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2025年11月8日土曜日

アムステルダム:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日

 アムステルダム:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日


West Europe 19: Amsterdam

【アムステルダム】 オランダ海洋帝国の首都

オランダ,北ホラント州,首都 Capital, North Holland, Netherlands

 


17世紀はオランダ海洋帝国の時代である。その黄金時代を支えたアムステルダムは,ヨーロッパ屈指の世界都市である。その起源11世紀に遡るが、もともとアムステル川河口の小さな漁村にすぎなかった。まず東岸にダイク(堤防)を築いて造成されたポルダー(人工マウンド)に集落が形成された。13世紀にダム(堰)が設置され、アムステル川の東西両側が利用されるようになる。アムステルダムの名前は1275年の文書が初出である。

アウデ・ケルク(旧教会)のあるポルダーは木柵で囲われ、アムステル領主の城はその外側、対岸の現在のダム広場辺りにあったと考えられている。東側をアウデ・ゼイデ(旧市街)、西側をニーウ・ゼイデ(新市街)というのは開発の経緯による。

国土の約3割が海面よりも低いネーデルランド(低い土地)では、ダム・堤防の建設,そして干拓事業は都市建設の基本である。1380 年頃に市街地を囲む運河の外側に1 本ずつ水路が掘られ,水路の間が宅地化されていき,1420 年頃さらに外側に水路(現在のシンゲル運河)が設けられ徐々に市域が拡大し,1488年に市街地を囲むように防御壁が築かれアムステルダムの最も古い地図は、1544年にコルネリス・アントニスによって描かれたものである(図1)。既にその段階では、アムステル川の両側に3本の水路が走る排水システムが完成されている。16世紀までの干拓事業は,干潟や湖沼を干し上げ,湖底を陸地に変える程度のものであったが,16 世紀に風車が発明されたことによって,干拓事業は大規模になり,アムステルダムの都市拡大の原動力となる。

80 年戦争(15681648年)最中の1585 年、西ヨーロッパ最大の港市であったアントワープをスペイン軍が占領,大量の商人が移住して来たことが、アムステルダム発展の大きな契機となる1602 年には世界最初の株式会社オランダ東インド会社VOCが設立され,オランダの海外進出が本格化するが、アムステルダムはその中心として繁栄する。

 アムステルダムを3 重に囲むヘーレン運河、ケイゼル運河、プリンセン運河の3 本の運河を掘削するアムステルダム最初の都市計画が提案され(1609年)、この事業によって、1613年からの50年間に、市街地区域は450エーカーから1800エーカーに増大する。ザイダーケルク(南教会)が建設されたのは1614年、ノールデル・ケルク(北教会)は1623年、ウェスター・ケルク(西教会)は1631年に竣工している。ダム広場にアムステルダム市庁舎(現王宮)(図2)が建設されるのは1648年である。現在の半円形の形ができるのは1663年に開始されたシンゲル運河を掘削する第2期運河建設によってである(図3)。

全体がほぼ建て詰まるのは1725年頃であるが、17世紀末から18世紀末にかけてこの半円形の都市に約20万人が居住した。新たに市壁外への拡張が必要となるのは、19世紀半ばである。1866 年のJ. テキスト ボックス: 西ヨーロッパG. ファン・ニフトリックの計画をもとに市街地拡張事業が実施されるのは1877年以降である。新市街地は、大量の住宅が供給されることによって旧市街の過剰人口の受け皿となったが,建築法制度は不十分であり、狭い土地小規模な住宅を密集させることになった。19世紀末には社会政策としての住宅供給,住環境整備の必要性が認識されるようになり、1901年には住宅法が制定される

 アムステルダムの人口はさらに増加し、1900 年から30 年の間に511000人から757000人となる。この間に実施されたのが、オランダを代表する建築家H. P. ベルラーエによる「アムステルダム南郊市街拡張計画」である。全体計画が委託され提案されたのは1902年であるが、紆余曲折の末、南郊についてのみ1917年以降実施されるのである。広幅員の大通りによって幹線交通を処理し, 様々な階層の人々のための集合住宅群,公共建築,広場,区画道路を巧みに配置している。集合住宅の設計にはデ・クラークやデ・クラマーなどアムステルダム派の建築家が起用され,ユニークな街路景観を創出している(図4)。

 オランダの首都であり、最大の都市であるアムステルダム市の人口は、都市圏全体では約230万人に上るが、市域は約82万人で、20世紀の中葉以降大きな変化はない。その旧市街は、その起源から黄金時代、そして20世紀初頭の煉瓦と瓦によるアムステルダム・スクールの質の高い建築群まで、以上の歴史を重層的に残している。「アムステルダムのシンゲル運河の内側にある17世紀の環状運河地域」は2010年に世界文化遺産に登録されている。

テキスト ボックス: 西ヨーロッパ                                                                                   (古谷侑・布野修司)

 

【参考文献(分量外)】

布野修司編(2005)『近代世界システムと植民都市』,京都大学学術出版会

Kistwmaker, R. & Van Gelder, R., “Amsterdam The Golden Age 1275-1795”, Abbeville Press, New York, 1982

Chris Dijkstra et al, “Atlas Amsterdam”, Uitgeverij THOTH Bussum, 1999

Geert Mak, “Een kleine geschiedenis van Amsterdam”, Uitgeverij Atlas, Amsterdam/Antwerpen, 1995

石田壽一、『低地オランダ 帯状発展する建築・都市・ランドスケープ』、丸善株式会社、1998


1 アムステルダム 1544年(Amsterdam Cornelis Anthoniszson 1544 Kistwmaker, R. & Van Gelder, R., “Amsterdam The Golden Age 1275-1795”, Abbeville Press, New York, 1982. 
















 

2 アムステルダム王宮 布野修司撮影

3 アムステルダム 1665年 (Dijkstra, Chris et al(ed.),“Atlas Amsterdam”, THOTH, Bussum, 1999)


 


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