国際協力何のため,日刊建設工業新聞,19970522
国際協力何のため
京都大学の東南アジア研究センターの派遣研究員としてインドネシアを訪問してきた。今回はテーマ発見ということで滅多にない優雅な旅であるが、結局はいくつかの仕事をこなすことになった。当然といえば当然である。
ひとつは、LIPI(インドネシア科学院)の東南アジア研究チーム(社会科学院 主宰:タウフリク・アブドゥラ)と東南アジア都市研究について議論してきた。昨年「都市コミュニティの社会経済的問題:東南アジアの衛星都市(ニュータウン)の計画と開発」という国際シンポジウム(一九九六年六月)に招かれた経緯があり、その後の研究計画の進展が興味深かったのである。幸い国際交流基金(ジャパン・ファンデーション)の助成金が得られて、さらに二年継続されることになっていた。そう大きなお金ではないが、実に効果的である。LIPIが中心になって東南アジア都市研究を展開する、そうした時代になったのである。
LIPIの都市研究チームは、都心のクマヨラン・ニュータウンと郊外のBSDニュータウンをとりあげて比較研究しようとしている。クマヨランには、廊下、台所、トイレを共用する形のルーマー・ススン(集合住宅)がある。その調査を手伝うことになった。クマヨランのカンポン(都市内集落)に以前から居住していたひとたちのルーマー・ススンで、各種のコミュニティ活動が活発に展開されている。
何故、日本の国際協力チームは、カンポンのひとたちを追い出そうとしたのか。僕らに突きつけられた問いである。一九八〇年代半ばに、ジャカルタのど真ん中といっていいクボン・カチャンのカンポン再開発で、日本チームが計画したルーマー・ススンがある。その計画も結果として、カンポンの従前居住者を追い出すことになった。日本の国際協力チームは概して評判が悪い。
ふたつめは、ジョクジャカルタのガジャマダ大学で、マリオボロ地区という王宮前の都心地区の保存的開発をめぐる授業に特別講師として参加した。また、再開発のための研究方法をめぐって講義も行った。大学院生といっても、インドネシ各地の大学の講師陣であり、半期のプログラムで具体的な地区を設定し、フィールド・サーヴェイを行い、様々な分析をもとに提案をしようとする姿勢には共感を覚えた。一方、そうしたプログラムに対して、日本の国際協力チームは無縁である。フィールドに出ることはなく、冷房の効いた部屋でコンピューターを自由自在に操っている。何事かの仕事をしていることはわかるけれど、一体何の仕事なのか。
巨大な行政機構の中にいて個人のできることは限られている。しかし、大きなお金を使いながら首を傾げる例も少なくない。個人でもわずかなお金でもやれることはある。
みっつめは、スラバヤで環境共生住宅の実験住宅を建設する打ち合わせを行った。(財)国際建設技術協会のプロジェクトである。かねてから、湿潤熱帯におけるモデル住宅開発の必要性を感じてきたが、実効に移すことになった。建設費はわずかであるが大きな意義を持っている。
要するに言いたいのは、国際協力や援助は金額ではないということである。やりようによってはいろいろできる。国際協力基金(アジア財団)のように日本文化の理解のために懸命な仕事がなされている反面、一体何をしているのかという援助の形態も少なくない。さらに、日本の価値体系をそのまま押しつける態度がほとんどである。現場から発想しない。言われたことを無難にこなすだけのそんな派遣は要らないと思う。