建築ジャーナリズム考,建築批評の不在,日経アーキテクチャー,日経BP社,19920217
建築ジャーナリズム考 19920217
布野修司
誤解を恐れずに思い切って言えば、建築ジャーナリズムの課題は、それがそもそもジャーナリズムとして成立していないことではないか。もちろん、建築ジャーナリズムといっても様々な媒体がある。一概に断ずることは出来ないけれど、総じて一般に開かれていないのが特徴である。大半は、業界誌・紙、専門誌に留まっている。
ジャーナリズムというからには、単に、ニュースを要領よくまとめたり、その時々の建築写真を掲載したりするだけのものではないだろう。また、単なる技術的なノウハウを提供するだけのものでもないだろう。重要なのは、建築をきちんと評価する視点である。時代を読む透徹した眼と批判精神が無ければジャーナリズムの名には値しない。
建築ジャーナリズムは、そうした意味で、本来、論争を提起したり、若い建築家を育てたりする機能をもつ。しかし、例えば、ある種の雑誌で実際に行われているのは、作品掲載の可否、頁数とか順序による、陰湿な建築家の序列づけである。同時発表などという慣習は、建築ジャーナリズムが業界で閉じているひとつの証拠である。
決定的なのは建築批評の不在である。各メディアは、業界の需要に応じて棲み分かれているのであるが、一般に開かれた建築批評を支えるメディアの創出こそ、もうはるか以前からのテーマであり続けているように僕には思える。
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