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2022年8月17日水曜日

制度と道具ーイヴァン・イリッチの仕事ー,螺旋工房クロニクル019,『建築文化』,1979 07

 制度と道具ーイヴァン・イリッチの仕事ー

1.

  イヴァン・イリッチの仕事が次第に明らかにされつつある。『脱学校の社会』(東京創元社  一九七七年、“                   ”一九七一)『脱病院化社会||医療の限界』(晶文社一九七八年)、“                  ”一九七六)についで、『自由の奪回』||現代社会における「のびやかさ」を求めて||(佑学社一九七九、“                      ”一九七三)が邦訳され、“                        ”一九七一(転轍社)、“                 ”一九七四(晶文社)、“                                                             ”一九七八(晶文社)も邦訳され、彼のほぼ全著作が日本語に訳されるわけである。

  現在、メキシコにおいて、自ら設立した国際文化資料センター(CIDOC  一九六七年設立、クエルナバーカ)によりながら活動を続けるイリッチの仕事がグローバルな関心を引き、その著作が刊行のたびに、すぐさま各国語に翻訳され、論争を巻き起こしてきたのは、その作業が現代社会の最も中心的なプロプレマティークにかかわっているからであるといえるであろう。彼は、『自由の奪回』の序章の冒頭に次のようにいう。

    「私はこれからの数年間、工業化時代の終末について仕事をしたいと考えている。その仕事とは、規格化され、学校が優位にたつ現代に起こりつつある言語、神話、儀式、法律の変化を跡づけることである。私は、工業的な生産様式のもつ独占性が色あせてきていること、そしてこの生産様式が提供する、工業的に生じた専門的職業が消滅しつつある点を描いてみたいと考えている」。  工業化時代の終末についての仕事、すなわち、「工業的生産様式の独占性に関する批判」と、さらに、「来たるべき社会、脱工業化社会に合致するような、他に取るべき様式を概念的に規定すること」、それがイリッチが自らに課したとてつもない仕事なのである。

  このとき、彼は六〇年代末から集中的に行ってきた教育上の実験をもとに、学校についての著作を公にしていたのであるが、その著作の『脱学校社会』というタイトルが示すように、そこですでに「大量生産としての教育がパラダイムとして、他の工業的な企業と相当すること」、したがって、問題は、学校化された社会、学校を支える工業社会の総体にあることが見抜かれていたといえるだろう。『自由の奪』はすでに広範な問題領域が提示されているのである。医療の神話(医学のための医療、医療官僚制)、商品としての教育、エネルギー問題、労働、雇用の問題(分業と搾取、専門職の問題、富の終局、独占)といった、いままではそれぞれ1冊にまとめられた領域はもとより、住宅の規格化、交通(道路)計画における高速化と階層化、環境汚染、都市病理、さらには図書館の運営、果ては葬儀社の埋葬管理の方法までその記述は及ぶ。そこでは、工業化とともに生み出されてきた近代的な計画にかかわる諸分野、したがって都市計画、建築計画にかかわるほとんどすべての分野が対象化されようとしているといえるのである。

  こうした広範な問題領域を視野に収めながら、イリッチはそれぞれの局面において、工業化、近代化、計画化、規格化、画一化、均一化の弊害をその具体的なメカニズムとともに指摘していく。いわば彼の作業は、工業化社会の病理を次々と切開しつつあるのである。

  そうした作業は、多くの分野で多くの人々によってすでに共有化されている。例えば、わが国において、ここ数年来展開されつつある「地域主義」をめぐる議論と知的作業は、その趨勢に合致するものといいうるはずである。もちろん、その作業が容易なものでないことはいうまでもない。「地域主義」についても、清成忠男の『地域主義の時代』(東経選書、一九七九年)、樺山純一の『「地域」からの発想』(日本経済新聞社、一九七九年)など次々ととその作業が刊行されつつあり、とりわけこの二人の「地域主義」イデオローグのすぐれた理論作業は、いま、ここにおいて真に検討すべき課題を提出しているといえるのであるか、そこにも大きな問題が横たわっているといわねばならない(「地域主義の行方||中間技術と建築||」全章参照)。しかし、ある意味でイリッチはいち早くその問題を提出していたといえるのである。

  イリッチは『自由の奪回』の序章において、すぐ続けて次のようにいう。

    「とりわけ私は、人類の三分の二が工業化時代を経験するのを避けることが、今でも可能であることを示したい。それは超工業化国家が混沌状態に対する選択として採用しなければならない、工業的生産様式のなかの超工業的なバランスを、直ちにえらぶことによって可能である。」  こうした確信にみちた展望の提出によって、数々のポレミークが組織されていったことはある程度推測できるであろう。過大な時期とそのオプティミズムへの懐疑がすぐさま交錯するはずだからである。

 

2.

  イリッチの作業が対象とするのは各問題領域における制度(           )である。そして、制度化(                    )である。アイルランド系、プエルト・リコ系の住民が多く、文化間の相克の激しいニューヨーク、マンハッタンで、司祭として、コスモポリタンなインスティチューショナリゼーションの侵襲の現場に身を置いたことが、イリッチのその後の思想の方向づけに大きな影響を与えたに違いない、と『脱病院化社会』の訳者、金子嗣郎がいうように、彼の作業の基底に常にマンハッタンでの経験が据えられているといえるのである。

  もちろん、彼の関心のウェイトは制度化の諸局面にあるのであって、個別領域の制度そのものにあるわけではない。イリッチは、広範な問題領域に通底する近代社会に特有な制度を徹底的には常に主題化しようとしているといえるはずである。各領域での個別の作業は、やがて構築さるべきひとつの制度論の各論であり、逆にいえば、各領域における問題とその解決をめぐって、ひとつの制度論が前提されているのである。

  ただ、われわれとって極めて興味深いのは、その作業がまず、学校、病院といった制度∥施設(           )、制度としての空間を対象としたことといえるであろう。イリッチの作業がすぐさま建築家やプランナーの関心をもひきつけたことは『AD』や『CASABELA』などへの反響が示していたのであるが、それは、その制度批判が施設における空間の配列の問題にも及んでいたからである。『脱学校の社会』は、近代的な諸施設のひとつとして成立してきた学校という制度を歴史の流れの中で相対化し、その限界(義務教育を通して普遍的な教育を行うことが不可能であることなど)を明言し、その具体的な再組織化の方向性を示したものであったが、それは、ノン・グレーディングやティーム・ティーチングを組み込んだオープンスクール(開かれた学校)の具体的なプランニングの問題として議論されたのである。また、『脱病院化社会』も、『空間の病院化』の出版を予定するバークレイのカリフォルニア大学建築学科教授リンドハイムら、都市や建築の分野との共同作業を踏まえてものされており、その関心が具体的な施設空間にも向けられていることを示しているといえるであろう。

  医療にしろ、教育にしろ、現代社会の病理に大きくかかわる極めて重要な分野である。いずれの分野も、その抱えている問題を根源的につきつめていけば、等しく工業化社会の根底的問題につき当たることは容易に推測される。『脱病院化社会』も当然のように、医源性疾患という、本来医師、薬物、医療行為をもとにして生まれてくる新しい疾患を追いかけることにおいて、臨床的、社会的、文化的なコンテクストへの広がりをみせ、さらには「健康の政治学」を主題とするに至るのである。われわれの施設空間(制度)論も、イリッチとともに、空間的配列にかかわる制度を超えた問題の領域を確認しつつあるといえるであろう。しかし、それゆえ、イリッチの作業を施設∥制度論として読み返す実践的関心も存するともいえるのである。確かに、『自由の奪回』においてもそうであるように、イリッチは、突破口のための大きなウェイトを「政治計画」においているといえるだろう。しかし、岩内亮一がいうように、そこで大きな期待がかけられている政治的な改革が、決して既存の制度の全廃を企画する類のものではなく、いかにして個人の意思による選択を保証するかという、制度計画のための具体的な方法の提示にかかわっているという意味で注目されるのである。

  制度と空間(ここでの脈絡でいえば施設空間論)をとらえるうえで、極めて重要なパースペクティブを提示しているのは、いうまでもなく、知のエピステーメーにかかわるM.フーコーの作業である。眼差し、言葉、狂気、身体、性にかかわる一連の作業は、すべて、空間と制度にかかわるものといってよいからである。イリッチの一連の仕事は、いってみれば、このフーコーの膨大な作業に匹敵するものといえるであろう。『臨床医学の誕生』、『狂気の歴史』における病院、『監獄の誕生||監視と処罪||』における監獄といった施設∥制度をとらえる視角は、イリッチの学校や病院をとらえる視角とストレートにつながっているのである。フーコーが、近代的な諸制度の成立を跡づけることにかかわっているとすれば、イリッチはその解体を展望することにかかわっている。すなわちフーコーが、制度∥施設の通時態(考古学)に焦点を当て、歴史的パースペクティブを与えるとすれば、イリッチは、制度∥施設の共時態に焦点を当てコンテンポラリーの平面でのパースペクティブを与えようとする。また、フーコーが、知の配置の構造、そしてその転換にウェイトを置くとすれば、イリッチは、具体的な道具の提出にウェイトを置いているということもできるであろう。

  すなわち、われわれはすでに、施設空間論のための二軸を、フーコーとイリッチによって与えられているといってもよいのである。そしてまた、フーコーとイリッチを一つの脈絡のもとに読み直すことは、極めて魅力的な作業といいうるはずである。||建築の分野においてもそうした関心が偏在していることは、例えば、先頃その“          ”(    )が邦訳化された(『理想都市』理想都市研究会  鹿島出版会)、H.ロウズナウ女史の“                                                                 ”(    年)にも示されているといえるであろう。一七六〇■一八〇〇年というフーコーがいう意味での時間的閾において、病院、監獄、教育施設等の具体的プランを解読しているのである。

 

3.

  『自由の奪回』において、イリッチは「のびやかさ(            )」という概念とともに「多元的均衡」という概念を提出している。彼自身がひとつの脈絡のもとに用いようとする「のびやかさ」とともかく、「多元的均衡」は、例えば、H.マルクーゼの『一次元的人間』などを想起すれば、ある程度その近代社会批判の方向性を暗示させるかもしれない。しかし、もし、「のびやかさ」や「多元的均衡」という概念が、その邦訳タイトル「自由の奪回」がイメージさせるように、単に制度批判として提出されているとしたら、そしてイリッチのこの書の意義をあげつらう必要はないであろう。同じような指摘はいくらでもあるからである。『自由の奪回』が興味深いのは、まさにそれが手法論・道具論(                      )として展開されようとしているところにある。イリッチは、「私の主題は道具であり、観念ではない」という。また、「架空な未来の共同体を詳細に描くことは、私の目的に役立たないのであろう。私は幻想ではなく行動のためのガイドラインを提供したい。のびのびとした生活を保証するような現代社会は、なんびんとの理想や希望もはるかに越えた、新しい驚異の開花を生むことができる。私はユートピアではなく、どの地域社会にもユニークな社会機構を選択させる手順を提案しているのである」ともいう。「のびやか」という今のところ少なくとも日本語にはなじまない言葉も、明らかに道具概念とのかかわりにおいて選ばれている。イリッチは「・のびやか・という言葉を、責任をもって制約された道具をもつ現代社会を意味する専門用語として選んだ」のである。もちろん、彼は「・のびやかさ・という言葉を、工業的生産とは反対の意味を示すものとして選んでいる」。しかし、「責任をもって制約された道具をもつ現代社会」という言い方が示すように、それは単に工業的生産にかかわる道具の全否定ではない。彼の目差すものは、別のところでいうように、むしろ、工業化の総合理論を正確に構築することといってもよい。「社会計画もしくは社会技術のアセスメントに従事しなければならない人々」と「道具が人間と人間の目標を圧制するときに、その道具の権力を抑制したいと欲する人々」との間に共通の言葉を準備すること、それが彼の道具論の構想なのである。

  こうしたイリッチの立論は、いうまでもなく、E.T.シューマッハーの中間技術論を想起させるであろう。寄しくも、シューマッハーの“                  ”とイリッチの“                      ”は同じ一九七三年に出版されたのであるが その二つには明らかに通底する問題意識を認めることができるのである。中間技術(代替技術、適正技術、全体技術、地域(地縁)技術、生産技術)に係わる諸文献が、一様に二つの文献に言及していることも、その影響力をうかがわせるであろう。

  「私はのびのびした制度や道具を設計するための技術的な手引の作成に寄与しようとは思わない。また明らかにより良い技術になるであろうものへの販売キャンペインを約束したいとも思わない」とイリッチはいう。具体的な道具の手引書については、われわれはG.ボイル、B.ハーバーの“                 ”などを手にしつつあるのであるが、彼の関心は『自由の奪回』では、道具のための基準の設定であり、道具の構造である。そして、彼のいう次元分析によって、生活の均衡のもとになる道具の次元を明らかにすることである。そこで彼が主張するのは、①自然力の支配が機能するのは、自然を利用したあげく、自然が人間にとって無用になるといった結果にならない限りにおいてであること(生物学的崩壊)、②制度が機能するのは、人が自分でできることと、非人格的な制度に奉仕する道具が人のためにしてやれることとの微妙な均衡を、制度が保証する限りにおいてであること(徹底的独占)、③正式の教育制度も均衡に基づくべきものであり、その特殊なお膳立てが自主的学習の機会以上の価値を有してはならないこと(計画過剰)、④社会におけるコミュニケーションの増加は、社会を一層人間的にすることもできるが、それは少数派を多数派から隔てる力の開きが狭まるときに限られること(分極作用)、⑤技術革新の度合が増大することは伝統に根づくこと、意味の充実、安全保障が強められる場合にのみ価値があること(旧式化)である。

  具体的な展望について、イリッチは一般的に、①科学の脱神話化、②言語の再発見、③法律手続の回復に関して検討する。そして、その展望において、政治的改革が重要なウェイトを占めていることはすでに触れた。しかし、例えば、住宅の規格化について彼が次のようにいうとき、その方向性をある程度推察することができるであろう。

    「建設産業は、近代的な国民国家がその社会に、市民の貧困の近代化を押しつける産業の事例である。建設産業に与えられる法的保護との財政的援助は、これに該当しないで、はるかに効率的に自分で家を建てる人の機会を縮小し、ついには削除した。つい最近、メキシコはすべての勤労者に適当な住宅を供給する目的の、全体計画に着手した。第一段階として、住居ユニットの建設のための新しい基準が設定された。この基準は、家を買う小市民を、産業がつくり出す搾取から擁護するのを意図した。逆説的ではあるが、この同じ基準は、もともと自分自身で家を建てる機会をもったはるかに多くの人々を収奪した。・・家が建てられるべき方法を規定することによって、住宅の欠乏は増大していく。よりよい住宅を提供するという社会の口実は、よりすぐれた健康を提供するという医者の口実、より高速を提供するという技術者の口実に見られたのと同種のペテンである。・・

  家の価値は重要な部分が人々の労働役下の結果とならない限り、大多数の人々はのんびりできない。のびやかな施設は自分の家を欲する人々が何を得ることができるかを規定する。またそのことによって、だれもが最小限の空間、水、基本的な建築の要素、動力ドリルから機械化された手押し四輪車にいたるのびやかな道具、そしておそらくいくらか制限されたクレジットに接近することを保障する。現在の政策をこのように転換することによって、脱工業化社会に、古代マヤ文化では標準的であり、いまなおユカタン半島で多くみられる家と同様に好ましい近代的な家を提供することができるであろう」。  イリッチの作業が、メキシコ、発展途上国、第三世界を背景としていることは踏まえられなければならないかもしれない。中間技術論もそうであるように、そうした背景が工業化社会を相対化する視点と分かち難く結びついていることは事実である。しかし、そうした視点と具体的な方向性が要求されつつあるのはむしろ先進諸国においてであることも、次第に明らかにされつつあるはずである。わが国の地域主義をめぐる議論も、やがて、具体的な制度と道具を問題にしなければならないはずである。イリッチの制度論と道具論はそのための一つの手掛かりといえるであろう。制度と道具、それがどのような表現を生み出すのか、ここしばらくのテーマである。