模索する固有表現,テクノクラシーの強化,日本読書新聞,198012
このブログを検索
2024年11月15日金曜日
2024年10月5日土曜日
不可避の構造改革 これからの建築に期待すること, 建築画報,20060618
不可避の構造改革 これからの建築に期待すること
布野修司
あんまり進歩がないのかもしれない。二〇年ほど前に『戦後建築論ノート』(一九八一年)を書いて、それなりに建築の未来を展望したのだけれど、あまり付け加えることがない。丁度第二次オイルショックの後で、高度成長期が終息した閉塞感はバブルが弾けた今日とよく似ていた。「町並みや歴史的環境の保存の問題」、「地域の生態系に基づく建築のあり方」など既に議論している。
五年ほど前にその改訂版『戦後建築の終焉---世紀末建築論ノート』(一九九五年)を出したけれど、主張の軸は変わっていない。バブルの残り火がまだ燃えさかっていたけれど、阪神淡路大震災によって「日本の近代建築」、「戦後建築」の課題が全て出尽くしたという思いがあった。そこで、八〇年代以降の建築の動向についての考察を加えるなかで、これからは個々の建築設計においても「地球のデザイン」が問われることを論じた。何も先見性を誇ろうというわけではない。近代建築批判の課題はそう簡単ではない、ということである。
とは言え、二〇年の時の流れは重い。この間、冷戦の終焉という世界史的な大転換も経験した。求められているのは現実的諸条件の中での具体的指針であろう。「フローからストックへ」「環境共生建築」「サステイナブル・デザイン」・・・耳障りのいい言葉が飛び交うけれど、ストック重視となるとすると、日本の建築界の再編成、構造改革は不可避である。建築の寿命が倍に延びれば、あるいは先進諸国並に建設投資が半分になるとすれば、建設産業従事者は二分の一になってもおかしくない。余剰の部門は、維持管理部門へ、建築に関わるIT部門へ、そしてまちづくり部門へ、大きくシフトしていくことになるだろう。
建築画報 2000年6月18日
2024年2月29日木曜日
2023年12月11日月曜日
PFI(「総合評価」)による事業者(設計者)選定方式 建築のあり方研究会編:建築の営みを問う18章,井上書店,2010年
建築のあり方研究会編:建築の営みを問う18章,井上書店,2010年
PFI(「総合評価」)による事業者(設計者)選定方式
布野修司
「世界貿易機構(WTO)」案件はもとより、国の事業は、既に「PFI(Private Finance Initiative)」事業が主流となっており、公共事業の事業者選定におけるPFI方式は着実に定着しつつある。国あるいは地方公共団体が、事業コストを削減し、より質の高い公共サービス提供する(安くていいものをつくる)という「説明責任」を果たす上で極めて都合がいいからである。第一に、PFI事業は、事業者選定の過程について一定の公開性、透明性を担保する仕組みをもっているとされる。第二に、国あるいは地方公共団体にとって、設計から施工、そして維持管理まで一貫して事業者に委ねることで、事務作業を大幅に縮減できる、第三に、効率的な施設管理(ファシリティ・マネージメント(FM))が期待される、そして第四に、何よりも、設計施工(デザイン・ビルド)を実質化することで、コスト削減が容易となる、とされる。しかし、「説明責任」が果たせるからといって、「いい建築(空間、施設)」が、実際に創り出されるかどうかは別問題である。
日本のPFI(Private Finance Initiative)法は、欧米のPFIでは禁止されている施設整備費の割賦払を禁止していないばかりかむしろ割賦払いによる施設整備を促進しており、財政悪化の歯止めをはずした悪法となっていることなど[i]、その事業方式そのものの問題はここでは問わない。事業者(特別目的会社SPC)および設計者の選定に関わる評価方式を問題にしたい。決定的なのは、地域の要求とその変化に柔軟に、また動態的に対応する仕組みになっていないことである。
BOTとBTO
公共施設整備としてのPFI事業が、BOT(建設Build→管理運営Operate→所有権移転Transfer)か、BTO(建設→所有権移転→管理運営)かは、建築(空間)の評価以前の問題である。
PFI事業がBTOに限定されるとすれば、設計施工(デザイン・ビルド)とほとんど変わらなくなることは容易に予想される。すなわち、設計施工の分離をうたう会計法の規定?をすり抜ける手段となりかねない。
SPCは、民間企業として、事業資金の調達および建築物の設計・施工・管理を行い、さらに、その運営のための多くのサービスを提供するのに対して、公共団体は、その対価を一定期間にわたって分割して支払うのがPFI事業の基本である。地方公共団体にとって、財源確保や管理リスクを回避できることに加え、契約期間中に固定資産税収入があることで、メリットが大きい手法となるはずである。問題は、民間企業にとって、どういうメリットがあるかである。PFI事業の基本的問題は、すなわち、公民の間の、所有権、税、補助金などをめぐる法的、経済的関係、さらにリスク分担ということになる。
公には「施設所有の原則」があり、「施設を保有していないのに補助金は出せない」という見解、主張があった。公的施設の永続性を担保するためには公による所有が前提とされてきたからである。実際は、BTO方式によるPFI事業にも補助金を出すという決定(補助金交付要項の一部改正)がなされることになる。SPCにとっては、補助金がないとすれば、メリットは多くはない。BOT方式のPFI事業では、所有権移転を受けるまでの30年間(最近では10年~20年のケースが増えつつある)は、SPCの所有ということになる。従って、SPCは税金を払う必要がある。これではSPCにはさらに魅力がないことになる。
実際上の問題は、公共施設のプログラム毎にケース・バイ・ケースの契約とならざるを得ない。「利益が出た場合にどうするか」というのも問題であるが、決定的なのは「事業が破綻した場合に、その責任をどのようにとるか」である。契約をめぐっては、社会的状況の変化をどう考えるかによって多様な選択肢があるからである。公共団体、SPC、金融団等の間に「秘密保持の合意」がなされる実態がある。破綻した際の責任をだれが取るのか、建築(空間)の質の「評価」の問題も同じ位相の問題を孕んでいる。
責任主体
PFI事業によって整備される公共施設の「評価」を行い、SPCの選定に関わる審査機能をもつ委員会は基本的に法的な権限を与えられない。従って、責任もない。これは、PFI事業に限らず、様々な方式の設計競技においても同様である。また、審査員がどのような能力、経験、資格を有すべきかどうかについても一般的に規定があるわけではない。
地域コミュニティや自治体に属する権限を持った「コミュニティ・アーキテクト」あるいは「タウンアーキテクト」、また法的根拠をもってレビューを行う英国のCAVE(Committee of Architecture and Built Environment)のような新たな仕組みを考えるのであれば別だが、決定権は常に国、自治体にある。都市計画審議会にしろ、建築審議会にしろ、諮問に対して答申が求められるだけである。
日本の審議会システム一般についてここで議論するつもりはないが、PFIをうたいながら、すなわち民間の活力、資金やノウハウを導入するといいながら、審査員には「有識者」として意見を言わせるだけで、予め設定した枠組みを全く動かさないという場合がほとんどである。
「安くていいものを」というのが総合評価方式であり、一見オープンで公平なプロセスであるように見えるが、プロジェクトの枠組みそのものを議論しない仕掛けが「審査委員会」であり、国、自治体の説明責任のために盾となるのが「審査委員会」である。
予め指摘すべきは、地域住民の真のニーズを汲み上げる形での公的施設の整備手法は他にも様々に考えられるということである。
プログラムと要求水準
公共施設整備の中心はプログラムの設定である。しかし、公共施設は様々な法制度によって様々に規定されている。施設=制度institutionの本質である。
民間の資金やノウハウを活用することをうたうPFI事業であるが、予め施設のプログラムは、ほとんどが「要求水準書」によって決定されている。この「要求水準書」なるものは、多くの場合、様々な前例や基準を踏襲してつくられる。例えば、その規模や設備は現状と変わらない形で決められてしまっている。また、容積率や建蔽率ぎりぎりいっぱいの内容が既に決定されており、様々な工夫を行う余地がない。極端に言えば、あらたな質をもった建築空間が生まれる可能性ほとんどないのである。
「要求水準書」は、一方で契約の前提となる。提案の内容を大きく規定するとともに、審査における評価のフレームを大きく規定することになる。すなわち、公共施設の空間構成や管理運営に地域住民のニーズを的確に反映させる仕組みを予めPFI事業は欠いているといっていい。参加型のワークショップなど手間隙はかかるけれどもすぐれた方法は他にある。
総合評価
公共施設整備の核心であるプログラムとして、設計計画のコンセプト、基本的指針が本来うたわれ、建築的提案として競われるべきである。そして、公的な空間のあり方をめぐってコンセプトそのものが評価基準の柱とされるべきである。あるいは、コンセプトそのものの提案が評価の中心に置くべきである。しかし、コンセプトはしばしば明示されることはない。PFI事業においては、「総合評価」方式が用いられるが、「総合評価」といっても、あくまで入札方式としての手続きのみが問題にされるだけである。
問題は、「総合評価」とは一体何か、ということになる。
A 評価項目とそのフレーム
多くの場合、審査員が参加するのは評価項目とその配点の決定からである。予め「先例」あるいは「先進事例」などに倣った評価項目案が示され、それを踏襲する場合も少なくない。すなわち、国あるいは地方公共団体の「意向」が反映されるものとなりやすい。
問題は、建築(空間)の質をどう評価するか、であって、そのフレームがまず審査員の間で議論されることになる。ここで、審査員によって構成される委員会におけるパラダイムに問題は移行することになる。例えば、建築を計画、構造、設備(環境工学)、生産といった分野、側面から考えるのが日本の建築学のパラダイムであるが、一般の施設利用者や地域住民にそのフレームが理解されることは稀である。「要求水準書」を満たすことは、そもそも前提であり、しばしば絶対条件とされる。審査委員会の評価として「プラス・アルファ」(それはしばしば外観、あるいは街並みとの調和といった項目として考慮されようとする)を求めるといった形でフレームが設定されるケースがほとんどである。
B ポイント制
フレームはフレームとして、提案の全体をどう評価するかについては、各評価項目のウエイトが問題となる。各評価項目を得点化して足し合わせることがごく自然に行われる。複数の提案から実現案1案を選ぶのであるから、審査員が徹底的に議論して合意形成に至ればいい(文学賞などの決定プロセス)のであるが、手続きとしてごく自然にこうしたポイント制が採られる。審査員(専門家)が多数決によって決定する、またその過程と理由を公開する(説明責任を果たす)のであればいいのであるが、ポイント・システムは、例え0.1ポイント差でも決定理由となる。建築の評価の本質(プログラムとコンセプト)とはかけ離れた結論に導かれる可能性を含むし、実際しばしばそうしたことが起こる。
各評価項目もまた、客観的な数値によって評価されるとは限らないから、多くの場合、相対評価が点数による尺度によって示される。個々の審査員の評価は主観的であるから、評価項目ごとに平均値が用いられることになる。わかりやすく言えば、平均的な建築が高い得点を得るのがポイント制である。
建築の評価をめぐる部分と全体フレームをめぐる以上の問題は「建築」を専門とする専門家の間でのパラダイムあるいはピア・レビューの問題であるといってもいい。
C 建築の質と事業費
「安くていいものがいい」というのは、誰にも異を唱えることができない評価理念であるが、「いい」という評価が、Bでの議論を留保して、点数で表現されるとして、事業費と合わせて、総合的にどう評価するかが次の問題である。
建築の質に関わる評価と事業費といった全く次元の違う評価項目を比較するとなると、点数化、数値化は全く形式的なものとならざるを得ない。そこで持ち出されるのが実に単純な数式である。
事業費を点数化して、建築の質の評価に関わる点数と単純に合わせて評価する加算法と、質は質として評価した点数を事業費で割って比べる除算法が用いられているが、数学的根拠はない。極めて操作的で、加算法を採る場合、質の評価と事業費の評価を5:5としたり、4:6にしたり、3:7にしたり様々である。除算法を採る場合、予め、基本事項(要求水準)に60%あるいは70%の得点を与える、いわゆる下駄が履かされる。基本的には、質より事業費の方のウエイトを高くする操作と考えられても仕方がない。
単純に事業費のみとは限らない。SPCの組織形態や資金調達能力などが数値化され、係数を加えたりして数式が工夫される。
事例を積み重ねなければ数式の妥当性はわからないというのが経営学の基本的立場というが、建築の質の評価の問題とはかけ離れているといわざるを得ない。
地方公共団体の施策方針と財務内容に基づいて設定された事業費に従って、施設内容、プログラムを工夫するやり方の方がごく自然である。
D 時間的変化の予測と評価
事業費そのものも、実は明快ではない。いわゆる設計見積を評価するしかないが、設計・施工のための組織形態によって大きな差異がある。そして何よりも問題なのは、時間の変化に伴う項目については誰にも評価できないことである。維持管理費やランニング・コストについては、提案書を信じるしかない。
結局は、予測不可能な事態に対処しうる組織力と柔軟性をもったSPCに期待せざるを得ない、ということになる。
事後評価
PFI事業の事業者選定委員会は、設計競技の審査委員会も同様であるが、多くて数回の委員会によってその役割を終える。当初から事業に責任がないことは上述の通りであるが、事後についても全く責任はなく、なんらの関係もない。そもそも、PFI事業は一定の期間を対象にしているにも関わらず、事後評価の仕組みを全く持っていない。
事業の進展に従ってチェックしながら修正することが当然考えられていいけれど、そうしたフレキシビリティをもったダイナミックな計画の手法は全く想定されていない。
以上、PFI事業による公共施設整備の問題点について指摘してきた。透明性の高い手法として評価されるPFI事業であるが、実は、建築(空間)の評価と必ずしも関わらない形式的手続きによって事業者が決定されていることは以上の通りである。PFI事業の制度は、結局は事業費削減を自己目的化する制度に他ならないということになる。「いい」建築を生み出す契機がそのプロセスにないからである。少なくとも、地域住民のニーズに即した公共建築のあり方を評価し、決定する仕組みを持っていないことは致命的である。
問題点を指摘する中でいくつかのオールタナティブに触れたが、「コミュニティ・アーキテクト」制の導入など、安くていい、地域社会の真のニーズに答える仕組みはいくらでも提案できる。要は、真に「民間活力」を導入できる制度である。
4800字 4p
[i] 割賦払いの契約を締結すると公共には施設整備費を全額支払う義務が生じ、施設の瑕疵担保リスクを超えた不具合リスクを民間に移転することが出来なくなるというデメリットが生じる。そして、公債よりも資金調達コストの高い民間資金を利用して施設を整備する合理的な理由がなくなる。
2023年10月31日火曜日
2023年10月24日火曜日
2023年10月22日日曜日
2023年9月27日水曜日
2023年6月24日土曜日
住宅の生と死ー住宅生産の循環システム, 日本ハウスビルダー協会,19961005
住宅の生と死ー住宅生産の循環システム, 日本ハウスビルダー協会,19961005
住宅の生と死・・・住宅生産の循環システム
布野修司
フロー型からストック型へ、住宅生産の仕組みは変わっていかざるを得ない、と言われる。建設投資の割合が減少していくのだとすればそれは必然である。バブル崩壊以後、また地球環境問題の顕在化以後、僕らは、なんとなくフロー型からストック型への構造転換を必然的だと考え始めている。しかし、ストック型生産システムというのは果たしてどういうことか。
確かに建設投資がGNPの二割を占めるような国は先進諸国にはない。住宅を三〇年でスクラップ・アンド・ビルドしている国はない。イギリスの人口は日本の約半分で比較しやすいのであるが、年平均の住宅供給数は、一九八五年から九〇年の五年で一九万一〇〇〇である。一九六一年から六五年の平均で二八万四一〇〇〇であった。日本は一九六〇年で新設着工戸数は約六〇万戸であったから、人口規模を比較するとほぼ同じ建設数だったとみていい。その後、イギリスの着工戸数は減少して年間二〇万戸程度になった。ということは、日本に置き換えると年間四〇万戸体制である。果たして、三〇年後、日本はイギリスの道を辿っているのであろうか。
しかし単純に考えてみて、住宅が一〇〇年の耐用年限を持つようになると、住宅生産に関わる人員は三分の一でいい。あるいは、住宅の価格を三倍にする必要がある。そう簡単に構造が変わるのか。その全体構造の帰趨を議論しなければ、日本の住宅生産がストック型に転換しうるかどうかは不明といわねばならないのではないか。
「中高層ハウジング研究会」でも、ストック型住宅供給システムを前提として、今後の住宅供給システムがどうなるのか、どうあるべきか、議論を続けている。共通にテーマになっているのが、スケルトンーインフィルークラディングの三系統供給システム、あるいはオープン・ハウジング・システムである。スケルトンの寿命が長くなるとすれば、維持管理に関わる産業あるいはインフィル産業へ住宅産業界がシフトしていくのは必然である。インフィル産業界が新たに育ってこなければならない。しかし、一体、スケルトンは何年持てばいいのか、インフィルは何年でリサイクルするのか。そもそも、模様替えして住み続ける住み方が日本に定着するのか。
問題は単純に耐用年限ではないのではないか。全ての建築材料が建設廃棄物になるのだとすれば、耐用年限を長くすればするほど資源は有効利用できる。しかし、再生可能な材料であるとすれば、リサイクルに適切な年限で循環していけばいいから、耐用年限はしかるべきものでいい。住宅生産システムの評価は単純に耐用年数では決められない。LCC(ライフ・サイクル・コスト)という考えも四半世紀前に導入されたけれど、日本には必ずしも定着しない。前提にすべき条件が明らかでないからである。
そこで考えられるのは、循環性、多様性、自律性の指標である。住宅生産システムとして、個々のニーズの多様性に対応でき、循環可能な地域内で自律するしうる住居の維持管理、更新システムが問題であって、必ずしも耐用年限ではないのである。
住宅の生産が本来ローカルなものであるとすれば、あるいは、どんな住宅であれ更新されていくものだとすれば、地域における、あるいは、それぞれの系(企業)における、循環性こそ問題にすべきではないか。地域内で自律的なシステム、地域外へ向かう生産システム、地域と地域を結ぶ生産システムの再編成を考える中で、いかに循環型生産システムを構築するかどうかが、フローからストックへという場合の真のテーマではないのだろうか。
2023年1月28日土曜日
これからの住まい・まちづくりと地域の住宅生産システム,雑木林の世界56,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199404,
これからの住まい・まちづくりと地域の住宅生産システム,雑木林の世界56,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199404,
雑木林の世界56
これからの住まい・まちづくりと地域の住宅生産システム
布野修司
日本建築学会の経済委員会・地域の住宅生産システム小委員会(主査 鎌田宣夫)が設立以来十年を迎え、この十年を振り返るシンポジウムを開催した(日本建築学会・建築会館 一九九四年二月二三日)。建設省の地域住宅計画(HOPE計画)政策が開始されて十年だから、「地域」を基礎にする様々な試行も随分と歴史を積み重ねたことになる。この間、バブル経済に「地域」は翻弄され続けてきたのだけれど、「地域」について振り返ってみるいい機会かもしれない。
「地域の住宅生産システムーーこの十年」と題されたシンポジウムでは、委員会の末席に名を連ねていた縁で、パネル・ディスカッションの司会の役を仰せつかったのであるが、以下に、その模様を記してみよう。
会は、藤澤好一先生(芝浦工業大学)の司会で、鎌田主査(ハウジング・アンド・コミュニティー財団)の挨拶で始まったのであるが、そのメモには次のようにあった。「私たちが地域の住宅生産システムを未だに学問として明確に理論化しえない或いはすべきでない理由がある。それは、これまでの仮説の多くが現実の世界では明らかに有効であるとは認め難いからである。たとえば、お互いの足らざる所を補完しあう異業種の共同事業化や地域でのプレカットの導入等によりスケールメリットを発揮できる三百戸生産体制の共同事業化等は未だその成功例をみない。・・・」。
続いて、「これまでの地域の住宅生産システム」と題して、各地の展開の総括が秋山哲一先生(東洋大学)からあった。「○○の家」といわれる、各地の地域型住宅の実態が中心である。
そして、具体例として四つの報告がなされた。①茨城木造住宅センターの試み 中村哲男(茨城県木造住宅センター)、②熊本県「郷の匠」の試み 黒川隆運(KT企画) ③北方型住宅の試み 大垣直明(北海道工業大学)、④プレハブ住宅メーカーの地域化の試み 大江恵一(積水ハウス)。
①協同組合による展開、②大工・工務店・地域ビルダーによる協会・任意団体による展開、③行政による優良地域型住宅認定制度の展開、④住宅メーカーの地域的展開をそれぞれ比較するねらいがあった。
そして、パネル・ディスカッションのパネラーは、大野勝彦(大野建築アトリエ)、山東和朗(住宅生産団体連合)、河野元信(建設省住宅局)、松村秀一(東京大学)、遠藤和義(工学院大学)の諸先生であった。また、副司会をお願いしたのが深井和宏先生(小山職業能力開発短期大学)である。
予め、司会の方で進行を用意するようにと言われてパネラーに送ったのは以下のようなメモである。
これからの住まい・まちづくりをめぐって地域の住宅生産システムのあり方を以下の諸点を中心に議論したい。
1.地域という概念・・・地域という概念をどう捉えるのか。前提となる地域とは具体的には何なのか。特に、地域の住宅生産システムという時の地域とは何か。何らかの閉じた系が想定されているのか。そのスケール、空間的広がりをどう考えるか。あるいは、地域を問題とする戦略的意味は何か。
2.住宅生産システムの諸類型・・・地域の住宅生産システムのモデル、型にはどのようなものがあるか。生産者社会の組織体制、システムの内部と外部、およびその相互関連のネットワークを含めて、出来たら具体的な例を挙げながら、いくつか提示して欲しい。
3.住宅生産システムの諸問題・・・1,2を前提として、関連する以下の問題を考えたい。
a.生産量(年間建設戸数)について、人口規模、住宅生産者社会の規模等に従って、システムの自立する条件は何か。適正規模ということがあるか。
b.システムの担い手は誰か。その再生産の様式(後継者の養成)はどのように保証されるか。「地域」を超える様々な主体の関係をどう考えるか。
c.住宅部品、住宅建材など材料生産のあり方はどうあるべきか。地域産材とは何か。建材生産の国際化をどう考えるか。
d.地域の住宅生産の技術(構法)はどうなっていくのか。どうあるべきか。工業化構法はどこまで進展して行くのか。
e.要するに、システムの何が問題なのか。
4.地域におけるこれからの住まい・まちづくりのあり方についてできるだけ具体的にイメージして欲しい。
a.主体のイメージ b.行政の役割 c.建築家の役割 d.大工・工務店の役割 e.部品建材等メーカーの役割 f.ネットワークのイメージ等
もちろん、限られた時間で以上のような議論ができるわけではない。このメモを頭に置いた上で各パネラーの発言要旨が書かれている。とても要約できないので、興味ある読者は資料を手に入れて頂きたい(連絡先:秋山哲一 〇四九二-三一-一四〇〇)。
各パネラーから様々な提起があったのであるが、質疑でまず議論が集中したのは、担い手育成の問題であった。地域の住宅生産システムを考える上で鍵となるからである。また、この間、各地で担い手の育成事業が展開され始めており、議論が積み重ねられているせいもあったかもしれない。
もうひとつ、印象的だったのは、ローコスト化のためのアクション・プログラムに関連した課題が出されたことだ。また、山東先生から、規制緩和や景気対策、地方分権といった日本の社会の喫緊の課題とリンクする形で、住宅生産システムの課題が提示されたことである。
司会者として、予めメモをつくってみたものの、もちろん方向性が見えているわけではない。どの立場において展望するかにおいて見取り図は異なるだろう。そうした意味で、大野先生の分析はいつもながらすっきりしていて説得力があった。地域には多様な住宅ニーズがあり、それを満たすシステムが用意さるべきだ、というのである。
2023年1月18日水曜日
職人大学(SSA)第一回パイロット・スクール佐渡,雑木林の世界48,住宅と木材,日本住宅木材技術センター,199308
職人大学(SSA)第一回パイロット・スクール佐渡,雑木林の世界48,住宅と木材,日本住宅木材技術センター,199308
雑木林の世界
職人大学(SSA)第一回パイロット・スクール佐渡
布野修司
一九九三年五月三〇日(日)から六月五日まで、SSF(サイト・スペシャルズ・フォーラム)の第一回パイロットスクールが新潟県の佐渡の真野町(佐渡スポーツハウス)で開催された。職人大学へ向けての第一歩である。まだまだ先は長いのであるが、ようやく、ここまできたと感慨深い。
僕自身は残念なことにわずかに一泊二日だけしか参加できなかった。しかし、その熱気は肌で感じることができた。以下にその一端を報告しよう。プログラムは次のようであった。
五月三〇日 受付/オリエンテーション/開校式/懇親会
5月三一日 建設産業とサイトスペシャリスト(安藤正雄 青木利光)/地域ツアー/職人大学設立に向けて
六月 一日 建設物の構造と仕様(藤澤好一 安藤正雄)/計画作成参画者資格 労働大臣の定める研修(1)(池田一雄仮設工業会専務理事)/体験報告会(1)(安藤正雄)
六月 二日 計画作成参画者資格 労働大臣の定める研修(2)(森宣制仮設工業会会長)/体験報告会(2)(布野修司)/新技術・新工法(藤野功)/討論 職人大学構想(三浦裕二)
六月 三日 施工管理 現場学・リーダー学(田中文男 斉藤充)/スポーツ/モニュメントを考える(三浦裕二)
六月 四日 土木学と技(三浦裕二)/総括シンポジウム(参加者全員)/懇親会
六月 五日 総括および修了式(内田祥哉SSF理事長)
参加人員三〇名。全国各地から受講者が集まった。その顔ぶれがすごい。ほとんどがヴェテランの職長さんたちである。年齢は一八才から五〇才まで、多士才々である。
まず感動したことがある。朝八時~夜の一〇時まで、ぎっしり詰まったプログラムは予定通りに実施されたのである。まずそれ自体驚くべきことだ。居眠りする人が全くいない。授業の一〇分前には皆着席して講師を待つ。大学では考えられないことだ。いまさらのように、大学の駄目さを痛感させられたのであった。
体験報告会のコーディネート役を務めたのであるが、体験を語り合うだけで、大変な勉強である。現場を知らない僕などは当然であるが、お互いの情報交換がとても役に立ったようだ。例えば、こうだ。
若い職長さんから、若者教育の悩みの話が出された。新しく入った若者がすぐやめてしまうというのは共通の問題である。仕事をさせずに、重いものを運ばせたり、後片づけばかりやらしてるからじゃないか、という意見がすぐさま出た。大半の職長さんは心当たりがありそうな反応だった。しかし、そう簡単ではない。
新しく入ったある若者を職業訓練学校に通わせた。もちろん、給料を払いながらである。一年して実際に仕事を始めると先輩とうまくいかない。先輩が仕事を教えないのだという。それに対しては、仕事は教えるものではない、盗むものである、という反論がすぐ出た。教えていたら仕事がはかどらないというのである。また、そういうときは、ひとつ上のランクのヴェテランにつければいい、というアドヴァイスもあった。若者が建設産業に定着しない大きな原因に初期教育の問題があるのである。
ある鳶さんの話が面白かった。原子力発電所の建屋専門の鳶さんである。何故、鳶になったか、という話である。高い足場に登って見ろ、と言われて、ついやってやる、と言ったんだそうである。意外にすいすい登れたんだけど、降りるときは怖くて怖くて足が震えたのだという。しかし、その経験が結局は鳶になるきっかけになったのである。今日本の社会において、そんな機会はほとんどなくなりつつあるかもしれない。職人が仕事をしている様子はなかなか伺えないのである。
この四月に入ったばかりの若者の話も面白かった。失敗談である。トイレが詰まって、掃除を命じられたけど、水の代わりに灯油を流してしまった。以後、ことある毎にからかわれているのだという。明るい職場のようであった。
技術についての交流も当然あった。斜張橋の現場をひとりで取り仕切った話には次々に質問もでた。収入の話も出た。最初は、躊躇いがあったけれど、全てオープンにということで、みんなが年収を言い合った。情報公開である。かなりのばらつきがある。能力さえあれば、若くても年収一千万円をとっても少しもおかしくない感じであった。
講義として迫力があるのは超ベテランの講師陣の話である。現場学、リーダー学は経験の厚さが滲み出る。また、体験に裏つ
けられた安全学はなんといっても説得力がある。ロープの結び方やワイヤロープの架け方など、次々と実践的知識を畳み掛けるように話した藤野功氏の講義など実にすばらしかった。
総括の様子を後で聞くと、受講生全員にとって、とても有意義であったようである。最後の夜、真渡の会という一期生の同窓会が結成されたのだという。これからも交流を続けようというのである。実にすばらしい。こうしたスクーリングを続けていけば、SSFも確実に成長していく筈だ。職人大学の教授陣は、同窓会の中から出ることになろう。
ところで、職人大学の構想はどうか。是非成功させて欲しい、成功させようと言うのが第一期生の声である。九月末には、職人大学設立発起人会が行われる。具体的に基金集めに向かおうという段階である。果たして、どれだけの賛同者が得られるか。どれだけの基金が得られるか。それが将来の鍵になる。
まず、第一段階として、現場校を考える。全国の建設現場の中から、認定指導者が配置されている、しかるべき条件を備えた現場を認定し、現場での実習を中心に養成訓練を行なう。
第二の段階として、地域校を考える。現場校において資格を得た職人を県または地域ブロックレヴェルに開設する地域校で、専門職人たちのチームを指導コントロールできる技術的知識や処理能力を身につけた職長(リーダー)を養成する。
第三の段階として、本部校を考える。地域校で資格を得た職長が指導者としての教育を受ける最高学府で、全国に一ケ所設立する。建設業を文化的、技術的、あるいは経営的に幅広くとらえる教養やマネージメントの力を身につけた指導者を養成する。
以上の全てが「職人大学」である。およそのイメージができるであろうか。大変な構想であるが、本部校一校だけつくればいいというのではないのである。
まずは、職人大学教育振興財団といった財団法人を設立するのが先決である。九月の発起人会はそのための第一歩である。皆様のご支援をお願いしたい(連絡先 SSF事務局)。
2022年12月25日日曜日
土木と建築,雑木林の世界34,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199206
土木と建築,雑木林の世界34,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199206
雑木林の世界34
土木と建築
「土建屋国家」日本の変貌
布野修司
茨城県木造住宅センターハウジングアカデミーの開校式が華々しく行われた。第一期入校生八名。定員通りである。紆余曲折はあったものの、とにかく開校にこぎつけたのはめでたい。長い間、そのお手伝いをしてきたものとしてはひとしお感慨深いところだ。その発展を心から期待したい。
SSF(サイト・スペシャルズ・フォーラム)は、2年目を迎えて模索が続く。SSA(サイト・スペシャルズ・アカデミー)設立を大きな車輪の軸にして、その基盤づくりが当面の目標となるが、その推進役として新たに日本大学理工学部の三浦先生(交通土木)を理事として迎えた。最初の一年は建築の分野を中心に講師を招いてフォーラムを続けて来たのであるが、今年は、土木の分野も含めた展開がはかられることになる。
今年に入って、フォーラムが既に二度開かれたのであるが、一回目(三月二四日)は、鈴木忠義(東京農大)先生、二度目(四月二二日)は花安繁郎(労働省産業安全研究所)先生が講師であった。
「今、なぜ「技」なのか」と題した鈴木忠義先生の講演は、長年の経験を踏まえて「芸」と「技」の重要性を力説され、「職人大好き人間」の面目躍如たるものがあった。面白かったのは「飯場リゾート論」である。飯場をリゾート施設としてつくり、工事が終わった時に地元に運営を委ねたらどうかというのである。一石二鳥にも三鳥にもなる。なるほどと思う。
「建設工事労働災害の発生特性について」と題した花安繁郎先生の講演は、いささか深刻なものであった。建設工事において事故は一定の確率で起こっているというのである。様々なデータをもとにした実証的な研究がもとになっていて迫力があった。建設業界に置いて安全の問題が極めて重要である実態を今更のように思い知らされたのである。
土木と建築というと近いようでいて遠い。僕なども土木の世界というと全く縁がなかった。土木と建築ではまず第一にスケールが違う。ということは扱う金額が違う。それだけでも話が合わないという先入観がある。しかし、今度、SSFを通じて土木の世界の一端に触れてみて思うのは、土木というのが気の遠くなるような手作業を基本としていることである。少なくとも、同じ土俵で考え、取り組むべきことが多いということはSSFに参加して痛感するところである。
土木と建築とは本来相互乗り入れできる分野は少なくない。しかし、両分野には、様々な理由から、歴史的、社会的に壁が設けられてきたようにみえる。縄張り争いもある。都市や国土の基盤整備を担当する土木の分野と、そうした基盤を前提にして空間をデザインする建築の分野には発想や方法の上で違いがあることも事実である。
そこで問題となるのは都市計画や地域計画を考える場合である。全体として考えられ、検討さるべき都市が全く連携を欠いた形で計画されることが多いのである。日本の都市の景観が雑然としてまとまりがない原因の一端は土木と建築の両分野が連携を欠いてきたことにもあるのである。
そうした歴史への反省からであろう。都市景観の問題をめぐって新たな動きが展開されつつある。そのひとつが橋梁のデザインがコンペ(設計競技)によって決定される例が増えてきたことである。はっきりいって、デザインについては、建築の分野に一日の長がある。建築家が橋梁や高速道路のデザインに大いに腕を奮ってもおかしくないし、大いに可能性のあることである。また、デザインのみならず、両分野が連携をとることによって都市に対する新たなアプローチが様々に見つかる筈である。
四月に入って、京都大学で授業を始めたのだが、最初の講義が「建築工学概論」という土木の四年生向けの授業だったせいであろうか、なんとなく、建築と土木の関係について考えさせられる。今、全国の大学の工学部ではその再編成の問題が議論されつつあり、土木、建築の建設系を統合しようという動きも現実にある。
土木の学生に話すのに土木のことを全く知らないというのでは心許ないからと、高橋裕先生の『現代日本土木史』(彰国社 一九九〇年)をざっと読んでみた。「現代日本」というのだけれど、明治以前の記述も三分の一を占めており、しっかりした歴史的パースペクティブに基づいたいい教科書である。近年、各大学で「土木史」の講義が行われ始めたという。土木の世界が変わりつつあるひとつの証左かもしれない。
『現代土木史』を通読してみてつくづく思うのは土木工学がその出自において工学の中心であったという今更のような事実である。シビル・エンジニアリングが何故「土木」と訳されたのかは不明であるが、シビル・エンジニアリングと言えば「土木」のことであったのである。イギリスなどにおいても、シビル・エンジニアの職能団体や学会の設立は建築の場合よりはるかに早い。
お雇外国人のリードで始まる近代日本の土木の展開は、建築の場合とよく似ているが、明治国家にとっての重要度という点では土木の方がはるかに高かった。殖産工業のための産業基盤整備に大きなウエイトが置かれるのは必然である。鉄道、道路、ダム、トンネル、治水、上下水、・・・土木技術が日本の「近代化」を支えてきたことは紛れもない事実である。『現代土木史』がその軌跡を跡づけるところである。
ところが、そうした土木の分野も大きな転換点を迎えつつあるようである。「職人不足」に関わる問題もその転換のひとつの要因である。また、土木技術が自然環境を傷つけ乱してきたという反省もその一因となっている。土木技術に内在する問題が真剣に問われ始めているのである。高橋裕先生は「土木工学は本来土木事業を施工することによって新たな環境を創造するための工学であった。開発行為が拡大し巨大化するにつれ、その行為自体が原環境に与える影響が大きくなると、開発と自然環境との共存を深く考慮することが、土木工学の基本原理として顕在化してきたのである。環境創造の基礎としての土木技術は新たな段階に入ったといえる」と書く。
土木学会は、「地球工学」、「自然工学」、「社会基盤工学」などその改称を考えたのであるが、結局、土木の名を残す事になったという。土木景観への関心から土や木など自然材料が見直されているからでもあろう。
地球環境全体が問われるなかで「土建屋国家」日本は変貌しつつあるし、また、変貌して行かざるを得ない。そのためには、建築、土木の両分野は、垣根をとっぱらう前提としても、まず基本原理を共有する必要があるだろう。景観、自然、サイト・スペシャルズ、・・・キーワードは用意されつつある。
2022年12月18日日曜日
デジタルファブリケーションの未来 ―秋吉浩気の華麗なる冒険― 『メタアーキテクト 次世代のための建築』を読む、スペルプラーツ、2022
デジタルファブリケーションの未来──秋吉浩気の華麗なる冒険『メタアーキテクト 次世代のための建築』を読む|布野修司|株式会社スペルプラーツ|note
書評 秋吉浩気『メタアーキテクト 次世代のための建築』スペルプラーツ、2022
デジタルファブリケーションの未来
―秋吉浩気の華麗なる冒険―
『メタアーキテクト 次世代のための建築』を読む
次世代への贈与
「何のために、誰のために建築をつくるのか。この根源的な問いを模索するために本書を書き始めた」。冒頭(はじめに)の第1行である。
一瞬、原広司の『建築に何が可能か──建築と人間と』(1967)の冒頭を想った。
『建築とは何か』という問いは、『人間とは何か』という問いが不毛であると同様に、行動の指標とはなりえない。もし私たちが人間について問うなら、『人間に何ができるか』を問うべきである。同様に建築についても、『建築に何ができるか』と問うべきであろう。このふたつの問いの内容には一見さしたる差異もないようにみえるのであるが、実はかなりの断絶がある。
(第一章 Ⅰ 初原的な問い)。
原広司がこの処女論集を上梓したのは30歳、秋吉浩気34歳、初々しい問いである。
秋吉の場合、すぐさま続けて答えを書いてくれている。「建築をつくることは「次世代への贈与」を行うことであり、林業における植林のように時代の繁栄に向けて建築というかたちで物語を託すことである。」と。「次世代のための建築」というのは本書のサブタイトルである。いまここに生きているわれわれ世代には関係ないの? と思うと、すぐさま、「未来なんかない、あるのは希望だけだ」と言ったのはイヴァン・イリイチだが、裏を返せば希望がないかぎり未来はないというわけだ」と続けている。「希望の火を灯し未来をつくる、その物語を建築によって次世代に届けるのが建築家である」という。問題は、秋吉の物語がどういう物語か? ということである。
産業社会批判
イヴァン・イリイチ(1926~2002)というウィーン生まれの哲学者、文明批評家の名はどれだけ若い世代に知られているのであろうか。イリイチの脱学校論(『脱学校の社会』(1977)、Deschoolinng Society[1971])、脱病院論・医原病(『脱病院化社会──医療の限界』[1979)]は、施設計画学を組み立ててきた吉武泰水・鈴木成文研究室を出自とする評者には決定的なインパクトを与えたが、それだけではない。ヴァナキュラー、オールタナティブ・テクノロジー(『エネルギーと公正』[1979])、コンヴィヴィアリティ(『自由の奪回──現代社会における「のびやかさConviviality」を求めて』(1979)『コンヴィヴィアリティのための道具』(1985))、ジェンダー(『ジェンダー──女と男の世界』[1985)]、シャドウ・ワーク(『シャドウ・ワーク――生活のあり方を問う』[1982])、サブシステンス、そして『人類の希望――イリイチ日本で語る』(1984)など、産業社会批判に関わるキー概念を次々に提出するイリイチの著作は必読書として多くに読まれた。最初の1頁に現れるイリイチの名前によって、本書の問題意識を予感することになる。
イリイチについては、「3章 変わる経済──ポストキャピタリズム論」で、さらにB.フラー『宇宙船地球号 操縦マニュアル』(1968)、ローマクラブ『成長の限界』(1972)、E.シューマッハー『スモール イズ ビューティフル』(1973)などとともに触れられる。
「今必要なのは新しい思想ではなく、むしろ彼らの見出した仮説を検証し実行する担い手と実践なのではなかろうか」というが、秋吉浩気が生まれる(1988)前の著作である。本書には、随所に、先行世代による仕事、著作への言及があり、その思索を未来に引き継ぐ構えがあるが、先行世代はいったい何をしてきたのか、という提起でもある。
メタアーキテクト
アーキテクトとは、コンピューター・アーキテクトという言葉がすでに定着しているように、アルケーArcheのテクネーTechneすなわち根源の技術(技能)に関わる存在(職能)だから、十分偉い! のであるが、タイトルはメタアーキテクトである。メタすなわち「超越した」「高次の」アーキテクトだから相当偉い! これも冒頭にすぐさま説明がある。自らを客観視する高次の次元に到達し(メタ認知)、代謝を繰り返し(メタボライズ)、変貌(メタモルフォーゼ)を遂げる存在である。もう少し、端的には「プロフェッサー×アーキテクト」時代の栄光を捨てた「アントレプレナー×アーキテクト」という。すなわち、メタアーキテクトを自称する現在の秋吉浩気である。
メタアーキテクトをめぐっては、「5章 変わる職能──メタアーキテクト論」で議論される。そこでは建築家の職能をめぐって、西欧のマスタービルダーや日本の大工棟梁にも触れ、『秋葉原感覚で住宅を考える』「D-D方式」の石山修武をメタアーキテクトの源流に位置するといい、「地域住宅工房」「ネットワーク型の町場職人システム」の大野勝彦、アーキテクトビルダー論のC.アレグザンダーにも言及するから、必ずしも突拍子もない提起ではない。本書でさらに新たに提出される興味深い概念は、MaaS(モビリティ・アズ・ア・サーヴィス)を捩った「アーキテクツ・アズ・ア・サーヴィスAaaS」である。システムの中に消去されるメタアーキテクトとシステムをデザインするメタアーキテクトは一般には分裂する。本書での秋吉は後者である。
理論と実践
本書は、日本に久々に現れた建築理論書である。原広司を最初に思い浮かべたけれど、彼には、BE(ビルディング・エレメント)論、有孔体理論があった。さらに集落論、様相論の展開がある。秋吉は、本書で、菊竹清訓の『代謝建築論──か・かた・かたち』に何度か触れている。磯崎新にはプロセス・プランニング論があり、手法論、引用論の展開があった。『建築少年たちの夢』(2011)で、磯崎、原以下、安藤忠雄、藤森照信、伊東豊雄、山本理顕、石山修武、渡辺豊和といった評者の先行世代の建築論について考えたが、以降、内藤廣、隈研吾にしても、妹島和世にしても、議論するに足る建築理論の展開がない。本書には、先行理論を大きく取り込む構えがあり、建築理論の地平を再構築する必要を再認識させるものがある。
小さな本だけれど、構成に工夫がある。というか、実に凝った構成である。曰く「この本では左右別々の物語が進行する」。右が「事」「構想」「起業家」、左が「物」「行動」「作家」、両義性をそのまま共存させる狙いがあるというが、要するに、右が理論、左が実践である。理念あるいは理論がそのまま実現するということはむしろ稀であり、逆に、一般には実践が理論を深化させる。最近、ある都市の歴史についての本で(『スラバヤ──コスモスとしてのカンポン』[2021])、出来事と空間を分ける、似たような構成を考えたからよくわかる。建築の図面や写真を文章の挿絵にするのでも、建築の図面や写真をただ解説しているわけではないということである。「造ったり考えたり」は、内田祥哉先生の言葉であるが★1、「左手で論文、右手で設計」は、評者の口癖である。
理論書あるいは学術書というと、起承転結あるいは序破急といった枠組みが問われるが、それは、本書において、少なくとも形式的には見事に貫かれている。目次を見れば、その形式主義は一目瞭然である。おそらく、頁割も絡むこの構成には編集者との共同作業が不可欠だったと思う。
まず、左頁を一気に読んだ(見た)ほうがいいと思う。Ⅰ建築以前 ⅰ場づくり ⅱ事づくり ⅲ人づくり、Ⅱ建築未満 ⅰ離散構法の構造 ⅱ線材構造の構法 ⅲ面材構造の構法、Ⅲ建築以降 ⅰ規模展開 ⅱ水平展開 ⅲ垂直展開というのが目次である。
ショップボット
すべては、3軸CNC(コンピュータ数値制御)加工機ショップボットShopBotから始まる。
DIYによるリノベーションのための家具などを製作する工房とともにショップボットを4tトラックに積んで各地を巡回する移動式工房を立ち上げた。2022年初頭の段階で、全国に113台導入したという。ショップボット1台でさまざまな身近な木工品や家具が製作できる、各地でのワークショップが多くの参加者を惹きつけたことは想像に難くない。ショップボットは、自らの手で身近なものをつくる道具となったのである。かつて、石山修武率いるダムダン空間工作所(1973年設立)が2×4の端材で積木や木馬のような遊具を製作して販売したことを思い出す。ル・コルビュジェ、C.R.マッキントッシュ、M.ブロイヤー、T.リートフェルト、丹下……建築家の名前を関する椅子は少なくないが、建築家は、本来、空間を構成する全てのものをデザインする存在であった。村野藤吾の時代までは、ドアノブ、各種金具、洗面台……すべて建築家がデザインし、逆に、それが商品化されるのがむしろ一般的であった。石山修武とダムダン空間工作所はD-D(ダイレクト・ディーリング)方式と呼んだが、建築を構成する建材、部品、家具など全てを市場価格より低価で供給し、自力建設(セルフビルド)によって自らの空間をつくりあげる、そうした仕組みを夢想したのであった。当時、石山修武をマニラの「フリーダム・トゥー・ビルド」★2、バンコクの「ビルディング・トゥゲザー」★3に案内する機会があったが、頼みもしないのに、石山は部品、部材の価格をリストにしてくれた。その夢想は、発展途上国においては現実化されつつあったのである。
建築以降→?
秋吉浩気は、建築未満から建築へ向かう、というけれど、すべてが建築と言えばいいのではないか。建築未満(Ⅱ)というけれど、建築構法の模索といったほうがいい。建築の架構、構法、工法は、建築の骨格を規定する。伝統的な柱梁構造、ログ構造、あるいは2×4工法のような単純な?[a1] 工法であれば、すなわち、建築架構のシステムが決まっているのであれば、柱とか梁など部材をデジタル加工することはすでにシステム化されており、プレカット工場など生産システムはできあがっている。
だから、ショップボットが加工できる木材部品による新たな架構方式が追及された。建築システムとしては、限定された特異な回答の模索である。その模索は実に楽しそうである。造形的な可能性を追求するのは、CAD、3Dプリンター、そしてショップボットを手にした建築家にとっては必然である。
そして、利賀村の《まれびとの家》を実現する機会が訪れた。以降が「Ⅲ 建築以降」である。磯崎新の処女建築論集は『空間へ』(1971)であるが、「Ⅲ 建築へ」というべきか?合掌造りの伝統の地域ではちょっと異質な急勾配の架構であるが、ショップボットによってひとつの空間を実現したのが《まれびとの家》である。
そしてさらに、「量」を追求する軸と「質」を追求する軸の2方向の模索を始めたというが、前者の展開として開始したのが「Nesting」というプレファブ住宅事業である。後者のさらなる展開として、「建築家事業」を行うVUILD Architectsを立ち上げた(2017)。この「建築家事業」というのは何か? メタアーキテクトの仕事なのか? 通常のアーキテクトの仕事なのか?
左頁を追いかければ、その軌跡は実に分かりやすい。「Ⅲ 建築以降」というのであれば、次のステップとして「Ⅳ 都市へ、あるいは街区へ」を見たいと思う。
建築をいくつかの要素(部品、家具、部屋……)あるいはいくつかのシステム(躯体、内装、設備……)からなるものと考え、建築から都市まで一貫するシステムとして構成する先行理論としてN.J.ハブラーケンの「建築=都市構成理論」がある。槇文彦の「群像形論」があり、大谷幸夫の「都市構成論」(麹町計画)がある。
デジタルファブリケーションが世界を救う?
さて、本論である。本論は6章構成である。目次を追うだけで論の展開の広大さ一目瞭然である。社会、産業、経済、流通、要するに世界全体を問い、その未来を展望しようとするのである。秋吉が自らに課すのは世界システムについてのヴィジョンである。
未来ヴィジョンを明快に語るのは、上述のように、3章の「変わる経済―ポストキャピタリズム論」である。脱成長のために、「脱商品化・脱植民地化・脱画一化・脱集約化・脱グローバル化」をいかに実現するかが問題であり、あとは実行するだけだ。そのためには、デジタルファブリケーションが武器になる。分散加工、小型部品、参画を基本とする自律分散型の産業システムがそれを可能にするという。
変わる社会(1章)というのは、言うまでもなく、この間のICT革命、AIの進化、CAD、 BIM……などデジタル社会の到来、GAFAなど巨大なプラットフォーマーが世界を支配するそうした時代の到来をいう。しかし、建築業界、建築家はまったく対応できない。だから、社会(建築業界)を変える起業(アントレプレナー×アーキテクト)が必要であり、社会のヴィジョンを提示する建築家メタアーキテクトが必要である。簡単に言えば、本書の主張は、そういうことである。
ただ、デジタルファブリケーションによって、分業化と専門分化を克服できる、「このような余剰を必要としない民主的な中間技術をもってすれば、かつての狩猟採集民族のように(その?)都度必要なものを自分で生産できる能力を取り戻し、土地に縛られず、誰に管理されることなく、自由に生きていくことができる。」と、あっけらかんに書くけれど、?[a2] である。水をかけるつもりはない。[a3] 「暗号資産による贈与経済」「近代以前の社会と接続する共有型経済と循環型経済」にしても、「個人で家を買うのではなく、集団で家を共有する必要がある」「所有せずに私有(私用?専用?)できる住まいというものが成立すればいい」にして、評者を含めた先行世代も似たようなことをしゃべってきたのである。
「丹下健三の「東京計画1960」やメタボリストたちのように、誰に依頼されるのでもなくビジョナリーな社会像を提示することともある。しかし、これらの未来像が実現することはまれであり、単なる絵空事で終わることが多い。」という秋吉の一節については、かつて以下のように書いたことがある。
アーバン・デザインという一つの領域を仮構し、建築の構想力による都市のフィジカルな配列を提案することによって、その社会的、経済的、技術的実現可能性を問うというスタイルは、近代建築の英雄時代の巨匠のスタイルである。そこでの建築家のイメージは、思想家にして実践家、総合の人間であり、世界を秩序づける<世界建築家>としてのそれといえようか。
「第一章 建築の解体 三 諸神話の崩壊」『戦後建築論ノート』(1981)
この<世界建築家>とメタアーキテクトの位相はどう異なるのか。秋吉浩気は「実現したい社会像があるならば、自分で実現したほうが早い。実現したいという情熱と行動力さえあれば、資金も仲間も集まる幸運な時代に生きているからだ。」という。頼もしいと言えば頼もしい。
デジタルヴァナキュラー
「建築とはきわめて政治的で経済的な活動であり、けっして科学や工学や美学の領域にとどまるものではない。社会はむしろ技術や芸術の外にある。」と、秋吉は冒頭(はじめに)に書いている。2行目[a4] を除けば異議はない。
高度成長の1960年代の最後を華々しく飾ったExpo’70の後、磯崎新は、
社会変革のラディカリズムとデザインとの間に、絶対的裂け目を見た
といい、
デザインと社会変革の全過程の両者を一挙におおいうるラディカリズムは、その幻想性という領域においてのみ成立すると言えなくもない。逆に社会変革のラディカリズムに焦点を合わせるならば、そのデザインの行使過程、ひいては実現の全過程を反体制的に所有することが残されているといってよい。
と書いた(「第9章 「世界建築」の羅針盤―磯崎新 二 建築の解体、そして「建築」宣言」、拙著『建築少年たちの夢』[2011])。
秋吉浩気の根源的問いは共有されてきたと思う。これまでの建築家は「10%の人類のための建築家」であったというというのは、B.ルドフスキーの『建築家なしの建築Architecture without Architects』(あるいは『驚異の工匠たち』?)の冒頭の科白である。B.ルドフスキー、ヴァナキュラー建築、デザイン・サーヴェイについては「4章 変わる流通──デジタルヴァナキュラー論」に言及があるが、秋吉はそこで「まれびとの家」をデジタルヴァナキュラーの建築として位置づけている。ヴァナキュラー建築の世界、「誰もが建築家でありうる」という地平への視線は1970年代初頭には共有されており、自力建設(セルフビルド)は、若い建築家、建築学生の「流行」であった。しかし、時代を制してきたのは産業化の流れである。
地球のデザイン
今、その流れは大きく転換しつつある。未来の世界は、インターネット(メタバース)[a5] によって世界中が緊密につながる一方、空間的には分散して居住する、そんな世界である。Covid-19がそれを加速しつつあるように思える。デジタルファブリケーションはそうした世界と親和性がありそうである。秋吉によれば、リーマンショックの2008年が、CNCミリングマシン・ショップボット(2003年創業)すなわち建築における減産系デジタルファブリケーション浸透の転回点で、ニューヨーク近代美術館MOMAで開催された「Home Delivery」展がその象徴になるという。
AIについては、秋吉は触れないが、近いうちにAIはシンギュラリティ(コンピュータが人間の脳を超える)に達し、その後一気に加速するというレイ・カーツワイルRay Kurzweilの予想がある。秋吉も引くユヴァル・ノア・ハラリは、意識をもたないアルゴリズムがパターン認識で人間の意識を凌ぐ、すなわち、ホモ・サピエンスの制御が不能になることもありうるという。基本的にはAIもホモ・サピエンスの僕(トゥール)だと評者は素朴に思う。デジタルファブリケーションもひとつのトゥールである。そのひとつのシステム、ましてや木材という素材に限定したシステムが世界全体を覆うことはないであろう。
本書の理論展開に関わる議論をさらに整理してもいいが、紙数も相当費やしたし、一旦開こうと思う。議論は、地球のデザインをめぐり、論点は多数ある。本書をめぐってさらに議論が深化されることを願う。
「地球」のデザインと「住居」のデザイン、あるいは「地域」のデザインはどう結びつくのか、それこそ「最も豊富な部分をもつ<全体>」のデザインの問題である。・・・ひとつの構想は、「住居」に「地球」を埋蔵することである。……
と書いたのは、阪神淡路大震災直後のことである(『戦後建築の終焉──世紀末建築論ノート』[1995])。
システムか個の表現か、一般解か特殊解か、設計施工一貫か設計施工分離か(6章 変わる設計──ビルドデザイン論)、……『群居』(ハウジング計画ユニオンHPUの機関紙)(1982~2000)では、石山修武、大野勝彦、渡辺豊和、そして松村秀一など若い仲間たちと議論を続け、個別のプロジェクトと同時に日本の住宅生産流通消費のシステムのみならず世界の住宅生産流通消費のシステムも問うてきた。本書には、『群居』の歴史的議論に確実に答えるものがある。
秋吉浩気がさまざまな模索を重ねたうえで、VUILDを創業するのは2017年である。建築におけるデジタルファブリケーションを武器にした格闘はしばらく続くであろう。藤村龍至にも同じことを書いたことがあるが、ロング・ロング・ウエイ・トゥー・ゴーである。シンパシーを込めて見守りたいと思う。
★1 フリーダム・トゥー・ビルド
──その名は、第三世界の自力建設活動に大きな影響を与えたJohn F.C. Turnerの著書Turner, John F. C.; Fichter, Robert, eds.
(1972). Freedom to Build: Dweller Control of the Housing Process. New York:
Macmillan.に由来する。他に、Turner, John F. C. (1976). Housing By People: Towards
Autonomy in Building Environments. London: Marion Boyars.がある。フィリピンのNGO組織Freedom to Buildは、イエスズ会神父ウィリアム.J.キースによって設立され、マニラ近郊のダスマリニャスのリセツルメント・プロジェクトなどで自力建設支援を展開した。ワークショップを運営し、市場価格より安い建材、部品を提供し、住宅の建設は居住者に委ねるのを基本理念とした。日本からJ.アンソレーナ神父が支援してきた。
★2 ビルディング・トゥゲザー
──バンコクのアジア工科大学(AIT)で教鞭をとっていたS.エンジェルを中心として設立。S.エンジェルは、UCバークレーでC.アレグザンダーと協働、『パタン・ランゲージ』の共著者である。AITで、いくつかのモデル住宅を建てたのち基本的にはホローブロックを主構造とするビルディング・システムを採用。梁、杭はプレキャスト。現場にブロック工場、建具工場を併設し、居住者は建設活動に参加することで安価で住居を購入できる仕組み。バンコク近郊のランシットでプロジェクトを展開した。
-
traverse11 2010 新建築学研究11 Ondor, Mal & Nisshiki Jutaku(Japanese Style House):Transformation of Korean Traditional House オンドルとマル,そして日式住宅...