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2022年9月19日月曜日

町家再生というテーマ,日経アーキテクチャー,19940221

町家再生というテーマ,日経アーキテクチャー,19940221

日経アーキテクチャー 「建築選集93

町家再生というテーマ

布野修司

 

 「先生の家ーーーご近所からも、教え子たちからも、「先生の家」と親しみを込めて呼ばれる住まいを○○ホームがお手伝いします」、「住まいは、人柄や仕事柄を写し出す、もうひとりの「先生」です。先生らしい夢とこだわり。○○ホームは大事にします。先生のためのこだわり空間」。

 バブルが弾けてめっきり減った住宅販売のDMやチラシ広告が再び増え出している。金利が史上最低とかで住宅市場が動き出しているらしい。バブルが弾けたとはいえ年間140万戸近く新設住宅があるのは確かである(そう変化はなさそうなのだが、実態はかなり激変である。新設の建設戸数の多くは木造賃貸アパートという分析もある)。しかしそれにしても、先生(公務員)は固いというのであろうか、上のDMは宿舎住まいのわが身には強迫じみていていささかきつい。

 住宅業界のこの間の変化については、松村秀一の「景気変動と住宅」(『建築思潮』02号)に的確な分析がある。コスト問題、「多様化ー標準化」問題、「技能者問題」、「所有問題」の見直しに多くの問題が残されていることが指摘されている。

 ところで、建築家はどうか。不況になればじっくり住宅設計というのがパターンなのであるが、どうだろう。60年代末から70年代にかけて、「都市から撤退」を迫られた建築家たちは住宅を「最後の砦」に「近代建築批判」の策を練ったのであるが、そして、バブル経済とともにポスト・モダンの百花燎乱を咲かせたのであるが、この世紀末へ向けてはどうなのか。

 その方向についてはかなり心もとない(ウサギ小屋のうすら寒い実態は依然としてあるのだ)が、まず、目立つのは環境共生住宅、エコ・ハウス、省エネ・省資源・リサイクルのかけ声である。また、地域住宅計画の流れである。さらに、木造住宅復興のスローガンである。奇を衒うった形態のアクロバティックはなりをひそめた。

 しかし、例えば、エコ・ハウスが確固として流れになりつつあるかというとそうでもない。第一、エコ・ハウスがどのようなものになるのかまだはっきりしないのである。また、例えば、西欧で現実化されつつあるものがコスト的に合わないということもある。さらに、必ずしもデザインの問題になっていないということがある。考えてみれば、今日の住宅にかかわるテーマは既にオイルショック以降問われ続けてきたものであり、ようやく、真剣な取り組みがなされ始めたという感が強い。

 建築家にとっての課題と言えば都市住宅がある。新しい形の都市型住宅のモデル、プロトタイプを創り出すという任務である。コレクティブ・ハウジングのような新しい居住形態が日本にどう定着していくか、コーポラティブ住宅が今後どう展開していくかにも関わるテーマである。

 そして、もうひとつ気になるテーマがある。木造町家の再生である。京都で「京町家再生研究会」(19927月発足)に加えて頂いたせいもある。また、「町家再生のための防火手法に関する調査」研究を横尾義貫先生から仰せつかったせいもある。京都のような町家のストックがある都市(『建築文化』19942月号参照)でこそ、新しい都市型住宅が生み出されなければならないと思うのであるが、木造の町家について、それを再生するには余りにも壁が分厚い。既存ストックとしての木造町家を活用しようとしても、リサイクル資源としての木造を有効活用しようとしても、それを阻む法制度がある。また、木造の町家を否定し続けてきた価値観も強大である。何も木造に拘る必要はないのだが、都市が生き続けていくための空間的仕掛としての住居のあり方が町家の再生のトライアルの中で見えてくる筈だ、というのが直感である。