このブログを検索

ラベル 建築ジャーナリズム の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 建築ジャーナリズム の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年1月31日水曜日

『群居』第15号 特集 ”大野勝彦とハウジング戦略” 1987年8月21日

 『群居』第15号 特集 ”大野勝彦とハウジング戦略” 1987年8月21日

https://drive.google.com/file/d/1ljaNT-7BoUu7TCGux4tYnXqLYZ0BtVz-/view?usp=drive_link







2023年11月8日水曜日

棲み分けの理論へ・・・「形の論理」と構想力、平良敬一氏の「『空間論』から『場所論』へ」をめぐって、C&D、1999

棲み分けの理論へ・・・「形の論理」と構想力

・・・平良敬一「「空間論」から「場所論」へ」をめぐって

布野修司

 

 やはり「西田哲学」にいくんですか、と思わずうなった。平良さんのヴァナキュラーなものへの注視、風土性・土着性・田園性のデザイン言語への期待は、かねてより直接話を聞く機会もあり、大いに共感し自分なりに理解してきたところだが、その哲学的基盤への思索が「西田哲学」へ向かいつつあるとはいささか意外であった。

 かって「西田哲学」を「社会的実践の理論としてはあまり有効性をもたない」と考えていたマルクス主義者平良敬一が「西田哲学」に向かうのにはもちろん理由がある。マルクス主義あるいはマルクス主義の進歩史観と親和性の強い近代的知(諸学)のフレーム(パラダイム)がその有効性を失いつつあるのである。考えるに「近代の超克」という方向性についてはマルクス主義と「西田哲学」には共通性がある。マルクス主義は資本主義の生産力を媒介にして、「西田哲学」は東洋思想を媒介にして「西欧近代」を超えようとしたのである。マルクス主義が歴史の発展段階、系譜や時間に関心を集中したとすれば、「西田哲学」は西欧の知的体系では捉えきれない異質の地域や世界、場所へ向かったのである。

 と、訳知りに言い切るほど「西田哲学」を理解しているわけではもちろん無い。京都に移り住んでいつかは「西田」を読まなければという強迫観念にとりつかれたままである。周辺には「西田哲学」をじっくり学んだ碩学が少なくなくないから、可能ならば触れたくないという気もある。難解な哲学的思索に耽るよりは、アジアのフィールドを飛び回っている方が性に合っている。

 専ら必要に応じて読んでいるのは、哲学的思索の平面を一歩も出ようとしない西田よりも、今西錦司以下の生態史観に関わる京都学派の著作である。とくに「棲み分け理論」に興味がある。人間の主体性を含み込んだ社会の「棲み分け理論」がおそらく建築や都市計画にとっての理論になるだろうという直感がある。具体的には、「世界単位論」「総合的地域研究」の方法が現在の最大の関心である。

 ただ、「西田哲学」についてはその最良の継承者であった三木清はじっくり読まなければと思う。西田の「場所の論理」とともに「制作(ポイエーシス)の論理」が気になるのである。要するに三木の「形の論理」と「構想力の論理」が棲み分けの生態学と地域社会をつなぐ大きな手掛かりを与えてくれるように思うのである。



 

2023年5月22日月曜日

未来の読者は無数,建築雑誌,200801

 未来の読者は無数,建築雑誌,200801


未来の読者は無数

布野修司

 成功も失敗もない、どの号にも全力投球したから、「成功した一冊」と言われるといささか考え込むが、印象深いのは2002年1月号「建設産業に未来はあるか!?」であろうか。いきなりメガトン級の批評が寄せられた。その記事を取り上げるについて、理事会で問題にされかけるなど、不愉快な思いもしたけど、実にうれしかった。反応があるということは読まれているということである。いきさつは「編集長日誌(ブログ)」に全て書いたー以降の編集長が「編集長日誌」を引き継がないのは遺憾であるー。

1月号から「カラー頁」を導入したーこれは編集長の意向というより事務局の強い要請であったー、「顔写真」はやめた、短い文章に「はじめに」「おわりに」はやめた、「ニュース欄」の頁数を大幅に削減した、「総合論文集」なるものに一号分差し出した、「月初めに届く」ように締め切りをどんどん早めた・・・まずやったのは紙面刷新であった。

 もうひとつ印象に残っているのは、1200??●号記念のアジア特集{20032月号●?}であろうか。第4回ISAIA(アジア国際学術交流シンポジウム、重慶)に乗り込んで、座談、対談と自らかなりの記事をつくった。

 根っからの編集好きである。『同時代建築通信』『群居』『京都げのむ』と編集に携わり、今も『traverse 新建築学研究』に関わる。9.11が起こり、小泉内閣が船出した、そんな時代に、3万数千部の雑誌の編集長になれたのは実に光栄であった。とにかく楽しんだ。

 だらだらと編集会議はやらない。会議は二時間と決めて、あとはビールを片手に、建築をめぐって色んなことを話した。議論は弾み、多くを学んだ。編集委員が第一に楽しむこと!が編集方針であった。

 ジャーナリズムは所詮その日暮らしのジャーニー(旅)である。しかし、その日暮らしをしっかりと記録するのが最低限の役割である。読者は未来にも無数にいるのだから。





2022年9月14日水曜日

建築ジャーナリズム考,建築批評の不在,日経アーキテクチャー,日経BP社,19920217

 建築ジャーナリズム考,建築批評の不在,日経アーキテクチャー,日経BP社,19920217

建築ジャーナリズム考                            19920217

                 布野修司

                                

 誤解を恐れずに思い切って言えば、建築ジャーナリズムの課題は、それがそもそもジャーナリズムとして成立していないことではないか。もちろん、建築ジャーナリズムといっても様々な媒体がある。一概に断ずることは出来ないけれど、総じて一般に開かれていないのが特徴である。大半は、業界誌・紙、専門誌に留まっている。

 ジャーナリズムというからには、単に、ニュースを要領よくまとめたり、その時々の建築写真を掲載したりするだけのものではないだろう。また、単なる技術的なノウハウを提供するだけのものでもないだろう。重要なのは、建築をきちんと評価する視点である。時代を読む透徹した眼と批判精神が無ければジャーナリズムの名には値しない。

 建築ジャーナリズムは、そうした意味で、本来、論争を提起したり、若い建築家を育てたりする機能をもつ。しかし、例えば、ある種の雑誌で実際に行われているのは、作品掲載の可否、頁数とか順序による、陰湿な建築家の序列づけである。同時発表などという慣習は、建築ジャーナリズムが業界で閉じているひとつの証拠である。

 決定的なのは建築批評の不在である。各メディアは、業界の需要に応じて棲み分かれているのであるが、一般に開かれた建築批評を支えるメディアの創出こそ、もうはるか以前からのテーマであり続けているように僕には思える。




2021年10月7日木曜日

時代を遙かに透視する建築を視るために 『京都げのむ』と『建築雑誌』あるいは『都邑通信』

 時代を遙かに透視する建築を視るために,GAJapan200203/04

 

時代を遙かに透視する建築を視るために

『京都げのむ』と『建築雑誌』あるいは『都邑通信』

 

布野修司

 

 昨年、京都コミュニティ・デザイン・リーグ(京都CDL:http://www.kyoto-cdl.com)という京都のまちづくりに関わる組織を発足させ(20011月)、『京都げのむ』という雑誌を創刊した(1014日)。平行して日本建築学会の会誌の編集委員長に就任することとなり(61日)、今年の1月号から2年間、24号、『建築雑誌』の編集に携わることになった。編集部からの注文は、「建築雑誌というあるエスタブリィッシュした名門の全国規模の(でも、一つの業界内部の)メディアと京都CDLの新しい、挑戦的な、またある種地域的な雑誌に同時に関わられて」、一体なにを考えているのか、ということである。

 メディアということであれば、1850号続けた『群居』に区切りをつけて『都邑通信』(http://www.archi.kyoto-u.ac.jp/funo_lab/)という雑誌も創刊した(2001128日)ばかりだ。また、京都大学では『Traverse---新建築学研究』(20006月創刊:  http://www.archi.kyoto-u.ac.jp/TRAVERSE.html/)の編集委員でもある。編集好きなのかもしれないけれど、何も特別なことをしているつもりはない。様々な次元で考えることがあり、動くことがあり、それを記録しておきたいと思うだけだ。

個々のメディアの目指すところの詳細はそれぞれのウエッブ・サイトに委ねたい。『建築雑誌』については、1月号にその基本的スタンスを書いた。また、編集長日誌(http://news-sv.aij.or.jp/jabs/)を見ていただければ何を考えて編集しているのかお分かり頂けると思う。瓢箪から駒で、全頁カラー化が実現した経緯もそこにある。

京都CDLは、簡単に言えば、タウン・アーキテクト制のシミュレーションであり実践である。各チーム(大学の研究室)がそれぞれ地区を担当し、毎年ウォッチングし、提案を競う。それを記録するのが『京都げのむ』である。基本的に若い仲間の手に編集権がある。京都にとってかけがえのない遺伝子を発見し維持したいという思いがその命名に示されている。

半年ほど編集委員会で議論を重ねた末に1月号の特集テーマは「建築産業に未来はあるか」となった。日本の建築生産の仕組みが今こそ問われているときはないという判断がある。そして、日本の建築界が大きく転換しつつあることと京都CDLの動きは無縁ではない。というより、日本の建築家の職能の行方(生き延びる道)を鋭く直感するが故の京都CDLの運動なのである。

見るところ建築ジャーナリズムは軒並み元気がない。要するに面白くない。不況で建築作品に力がなく、広告が経るのだから仕方がない、と言うなかれ。常にテーマはあり、やることは山ほどある。どんな時代であれ、時代の根を記録すべきだし、建築の方向をめぐって議論を先導すべきである。

はっきりしているのは、建設投資が国民総生産の2割を占めるそんな時代は最早あり得ないことだ。先進諸国をみても明らかなようにそれは半減してもおかしくない。そして、スクラップ・アンド・ビルドではなく、建築ストックの再利用、維持管理が主体となっていくことも明らかである。地球環境全体の問題が大きく主題化され、省資源、リサイクルなど既に大きなテーマになりつつあるところだ。そして、建築家の多くは地域社会との結びつきを強めて行かざるを得ないことも見えている。だから、タウン・アーキテクト(コミュニティ・アーキテクト)であり、まちづくりなのだ。そして、もうひとつ挙げるとすれば、海外だろう。地球を広く見渡せば、まだまだ日本の建築家を必要とする多くの地域がある。すなわち、維持管理、まちづくり、国際化は日本の建築家のめざすべき方向に関わる3つの分野である。

そして、それ以前に建築界全体に求められることがある。歴史的に問われ続けてきた建築産業の体質が最終的に問われているのだ。公共事業に対する説明責任、設計そして施工に関わる業務発注の適正化、建築家の資格、報酬、保険、・・・要するに、建築界をめぐってテーマは目白押しなのである。建築ジャーナリズムは時代を遙かに透視する作品(言説、活動)を視ているかどうか、どう組織できるかが勝負であろう。

『建築雑誌』は従って特集テーマに困ることはない。学会、会長の掲げる方針をこなすのでも大いに忙しい。『京都げのむ』の方も、具体的な地域で何が起こっているかを記録するだけで大変である。例えば、都市再生の大合唱は果たして何を意味するのか。不況だというのに、京都の都心にマンションが林立している。考える事はいくつもあって、住んでいる場所を問うのが原点となる。『都邑通信』では、京都について一冊ものするつもりで、連載を開始したところである。