空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 19900731~0911
簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に,空間の美学4,学芸通信,新潟日報 19900828
PHOTO:建前(上棟式)の風景・セルフビルドの住宅
かつて、といってもそう遠くない昔、住宅は買うものではなくて建てるものであった。いまでも、もちろん、大工さんや工務店に頼んで住宅を建てる注文住宅の形は多いのであるが、建売住宅やプレファブ住宅のように、パンフレットやカタログを見て買うという形が随分と増えてきた。
それとともに、消えつつあるのが建築儀礼である。地鎮祭をして起工式をして、上棟式をする、という建築儀礼である。消えつつあるというのは不正確だ。しかし、随分簡素化されるようになったことは事実である。何故か。
一般には、車のせいだとされる。大工さんが車で現場へ通うようになって、上棟式でもお酒を飲むわけにいかなくなった。お酒は持って帰ってもらって、式はできるだけ簡単に、という形が増えているのだ。
上棟式というと、近所の人々を招いたり、お餅を配ったり、大変なことであった。負担もかかる。住宅を建てるということは、その家族にとって一大行事であり、大きなお祭りなのである。けれども、建てる方も、面倒臭くなった。節目の儀礼はともかく、毎日休憩の時にお茶を出したりすることはほとんどしない。
建築儀礼が次第に簡素化されつつあることは、住宅を建てることそのもの、建てるプロセスそのものが軽視されつつあることを示している。毎日、お茶を出すというのは、職人さんたちに感謝し、気持ちよく働いて頂くという意味もあるけれど、毎日、現場で打ち合せし、細部を決めていくそうした場でもあった。しかし、現在は、そうした場がない。何度かの打ち合せと図面だけで、あとは出来上がったものを引渡すという形だ。
住まい・空間の美学といっても、それでは一体誰の美学かわからない。お仕着せの美学、カタログから選択しただけの美学である。
どんなプロの建築家でも、現場を大事にする。逆に、現場を大事にする建築家こそがプロと呼ばれる。それぞれ違った具体的で個別的な特定の土地に住宅は建つのだからそれは当然である。
住宅を建てることを僕らはあまりにも面倒臭がるようになったのではないか。もう少し、時間をかけて楽しんでもいいのではないか。ものをつくるということは、そしてそのプロセスは本来楽しいものである。
建築には素人でも、住むことについて僕らはそれぞれプロである。現場でじっくり時間をかけて自分にあった住まいを作り上げるのがその原点である。多様で個性的な住まいのあり方こそ豊かであるとするなら、お仕着せではなく、自分の美学を現場で磨くことである。
01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ,空間の美学1,学芸通信,新潟日報 19900731
02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困,空間の美学2,学芸通信,新潟日報 19900807
03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁,空間の美学3,学芸通信,新潟日報 19900814
04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に,空間の美学4,学芸通信,新潟日報 19900828
05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904
06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911
住まい・空間の美学
住まいの豊かさとは?
1.一坪一億円
○価格
2.入母屋御殿 ○イメージの画一性
3.展示場の風景 ○多様性の中の貧困
4.建築儀礼 ○建てることの意味
5.都市型住宅 ○型の不在
6.ウサギ小屋 ○狭さと物の過剰
7.電脳台所 ○感覚の豊かさと貧困
8.個室 家の産業化 ○家族関係の希薄化
9.水。火。土。風 ○自然の喪失
10.死者との共棲
○歴史の喪失
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