[イスラ-ムの都市性]研究,雑木林の世界21,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199105
雑木林の世界21
「イスラムの都市性」研究
布野修司
この三年間「イスラームの都市性」と称する共同研究に参加してきた。文化系の研究プロジェクトとしては、研究費が年間一億円、総勢百五十人にものぼる大プロジェクトである。正式には「比較の手法によるイスラームの都市性の総合的研究」という。この三月、一応の区切りを迎えた。
正直に言って、ほとんど何もしなかった。僕の場合、インドネシアのことを少しかじっていたというだけで加えさせて頂いたのであって、中東の本家イスラームとはあまり接点がなかったせいもある。また、歴史学が全体をリードした感があり、知識不足でついていけなかったせいもある。ただ、湾岸戦争もあって、イスラーム世界に対して次第に興味がでてきた。もう少し、勉強すればよかった、と思い始めたころに終わってしまったのは自業自得とはいえ、実に残念であった。
遅ればせなのであるが、年が明けて随分と研究会に出席した。一月一四日、一五日、下関、一八日、一九日、仙台作並温泉。二月一一日、一二日、東京、三月一五日、一六日、出雲。温泉とうに料理、ふく料理、かき料理が目当てだからえらそうにはいえないのだけれど、分野の違う研究者の話を聞くのは実に楽しい。
例えば、下関のプログラムはこうだ。
「ヨーロッパとアフリカにおける金と貨幣交易のネットワーク」 森本芳樹 「西欧中世前期における金と金貨」
竹沢尚一郎「西アフリカにおける金と交易」
深沢克巳 「一八世紀のフランス王立アフリカ会社とピアスト ロ銀貨」
なんだ???、建築とは関係ないではないか、という感じかもしれない。僕も最初はそうだった。しかし、次第に関心が湧いて来る。特に、ものの流れをグローバルにみる様々な見方は世界史がダイナミックに捉えられてわくわくするのである。
作並温泉のプログラムは僕の最も興味をもったテーマの締めくくりであった。「続・都城論」という。
羽田 正 「西アジア年(Ⅰ)」
横山 正 「イタリア都市」
林佳世子 「西アジア都市(Ⅱ)」
竹沢尚一郎「アフリカ都市」
山形孝夫 「コプト修道院のコスモロジーと都市」
一昨年、熱海で行った「都城論」の続きである。
王権の所在地としての「都」としての都市、そして城郭をもった「城」としての都市、二つの性格を合わせ持つ都市、すなわち「都城」について、その「都城」を支えるコスモロジーと具体的な都市形態との関係を、アジアからヨーロッパ、アフリカまでグローバルに見てみたのである。
二回の議論でいくつかはっきりしたことがある。以下に紹介してみよう。
第一、王権を根拠づける思想、コスモロジーが具体的な都市のプランに極めて明快に投影されるケースとそうでないケースがある。東アジア、南アジア、そして東南アジアには、王権の所在地としての都城のプランを規定する思想、書が存在する。しかし、西アジア・イスラム世界には、そうした思想や書はない。
第二、以上のように、都市の理念型として超越的なモデルが存在し、そのメタファーとして現実の都市形態が考えられる場合と、実践的、機能的な論理が支配的な場合がある。前者の場合も理念型がそのまま実現する場合は少ない。理念型と生きられた都市の重層が興味深い。また、都市構造と理念型との関係は時代とともに変化していく。
第三、都城の形態を規定する思想や理念は、その文明の中心より、周辺地域において、より理念的、理想的に表現される傾向がつよい。例えば、インドの都城の理念を著す『アルタシャストラ』*1を具体的に示す都市は、アンコールワットやアンコールトムのような東南アジアの都市である。
都市や住居の象徴的意味の次元と実用的機能的側面は必ずしも切然と区別できない。両方はダイナミックに関わり会う。ある条件のもとで、どちらかの側面が強く表現され優位となる。コスモロジーが集落や住居の具体的形態にどう表れるのかというテーマはそれ故興味深いといえるのである*2。
三月二三日には、三年間の研究の総括集会が東大の東洋文化研究所で開かれた。イスラーム研究がこの二〇年の間にどれだけ広がりをみせたかという、プロジェクトの主宰者であった板垣雄三氏のまとめの後、事務局長の原洋之助氏の経済学から見た研究総括があった。ひとつの焦点は後藤明氏の「イスラーム自由都市論」であった。
メッカは、自由な個人の自由な結び付きを基礎とする都市であったという「自由都市論」は、三年間の話題であった。つい最近出た『メッカ』(後藤明著 中公新書)に詳しい。
「イスラームの都市性」に関する研究プロジェクトについては、冒頭に述べたようにさぼりにさぼった。終わりの方で後悔したけれど後の祭りである。しかし、さぼりっぱなし、というわけにはいかない。昨年の一二月一日、二日の総括集会では、建築、都市計画の分野を代表して総括をしなさい、ということになった。ただただ、さぼったことをあやまるしかない。僕は「スラムの都市性」については多少しゃべれるんですけど、「イ」がついて「イスラームの都市性」というとどうも、などといって笑われたのが精一杯であった。その時述べたのは以下のようなことだ。
第一、イスラーム圏の都市、建築について余りにも僕らは認識を欠いてきた。「東洋建築史図集」をつくるといったレヴェルの作業も行われていないのは遺憾である。
第二、特に歴史研究者のあまりに禁欲な慎重さにはイライラした。「イスラームの都市性」研究の成果は、ディテールのペーパーの量で計られるより、それぞれのジャンルの枠組みがどれだけ揺らいだかによって計られるべきだ。もちろん、こんなにストレートに言ったわけではない。「わたしは○○世紀の□□が専門ですから他はわかりません」という言い方に随分と嫉妬させられたものである。
第三、東京論が上滑りして収束する中で、この間の都市論の隆盛に深みと広がりを与えた。イスラーム法によって規定される「イスラーム都市」のあり方は、都市計画のあり方に様々な示唆を与える。
第四、「イスラム都市」については、最近邦訳の出た、ベシーム・S・ハキームの『イスラム都市 アラブのまちづくりの原理』(佐藤次高監約 第三書館)が興味深い。彼が調査対象としたのはチュニスであるが、イスラム世界の都市の構成原理を解きあかす多くのヒントがそこにはある。イスラーム圏の都市についてこうした原理をさぐる研究がなされるべきである。
少し、次の研究テーマが見えてきた。
*1 カウティリア(Kautilya)『アルタシャーストラ』 『実利論』 上村勝彦訳 岩波文庫 一九八四年 王宮、城砦、城砦都市などについて、その建設方法が記述されている。
*2 拙稿 「コスモスとしての家(2) 都市とコスモロジー」 『群居』26号 1991年5月