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2022年9月30日金曜日

カンポンの世界,雑木林の世界14,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199010

 カンポンの世界,雑木林の世界14,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199010

雑木林の世界14

 カンポンの世界

                                  布野修司 

 この夏は暑かった。東南アジアに度々出かけて暑さには慣れていたつもりであるが、さすがにバテた。年かもしれない。七月末に能代で恒例になりつつある三大学合同の合宿(インターユニヴァーシティー・サマー・スクール *1)をした後、八月は、単行本をまとめるのにかかりきりになった。インドネシアのカンポンについての本だ。仮のタイトルを『カンポンの世界ーーージャワ都市の生活宇宙』という。

 十年ほど通ったインドネシアのカンポンについての調査研究は一応論文*2の形でまとめたのであるが、それを読んでくれた、ある編集者が本にしてみないかと勧めてくれたのである。もちろん、一般向けに書き直すのが条件である。最初、一般の読者は得られないのではないか、と躊躇したのであるが、ベテランで尊敬する編集者の重ねての勧めに作業をしてみようと思ったのである。うまくいけば、年内に出るかもしれないし、永久に出ないかもしれない。久しぶりに一生懸命勉強したという感じである。共同の編集作業が楽しみである。

 カンポン(kampung)とは、インドネシア(マレー)語でムラのことである。今日、行政単位の村を意味する言葉として用いられるのはデサ(desa)であるが、もう少し一般的に使われるのがカンポンである。村というより、カタカナのムラの感じだ。カンポンと言えば、田舎、農村といったニュアンスがある。カンポンガン(kampungan)とは田舎者のことである。しかし一方、都市の居住地も同じようにカンポンと呼ばれる。都市でも農村でも一般にカンポンと呼ばれる居住地の概念は、インドネシア(マレーシア)に固有のものと言える。

 ところが、しばしば、カンポンはスラムの同義語として用いられてきた。特に、西欧人は、カンポンをスラムと思ってきた。確かに、そのフィジカルな環境条件を見ると、都市のカンポンはスラムと呼ぶに相応しいようにみえる。生存のためにぎりぎりの条件にあるカンポンも多い。スクオット(不法占拠)することによってできあがったカンポンも少なくない。しかし、それにも関わらず、カンポンは決してスクオッター・スラムではない。 

 カンポンの世界は何故か僕を魅きつけてきた。今度の本で、僕は、カンポンの魅力について語ろうと思ったのである。何故、カンポンなのか。要するに面白いのである。日本の、のっぺらぼうな居住地が貧しく思えるほど活気に満ちているのだ。

 カンポンは地区によって極めて多様である。そして、それぞれが様々な人々からなる複合的な居住地でもある。カンポンは、民族や収入階層を異にする多様な人々からなる複合社会である。異質な人々が共存していく、そうした原理がそこにはある。

 日常生活は、ほとんどがその内部で完結しうる、そんな自律性がある。様々なものを消費するだけでなく、生産もする。ベッドタウンでは決してない。相互扶助のシステムが生活を支えている。つまり、居住地のモデルとして興味深いのである。カンポンは、決してスラムなんかではないのだ。

 カンポンは、ジャワの伝統的村落(デサ)の「共同体的」性格を何らかの形で引き継いでいる、という。ゴトン・ロヨン(Gotong Royong 相互扶助)、そしてルクン(Rukun 和合)は、ジャワ人最高の価値意識とされるのであるが、それはデサの伝統において形成されたものだ。そして、それは現在でも、カンポンの生活を支えている。

 カンポンには、ありとあらゆる物売りが訪れる。ロンボン(Rombong 屋台)とピクラン(Pikulan 天秤棒)の世界である*3。なつかしい。かって、日本の下町にも、ひっきりなしに屋台が訪れていたのだ。

 カンポンの住民組織であるルクン・ワルガ(RW Rukun Warga)、ルクン・タタンガ(RT Rukun Tetannga)というのは、実は、日本軍が持ち込んだものだという。町内会と隣組である。しかし、それが何故今日に至るまで維持されているのか。日本の町内会と隣組がどうしてインドネシアに根づくことになったのか。

 カンポンについての興味はつきないのである。

 もうひとつ、カンポンをめぐって興味深いのが、カンポン・インプルーブメント・プログラム(KIP)である。KIP(キップ)とは、フィジカルな居住環境整備の手法として、住宅地のインフラストラクチュアである歩車道、上下水道、ゴミ処理設備等、最小限の基盤整備を行い、住宅の改善については、居住者およびコミュニティーの相互扶助の活動に委ねるというものである。この手法は、大きな成果を挙げ、同じように居住問題に悩む発展途上国を中心に、世界的にも注目されてきた。

 このKIPについては、次のような興味深いエピソードがある。

 ジャカルタのカンポンを僕が最初に歩いたのは一九七九年の初頭のことであったが、その翌年、このKIPがある建築賞を授賞する。イスラム圏のすぐれた建築を表彰するアガ・ハーン(Aga Khan)賞である。そして、その一九八〇年の第一回アガ・ハーン賞の選定にはひとりの日本の高名な建築家が審査員が加わっていた。KIPは、結果的には全員一致で選ばれるのだけれど、その建築家はひとりだけ反対したのだという。聞けば誰でも知っている建築家である。余程、インパクトが強かったのであろう、いくつかの場所でその時のことを繰り返し述べている。

 「スクオッターというのは、不法占拠地域という意味です。難民とか、職がなくて都会に出てきた人が、その土地が誰に属していようとおかまいなく集団で丘やら原っぱを占拠し、そこに勝手に家を建てることによってできた村や町をいいます。そこには初めは電気もなければ水道もない。それを徐々に改良していって、道もでき、汚い水を流す開渠もでき、水も電気も引いてきて、さらに全体のコミュニティーセンターになるような施設も造る。こうしてできた村の例をいくつか挙げて、これにも賞をやってほしいというわけですよ。建築賞という名前がついているんですから、ある程度の文化性がないと困るんじゃないかと私は主張したんです。」

 ここで語られているのが、カンポンであり、KIPなのである。カンポンやKIPには文化性がないのだという。僕の立脚しようとする建築観とこの日本を代表する建築家の建築観とは全く異なっているようである。いささか不安になるが、違うものは違うのだから仕方がない。恐れながら、今度の本を精一杯の反論としようと考えたのであった。

 カンポンについて考えたことと、日本の都市や住居について考えることを、もとより、区別しているわけではない。カンポンに学んだことをどう自らのものとするか、こんどの本を通した僕のテーマである。

 

*1 拙稿 「秋田杉の町能代を見る」 『室内』 一九九〇年九月号

*2 『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究ーーーハウジング・システムに関する方法論的考察』 一九八七年

*3 拙著 『スラムとウサギ小屋』 青弓社 一九八五年

 


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