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2023年9月30日土曜日

京都コミュニティ・デザイン・リーグ(京都CDL)の試みーすまいの専門家の生きる道,『住宅』,200110

 京都コミュニティ・デザイン・リーグ(京都CDL)の試みーすまいの専門家の生きる道,『住宅』,200110


すまいと住生活のみらいを考える 

 京都コミュニティ・デザイン・リーグ(京都CDL)の試み・・・すまいの専門家の生きる道

 布野修司

 

 すまい、というのは極めて保守的なものだと思う。この100年ほどの日本のすまいの歴史を見てもよくわかる。畳の和室や床の間、続き間は必ずしもなくなりはしないし、床座とと椅子座の折衷的使い分け(二重生活)もすっきりと解消されたわけではない。

とはいえ、この半世紀において日本のすまいが決定的に変化したことも指摘できる。具体的には1960年代がその転換点である。1960年に、日本の住宅生産は60万戸、そのほとんどはいわゆる在来工法で建てられていた。10年後、アルミサッシュの普及率はほぼ100%となり、日本中から茅葺き屋根の住宅が消えた。プレファブ住宅の割合は一割に迫ろうとし、住宅生産の工業化はさらに進んだ。、そして1985(昭和60)年、新築住宅(フロー)のうち木造住宅の割合が5割を切った。戸建て住宅の割合も5割を下回った。住宅生産という観点から見ると、日本のすまいが20世紀前半で歴史的転換を経験したことははっきりしている。

 これから4半世紀後、果たして日本の住宅はどうなっているのか、と問われれば、まずは、そうかわらないだろうと答える。しかし、こう変わっていく必要があるのではないか、ということは幾つか言える。

 まず、スクラップ・アンド・ビルドの時代ではない、ということがある。問題は住宅生産のサイクルであって、スクラップ・アンド・ビルドが一概に否定されるべきではないけれど、資源の有効利用という意味で既存のストックを有効活用するのがこれからの流れであろう。また、省エネルギーという観点からは、一個一個ののすまいのレヴェルにおいて、自然エネルギーの活用、資源のリサイクルが追求されるされるであろう。

 もうひとつ、日本のすまいを変えていく流れは、日本の家族のあり方である。少子化、高齢化は、コレクティブ・ハウスの日本的形態など新たな空間形式を必要としている筈である。

 それぞれに論ずることは多いけれど、第一の問題は、すまいの専門家たるべき建築士の行方である。日本社会の構造改革の方向として、建設(住宅)投資が減り、結果として日本の住宅の寿命が延びるとすれば、従来の建築士は必要なくなるのである。建設投資が先進諸国並みに国内総生産の1割程度になるとすれば、極端に言って、建築士の数は半減してもおかしくない。自分がどう生き延びるかが問題であって、悠長にすまいのみらいを考えている場合ではないのだ。

 筆者には、三つの目指すべき方向が見えている。

第一、すまいの維持管理、再生活用、リサイクル技術など、ストック活用の方向へむかう、これは多くが論ずるところであろう。

第二、まちづくりの専門家、タウン(コミュニティ)・アーキテクトを目指す。一個の住宅でも、地域社会との関係において時間をかけて建てる時代となる。地域社会の環境、景観に責任をもつ、そうした新たな職能確立を目指す。

第三、国際的フィールドを目指す。世界には発展途上国を中心に住宅問題をめぐって、日本の建築士が活躍すべき広大な分野がまだある。

 第三は置くとして、第一、第二の方向は、重なり合う。ホーム・ドクターならぬハウス・ドクター、あるいは介護の問題など地域社会のケアが大きくクローズアップされつつあることを想起すれば、その建築版として、タウン(コミュニティ)・アーキテクトの必要性が理解できるだろう。

 タウン・アーキテクト制については、『裸の建築家ータウン・アーキテクト論序説』(建築資料研究社、2000年)で論じた。しかし、論じていてるだけでははじまらない、というので、ひとつのシミュレーションを始めた。京都コミュニティ・デザイン・リーグ(京都CDL)という。

簡単に言うと、各チームが、京都の特定地区を担当し、年に一度、その地区の状態を記録し、それを分析した結果、何らかの提案をし、その成果をチーム毎に競い合うというのが活動の基本である。大学の研究室などを単位としたのは持続性を重視するからである。

謳い文句を並べれば以下のようだ。

○京都CDLは、京都で学ぶ学生たちを中心とするチームによって編成されるグループです。

○京都CDLは、京都のまちづくりのお手伝いをするグループです。

○京都CDLは、京都のまちについて様々な角度から調査し、記録します。

○京都CDLは、身近な環境について診断を行い、具体的な提案を行います。

○ 京都CDLは、その内容・結果(試合結果)を文書(ホームページ・会誌)で一般公開します。

○京都CDLは、継続的に、鍛錬(調査・分析)実戦(提案・提案の競技)を行うグループです。

○京都CDLは、まちの中に入り、まちと共にあり、豊かなまちのくらしをめざすグループです。

 

 

 

 2000年4月に活動を開始したばかりだから、海のものとも山のものともわからない。しかし、それなりに手応えはある。4月に設立大会を催して、6月には四条通りを横断する一日大行進を試みた。現在、『京都げのむ』という雑誌の発行を準備中である。10月には第2回の集会をもつ。遊んでいるようであるが大真面目である。全国の町にも、必ず、それぞれの地区をウォッチングし続ける建築士が居て、地区の様々な問題に関わり提言する、それがタウン・アーキテクトの原点と考えるのである。

現在、14大学25チームの参加があるが、京都市全体をカヴァーするのにはまだまだチームが足りない。興味をもたれるむきは是非ご参加を(http://www.kyoto-cdl.com/)。 

 


2023年8月28日月曜日

講義:住まいの語り部研修会,タウンアーキテクトの役割と可能性まちづくりの仕掛け人,三重県教育文化会館,平成15年3月5日(水)

 講義:住まいの語り部研修会,タウンアーキテクトの役割と可能性まちづくりの仕掛け人,三重県教育文化会館,平成15年3月5日(水)

住まいの語り部研修会
タウンアーキテクトの役割と可能性まちづくりの仕掛け人

布野修司 京都大学大学院工学研究科 生活空間学専攻 地域生活空間計画講座

 

はじめに 自己紹介

・建築計画→地域生活空間計画

・カンポン調査(東南アジアの都市と住居に関する研究)

・アジア都市建築研究 植民都市研究

   京都コミュニティ・デザイン・リーグ(京都CDL):

・京都GVコンペ 専門委員:・京都市公共建築デザイン指針検討委員

 日本建築学会理事 『建築雑誌』編集委員長: 日本建築学会アジア建築交流委員会委員長

 島根県景観審議会委員: 宇治市都市計画審議会会長 景観審議会委員          

   [1]戦後建築論ノート,相模書房, 単著,1981615

  [2]スラムとウサギ小屋,青土社,単著,1985128

  [3]住宅戦争,彰国社,単著,19891210

  [4]カンポンの世界,パルコ出版,単著,1991725

  [5]戦後建築の終焉,れんが書房新社,単著,1995830

  [6]住まいの夢と夢の住まい・アジア住居論,朝日新聞社,単著,19971025

  [7]廃墟とバラック・・・建築のアジア,布野修司建築論集Ⅰ,彰国社,単著,1998510

  [8]都市と劇場・・・都市計画という幻想,布野修司建築論集Ⅱ,彰国社,単著,1998610

  [9]国家・様式・テクノロジー・建築のアジア,布野修司建築論集Ⅲ,彰国社,単著,19987

[10]裸の建築家・・・タウンアーキテクト論序説、建築資料研究社,単著,2000310

 

京都CDLとは

 

タウンアーキテクトとは

何故、タウンアーキテクトか

まちづくりをめぐる基本的問題

◇集住の論理

◇歴史の論理      

◇異質なものの共存原理 

◇地域の論理 

◇自然と身体の論理

◇生活の論理

◇グローバルな視野の欠如

◇体系性の欠如(住宅都市政策)

 

コミュニティ計画の可能性 阪神淡路大震災の教訓

 a 自然の力・地域の生態バランス

 b フロンティア拡大の論理

 c 多極分散構造

 d 公的空間の貧困 

 e 地区の自律性・・・ヴォランティアの役割 

 f ストック再生の技術 

 j 都市の記憶

 

景観デザイン 景観問題とは?
 a ランドシャフト・・・景観あるいは風景 

 b 景観のダイナミズ

 c 景観マニュアル

 d 景観条例・・・法的根拠

景観形成の指針 基本原則

 地域性の原則 地区毎の固有性  景観のダイナミズム 景観のレヴェルと次元 地球環境と景観  中間領域の共有

景観形成のための戦略

    合意形成    ディテールから    公共建築の問題    タウンアーキテクト    まちづくり協議会    景観基金制度

 

タウン・アーキテクトの原型 

 a 建築主事 b デザイン・コーディネーター c コミッショナー・システム d シュタット・アルシテクト

 e 出雲建築フォーラム

 

タウンアーキテクトの仕事

 a 情報公開 

 b コンペ・・・公開ヒヤリング方式

 c タウン・デザイン・コミッティ・・・公共建築建設委員会

 d 百年計画委員会

 e タウン・ウオッチング---地区アーキテクト









京都コミュニティ・デザイン・リーグ(京都CDL)へ


2023年2月17日金曜日

社区総体営造-台湾の町にいま何が起こっているか,雑木林の世界79,住宅と木材,199603

社区総体営造-台湾の町にいま何が起こっているか,雑木林の世界79,住宅と木材,199603 

雑木林の世界79

社区総体営造・・・台湾の町にいま何が起こっているか

布野修司

 

 毎月第三金曜日はアジア都市建築研究会の日である。昨年四月に準備会(山根周 「ラホールの都市空間構成」)を開いて、この一月の会で七回目になる。小さな会だけれど、研究室を越えた、また大学を超えた集まりに育ちつつある。各回の講師とテーマを列挙すれば以下のようだ。

 第一回 宇高雄志 「マレーシアにみた多民族居住の魅力」(一九九五年五月)

 第二回 齋木崇人 「台湾・台中の住居集落」(六月)

 第三回 韓三建 「韓国における都市空間の変容」(七月)

 第四回 沢畑亨 「ひさし・植え込み・水」(一〇月)

 第五回 牧紀男・山本直彦 「ロンボク島の都市集落住居とコスモロジー」(一一月)

 第六回 青井哲人 「「東洋建築」の発見・・伊東忠太をめぐって」(一二月)

 第七回 黄蘭翔 「台湾の「社区総体営造」」(一九九六年一月)

 ここでは最新の会の内容を紹介してみよう。

 台湾の「社区総体営造」とは何か。なかなかに興味津々の内容であった。

 講師の黄蘭翔先生は、昨年まで研究室で一緒であったのであるが、逢甲大学の副教授を経て、現在は台湾中央研究院台湾史研究所の研究員である。都市史、都市計画史の専門であるが、台湾へ帰国してびっくりしたというのが「社区総体営造」である。

 「社区」とは地区、コミュニティのことだ。社区という言葉は必ずしも伝統的なものではない。行政の組織ということであれば保甲制度がある。そして、「社区総体営造」とは平たく言うとまちづくりのことだ。台湾ではいま「社区主義」、「社区意識」、「社区文化」、「社区運動」という言葉が聞かれるようになったという。「経営大台湾、建立新中原」(偉大な台湾を経営しよう、新しい中国の中心を創り出そう)「経営大台湾 要従小区作起」(偉大な台湾を経営しようとしたら、小さな社区から始めねばならぬ)というのがスローガンとなっているという。

 「社区総体営造」を進めるときは社区から始めなければならない。しかも、自発的、自主的でなければならない。行政機関の役割は考え方の普及、各社区の経験交流、技術の提供、部分的な経費の支援のみである。最初のきっかけとしてモデル事業を行うこともある。

 社区毎に中、長期の推進計画が立てられる。社区の役割は住民のコンセンサスを得て、詳細の完備した地区の設計計画を立て、同時に資金の調達計画、経営管理計画を立てることが期待される。

 「社区総体営造」の目的は、単なる物理的な環境の整備ではなく、社区のメンバーの参加意識の養成であり、住民生活の美意識を高めることである。「社区総体営造」は社区をつくり出すのみではなく、新しい社会をつくり出し、新しい文化をつくり出し、新しい人をつくり出すことである。

 「社区総体営造」を推進しているのは行政院文化建設委員会(略して文建会)である。権限が全く違うから比較にならないけれど、日本でいうと文化庁のような機関である。「社区総体営造」政策が開始されてまだ三年なのであるがすごい盛り上がりである。

 具体的に何をするかというと、次のようなことが挙げられる。

●民族的イヴェントの開発

●文化的建造物がもつ特徴の活用

●街並みの景観整備

●地場産業の文化的新興

●特有の演芸イヴェントの推進

●地方の歴史や人物を展示する郷土館の建設

●生活空間の美化計画

●国際小型イヴェントの主催

 それぞれの社区は独自の特性を生かしてまずひとつの項目を推進し、徐々に他の項目に広げていくことが期待されている。現在、一二項目のプロジェクトが推奨プロジェクトとしてまとめられている。

 黄蘭翔先生は、「社区総体営造」の背景と文建会の施策の概要を説明した後、三つの事例をスライドを交えて報告してくれた。

 台中理想国、嘉義新港、宣蘭玉田の三地区の例であるが、それぞれ多様な展開の例であった。政策展開としては三年ということであるが、それ以前からいろいろなまちづくりの試みが自発的に起こっていたのである。

 理想国というのは、その名を目指して造られた民間ディベロッパーの計画住宅地であったが、総戸数二〇〇〇戸のうち入居率が三〇パーセントというありさまでスラム化していた。その団地をリニューアルする試みが供給業者の主導のもとにこの十年展開されてきた。ペンキでファサードを塗り直す「芸術街坊」をつくることから、警備体制を整えたり、市場を改装してショッピング・センターをつくったり、幼稚園などの公共施設の整備したり、生き生きとした街に再生していく様がスライドからも伝わってきた。

 嘉義新港の場合は、陳錦煌というお医者さんがリーダーである。苦学して台湾大学付属病院の医師となった陳氏が帰郷し、医療活動をしながらまちづくりに取り組むのである。具体的には「新港文教基金」が設立され、息長い文化芸術イヴェントが展開されている。

 宣蘭玉田のケースは、文建会主導によるモデルケースである。きっかけは全国文芸祭であったという。全国的な文芸祭を行うに当たり、まず地区を見つめる作業が行われた。具体的には、フィールド・ワークによる地方史の編纂や環境調査である。そしてその過程で、社区の文化を産業化する方法が模索された。そして、文芸祭に当たっては様々なアイディアが出され、実効に移された。お年寄りの伝統技能を用いて竹の東屋が建設されたりしたのである。 

 詳細には紹介しきれないけれど、台湾の新たなまちづくりはおよそ以上のようだ。誤解を恐れずに言えば、HOPE計画あるいは村おこし、町おこしの台湾版である。事実、「社区総体営造」の立案者は日本の事例に学んだのだという。CBD(コミュニティ・ベースト・ディベロップメント)の理念が基本に置かれているのは間違いない。 

 「建立新故郷」、「終身学習」を理念とする「社区総体営造」が施策として展開される背景には、台湾の置かれている内外の関係があるであろう。しかし、その方法には相互に学ぶべき多くのことがあるというのが直感である。 




2023年2月7日火曜日

マスタ-・ア-キテクト制,雑木林の世界61,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199409

 マスタ-・ア-キテクト制,雑木林の世界61,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199409

雑木林の世界61

 マスター・アーキテクト制

 

                布野修司

 

 マスター・アーキテクト制というのを御存知であろうか。耳慣れない造語だから、おそらく一般には知られていないであろう。また、その概念も今のところ明快ではない。

 ところで、その耳慣れないマスター・アーキテクト制についての懇談会が開かれて議論する機会があった。財団法人、建築教育普及センターの主催で講師が磯崎新氏である。建設省住宅局の羽生建築指導課長、青木専門官など少人数の会であり、何故か、僕と芦原太郎氏が加わった(7月13日 於:アークヒルズ)。何故かといっても、多少の理由はある。建築教育普及センターでは、この間、景観をめぐる懇談会をもってきたのであるが、その議論のなかで度々、マスター・アーキテクト制もしくは現行の建築指導システムに変わる新たな仕組みについて議論してきていたからである。

 ところで、マスター・アーキテクト制とは何か。ある建築あるいは都市計画のプロジェクトを、全体デザインを統括するひとりの建築家(マスター・アーキテクト)を指名し、複数の建築家の参加のもとに遂行する。マスター・アーキテクトは、予め、共通のガイドラインを設定し、デザインを方向づけるとともに、各建築家のデザインを指導し、調整する。一般的には以上のように言えばいいであろうか。

 複数の建築家が参加するのであるから、ある程度大規模なプロジェクトであることが前提である。具体的には、住宅都市整備公団の多摩ニュータウン、ベルコリーヌ南大沢で内井昭蔵氏をマスター・アーキテクトとして行われた例がある。また、同じく、内井昭蔵氏をマスター・アーキテクトとする滋賀県立大学のキャンパス計画の例がある。その場合、予め、全体の配置計画と用いる素材や色調などが与えられるといったやり方である。

 こうしたマスター・アーキテクト制は、もう少し一般的に広げて考えてみると、個々の建築と町並みの形成、個々のデザインとアーバン・デザインの関係に適応可能ではないか。先の懇談会は、マスター・アーキテクト制を建築行政の手法として、あるいは都市計画の手法として採用できないか、ということをテーマにしていたのである。

 磯崎新氏は、熊本アートポリスのコミッショナー・システムの提案者である。続いて、富山県でも「町の顔づくり」プロジェクトを仕掛けてきた。また、博多のネクサス・ワールドでは、マスター・アーキテクトに近い役割を果たした。ところで、上で説明したマスター・アーキテクト制と磯崎流のコミッショナーシステムはかなり異なる。懇談会では、マスター・アーキテクトの役割について議論となった。マスター・アーキテクトは何をするのか。

 熊本アートポリスの場合、コミッショナーは、建築家を指名、もしくは選定するのみで、全体をコントロールするマスター・プランを持たない。それに対して、いわゆるマスター・アーキテクト制は、形態や材料、色彩などを規定するガイドラインもしくはマニュアルをもつ。あるいは、マスター・アーキテクトが直接調整の役割をもつ。

 どちらがいいのか。単純には結論がでるわけではない。磯崎の場合、コミッショナーおよび建築家の能力に全幅の信頼がなければ成立しない。下手をすれば、ボス建築家が仕事を配る仕組みとなんらかわりはなくなるのである。その点には大いに危惧がある。一方、マニュアルでデザインのガイドラインを設定する問題点も気になる。懇談会では、デザインの自由、不自由、地(グラウンド)のデザインと図(フィギュア)のデザイン等々をめぐって、議論は大いに広がりを見せた。

 もうひとつの理念として話題になったのが、シティ・アーキテクトあるいはタウン・アーキテクトである。ヨーロッパの場合、各都市にシティ・アーキテクトが居て、強力な権限のもとに建築のデザインをコントロールしている。特に、ドイツにはシュタット・アルキテクトの伝統があるという。磯崎氏の、自らがベルリン、フランクフルト、デュッセルドルフなどで経験した事例は極めて参考になる。ベルリンには、一九世紀のベルリンを理想とするシュタット・アーキテクトがいて、建築家は苦労しているといった事実の一方、B-プラン(地区詳細計画)など極めて厳密に思えるけれど、シュタット・アルキテクトによってはかなりの自由があるのだという。

 シティ・アーキテクトの制度は考えられないか。日本の場合、建築確認に携わる建築主事さんは現在一七〇〇名におよぶという。自治体の数は三千数百であるけれど、どの程度シティ・アーキテクトが存在すればいいのか。大きな自治体では地区毎にマスター・アーキテクトがいるのではないか。任期はどの程度でいいのか。議論はどんどん膨らんでいくのである。

 ひとりの建築家ではなく、デザイン・コミッティのような委員会制の方がいいのではないか。人数が多いと思い切った町の整備ができない恐れがありはしないか。信頼すべき建築にまかした方が面白い町ができるんではないか。しかし、とんでもない町ができた場合だれが責任を取るのか。・・・

 都市計画というのは、実に多様な主体の建築行為によって実践される。その調和を計りながら、個性のある町をつくっていくことは容易なことではない。日本の町の場合、縦割り行政のせいもあって、施策の一貫性がない。

 例えば、ある駅の周辺をとってみる。駅舎は、鉄道会社によってデザインされる。経済性のみで設計されるとすると、どの駅も同じようなデザインになる。駅ビルにデパートが進出すると地元のあるいは駅前の商店街との調整がデザイン的にも要請されるが、調整機構がない。広場や公園、歩道のデザインと駅舎のデザインは無関係に行われる。

 議論は議論として、アーバン・デザインの新たな仕組みを模索しながら、具体的な試みが積み重ねられねばならない。建設省としても、建築教育普及センターを拠点に新しい取り組みを企画中という。

 具体的な地域についてのケーススタディをしたい、そう考えているところで、ささやかなチャンスが得られそうだ。何人かの建築家と一緒に、出雲市の駅前まちづくりを全体的に考え、取り組んでみようというプログラムである。うまく行けば、システムとして、マスター・アーキテクト制を考える大きな手がかりとなる筈である。


2023年2月5日日曜日

新しい居住環境創造のプロパガンダ,『コミュニティー・アーキテクチャー』,週間エコノミスト,毎日新聞社,19930202

書評

コミュニティー・アーキテクチャー                                                           塩崎賢明訳

 

                布野修司

 

 英王室をめぐるスキャンダルがマスコミを騒がせている。そんな中であるいは忘れられつつあるかもしれないもうひとつのスキャンダルがある。チャールズ皇太子の「近代建築」批判以降の一連の出来事だ。つい先頃も、皇太子自らが理想的な建築家を養成する「建築学校」を開設したことが報じられたばかりである。その確固たる信念はいささかも揺らいではいないようにみえる。

 その主張をもとにしたテレビ番組(BBC制作)は日本でも放映されたし(チャールズ皇太子に対する建築家の反論を基調とするテレビ番組第二弾は、何故か日本では放映されなかった)、それを出版したものが邦訳( 『英国の未来像』 東京書籍 一九九一年)されたからそれなりに知られていよう。チャールズ皇太子は、一方でこの間、英国の、また世界の建築をめぐる大きな論戦の渦の中心にあるのである。

 ところで、チャールズ皇太子が依拠する建築観とは何か、理想とする建築家像とは何か。その主張を具体的に支える活動と背景、その理論、この間の経緯を克明にレポートするのが本書である。

 コミュニティー・アーキテクチャーとは何か。その核心原理は「そこに住み、働き、遊ぶ人々が、その創造や管理に積極的に参加することによって、環境はよりよいものになる」という主張にある。本書には、わかりやすく、「在来の建築」との違いを示す対象表も掲げられているのだが、「住民参加」、「小規模建設」、「ボトムアップ方式」、「プロセス重視」、「相互扶助」、「地域資源利用」、・・・などが基本理念である。

 コミュニティー・アーキテクチャーという言葉は、一九七六年に生まれた。英国王立建築家協会内に、以後この運動をリードし、後にその会長にもなるロッド・ハックニーが、コミュニティー・アーキテクチャー・グループを結成したのが最初なのだという。

 しかし、もちろん、それに遡る前史がある。一九六〇年代のコミュニティー運動に遡って、また、アメリカのソーシャル・アーキテクチャー運動も視野に収めてその運動を位置づけるのであるが、本書には都市計画運動史の趣もある。

 また、主として焦点が当てられているのは英国における都心の居住環境整備あるいは再開発の問題であるが、発展途上国の問題も含みその広がりは大きい。一九七六年といえば、バンクーバーで第一回の国際連合ハビタット国際会議が開かれた(本書では「静かな革命」として言及される)年であるが、その決議に示された理念がコミュニティー・アーキテクチャー運動の支えにもなっているのである。

 本書が上梓された一九八七年、議論はまさに沸騰しつつあった。本書は、その渦中に投げ入れられたものだ。コミュニティー・アーキテクチャーの発展を先導し、新しいルネッサンスを実現することを願う立場から書かれた、ある意味ではプロパガンダの書である。

 時折しもバブルの最中であった。そしていまバブルは弾けた。そうした意味では読む方に緊張感が湧いてこない。その主張はともかく、日本にもひとりのチャールズ皇太子が欲しかったとも思う。しかし、コミュニティー・アーキテクチャーのあり方をじっくり追求するそうした時代はこれからである。その理念と方法をつきつめて考える上で、翻訳はむしろタイムリーなのかもしれない。(京都大学助教授 地域生活空間計画専攻)





 

2022年12月17日土曜日

ア-バンア-キテクト制,雑木林の世界74,住宅と木材,199510

ア-バンア-キテクト制,雑木林の世界74,住宅と木材,199510

雑木林の世界74

アーバン・アーキテクト制

 

  マスター・アーキテクト制について、本欄で触れたことがある(雑木林の世界61 一九九四年九月)。その後、「アーバン・アーキテクト」という耳慣れない言葉がつくられようとし、一人歩きし始めている。建築文化・景観問題研究会((財)建築技術教育普及センター)の座長を引き受けていて、なんとなく、「アーバン・アーキテクト」構想、あるいは「アーバン・アーキテクト」支援事業(建設省住宅局)について巻き込まれ出している。この間の経緯と最近考えていることを紹介してみたい。

 「アーバン・アーキテクト支援事業」という構想は、簡単にいえばこうだ。まず、まちづくりに意欲的に取り組もうとする建築家をセンターに登録する。また、まちづくりに関する様々な業務について専門家の援助を希望する自治体を募る。センターは、運営委員会を組織し、自治体の要望に最も相応しい建築家を登録名簿から複数選定し、自治体に推薦する。自治体は、推薦された建築家の中から必要に応じて建築家あるいは建築家のグループを選び業務契約を締結する。建設省は、まちづくりに関わる様々な補助事業をこの仕組みを活用する自治体について優先的に考慮し、支援する。選定された建築家(グループ)は、業務についてセンターに報告し、その経験を公表することによって評価蓄積する。

 こうした支援事業が構想されるに至った背景は私見によれば以下のようである。

 ①いわゆる景観問題という形で、日本のまちづくりのあり方が見直される中で、新たな都市建築行政、事業手法がもとめられるようになってきた。具体的には、景観デザイン、アーバン・デザインといった分野、業務の必要性が求められるようになってきた。

 ②建築行政としては、建築基準法の遵守のみを旨としてきた従来の建築規制、建築指導行政から総合的なまちづくりをリードしていく誘導行政の必要性が意識されてきた。

 ③また、建築行政と都市計画行政の隔絶が強く意識され始めた。具体的に縦割行政の弊害も指摘される。さらに、景観デザインにおける土木分野と建築分野の協調の必要性も意識される。

 ④一方、行政の簡素化、規制緩和、地方分権の流れが次第に大きく意識されつつある。従来の建築主事による建築確認、検査は十分ではない上に、簡素化するとすれば別の仕組みが必要である。また、地域に固有な景観形成のために行政の分権化、弾力的対応は不可欠とされる。さらに、住民のニーズに即応できるような機動性をもった対応も必要とされる。

 ⑤以上のようなまちづくりの新たな流れを具体的に支えて行くには、地域のまちづくり、景観デザインを総合的に持続的に担っていく専門家、職能が必要とされる。そうした職能を担うのに最も適しているのは建築家である。建築家も新たな業務、職能分野の開拓という意味でも、与えられた敷地で設計する従来の業務にとどまらず、まちづくりに積極的に関与していく必要がある。

 ここでいう建築家を仮に「アーバン・アーキテクト」と呼ぼうということだ。「シティ・アーキテクト」、「タウン・アーキテクト」、「コミュニティ・アーキテクト」などといった方がわかりやすいかもしれない。どんな名前が定着していくかは今後の問題である。

 しかし、それ以上に問題なのは、一体「アーバン・アーキテクト」という職能にはどのような専門性、能力が必要とされるのか、また、どのような仕事を行うのか、ということだ。さらに、どのような仕組みにおいて、「アーバン・アーキテクト」を位置づけるか、という問題である。

 「アーバン・アーキテクト」に、まず要求されるのは、端的に言って、デザイン能力である。しかし、このデザイン能力というのが一般的にわかりにくい。また、説明しにくく、誤解を受けやすい。デザイン能力という場合、絵画や彫刻などアートの世界の能力とは必ずしも同じではない。アーキテクトの基本的能力は、実に様々な要素をある調和を持った全体へまとめあげる総合力にある。「アーバン・アーキテクト」となると、一個の建築をまとめあげるだけではなく、まちづくりをまとめあげるさらに高次の能力が要求される。具体的に、都市計画に関わる諸制度、様々な事業手法についての知識も必要になる。また、地域の歴史や文化について鋭く深く理解する能力が要求される。

 「アーバン・アーキテクト」に期待されるのは調整能力である。「マスター・アーキテクト」というと全体をワンマン・コントロールするイメージがあるけれど、民主的なプロセスにおいて意思決定を行う仕組みを確立した上で調整することが重要である。・・・と考えていくと、大変な能力が必要とされる。果たして、どれだけの建築家が対応できるであろうか。建築文化・景観問題研究会では、精力的に各地の建築家と懇談を行っているのであるが、建築家の側にも多大の努力が必要である。建築士という資格を基礎としながらも、より高次の資格制度が必要となるかもしれない。

 「アーバン・アーキテクト」制を構想する上で、さらに大きな問題は、「アーバン・アーキテクト」をどのようなまちづくりのシステムとして位置づけるかという問題がある。具体的には、だれが報酬を保証するかということを考えてみればいい。既に、試みられているのは、例えば、「アーバン・アーキテクト」を嘱託として自治体が雇用する形がある。また、コンサルタント派遣事業という形がある。究極的には、権限の問題がある。ある程度の権限が委譲されないと、審議会の形とそう変わりはないことになる。

 さらに大きな問題は、「アーバン・アーキテクト」の手法として何が有効かという問題がある。単なる条例やマニュアルでは意味がない。それを具体的なイメージとして提案するのが「アーバン・アーキテクト」である。それも地図を色で塗り分ける形でなく、ヴィジュアルに地区のあり方を提示していく役割が「アーバン・アーキテクト」にはある。また、公共建築の設計者の選定のあり方を提案することも必要になるかもしれない。

 今考えているのは、各自治体で地区毎に「アーバン・アーキテクト」が考えられないかということである。もちろん、上位にアーバン・アーキテクト連絡会議が設けられ、全体にマスター・アーキテクトが考えられていい。「アーバン・アーキテクト」は任期制とする。地域に根ざした建築家を主体とするが、他の地域の建築家との協働も考えられていい。制度以前に多くの試行錯誤が必要である。