのが難しいと感じ、今も勉強を続けているところです。
小野:ありがとうございます。私もアフリカがメインのフィールドで、この研究会はアジアの事例が多くその中で議論していく中で、自分の立ち位置が見えてきたかなというところもあって、宮地さんもそういう農村の視点から見えてきたものが違うのかなと気になっていました。では、フィールド違いというところで、両川さんは南米からということで、いかがでしょうか。
両川:僕がインフォーマリティを勉強し始めたきっかけは、南米のエクアドルに行ったことです。元々被災地の漁村みたいなところに行って、そういう意味では僕も都市スラムからは若干外れたところにいるわけです。行ってみてそこにいる人たちに圧倒されたというか、何でもできちゃう人たちがいるような感じがして、当時の自分にとってはすごいことだと思って。建てられる建築1つをとっても、すごく力強いものに見えるというか、それでのめりこんでいったというのが経緯になります。
この研究会では、僕はラテンアメリカを扱っていて、アフリカや東南アジアとは違うような状況で、今コロナで行けていないので研究はあまり進んでいない状態なのですが、他の地域とは全然違うなと実感しています。自分の中ではまだそれが上手く言語化出来ていないのですが、そういったところをやっていければと思います。
小野:ありがとうございます。たしか前、住めるか住めないかという話で、私と両川さんは住める派だったのですが、雨宮さんは住めない派でしたよね。
雨宮(確認済):僕がジャカルタに関わり始めたのがちょうど10年前で、岡部先生の研究グループの主催するワークショップにチューターとして参加しました。その時に住み始めていたら、こんな組分けはされなかったわけで(笑)、10年前に戻れたらどうするかな、と少し考えたりもします。
今は自分の設計事務所を主宰していて、建築設計の仕事を生業としているのですが、その前に勤めていた設計事務所で某宗教団体の聖地を考える仕事を担当する機会がありました。30年後、あるいは100年後にも人々が豊かに集える聖地とはどういうものか、そこに向けて今何をデザインするか、という問題を考えていました。ただ、例えばそういう宗教の仕事をするときに、そこの宗教に入信しないと構想できないということはないし、むしろ外部の視点からの提案が求められます。そういう感覚に近いのかもしれないのですが、ジャカルタのカンポンに関わるとなった時も、30年後や100年後を見据えながら、現在に何か楔を打ちたい、というイメージがありました。もちろん、僕の個人的な素質として職人的にものづくりに没頭するタイプではないということもあるかと思います。
先ほど岡部先生が「外部者として住む」とおっしゃっており、腑に落ちたというか、「そういうことだよな」と思いました。僕は内部者か外部者かというところでインフォーマルかフォーマルかを見ているところがあります。阿部さんの論文の中にロイの理論を参考にして「全てがインフォーマル(インフォーマリティ)である」という図があったと思いますが、僕的には、逆に「全てフォーマルである」と言うこともまた可能ではないかと考えています。それは「人はどこの地域に行っても常に外部者である」というような視座です。そう見ることで、現地に行ったとき自分だけが外部者で、向こう側とこっち側という境界を設定せずに済むというか、そこに住む人たちも実はある枠組みにおいては外部者でもあると捉えることで、少し楽になるわけです。多分それは僕が最近自分の事務所を開放して、近隣の人たちとの付き合いを始めているという経験からでもあるのですが、コミュニティといっても結局みんな外部者であり究極的には孤独なのだと感じます。そう意味での「全てがフォーマルである」という捉え方もあるかと思うわけです。それはおそらくロイと同じことを裏側から言っているのだろうと、阿部さんの論文を拝読しながら感じていました。
インフォーマル居住地をフィールドとして実践するモチベーションについては、私は建築設計をやっているので、ここで作った建築が批評的に世界でどう捉えられるのかという点は重要かと思います。その時に、「不完全さ」をつくるということ、つまり建築の完成のかなり手前で設計を止めるというやり方に可能性があるのではないかと考えていまして、それを1つのアウトプットの形として今後さらに追求していきたいと思います。
小野:ありがとうございます。雨宮さんが〈外〉とは、どこかみたいなことを議論してくれました。先ほど穂坂先生からも「参加型」ということに対して、その言葉をどう捉えるかというお話がありましたが、白石さんがどういう視点や意義を感じながら研究をされているのかをお願いします。
白石(確認済):穂坂先生に質問させて頂いたように、立場や意義についてはずっと悩んでいます。私がフィリピンに関わり始めたきっかけは、卒業論文を書きましょう、では研究室がフィールドにしているフィリピンで調査しましょう、という流れ任せで特段に積極的とは言えないものでした。しかしその後現地の人々と関わっていくうちに、何か自分にできることはないかと考え始め、それが今日まで研究を続けている理由というか研究の出発点です。というのも、何か役に立ちたいのだけれども、現地でNGOの職員になる勇気も度量もないし、ではどうしようと考えた時に、研究も嫌いじゃないな、研究をして自分の食い扶ちはそこで稼いで、現地にJICAのお金をもってくるとか、現地で評価されていないような人を外国から評価したり、あるいは現地の人にとっては実践で忙しくて手の回らない調査や広範な情報収集などをやることが、私にできることなのかなと思ったからです。
けれども、研究のフィールドにいると当然、研究の価値を考えざるを得なくなります。ネイティブのように英語で広範な知識や情報を集取できるわけではない、さらには日本独自の「建築計画」から見ている、といった中で、研究としての自分の活動をどう捉えるのか、自分が目指している実践としての価値と、論理武装しなければならない研究としての価値の間で悩んでいます。例えば、現地について、日本語での、日本での発表を行う際に、こちらとしては「日本もこの海外の例を参照すると良い」というような研究の価値付けを行っているつもりなのですが、なかなか理解してもらえない。揃いも揃って「なぜ地方都市でフィリピンの研究をやっているの?」と言われてしまいます。
そういった意味で、この研究会に期待することの一つは、みなさんそれぞれ勉強されていて、情報を持っている、ぜひそれを教えて欲しい、共有したいということです。もう一つは、みなさんがどのように自分の研究を捉えているのか、悩んでいるのか知りたいということです。そして何よりも、普段研究室にいるだけでは恐れ多くてアクセスしにくい先生方に、本や事例、国から飛び出て話しかけられる、とても貴重な場所だと感じています。
小野:ありがとうございました。「何でインフォーマル市街地の研究をしているの?」とよく言われますよね。それに対する答えは、定型文として用意はしていますが…という。
太田さん、先ほどコミュニティ同士の学び合いが非常に大事で実際にその現場を目撃したってお話でしたけども、よろしくお願いいたします。
太田:委員会のモチベーションとしては大きく2つあるかなと思います。1つは、計画と実践とか、研究と設計とか、一旦概念として決められたことが揺らぐとか、動的になるような状態に期待している部分があります。分からないけど魅力的だなと思う部分があるといいますか。土地所有の多源性の話で、誰も土地所有に関しての唯一の正解を持っていない状態が起こるというか、フォーマル・インフォーマルと言うとすごく堅いのですが、誰も一義的な答えを持っていない状態が心地良い、良いなと思っている点があります。
もう一つのモチベーションとしては、コミュニティ同士が学ぶことが大事だというお話をさせて頂いて、穂坂先生からも補足いただきましたが、ただコミュニティ同士の学びは外部の研究者等の介入者なりの外側の繋がりを含めてじゃないとできないというのが、我々のある種の役割が明確になった気がします。一方で、CAPも政府のものになってしまって、コミュニティあるいは自分たちにとっていい政府のうちはできるが、そうじゃなくなると一気になくなってしまうということがあります。今まさにジャカルタのCAPも「アニスが州知事になっている間にやってしまえ」のようなことが起こっていて、また全然考え方が違う人がトップに立つとガラッと変わってしまう弱いモノでもあると思うので、そういう時にNGOや研究者など外側のつながりがある程度基盤としてあれば、政府がいくら変わってもそこはサポートでき、一緒に考えられる場を常に持っておけるというのが重要なんじゃないかと話を聞いて思いました。
小野:ありがとうございます。では竹村さんもフィリピンで研究と実践両方ともされているということでどうでしょうか。
竹村(確認済):私はフォーマルに何かを進めようとする癖があり、今の研究対象地へ入ったきかっけもインフォーマルなものに惹かれたからではありません。最初はインフォーマル居住地に建築家がいて小さな改善を通して大きなシステムを変革していくというプロジェクトをたくさん見る中で、自分もそういう活動をしてみたいという思いがあって留学をして、そのつながりでご縁があった先としてフィリピンの再定住地セントマーサエステートに入りました。ですので、穂坂先生から指摘があったインフォーマル居住地で参加型計画という倒錯した考え方にマルっと頭を染めた状態で行き始めたようなところがあります。そのため、すごくインフォーマルなモノに魅力を感じ、そこの原理を読み解こうという姿勢ではなかったので、特に第1回・第2回の発表は、私は発表者を「住める人たち」と呼んでいますが、その視点が新鮮で学びが多く、自分が対象地へのアンコンシャスバイアスを持って活動していることを強く自覚した回でした。
それでも、どうしてもフォーマルにフォーマルにと持って行ってしまう癖が自分にはあるので、そういった視点でもできることは何か、自分がやるとしたら何の意義があるかなと考えた時、私の指導教員はフォーマルな法制度やシステムを作っている人でそうした仕組みが働くものだとも理解しているので、そうじゃない人の視点や見方を取り入れつつ翻訳するようなことが自分にできたら、この研究会の中で役割はあるかもしれないなと、最後の討論を聞いて思いました。
小野:竹村さんありがとうございます。では川井さん、自らの生活実践の中から研究や実践されているようなところがありますが、よろしくお願いいたします。
川井:自分が取り組んでいるモチベーションと言うと、別の委員会・建築作品小委員会で主査をやっていて、6年くらい建築作品の批評をずっとやってきました。その中で若手の建築家の方と色んな議論させてもらってきましたが、日本に建築作品ってないなってつくづく思ったのですよね。というのは、ある制度の枠組みの中で作られた建築がいかにチープで、今それで積み上げられた建築家がいかにつまらなくなっているかを目の当たりにしたのですよね。その中で、僕自身が企画して、チャウドックというベトナムとカンボジアの国境にある西澤俊里さんの作品と、岩崎駿介さんの作品である落日荘を取り上げようと思っています。既成の枠組みを超えたところで起きているモノや現象を捉えないと建築批評ってできないのだなとこの委員会を通して痛感しました。自分自身も、研究者なのかどうかがずっと悩みだったのですが、この委員会で自分の考えを整理するなかで批評的にアプローチするというのは、自らが主体的になりながら他社性を帯びるというか、そういうところに身を置かないと建築作品も作れないし作品による批評性は生まれないのだとすごく改めて実感した次第です。
その意味で、「インフォーマリティ」とは魅力的なテーマというか、あらゆるものにくさびを打つような価値観を提示できるのではないかとずっと期待しながら取り組んできました。
小野:川井さんありがとうございます。それでは、この討論の締めとしまして3名のコメンテーターの方に最後コメントを頂きたいと思います。以上のように、この委員会のメンバーは悩みながら「都市インフォーマリティ」に向かい合って自分の生き方や研究者としてのあり方を考えています。先生方から見てインフォーマリティを問う意義や私たちが今どこに立っていてどこに向かおうとしているように見えるのか、布野先生の論文に「スラバヤで研究を始めて40年」と書かれていましたが、その40年前から私たちは何か新しい地平を切り拓けているのかも含めてコメント頂けたら幸いです。
布野:今日、穂坂先生の方から70年代の話があって、ついつい思い出話を色々としたくなります。例えば、フィリピンのど真ん中の不法占拠地に行ったときに、周りがものすごく汚いのに家の中はすごく綺麗なんですよ。自分の空間ですから当然ですけどね。「なんで外も綺麗にしないのか」と聞くと、「綺麗にすると地上げ屋がやってくる」というんです。そういう原理は、ちょっとだけ見学しただければわからない。現地で学ぶことがものすごくあったとか、ついつい思い出して聞いていました。
建築学会的な歴史回顧で言いますと、「住居集落研究の今後と課題―異文化の理解をめぐって-」という、若手特別研究ではなく協議会をやったことを思い出します。海外居住とか海外の都市についての研究が始まったのは70年代ですが、国際居住年IYSH(International
Year of Shelter for Homeless)の1987年頃に議論しています。その時の議論を2年連続で2冊の冊子にまとめましたが、それ見ると、「とりあえず海外行ってみました」、それで情報共有をして議論をしましたというところです。この段階では「異文化理解」という段階でした。だけど、皆さんのレベルはかなり進んでいる。学会としては、もう少しメンバーが拡大できるのではないかと思います。
僕個人としては、このグループに我が遺伝子を見いだして、すごく幸せな気分です。多分30年後に皆さんのお弟子さんたちが活躍するでしょう。それに期待します。僕らが海外へ歩きだした時には、経済侵略の次に文化侵略をするのかとか、研究で論文書くためだけに収奪しに来たとか批判があって、そのための議論を相当やらされました。その議論がある種の作法と言いますか、国境超えた場合の仕事の原理みたいになっています。みなさんには、ほとんど共有されていると思います。両川さんと川井さんの、個人でも国境を突破してやるということを僕は大事にしたいとも思います。穂坂先生がおっしゃたように、それはシステムにならないので、竹村さん辺りと協力してフォーマルな動きに繋げるか、とかいろいろやりようがある。私自身はそう言った経験をたくさんしてきています。
スラバヤ・エコハウスという実験プロジェクトをやりましたが、その時にはは色んな関係性の中での様々なネゴシエーションが必要になってきました。要するにジャパニーズ・スタンダードで建築の質を担保しないといけない、しかし、現場の基準でやれば倍の面積のものができる、ということがあった。具体的な実践にはいろんなことが起きます。皆さんのお弟子さんたちも含めて国際的に活躍するような牽引者になってほしいと思います。
小野:ありがとうございます。それでは穂坂先生、足りないところなどがありましたら補足をお願いいたします。
穂坂:さっき参加型計画というコンセプトそのものが倒錯しているのではないかと言いましたが、インフォーマル居住地もそうです。本来、人はみな必要に応じて服を繕ったり料理をしたり家族で住まいを作ったりとしていたのが、ある時からインフラは行政がつくる、住居は市場でお金を出して買うというような制度化が進んだために、その制度に乗らない人・乗れない人を「インフォーマル・セクター」だと一旦決めつけた上で、じゃあインフォーマル・セクターを何とか制度化に乗せてあげないといけない、フォーマライズしてあげないということで、土地のタイトリングをやるとか、市場で住宅を購入できるように様々な住宅の融資のシステムを作るなど、こういうところが倒錯していると思うわけです。
とは言え、今問題なのは、それをどういう風に乗り越えていくか。僕の理解では、皆さんが一番テーマとして狙っているのはこれまで建築計画の中で自分たちが教えられてこなかったインフォーマル居住地の中にある原理・作法をなんとか見出していきたい、ということだと思うのですよね。僕は、それはプロセスだと思います。プロセスとしてのハウジング、プロセスとしてのデベロップメント。
例えば、岩崎駿介さんが番外編で落日荘のお話をされて、それの関連でインフォーマル・セトルメントのことを言ったときに、「そこの魅力はプログラム化されていない空間がそこにある」と。それは空間のこと、空間の「質」であると同時に、その空間がどのように出来上がっていくかのプロセスを指しているわけです。落日荘でそれがどうなっているのか非常に気になるところだったので聞いたときに、彼はどういう図面を引いたという話ではなくて、「何か問題を解決すると、その先で次の問題が見えてくるからそれに取り組むという形で展開してきた」というビルディングプロセスを話されていました。それが僕は非常に印象的でした。
プロセスというのはラーニング・プロセスであってプロセスの反対はブループリントですよね。非ブループリントであるという意味での、プロセスとしてのデベロップメントは1980年代から言われてきた。多分、一番最初にそういうことをしてきたのは、人類学者のマーガレット・ミードだと思います。これはミードそのものの本には出てきていなくて、夫の本に妻がそう言ったと出てくるのですが。それは、1940年代の初めです。その頃、彼女は世界に広がるファシズムを前にしてファシズムに対する人類学の役割を考えていたと思います。それが何かというと、ファシズムの中にあるのは目的に向かって手段を体系化しようとする慣例主義。それから目的達成のために人々を動員する、人に対する操作主義。これを批判して人類学的に考えると、ブループリントで書かれたターゲットに照らして人の行動を価値づけるのではなくて、個々人の行動そのものの中に一人一人のある種の方向性を見出していくという、ファシズムに抵抗する民主的な社会の在り様というのはそこにあるのだと言ったらしい。それが、僕がインフォーマル・セトルメントに見出したいと思っている一つのことですね。
もう一つは、太田さんの質問の「中間的な領域」の話は、まさに今海外でのインフォーマル・コミュニティの中で見たと思っていることと日本の地域福祉の現場で結びつけられると思っていることの一つと同じです。インフォーマルと言いますか地域社会と行政市場、つまり制度とある種の中間的な社会空間が必要だと。つまり、「後は自己責任で」とバラバラに放り出すのではなくて、もう一回そこで人間関係を作り直すような中間的領域が必要だという。それは僕がスリランカの女性銀行の中で見たことであり、日本の地域福祉の中で同じことなんじゃないかと見ていることです。
一つだけ、皆さんにこういう方向を目指されたらいいのではないかと思うのは、一過性の調査ではなく継続的にやっていったらいいのではないかと。第3回の時に横山さんもおっしゃったと思います。僕もそれは重要なことだと思います。そうやって継続してやっていくことで相手と友人になる。研究者に限らずコミュニティの人と友人になるという人間的な関係が生まれていく。これはロールモデルがまさに、布野さんが20、30、40年、そうやってシラスさんやスラバヤの人たちと友人関係を結んでいってそこで発言して、友人として向こうも布野さんの言うことを受け止めてくれるという関係です。
布野:「これしゃべってくれ」と言われて、『スラバヤポスト』に何回か記事が掲載されたことがあります。外国の人に喋ってもらうというのは、日本でもありますよね。そういうこともやってきました。
穂坂:だから友人になると色んな新しい役割が人間的に生まれてくると思います。僕もスリランカに行くと、コミュニティ組織の中で調停をすることがあって、それって中の人間はなかなかできないことですよね。外の人間だから上手く調停しようと思えばできるようなこともある。是非この素晴らしい研究を継続的に担って頂きたいと思います。
小野:穂坂先生ありがとうございます。それでは最後、岡部先生よろしくお願いいたします。
岡部:私自身何が原点かと言うと、私は1970年代にメキシコで育っています。現地の公立小学校に行って、そこの公立小学校は裕福な人が行くところではなかったので、4年生くらいになったら仕事で辞めていってしまう友達が多いという学校に通っていました。その時に、ただ友達として付き合っていた人の存在は、私にとってはインフォーマル地区に入る時や、あるいは過疎地域に行く時には他の人とは違った距離感をもって入れるようになっているのだなと。子供のころは、何でこういう風になっていたのかと嫌っていたのですが、今はそういうに思っています。
「インフォーマリティの意義」とは何かということですけども、農村研究との繋がりで言えば、私は都市と農村は何が違うのかというのは、倉沢進先生の定義が非常にピンと来ています。何か問題が発生したときに、自分で解決する、あるいは、仲間やコミュニティで解決しようとするのは農村で、そうではなく専門家に頼もうというのが都市だと定義しています。そういう意味で、農村からインフォーマル地区を形成している人が集まって住んでいるという直接的なこともあるけれども、やはり都市の中において問題が起きたら専門家頼みにせずに自分たちで解決しようというところだと思います。それは、今何でも精緻な仕組みの中で私たちは快適な生活ができている訳だけども、いざ何かが破綻したとすると自分では何もできないというのが、今の社会の最も大きな不安だと思っています。それが、インフォーマル地区に関心を持っているということや魅力があるというのは、そこにあるのだと思います。私たちが持っている不安を解消してくれる何かがある場所なのではないかと思います。
今日のお話をずっと聞いていて1つ考え続けたのは、「正しさとは何だろう」ということです。それぞれ皆、劣悪な環境と言われる所でも、自分の生活や環境をより悪くしようと思っている人は誰もいなくて、皆より良い生活を求めて必死に生きているのに結果的にあるエリアを劣悪な環境に貶めていってしまっている。適正技術と言った場合も、「正しさ」には色々な「正しさ」があるのは分かるが、果たしてそれぞれのコミュニティに最適な技術があるのかと言うとそれも違うような気もする。穂坂先生がおっしゃたようにプロセスであって、人は皆より正しいモノ、より良いモノを求めていくわけだが、その「正しさ」は不確実なもので、だからと言って「正しさ」には意味がないのか?私は正義や適性という言葉にアレルギーがありますが、人間が「正しさ」を求めていくプロセスは非常に貴重なものだと思います。
学内などで「インフォーマルを研究してどうするのか。こんなに複雑で面倒なものを研究してどうするの。」と言われたときに、私は胸を張って答えたら良いと思っています。マクファーレンが言う様に、フォーマルかインフォーマルかは実践の一形態でしかなくて、全ての人が食べるものを選ぶ際も、別に法律で決まっているからその通りに食べるものを選択しているのではなく、好きなものを食べるという意味で、私たちはすごくインフォーマルな選択をしているわけで、インフォーマルな余地が無くなってしまうと窒息してしまう。都市もそうである。成さんがおっしゃいましたが、おそらくそこの地区に行ってその地区が再開発されてテーマパーク化されてしまうと、せっかくそこで都市が息をできていた、ふと一息つける場所が失われてしまうのではないかという不安を持っているのではないかと思います。ですから、「インフォーマルが無くなったら、生きていけないのではないか」と声を大にして言ってみたらどうでしょうか。
小野:ありがとうございます。私からは「この活動をぜひ仲間を増やしながら継続して行ってください」という応援の言葉と、「胸を張ってインフォーマリティ研究をするのだと言いましょう」という言葉を借りて締め、川井さんの総括に譲りたいと思います。川井さんよろしくお願いいたします。
川井:布野先生、穂坂先生、岡部先生のお話を頂いた中で共通していたなと思ったのは、フォーマルとインフォーマルの間のゆらぎに対して何かしようと、みんなすごく意識的にやっているのだろうと感じました。
例えば岡部先生の、「〈外〉にいる」=「より良く生きることを諦めない」という、相反するような存在をイコールで結んだということ。まさに〈外〉にいるけど内側にいるという、我々が二つの間を媒介する存在として研究なり実践をトライしようとしているのではないかと。すなわち我々は、異文化とかそういうことではなくてインフォーマリティに対する、それを伝えたいという意思や想い・面白さや興味関心を媒介して他者に伝えたい、自分たちが学びたいという研究者や実践者の集いであると改めて再認識した次第です。
我々が非常に渇望している、「人間的な交流」すなわち継続の中にあるプロセスということに対して、非常に敬意を持って活動しようとしているのではないかと。その継続性やプロセスに対して我々が引き続きトライをしていくことが大事だと思いました。
そして最後に岡部先生が言っていたことで、これは委員全員が思っていることだと思いますが、「インフォ―マリティが無ければ死んでしまう」と。基本的にはここのメンバーは1回だけしか直接お会いできていなんですが、何かフォーマルに対して抗おうというチャレンジ精神とバイタリティーと空気感というか、面白さを共有しているメンバーだなと会を重ねるごとに実感しているところです。すなわち、「インフォ―マリティがないと我々は死んでしまうのではないか」というのを根底に思っているのだろうなと今日実感した次第です。