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2023年1月9日月曜日

朝鮮文化が日本建築に与えたもの,雑木林の世界40,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199212

 朝鮮文化が日本建築に与えたもの,雑木林の世界40,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199212


雑木林の世界40

朝鮮文化が日本建築に与えたもの

第二回出雲建築フォーラム

                       布野修司

 

 距離的に近くなったせいであろうか。このところ出雲、松江に赴くことが頻繁になった。島根県景観形成マニュアル作成委員会、松江市景観対策委員会、出雲市まちづくり景観賞審査委員会、・・・景観関係の委員会が多い。一一月末には、仁多町の景観シンポジウムがある。日本中景観ばやりである。

 加茂町の文化ホールの公開ヒヤリング方式によるコンペは一五〇人が集まる盛況であった(一〇月八日 雑木林の世界36 八月号)が、渡辺豊和氏が設計者に決まった。出雲のことだけはお手伝いしなければと思うのであるが・・・。

 そうした出雲で、一一月一日、第二回出雲建築フォーラム・シンポジウムが開かれた(大社町商工会館)。今年のテーマは「朝鮮文化が日本建築に与えたもの」という大変なテーマである。去年に続いてコーディネーターの役をおおせつかった。伊丹潤著『朝鮮の建築と文化』、鄭寅國著『韓国建築様式論』、安瑛培著『韓国建築 外部空間』、野村孝文著『朝鮮の民家』、ハウジング・スタディー・グループ著『韓国現代住居学』・・・、にわか勉強もそこそこに厚かましく出かけたのであるが、実に楽しい、刺激的なフォーラムとなった。

 出雲建築フォーラムについては、本欄で二度ほど紹介してきた(雑木林の世界09 一九九〇年五月、雑木林の世界28 一九九一年12月)。全国から神々が集う神在月(かみありづき)に毎年建築フォーラムを開こうというので結成されたのが出雲建築フォーラムである。最初は構想だけの紹介だったののであるが、昨年第一回目が行われ、今年二年目が続けられた。出雲建築フォーラムはなんとなく元気がいい。

 今年は韓国から一線の建築家を招いた。張世洋(チャン・セー・ヤン)氏である。張氏は、日本でも著名な、ソウル・オリンピック・スタジアムの設計者、金寿恨(キム・ス・グン 一九八六年死去)亡き後、空間総合建築士事務所を率いる。「空間社」は総勢百二十一九四七年、釜山に生まれ、ソウル大学校工科大学を卒業した若きリーダーである。

 パネラーは、韓国建築に造詣の深い、伊丹潤氏、日本で慶州の都市史を研究する韓 三建氏、同じく住居学を学ぶ姜恵京氏、密教建築を中心とする建築史の藤井恵介氏、そして高松伸氏である。百人近い参加者があった。会場には、昨年に続いて、長谷川尭氏、渡辺豊和氏の顔も見えた。

  第一回目は「大和建築」に対して、「出雲建築」というものが果して考えられるか。出雲に独自の空間のあり方、自然と人間との独自の関わり、スケール感覚等々が果してあるのか、等々をめぐって議論が行われたのであるが、それならば韓国・朝鮮との関係はどうか、というのが今回のテーマである。

 日本文化と朝鮮・韓国文化が密接につながりを持つことは明らかである。ことに古代においては、その関係は無視し得ない、というより一体で考えた方がいい程だ。古代出雲は特に朝鮮・韓半島との関係が深い。近代には、植民地化の歴史という不幸な関係もある。

 日本の中の朝鮮文化、あるいは朝鮮の中の日本文化をみる視点は日本文化を考える上で欠かすことのできないものである。

 よく、日本で韓国・朝鮮は近くて遠い国といわれる。確かに我々は韓国・朝鮮についてあまりに知らない。しかし一方、近いからわかるということもある。西欧vs日本の構図を超えて、深く理解し合う基盤は日本と朝鮮・韓国の間にある。

 「朝鮮文化が日本建築に与えた影響」といっても、我々はあまりにも朝鮮・韓国の建築について知らない。まずは断片的でもいいから朝鮮・韓国の建築について知ろうというのがシンポジウムの最初の目的となるのは当然の成りゆきであった。

 まず、張氏が、オリンピック・スタジアムなど空間社の作品をスライドで説明した。つくづく思うに、現代建築の動向について我々はほとんど知らない。ソウル・オリンピックの際、体操競技が行われた体育館は、香港上海銀行を差し置いてハイテック技術を顕彰する賞を受賞したと言うのであるが、出雲ドームとよく似ている。傘を広げるその構造もテフロン幕を用いることも、彼は既に試みていたのである。

 彼の作品をめぐっては、シンポジウムでもコメントが出されたのであるが、極めて良質のモダニズムを突き詰めようとする姿勢に好感がもたれた。韓国建築の伝統を現代建築にどう生かすかがひとつの焦点となった。特に、マダン(庭)のスケールをめぐって議論が起こったのが興味深かかった。

 続いて、韓三建氏は、日本の神社と韓国の廟をめぐって、特に廟における儀礼を詳しく説明してくれた。ソウルの宗廟、そして新羅の古都、慶州における廟の事例が中心であった。神社と廟そのものを比較することの問題点はある。しかし、神宮という言葉が朝鮮の方が早いという事実や出雲大社の儀礼と廟での儀礼がよく似ているという事実など考えさせられるテーマが沢山提起された。

 宗廟というと、かって建築家、白井晟一が東洋のパルテノンと呼んだ建築である。宗廟に惹かれて韓国を歩くようになったという伊丹潤氏の吐露もあった。

 朝鮮・韓国建築の特性というと、一方、民家の特性がよく問題とされる。先のマダンもそうだが、すぐ想起されるのがオンドル温突である。高句麗起源ということであるけれど、今では全国で一般的である。また板間としてのマル(抹楼)も特徴的である。このマルをめぐっても議論となった。日本の板間はマルからきたのかどうか。また、マルは南方起源なのか、北方起源なのか。今回初めて知ったのであるが、既に戦前期に、マルの起源をめぐって、藤島亥治郎、村田治郎の両碩学の間で論争があるのである。

 伊丹潤氏が強調したのは、自然観の微妙な違いである。彼によれば、坪庭とか中庭という形で自然を取り込むのが日本であるとすれば、内部も外部もない、あるがままなのが韓国だ。韓国には鑑賞するための空間はない。自然を観る感覚はなく、自然に観られる感覚が強い。儒教の自然観が根底にあるという。

 風水地理説、図讖(としん)思想についての話題も当然出た。風水地理説が韓国に入ってきたのは新羅時代後期のことだという。

 また、床座の問題もでた。日本も韓国・朝鮮も上下足を区分し、床座なのである。さらに茶室韓国起源説もちらりと出た。

 とてもまとめきる能力はなかったのであるが、少なくともテーマの広大な広がりは確認出来たように思う。

 来年はどうするか。テーマは沢山ある。毎年の神在月が楽しみになってきた。神在月にはみんなで出雲へ、ということになりそうな気がしてくるではないか。