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2023年1月5日木曜日

マルチ・ディメンジョナル・ハウジング,雑木林の世界39,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199211

マルチ・ディメンジョナル・ハウジング,雑木林の世界39,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199211


雑木林の世界39

マルチ・ディメンジョナル・ハウジング

スラバヤ・ソンボ・ハウジング計画

                       布野修司

 

 九月に入って、三週間弱の短い期間であったが、インドネシアに出かけてきた。今回は、バリ→ロンボク→スラバヤ→ジャカルタという行程である。バリ、ロンボクでの住居集落調査の継続とセミナー出席、研究交流が目的であった。

 それぞれに収穫があったのだが、三年振りのジャカルタが新鮮であった。数回訪れているのだけれど、前回の滞在が一日程度だから実際には数年振りの訪問になったからであろう。

 高層ビルが随分と増えた。ベチャ(輪タク)が一掃された。タクシーが随分使いやすくなった。表通りは綺麗になって、清掃車が目立つ。ジャカルタという都市は日々スマートになりつつある、そんな印象である。

 インドネシアに発つ直前、「アジアの都市 その魅力を語る」というシンポジウム(九月四日 於:東京都庁舎 司会 饗庭孝典 パネラー 石井米雄 土屋健治 大石芳野 布野修司 九月一九日 NHK放映)に参加したのであるが、その時に議論のために用意されたジャカルタについてのレポート・ビデオにはいささか半信半疑だった。ディスコやファッションショー、若者文化の洗練さは東京や西欧大都市とそう変わりはないというトーンだったのである。

 しかし、そんなファッショナブルな雰囲気が確かになくもなかった。コタ(下町の中心)のグロドック・プラザに行ってみると、最新のAV機器やコンピューターなど電器製品だけを売る店を集めた超近代的なビルがある。もちろん、周辺には昔ながらのチャイナタウン、問屋街もあるのであるが、一歩足を踏み入れると、東京と言われてもニューヨークと言われても区別がつかないそんなきらびやかさなのである。

 仰天したのは、ジャカルタ湾に面した一大リゾート地風高級住宅地である。入り江には白いクルーザーが並んでいる。それこそ、インドネシアとは思えない別天地の趣であった。もちろん、そのすぐ近くにはバラックが密集する地区がある。昔ながらの貧困の風景もここそこにある。しかし、刻一刻変わって行くのが都市である。ジャカルタも随分変わった。

 そうしたジャカルタで、住宅問題に対するアプローチも少しづつ異なった展開を取り始めているようだ。例えば、新しい形の集合住宅建設が本格化しようとしているのである。

 その先端をきっているのは、スラバヤ工科大学のJ.シラス教授である。十年来の旧知というか、僕のインドネシアにおけるカウンターパートというか、恩師といっていい先生の、その活躍ぶりは実に頼もしい限りである。

 昨年、彼個人は国際居住年記念松下賞を受賞したのであるが、今年はスラバヤ市が一九八六年のアガ・カーン賞に続いて、国連の人間居住センター(ハビタット)の賞を受賞することが決まったという。今回スラバヤ訪問は、その受賞式のため市長以下の一行がニューヨークへ出発する直前のあわただしい時機であった。

 そのJ.シラスがスラバヤのみならず、ジャカルタでもプロジェクトを手掛けている。そのスラバヤでの活動が評価を受けてのことである。また、インドからも声がかかっている。その実績からみて、その活動が注目を集めるのは当然といえるであろう。

 ジャカルタでのプロジェクトはプロガドンPulo Gadongのプロジェクトである。今回、建設中のプロガドンを見てきたのであるが、基本的なコンセプトは、もちろん、スラバヤのデュパッDupakとソンボSomboと同じであった。今のところデュパッが完成、ソンボがほぼ完成といったところである。何がその特徴なのか。

 J.シラスは、何も特別なことはない、自然に設計しているだけだ、どうしてこうしたことが、ジャカルタやタイやインドでできないのかその方が不思議だ、というのであるが、実際はそうでもない。

 そのハウジング・プロジェクトの特徴は、共用スペースが主体になっているところにある。具体的に、リビングが共用である、厨房が共用である、カマール・マンディー(バス・トイレ)が共用である。もう少し、正確に言うと、通常の通路や廊下に当たるスペースがリッチにとられている。礼拝スペースが各階に設けられている。厨房は、各戸毎に区切られたものが一箇所にまとめられている。カマール・マンディーは二戸で一個を利用するかたちでまとめられている。まとめた共用部分をできるだけオープンにし、通風をとる。その特徴を書き上げ出せばきりがないけれど、およそ、以上のようである。

 このハウジング・システムをどう呼ぶか。立体コアハウス、マルチプル・コアハウスはどうか、というのが僕の案であった。コア・ハウスが立体化している、という意味である。しかし、J.シラスは問題はシェルターとしての住居だけではない、ことを強調したいという。

 J.F.ターナーはマルチ・パラダイム・ハウジングを提案しているらしい。J.F.ターナーとは、『ハウジング・バイ・ピープル』、『フリーダム・トゥー・ビルド』の著者で発展途上国のハウジング理論の先導者として知られる。昨年、ベルリンで会った時に、スラバヤの計画を見てそういう概念が話題になったのだという。

 マルチ・ディメンジョナル・ハウジングと呼ぼうと思う、というのがJ.シラスの答である。多次元的ハウジング、直訳すればこうなろうか。

  デュパッやソンボを訪れてみると随分活気がある。コモンのリビングというか廊下がまるで通りのようなのである。そこに、カキ・リマ(屋台)ができ、作業場ができ、人だかりができるからである。二階であろうと三階であろうと、すぐにトコ(店舗)もできる。カンポンの生活そのままである。

 シェルターだけつくっても仕方がない、経済的な支えもなければならないし、コミュニティーの質も維持されなければならない。マルチ・ディメンジョナル・ハウジングというのは、経済的、社会的、文化的、あらゆる次元を含み込んだハウジングという意味なのである。

 何も難しいことではない。カンポンがそうなのだ。カンポンでの生活を展開できるそうした空間、そして仕組みを創り出すこと、そのモデルはカンポンである。というのがJ.シラスの持論である。

 J.シラスの場合、経験を積み重ねながら、よりよいデザインを目指すそうした姿勢が基本にある。デュパッの経験はもちろんソンボに生かされている。特に、共用のキッチン、カマール・マンディーのありかたにはもう少し試行錯誤が必要だ、というのが今回も話題になった。

 赤い瓦の勾配屋根を基調とするそのデザインは、カンポンの真直中にあって嫌みがない。素直なデザインの中に力強さがある。