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2021年8月31日火曜日

外国人労働者問題⑥ ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、建設通信新聞、1991年4月

 01] 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141

02] 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142

 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148



 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410

 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411

 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412

 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415

 

2021年8月30日月曜日

外国人労働者問題⑤ 建設現場の光景 お寺と黒人、建設通信新聞、1991年4月

 01] 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141

02] 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142

 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

埼玉県S市。あるお寺の現場。木造の本格的な新築である。珍しく丸太の足場である。丸太で素屋根がかかっている。全国で鳶さんの数は少なくないとはいっても、丸太と番線だけで大スパンを架構できる鳶さんはそう多くない、という。今、ほとんどの現場が鋼管足場である。簡単で早い。それならなんで丸太の足場かというと、単管ではできない場合がある。跳ね出しの場合、丸太の方がはるかに強度があり、遠くに跳ね出すことができるのである。それに木造のお寺に鋼管足場は似合わない、というので丸太の足場にしたのだという。とにかく、いまどき珍しい、伝統的な現場である。その現場に外国人が働いていた。黒人で大柄である。なんとなく、違和感のわいてくる現場の光景であった。

 鳶さんは、かなりの腕のいい職人さんである。数十人の弟子を育てたというし、業界でもかなりの立場にある、。重鎮である。そこに何故外国人労働者なのか。

 現在、息子さんを中心に千葉県N市で営業するのであるが、総勢一二人のうち、六人が外国人である。プエルトリコ、ガーナ、ソマリア、そして三人がイラン人である。また、これまでパキスタン人も雇ったことがあるという。何故、外国人を使うようになったか。その話は熱っぽい。

 「とにかく、中学卒が駄目なんだ。冗談じゃなく、二十までしか数が数えれないような連中を預かるんだから。おねしょがなおらないものもいる。それじゃなくても根性がない。最近のことだけど、中卒を九人採ったんだけど、半年後に全員辞めたなんてことがある。6Kとかいうけど、五つまではなんでもない、なんとかなるんだ。しかし、仕事がきついというのはどうしようもない。そう思うんだからしょうがないよね。

 それに比べてみると、外国人の場合しっかりしている。パキスタン人なんか根性あるよ、特にね。うちにいるのは、就学生なんだけど、日本語も勉強している。彼らも大変なんだよ。学校へ行くために三〇万も五〇万もかかるんだよ。」

 むしろ、「不法」就労を取締り、指導する立場にあって、外国人労働者を使わざるを得ない実態とはなにか。問題の根は深いと言わざるを得ないだろう。

 「あるゼネコンの現場なんだ。難しいんだよね。だから、引き受けた。六人やったけど三人が外人だ。最初の日に早速電話があったよ。向こうの監督さんからね。「親父さん。外人駄目だよ」ってね。「いやあ、駄目だってってしょうがないよ。いま手がないんだから。まして突貫工事なんだから。偉い人が来た時だけは車んなかに放り込んでおいてくれていいから。偉い人というのは、半月に一遍とか一ケ月に一遍しか来やしないんだから」といったんだ。そしたら、「毎日三時から十分安全講習やるんだけどわかるんだかどうだか困るんだよな」というから、「大丈夫だよ、教えてあるから。日本語もわかるから。とにかく三日か四日か黙って眼をつむって奴らがやるのをみててごらんよ」といって押し切った。一週間ぐらいたって現場に行ってみてたら、監督が何をいうかというと「親父さん、すごいねえ。あいつら、随分やるねえ。よく働くねえ。安全帯の掛け方とかよく教えたねえ。日本人の三倍やるねえ」っていうんだ。」

 何もピンハネや賃金不払いが横行しているわけではない。この親方の場合、直接一万円から一万三千円を払っているいるのだという。最初は五千円だったんだけど、仕事に馴れるに従って、八千円になり、九千円になり、今は日本人と変わらなくなったのである。他に、月当り五万五千円のマンションも会社の名前で借りてやっているという。

 「不法だというのは知ってますよ。住居を与えれば幇助罪になる。しかし、期限を限って研修生として受け入れるべきなんだ。また来てもいいしね。皆優秀なんだから。彼らも大変なんだよね。ただ、結構優雅にやっている。六本木辺りでは結構もてるらしいよ。日本人の彼女もいるらしいよ。生活習慣の違いは大きいけどね。電気代、水道代は彼ら持ちだよ。朝からシャワー浴びるし、とにかく使うんだから。イスラームの場合、銭湯なんかで体毛を全部剃っちゃうんだよね。だけど、生活習慣や文化の違いだってわかりあえると思う。同じ人間なんだもん」

 親父さんは、短期に期限を限ったスイスの移民政策を日本もとるべきだという。不法就労問題、外国人労働問題についてはかなり詳しい。そして、人夫出しの底辺世界にもかなり通じている風である。

 「この世界で何年も生きてるとね。色々な奴を知っている。弟子のなかにね、人夫出しをやってるやつがいてね、紹介してきたんだ。一人につき、三万か五万貰うわけだ。紹介料としてね。紹介してすぐ逃げられるとまずいから、一ケ月後に払うんだそうだ。親父さんならいらないよといわれたけど、商売なんだから、半額払うことにした。それがきっかけなんだ。色々、何人もいるよ。外国人労働者を取り締まるというのであれば、人夫出しを取り締まらなければ駄目だよ。

 パキスタン人の人夫出しもいる。外国人の人夫出しの場合、本人から手数料を取る。それであちこちたらい回しして稼ぐんだ。五〇人も百人も抱えてて廻すんだね。一回世話して貰うと三万から五万払うわけだ。」

 話を聞くうちにお寺の現場で働く外国人の姿がそう異質な風景には見えなくなってきた。日本の伝統技能が外国人によって継承されていく、そんな経験も既にここそこの現場で始まっているのかも知れない。




 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148

 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410

 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411

 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412

 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415

 

2021年8月29日日曜日

外国人労働者問題④ 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、建設通信新聞、1991年4月

01] 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141

02] 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142

 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

横浜寿町。同じ寄せ場でも山谷とはいささか様子が違う。ドヤに外国人の姿が見られ、また、外国人労働者に対する積極的な支援活動が展開されているのである。カラバオの会(「寿・外国人出稼ぎ労働者と連帯する会」)の活動だ。

 「カラバオ」とはタガログ語で「水牛」を意味する。寿では、知合いになる外国人労働者のほとんどがフィリピン人であり、フィリピンの民衆の生活に密着した「カラバオ」を会の愛称に選んだのだという。会の結成のきっかけは、寄せ場での越冬活動の際、ひとりのフィリピン人労働者が助けを求めて来たことである。「仕事がなく困り果てている」というのである。正式発足は一九八七年の五月であった。

 カラバオの会の活発な活動は様々な形で公にされているのであるが、外国人労働者の置かれている状況は実に厳しい。いくつかその一端を引いてみよう。

 Nさんのケース。来日以来、建設業者の間でたらい回しに合う。千葉の業者のもとで二ケ月働くが賃金は全く受け取れなかった。また、フィリピンへ送金を依頼した約五万円を着服された。下請業者は倒産して行方が知れない。元請業者に抗議することによって、約一八万円を返却してもらうことができた。建設業者は、フィリピン人労働者のことを「マニラ」と隠語で呼ぶ。「マニラの相場は四千円」、食費を引くと手取りが二千五百円という飯場がある。

 Rさんのケース。神奈川県の鉄筋業者のもとで二ヶ月働くが、一ヶ月分の給料をもらわず逃げ出す。逃げだしたのは、親方による虐待に耐えかねたからである。親方は宿舎などに三〇万円もの費用がかかっていることを主張、結果的に一〇余万円は戻ってこなかった。「バカヤロー」とか「コノヤロー」といった罵倒や暴力を奮っても当然という雇主も多い。

 手配師Yと五人の労働者のケース。手配師Yを通じて東京の基礎工事会社で五人が働いた。しかし、支払い日が過ぎてもYは現れず、五人は業者のもとを離れる。未払金額は、合計六〇万円。五人のうち一人はYに旅費等経費を建て替えてもらっていた。Yの妻はフィリピン人である。結局Yが逃亡、元請業者は責任回避に終始した。

 いずれも賃金不払いのケースである。以下は労働災害のケースである。

 Jさんのケース。横須賀の解体業者で働く。アパートの一軒にフィリピン人が五~六人が起居し、他に日本人が三人、社長も同じアパートに寝起きする。梁を解体していてパイプを足の甲に落とす。大きく腫れ上がったが会社は病院につれて行かずシップ薬を渡しただけで部屋で休んでいるように指示したのみ。翌日、歩行困難となり寿へタクシーで帰る。交渉において日本人並の休業保障を要求。しかし、「他のフィリピン人全員を解雇する」という恫喝によってJさんが「もういい。やめてくれ」ということになった。結果、三万円の見舞金で手をうつ。

 賃金不払い、労働災害など、外国人労働者は極めて不利な条件化に置かれている。飯場の劣悪な環境も大きな問題だ。廃車が寝場所になっていたり、棺桶のような木箱に寝泊まりさせられることがある。食事も御飯に醤油だけというのも実際にあるらしい。カラバオの会の活動の中心は、そうした外国人の人権を擁護し、共に生きていく条件を創り出すことにある。その活動は、就労斡旋、雇用条件の改善、労働環境の改善、医療体制の整備、住宅斡旋、日本語教育、逮捕者への救援活動など多岐にわたっている。その基本的立場は、「単純労働者を含めて第三世界からの出稼ぎ労働者が合法的に働けるように法制度を整えるべきだ」ということである。

 寿のドヤにおいてフィリピン人は、三畳ほどのスペースに二~三人が寝泊まりする。一泊八百円から千五百円ほどだ。フィリピン人に限らず外国人労働者の場合、来日にあたって、既に多額のお金を使っている。賃金格差を考えれば、パスポートの取得や航空運賃だけでも相当の額だ。リクルーターによらなくても、旅行代理店に払う金額はフィリピンからでも二〇万円ぐらいになる。それに観光客としての一〇万円ぐらいの見せ金がいる。彼らはまずは借金を返さねばならず、生活は切り詰めざるを得ないのだ。

 彼らは共同で自炊する。物価が高く、食費を安くあげる意味もある。不慣れな環境で仲間と暮らすのは当然でもある。ひとりひとりが個室に暮らす日本人とは対比的である。生活習慣、生活スタイルの違いからフィリピン人と日本人の圧礫も時に顕在化する。集まって歓談する、あるいは酒盛りをする。うるさい、と周囲の日本人から苦情が出される。やがて、「騒がしいフィリピン人は追い出せ」ということになり、ドヤ主もフィリピン人の宿泊を拒否するようになる。そんな事態が既に起こっている。

 うるさい、というだけであれば日本人同士でもあることである。しかし、生活上の不満が民族差別の感情と結び付くとやっかいだ。外国人がいるから自分達の仕事がなくなるといった利害意識が絡めば敵対的な関係となる。素朴な意識としての排外主義が、警察に通報する、不法就労者を密告する、となると事態は深刻である。ドヤでおこっていることは決してわれわれの日常生活と無縁ではない筈だ。

 

 具体的な事例については、カラバオの会の以下の文献による。

カラバオの会編 『外国人労働者の合法化にむけて』 新地平社

カラバオの会編 『仲間じゃないか外国人労働者』 明石書店

カラバオの会編 『外国人出稼ぎ労働者』



 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148

 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410

 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411

 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412

 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415

 

2021年8月28日土曜日

外国人労働者問題③ 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、建設通信新聞、1991年4月

 01] 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141

02] 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142

 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 山谷といえば、「寄せ場」である。日雇労働者の町として知られる。日本でも有数の「ドヤ街」である。その山谷に、昨年秋ひとつの建物が竣工した。山谷労働者福祉会館(日本キリスト教団日本堤伝導所)である。その完成は奇跡に近い。山谷の労働者による完全な自立建設として、全ての建設資金をカンパに頼って建設が行われ完成したのである。

 鉄筋コンクリート造、地上三階建てで、延床面積は百坪に足りない。しかし、その建設に込められた思いはとてつもなく大きい。一階には、医務室と食堂が置かれている。二階には、多目的の広間と事務スペース、相談室、三階には、宿泊もできる和室、印刷室、図書室などが配される。屋上は、休憩スペースである。夏には屋上ビアガーデンともなる。福祉活動、医療活動など労働者のための多彩な活動の拠点として構想されたのが山谷労働者福祉会館である。

 一見してただの建物ではない。手作りの不思議な味がある。ファサードは、A.ガウディーには及ばないけれど、砕いたタイルで奇妙な文様が描かれている。みんなでひとつひとつ張りつけたのである。また、ファサードには、様々なお面が取り付けられている。人物にはそれぞれモデルがある。山谷の人たちだ。さらに、みんなが思い思いのメッセージを刻んで焼いた瓦がところどころに使われている。

 山谷に労働者のための会館を建設しようという話が出て、募金活動が始められたのは三年ほど前のことである。八九年一月、山谷の中心に土地を確保することができた。建設そのものが具体的なものとなり、募金活動に拍車がかかった。しかし、それからが長かった。建設にかかって一年余り、竣工に至った過程は波乱万丈である。設計を行い、設計施工の監理を行ったのは宮内康建築工房である。紆余曲折の上、直営方式で、日本キリスト教団を建設主として、一切、労働者自身による自力建設を行うことにしたのである。

 実際は、トラブルの連続であった。山谷には労働者が沢山いるとはいっても、働きながらのヴォランティアである。また、得手、不得手の仕事もある。スケジュール通りに進むのがむしろ不思議である。ましてやカンパを募りながら、資金調達もしなければならない。ハプニングも起こった。例えば、ある運送会社は、「山谷」というだけで、建築資材である瓦の搬送を拒否したのである。ひどい差別であった。

 いま山谷は空前の建設ブームの中で仕事は多い。路上で酒盛りする労働者の様子は一見活気にみちているようにみえる。しかし、抱える問題は極めて大きい。

 第一、好況にも関わらず、必ずしも、労働者の賃金は上がっていない。職安で日当一万一千円、路上で一万二千円ぐらいが平均であろうか。型枠大工であれば、人手不足で三万円も五万円もすると言われるのであるが、山谷には落ちない。相も変わらず、中途で抜かれる構造があるのである。高い労務費を支払ってもリクルートの費用に消えてしまう。建設業界の重層下請けの構造、高労務費・低賃金の体質は変わってはいない。山谷はその象徴である。

 第二、生活空間としての山谷はいま急激に変容しつつある。地価高騰の余波は山谷にも及び、再開発のプレッシャーが日増しに強くなりつつあるのである。例えば、ドヤは、次第にビジネスホテルに建て替わりつつある。宿泊費は、当然上がる。宿泊費があがれば、労働者の生活にも大きな影響が及ぶ。日雇労働者も、ドヤ住まいとビジネスホテル住まいとに二分化されつつあるのだ。また、山谷から追い立てられる層もでてきている。

 第三、山谷地区に居住する日雇労働者は八千人から一万人と言われる。その日雇労働者は、どんどん高齢化しつつある。日本の社会全体が高齢化しつつあるから、当然とも言えるのであるが、単身者を主とする寄せ場の場合、また、日雇という不安定な雇用形態が支配的な地域の場合、高齢化の問題はより深刻である。山谷労働者福祉会館が構想されたのは高齢化の問題が大きな引金になっているといえるだろう。

 第四、山谷にも山谷の地域社会がある。日雇労働者だけでなく、その存在を支え、共存する地域社会がある。日雇労働者ではなく、地域住民を対象として行った調査によれば、ドヤの経営者にしろ、酒屋や飲食店にしろ、日雇労働者に依拠して成立したきた構造がある。日雇労働者を差別する構造もあるけれど、日雇労働者と共存してきた構造もあるのである。しかし、再開発の波が及び、そうした構造そのものが大きく崩れつつあるのが現在の山谷である。

 山谷において外国人労働者はどうか。天安門事件の前までは、中国の就学生が職安に行列をなし、言葉が不自由で大量にあぶれるという光景がみられたというが、その姿をみかけることは少ない。ドヤ住まいの外国人は極めて少ない。何故か。

 山谷ではあまりにも宿代が高いのである。日本人の労働者でも追い立てられるのである。寄せ場も拡散しつつあるといえるであろう。再開発によって、地域の生活空間が大きく変わりつつあるのはなにも山谷に限らない。東京の下町では、地上げによって壊滅してしまった地区がいくつもあるのである。

 東京大改造、再開発を支えるのは言ってみれば山谷の労働者たちである。山谷の労働者は、いつも景気の調節機能として位置づけられてた。しかし、山谷のような空間の存在は常に無視され、差別されている。若い労働者たちはまだしも、歳をとって病気になり、仕事もままらなくなると、追い立てられ、ボロ雑巾のように捨てられる。外国人労働者に対してもほぼ同じ構造がある。問題は、重層構造の最下層をさらに二重化する形で外国人労働者が最低辺を形成することである。



 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148

 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410

 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411

 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412

 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415

 

2021年8月27日金曜日

外国人労働者問題② 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、建設通信新聞、1991年4月

  01] 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141

02身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142 

 東京の都心から三〇キロ、職場である大学へ通うためにいつも使う私鉄沿線の駅。一年ほど前からであろうか、アジア系外国人の数がめっきり多くなった。もともとその駅を利用する外国人というと決まっていた。残念なことに閉店してしまったのであるが、日本でも数少ないネパール料理の店が町にあった。外国人といえばその店を経営するネパール人夫婦だけであり、町の人によく知られていたのである。そんな小さな町に何人もの外国人をみかけるようになったのは大きな変化だ。

 もっとも昼間の時間には目だたない。見かけるのは早朝か夕刻である。ある朝、極めて早い時間であった。駅を降りて歩くと反対に駅へ向かう人々が外国人ばかりなのである。不思議な感じがしたことをよく覚えている。辺りには畑も見られる。首都圏とはいえ、未だ農村的な風景が残っている町である。そうした町に外国人が住みつき始めている。一体どんな場所に住んでいるのか。

 ひとつの答えがまもなくわかった。キャンパスのすぐ前、門から五〇メートルのところにその家はあった。まさに燈台もと暗しである。木造平屋の一軒屋である。六畳一間に押入と流しの台所がついた小さな家だ。その一角には三軒ほど建っている。学生たちがかっては下宿に借りた。研究室の学生が借りていたこともある。その一部屋から数人の外国人男性が出てくるところに偶然行き合ったのである。フィリピン人と黙されるその男性達は、迎えにきた乗用車に乗って走り去った。ピンとくるものがあった。

 リクルーターが、一軒屋や木賃アパートを借り、そこに大勢が住む形で外国人が居住する、そんな形が増えている、とは聞いていたのであるが、まさかこんなに身近にそうした一軒家があるとはいささか驚きであった。外国人労働者問題はつくづく身近だと思う。しかし、極めて身近な外国人労働者問題が一般に意識されない。都心から三十キロも離れた場所に外国人が居住するのはひとつには家賃の問題がある。外国人が首都圏一帯に極めて少人数で分散的に住んでいること、しかも、日本人とできるだけ接触しない形で住んでいること、外国人労働者問題がみえない理由である。

 何故、わが町に外国人が増えつつあるのか。そのおよその解答もまもなく見当がついた。駅前で不動産屋を開いているO君が専ら外国人のために借家を斡旋しているのだというのである。近くに立地する工場で働くブラジルからの研修生の住居を紹介してくれといわれたのがきっかけであった。外国人というと全て断わられて困り果てて相談を持ち込まれたのである。以後、様々な情報ネットワークを通じて外国人客が増え出した。知合いを頼って仲間が集まるパターンである。

 不動産屋以外で、わが町の外国人居住の実態に詳しいのがタクシーの運転手さんである。意外なことに、外国人労働者は専らタクシーを利用するのだという。地理に暗いということもあるが、日本人と接触したがらないのだという。コンヴィニエンス・ストアは、彼らにとっても極めて便利がいいのであるが、そこで沢山買い込んで荷物が重いということもある。大勢で利用すればタクシーも割安である。何人かの運転手さんに聞くと仲間内の情報を合わせればどこに外国人が住んでいるか大体わかるという。外国人労働者が首都圏近郊でどうした暮しをしているか、ぼんやりと浮かび上がってきはしないか。

 日本全国の建設現場で外国人労働者がどの程度就労しているのか、その実態は明らかでない。法務省の「昭和63年における上陸拒否者及び入管法違反事件の概況について」によると、不法就労者の総数男、八九二九人(総数一四三一四人)のうち、土木作業員は三八〇七人である。約四割が建設業関連ということになる。しかし、「不法就労」はもちろんそんな数字にとどまらない。

 同じ統計で、不法就労の多い国は、アジアからの「不法就労」者が圧倒的で、フィリピン五三八六人、バングラデシュ二九四二人、パキスタン二四九七人、タイ一三八八人、韓国一〇三三人、中国五〇二人の順である。入国目的別に入国者数をみてみる。観光ビザによる入国者総数九十七万八千人のうち、アジアからの入国者が五四万人、アフリカから二千四百人、南米から一万八千人である。もちろん、全てが不法就労の疑いがあるなどという、乱暴なことを言おうというのではない。強調したいのは公式の数字が実態からかけはなれているということだ。

 外国人登録者の数をみると、韓国朝鮮の六十七万七千人、中国の十二万九千人、アメリカの三万三千人に続いて、フィリピンが三万二千人、タイが五千三百人、バングラデシュ二一〇〇人、パキスタン二千百人といった実態である。フィリピンから九六〇〇人、パキスタンから九千二百人、タイから一万九千人といった入国者数と不法就労者の数を比べてみると、十倍から二十倍、一五万人から二十万人の不法就労者が日本に滞在すると推測されるのである。

 この大変な数の「不法就労者」はどこに住むのか。わが大学のある首都圏近郊の町の様相がその一断面である。あちこちの工事現場を覗いてみる。出入国管理法の改定以降も多くの外国人を労働者をみかける。外国人の就労が中小の現場で日常化していることは容易に推測できる。しかし、その実態には眼をつむられている。建設業界の重層下請けの構造と「不法」というレッテルのために覆い隠されているのである。




 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148

 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410

 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411

 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412

 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415

2021年8月26日木曜日

外国人労働者問題①、 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理 建設通信新聞、1991年4月

 01 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141                            

                                   布野修司 

 外国人労働者の問題をめぐってはこの間多くの議論がなされている。未曽有の建設ブームによって職人不足、技能者不足、建設労働者不足の問題が深刻化するなかで、また、外国人労働者をめぐるトラブルがマスコミなどで大きく取り上げられるなかで、外国人労働者の受け入れの問題が大きくクローズアップされてきたのであった。しかし、外国人労働者問題は必ずしも一過性の問題ではない。「3K」、「6K」による若者の建設業離れ、現場離れは決定的であるが、より本質的で深刻なのは出生率の低下で若年労働者の絶対数が減少基調にあり、これ以上の新規参入は望めないということだ。若年労働者の新規参入促進の処方策が大きなテーマとなる一方、未開拓の労働市場として、女子労働者や高齢者とともに外国人労働者に焦点が当てられ始めたのである。

 しかし、外国人労働者問題は必ずしも以上のような業界の一方的な位置づけにおいて論じきれるものではい。日本社会の国際化という課題と絡み、国際経済の問題だけでなく、歴史的、社会的、文化的な問題の総体に関わる。建設業界のみならず他の分野を含めて一般的に外国人労働者問題をめぐる議論をまとめてみればおよそ以下のようだ。

 わかりやすく開国論、鎖国論、必然論にわけよう。

 開国論:日本とアジアを中心とする発展途上国の経済格差が続く限り外国人労働者の流入はなくならない。また、日本の産業界の重層下請構造を支える零細企業、中小企業の人手不足が深刻化しており、それを受け入れる需要が存在する。すなわち、送り出す国にプッシュ要因があり、日本にプル要因がある。需要と供給がマッチするのだから開国は当然である。外国人労働者の受け入れを拒否して非合法なものとしていることが、悪質ブローカーをばっこさせ、不法就労を陰湿なものとしている。外国人労働者を受け入れることは、労働力の確保が可能となるだけでなく、発展途上国の経済発展の寄与ともなり、人づくりの援助ともなる。また、そのことが経済的安全保障ともなる。

 鎖国論:外国人労働者を特に単純労働、不熟練職種に導入すれば、労働条件の低下や失業率の上昇を招く。業界の構造改善のむしろさまたげになり、日本人労働者の賃金、労働環境の改善にも悪影響が出る。外国人労働者が増えれば単純労働のみならず専門技術職にもやがて進出すると日本人の失業につながる。外国人労働者は雇用の調節の役割をもち不安定な立場に置かれる。教育、福祉などの生活環境条件も劣悪におかれる。滞在年数が長期化し、定住化が促進されると社会的コストが増大する。結果として、外国人労働者の差別が起こり、業界全体のイメージも結果的に悪くなる。

 必然論:開国論は、何よりも経済の論理に偏しており、外国人を低賃金労働力として利用する発想が強い。また、送り出す側の問題についての洞察がない。鎖国論は、人種差別的イデオロギーとしての単一民族論を強化する。結果として反日感情を国際社会に定着させる。いずれも、日本で既に起こっている実態について、また、外国人労働者を送り出す発展途上国の実態についての理解を欠いている。外国人労働者の流入は必然的である。また、既にそうした事態が起こっている。日本で働く外国人は不法就労者という烙印を押されて、人権を抑圧されている。外国人差別に対して、その人権擁護が優先課題である。出稼ぎに依存せざるをえない日本社会の構造と第三世界の構造を是正し、出稼ぎに伴う悲劇のない地球社会を実現することが究極的な目標となる。

 開国か鎖国か、外国人労働者問題を論じるにあたっては予め態度を明らかにしておく必要があるかも知れない。いずれの指摘も一理ある。問題が極力少ないように条件をつけて開国していくのがいい、といったところが大方の共通意見ではなかろうか。しかし、現実の事態はそううまくはいかない。国際間のモビリティーをうまくコントロールするなどということは容易ではないのだ。むしろ、一国の利益のみを考えてコントロールするといった発想が問われているのである。

 どちらかと問われれば、筆者は開国派である。それも無条件の開国派である。というといささか無責任にすぎるとすぐさま非難されそうだ。もちろん、あわててあれこれと付け加えねばならない。それなら条件付き開国派かというとそうでもない。つまり、外国人労働者の問題は開国か鎖国かという二者択一の問題ではないというのが筆者の立場だ。どういうことか。

 無条件の開国というのは、必然論の立場に近い。開国を前提として、あるいは開国の実態を前提として、まず外国人労働者の人権の問題などを考えようというのが必然論の立場であるとすると、もう少し一般的に、文化的な背景を異にする人々がどのように共存していくか、その原理を見いだすこと、そして、日常生活においてそれを具体化することがいま問われている、というのが筆者の問いの構えなのである。

 開国か鎖国かという問いの立て方は専ら経済の論理に基づく。また、日本中心的な発想が先行したある意味では傲慢な二者択一論である。鎖国は楽であるが、日本の社会を開いていくことが大きな課題である中で逆行的である。現行の改定入官法は基本的に外国人を締め出す鎖国法である。雇用者処罰制度が作られることによって一層その性格が明らかである。ある程度まで黙認し、景気が後退したり、問題がマスコミなどで大きくとりあげられると締め出す、日本の入管体制は実に巧妙で陰湿である。いま問われているのは日常生活レヴェルでの国際化であり、異質な文化が共存するそのあり方を模索するその絶好の機会が現在なのである。そうした視点から外国人労働者の問題を何回かに分けて素朴に考えてみたい。




02] 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142

 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148

 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410

 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411

 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412

 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415

2021年8月25日水曜日

住まい・空間の美学 住まいの豊かさとは? 10 死者との共棲

    住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは? 全10回 07~10 未発表

  死者との共棲

 PHOTO:墓地公園/霊園/墓のマンション

 

 日本の地方都市はどこでもミニ東京のようだ、とよく言われる。日本の都市の風景がどこでも同じように見え始めたということは、それぞれが固有の歴史を失いつつあることを意味している。

 同じ様な材料を使い、同じ様な構法によって建てられたかっての民家は画一的であった。しかし、それぞれの町や村は個性的であった。何故だろう。それに対して、現在は、一見、多様に見える住宅が建てられているのに、都市のほうが画一的にみえるのは何故だろう。

 ひとつのヒントは、かっての村や町は、はっきりとした境界をもっていたのに、現代の都市は、のっぺらぼうに連続しているということだ。具体的には、死者のための空間を考えてみるといい。

  かって、人は住まいで生まれ住まいで死んだ。誕生から死に至るまで、住まいが舞台であった。しかし、今は、生まれるのも死ぬのも病院という施設である。冠婚葬祭や通過儀礼も全て住居や集落と一体で行われてきたのだけれど、都市の中の施設において行われるようになった。

 墓地は、かって住まいに近接して置かれていた。町外れや村外れにあって、彼岸と此岸を境界づけていた。すなわち、死者は生きているものとともにあったといっていい。

 しかし、現代はどうだ。ほんの一坪程の墓地を買うのも大変である。まるで住宅を買うのと同じである。死後の住まいを買うのにも僕らは汲々とせねばならないのである。

 墓地は郊外へ郊外へ次第に追放されていく。ニュータウンのような郊外型霊園が次々に造られた。そして今やお墓のマンションも出現している。墓地の問題と住宅の問題は全く同じ経緯を辿ってきたのである。

 僕らは死者のための空間を全く考えずに生者のためだけの都市を考えてきたといえるだろう。考えてみれば当り前である。一千万人の都市があれば一千万人の墓がいる。しかも、都市が歴史を重ね、人々が世代を重ねれば、その何倍ものスペースがいる。しかし、そんなことはおかまいなしだ。

 死者をないがしろにするということは、その生の軌跡をないがしろにすることである。都市が無数の人々の歴史的な作品であるとすれば、それぞれの歴史を無視するということは、都市の歴史を無視するということを意味する。

 歴史を考えない、歴史の積み重ねを無視する、そんな都市と住まいのありかたが果して豊かといえるであろうか。

 1.一坪一億円           ○価格  

 2.入母屋御殿                            ○イメージの画一性

 3.展示場の風景         ○多様性の中の貧困

 4.建築儀礼                              ○建てることの意味

 5.都市型住宅                          ○型の不在

 6.ウサギ小屋                    ○狭さと物の過剰

以上 01~06

空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 199007310911

01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ,空間の美学1学芸通信,新潟日報 19900731

02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困空間の美学2学芸通信,新潟日報 19900807

03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁空間の美学3学芸通信,新潟日報 19900814

04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に空間の美学4学芸通信,新潟日報 19900828

05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911


 7.電脳台所                               ○感覚の豊かさと貧困

 8.個室 家の産業化                    ○家族関係の希薄化

 9.水。火。土。風         ○自然の喪失 

10.死者との共棲                          ○歴史の喪失



2021年8月24日火曜日

住まい・空間の美学 住まいの豊かさとは? 09 地水火風

   住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは? 全10回 07~10 未発表

  地水火風                    09

 PHOTO:囲炉裏のある風景

 

 日本の住まいが豊かになるにつれて、確実に失われたのは自然との関係である。都市化とともに日本列島全体から自然が失われてきたのだから当然といえば当然なのであるが、自然との関係を徐々に希薄化してきた意味は住まいにとって大きい。

 空気調和設備など設備機器の発達で、住宅内の環境を人工的に制御できるようになったことによって、次第に季節感が失われてきたことは実に寂しいことだ。しかし、問題は単に季節感だけの問題ではない。

 環境を自由にコントロールできるのはいい。しかし、そのために余りにも多くのエネルギーが浪費されている。そして、そのことが都市や地球規模の環境に及ぼす影響が忘れ去られてしまっている。実に大きい問題である。

 例えば、水はどうか。僕らは水を蛇口をひねればすぐにでてくるものだと思っている。只(ただ)ではないが、空気と同様、無限に近いものだと思っている。しかし、水に恵まれない地域は世界に多い。毎日、少しづつ水を買って生活している多くの人々が発展途上国の大都市にはいる。それに比べると僕らは贅沢だ。雨水を利用したり、飲料水以外は、家庭用排水を再利用しようというプログラムもあるけれどまだ実現はしていない。

 また、僕らは水を完全に制御できるものと無意識に考えているのであるが、集中豪雨で河川が溢れる水害は決してなくなったわけではない。全ての道路を舗装するため、雨がすぐに河川に流れ込み、都市ではかえって洪水が起こりやすくなったりしているのである。

 そういえば、土を都会ではほとんど見なくなった。土がなければ緑もない。緑が失われ、疑似的自然のみが創られのは悲しいことだ。

 水や土だけではない。風はどうか。風通しというのは住宅にとって極めて重要だったのだけれど、すきま風すらなくなった。室内を密封し、室内気候を機械的に制御することだけが目指されてきたのである。

 火はどうか。住居の中で、火のウエイトはますます小さくなっていく。料理から調理へ、火を使う場所であった台所がほとんど火を使わなくなるのだから当然である。薪割や焚火は都会ではもう見かけない。ゴミを身近に処理することはないのである。

 ゴミといえば、僕らの生活は余りにも浪費的である。捨てるために生産する悪循環である。自然のエコロジカルなサイクルを傷つけ、取り返しのつかないところまで至りつつある、そんな気がするのにやめられない。こんな状況を果して豊かというのであろうか。

 


 1.一坪一億円           ○価格  

 2.入母屋御殿                            ○イメージの画一性

 3.展示場の風景         ○多様性の中の貧困

 4.建築儀礼                              ○建てることの意味

 5.都市型住宅                          ○型の不在

 6.ウサギ小屋                    ○狭さと物の過剰

以上 01~06

空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 199007310911

01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ,空間の美学1学芸通信,新潟日報 19900731

02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困空間の美学2学芸通信,新潟日報 19900807

03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁空間の美学3学芸通信,新潟日報 19900814

04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に空間の美学4学芸通信,新潟日報 19900828

05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911


 7.電脳台所                               ○感覚の豊かさと貧困

 8.個室 家の産業化                    ○家族関係の希薄化

 9.水。火。土。風         ○自然の喪失 

10.死者との共棲                          ○歴史の喪失



2021年8月23日月曜日

住まい・空間の美学 住まいの豊かさとは? 08 密室(個室の集合としての住居) 

  住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは? 全10回 07~10 未発表

  密室(個室の集合としての住居)              08

 PHOTO:AV機器満載の個室/カプセル・マンション/ホテルの個室(長期滞在型:AV機器完備)

 

 金属バット殺人事件、女子高校生コンクリート詰め殺人事件、連続幼女誘拐殺人事件といった凄惨な事件が起きる度にクローズアップされるのが個室の問題である。

 子供部屋が密室化することが犯罪を生むのではないか、子供に個室を与えるのは是か否か、というのだ。もちろん、子供部屋の独立、個室化ということと凶悪な犯罪を単純に結びつけることはできない。密室の問題でまず問われているのは家族の問題である。家庭内の人間関係である。住宅の物理的な構造が事件を生むのであれば、そこら中で犯罪が頻発している筈だ。そんな馬鹿なことはない。しかし、日本の住まいが単なる個室の集合と化しつつあることは一方で問われていいと思う。

 戦後の日本の住まいの歴史は、一部屋づつ規模を拡大する歴史であった。まずは、食寝分離、すなわち食べる場所と寝る場所を分けることが目標とされた。その結果生み出されたのがDK(ダイニング・キッチン)という日本独特のスペースである。続いて、公私の空間を分離すること、すなわち、家族の団らんのための居間を確立することが目指された。そしてさらに、家族のひとりひとりの部屋を確保することがテーマになった。

 一方、家の中での仕事は、どんどん、家の外へ追放された。すなわち、サービス産業によって代替されるようになってきた。食事の宅配サービスやハウス・クリーニングなど、家では何もすることがないほどである。

 その究極の形態はと問われれば、それはまるでホテルのような住まいである。ベッドメーキングからなにからなにまで、あらゆるサービスがついた住まいである。実際、そうした、ホテル型のマンションは既に建設されつつある。

 もちろん、そうした住まいが一般化していくのは簡単ではない。しかし、その前に問われるのが家族の関係である。あらゆるサービスが外化され、住居が単なる個室の集合となるとすれば、家族の結びつきの意味が改めて問われる筈だからである。

 テレビやビデオ、ファックスやパソコン、様々なAV機器、情報機器がビルトインされた個室は、物質的には閉じられているけれど、様々なメディアを通じて世界に開かれている。しかし、その一方で家族の直接的関係が希薄になりつつあるのだとすれば大問題だろう。単に家計を共有するというだけでない、家族の触れ合いをより豊かに実現する住まいがそれぞれに求められつつある。そうでなければ一緒に暮らす意味がない、そんなところまで日本の住まいは到達しつつありはしないか。


 1.一坪一億円           ○価格  

 2.入母屋御殿                            ○イメージの画一性

 3.展示場の風景         ○多様性の中の貧困

 4.建築儀礼                              ○建てることの意味

 5.都市型住宅                          ○型の不在

 6.ウサギ小屋                    ○狭さと物の過剰

以上 01~06

空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 199007310911

01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ,空間の美学1学芸通信,新潟日報 19900731

02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困空間の美学2学芸通信,新潟日報 19900807

03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁空間の美学3学芸通信,新潟日報 19900814

04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に空間の美学4学芸通信,新潟日報 19900828

05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911


 7.電脳台所                               ○感覚の豊かさと貧困

 8.個室 家の産業化                    ○家族関係の希薄化

 9.水。火。土。風         ○自然の喪失 

10.死者との共棲                          ○歴史の喪失



2021年8月22日日曜日

住まい・空間の美学 住まいの豊かさとは? 07 電脳台所

 住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは? 全10回 07~10 未発表

  電脳台所                    07

 PHOTO:電脳台所・HA(ハウスオートメーション)、HS(ホームセキュリティー)機器

  ハウス・オートメーション(HA)、ハウス・セキュリティー(HS)ということで、コンピューター制御による住宅機器が様々に開発されつつある。三種の神器(洗濯機、テレビ、冷蔵庫)の時代や3C(カー、カラーテレビ、クーラー)の時代に比べると、まさに隔世の感がある。住宅の設備は随分と高度になった。そして便利になった。

 掃除、洗濯、裁縫、炊事など家事労働の形は、家電製品の登場で大きく変わった。家事労働の時間は大幅に削減されることになったのである。便利になることによって余暇ができる。自由な時間を好きな趣味や学習やスポーツなどに使うことができる。自由な時間は生活のゆとり、豊かさの指標である。

 外から電話でお風呂のお湯をわかすことができる。セットしておけば、自動的に好きな料理ができる。室内環境は自動的にコントロールされる。実に結構なことである。しかし、ますます、便利になって、ワンタッチで、全てがコントロールできるようになることに対して不安がないわけではない。

  故障したり、緊急の場合のシステムに問題があるといった技術的な不安では必ずしもない。具体的な物と身体との具体的な関係が希薄になって行くのではないかという漠然とした不安である。様々な生活技術が失われていくのではないかという危惧があるのである。

 システム・キッチンの流行がわかりやすいかもしれない。既に台所はかってのような台所ではない。台所は、煮たり焼いたり、食器を洗ったりする場所であるだけでなく、食べ物を保存をして置くなど多様な場所あった。しかし、極言すると、今では冷凍・レトルト食品を簡単に調理するだけの場所となりつつあるのである。そこで、台所は作業の場でなく、インテリアの一部となる。家具としてのシステム・キッチンが生まれた由縁である。

 今に、自動料理器ができるかもしれない。既に、焼いたり煮たり蒸したりという部分的なプロセスについてはコンピューター・プログラム付きのものがある。果して、味噌汁や漬物など、お袋の味とか我が家の伝統の味といったものも、簡単にコンピューター・プログラムとして伝承されるのであろうか。

 生活の知恵と呼ばれる様々な生活技術は、住まいから次第に追放されてきた。ナイフや包丁を使えない子供たちが育っていく。手で触れた感覚より、センサーの数字を信用する感覚が育って行く。自分の感覚より、感知器のブザーに反応する習性がつく。便利になるのはいいけれど、感覚や感性を貧しく鈍感にするのでは困ったものだと思う。



 1.一坪一億円           ○価格  

 2.入母屋御殿                            ○イメージの画一性

 3.展示場の風景         ○多様性の中の貧困

 4.建築儀礼                              ○建てることの意味

 5.都市型住宅                          ○型の不在

 6.ウサギ小屋                    ○狭さと物の過剰

以上 01~06

空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 199007310911

01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ,空間の美学1学芸通信,新潟日報 19900731

02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困空間の美学2学芸通信,新潟日報 19900807

03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁空間の美学3学芸通信,新潟日報 19900814

04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に空間の美学4学芸通信,新潟日報 19900828

05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911


 7.電脳台所                               ○感覚の豊かさと貧困

 8.個室 家の産業化                    ○家族関係の希薄化

 9.水。火。土。風         ○自然の喪失 

10.死者との共棲                          ○歴史の喪失



2021年8月21日土曜日

空間の美学06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を 学芸通信,新潟日報連載 全6回 19900731~0911

 空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 199007310911

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911

 ウサギ小屋                  06

 PHOTO:家電、家具で溢れるインテリア

 

 

 日本の住まいのことをウサギ小屋などという。西欧人にいわれて、僕らもなるほどと思っていつのまにか定着してしまった。日本の住宅はとにかく狭い。平均住宅面積は、大きくなってきたのだけれど、特に、大都市圏の住宅は、少しも広くなっていない。ちっとも日本の住まいが豊かになった気がしないのは、狭いからである。

 しかし、一方、住まいの内部に眼をやれば、様々なものが溢れかえっている。ソファーやサイドボードなどの家具、冷蔵庫や洗濯機・乾燥機、電子オーブンや自動食器洗い機、クーラーなどの家電である。最近では、電話やファックス、パソコンやワープロ、テレビやビデオ、ステレオやカセットデッキなどAV機器が随分と増えた。豊かで贅沢になったと言わざるを得ないだろう。

 空間は貧困で、物が過剰というのが日本の住まいである。狭い空間をどうやりくりするかが、インテリア・デザインの手法となっている。押入を如何に改造するか、居間のコーナーにちょっとした書斎をつくるのはどうするか、床下や天井裏をうまく収納に使うのはどうすればいいか、様々な工夫がなされる。狭さの美学、やりくりの美学である。

 家電製品も小振りのものが多い。幅や奥行きなど寸法はぎりぎりにまできりつめられる。狭い空間にフィットしなければ、売れないからである。小さいことはいいことだという美学が骨身に染み着いているようにも思えてくる。鴨長明の「方丈庵」や茶室の伝統が想い起こされるのである。

 しかし、それにしても物が過剰すぎるのではないか。人のために住まいがあるのではなく、物のために住まいがあるというのでは本末転倒である。

 部屋の真中にデーンと応接セットが置かれる。応接セットが主役で、人は床の上にセットを背にして座っていたりする。日本の住まいは天井が低いということもあろう、椅子座の生活と床座の生活がうまく調和がとれないことが多いのである。 

  住まいは広ければ広い方がいい、と誰しも思う。しかし、無限に広い住まいを希求するわけにはいかない筈だ。それに、広ければ広いほど豊かである、ともいえないであろう。小さくても豊かな住まいはある筈だ。

 日本の住まいは過剰に物が詰め込まれ重くなりすぎている。余計なものを置かない、買わない、という美学があってもいい。物を沢山所有することは、必ずしも住まいの豊かさの指標にはならない。日本の住まいの場合、むしろ、物を追放することが空間をリッチに使うことにつながるように思う。

  


01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ,空間の美学1,学芸通信,新潟日報 19900731

02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困,空間の美学2,学芸通信,新潟日報 19900807

03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁,空間の美学3,学芸通信,新潟日報 19900814

04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に,空間の美学4,学芸通信,新潟日報 19900828

05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911

 

 

住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは?

 

 1.一坪一億円               ○価格  

 2.入母屋御殿                            ○イメージの画一性

 3.展示場の風景               ○多様性の中の貧困

 4.建築儀礼                              ○建てることの意味

 5.都市型住宅                           ○型の不在

 6.ウサギ小屋                        ○狭さと物の過剰

 7.電脳台所                              ○感覚の豊かさと貧困

 8.個室 家の産業化                      ○家族関係の希薄化

 9.水。火。土。風            ○自然の喪失 

10.死者との共棲                          ○歴史の喪失