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2022年3月1日火曜日

労働者たちの町づくり,山谷の労働者福祉会館建設の意義,望星,東海教育研究所,199012 

 労働者たちの町づくり,山谷の労働者福祉会館建設の意義,望星,東海教育研究所,199012 (布野修司建築論集Ⅱ収録))

山谷労働者福祉会館の竣工

                           布野修司

 

 

 山谷労働者福祉会館が一〇月一三日竣工した。建設に関わった多くの仲間たちが集まり、盛大な宴(落成祝い)が夜遅くまで開かれたのであった。翌、一四日には、日本キリスト教団日本堤伝導所としての献堂式(けんどうしき)も行なわれた。建設の母体となった日本キリスト教団関係者をはじめ、カンパした人びと、釜ケ崎や名古屋の笹島の仲間たちも駆けつけて完成を祝った。その竣工は、奇跡に近い。

 鉄筋コンクリート造、地上三階建てで、延床面積は百坪に足りない。超高層の林立する大都市のなかでは、ささやかな建物にすぎないかもしれない。しかし、その建設に込められた思いはとてつもなく大きい。一階には、医務室と食堂が置かれている。二階には、多目的の広間と事務スペース、相談室、三階には、宿泊もできる和室、印刷室、図書室などが配される。屋上は、休憩スペースである。夏には屋上ビアガーデンともなる。期待される機能の割にスペースが足りないのはいかんともしがたいが、福祉活動、医療活動など労働者のための多彩な活動の拠点として構想されたのが山谷労働者福祉会館である。

 一見、ただの建物ではない。手作りの不思議な味がある。ファサードは、A.ガウディーには及ばないけれど、砕いたタイルで奇妙な文様が描かれている。みんなでひとつひとつ張りつけたのである。また、ファサードには、様々なお面が取り付けられている。笠原さんという女性彫刻家の作品で、人物にはそれぞれモデルがある。山谷の人たちだ。さらに、みんなが思い思いのメッセージを刻んで焼いた瓦がところどころに使われている。カンパを募って開いたコンサートのときに粘土に描いて、淡路島の山田脩二さんのところで焼いたものである。

 山谷に労働者のための会館を建設しようという話が出て、募金活動が始められたのは三年ほど前のことである。山谷に自前の労働者会館を建設するというのは、もともとは、映画「山谷(やま)ーーやられたらやりかえせ」を撮影制作中に虐殺された(一九八六年一月)山岡強一氏の発想であった。その遺志をついで山谷労働者福祉会館設立準備会が設立されたのである。完成された山谷労働者会館のエントランス上部には、一対のお面が掲げられている。山谷に住む夫婦のレリーフなのであるが、山岡氏と同じく虐殺された(一九八四年一二月)映画監督佐藤満夫氏を祈念してのものである。

 八九年一月、山谷の中心に土地を確保することができた。建設そのものが具体的なものとなり、募金活動に拍車がかかった。しかし、それからが長かった。一年半、建設にかかって一年余り、竣工に至った過程は波乱万丈である。設計を行い、設計施工の監理を行ったのは宮内康建築工房である。僕自身は、その身近にいて全プロセスを見守っていたにすぎない。また、「日本寄せ場学会」の一員として募金活動に協力したにすぎない。実際の建設については、学生たちとともに、タイルや瓦を張るのを少しばかりお手伝いしただけである。しかし、それでもその困難性はひしひしと感じることができた。ほんとに奇跡に近いと思う。

 まず、建築の確認申請の問題がある。また、近隣への説明もある。それ以前に建設の主体をどうするか、施設の内容をどうするかが問題であった。近隣の理解も得、諸手続きもクリアした段階で、最大の問題となったのは施工者の問題である。いろいろあたっても引受け手がないのである。三つの建設会社にかけあったのであるが、いずれも断わられた。無理もない。お金は、わずか三千五百万円しかありません、あとはカンパでなんとかします、というのである。また、山谷の労働者を使って下さいというのも大変な条件であった。紆余曲折の上、最終的に採られたのが、直営という方式である。日本キリスト教団を建設主として、一切、労働者自身による自力建設を行うことにしたのである。

 直営方式というのは、建築主が建築材料を支給し、職人さんたちを手間賃で雇って建設する方式で、木造住宅ならそう珍しくはない。今でも行われている地域はある。しかし、大都市で、しかも鉄筋コンクリート造の建築で、直営方式というと極めて特異である。その上、自力建設ということになれば、全く例がない。実に希有なプロジェクトとなったのであった。

 住宅でもいい、全く自分一人で建築することを考えてみて欲しい。ほとんど無数に近いことを考え、決定し、手配をしなければならない筈だ。実際は、トラブルの連続であった。山谷には労働者が沢山いるとはいっても、働きながらのヴォランティアである。また、得手、不得手の仕事もある。スケジュール通りに進むのがむしろ不思議である。ましてやカンパを募りながら、資金調達もしなければならない。ハプニングも起こった。例えば、ある運送会社は、「山谷」というだけで、建築資材である瓦の搬送を拒否したのである。ひどい差別である。

 そうした気の遠くなるような困難を克服し、ともかく完成にこぎつけたのは驚くべきことだ。僕自身、こんなに早くできるとは思っていなかった。正直言って予想外である。未完成の美学もある、永遠に造り続けるのがいい、なんて言い続けて現場の人たちからは顰蹙を買い続けてきたのであった。

 

 山谷といえば、「寄せ場」である。日雇労働者の町として知られる。日本でも有数の「ドヤ街」である。いま山谷は空前の建設ブームの中で仕事は多い。路上で酒盛りする労働者の様子は一見活気にみちているようにみえる。しかし、抱える問題は極めて大きい。

 第一、好況にも関わらず、必ずしも、労働者の賃金は上がっていないのである。職安で日当一万一千円、路上で一万二千円ぐらいが平均であろうか。型枠大工であれば、人手不足で三万円も五万円もすると言われるのであるが、山谷には落ちない。あいも変わらず、中途で抜かれる構造があるのである。高い労務費を支払ってもリクルートの費用に消えてしまう。建設業界の重層下請けの構造、高労務費・低賃金の体質は変わってはいない。山谷はその象徴である。

 第二、生活空間としての山谷はいま急激に変容しつつある。地価高騰の余波は山谷にも及び、再開発のプレッシャーが日増しに強くなりつつあるのである。例えば、ドヤは、次第にビジネスホテルに建て替わりつつある。宿泊費は、当然上がる。宿泊費があがれば、労働者の生活にも大きな影響が及ぶ。日雇労働者も、ドヤ住まいとビジネスホテル住まいとに二分化されつつあるのだ。また、山谷から追い立てられる層もでてきている。

 第三、山谷地区に居住する日雇労働者は八千人から一万人と言われる。その日雇労働者は、どんどん高齢化しつつある。日本の社会全体が高齢化しつつあるから、当然とも言えるのであるが、単身者を主とする寄せ場の場合、また、日雇という不安定な雇用形態が支配的な地域の場合、高齢化の問題はより深刻である。山谷労働者福祉会館が構想されたのは高齢化の問題が大きな引金になっているといえるだろう。

 山谷にも山谷の地域社会がある。日雇労働者だけでなく、その存在を支え、共存する地域社会がある。二年程前、日雇労働者ではなく、地域住民を対象とした調査を「日本寄せ場学会」で行なったことがあるのであるが、ドヤの経営者にしろ、酒屋や飲食店にしろ、日雇労働者に依拠して成立したきた構造がある。日雇労働者を差別する構造もあるけれど、日雇労働者と共存してきた構造もあるのである。しかし、再開発の波が及び、そうした構造そのものが大きく崩れつつあるのが現在の山谷である。

 

 こうして、山谷労働者福祉会館の自力建設の意味が明らかになってくる。再開発によって、地域の生活空間が大きく変わりつつあるのはなにも山谷に限らないはずだ。東京の下町では、地上げによって壊滅してしまった地区がいくつもある。スクラップ・アンド・ビルドを繰り返すだけで果していいのか、自分の住む町をどうするのか、どう考えるのかは、決して人事ではないのである。

 この間の、東京大改造の様々な動きはいまだとどまることをしらないかのようである。膨大な金余り現象の生んだこの首都の狂乱が意味するのは、都市のフロンティアが消滅しつつあることである。東京の改造が大きなテーマとなったのは、少なくとも、都市の平面的な広がりが限界に達したことをその背景にもっていた。都市のフロンティアがなくなることにおいて、新たなフロンティアが求められる。ひとつは、ウオーター・フロントである。海へ、水辺へ伸びて行く発想である。ウオーター・フロント開発は、既にすさまじい勢いで進められている。数々のプロジェクトが進行中である。山谷の立地する隅田川沿いにも再開発プロジェクトが目白押しである。東京湾岸の風景は既に一変しつつある。産業構造の転換で未利用地が多く、都心に近接しながら地価が安かったせいもある。埋め立てによって広大な土地がまとまっていることも大きい。

 さらに新たフロンティアとして眼がつけられるのは、空であり、地下である。二千メートルもの超高層ビルのプロジェクトや数十万人を収用する地下都市開発のプロジェクトが次々に打ち上げられているのがそうである。こうした巨大なプロジェクトは、もちろん、必ずしも具体化されつつあるわけではない。実際に進行しつつあるのは、様々な再開発である。まず、眼がつけられたのが未利用の公有地であった。公務員宿舎や国鉄用地が民間活力導入を口実に次々に払い下げられ、地下狂乱の引金になったことはまだ記憶に新しい筈である。

 東京の再開発の動きはあっという間に全国に波及することになった。投機目的の東京マネーが日本列島全ての土地をそのターゲットにしたのである。リゾート開発ブームもまた資本にとってフロンティアが消滅しつつあることを示すのである。

 こうして日本列島全体がバブル経済に翻弄され、かき回される中で山谷に労働者福祉会館が全くの自前で建設された。余程地に足のついた試みといえるのではないか。この間の地価高騰で、一般庶民にはとても住宅がもてない、という悲鳴が聞こえてくる。しかし、一向にその声は一つにまとまらない。豊かさの幻影のなかで階層分化が進行しているからであろう。資産を持つ層はちっとも困っていないのである。また、資産を持たないサラリーマン層だって、ワンルーム・リース・マンションに投資したりして、住テク、財テクに走っている。目先の、私の利益を求めて争うところには町づくりもなにもないのである。

 東京大改造、再開発を支えるのは言ってみれば山谷の労働者たちである。一度に数多くの建設労働者を集め、職人不足を加速した、東京改造の象徴である新都庁舎にしても、山谷の労働者がいなければできないのである。しかし、山谷のような空間の存在は常に無視され、差別されてきた。若い労働者たちはまだしも、歳をとって病気になり、仕事もままらなくなると、追い立てられ、ボロ雑巾のように捨てられる。そうした、労働者たちが自前の拠点を全くの自力建設でつくった。つくづく、すごいと思う。

 一見豪華に装われた新都庁舎と一見手垢にまみれた山谷労働者福祉会館、実に対比的である。日本の町づくりの方向をその二つのどちらにみるのか、いまひとりひとりに問われているのだと思う。

 

附記

 山谷労働者福祉会館は竣工したといっても、その内容をつくっていくのはこれからである。土地の代金や工事費(材料費)の支払いにもまだまだ苦慮している。また、施設を維持し、福祉活動や医療活動を展開するのに月々かなりの費用がかかる。会館では、その主旨に賛同し、活動を支えてくれるヴォランティアや賛助会員(月額二千円)を求めている。援助の手を差し伸べて頂ければと思う。

 

山谷労働者福祉会館 東京都台東区日本堤1~25~11

          電話 03-876-7073 

郵便振替口座 東京2-178842 山谷労働者福祉会館設立準備会











 

2021年9月4日土曜日

外国人労働者問題⑩ 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、建設通信新聞、1991年4月

 01] 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141

02] 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142

 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148

 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410

 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411

 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412

 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415



 

2021年9月3日金曜日

外国人労働者問題⑨ 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、建設通信新聞、1991年4月

 01] 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141

02] 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142

 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148

 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410

 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411

 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412



 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415

 

2021年9月2日木曜日

外国人労働者問題⑧ 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、建設通信新聞、1991年4月

 01] 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141

02] 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142

 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148

 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410

 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411



 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412

 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415

 

2021年9月1日水曜日

外国人労働者問題⑦ 最底辺 ガストアルバイターの光と影、建設通信新聞、1991年4月

 01] 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141

02] 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142

 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148

 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410



 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411

 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412

 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415

 

2021年8月31日火曜日

外国人労働者問題⑥ ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、建設通信新聞、1991年4月

 01] 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141

02] 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142

 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148



 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410

 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411

 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412

 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415

 

2021年8月30日月曜日

外国人労働者問題⑤ 建設現場の光景 お寺と黒人、建設通信新聞、1991年4月

 01] 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141

02] 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142

 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

埼玉県S市。あるお寺の現場。木造の本格的な新築である。珍しく丸太の足場である。丸太で素屋根がかかっている。全国で鳶さんの数は少なくないとはいっても、丸太と番線だけで大スパンを架構できる鳶さんはそう多くない、という。今、ほとんどの現場が鋼管足場である。簡単で早い。それならなんで丸太の足場かというと、単管ではできない場合がある。跳ね出しの場合、丸太の方がはるかに強度があり、遠くに跳ね出すことができるのである。それに木造のお寺に鋼管足場は似合わない、というので丸太の足場にしたのだという。とにかく、いまどき珍しい、伝統的な現場である。その現場に外国人が働いていた。黒人で大柄である。なんとなく、違和感のわいてくる現場の光景であった。

 鳶さんは、かなりの腕のいい職人さんである。数十人の弟子を育てたというし、業界でもかなりの立場にある、。重鎮である。そこに何故外国人労働者なのか。

 現在、息子さんを中心に千葉県N市で営業するのであるが、総勢一二人のうち、六人が外国人である。プエルトリコ、ガーナ、ソマリア、そして三人がイラン人である。また、これまでパキスタン人も雇ったことがあるという。何故、外国人を使うようになったか。その話は熱っぽい。

 「とにかく、中学卒が駄目なんだ。冗談じゃなく、二十までしか数が数えれないような連中を預かるんだから。おねしょがなおらないものもいる。それじゃなくても根性がない。最近のことだけど、中卒を九人採ったんだけど、半年後に全員辞めたなんてことがある。6Kとかいうけど、五つまではなんでもない、なんとかなるんだ。しかし、仕事がきついというのはどうしようもない。そう思うんだからしょうがないよね。

 それに比べてみると、外国人の場合しっかりしている。パキスタン人なんか根性あるよ、特にね。うちにいるのは、就学生なんだけど、日本語も勉強している。彼らも大変なんだよ。学校へ行くために三〇万も五〇万もかかるんだよ。」

 むしろ、「不法」就労を取締り、指導する立場にあって、外国人労働者を使わざるを得ない実態とはなにか。問題の根は深いと言わざるを得ないだろう。

 「あるゼネコンの現場なんだ。難しいんだよね。だから、引き受けた。六人やったけど三人が外人だ。最初の日に早速電話があったよ。向こうの監督さんからね。「親父さん。外人駄目だよ」ってね。「いやあ、駄目だってってしょうがないよ。いま手がないんだから。まして突貫工事なんだから。偉い人が来た時だけは車んなかに放り込んでおいてくれていいから。偉い人というのは、半月に一遍とか一ケ月に一遍しか来やしないんだから」といったんだ。そしたら、「毎日三時から十分安全講習やるんだけどわかるんだかどうだか困るんだよな」というから、「大丈夫だよ、教えてあるから。日本語もわかるから。とにかく三日か四日か黙って眼をつむって奴らがやるのをみててごらんよ」といって押し切った。一週間ぐらいたって現場に行ってみてたら、監督が何をいうかというと「親父さん、すごいねえ。あいつら、随分やるねえ。よく働くねえ。安全帯の掛け方とかよく教えたねえ。日本人の三倍やるねえ」っていうんだ。」

 何もピンハネや賃金不払いが横行しているわけではない。この親方の場合、直接一万円から一万三千円を払っているいるのだという。最初は五千円だったんだけど、仕事に馴れるに従って、八千円になり、九千円になり、今は日本人と変わらなくなったのである。他に、月当り五万五千円のマンションも会社の名前で借りてやっているという。

 「不法だというのは知ってますよ。住居を与えれば幇助罪になる。しかし、期限を限って研修生として受け入れるべきなんだ。また来てもいいしね。皆優秀なんだから。彼らも大変なんだよね。ただ、結構優雅にやっている。六本木辺りでは結構もてるらしいよ。日本人の彼女もいるらしいよ。生活習慣の違いは大きいけどね。電気代、水道代は彼ら持ちだよ。朝からシャワー浴びるし、とにかく使うんだから。イスラームの場合、銭湯なんかで体毛を全部剃っちゃうんだよね。だけど、生活習慣や文化の違いだってわかりあえると思う。同じ人間なんだもん」

 親父さんは、短期に期限を限ったスイスの移民政策を日本もとるべきだという。不法就労問題、外国人労働問題についてはかなり詳しい。そして、人夫出しの底辺世界にもかなり通じている風である。

 「この世界で何年も生きてるとね。色々な奴を知っている。弟子のなかにね、人夫出しをやってるやつがいてね、紹介してきたんだ。一人につき、三万か五万貰うわけだ。紹介料としてね。紹介してすぐ逃げられるとまずいから、一ケ月後に払うんだそうだ。親父さんならいらないよといわれたけど、商売なんだから、半額払うことにした。それがきっかけなんだ。色々、何人もいるよ。外国人労働者を取り締まるというのであれば、人夫出しを取り締まらなければ駄目だよ。

 パキスタン人の人夫出しもいる。外国人の人夫出しの場合、本人から手数料を取る。それであちこちたらい回しして稼ぐんだ。五〇人も百人も抱えてて廻すんだね。一回世話して貰うと三万から五万払うわけだ。」

 話を聞くうちにお寺の現場で働く外国人の姿がそう異質な風景には見えなくなってきた。日本の伝統技能が外国人によって継承されていく、そんな経験も既にここそこの現場で始まっているのかも知れない。




 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148

 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410

 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411

 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412

 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415

 

2021年8月29日日曜日

外国人労働者問題④ 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、建設通信新聞、1991年4月

01] 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141

02] 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142

 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

横浜寿町。同じ寄せ場でも山谷とはいささか様子が違う。ドヤに外国人の姿が見られ、また、外国人労働者に対する積極的な支援活動が展開されているのである。カラバオの会(「寿・外国人出稼ぎ労働者と連帯する会」)の活動だ。

 「カラバオ」とはタガログ語で「水牛」を意味する。寿では、知合いになる外国人労働者のほとんどがフィリピン人であり、フィリピンの民衆の生活に密着した「カラバオ」を会の愛称に選んだのだという。会の結成のきっかけは、寄せ場での越冬活動の際、ひとりのフィリピン人労働者が助けを求めて来たことである。「仕事がなく困り果てている」というのである。正式発足は一九八七年の五月であった。

 カラバオの会の活発な活動は様々な形で公にされているのであるが、外国人労働者の置かれている状況は実に厳しい。いくつかその一端を引いてみよう。

 Nさんのケース。来日以来、建設業者の間でたらい回しに合う。千葉の業者のもとで二ケ月働くが賃金は全く受け取れなかった。また、フィリピンへ送金を依頼した約五万円を着服された。下請業者は倒産して行方が知れない。元請業者に抗議することによって、約一八万円を返却してもらうことができた。建設業者は、フィリピン人労働者のことを「マニラ」と隠語で呼ぶ。「マニラの相場は四千円」、食費を引くと手取りが二千五百円という飯場がある。

 Rさんのケース。神奈川県の鉄筋業者のもとで二ヶ月働くが、一ヶ月分の給料をもらわず逃げ出す。逃げだしたのは、親方による虐待に耐えかねたからである。親方は宿舎などに三〇万円もの費用がかかっていることを主張、結果的に一〇余万円は戻ってこなかった。「バカヤロー」とか「コノヤロー」といった罵倒や暴力を奮っても当然という雇主も多い。

 手配師Yと五人の労働者のケース。手配師Yを通じて東京の基礎工事会社で五人が働いた。しかし、支払い日が過ぎてもYは現れず、五人は業者のもとを離れる。未払金額は、合計六〇万円。五人のうち一人はYに旅費等経費を建て替えてもらっていた。Yの妻はフィリピン人である。結局Yが逃亡、元請業者は責任回避に終始した。

 いずれも賃金不払いのケースである。以下は労働災害のケースである。

 Jさんのケース。横須賀の解体業者で働く。アパートの一軒にフィリピン人が五~六人が起居し、他に日本人が三人、社長も同じアパートに寝起きする。梁を解体していてパイプを足の甲に落とす。大きく腫れ上がったが会社は病院につれて行かずシップ薬を渡しただけで部屋で休んでいるように指示したのみ。翌日、歩行困難となり寿へタクシーで帰る。交渉において日本人並の休業保障を要求。しかし、「他のフィリピン人全員を解雇する」という恫喝によってJさんが「もういい。やめてくれ」ということになった。結果、三万円の見舞金で手をうつ。

 賃金不払い、労働災害など、外国人労働者は極めて不利な条件化に置かれている。飯場の劣悪な環境も大きな問題だ。廃車が寝場所になっていたり、棺桶のような木箱に寝泊まりさせられることがある。食事も御飯に醤油だけというのも実際にあるらしい。カラバオの会の活動の中心は、そうした外国人の人権を擁護し、共に生きていく条件を創り出すことにある。その活動は、就労斡旋、雇用条件の改善、労働環境の改善、医療体制の整備、住宅斡旋、日本語教育、逮捕者への救援活動など多岐にわたっている。その基本的立場は、「単純労働者を含めて第三世界からの出稼ぎ労働者が合法的に働けるように法制度を整えるべきだ」ということである。

 寿のドヤにおいてフィリピン人は、三畳ほどのスペースに二~三人が寝泊まりする。一泊八百円から千五百円ほどだ。フィリピン人に限らず外国人労働者の場合、来日にあたって、既に多額のお金を使っている。賃金格差を考えれば、パスポートの取得や航空運賃だけでも相当の額だ。リクルーターによらなくても、旅行代理店に払う金額はフィリピンからでも二〇万円ぐらいになる。それに観光客としての一〇万円ぐらいの見せ金がいる。彼らはまずは借金を返さねばならず、生活は切り詰めざるを得ないのだ。

 彼らは共同で自炊する。物価が高く、食費を安くあげる意味もある。不慣れな環境で仲間と暮らすのは当然でもある。ひとりひとりが個室に暮らす日本人とは対比的である。生活習慣、生活スタイルの違いからフィリピン人と日本人の圧礫も時に顕在化する。集まって歓談する、あるいは酒盛りをする。うるさい、と周囲の日本人から苦情が出される。やがて、「騒がしいフィリピン人は追い出せ」ということになり、ドヤ主もフィリピン人の宿泊を拒否するようになる。そんな事態が既に起こっている。

 うるさい、というだけであれば日本人同士でもあることである。しかし、生活上の不満が民族差別の感情と結び付くとやっかいだ。外国人がいるから自分達の仕事がなくなるといった利害意識が絡めば敵対的な関係となる。素朴な意識としての排外主義が、警察に通報する、不法就労者を密告する、となると事態は深刻である。ドヤでおこっていることは決してわれわれの日常生活と無縁ではない筈だ。

 

 具体的な事例については、カラバオの会の以下の文献による。

カラバオの会編 『外国人労働者の合法化にむけて』 新地平社

カラバオの会編 『仲間じゃないか外国人労働者』 明石書店

カラバオの会編 『外国人出稼ぎ労働者』



 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148

 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410

 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411

 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412

 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415

 

2021年8月28日土曜日

外国人労働者問題③ 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、建設通信新聞、1991年4月

 01] 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141

02] 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142

 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 山谷といえば、「寄せ場」である。日雇労働者の町として知られる。日本でも有数の「ドヤ街」である。その山谷に、昨年秋ひとつの建物が竣工した。山谷労働者福祉会館(日本キリスト教団日本堤伝導所)である。その完成は奇跡に近い。山谷の労働者による完全な自立建設として、全ての建設資金をカンパに頼って建設が行われ完成したのである。

 鉄筋コンクリート造、地上三階建てで、延床面積は百坪に足りない。しかし、その建設に込められた思いはとてつもなく大きい。一階には、医務室と食堂が置かれている。二階には、多目的の広間と事務スペース、相談室、三階には、宿泊もできる和室、印刷室、図書室などが配される。屋上は、休憩スペースである。夏には屋上ビアガーデンともなる。福祉活動、医療活動など労働者のための多彩な活動の拠点として構想されたのが山谷労働者福祉会館である。

 一見してただの建物ではない。手作りの不思議な味がある。ファサードは、A.ガウディーには及ばないけれど、砕いたタイルで奇妙な文様が描かれている。みんなでひとつひとつ張りつけたのである。また、ファサードには、様々なお面が取り付けられている。人物にはそれぞれモデルがある。山谷の人たちだ。さらに、みんなが思い思いのメッセージを刻んで焼いた瓦がところどころに使われている。

 山谷に労働者のための会館を建設しようという話が出て、募金活動が始められたのは三年ほど前のことである。八九年一月、山谷の中心に土地を確保することができた。建設そのものが具体的なものとなり、募金活動に拍車がかかった。しかし、それからが長かった。建設にかかって一年余り、竣工に至った過程は波乱万丈である。設計を行い、設計施工の監理を行ったのは宮内康建築工房である。紆余曲折の上、直営方式で、日本キリスト教団を建設主として、一切、労働者自身による自力建設を行うことにしたのである。

 実際は、トラブルの連続であった。山谷には労働者が沢山いるとはいっても、働きながらのヴォランティアである。また、得手、不得手の仕事もある。スケジュール通りに進むのがむしろ不思議である。ましてやカンパを募りながら、資金調達もしなければならない。ハプニングも起こった。例えば、ある運送会社は、「山谷」というだけで、建築資材である瓦の搬送を拒否したのである。ひどい差別であった。

 いま山谷は空前の建設ブームの中で仕事は多い。路上で酒盛りする労働者の様子は一見活気にみちているようにみえる。しかし、抱える問題は極めて大きい。

 第一、好況にも関わらず、必ずしも、労働者の賃金は上がっていない。職安で日当一万一千円、路上で一万二千円ぐらいが平均であろうか。型枠大工であれば、人手不足で三万円も五万円もすると言われるのであるが、山谷には落ちない。相も変わらず、中途で抜かれる構造があるのである。高い労務費を支払ってもリクルートの費用に消えてしまう。建設業界の重層下請けの構造、高労務費・低賃金の体質は変わってはいない。山谷はその象徴である。

 第二、生活空間としての山谷はいま急激に変容しつつある。地価高騰の余波は山谷にも及び、再開発のプレッシャーが日増しに強くなりつつあるのである。例えば、ドヤは、次第にビジネスホテルに建て替わりつつある。宿泊費は、当然上がる。宿泊費があがれば、労働者の生活にも大きな影響が及ぶ。日雇労働者も、ドヤ住まいとビジネスホテル住まいとに二分化されつつあるのだ。また、山谷から追い立てられる層もでてきている。

 第三、山谷地区に居住する日雇労働者は八千人から一万人と言われる。その日雇労働者は、どんどん高齢化しつつある。日本の社会全体が高齢化しつつあるから、当然とも言えるのであるが、単身者を主とする寄せ場の場合、また、日雇という不安定な雇用形態が支配的な地域の場合、高齢化の問題はより深刻である。山谷労働者福祉会館が構想されたのは高齢化の問題が大きな引金になっているといえるだろう。

 第四、山谷にも山谷の地域社会がある。日雇労働者だけでなく、その存在を支え、共存する地域社会がある。日雇労働者ではなく、地域住民を対象として行った調査によれば、ドヤの経営者にしろ、酒屋や飲食店にしろ、日雇労働者に依拠して成立したきた構造がある。日雇労働者を差別する構造もあるけれど、日雇労働者と共存してきた構造もあるのである。しかし、再開発の波が及び、そうした構造そのものが大きく崩れつつあるのが現在の山谷である。

 山谷において外国人労働者はどうか。天安門事件の前までは、中国の就学生が職安に行列をなし、言葉が不自由で大量にあぶれるという光景がみられたというが、その姿をみかけることは少ない。ドヤ住まいの外国人は極めて少ない。何故か。

 山谷ではあまりにも宿代が高いのである。日本人の労働者でも追い立てられるのである。寄せ場も拡散しつつあるといえるであろう。再開発によって、地域の生活空間が大きく変わりつつあるのはなにも山谷に限らない。東京の下町では、地上げによって壊滅してしまった地区がいくつもあるのである。

 東京大改造、再開発を支えるのは言ってみれば山谷の労働者たちである。山谷の労働者は、いつも景気の調節機能として位置づけられてた。しかし、山谷のような空間の存在は常に無視され、差別されている。若い労働者たちはまだしも、歳をとって病気になり、仕事もままらなくなると、追い立てられ、ボロ雑巾のように捨てられる。外国人労働者に対してもほぼ同じ構造がある。問題は、重層構造の最下層をさらに二重化する形で外国人労働者が最低辺を形成することである。



 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148

 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410

 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411

 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412

 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415

 

2021年8月27日金曜日

外国人労働者問題② 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、建設通信新聞、1991年4月

  01] 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141

02身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142 

 東京の都心から三〇キロ、職場である大学へ通うためにいつも使う私鉄沿線の駅。一年ほど前からであろうか、アジア系外国人の数がめっきり多くなった。もともとその駅を利用する外国人というと決まっていた。残念なことに閉店してしまったのであるが、日本でも数少ないネパール料理の店が町にあった。外国人といえばその店を経営するネパール人夫婦だけであり、町の人によく知られていたのである。そんな小さな町に何人もの外国人をみかけるようになったのは大きな変化だ。

 もっとも昼間の時間には目だたない。見かけるのは早朝か夕刻である。ある朝、極めて早い時間であった。駅を降りて歩くと反対に駅へ向かう人々が外国人ばかりなのである。不思議な感じがしたことをよく覚えている。辺りには畑も見られる。首都圏とはいえ、未だ農村的な風景が残っている町である。そうした町に外国人が住みつき始めている。一体どんな場所に住んでいるのか。

 ひとつの答えがまもなくわかった。キャンパスのすぐ前、門から五〇メートルのところにその家はあった。まさに燈台もと暗しである。木造平屋の一軒屋である。六畳一間に押入と流しの台所がついた小さな家だ。その一角には三軒ほど建っている。学生たちがかっては下宿に借りた。研究室の学生が借りていたこともある。その一部屋から数人の外国人男性が出てくるところに偶然行き合ったのである。フィリピン人と黙されるその男性達は、迎えにきた乗用車に乗って走り去った。ピンとくるものがあった。

 リクルーターが、一軒屋や木賃アパートを借り、そこに大勢が住む形で外国人が居住する、そんな形が増えている、とは聞いていたのであるが、まさかこんなに身近にそうした一軒家があるとはいささか驚きであった。外国人労働者問題はつくづく身近だと思う。しかし、極めて身近な外国人労働者問題が一般に意識されない。都心から三十キロも離れた場所に外国人が居住するのはひとつには家賃の問題がある。外国人が首都圏一帯に極めて少人数で分散的に住んでいること、しかも、日本人とできるだけ接触しない形で住んでいること、外国人労働者問題がみえない理由である。

 何故、わが町に外国人が増えつつあるのか。そのおよその解答もまもなく見当がついた。駅前で不動産屋を開いているO君が専ら外国人のために借家を斡旋しているのだというのである。近くに立地する工場で働くブラジルからの研修生の住居を紹介してくれといわれたのがきっかけであった。外国人というと全て断わられて困り果てて相談を持ち込まれたのである。以後、様々な情報ネットワークを通じて外国人客が増え出した。知合いを頼って仲間が集まるパターンである。

 不動産屋以外で、わが町の外国人居住の実態に詳しいのがタクシーの運転手さんである。意外なことに、外国人労働者は専らタクシーを利用するのだという。地理に暗いということもあるが、日本人と接触したがらないのだという。コンヴィニエンス・ストアは、彼らにとっても極めて便利がいいのであるが、そこで沢山買い込んで荷物が重いということもある。大勢で利用すればタクシーも割安である。何人かの運転手さんに聞くと仲間内の情報を合わせればどこに外国人が住んでいるか大体わかるという。外国人労働者が首都圏近郊でどうした暮しをしているか、ぼんやりと浮かび上がってきはしないか。

 日本全国の建設現場で外国人労働者がどの程度就労しているのか、その実態は明らかでない。法務省の「昭和63年における上陸拒否者及び入管法違反事件の概況について」によると、不法就労者の総数男、八九二九人(総数一四三一四人)のうち、土木作業員は三八〇七人である。約四割が建設業関連ということになる。しかし、「不法就労」はもちろんそんな数字にとどまらない。

 同じ統計で、不法就労の多い国は、アジアからの「不法就労」者が圧倒的で、フィリピン五三八六人、バングラデシュ二九四二人、パキスタン二四九七人、タイ一三八八人、韓国一〇三三人、中国五〇二人の順である。入国目的別に入国者数をみてみる。観光ビザによる入国者総数九十七万八千人のうち、アジアからの入国者が五四万人、アフリカから二千四百人、南米から一万八千人である。もちろん、全てが不法就労の疑いがあるなどという、乱暴なことを言おうというのではない。強調したいのは公式の数字が実態からかけはなれているということだ。

 外国人登録者の数をみると、韓国朝鮮の六十七万七千人、中国の十二万九千人、アメリカの三万三千人に続いて、フィリピンが三万二千人、タイが五千三百人、バングラデシュ二一〇〇人、パキスタン二千百人といった実態である。フィリピンから九六〇〇人、パキスタンから九千二百人、タイから一万九千人といった入国者数と不法就労者の数を比べてみると、十倍から二十倍、一五万人から二十万人の不法就労者が日本に滞在すると推測されるのである。

 この大変な数の「不法就労者」はどこに住むのか。わが大学のある首都圏近郊の町の様相がその一断面である。あちこちの工事現場を覗いてみる。出入国管理法の改定以降も多くの外国人を労働者をみかける。外国人の就労が中小の現場で日常化していることは容易に推測できる。しかし、その実態には眼をつむられている。建設業界の重層下請けの構造と「不法」というレッテルのために覆い隠されているのである。




 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148

 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410

 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411

 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412

 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415

2021年8月26日木曜日

外国人労働者問題①、 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理 建設通信新聞、1991年4月

 01 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141                            

                                   布野修司 

 外国人労働者の問題をめぐってはこの間多くの議論がなされている。未曽有の建設ブームによって職人不足、技能者不足、建設労働者不足の問題が深刻化するなかで、また、外国人労働者をめぐるトラブルがマスコミなどで大きく取り上げられるなかで、外国人労働者の受け入れの問題が大きくクローズアップされてきたのであった。しかし、外国人労働者問題は必ずしも一過性の問題ではない。「3K」、「6K」による若者の建設業離れ、現場離れは決定的であるが、より本質的で深刻なのは出生率の低下で若年労働者の絶対数が減少基調にあり、これ以上の新規参入は望めないということだ。若年労働者の新規参入促進の処方策が大きなテーマとなる一方、未開拓の労働市場として、女子労働者や高齢者とともに外国人労働者に焦点が当てられ始めたのである。

 しかし、外国人労働者問題は必ずしも以上のような業界の一方的な位置づけにおいて論じきれるものではい。日本社会の国際化という課題と絡み、国際経済の問題だけでなく、歴史的、社会的、文化的な問題の総体に関わる。建設業界のみならず他の分野を含めて一般的に外国人労働者問題をめぐる議論をまとめてみればおよそ以下のようだ。

 わかりやすく開国論、鎖国論、必然論にわけよう。

 開国論:日本とアジアを中心とする発展途上国の経済格差が続く限り外国人労働者の流入はなくならない。また、日本の産業界の重層下請構造を支える零細企業、中小企業の人手不足が深刻化しており、それを受け入れる需要が存在する。すなわち、送り出す国にプッシュ要因があり、日本にプル要因がある。需要と供給がマッチするのだから開国は当然である。外国人労働者の受け入れを拒否して非合法なものとしていることが、悪質ブローカーをばっこさせ、不法就労を陰湿なものとしている。外国人労働者を受け入れることは、労働力の確保が可能となるだけでなく、発展途上国の経済発展の寄与ともなり、人づくりの援助ともなる。また、そのことが経済的安全保障ともなる。

 鎖国論:外国人労働者を特に単純労働、不熟練職種に導入すれば、労働条件の低下や失業率の上昇を招く。業界の構造改善のむしろさまたげになり、日本人労働者の賃金、労働環境の改善にも悪影響が出る。外国人労働者が増えれば単純労働のみならず専門技術職にもやがて進出すると日本人の失業につながる。外国人労働者は雇用の調節の役割をもち不安定な立場に置かれる。教育、福祉などの生活環境条件も劣悪におかれる。滞在年数が長期化し、定住化が促進されると社会的コストが増大する。結果として、外国人労働者の差別が起こり、業界全体のイメージも結果的に悪くなる。

 必然論:開国論は、何よりも経済の論理に偏しており、外国人を低賃金労働力として利用する発想が強い。また、送り出す側の問題についての洞察がない。鎖国論は、人種差別的イデオロギーとしての単一民族論を強化する。結果として反日感情を国際社会に定着させる。いずれも、日本で既に起こっている実態について、また、外国人労働者を送り出す発展途上国の実態についての理解を欠いている。外国人労働者の流入は必然的である。また、既にそうした事態が起こっている。日本で働く外国人は不法就労者という烙印を押されて、人権を抑圧されている。外国人差別に対して、その人権擁護が優先課題である。出稼ぎに依存せざるをえない日本社会の構造と第三世界の構造を是正し、出稼ぎに伴う悲劇のない地球社会を実現することが究極的な目標となる。

 開国か鎖国か、外国人労働者問題を論じるにあたっては予め態度を明らかにしておく必要があるかも知れない。いずれの指摘も一理ある。問題が極力少ないように条件をつけて開国していくのがいい、といったところが大方の共通意見ではなかろうか。しかし、現実の事態はそううまくはいかない。国際間のモビリティーをうまくコントロールするなどということは容易ではないのだ。むしろ、一国の利益のみを考えてコントロールするといった発想が問われているのである。

 どちらかと問われれば、筆者は開国派である。それも無条件の開国派である。というといささか無責任にすぎるとすぐさま非難されそうだ。もちろん、あわててあれこれと付け加えねばならない。それなら条件付き開国派かというとそうでもない。つまり、外国人労働者の問題は開国か鎖国かという二者択一の問題ではないというのが筆者の立場だ。どういうことか。

 無条件の開国というのは、必然論の立場に近い。開国を前提として、あるいは開国の実態を前提として、まず外国人労働者の人権の問題などを考えようというのが必然論の立場であるとすると、もう少し一般的に、文化的な背景を異にする人々がどのように共存していくか、その原理を見いだすこと、そして、日常生活においてそれを具体化することがいま問われている、というのが筆者の問いの構えなのである。

 開国か鎖国かという問いの立て方は専ら経済の論理に基づく。また、日本中心的な発想が先行したある意味では傲慢な二者択一論である。鎖国は楽であるが、日本の社会を開いていくことが大きな課題である中で逆行的である。現行の改定入官法は基本的に外国人を締め出す鎖国法である。雇用者処罰制度が作られることによって一層その性格が明らかである。ある程度まで黙認し、景気が後退したり、問題がマスコミなどで大きくとりあげられると締め出す、日本の入管体制は実に巧妙で陰湿である。いま問われているのは日常生活レヴェルでの国際化であり、異質な文化が共存するそのあり方を模索するその絶好の機会が現在なのである。そうした視点から外国人労働者の問題を何回かに分けて素朴に考えてみたい。




02] 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142

 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148

 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410

 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411

 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412

 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415