パリ:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日
C01 花の都-ヨーロッパ世界の文化首都
パリ Paris,イル・ド・フランス地域圏 Ile-de-France Region,首都Capital、フランス共和国 French Republic
パリの起源は、その名の由来でもあるケルト系先住民パリシイParisii族の集落に遡る。パリシウス(単数形)は田舎者、乱暴者という意味である。ユリウス・カエサルが『ガリア戦記』(BCE51年)で記すように、ローマ側の呼称であり、ルーテティア・パリースィオールムLutetia Parisiorum(パリシイ族の水の中の居住地)(シテ島)が起源である。
紀元前1世紀、ガリア戦争によってパリを支配下においたローマ人は、シテ島に城塞、そしてセーヌ左岸に円形劇場(闘技場)や公衆浴場などを築いた。現在でも5区にその遺構が残っている。
ローマ帝国が分裂するとフランク族がガリアを支配する。トゥルネーを出自とするサリ族の首領クロヴィス(位481~511)がメロヴィング朝(フランク王国(481~987))を建ててパリを都とする(506年)。この時代のパリは、左岸の市街地は放棄され、シテ島のみを囲う城塞都市であった。
カロリング朝(714~817)のカール(シャルルマーニュ)大帝時代(742~814,位768~814)に、その最大版図はエルベ川からピレネー山脈まで、イベリア半島とイタリア半島南部を除く西ヨーロッパのほぼ全域に及ぶ。大帝は,ローマ教皇司教レオⅢ世による戴冠の儀礼を受け「神聖ローマ皇帝」となる(800年)。カール大帝は「ヨーロッパの父」とされる。カトリック教会が以降大きな力を持ち,キリスト教が統合の原理となることによって,ヨーロッパ=キリスト教世界という地域区分が一般化する。
カール大帝の時代には、アーヘンに王宮が置かれ,パリはやや寂れ、地方行政官としてのパリ伯によって統治された。フランク王国が三分された後、現代のパリの基礎がつくられるのはカペー朝(987~1328)のフィリップⅡ世(1180~1223)の治世である。当時の聖マリア信仰の隆盛を背景としてフランス各地にノートル・ダム寺院が建設されるが、その代表がパリの核になるシテ島の大聖堂(1163~1345建設)である。セーヌ川右岸にレ・アール(中央市場、現フォーラム・デ・アール)を設置し、ユダヤ商人を移住させて商業の中心とする一方、左岸はパリ大学(1215)カルチェ・ラタン(ラテン語地区)とし、後のルーブル宮殿の起源となる城塞(1202)を建設するとともに市壁で囲んだのがフィリップⅡ世である(図1)。
ヴァロア朝(1328~1498)となり、百年戦争(1337~1453)を経て、ルーブル宮殿の造営を開始したのは、ハプスブルグ家のカールⅤ世と対峙したフランソワⅠ世(在位1515~47)である。ルイⅩⅣ世時代にクロード・ペロー設計の東ファサード部分はヨーロッパ屈指の古典主義様式としてその後の大規模建築の雛型となる。今日のルーヴル美術館が完成したのはナポレオンⅠ世の時代である。フランス最大のフォンテーヌブロー宮殿の骨格もフランソワⅠ世の時代に造営されている。セーヌ川にかかる最古の橋ポン・ヌフ、リュクサンブール宮殿と庭園を建設したのはブルボン朝(1589~1830)初代のアンリⅣ世(1594~1610)である。16世紀前半の地図をみると、シテ島を中心に、右岸に大きく半円形の街区、左岸に小さな半円形の街区が城壁で囲われているが南東にフォブール(城外区)が形成されている(図2)。
フランス絶対王政下に君臨したルイⅩⅣ世(位:1643-1715)は、首都をパリから移し、10km離れたセーヌ川から水を引いて建設したヴェルサイユ宮殿を建設する。中世都市が限界を迎え、宮殿の建設が相次いでバロック都市へ変貌したのがルイⅩⅣ世のパリである。
そして、フランス革命が起こり、ナポレオンⅢ世(1808~73)治下のG.E.オースマン(1809~1891)によるグラン・トラヴォー(パリ大改造)の時代が来る。「オスマニザシオン」(整序化,規則化,秩序化)と呼ばれる計画の中心は,「パリを梳る」と言われた幹線街路の建設である。ガス灯による街路整備は「花のパリ」を象徴する事業である。民間業者は街路沿いにアパート群(図3)を建設していく。また、セーヌ下流へ集中排水する下水道の整備は,衛生環境の改善に決定的な役割を果たす(図4)。ルーヴル宮の増築,新オペラ座や中央市場などの公共建築,ブローニュ,ヴァンセンヌなど広大な公園の造営も行われる。エッフェル塔(1889)が象徴するパリは、ロンドン,ベルリンとともに「19世紀の首都」と称される。
20世紀に入ってもパリは「花の都」であり続ける。ナチスの破壊を免れ、第二次世界大戦後も、ド・ゴールのラ・デファンス計画、ポンピドゥーのポンピドゥー・センター、ミッテランのグランダルシュなど世界の耳目を集める都市計画が展開されてきた。数多くの世界文化遺産登録の歴史的建造物とともに常に新しさを生み出すパリは現在も世界で最も多くの観光客を集める都市である。
【参考文献】
ジャン=ロベール・ピット
編(2001)『パリ歴史地図』, 木村尚三郎監訳. 東京書籍
ピエール・ラヴダン(2002)『パリ都市計画の歴史』, 土居義岳 訳. 中央公論美術出版,
松政貞治 (2005)『パリ都市建築の意味-歴史性 : 建築の記号論・テクスト論から現象学的都市建築論へ』. 中央公論美術出版
鈴木隆(2005)『パリの中庭型家屋と都市空間 : 19世紀の市街地形成』、 中央公論美術出版
三宅理一(2010)『パリのグランド・デザイン : ルイ十四世が創った世界都市 』中央公論新社, 2010
Sutcliffe,
Anthony (1996)” Paris: An Architectural History”, Yale University
Press
ハワード・サルマン(1983)『パリ大改造―オースマンの業績―』小沢明訳,井上書院(Saalman, Howard(1971), “ Haussmann: Paris Transformed ”,
George Braziller,Inc.)。
Horne, Alistair (2002), “ Seven Ages of Paris” , Vintage
図1 パリ 1223年( Gallica Digital Library and is available under the digital ID btv1b8593325k) |
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図4 パリ大改造計画 1852年頃 ハワード・サルマン(1983)『パリ大改造―オースマンの業績―』小沢明訳,井上書院(Saalman, Howard(1971), “ Haussmann: Paris Transformed ”, George Braziller,Inc.) |




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