奈良:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日
JX1 日本の古都
奈良Nara,奈良県 Nara
Prefecture,日本Japan
奈良は、日本最初の都城である藤原京に続いて建設された都城であり、平安京遷都後は、京都(北京、北都)に対して南都(南京)と呼ばれた、日本の古都である。那羅・平城・寧楽とも標記され。その語源をめぐっては、丘の草木を踏みならした(『日本書紀』)、平(なら)した地の意(柳田国男)、朝鮮語の「ナラ(国)」植物の「ナラ(楢)」など諸説がある。
平城京は、その後の長岡京、平城京と同様、北辺に宮城を置く「北闕型」をしている。かつては「九六城」と言われ、東西6条、南北9条の縦長の「北闕型」都城と考えられていた藤原京については、宮城を中心とすることが明らかになり、『周礼』考工記に基づくという説があるが、平城京・長岡京・平安京については、隋唐長安城(大興城)をモデルにしたと一般に考えられている(図1)。
「北闕型」都城の起源は北魏平城(大同)に遡る。この平城と平城京との関係はあまり指摘されないが、名前そのものがその繋がりを示している。平城京は、中央南北の朱雀大路を軸として右京と左京に分かれる。東西は、南北大路によって右京左京それぞれ一坊から四坊に分けられ、南北は、東西大路によって一条から九条に区分される。坊は、堀と築地によって区画され、東西・南北に3つの道で区切って「町」とした(図2)。興味深いのは、平城京と同時代の渤海国(698~926年)の五京の特に上京龍泉府と平城京が全く同じ,街路体系,街区分割方式を採用していることである。ただ、東西南北のプロポーションは、上京龍泉府は長安城のように東西の方が長い(図3)。
平城京以降、条坊制は、心々制から内法制へ、宅地班給のために坊の面積を一定にするように精緻化していくのであるが、平城京の場合、左京の傾斜地に「外京(げきょう)」が、三坊分、東四坊大路より東に張り出し、右京の北辺に「「北辺坊」が二町分北に張り出しているのが変則である。また、朱雀大路の南端には羅城門があり、九条大路の南辺には京を取り囲む羅城があった。平城京十条説はこの羅城跡であり、羅城は羅城門に接続する極く一部しか築かれなかったのではないかとする説が有力である。
長岡京から平安京へ遷都が行われると、平城京は荒れ果て、条坊は田畑と化した。しかし、平城京には、藤原京から移転された大安寺、薬師寺、興福寺、元興寺の四大寺、聖武天皇の東大寺(752年)、称徳天皇の西大寺(765年)など極めて多くの寺院が残されることになった。寺院勢力の増大が遷都の理由のひとつとされるように、平安京には寺院の建設は許されないのである。奈良は社寺の町として新たな歴史を歩むことになる。興福寺をはじめ東大寺や元興寺のまわりに次第に「まち=郷」が形成されるのである。今日の奈良の都市形成の核となったのは、興福寺、東大寺の立地する外京である。
1180年、平清盛の五男平重衡が南都を襲った治承の乱において。南都奈良は炎上する。東大寺や興福寺など大半が焼失し、僧侶を含め民衆数千人が焼死する。大仏殿は焼け崩れ、大仏は融け落ちた東大寺の復興にあたったのが重源である。もともと東大寺と関わりなく、醍醐寺で出家し三度入宋した経験をもつ、60歳を越えた漂白の僧であったが、大勧進を指揮し、大仏の再造、大仏殿の再建、その他堂宇の建設、仏像の工作 を果たした。大仏殿の再建に当たって、「大仏様」いわゆる「重源様式」を日本にもたらすことになる。かつては「天竺(インド)様」と呼ばれたが、その範例になっているのは福建省の華林寺(福州)などである。
復興なった奈良は、15世紀末に日明貿易で栄えた新興の堺に追いこされるまでは、京都に次ぐ日本第2の都市として繁栄した。16世紀はじめには郷数200を超え、人口は約2万5千人であった。
奈良が武家によって支配されるのは、松永久秀が眉間寺山に多聞城を築いた1560年である。久秀と三好三人衆との合戦で大仏殿を焼失するが、町衆によって復興、奈良町の成立につながることになる。
江戸時代には、幕府の直轄領として奈良奉行の支配下におかれる。17世紀末には、総町数205、人口3万5千人と記録される。
江戸時代中頃から観光の町としての性格を強めてきたが、明治に入って、廃仏毀釈によって、諸大寺は大きな打撃を受ける。廃藩置県の後、一旦奈良県が廃止されたり、人口不足のため市になることができない事態もあったが、古都として、その歴史を今日に伝えてきている。1988年には「なら・シルクロード博」を開催し、1998年の市制100周年には「古都奈良の文化財」が世界文化遺産に登録されている。
【参考文献】
都市史図集編纂委員会編(曽根幸一,布野修司他),都市史図集,彰国社,1999年9月高橋 康夫・宮本 雅明吉田 伸之 伊藤 毅編『図集 日本都市史』東京大学出版会 1993/9
田村晃一編(2005)『東アジアの都城と渤海』東洋文庫
『奈良市史』 奈良市 編、奈良市、1937年。
図3 渤海上京龍泉府と平城京の条坊比較(田村晃一編(2005)『東アジアの都城と渤海』東洋文庫)



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