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2024年12月6日金曜日

報告:アジアの都市と居住モデル,「都市におけるテクノロジーと人間に関する調査」研究会政策科学研究所,2001年10月29日

 政策科学研究所 

 「都市におけるテクノロジーと人間に関する調査」研究会
アジアの都市と居住モデル        20011029

 布野修司(京都大学)

 

 はじめに

   ・建築計画→地域生活空間計画

  ・カンポン調査(東南アジアの都市と住居に関する研究)

  ・「イスラームの都市性」研究

  ・アジア都市建築研究

  ・植民都市研究

             

 [1]布野修司:戦後建築論ノート,相模書房, ,1981615

  [2]布野修司:スラムとウサギ小屋,青土社,1985128

  [3]布野修司:住宅戦争,彰国社,19891210

  [4]布野修司:カンポンの世界,パルコ出版,1991725

  [5]布野修司:戦後建築の終焉,れんが書房新社,1995830

  [6]布野修司:住まいの夢と夢の住まい・アジア住居論,朝日新聞社, 19971025

  [7]布野修司:廃墟とバラック:建築のアジア,建築論集Ⅰ,彰国社,1998510

  [8]布野修司:都市と劇場:都市計画という幻想,建築論集Ⅱ,彰国社,1998610

  [9]布野修司:国家・様式・テクノロジー:建築のアジア,建築論集Ⅲ,彰国社,1998710

 [10]布野修司:裸の建築家:タウンアーキテクト論序説、建築資料研究社,2000310

 住居関連

[2]布野修司:見知らぬ町の見知らぬ住まい,彰国社,編著,1990

 [4]布野修司:見える家と見えない家,叢書 文化の現在3,岩波書店,共著

[6]布野修司:日本の住宅 戦後50, 彰国社,編著,19953

  [9]布野修司:日本の住居1985,戦後40年の軌跡とこれからの視座,建築文化,彰国社,共著,1985

 [29]布野修司:これからの中高層ハウジング,建設省住宅局,丸善,共著,1993

 [35]布野修司:講座 現代居住全5巻 第2巻 家族と住居,早川和男編,東京大学出版会,共著,19967

 [38]布野修司:21世紀の集合住宅・・・持続可能で豊かな社会をめざして,中高層ハウジング研究会,19983

 

[1]布野修司:環境の空間的イメージーーーイメージマップと空間認識,M.W.ダウンズ ダビット. ステア共編 吉武泰水監訳,IMAGE AND ENVIRONMENT---Cognitive Mapping and Spatial Behavior, edited by Roger M, Downs & David Stea, Aldine Publishing Co. Chicago 1973,曽田忠広 林章 布野修司 岡房信共訳,鹿島出版会,共訳書,1976

[2]布野修司:生きている住まいー東南アジア建築人類学(ロクサーナ・ウオータソン著 ,布野修司(監訳)+アジア都市建築研究会,The Living House: An Anthropology of Architecture in South-East Asia,学芸出版社,監訳書,19973

[3] 布野修司:植えつけられた都市--英国植民都市の形成、ロバート・ホーム著 ,布野修司+安藤正雄(監訳)+アジア都市建築研究会, Of Planting and Planning The Making of British Colonial Cities ,監訳書, 京都大学学術出版会、20017

 

アジアの都市と居住モデル

 

Ⅰ.東南アジアの都市居住・・・都市カンポンの構成

                         :スラバヤをめぐって

   ○スラバヤの都市形成過程とその構造

   ○カンポンの構成

   ○カンポン住居の類型と変容プロセス

 

Ⅱ.東南アジアのハウジング・プロジェクト

   ○東南アジア各国の住宅政策

   ○セルフヘルプによるハウジング

   ○インフォーマル・グループの試み

   ○カンポン・ススン

 

Ⅲ.スラバヤ・エコハウス

 

 

 

Ⅳ.アジアの都市型住居

    Cakranegara---Jaipur

     Katumandu(Hadigaon, Patan, Thimi) Lahore ---Ahmedabad---Delhi

     Beijing--- Kyoto

    Taipei

     Ulsan--- Kyongju   

 

 

地域生活空間計画研究フレーム

 

 Ⅰ 居住空間システム

 

 [8]布野修司,田中麻里(京都大学):バンコクにおける建設労働者のための仮設居住地の実態と環境整備のあり方に関する研究,日本建築学会計画系論文集,483,p101-109,1996.05

[17]田中麻里(群馬大学),布野修司,赤澤明,小林正美:トゥンソンホン計画住宅地(バンコク)におけるコアハウスの増改築プロセスに関する考察,日本建築学会計画系論文集,512,p93-99,199810

 

  ◎ヴァナキュラー建築 住居の原型? 集合の基本形式

 [7]脇田祥尚,布野修司,牧紀男,青井哲人:デサ・バヤン(インドネシア・ロンボク島)における住居集落の空間構成,日本建築学会計画系論文集,478,p61-68,1995.12

 [9]脇田祥尚(島根女子短期大学),布野修司,牧紀男(京都大学),青井哲人(神戸芸術工科大学),山本直彦(京都大学):ロンボク島(インドネシア)におけるバリ族・ササック族の聖地,住居集落とオリエンテーション,日本建築学会計画系論文集,489,p97-102,199611

[14]山本直彦(京都大学),布野修司,脇田祥尚(島根女子短期大学),三井所隆史(京都大学):デサ・サングラ・アグン(インドネシア・マドゥラ島)における住居および集落の空間構成,日本建築学会計画系論文集,504,p103-110,19982

 

 

  Ⅱ カンポン・ハウジング・システム

 

 [1]布野修司,前田尚美,内田雄造:「インドネシアのスラムの居住対策と日本の経験との比較」  第三世界の居住環境とその整備手法に関する研究 その1,日本都市計画学会 学術研究論文集 19,1984

 [2]布野修司,前田尚美,内田雄造:「インドネシアのカンポンの実態とその変容過程の考察」  第三世界の居住環境とその整備手法に関する研究 その2,日本都市計画学会,学術研究論文集20,1985

 [6]布野修司:カンポンの歴史的形成プロセスとその特質,日本建築学会計画系論文報告集,433,p85-93,1992.03

  ・カンポン・インプルーブメント・プログラム(KIP) 

    ・ルーマー・ススン

[12]布野修司,山本直彦(京都大学),田中麻里(京都大学),脇田祥尚(島根女子短期大学):ルーマー・ススン・ソンボ(スラバヤ,インドネシア)の共用空間利用に関する考察,日本建築学会計画系論文集,502,p87~93,199712

    ・スラバヤ・エコハウス

 

  Ⅲ 街区組織と都市型住居 Urban Tissues

    グリッドThe Grid  

    コスモロジーCosmology 

    イスラームの都市原理 Hindu City & Islam City 

    棲み分けSegregation 

    街区組織と地域社会Block Pattern and Community Organization 

    Urban House Prototype

 

 

[10]布野修司,脇田祥尚(島根女子短期大学),牧紀男(京都大学),青井哲人(神戸芸術工科大学),山本直彦(京都大学):チャクラヌガラ(インドネシア・ロンボク島)の街区構成:チャクラヌガラの空間構成に関する研究 その1,日本建築学会計画系論文集,491,p135-139,19971

[11]布野修司,山本直彦(京都大学),黄蘭翔(台湾中央研究院),山根周(滋賀県立大学),荒仁(三菱総合研究所),渡辺菊真(京都大学):ジャイプルの街路体系と街区構成ーインド調査局作製の都市地図(1925-28)の分析その1,日本建築学会計画系論文集,499,p113~119,19979

[19]山根周(滋賀県立大学),布野修司,荒仁(三菱総研),沼田典久(久米設計),長村英俊(INA):モハッラ,クーチャ,ガリ,カトラの空間構成ーラホール旧市街の都市構成に関する研究 その1,513,p227~234, 199811

[20]黒川賢一(竹中工務店),布野修司,モハン・パント(京都大学),横井健(国際技能振興財団):ハディガオン(カトマンズ,ネパール)の空間構成 聖なる施設の分布と祭祀,日本建築学会計画系論文集,514,155-162p,199812

[22]竹内泰,布野修司:「京都の地蔵の配置に関する研究」,日本建築学会計画系論文集,520,263-270p,19996

[23]韓三建,布野修司:「日本植民統治期における韓国蔚山・旧邑城地区の土地利用の変化に関する研究」,520,219-226p,19996

[25]闕銘宗(京都大学),布野修司,田中禎彦(文化庁):新店市広興里の集落構成と寺廟の祭祀圏,日本建築学会計画系論文集,521,p175181,19997

[28]トウイ,布野修司:北京内城朝陽門地区の街区構成とその変化に関する研究,日本建築学会計画系論文集,526,p175-183,199912

[29]Mohan PANT(京都大学),布野修司:Social-Spatial Structure of the Jyapu Community Quarters of the City of Patan, Kathmandu Valley, カトマンドゥ盆地・パタンのジャプ居住地区:ドゥパトートルの社会空間構造 ,日本建築学会計画系論文集,527,p177-184,20001

[30]根上英志,山根周,沼田典久,布野修司:マネク・チョウク地区(アーメダバード、グジャラート、インド)における都市住居の空間構成と街区構成,日本建築学会計画系論文集,535,p ,20009

[31]正岡みわ子,丹羽大介,布野修司:京都山鉾町における祇園祭と建築生産組織,日本建築学会計画系論文集,535,p ,20009

[32]トウイ,布野修司,重村力:乾隆京城全図にみる北京内城の街区構成と宅地分割に関する考察,日本建築学会計画系論文集,536,p,200010

 

 

 Ⅳ 世界都市史研究

 

 植民都市研究 All cities are in a way colonial

      Pretolia New Delhi Canberra

      Munbai Chennnai Calcutta

      田園都市計画

 

 

 

補1 21世紀の集合住宅 3つの供給基本モデル

A モデル設計の5つの柱 

        スケルトン分離

       オープンシステム

       居住者参加

       都市型町並み形成

       環境共生

B 供給モデル

  o型 one owner

       a型 association

       b  bond

C スケルトンモデル

        O型 柱列型 column

        A型   壁体スケルトン wall

       B型 地盤型スケルトン base

*(OAB)x(abc) 

 

  補2 住居をめぐるいくつかのアクシス 住まいの夢と夢の住まい

      所有形式(所有-無所有、定住-移住、恒久-仮設)

      集合形式(独居-群居、男性-女性、複数家族ー核家族)

      空間形式(有限-無限、限定-無限定、自由-不自由)

      環境形式(場所-無場所、自然-人工、地下-空中)

      技術形式(画一性-多様性、自己同一性-大衆性、地域性-普遍性)

      象徴形式(生-死、コスモス-カオス、永遠ー瞬間)

 

2024年11月28日木曜日

日本建築学会 2001年学会賞(作品賞) 総評、建築雑誌、2001

 日本建築学会 2001年学会賞(作品賞) 総評

 布野修司

 今回の選考は、正直言って、あまり乗らなかった。現地視察を行う8作品にこれぞと思う作品のいくつかが残らなかったことと、残った作品のうちに重賞がらみの作品が3作品もあったことが大きい。

 重賞は絶対認めないというのではないが、余程の作品でなければ投票しない、というのが、基本姿勢である。要するに、学会賞は、「新人賞」的でいい、と思う。荒削りであれ、将来の日本の建築界をリードするような力のある若い作家に可能性をみたいと思う。学会賞のレヴェルが問題になるのは、若手の作品に勢いが無く、それなりのキャリアを積んだ卒のない作品の受賞が続いているからであろう。これも時代の流れである。

 受賞作の内では、公立はこだて未来大学は文句無いと思った。実に単純なビルディング・システムがかくも多様な空間を産むということにいささか感動を覚えた。山本理顕さんのプランニングの力量とともに、木村俊彦先生の到達点を見る思いであった。テクニカル・アプローチの、大袈裟に言えば日本の近代建築の目指したのはこのような作品であったのかもしれない、と思った。

 地下鉄線大江戸線飯田橋駅は、土木分野への建築家の果敢な試みとして評価したい。余計な仕上げを剥ぎ取るだけで地下空間の豊かな展開を示唆し得ている。しかし、それ以上を期待したい気がある。排気塔や天井を這う照明器具のインスタレーションはそれ以上の方向を指し示しているようには思えなかった。

 W・HOUSEは、版築の壁に好感をもった。しかし、都市型住宅のプロトタイプとしては、街に対しても、市場としても、いささか閉じすぎてるように思った。

 若い力に期待するという意味では「八代の保育園」に大いに期待があったが、勢いが感じられなかった。徹底するところがない、という印象である。透静庵は極めて水準の高い作品であるが、公開性に欠ける点がひっかかった。8作品に惜しいところで残らなかった竹山聖、宇野求の作品にしても、住宅スケールの作品には、「一連の作品」というのを、受賞対象から外した学会賞規定のハードルはいささか高い。

  

2024年11月22日金曜日

螺旋工房クロニクル : どぜうや(布野研究室)通信、 20010716

 螺旋工房クロニクル : どぜうや(布野研究室)通信   

20010716

布野修司              

 

 久々の通信です。

この間、京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)の立ち上げで忙しかったようです?。この6月から建築学会の建築雑誌の編集長に就任(20021月号~20033月号まで担当します)、いつものことですが、ばたばたしています。

 さて、本日から8月18日まで出掛けます。オランダ植民都市研究最後の年です。また、京都大学に来て10年が終わる夏です。今回は、バンコクでM1のナウィット君のフィールドを手伝って、ロンドン、オランダ、ブラジル、メキシコという行程。ロンドンで応じ先生と合流、ブラジルで最合流。山根とオランダで合流、メキシコで青井とランデブーという予定です。旅行中に報告書の目途をつけたいと思っています。田園都市研究も最後なのでまとめます。

 帰って大学院入試。9月4日から13日、学会のツアーでマレーシア、タイに出掛けます。

 布野研10周年の企画があるとか。これを機会に何かまとめてくれればありがたい。大学は相変わらずですが、大変な変革を外部から求められています。

 もうじき『植えつけられた都市』(京都大学学術出版会)が出ます。5200円です。8掛けになると思いますが、研究室に申し込んでください。ロンドンで著者のR.ホームに会います。秋に呼ぶことになると思います。

 また、『アジア都市建築史』(昭和堂)のゲラが出てます。しかし、原稿はまだ未完成。特に、山根、応地先生。この旅の第一の仕事は、原稿執筆になります。

 研究室で雑誌「ひろば」に「建築の1940年代」連載中です。知ってますか。

 木匠塾は、今年は参加できると思っていたのですが残念。今年は神社をつくるとか。年々面白くなります。今年から学科の正式行事になり、若干の補助が出ます。一回性も参加するとか。加子母村村長粥川さんがAF賞受賞です。

 群居終刊、都邑通信なる新雑誌今年中に出す予定です。乞うご期待。

 博士論文は、パントさんがほぼ完成。8月末から手続きに入ります。

 黄表紙は、山口潔子さんがヴィガンを一本提出。以下再審査になっていますが、さぼってペースダウンです。旅行中にゴールに手をつけます。千葉大のムンバイ、チェンナイものになりそうです。また、英文論文集に原稿を求められています(9月10日締切)。ジャイプルまとめます。これも旅行中にやります。パントさんの英文があるので簡単?と思っています。ちなみに、チャクラヌガラは、ライデン大学から出る本に掲載される予定です。サンフランシスコのピーターにネイティブ・チェックしてもらいました。

●掲載予定 

 ◎チョウリンギ地区(カルカッタ、インド)の形成と変容 200110

  ◎田中麻里 

Spatial Formation in Cakranegara, Lombok

 

再審査中

  ◎山本直彦、蘭領東インドにおけるカンポン改善事業とマドゥラ人労働者階級カンポンの発展過程に関する考察

  ◎佐藤圭一 ボーカープ

◎田園都市計画運動の歴史的評価に関する考察 コーネル・ライト・ガーデン(アデレード、オーストラリア)の計画理念とその変容

審査中

◎ヴィガンの街区構成に関する研究

 ◆修正中

  ●森田 ラサにおける宗教施設の配置とオリエンテーション

  ●竹内 パタン(カトゥマンドゥ盆地、ネパール)における聖祠の分布に関する考察

 

 名誉D? 闕 銘宗  渡辺菊真

 D6 山本直彦    論文纏めるように

 D4 M.パント 最後のつめ頑張ってください。

 D4 今川朱美(内藤研) 論文?

 D3 佐藤圭一  黄表紙訂正と二本目。オランダ都市 論文のフレームつくって見よ。

 D3 トウイ(神戸大) 結婚→論文今年中

 D2 山本麻子 仕事順調。結婚。そろそろやばい。GA企画。論文フレーム。

 D2 根上英志(神戸大) 就職→結婚?

 D1 柳沢究  ヴァーラナシの空間構造に関する研究    黄表紙。

 M2 山田協太 コチンの構成に関する研究   ドクター志望

 M2 松本玲子  世界遺産としての植民都市の保存に関する研究  おおばやし都市開発

 M2 山口潔子(AA研) フィリピン都市形成史研究 ヴィガン 帰ったら二本目

M1 フェリーFerry   スンダ・クラパの空間構成に関する研究

  M1 ナウィットNawit バンコクの空間構成に関する研究 チェンマイ・

 M1 魚谷繁礼  テーマ設定急ぐように

 M1 佃    テーマ設定急ぐように。M1のうちにフィールドを考えること。

 M1 酒井淳也(石田研)

 M1 上住彩華(山岸研)

M1 田中秀和(古阪研)

 卒業研究   

 7 全美恵  飛田新地 西成 卒論本気でやって下さい。設計演習Ⅰ

以下院試頑張るように

 大辻

 金谷

 米津

 研究生

 堀切

 高橋

 

宇都宮

桑原

 

716日~22日 Bangkok  Royal River Hotel +66-2-4330300 fax=+66-2-4335880

723日~30  London  Tavistock Hotel   +44-20-716-368383

731日~8月6 Den Haag  オランダ・ハーグ(予約済み)

Park Hotel

 Molenstraat 53, 2513 BJ Den Haag, Holland

 TEL : 31-70-362-4371

 FAX : 31-70-361-4525

 

88日~12

ブラジル・レシフェ(予約中)

Pousada d'Olinda

 PCA. JOAO ALFREDO, 178,CARMO,OLINDA,PE,56000-000, BRAZIL

 TEL : 81-439-1163, 81-439-5654

 

813日~16

メキシコシティ(予約済み)

FIESTA AMERICANA REFORMA

 Reforma 80, Mexico City, 06600, Mexico

 Phone: 011-52-5-705-1515

 Fax: 011-52-5-546-1784

 

はそろそろ限界です。

 

 

 

□論文報告集作業リスト

 A M.パント Thimi2本目

 B 渡辺菊真 山辺2本目

 E 佐藤圭一 ボーカープ

  C 布野 ◎カルカッタ・チョウリンギー地区の変容に関する考察

 D トウイ 北京3 乾隆京城全図の分析2

 F ◎山口潔子 Vigan

 G ◎根上 Galle

 H ◎吉村 チェンナイ

 I ◎角橋 アデレード

  J 山本麻子 大連

    闕 震災と台中廟

 L ◎山根 ニューデリー

 

 

 DrShuji Funo

 

  Department of Architecture and Environmental Design

  Faculty of engineering

  Kyoto University

 Yosidahonmati,sakyo-ku

  kyoto,Japan

 E-Mail funo@archi.kyoto-u.ac.jp  or i53315@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp

  tel. 075-753-5776 fax.

2024年10月25日金曜日

京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)とタウンアーキテクト制、『建築の研究』。建築研究振興協会、2001

 建築研究振興協会 建築の研究

 京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)とタウンアーキテクト制

 布野修司                 

 

 

京都CDLの概要

 京都CDLとは何か。その謳い文句を並べれば以下のようだ。

 ○京都CDLは、京都で学ぶ学生たちを中心とするチームによって編成されるグループです。

○京都CDLは、京都のまちづくりのお手伝いをするグループです。

○京都CDLは、京都のまちについて様々な角度から調査し、記録します。

○京都CDLは、身近な環境について診断を行い、具体的な提案を行います。

○京都CDLは、その内容・結果(試合結果)を文書(ホームページ・会誌)で一般公開します。

○京都CDLは、継続的に、鍛錬(調査・分析)実戦(提案・提案の競技)を行うグループです。

○京都CDLは、まちの中に入り、まちと共にあり、豊かなまちのくらしをめざすグループです。

 京都CDLは何をするのか。①各チームが、毎年、それぞれ担当地区を歩いて記録する、そして、②年に二度、春夏に集まって、それを報告する、基本的にそれだけである。もう少し具体的に書けば以下のようだ。

A 地区カルテの作製:担当地区について年に一回調査を行い記録する。共通  のフォーマットを用いる。例えば、1/2500の白地図に建物の種類、構造、階数、その他を記入し、写真撮影を行う。また、地区の問題点などを1枚にまとめる。このデータは原則として研究室が保管するが、GISなどの利用によって、各チームが共有する。また、市民にインターネットを通じて公開する。

B 地区診断および提案:Aをもとに各チームは地区についての診断あるいは提案をまとめる。

C 報告会・シンポジウムの開催:年に二度(4月・10月)集まり、議論する(4月は提案の発表、10月は調査及び分析の報告を行う予定)。

D 一日大行進京都断面調査の実施:年に一日全チームが集って京都の横断面を歩いて議論する。

E まちづくりの実践:それぞれの関係性のなかで具体的な提案、実践活動を展開する。

 Aの記録のフォーマットは未だ検討中である。それぞれの視点でどう記録するかが問題である。Dは、発足後の議論の過程で発想された。もう一日、各チーム共通の作業日を設けようということである。初年度は、八坂神社から松尾大社まで四条通りを歩いた(62日)。その記録はGISを用いて一枚のCD-Romに収められつつある。来年は、鴨川沿いに南北縦断調査が企画されている。

京都CDLは各チームの代表(監督)および幹事(ヘッドコーチ)からなる運営委員会・事務局によって運営されている(図1)。A 参加チーム登録、B 地区割り調整、C 報告会の開催(4月・10月)、D 地区カルテの保管と活用、E アクション・プラン、F 他組織との連携が主な仕事である。

 

京都CDLの始動

2001427日の京都CDL設立に当たって14大学24チームの参加表明があった。そこで、仮の地区割り案として、京都市全域(全11地区)を48地区に分けた(図2)。ベースとしたのは元学区、国勢調査の統計区である。約200区を平均4統計区ずつに分けたことになる。そこで、各チームは大学周辺ともう一地区、あるいは中心部一地区と周辺部一地区の二地区を担当することにした。京都CDL発足の大きなモメントに、京都のまちづくりをめぐる議論と実践がいわゆるハイライト地区(都心部(田の字地区)山鉾町、西陣、東山、嵯峨野)に集中している、ということがあり、かろうじて全域を割当てた格好である。

動き出すと様々な発意がある。まず、自前のメディアを持ちたい、という欲求がすぐさま形となった。『京都げのむ』という名がいつのまにか決まり、設立(大会)を主特集に1019日の秋季リーグ(第2回シンポジウム)開催前に創刊号が刊行された。京都にしかない、かけがえのない遺伝子を探り当てたい、という思いが「京都げのむ」という命名に込められている。京都CDLの活動の大きなトゥールになることは間違いない。

1019日、2001年度秋期リーグ・シンポジウムが開催された。発表は6チーム、ポスター発表と合わせて15チームが半年の活動報告を行った。分析あり、すばやい提案あり、ビデオ表現あり、多様な視点、アプローチが浮かび上がったように思う。そして、相互批評が大いなる次の展開を予感させた。京都に対するステレオタイプ化した手法を排し、多様な視点を確保維持し続けることが京都CDLの基本姿勢である。

活動を始めて、問い合わせ、要望という形の市民との接触、行政当局との連携の模索は既に始まっている。1014日には鴨川フェスタに出店を求められ、子どもたちを対象とするまちづくりゲームの企画が評判を集めた。京都市役所は京都まちづくりセンターを窓口とすることを既に決定済みである。大学の地域社会への貢献の試みとして、既に評価も得つつある[i]

 

何故、京都CDLなのか

何故、タウンアーキテクトか、については、『裸の建築家---タウンアーキテクト論序説』(以下『序説』)[ii]に書いた。そして、その最後に「京都デザイン・リーグ」構想について述べた。京都CDLは、タウンアーキテクト制のシミュレーションとして発想されたものである。すなわち、その発想の根には、建築家のあり方についての問いがあり、タウンアーキテクト(あるいはコミュニティ・アーキテクト)という職能についての展望がある。何故、そういう職能、あるいは仕組みを考えるに至ったかは『序説』に譲りたいが[iii]、最大のモメントは、一般の「建築家」が「生き延びる」ためには地域社会をその存在基盤とせざるを得ない(すべきである)、という認識である。「タウンアーキテクト」とは何か、何故、「タウンアーキテクト」か、日本の「タウンアーキテクト」の原型とは何か、について最小限要約すれば以下のようになる。

 

タウン・アーキテクトとは

 「まちづくり」は本来自治体の仕事である。しかし、それぞれの自治体が「まちづくり」の主体として充分その役割を果たしているかどうかは疑問である。地域住民の意向を的確に捉えた「まちづくり」を展開する仕組みがないのが決定的である。そこで、自治体と地域住民の「まちづくり」を媒介する役割を果たすことを期待されるのが「タウンアーキテクト」である。その主要な仕事は、既に様々なコンサルタントやプランナー、「建築家」が行っている。ただ、必ずしもそのまちの住民でなくてもいいけれど、そのまちの「まちづくり」に継続的に関わるのが原則である。

  「建築家」は基本的に施主の代弁者であるが、同時に施主と施工者(建設業者)の間にあって、第三者として相互の利害調整を行う役割をもつ。医者、弁護士などとともにその職能の根拠は西欧世界においては神への告白(プロフェス)である。また、市民社会の論理である。同様に「タウンアーキテクト」は、「コミュニティ(地域社会)」の代弁者であるが、地域べったり(その利益のみを代弁する)ではなく、「コミュニティ(地域社会)」と地方自治体の間の調整を行う役割をももつ。

 ①「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」を推進する仕組みや場の提案者であり、実践者である。「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」の仕掛け人(オルガナイザー(組織者))であり、アジテーター(主唱者)であり、コーディネーター(調整者)であり、アドヴォケイター(代弁者))である。

 ②「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」の全般に関わる。従って、「建築家」(建築士)である必要は必ずしもない。本来、自治体の首長こそ「タウンアーキテクト」と呼ばれるべきである。具体的に考えるのは「空間計画」(都市計画)の分野だ。とりあえず、フィジカルな「まちのかたち」に関わるのが「タウンアーキテクト」である。こうした限定にまず問題がある。「まちづくり」のハードとソフトは切り離せない。空間の運営、維持管理の仕組みこそが問題である。しかし、「まちづくり」の質は最終的には「まちのかたち」に表現される。その表現、まちの景観に責任をもつのが「タウンアーキテクト」である。もちろん、誰もが「建築家」であり、「タウンアーキテクト」でありうる。身近な環境の全てに「建築家」は関わっている。どういう住宅を建てるか(選択するか)が「建築家」の仕事であれば、誰でも「建築家」でありうる。様々な条件をまとめあげ、それを空間的に表現するトレーニングを受け、その能力に優れているのが「建築家」である。

 ③「まちづくり」の仕組みとして、「タウンアーキテクト」のような存在が必要とされる一方、「建築家」の方にも「タウンアーキテクト」たるべき理由がある。「建築家」こそ「まちづくり」に積極的に関わるべきである。第一に、建てては壊す(スクラップ・アンド・ビルド)時代は終わった。新たに建てるよりも、再活用し、維持管理することの重要度が増すのは明らかである。日本の「建築家」はその仕事の内容、役割を代えていかざるを得ないが、ふたつの方向が考えられる。ひとつは、建物の増改築、改修、維持管理を主体としていく方向である。そして、もうひとつが「まちづくり」である。どのような建築をつくればいいのか、当初から地域と関わりを持つことを求められ、建てた後もその維持管理に責任を持たねばならない。いずれにせよ、「建築家」はその存在根拠を地域との関係に求められる。

 ④そもそもの発想において「タウンアーキテクト」の原型となるのは「建築主事」(建築基準法第4条に規定される、都道府県、特定の市町村および特別区の長の任命を受けた者)である。全国の自治体、土木事務所、特定行政庁に、約一七〇〇名の建築主事がいて、建築確認業務に従事している。全国で二千人程度の、あるいは全市町村三六〇〇人程度のすぐれた「タウンアーキテクト」がいて、デザイン指導すれば、相当町並みは違ってくるのではないか。建築確認行政は基本的にはコントロール行政であり、取り締まり行政である。建築確認行政が豊かな都市景観の創出に寄与してきたのか、というとそうは言えない。もしそうだとするなら、地域の「建築家」が手伝う形を考えればいいのではないか。

建築主事を積極的に「タウンアーキテクト」として考える場合、いくつかの形態が考えられる。欧米の「タウンアーキテクト」制がまず思い浮かぶ。最も権限をもつケースだと「建築市(町村)長」置く例がある。一般的には、何人かの建築家からなる委員会が任に当たる。建築コミッショナー・システムである。日本にもいくつか事例がある。「熊本アートポリス」「クリエイティブ・タウン・岡山(CTO)」「富山町の顔づくりプロジェクト」などにおけるコミッショナー・システムである。ただ、いずれも限られた公共建築の設計者選定の仕組みにすぎない。むしろ近いのは「都市計画審議会」「建築審議会」「景観審議会」といった審議会である。それらには、本来、「タウンアーキテクト」としての役割がある。地方分権一括法案以降、市町村の権限を認める「都市計画審議会」には大いに期待すべきかもしれない。しかし、審議会システムが単に形式的な手続き機関に堕しているのであれば、別の仕組みを考える必要がある。

 ⑤しかしいずれにしろ、一人のコミショナー、ひとつのコミッティーが自治体全体に責任を負うには限界がある。「タウンアーキテクト」はコミュニティ単位、地区単位で考える必要がある。あるいは、プロジェクト単位で「タウンアーキテクト」の派遣を考える必要がある。この場合、自治体とコミュニティの双方から依頼を受ける形が考えられる。具体的には、各種アドヴァイザー制度、「まちづくり協議会」方式、「コンサルタント派遣」制度として展開されているところである[iv]

 

「タウンアーキテクト」の仕事

 「タウンアーキテクト」は具体的に何を仕事とするのか。『序説』では、「タウンウォッチング」「百年計画」「公開ヒヤリング」・・・等々各地域で試みられたら面白いであろう手法を思いつくまま列挙している。しかし、そこでの議論は、建築コミッショナーとしての「タウンアーキテクト」の役割に集中しすぎている。やはりベースとすべきは、身近な仕事において、また具体的な地区で何ができるかであろう。京都CDLは、そのための大きなシミュレーションである。

 「タウンアーキテクト」制をひとつの制度として構想してみることはできる。建築コミッショナー制を導入するのであれば、権限と報酬の設定、任期と任期中の自治体内での業務禁止は前提とされなければならない。地区アーキテクト制を実施するためには自治体の支援が不可欠である。地区アーキテクトは、個々の建築設計のアドヴァイザーを行う。住宅相談から設計者を紹介する、そうした試みは様々になされている。また、景観アドヴァイザー、あるいは景観モニターといった制度も考えられる。具体的な計画の実施となると、様々な権利関係の調整が必要となる。そうした意味では、「タウンアーキテクト」は、単にデザインする能力だけでなく、法律や収支計画にも通じていなければならない。また、住民、権利者の調整役を務めなければならない。一番近いイメージは再開発コーディネーターである。

 しかし、制度のみを議論しても始まらない。地域毎に固有の「まちづくり」を期待するのであれば一律の制度はむしろ有害かもしれない。どんな小さなプロジェクトであれ、具体的な事例に学ぶことが先行さるべきである。まずは、①身近なディテールから、というのが指針である。また、②持続、が必要である。単発のイヴェントでは弱い。そして持続のためには、③地域社会のコンセンサス、が必要である。合意形成のためには、④参加、が必要であり、⑤情報公開が不可欠である。

 

 京都CDLの今後

 京都CDLは歩み始めたばかりで海のものとも山のものともわからない、というのが正直なところである。

 大学の研究室活動をベースとすることにおいてその活動の持続性は保証される、というのが味噌であるが、一般的なシステムとしてはいくつか基本的問題がある。『序説』で繰り返し指摘しているのであるが、ひとつの問題は、タウンアーキテクトの報酬と権限である。

 京都CDLの場合、基本的にヴォランティアであり、当面NPOを目指すということでいいのだが、それにしても自治体との関係は当然問われる。京都市の「すまい・まちづくり活動支援制度」との連携も大いに考えられる。いずれにせよ、ひとつの試行としてその全経験は記録したいと思う。

 

 京都市全体をカヴァーするのにはまだまだチームが足りない。全国からの参加を是非お願いしたい。『京都げのむ』(定価1000円)、京都CDLについてはhttp://www.kyoto-cdl.com/ を参照されたい。



[i]  20014月17日 朝日新聞記事掲載「町づくりに研究者の知恵 地区の個性重視して提案 14大学の24チーム参加 アイデア競い合い」4月28日 京都新聞記事掲載「京滋などの15大学京都CDL設立」10月19日 朝日新聞「京都の街づくり歩いて調査 学生が研究成果報告」

[ii] 拙著、建築資料研究社、2000年。

[iii] タウン・アーキテクトをめぐる論考に以下のものがある。「タウン・アーキテクトの可能性」、『群居』、群居刊行委員会、19981月。「ちぐはぐな町並み開発を防ぐには建築家の継続参加が有効」、『日経アーキテクチャー』巻頭インタビュー、1995410日。「タウンアーキテクトの組織実践へ向けて」、『群居』50号、200010月/「身近なディテールから・・・タウンアーキテクトの役割と可能性」、『造景』、20011月/The Roles and Tasks of Town Architects in JapanA Proposal for the establishment of Kyoto Community Design League, Traverse 02, Kyoto University, 18 Jun. 2001(『新建築学研究』 第2号)/「京都コミュニティ・デザイン・リーグ(京都CDL)の試み・・・すまいの専門家の生きる道」 『住宅』、200110月号

[iv]  京都市も2001年度から「すまい・まちづくり活動支援制度」に係る専門家登録を開始する。

2024年9月22日日曜日

タウンアーキテクト論ー京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)の試行,都市計画234号特集「コミュニティ・ベースト・プランニング・・・地域社会が発意する」,日本都市計画学会,200112

都市計画234号特集「コミュニティ・ベースト・プランニング・・・地域社会が発意する」

 

タウン・アーキテクト論

 京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)の試行

 布野修司

 I published a book titled ”The Naked Architect An Introduction to Town Architect System in Japan”in 2000, to discuss the roles and tasks of new profession. I would like to introduce my idea of ‘System of Town Architect’ in Japan with its background and propose a kind of organization named “Kyoto Community Design League” as a case study in this paper. How to solve the issues Japanese architects are facing is the starting point. The conclusion is that we need a new profession as a coordinator, mediator and facilitator between local government and local community. I would like to call the new profession ‘Town Architect’ or ‘Community Architect’ tentatively.

 

 

 タウン・アーキテクト論を『序説』[i]という形で世に問うて一年半になる。もっとも『群居』44号で「タウン・アーキテクトの可能性」[ii]と題した特集を組んで「「タウン・アーキテクト」構想序説」を書いたのは1998年である。それどころか、その構想は、「アーバン・アーキテクト」制の構想[iii]1995年)にまで遡るから、「序説」ばかりで5年以上経過したことになる。実をいうと、構想それ自体については、今のところ付け加えることがない。

手前味噌かも知れないけれど反応は悪くない。第一の批判は、『序説』の「タウン・アーキテクト」像があまりにエリート的過ぎる、というものであろうか。いずれにしても『序説』は『序説』であり、構想は構想である。問題は実践である。そして、その経験を踏まえて構想を鍛え直すことである。

『序説』の最後に「京都デザイン・リーグ」構想について書いた。そして、その構想は、「京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)」設立(2001年4月27日)に結びつき具体化しつつある。その構想の背景、位置づけについては『序説』等[iv]に譲り、京都CDLの活動を具体的に紹介する形で「コミュニティ・ベースト・プランニング」について考えて見たい。「デザイン・リーグ」と「コミュニティ・デザイン・リーグ」という命名の変化の間に、建築家、プランナーの役割をめぐるひとつのテーマがあると思う。

 

京都CDLの概要

 京都CDLとは何か。その謳い文句を並べれば以下のようだ。

 ○京都CDLは、京都で学ぶ学生たちを中心とするチームによって編成されるグループです。

○京都CDLは、京都のまちづくりのお手伝いをするグループです。

○京都CDLは、京都のまちについて様々な角度から調査し、記録します。

○京都CDLは、身近な環境について診断を行い、具体的な提案を行います。

○京都CDLは、その内容・結果(試合結果)を文書(ホームページ・会誌)で一般公開します。

○京都CDLは、継続的に、鍛錬(調査・分析)実戦(提案・提案の競技)を行うグループです。

○京都CDLは、まちの中に入り、まちと共にあり、豊かなまちのくらしをめざすグループです。

 京都CDLは何をするのか。①各チームが、毎年、それぞれ担当地区を歩いて記録する、そして、②年に二度、春夏に集まって、それを報告する、ただそれだけである。もう少し具体的に書けば以下のようだ。

A 地区カルテの作製:担当地区について年に一回調査を行い記録する。共通  のフォーマットを用いる。例えば、1/2500の白地図に建物の種類、構造、階数、その他を記入し、写真撮影を行う。また、地区の問題点などを1枚にまとめる。このデータは原則として研究室が保管するが、GISなどの利用によって、各チームが共有する。また、市民にインターネットを通じて公開する。

B 地区診断および提案:Aをもとに各チームは地区についての診断あるいは提案をまとめる。

C 報告会・シンポジウムの開催:年に二度(4月・10月)集まり、議論する(4月は提案の発表、10月は調査及び分析の報告を行う予定)。

D 一日大行進京都断面調査の実施:年に一日全チームが集って京都の横断面を歩いて議論する。

E まちづくりの実践:それぞれの関係性のなかで具体的な提案、実践活動を展開する。

 Dは、発足後の議論の過程で発想された。もう一日、各チーム共通の作業日を設けようということである。初年度は、八坂神社から松尾大社まで四条通りを歩いた(62日)。その記録はGISを用いて一枚のCD-Romに収められつつある。来年は、鴨川沿いに南北縦断調査が企画されている。

京都CDLは各チームの代表(監督)および幹事(ヘッドコーチ)からなる運営委員会・事務局によって運営されている(図1)。A 参加チーム登録、B 地区割り調整、C 報告会の開催(4月・10月)、D 地区カルテの保管と活用、E アクション・プラン、F 他組織との連携が主な仕事である。設立当初の体制として、コミッショナーに広原盛明(龍谷大学)、事務局長に布野修司、運営委員長に、『序説』に構想案を鮮やかに書いた渡辺菊真(建築家)が就任している。

 

京都CDLの始動[v]

2001427日の京都CDL設立に当たって14大学24チームの参加表明があった。そこで、仮の地区割り案として、京都市全域(全11地区)を48地区に分けた。ベースとしたのは元学区、国勢調査の統計区である。約200区を平均4統計区ずつに分けたことになる。そこで、各チームは大学周辺ともう一地区、あるいは中心部一地区と周辺部一地区の二地区を担当することにした。京都CDL発足の大きなモメントに、京都のまちづくりをめぐる議論と実践がいわゆるハイライト地区(都心部(田の字地区)山鉾町、西陣、東山、嵯峨野)に集中している、ということがあり、かろうじて全域を割当てた格好である。

動き出すと様々な発意がある。まず、自前のメディアを持ちたい、という欲求がすぐさま形となった。『京都げのむ』という名がいつのまにか決まり、設立(大会)を主特集に1019日の秋季リーグ(第2回シンポジウム)開催前に創刊号が刊行された。京都にしかない、かけがえのない遺伝子を探り当てたい、という思いが「京都げのむ」という命名に込められている。永谷真理子編集長(京都精華大学大学院)以下の創刊号編集の手際は眼を見張る。全頁、プロ級の仕事である。是非手に取ってみて欲しい。京都CDLの活動の大きなトゥールになることは間違いない。

1019日、2001年度秋期リーグ・シンポジウムが開催された。発表は6チーム、ポスター発表と合わせて15チームが半年の活動報告を行った。分析あり、すばやい提案あり、ビデオ表現あり、多様な視点、アプローチが浮かび上がったように思う。そして、相互批評が大いなる次の展開を予感させた。京都に対するステレオタイプ化した手法を排し、多様な視点を確保維持し続けることが京都CDLの基本姿勢である。

活動を始めて、問い合わせ、要望という形の市民との接触、行政当局との連携の模索は既に始まっている。1014日には鴨川フェスタに出店を求められ、子どもたちを対象とするまちづくりゲームの企画が評判を集めた。京都市役所は京都まちづくりセンターを窓口とすることを既に決定済みである。市民参加を大々的にうたう京都市のまちづくり行政にとっても京都CDLの活動がしっかり位置づく日もそう遠くないであろう。大学の地域社会への貢献の試みとして、既に評価も得つつある[vi]

 

タウン・アーキテクトとは

「タウンアーキテクト」とは何か、何故、「タウンアーキテクト」か、日本の「タウンアーキテクト」の原型とは何か、について最小限要約すれば以下のようになる。

 「まちづくり」は本来自治体の仕事である。しかし、それぞれの自治体が「まちづくり」の主体として充分その役割を果たしているかどうかは疑問である。地域住民の意向を的確に捉えた「まちづくり」を展開する仕組みがないのが決定的である。そこで、自治体と地域住民の「まちづくり」を媒介する役割を果たすことを期待されるのが「タウンアーキテクト」である。その主要な仕事は、既に様々なコンサルタントやプランナー、「建築家」が行っている仕事である。ただ、必ずしもそのまちの住民でなくてもいいけれど、そのまちの「まちづくり」に継続的に関わるのが原則である。そういう意味では、「コミュニティ・アーキテクト」である。

  「建築家」は基本的に施主の代弁者であるが、同時に施主と施工者(建設業者)の間にあって、第三者として相互の利害調整を行う役割をもつ。医者、弁護士などとともにその職能の根拠は西欧世界においては神への告白(プロフェス)である。また、市民社会の論理である。同様に「タウンアーキテクト」は、「コミュニティ(地域社会)」の代弁者であるが、地域べったり(その利益のみを代弁する)ではなく、「コミュニティ(地域社会)」と地方自治体の間の調整を行う役割をももつ。

 ①「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」を推進する仕組みや場の提案者であり、実践者である。「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」の仕掛け人(オルガナイザー(組織者))であり、アジテーター(主唱者)であり、コーディネーター(調整者)であり、アドヴォケイター(代弁者))である。

 ②「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」の全般に関わる。従って、「建築家」(建築士)である必要は必ずしもない。本来、自治体の首長こそ「タウンアーキテクト」と呼ばれるべきである。具体的に考えるのは「空間計画」(都市計画)の分野だ。とりあえず、フィジカルな「まちのかたち」に関わるのが「タウンアーキテクト」である。こうした限定にまず問題がある。「まちづくり」のハードとソフトは切り離せない。空間の運営、維持管理の仕組みこそが問題である。しかし、「まちづくり」の質は最終的には「まちのかたち」に表現される。その表現、まちの景観に責任をもつのが「タウンアーキテクト」である。もちろん、誰もが「建築家」であり、「タウンアーキテクト」でありうる。身近な環境の全てに「建築家」は関わっている。どういう住宅を建てるか(選択するか)が「建築家」の仕事であれば、誰でも「建築家」でありうる。様々な条件をまとめあげ、それを空間的に表現するトレーニングを受け、その能力に優れているのが「建築家」である。

 ③「まちづくり」の仕組みとして、「タウンアーキテクト」のような存在が必要とされる一方、「建築家」の方にも「タウンアーキテクト」たるべき理由がある。「建築家」こそ「まちづくり」に積極的に関わるべきである。第一に、建てては壊す(スクラップ・アンド・ビルド)時代は終わった。新たに建てるよりも、再活用し、維持管理することの重要度が増すのは明らかである。日本の「建築家」はその仕事の内容、役割を代えていかざるを得ないが、ふたつの方向が考えられる。ひとつは、建物の増改築、改修、維持管理を主体としていく方向である。そして、もうひとつが「まちづくり」である。どのような建築をつくればいいのか、当初から地域と関わりを持つことを求められ、建てた後もその維持管理に責任を持たねばならない。いずれにせよ、「建築家」はその存在根拠を地域との関係に求められる。

 ④そもそもの発想において「タウンアーキテクト」の原型となるのは「建築主事」(建築基準法第4条に規定される、都道府県、特定の市町村および特別区の長の任命を受けた者)である。全国の自治体、土木事務所、特定行政庁に、約一七〇〇名の建築主事がいて、建築確認業務に従事している。全国で二千人程度の、あるいは全市町村三六〇〇人程度のすぐれた「タウンアーキテクト」がいて、デザイン指導すれば、相当町並みは違ってくるのではないか。建築確認行政は基本的にはコントロール行政であり、取り締まり行政である。建築確認行政が豊かな都市景観の創出に寄与してきたのか、というとそうは言えない。もしそうだとするなら、地域の「建築家」が手伝う形を考えればいいのではないか。

建築主事を積極的に「タウンアーキテクト」として考える場合、いくつかの形態が考えられる。欧米の「タウンアーキテクト」制がまず思い浮かぶ。最も権限をもつケースだと「建築市(町村)長」置く例がある。一般的には、何人かの建築家からなる委員会が任に当たる。建築コミッショナー・システムである。日本にもいくつか事例がある。「熊本アートポリス」「クリエイティブ・タウン・岡山(CTO)」「富山町の顔づくりプロジェクト」などにおけるコミッショナー・システムである。ただ、いずれも限られた公共建築の設計者選定の仕組みにすぎない。むしろ近いのは「都市計画審議会」「建築審議会」「景観審議会」といった審議会である。それらには、本来、「タウンアーキテクト」としての役割がある。地方分権一括法案以降、市町村の権限を認める「都市計画審議会」には大いに期待すべきかもしれない。しかし、審議会システムが単に形式的な手続き機関に堕しているのであれば、別の仕組みを考える必要がある。

 ⑤しかしいずれにしろ、一人のコミショナー、ひとつのコミッティーが自治体全体に責任を負うには限界がある。「タウンアーキテクト」はコミュニティ単位、地区単位で考える必要がある。あるいは、プロジェクト単位で「タウンアーキテクト」の派遣を考える必要がある。この場合、自治体とコミュニティの双方から依頼を受ける形が考えられる。具体的には、各種アドヴァイザー制度、「まちづくり協議会」方式、「コンサルタント派遣」制度として展開されているところである[vii]

 

「タウンアーキテクト」の仕事

 「タウンアーキテクト」は具体的に何を仕事とするのか。『序説』では、「タウンウォッチング」「百年計画」「公開ヒヤリング」・・・等々各地域で試みられたら面白いであろう手法を思いつくまま列挙している。しかし、そこでの議論は、建築コミッショナーとしての「タウンアーキテクト」の役割に集中しすぎている。やはりベースとすべきは、身近な仕事において、また具体的な地区で何ができるかであろう。京都CDLは、そのための大きなシミュレーションである。問題は、『序説』で繰り返すように権限と報酬である。

 「タウンアーキテクト」制をひとつの制度として構想してみることはできる。建築コミッショナー制を導入するのであれば、権限と報酬の設定、任期と任期中の自治体内での業務禁止は前提とされなければならない。地区アーキテクト制を実施するためには自治体の支援が不可欠である。地区アーキテクトは、個々の建築設計のアドヴァイザーを行う。住宅相談から設計者を紹介する、そうした試みは様々になされている。また、景観アドヴァイザー、あるいは景観モニターといった制度も考えられる。具体的な計画の実施となると、様々な権利関係の調整が必要となる。そうした意味では、「タウンアーキテクト」は、単にデザインする能力だけでなく、法律や収支計画にも通じていなければならない。また、住民、権利者の調整役を務めなければならない。一番近いイメージは再開発コーディネーターである。

 しかし、制度のみを議論しても始まらない。地域毎に固有の「まちづくり」を期待するのであれば一律の制度はむしろ有害かもしれない。どんな小さなプロジェクトであれ、具体的な事例に学ぶことが先行さるべきである。まずは、①身近なディテールから、というのが指針である。また、②持続、が必要である。単発のイヴェントでは弱い。そして持続のためには、③地域社会のコンセンサス、が必要である。合意形成のためには、④参加、が必要であり、⑤情報公開が不可欠である[viii]

 



[i] 拙著、『裸の建築家ータウンアーキテクト論序説』、建築資料研究社、2000年。

[ii] 拙稿、『群居』、群居刊行委員会、19981月。

[iii]「ちぐはぐな町並み開発を防ぐには建築家の継続参加が有効」、『日経アーキテクチャー』巻頭インタビュー、1995410

[iv] 『序説』以降に書いた論考として以下のものがある。

「タウンアーキテクトの組織実践へ向けて」、『群居』50号、200010月/「身近なディテールから・・・タウンアーキテクトの役割と可能性」、『造景』、20011月/The Roles and Tasks of Town Architects in JapanA Proposal for the establishment of Kyoto Community Design League, Traverse 02, Kyoto University, 18 Jun. 2001(『新建築学研究』 第2号)/「京都コミュニティ・デザイン・リーグ(京都CDL)の試み・・・すまいの専門家の生きる道」 『住宅』、200110月号

[v]  京都市全体をカヴァーするのにはまだまだチームが足りない。全国からの是非参加をお願いしたい。『京都げのむ』(定価1000円)、京都CDLについてはhttp://www.kyoto-cdl.com/ を参照されたい。

[vi]  2001年4月17日 朝日新聞記事掲載「町づくりに研究者の知恵 地区の個性重視して提案 14大学の24チーム参加 アイデア競い合い」4月28日 京都新聞記事掲載「京滋などの15大学京都CDL設立」10月19日 朝日新聞「京都の街づくり歩いて調査 学生が研究成果報告」

[vii]  京都市も2001年度から「すまい・まちづくり活動支援制度」に係る専門家登録を開始する。

[viii] CBPについて論ずる紙数が尽きた。またの機会に深めたい。