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2026年3月25日水曜日

『群居』50号 最終号 対談・群居回顧・・・未来のために/布野修司+野辺公一

https://drive.google.com/file/d/1_1desGB06pVldNeqddL5TGE9iPXGyYHy/view?usp=drive_link
対談 群居回顧・・・未来のために
布野修司vs野辺公一 
オブザーバー:大野勝彦 

 群居の初心

 野辺 50号ということだけど、当初計画していた年4回刊行ということからすると4×17年で68号出してなくてはいけない計算だけど、これが50号ということは通年でいくとやっぱり年3回体制だったということだね。『群居』が一貫してこだわり続けてきたものは何か、ということを議論しなくちゃいけなくて、当初布野プログラムでは、季刊だから年4回ということで一つは都市計画より、それからデザイナー論というかいわゆるアーキテクト論、生産論があって、住まい手論があった。バックナンバーを見ていくと一応忠実にやってきたんだけど、一九八三年以降建築家のかかわる領域が邁進する資本主義の速度に理念的に追いつかなかった。それからすごく古いイメージの建築家論と調整役としてのアーキテクト論とか、食える食えないということを別として身体的にも分離してきちゃったじゃないかというのが一方であったわけです。

 布野 最初何て言ったっけ?

 野辺 都市計画論。大野さんで言えば都市から住宅、住宅から部品まで一貫してシステムとして捉えていこうという発想があって、確かにその通りだということがあったんだけど、僕らの認識でいくとそこはすべて市場性みたいなところで分離されていったという形があって、それはわりと『群居』は抵抗してきたと思っているんだけど。ただ逆に言うと、その先に行っちゃう、要するにそいつらよりももっと先に行ってた部分もあるんだけど、まったく行ってなかった部分もあるなという、そんな感じがしてるんですが、それはやっぱり時代の動きということがあるから、例えばインターネットを使ってやりとり、なんことはかつて想定もしてなかったことだし、外部的な要因もあるんだけど、内部的には建築家というのが一方で脆弱化したんだけど、新たな業態に変更せざるを得なかった部分があると思うのね。

 布野 『群居』の編集の当初のフレームとして、都市計画、建築のデザイン、生産、それから住み手の問題、という四つを確かに設定していた、一年四回順にやっていけばいい、というのが方針だった。

 その前に今野辺さんが言おうとした、建築家はいったいどうなんだというところなんだけど、僕の中では、幻なんだけどHPU(ハウジング計画ユニオン)があって『群居』だという気がずっとあるわけ。

 HPUというのは結局何もしなかったという評価もあるんだけど、刊行委員会と会員のやってることの全体がHPUの活動という気もずっとあるわけ。それが一般的な建築家論というかそういう話にも繋がっていくんだけど、最初四人が集まった時に僕はアジられたんです。建築家はもっと住宅の問題にかむべきだという。大野さんはまさに先端でやってるし、石山は何もやってなかったかもしれないけどコルゲートいっぱい作ってある種の何ていうか住宅と言えば住宅だけど、理論的に言えば工業製品を使って既存の部品のメカニズムと違うところで表現を成り立たせるみたいなことがあった。渡辺さんも全然違うみたいだけれど、建売やってみせたり、標準住宅001とか言ったりして、何か大きな意識があった。まあ渡辺さんはRIAにいたわけだから、戦後にラムダハウスとか標準のプロトタイプをつくるとか、戦後建築の初心の意識も多少引き継いでいるからね。

 八三年段階では、これは僕の言い方になりますけど、建築家が高度成長期にバーッと絵を描いたりしてたけど、結局何もタッチしてなかった。結局日本の住宅を動かしてるのは六〇~七〇年代に成立したメーカーだった。公団公社もあるけどね。その辺で一番かんでやってる建築家は大野さんだった。僕は組織的に何かできないかと直感したんだ。

 当初、あまり記録に残っていないかもしれないけど、四人で長崎の島崎工務店とかいったり、なかなかスタートがうまくいかなかったけど、うまくのってたらもしかしたら別の会社が出来てたりしたかもしれないですよ。結局はほぼバラバラで動いて行くことになるんだけど、それぞれが表現すればよくて、その動きが『群居』の誌面に反映されればいいというのがあった。当初『群居考現行』なんていうのがあって、いろんなところに行って、アクション起こしてという企画があったけど、だんだん刊行することが自己目的化していった。一つは四人プラス刊行委員会といってる部分がこの十何年間で何ができたのか、まわりの環境と実態がズレてきたということがある。当初のHPUという幻想は最初だけあって一七年が過ぎたのかもしれない。それで、これからもズルズルっていうのもないんじゃないかっていう気も僕はするんですよ。

 冷静に見て、二〇年前と今とで建築家のあり方がどう違ってきているのか、野辺さんはどう思うわけ。僕はあまり整理ついてないんだけど。

 

  HOPE(地域住宅)計画

 野辺 一つは、『群居』を最初にやった時に、HPU宣言では島田建設のあれもあったんだけど、ビルダーとか工務店向けにも何か言おうよっていう・・・

 布野 一つはあったんだけど、大野さんの『地域住宅工房のネットワーク』を出したのは何年ですか?

 大野 一〇年前。

 布野 だから五年くらい経ってから出してるから、ハイムからは既に地域にターゲットがあった。

 野辺 要するにビルダーとか工務店のような生産組織と大野さんのいう地域建築家っていうか、そこをどうやってラッピングさせるんだっていうのがあったと思うんですよね。その場合ホープ(地域住宅)計画というのが非常に有力な手掛かりだったと思うんです。

 布野 それが重なったわけでしょ。

 大野 スタートが同じなんですよ、八二年で。

 布野 だから一つのイメージとしては、地域ビルダーっていうか、『群居』でも特集やったけど、一方でアーキテクト・ビルダーの路線があって、設計屋が図面書いて済ますんじゃなくて、施工も生産もおりていって、地域で何でもやりましょうと、住宅からまちづくりにつながらないかと。それがホープに重なってたわけです。だけど僕に言わすと、バブルにやられたというか、ほとんどそれが消されたということがある。建築家はバブルで羽振りがよかった。また、住宅の問題はふっとんだんです。バブルがはじけてからのの状況を今日話さなければいけない話なんだけど、あまり読めてないんだね。今、性能表示が出てくるのは一体なんだ。わかるけどね。

 大野 あともう一つは不動産屋をやれなかったですね。

 布野 だれがやれなかったんですか。

 大野 『群居』で。不動産屋を扱わないとどうも抜けてる感じ。

 

  何故、タウンアーキテクトか

 布野 話が前後するけど、たまたま僕の本(『裸の建築家---タウンアーキテクト論序説』)持って来てくれたから言うと、僕が考えたのは、同じ人間だから『群居』でやったことから切れて考えたって話じゃないと思うんだけど、一つは建築家は量的にいらなくなる、ということ。建築家がどうやって食っていくかって時にビルダーを含めて半減しなくちゃいけないって話だから、重要な話ですよ。一つはメンテナンスにいく。『群居』はあまり扱ってないですね。設備的なこととかメンテナンスとか絶対あると思うんですけど、エンジニアリング的なとこ欠けてるわけ。工法とか生産的なとこは得意だったかもしれないけど環境工学的な話なんかね。スラバヤでエコハウス建てて見てわかった。

 もうひとつ町づくりへ本格的にシフトしていかざるを得ない。それが『裸の建築家---タウンアーキテクト論序説』書いた理由です。そうすると、町内会のお世話なんとかじゃないけど、そういうとこで食うしかないかもしれない。どうやって食うかはあまりわかってないんだけど。

 野辺 これ読んでて、前に大野さん言ってたんだけど、日本全国そういう形での建築家はせいぜい一〇〇人もいればいいんじゃないかと。

 布野 僕の構想でいうと最低全国の自治体の数だけはいる。

 野辺 三三〇〇人? まあそのくらいはいるとしても、所詮そんなものだと。つまり一%ぐらいしか成立しないよっていうのがあるじゃないですか。

 布野 一〇〇万人、建築士ベースで。

 野辺 そうすると、そこのとこの淘汰っていうか再編っていうか・・・

 布野 ちゃんと計算してないけど、計算すればはめ込めるっていう気がするよ。

 野辺 じゃあ皆がしがみついている、なんだかんだ言って食ってる部分ていうのは何だ、そこをどうするんだっていうのを『群居』ではあんまりやらなかった。あともう一つは、住宅=町づくりということでいくと、大野勝彦のスタンスというのは一戸だろうと、一〇戸だろうと、一〇〇〇戸だろうと基本的には同じスタンスで設計すべきで、つまり一戸の住宅を設計するということは一つの町を設計することにつながるわけだから、一戸の住宅を設計することは一つの集住を設計することと同じことだというような概念が大野さんの中にはあったと思うんです。だけど、現実の問題としてはできないところがあって、もう一つ僕が気にしてたのは、それをやることによって町の古層をよんでいくっていうか、ようするに依拠するべきものが当然の手法としては一つあったと思うんです。その古層から地域性であるとか特性をどんどん洗い出していってもこれだけの剥き出しの資本性の中で、依拠するのに万能というか依拠し得る根拠だったのかっていうのは良くわからない部分。

 

 笑う住宅が二つ並んだら大笑いだ、でも「住宅=町づくり」へ

 布野 今二つ問題が出されて、前半の部分に関しては一戸つくることは町をつくることにつながるというのは本当はある、と思う。町づくりやるときにわれわれは当然フィジカルな街並み、景観に責任がまずある。コニュミティがどうのこうのとか言う前にね。もちろん、コミュニティにインヴォルブされなければ何もできないということもあるけど、一方で部品でせめた方が早いという戦線があるんですよ。団地計画でもエクステリアの用品を用意しとけば自然に町はできていくという発想が多分ある。それはディベロッパーなりメーカーの住宅地計画レベルでは多分あって、例えば亡くなった宮脇壇さんなんかがセキスイの団地開発でやったようなせめ方がある。一戸一戸つくればいいというときに、一戸が二戸並ぶ時の話をやったかどうかっていうのは記憶が薄いけど、ゼロロットラインとか、総合設計制度とか、法律の話になるとちょっと弱かったかな。

 野辺 例えば石山さんが『笑う住宅』とかいくつか出してくわけです。それで、それが隣にもさらにその隣にも並んだら大笑いになってしまう、それは違うだろうという。

 布野 確かに。石山さんの住宅がふたつならんだら大笑いかもね。ポストモダンはそれでも成り立つかもしれないけど。何か欠けてるんですよ。伊豆で屋根をみんな右近色に塗ったりするからわけがわかんなくなる。もう一つ二番目に野辺さんが言った古層を解読するっていうのは、僕は間違ってるとは思ってなくて、・・・。

 

 地域の古層を読む・・・でっちあげてもいいんだ。

 野辺 いや間違っるとは思ってませんよ。

 布野 部品をどういうスケールでディストリビュートするかということにも関わるけど、例えばバス・ユニットは何百万単位で生産するとか部品によっていろいろ違うかもしれないけど、理念的に、頭の中では、使える材料で作ってローカルにまいていく、それに地域性みたいなものがでてくるかもしれない、というのが理論ですね。そんなものどこでもできてないといえばそうだけど、方法としてはどんなとこでも、コンビナートがたってる工業地帯になっててもそれをさぐればなんか手掛かりがあるはずだ。それを手掛かりに町づくりにつなげていくのは一つの有効な方法だと思ってるわけ。

 野辺 当然ですよね。ただ結局八〇年代、

 布野 そうバブルが強烈だった。

 大野 実は僕の原型は鹿島から始まったんだ。

 布野 波崎ですね。こないだテレビ見てたら、日本一投票率が低いとこだったんだって。漁港ですね・・・。

 大野 変わったね。

 野辺 その頃僕も波崎に行ってたんだけど・・・

 布野 あそこ砂しかないけど、江戸時代の新田開発の跡があったり、戦時中に飛行場に使われていたり、それじゃ何でもいいじゃないかと、要するに、極端に言うと地域性というのはでっちあげればいいと、僕は思った。そこで生きている人の個性を束ねたのが地域性なんだから。投票率が低いのは漁港の地域性でしょう。伝統を守っていけばいいっていう話じゃないから。

野辺 そこを読み取り間違った奴等が大野さんの真似をして、真似をしてるんだけど読み間違っちゃった。ウルトラ原理主義みたいなところにいっちゃってる人がいるじゃないですか。要するにこの地域では極端に言えばくぎを一本も使わないような伝統的なものでいったほうがいいんだとか。あり得ない話がでてくるでしょ。例えば昭和初期のロマン主義っていうか、そういう匂いがしてて、一方で危ない手法なんだなというのがあって、大野さんはハイムとか部品論を持ってるからさーっとそこはやれた。地域というのはそういうもんじゃないんだ。要するに人間の集団の分布の集まりの状況の中で地域というのをつくっていくんだというところがあるわけですよ。

 布野 そうだよね。

 野辺 だけど他はそうではなくて、建物そのもので地域性を演じようとかあほなことやってきたから・・・

布野 それについて言っておかなければいけないのは、それは大野さんのせいでも何でもないとおもうけれど・・・

 野辺 違う違う。

 布野 ホープ計画っていうと、すぐ木造公営ということになった。また、地域型住宅という話になって、有力ビルダーがそれを商品住宅化して、あるいはプロトタイプ化して、売った。その地域型住宅というと、勾配屋根がついてて、伝統型でという、それは全国ありますよ。ステレオタイプ化されたパターンが。それをどう差異化できたか、ちゃんと批判できたかどうか、きわどいんじゃないですか。端々には書いたかもしれないけど。

 野辺 亜流だって一言で言っちゃうのは簡単なんだけど、その方が行政から支援を受けやすいとか、で現実には何のインパクトにもなってない、効果もない、というところで終始してて、一方で地域建築家みたいな匂いを出してきちゃったと言う臭さがあるじゃない。それはだめなんだ、そんなこといくらやっても絶対だめだということを言えたかというと、僕もそうですけど言えてなかった。その辺はありますよね。その一方で彼らはそこにいっていたというのはどういうことかと言うと、都市部を中心としてバブルというものへの攻撃、そこから弾き出されるもしくは避難するという意味でも行っていたというところがあったと思います。で、その一方で、資本的な再生拡大ということに建築家がうまく取り入れられてきた。どこまで自覚的だったかわからないけど取り入れられてきた。

 

  地域住宅生産システムは如何に成立するのか

 布野 そっちへいく前に、スタイルだけの地域型住宅とか、うわっつらの話ではなくて、その地域の住宅生産システムが問題なんですよ。

 野辺 もちろんです。

 布野 今の時代、今後二一世紀にかけて、地域住宅生産システムがどういう範囲で成立して、どうなるのか、エコロジカルな問題も含めてね。多分誰もモデルを作ってなくて、『群居』は終わるけども続けていくテーマとしてはあると思うんですよ。

 野辺 それからもう一つ、地域の生産システムの話からいくと、いきなり言説として従来二五年もしくは三〇年で壊して新たに建てていくから需要が続くんだというレベルの話が、いきなり五〇年とか一〇〇年もたせるんだという、これはエコの問題もあるだろうけど、どうせ人口が減ってくるから住宅投資はでてこないよ、というように急に話が変わっちゃったわけですけど、だから逆に言うと一〇〇年というところになっていったときに、新築での仕事はなくなる、といったとこでもっと地域の生産システムに深く関わざるを得ないんじゃないかというのはあると思う。

 布野 原理的には、五〇年、一〇〇年もつという話になったとき、住宅のコストも上がれば同じ量だけど、あがらないとなったら、それこそ昔の大工が出入りで世話して直しをしたりとかせざるを得ない。

 野辺 だから循環型、要するにそれが適切に機能するのはどの規模なんだというのは見つけられてないと思うんですよ。もう一つ法的な制度との兼ね合いがすっきりしていない。

 布野 昨日たまたまNEXT21の話になったんだけど、一〇戸か二〇戸かしらないけど、あれで成立するのか、エネルギー的に、もっと外部?レベルで成立するのか、地方で成立するのか、これは実験的にでもこれからやっていくべきだと思う。

 

 外国人居住問題の本質

 野辺 地域っていう概念をどれくらいのレベルで考えていくのかっていうのがあまり明快じゃないですよね。もう一つ気にしてるのは、外国人居住というのがもう少し経ったらかなり明確になってくると思うんです。受け入れざるを得ない状況が一方であるし、もう一つは不法入国でも何でもいいんだけど、そうした時に布野さんなんかがやってきた寄せ場というような居住が今後おおきな問題をはらむわけですよ。そういう中で地域の生産システムもしくはコミュニティということと、文化の違う居住スタイルをもった人たちとの融合性をどう考えていくのかということは、先端的な問題としてあるなと思ってる。それはアジア的居住をいろいろ見てきた布野修司としてはどう捉えていくか。

 布野 『群居』でも在日居住の問題やったよ。石山さんが。

 野辺 それは受け入れのスタイルとしての発想で、それを町づくりとかに更に展開していく方法、例えば基本的には今日本人しか建築やってないけど、極端な話半分がアジアの人で一緒にやっていくというような未来像がみえる?

 布野 作ることに関して?、それは大いにあるよ。欧米人呼べばいいっていうじだいじゃないよ、最早。産業構成の問題もはっきりしてる。多分今の日本の社会構造からすると、先進諸国化して、サービス部門を外国人労働者に頼るというのは見えてますよ。例えば、介護とか看護も。日本は景気悪いと言ってるけど皆結構金持ってて、海外出かけてる。サッカーの応援なんか。建設労働についても、今寄せ場って言ったけど、僕がいうのは寄せ場的な単純労働部門はあんまり見向きもしない、日本人はね。今は入管でコントロールしてますよ。建設に限らないけど、研修ならということで制度的には受け入れてる。今、企業単位で研修してますから本当の混住は見かけ的にはおきてなくて、島的に、例えば群馬の太田市にブラジル人がいっぱいいるとか、イリーガルには新宿歌舞伎町だとか新大久保だとかある。

 日本では明治以降から在日韓国人とかアジア人の問題があるし、朝鮮半島や台湾、満州を植民地化してたというのもある。戦後初めてでしょう、バブル期にわーっと外国人が流入したのは。今度モスクできたでしょ、渋谷に。あれはトルコの技術者呼んでやったし、そういうことおこってもおかしくなくて、現場レベルではすでに、例えばホテル川久(白浜)の時はイタリア人職人呼んだし、進行するでしょう職人レベルの話としては。

 そういう外国人たちがどういう住み方をするかというのは隠されてると思います。町づくりとしてももっと多様な住み方ができるスケルトンを作るべきだという気はします。グローバルに見たときに日本が絶対おかしい。インド行ったってインドネシア行ったって、いろんなやつがいるのが都市なんだもん。ドイツならトルコ人がいるとか、フランスなら植民地のアフリカの連中が入ってきてと。ヨーロッパの場合は階層社会だから、清掃とかサービス部門に入り込んでる。本当に日本が開くかどうかというのはありますよ。

 野辺 混住というか、そこのとこからみていかないと、一つのポイントとして、要するに地域の住宅、町づくりというのは一方で見失うものがでてきちゃう。

布野 今の話と繋がってないのは、日本の建設産業を半分にしなくちゃいけないという時に、外国人を入れるというのは多分計算が成り立っていない。

野辺 労働者として入れるんじゃなくて、例えば介護でも何でもいいんだけど、それ以外の人たちがもっと公然とっていうか、今までの植民地居住っていうのではない形でなっていくんだろうと、その時の町づくりというか住宅イメージというのは、布野さんはちょこちょこっと言ってたけど、誰もあまり言わないなっていうのが気になって。一番定型的なのは大野さんが言ってるけど、地価の問題とか、そのへんの尺度をどうみとくというのはあると思う。

 大野 建設地余ってるっていうけど、農業的基盤からつっこんだみたいに、その前は軍隊的基盤が建設省に入ってくる、もう一度農業で使うのか、考えていくと、ぜんぜんおかしいって感じ。

 布野 先進的に考えていくと、農業に還るっていうのもあり得るかもしれないけど、量ではそういかないでしょ。

 大野 昔は兵隊帰ってくるでしょ。群馬は農業多かったけどもう家に帰れないでしょ。それで日雇い労務ってことで建設労働始まる。その人たちが戻る場がないというのが問題だった。

 布野 建設産業労働者というのは雇用の調節弁みたいな扱われかたをしているでしょ。公共事業やってこれだけ吸収しましたって話が基本ですね。

 

 やっぱり建築家というのはうさんくさい

 野辺 最初に戻ると、建築家っていうのが極めて曖昧なんですよ。業務の幅としてもいわゆる代願やってる人から磯崎新まで、これひとつのつながりなのかということを考えていくとどうみても違うなと。その切れ目はどこにあるっていうのがあまりはっきりしない。

 布野 なんだかんだ言ってもそれが建築なんですよ。僕は実際に建築やらないけど、建築しかないかなという気はある。例えば都市コンサルタントの連中とか一般の町づくりがなんだかんだ言ってる連中の話聞くと、一体それは何なんだと、逆にこっちがわかんない部分がある。それはいっぱい大事なことはありますよ。地域とか介護の問題とか、彼らは別にフィジカルに住宅がなんであろうと別に気にしない、プレハブだろうとなんだろうと。スターアキテクトっていうか、安藤忠雄でもなんでもいいけど、やっぱり何かのイメージ、住み方とか建築の空間のイメージを出すとか、それをやってみせるとか、そういう役割はある。

 野辺 それがずっとおりてくると、・・・

 布野 変なのもいますよ、そりゃ。僕の最初の意識ではHPUとか始めるときの意識はそうなんです。イメージだけではリアライズされていかないし、絵を描いた。そのためには生産の仕組みにも手を出すべきじゃないかと。そんなこと言っても繋がってないじゃないかというのが野辺さんの言い方かもしれないけど。全然別の市場だったり、業界の動き方してて、乖離してるんじゃないかっていうんでしょ。だけど繋がるべきだと。

 野辺 資格とか別として、最近工務店みてると設計事務所、アーキテクト・ビルダーっていったらいいのかよくわかんないけど、設計行為しかしてなくて、あとは大工とか調達して請け負いをやってる人たちも結構いるんですよ。

 布野 それが普通。

 野辺 それを遠くからみると工務店という言い方をするし、請負じゃなくてそれだけやってると設計事務所と呼ばれる。両者の差異というのは実はリスクをどう受けてるかどうか。

 布野 責任の問題。

 野辺 そうすると「建築家」っていうのは何だっていう。

 布野 社会的に位置づかないのは責任とってないからですよ。実際とってるのは施工会社でしょ。工務店だったりゼネコンだったり。建築家ってとりえない。だからセコムの会長の保険論って一理あるかなと、要するに保険で担保するしかない。

 野辺 単純にリスクというのと、住まい手と施工業者を結ぶジャッジメントをするやつだという考え方をするやつと、あくまでも設計料としてお金は貰うけど基本的には工務店のチームとして、もちろん住まい手もチームなんだけど、そこで一緒になって最大の彼らの望みとリスクを、コストコントロールとか部品のコントロールをしながらリスクを受けてくというタイプがいると思うけど、そっちは極めて少ないね。何かあると、それは工務店が悪くてオレは悪くない、というようなスタイルは許せない。

 布野 それは許せないでしょ。だから信用が得られないし、設計料もあがらない、ということだと思いますよ。基本的な理念はヨーロッパではクライアントのある種の代弁をやりますと、弁護士の如くクライアントの利益を法廷で守る、医者の如くクライアントの命を守る、建築家もクライアントの財産を守る、ということで成立しているわけです。不法な業者の間に立って理不尽なことを排除しますという理念はあるわけですよ。日本でそれが成立したかというと、今まで相当あやしいわけでしょ。建築家の先生に頼むと金ばっかりかかるとか。

 

 自分で建てて自分で売れ、それが表現

 野辺 逆に言うと地域の住宅づくりのレベルで、何ゆえ建築家がかめないのか、というところに還ってくると思うんですよ。極端なこと言うと何で設計料がもらえないのか、というのが一つあって、もう一つは前に石山さんにも言ったんだけど、あんたそんなにへんな家いっぱいつくりたいんだったら自分で建てて自分で売ればいいじゃないかと。少なくとも他の表現者という人たちはそのくらいのリスクを皆負うぜ、と。そしたら石山さんただ一言「俺達は金もないし、気もちっちゃいんだ」と。それってかなり微妙なとこだと思うわけ、要するに一方でデザイナーとての表現にこだわりつつ、そのリスクはすべて他人に負わせる構造というのは、表現論としてかなりむずかいところにある。

 布野 それ賛成だよ。表現というのは自分でも成り立たせるレベルで表現しないとまずい。人の金使って好きなことやるって言われても。

 野辺 何ていうか、パトロネージュの構造っていうか、その辺がはっきりしないと建築家像がみえてこない。だから地域でもあいつらにたのむんだったら、要するに住まい手も俺達にリスクを感じない公共でも便所でもやってくれ、となっていっちゃう部分だと思うんだよね。

 布野 僕がタウンアーキテクトっていってるのは、フレーム、骨組みを提出するやつ、個々のデザインは差別化してもいいけど、この町はこういう骨格で作るというやつが必要だということなんだよね。

 野辺 確かにその通りで、昔から言ってたように大工のイメージができてて、例えば建て替えするならこれはこういうふうにしたほうがこの町としてはとってもいいんですよ、といった時にこれを担保する制度って何かあるの?

 

 みんな市長になれ・・・それで何ができるか

 布野 僕に言わせるとそれは市長なんですよ。市町村長なんですよ。町づくりというのは自治体が責任をもって、権限をもってやるべきなんですよ。市長が得意じゃなければ委員会でもいいんですけど。

野辺 もっと進めていけばそこの市ではこういう計画がある、おれが住むんだったらこっちよりあっちの計画の方がやりやすそうだとか、そういう選択性が明快じゃないわけですよ。そこまでいけばおもしろいのかなと思うんだけど。

 布野 それは別の話で動くと思いますよ。分権があって、税金とか、どう動くかわからないけど、もしシステムとしてうまくいけばここへ住むより向こうのがいいとか。メディアが発達したら山奥でも在宅オフィスシステムで動く可能性はあると思いますよ。町づくりという点では動くというより、それぞれやり方が違ってもいいと。

 野辺 それはかなり成熟した大衆社会というか、大衆性みたいなものを前提としてるわけよね。そこが非常にむずかいという感じがするけど。そこまで言った時に、マスターアーキテクトは三、三〇〇人いればいいんですよ。

 布野 大小ありますからね。それに三、三〇〇がいいかどうか・・・

 野辺 最大でも一万人いればいい世界ですよ。

 布野 淘汰の時代だから、差別化しましょうよ、って話でしょ。群居だってそうだったんじゃないかと僕は思うわけ。

 野辺 人材の問題もでてくるんですけど。そういう志向性というか理念性みたいなのが与えられてないとこで、建築教育とか職人教育もそうなんだけど、問題がある。

 布野 大問題ですよ。

 大野 それを今の二〇代、三〇代前半の人たちに質問したときに、どう返ってくるか。

 布野 今、タウンアーキテクト論を大学院で講義してるけど。

 大野 反応はどう?

 布野 すごくいいですよ。いいんだけど、他人事みたいなことをいうやつがいっぱいいるのが困る。おまえの話だろう、と言い返すんだけど。今神戸大でもしゃべってますけど反応はいいですよ。一理も二里もあるっていう。

 大野 『群居』始めた時、布野さん三三歳くらいだったと思うんだけど、今の同年代の人たちが、群居的じゃなくてもいいんだけど、どういうことをするかしないか?

 野辺 一番の問題は、おまえら理念があったって何か意味があるのかっていうのが多分若い方からは一方でそういう話があると思うの、あいつら感がいいから。

 布野 そんな若いやつがいたらいい方だよ。今、建設産業だめだから就職でもいまゼネコン離れなわけ。それにゼネコンがほしいのは施工なんですよ。施工へはいかない。

 

 やっぱり、現場が面白い

 大野 どういうとこなら手あげます。

 布野 やっぱり建築やりたい、例えばアトリエ的なとこ一割くらい。

 大野 そのパターンは変わらないね。

 野辺 具体的に作品をやってみたいわけでしょ。そういう志向性とタウンアーキテクトをやりたいという志向性ってあるの。

 布野 僕の研究室は、職人になって京都の町の現場へ行くなんてのがいる。ちょっと変わってるかもね。木匠塾なんか嬉々としてやる。あれ不思議なんだけど。具体的につくりたいんだよね。

 野辺 そこまでいったときに、じゃあ建築家的な役割と生産から統合的にやってしまう部隊と、その差異は何だっていうとこまで・・・・

 布野 一番おもしろいのは線引いてモノになるときの、その取り合いのとこなんだね。要するに現場を知らない。その訓練をするとこが、学生にそんなことを教えるやつがいないから、それがまず問題。それを訓練して世の中にだせばどっちでもいいわけ。うまいやつは職人をやればいいし、知ってるやつは線引いて、コンビくんで、現場とディテールとつながって全部やれるやつがアーキテクトでいいわけですよ。それが繋がってない。「裸の建築家」っていうのはそういうことですよ。ぜんぜん技術もないし、役に立たない。

 野辺 どうしてそうなったのかもわからない。

 布野 雨漏ったときにも何でかわからなくておろおろして何の手立てもできない。職人がちょっとやってふさいだほうが早い。

 野辺 最初に言ったリフォームだとかいうときにまったくわかってないから、設計事務所は部隊になり得ない。

 

 ストック型現場へ???

 布野 切り替えないといけない。ストック型の実践教育をしないといけないですよ。

 野辺 ストック型の現場へ行って設計事務所どうですか、って聞くと、じゃまなんだと。

 大野 若いうちにやらないとだめかもしれないね、頭でっかちになっちゃって。

 野辺 大野さんの話聞いてると、石山もそうだけど、現場行って石ころ投げられたりという話が冗談でも出てくるでしょ。でも今の人たちの話聞くとそういう話全然ないもんね。

 布野 若いから大工さん教えてくれるんですよ。あまりえらくなってしまうと言ってくれない。

 野辺 そういう意味でいくとタウンアーキテクトというチーム、それから一戸一戸現実に担うアーキテクトという像があったとすると、それに対する人材養成ってまったくないというのがあって、ぎゃくにいうと今までわれわれが向けてたビルダーとか工務店に対してもそういう意識をもってるかというと、もってないですよね。

 布野 僕は大学にいるからその辺は致命的というか、ひどいよ。今度ものづくり大学できるから、これも苦戦するかもしれないけど、予想はあたるかもしれないですよ。どういう教育をしてどういうふうにシフトして、とか本当はいろいろ議論しなくてはいけないけど一切ない。建築家が都市計画やるのはヨーロッパでは当たり前なんだって、大学の授業で英国の学生がいうんだ。日本はどうして・・・というわけ。

 

 リフォーム市場へ???

 大野 東大で都市工つくったときに、日本の社会が何かへんなふうになったかもしれない。

 布野 都市工はあってもいいんだけど、あと土木との関係かな。きのう会った同級生の川端直志って都市工でてるけど、おまえの武器は何だってなったときに都市開発論という。しかし、そうするとみんな制度でしょ、ヨーロッパの制度はこうなってるとか。それを知ってるのが武器なんですよ。

 大野 今若手の先生そこんとこやってるんだよね、だけどなぜかうまくつながらない。

 布野 それはやっぱり利権の構造がそうなってるから。例えば全部市町村でやれればいい。えらそうにいうとそれが自治体でしょ。

 大野 うまくいった場合は、市長は相当傷つきながらうまくまぜた場合ですよ。もう一つはその部署に土木でも建築でも設備屋でもいいけど、美意識をもった若いのがいる場合。

 布野 だからタウンアーキテクトが自治体の数だけ三、三〇〇人っていうの賛成なんだけど、建築主事はもうちょっと少ない二〇〇〇人、一七〇〇か、それでいい。だけどそれが能力がないとおっしゃるから・・

 野辺 あとは行政側というか権力側が理解度がまったくないから、こいつとこいつとこいつにここは託そうという話が全然ないじゃない。それに繋がって考えていくと、マンションの建て替えとか、ストックの再生という話の場合も、誰を何の根拠で選ぶのかというところにもまた一つ問題がでてくる気がしてる。

 布野 それは誰を、設計者を?

 野辺 設計者をどうやって選ぶのか、誰が選ぶのかというポイントがあるわけですよ。例えば妙に素人うけしてて実は何もないやつとか。そういうところでそれが選ばれていくとか。

 布野 マンションのリフォームとか、都会では市場になってると思うけど、これからでしょう。

 野辺 これからのことで、だからこそタウンアーキテクトというのが機能してもらわないと困るわけ。布野さんの考えてるのとちょっと違うんだけど、ストックの再生とか、現実にはドロドロした問題が起きるわけですよ。それをやり得るのは、多分ここでいうタウンアーキテクト的な資質をもったやつ。

 布野 それは含めてるよ、タウンアーキテクトの職能に。今の首長は公共事業で補助金システムで、土建業界がくっついてて選ばれる。だけど実際はもう終わるでしょ、河川とか道路とか皆整備されちゃってるんだから。単純労働で地域に日銭を落とすというけど、それを今後は修理の方に回せばいいだけでしょう。

 

 アトリエ作家の役割

 野辺 一方でそういう像がありながら、作家というかアトリエ派というか、建築家像がイメージとして強い。

 布野 野辺さんが過剰に思ってるだけで、実態は組織事務所とか、環境的システムの方が請け負っている。

 野辺 それは充分わかってる。

 布野 そこへ風穴を開けるためには個人の名前をもったアトリエ派の役割もあると思う。野辺さんはアトリエ派にきついけどね。

 大野 メディアが偏ってるからじゃないかと思うんだ。

 野辺 片方でそういうのがありながら、それとどうやって通底する、風穴が開くのかって。

 布野 だから群居はそれをやってきたって。

 野辺 そうだけど、

 布野 石山みたいなドンキホーテ使って繋げる。職人と町づくりをやるっていうことで彼は彼なりに踊ってきてる。

 野辺 僕言ってるのは若いやつの方イメージをしていって単純に何か一個できましたっていうような世界があって、簡単には繋がんないんだろうなって。

 布野 若いやつは修業して最後はタウンアーキテクトになる、それが上がりのイメージですと、その上はもっと国際的に。原点は仕事で食っていく。能力あるやつは公共建築やればいいし。フランスなんかでも若いときは公営住宅の図面引いたりしてそれでデビューしていくわけだから。

 野辺 もう一つは公共とくっつかない設計者というのの生存領域というのはたしかに布野さんのいうようになってて

 布野 民間はまた別でしょ。民間は自治体がコントロールするとかそういう関係でしょ。

 大野 公共の力はものすごく落ちてる。

 野辺 そうですね。お金ないですね。

 大野 パワーが落ちてるって最近感じてる。

 布野 僕に言わせると簡単で、限られたパイをどうやって分けるか。要するに一部の能力のあるやつに回す評価基準があればいい。地域で議論を積み重ねれば基準はできる。これは僕は楽観的なんだ。

 野辺 どっちだと思います?

 

 構想力が問題

 布野 現実にはいかないですよ、利権の方に動くから。いかないけど、それを利用してその中でモデルを作って、全体の制度なんていらない。どっかでやってみせればいいわけ。ただ、石山個人でやるようなものじゃだめで、もっと広げた話として一個の町や村をぱくってぐらいでやらないと。それは群居でやりきれなかった。大野さんホープいくつやった?

 大野 一〇個。

 布野 僕も島根県の松江だとか出雲はやろうと思ってるけど、こっちがあまりでっぱると今のシステムとかち合うわけ。だからしばらく引かないと。またあったら行くとかね。

 野辺 大野さんのみてると、モノを作るというより、あまり好きな言葉じゃないけど、人作るというか根付かせるというか。

 布野 人の人生を狂わせるわけですよ、アジって。僕も狂わされた。

 大野 モノがないと伝わらない。

 野辺 勿論そうですけど、メディアがモノだっていうことなんだけど、そっちのがいいんだなって感じはするんだけど。

 布野 概念とモノですよ。モノは反発もくらうけど、下手やるとね。

 野辺 他は圧倒的に建築家がもってる構想力が弱くなってる気がするんですよ。それがもっと先に出てくるというか、先を読めるというか、きちっといかないとだめだな、と。どんな提案してるかというと、何のことはない家一戸、それもろくな提案じゃないというところで終始しているから、だから僕はいなくていいと思ってるわけ。

 布野 概念提示。構想力のことでしょう。その言い方に関しては誰でも建築家になり得るんだよね。

 野辺 だからそこのところを、要するに建築家という制度が先にあるんじゃなくて、こういう業態やってるのそれ何?やっぱりそれ建築家なのよ、ってとこでいかないと、もっとおびやかさないと。一〇〇万人自動的に消滅するわけじゃないからもうちょっとおびやかさないといけなかったんじゃないかなっていう気はしますよね。

 

 家族のあり方

 大野 最終号の対談というより、次どうしようって話になってる。

 布野 総括して、次に渡すということだから。住宅のあり方とか家族のあり方とかまだ話したくて、はっきりしてんのは高齢化と・・・。

 野辺 少子化で、ストックが余ってくる。

 布野 余るし、家族の形が、今核家族で戦後の高度成長を支えるために核家族で、2DKでという労働単位をしてきたけど、それでいかないでしょう、というのがあるじゃない。今グループホームとかコレクティブとか、僕はあんなに急速に制度化されるとは思ってなかった。インドネシアのモデルは先進的だと行ってたんだけど、日本でもそうなった。しかし、いい設計はなかなか無い。今のところは。始まったばかりだ。

 大野 今年の一月号と六月号に住宅雑誌の住宅で発表されたものの住まい手は、一人住宅と二人住宅が二五%を占めている。しかも高齢者だけではない。

 野辺 それが特殊かどうかわからないですけども、少なくとも住宅メーカーなんかがもっているコンセプトでは対応できない居住が増加している。

 布野 所有の問題とリンクするからギャップがどうしてもできる。実際はそうなんですよ。

 大野 一方、都市部では実はオーナー一人二人だから複合居住的なマーケットが増えてる。それを引いてみると、最大六割くらいしか普通にみえる家族っていうのはいなくて、そのうちの半分くらいはまだ親と同居してるって感じだから、リビングっていっても三割くらいしか反応しない。それくらい変わってきてる。

 

 器を用意する

 布野 そう思いますよ。それは見えてたけど、じゃあ器の方がくっついていってるかっていうと、土地の問題があるから、なかなかそうはいかない。メーカー批判した方がいいと思ってるんだけどね。エコハウスとかみんなやってるけど、大丈夫かなあ。メーカーのモデル、学生連れて見に行ったら、二つバーンと作ってある、エコハウスとバリアフリーの住宅。そうなっちゃうわけ、それでめちゃくちゃ高い、エレベーターついてて段差がなくてとか。なんでこれがエコハウスって感じだけど。家族の形がこうなって、2DKでやってきたのがあわなくなるってのは見えてるじゃないですか。やっぱりコレクティブというのはあって個室型の、ただグループホームっていってもいい案がないでしょ。グループホームなのかもっとどうなのか。今の鉄賃というのはどういうのが売れるのか。従来型の学生や単身者入れとけばいいのか、高齢者になったときにどういうパターンがあるのかとか。本当は家族の話したいんだけど、今器の話になってんだけど、それは今の介護保険とか、相当の問題だと思う。

 大野 多様化してんだけど、わけちゃうくせがあるのかもしれないね。組み合わせを考えないっていうか。

野辺 高齢化してる、今のnLDKでは通用しないんだっていうけど、確かにそうなんだけど、これはストックとして残そうとした場合に、つぎのところに移ったと、要するに同じ住宅だけど住まい手がどんどん変わっていくというイメージを想起できるかどうか。

 布野 三階建てとかやったときに考えたでしょ。上は下宿とか

 野辺 大野さんの好きな大家さんシステムっていう話もあるんだけど、基本的には住宅メーカーレベルというのはそんなこと想起してないわけですよ。そこは決定的な違いなんですよ。いくらストックストックってわめきながらもその仕掛けは全然できてない。

 布野 土地の供給と今言ったようなことがずれてるから、そんな変わらないよね。

 野辺 例のリバースモービルだってとんでもない話ですよね、今や。こんなに皆が家持たせ過ぎたって発想も大野さんの中にはあるだろうけど、

 布野 オレなんかもってないよ。この年で持たないってヤバイと思う。町家借りようかな。

 野辺 家族の話した時に、住宅全能論みたいな、日経なんかのコラムにこういうふうに住むと子供が切れないとか、ばかなこといってるやつがいるじゃん。そんな甘くないよっていうなかで、そっちはそっちで建築家がいかにも家族に対応していますみたいな顔みせてるんだけど、本当はそうじゃないんだ、家族の状況がどうこうよりもっと町に広がってく構想を持ってない限り、そこに単純に一個の特殊な家族の話をもっていっても無効だということにどうして気がつかないのかなって気がするよね。

 

 グループホーム

 布野 誰が? 建築家が気がつかないの? 『群居』が非力って話もあるけど。だけど一個一個の家は勝手にやればいいわけで、すべてがインテリアデザイナーだし、建築家なわけだから。もうちょっと形式を、例えばグループホームなりを提案したりするのが建築家だと僕は思うけど。

 野辺 グループホームは、今の厚生省の制度とか関係するんだけど、ああいう考え方というのはこれからもっと出てくる。例えば我々が三人住んだとする、そういう考え方はあると思う。要するに家族で住む必要ないじゃないかというのは住宅の中で完全にある。

 布野 家族じゃなくてもいいけど、今の高齢シングルとか、ハイシングルも含めて、宅配がきた時とか困っちゃう、nLDK買って一戸一戸住む必要はまったくない。違うタイプを

 野辺 そうするとコストの問題、居住を担保する時のリスクの問題とか出てくる。

 布野 それを誰か開発してやればヒットすると思うんだけど。

 野辺 今小さなビルダーがグループホーム用の商品化住宅というのを開発したりしてるわけだけど。

 布野 それは厚生省から補助金がでるって話でしょ。

 野辺 そうそう。だけど、そうじゃなくて居住形態でそういうところがあって・・・

 布野 だって市場にまかせないじゃない。

 大野 補助金を食ってるだけ。

 野辺 そこがどうしようもないところなんですよ、今は。

 布野 外国人居住の話も、いろんなやつが住む空間を作っておけば対応できると思ってるわけ。それこそ市場原理でいいんですよ。福祉住宅の問題は別に立てる。ただ今の土地、戸建て一戸、持ち家という意識に入り込んだのと、今の経済的な、貯蓄とか、そんなに簡単には解けない。

 

 地価、土地の問題・・・バブル社会

 大野 地価がもうしばらく下がっていくと変わると思うけど。

 布野 それが一つの希望ですね。

 野辺 僕はそこは割りと悲観的で、限りなく下がっていくと、まとぞろ戸建て主義に回帰していくというふうに思ってる。それを止める担保、例えば環境問題とかいろいろあります、それによってコストが上がるから止まるという考え方もあるけど、それよりはそうじゃなくてその時にどうするんだという最初の構想、首長と組んだタウンアーキテクトなのかどうか別として、その手のところを押さえる人たちが多分いないだろうなと。要するに市場原理で、はいいただきますまた注文ありがとうございます、わが設計事務所にありがとうございますって話でいってしまう。

 布野 あのね、はっきりいって経済の話はわからない。腹立つくらいだ。何で不良債権なんだ、じゃあインフレおこさないと駄目だなんて、・・・経済学者って信用できないんじゃないの。

 野辺 あんなナンセンスな話はないですね。

 布野 直感的にナンセンスだと思うけど、例えば今や経済企画庁長官の堺屋太一だって以前として博覧会主義でしょ、イベントやってそれで投資やってと、今のITだって民主党まで言ってる、あんな話じゃ絶対ないんじゃないかと思う。だけどはっきり言えない、こっちは別に経済成長しなくてもいいんじゃないか、皆がそこそこ食えればいいんじゃないか、そのための住宅とは何かというのは絶対的少数派でしょ、多分。国の経済政策としてそんなこと言っていいのといわれたら黙るしかないでしょ。

 大野 居住してる個人の意識が高まってくると、国家とかそういう制度はいらないかもしれない。

 布野 それはそれでいいんだけど、

 野辺 今みたいなインフラ制度というのが、要するにインフラ、IT革命に名前を借りた公共土木ですよね、結局やろうとしていることは。だから相変わらず大規模なコストをかけて非常に小規模な効用しかもたらさない。今の仕組みでいけば何もしなくたってできるんですよ。あと一〇年経ったらどうなるのかよくわからないけど。我々も皆いい年になってきちゃったから同じようにどうせ世界史的な役割は終わってるんだから

 

 群居の精神・・・・変わるものと変わらないもの やれることとやれないこと

 布野 そうですよ。『群居』やめるのもそういうことだと思います。変わるものと変わらないもの、やれることとやれないこと、二〇年くらいやってだれでも見えてくる。同じ言い方はやめた方がいい。前向きにやめるっていうのはそういうことですよ。それぞれの器で発想して今後やればいい。僕はやりますよ。

 野辺 僕の考えていたことっていうのは、かつて大野さんからコーチを受けていた頃の大野戦略というのが全部インプットされているわけですよ。

 布野 やっぱそれはおかしいぞとか思ってるわけでしょ。

 野辺 大野さんのここはだめだ、ここはいい、ってところはあるわけですよ。それを現実に実務というかマーケットというレベルの中で考えた時に大野勝彦がやりきれなかったところ、もしくはお前がやれっていってることなのかもしれないなって部分をやっていかざるを得ないじゃないかっていうのがあって

 布野 それは受け継いで、バトンタッチしていかないといけない。

 野辺 それで、一つは藤澤先生と組んでやってるSAREXという工務店、工務店といいながら結構設計業態なんですね、その人たちとのネットワークというか、組合という名前だけど、二一世紀に残す生産部隊というのは何だろう、要するに残るのは何だろうということで今考えてやってるんだけど。

 布野 やっぱりそれは性能表示と対応してんじゃないの?

 野辺 そんなものがあろうとなかろうと、法律というのは一つの時代の表現というか鏡だと思ってる部分もあるから、その手のニーズはあったんですよ。だけどそれを制度でやる必要全然ない部分てあるわけで、例えば市場原理、市場経済でいけば性能表示なんて基本的にはガイドラインは国が作ったとしても、実行するしないは保険との制度の話だから保険会社が新たなシステムを作って、我々もこれにのったほうが資産価値としてはこうだよとか保険料はゼロになるよとかいうような話なんですよ。

 布野 それはそうだけど、行政が仕掛けてくるというのは問題だ。

 野辺 それはわかるけど、僕は言うんだったら性能表示の問題の前に基準法という問題を『群居』は徹底的にやっとくべきだったなと。

 布野 法の問題全然やらなかったね。

 野辺 そこはやっとかないと、性能表示とかいく前の前提として基準法の問題というのを

 布野 やらなかったね。

 野辺 そうすると、石山の違法建築というのはどういう意味があるんだとかいうことをちゃんとやっとかなくちゃいけなかった。誰一人として基準法の改正もしくは基準法を成立させてる思想というか、国家的な思考法みたいなとこをちゃんとやっとかないといけなかった。

 布野 基準法についてはいろいろあって、今は性能規定になったから性能表示ですよっていう流れの話かもしれませんけども、何か違う。それこそ今の地域型住宅とか地域の住宅生産システムとか地域的町づくりとかいったときに、圧倒的におかしいわけですよ、全国一律の研究とか。もっと地域バージョン、標準憲法と条例でもいいんだけど、例えば北海道と沖縄とどうして同じだっていう、

 大野 金融公庫がようやっと地域仕様を作り始めた。

 布野 その動きと今の性能表示というのは僕は矛盾してると思うけどどうなの。メーカーは一応ユーザーに対して一〇年保証とかそういう保証制度を担保できた。だけど中小はユーザーに対して何もしてないじゃないかという話でしょう。

 野辺 それは大いなるウソですね。逆に言うと中小の、まあいろいろあるわけですけど、少なくともまともな工務店というのはらくらくクリアーなんですよ。こんなとこで苦しむ必要ない。こんなとこでわざと叫んで、工務店はできない、あぶないって言ってるやつらの方が逆に言うと敵の回し者というふうに思ってて、

 布野 でもその意図があるんじゃないの。

 野辺 小規模というのは自在性があるからそんなにあんたたちの都合のいいようにはいきませんよというのが一方ではあるんです。また直感的に彼らが考えてるのは、大手系というのは結構弱いんじゃないのっていう考え方もでてきてますね。

 布野 その言い方は与したいけど、ユーザーの意識が低いからそんなこといってられるわけであって、いまの戦略で全部やられたら差別化がどんどん進むって話でしょう。実態はそこまでしっかりしてないって話こないだ聞いたからわかってるけど、戦略的にはそうじゃないかと思う。やっぱりプレハブ買うとかね。

 野辺 その辺は今精力的にやってるところですけど、それが足切りになるのかっていえば、もともと減ってくからもう足切りは起きてるんですよね。そこにたまたまタイミングよく法律がでてきたからこれで足切りされるんだというような気持ちになってるかもしれないけど、現実にはもう足切り始まっているわけですよ。分け合う量が減ってきてるわけだから当然そこでは新しい業態にシフトせざるを得ないわけです。そうすると今まで家をつくるというところがある種立脚点だったのが、家を作るというより家を維持する、もしくはストックとして管理していくというところが実は立脚点となる可能性があるだろう、その時に家だけつくれるっていうだけではだめで、作ってなおかつ守れる、維持できるというような立脚点に工務店もスタンス広げていかないと存在しない、そんなの当たり前じゃないかというところから考えていかないと、そんな法律は逆手にとって使いまくってやればいいんだというくらいの気持ちがないと、やっぱタフじゃないなって気がするんだよね。一方的に弱者意識というのが一番だめだとおもってる。

 布野 自民党的にはやっぱり弱者が組合作って、補助金もらって献金するという構造は残る。

 野辺 依然としてそういう構図はあるんだよね。

 大野 主事さんの配属の問題もあるし。不動産というのは売り手と買い手と両方からもらえるんだよね。設計料というのはクライアントからだけもらう、まずいんじゃないかと最近思ってる。

 布野 そういう話聞くと野辺さん、群居精神でずっとやってる気がするけどどうするの。








 

2026年3月5日木曜日

20000315ー0324:台湾 台北 台中:台湾921集集震災復興調査(東勢)(林宣萱修士論文):布野修司・闕銘宗・林宣萱・青井哲人・Fay・奥富・遠藤(東洋大)

 台湾(921集集)大地震・震災復興計画報告

未だに残る傷跡

ようやく仮設住宅が完成

多様な社区営造(まちづくり)への模索

布野修司

 

 中央研究院でこの九月に開く植民都市に関するシンポジウムの打ち合わせと震災復興の調査を兼ねて台湾を訪れた(三月一六日~二四日)。三月一八日は総統選投票日である。二一日は大地震から丁度半年に当たり、全ての法律の運用を柔軟に適用する緊急命令の期限(二四日)が来る。投票日直前、李遠哲中央研究院院長が民進党陳水扁候補を支持して辞任、中国からミサイルが発射された一九九六年の最初の総統選の際ほどではないにせよ、異様な政治的緊張の中での訪台となった。結果は民進党が辛勝。国民党の分裂選挙による敗北が李登輝の退陣につながったことはご承知の通りである。

 台風の目となったノーベル化学賞受賞者、李遠哲氏は、実は、中華民国社区営造学会会長でもある。この間の社区総体営造(まちづくり)運動をリードしてきた。九二一集集大地震後は、全国民間災後重建連盟の理事長をつとめる。台湾の未来の方向を握る文字通りのキーパースンである。社区営造学会の秘書(事務局)長は、早稲田大学で学んだ台湾大学城郷研究所の陳亮全氏、震災以前より機関誌『新故郷』を刊行し、震災後の復興計画のために二九チームに助成を行っている。以下は、社区営造学会を通じた震災復興活動の最前線についてのレポートである。

 

①社区総体営造の拠点-埔里 

 難航する権利調整-東勢

 総統選投票日前日の四〇万人近く集めた台北サッカー場での民進党の集会はものすごい盛り上がりであった。その大集会が最高潮に達する頃マイクを握ったのが陳其南交通大学教授である。いささか興奮した。前々日の夜再会し、親しく語らったばかりだったからである。陳其南教授は四年前には行政院の文化建設委員会にあり、まさに社区総体営造運動を創始(九四年)した人物である。社区とはコミュニティ(近隣社会)を意味する。移民社会で、基本的に中国人特有の家族主義の強い台湾では、戦後も国民党の強権政治が続いたこともあって、コミュニティの力が弱い。外省人(大陸系)と内省人(台湾人)の対立も根深い。だから、社区営造こそがこれからの重要テーマなのだ、と彼は力説する。

 社区営造学会秘書長の陳亮全、『新故郷』編集委員の曽旭光淡交大学副教授に合ったのは投票日当日であった。震災後の様々な取組みを取材する中で、ひとつの焦点として浮かび上がったのが埔里(南投県)である。一八一人が亡くなった埔里は都市部では東勢(台中県)についで死者の多かった街である。その埔里に新故郷文教基金会が設立され、雑誌『新故郷』が創刊されたのは、震災半年前であった。すなわち、社区営造学会のひとつの拠点は埔里に置かれていたのだ。中心人物は、総編集長廖嘉展氏である。彼は社区総体営造運動に関わるなかで李遠哲氏から雑誌編集の責任者に指名されたのである。

 震災後、「埔里家園重建工作站」がすぐさま組織された。重建とは再建の意である。続いて「婆婆媽媽工作隊」が結成(一〇月一五日)された。婆婆媽媽、おばあさん、おかあさんパワーの結集である。埔里の事務所では十数人の女性がきびきびと飛び回っている。様々な基金を得ながら、住民の要求がまとめられた。まず、緊急の課題になったのが小中学校の復旧である。阪神淡路大震災と違って、学校の被害が致命的であった。各地区の将来像も描かれた段階だ。しかし、物理的再建のみが問題にされているわけではない。「身心安住」「各有其位」(従前の場所に住み続ける)「経済復甦」「人文発展」があって「空間改造」である。そして、「計画的可行性」(実現性)「人力資源的在地化」(地域性)「計画効果的延続性」(持続性)が計画原則とされる。

 全てが順調にいっているわけではない。県政府との関係で対立点も出てきている。全てを失い目標を失って虚脱状態になっている人も多いという。東勢の本街でも権利関係の調整が難航している。こうした社区総体営造の草の根活動は開始されたばかりである。再建も具体的にはこれからだ。三月二四日東勢本街を新総統陳水扁氏が訪れた。本街南平里重建委員会の中心、王昌敏氏が後輩で強力な支援者であるという縁である。李遠哲氏がはっきり支持を表明した民進党の勝利は社区総体営造運動を加速することになろう。

 

②歴史的環境の復興

 仮設住宅の創意工夫

 集集ー日月潭

 震源地集集では三八人が亡くなった。集集鎮全体で全壊一七三六戸、半壊七九二人、合わせて六九パーセントが被害を受けた。中心の街、集集里でも全壊一四三戸、半壊六四戸六一パーセントがダメージを受けた。鉄道は波打つように切断され木造の集集駅は大きく傾いた。工事現場用鉄板で囲われていた。隣の鉄路博物館は傾いたまま放置されている。

 鎮公所(町役場)で鎮長林明水(さんずい)秦に短い時間会った。すこぶる元気でこの震災をむしろ好機と考えて街づくりを展開しようとしていると聞いたからである。倒壊した廟「武昌宮」もそのまま保存して観光資源にするのだという。また、歴史的町並みを復元するのだという。

 一体どういうルールで町並み復興をするのか、と問うと、すぐさま仮設住宅の建ち並ぶ中にある一室へ案内された。建築確認申請の事務所と考えていい。「集集鎮災後住屋重建補助方法」(二月一日公告)によって、施工費(坪当たり三〇〇〇元(約一〇万円)、最高額一五万元)と設計料(平米当たり四〇〇元、最高額五万円)の補助を行うのである。規定は、二メートルのセットバック、勾配瓦屋根(斜屋)の採用などであり、色彩の規定はない。最終的には委員会によって決定される。事務所には、模型の街屋街区が置かれ、三層のモデル住戸プランが示されている。これまで申請があったものは基本的にモデル提案に沿ったものだという。

 震災直後から集集鎮に救援に入ったのは、忠原大学の室内設計系、特教(特別教育)系を中心としたチーム(集集民間重建工作站)である。彼らは現在も月一度訪れ、半壊建物の指導や学童との交流を行っている。彼らはすぐさま文化資産として歴史的建造物の調査を行う(「集集受災歴史建築物調査複勘報告」)。そして、集集歴史建築導覧地図が作られた(二月一九日)。歴史的街区の復元は、その作業に基づいている。

 伝統的文化の継承という意味で興味深いのは原住民集落の復興である。なかでも興味深い試みとして日月潭のタオ族の仮設住宅地建設がある。設計を担当するのは建築家謝英俊氏。現場に事務所を移して陣頭指揮を執る。軽量鉄骨の骨組みに竹で屋根、壁を組むシンプルな構法である。これだと建設に原住民が参加でき、日当も手に入れることが出来る。近接して神戸から送られた仮設住宅が建てられていたが、その思想の違いは明らかである。原住民にとっては単に住空間があればいいというわけではない。具体的には祭祀のための空間が必要である。慈済二村(埔里鎮)という仏教系慈善団体が寄付をした原住民のための仮設住宅地も見たけれど、共通の広場がきちんと設けられていた。仮設住宅地と言えども多様な創意工夫がある。

 

③すっかり禿げた山肌 

 過疎化に悩む農村 

 中寮郷龍安ー魚池郷長寮尾

  台湾では、区域計画法に基づいて、都市区域と非都市区域が分けられている。また農村地区について、郷村区(200人以上)、農村聚落(200人未満)、原住民社区が区別される。今回の大地震の特徴は、多くの農村が被災したことである。全域が都市化していたら、死者二〇〇〇人ではすまず、阪神淡路大震災の死者を遙かに超えたことは間違いない。

 農村部を回るとところどころに傷跡が残っている。道路はがたがたしで、放置されている被災建物も少なくない。仮設居住のためのコンテナがやたらに目立つ。そして、異様なのは山の樹木がずり落ちて黄色い山肌がむき出しになっていることである。大地震は自然の景観もすっかり変えてしまった。

 一七八人がなくなった中寮郷の龍安里、内城里、清水里を東海建築工作隊の徐明松氏の案内で訪れた。彼はイタリアから帰国して台中で事務所を開いたばかりで震災に遭い、以後中寮郷の復興計画に取り組んでいる。週に一、二回は通うという。東海大学では寮郷の他、大里の復興計画に取り組む。また、関華山副教授が原住民集落の復興を担当する。

 龍安でチームはまず全体計画を立てた。村の共同作業場に大きな模型が置かれている。復興住宅のモデルも街家型、農家型がすぐさま用意された。標準設計に従えば設計料を補助するというが、住宅復興はこれからである。半年を経てようやく仮設住宅が竣工した段階だ。また、高齢者のための共同厨房が着工したところであった。

 注目すべきは龍安八景の整備計画である。共同水場の整備をはじめとして、景観的に維持されるべき八景が設定されている。村長とともに村を見下ろす丘に登ったのであるが、彼もまた震災復興を村おこしにつなげる視点をしっかりもっていた。過疎化、高齢化が共通の悩みである。農水路、道路の復旧は第一であるが、農業振興、頭打ちになりつつある檳榔(びんろう)栽培に加えてパイナップル・ワインの開発など熱っぽく語ってくれた。

 農村集落の場合、建築家にとってどう集落景観をつくるのかがテーマだろうと社区総体営造運動の創始者陳其南交通大学教授はいう。七四の農村集落が重点復興村とされているが、そのひとつ陳其南氏が関わる長寮尾(魚池郷)に行ってみた。村の中心に廟があり、その前の集落はほとんど倒壊したままだ。復興支援の県政府のバスが図書館に変わってポツンと取り残されている。まず復興されたのは村の中心となる廟だ。全て顔見知りだったから、誰が居ないかすぐ分かった、全員無事救出できたという。鍵となったのはしっかりしたコミュニティの存在であった。そして、興味深いのは都市と農村との里親-里子制度である。廟の再建に当たって新竹市の全面支援を受けたという。各都市が被災農村を支援するかたちが出来上がっているのである。

 


 

 

2026年3月4日水曜日

カラコロ工房、曽田邸、しまね景観賞、島根県景観課、2000年

 

カラコロ工房

布野修司

 

 旧日本銀行松江支店のリニューアル(更新)計画である。スクラップ・アンド・ビルド(建てては壊す)の時代から既存の建築資産、都市資産を再活用するストックの時代を象徴する先進事例として高く評価したい。もとの設計は長野宇平治、夏目漱石の同級生で全国的に知られた建築家である。しかし、こうした著名な建築家の作品であれ、建築史的価値というだけで保存される例はほとんどなかった。親しまれた街並み景観への要素を維持しながら、新たな機能を付加するのがこれからの手法である。

 本館に接して増設された工房棟の中庭のスケールがいい。板張りの床がカラコロ鳴るのもいい。工房という設定が成功の要因かもしれない。今のところ予想を超えた利用がなされていると聞いた。銀行の本館地下金庫のギャラリーも不思議な空間に再生されている。

 


曽田邸

布野修司

 

 国立公園内に建つ個人住宅である。

 かなりの急斜面であり、冬にはかなりの強風が吹きつける、普通は宅地には相応しくない立地である。しかし、気候のいい、特に夏などは、そのまま海に降りていけそうな、うらやましくなるような敷地だ。

 国立公園内ということもあって、豊かな樹木はそのまま残されている。建設に当たって新たな植栽もなされている。プランニングも地形に沿った形で樹冠のラインを大きく遮らないよう配慮されている。海を介して千酌港の岸壁から眺める景観がその設計意図をよく表しているように思えた。すなわち、この住宅は徒に自己主張することなく、豊かな緑の中に沈み込んでいる。また、緑に赤瓦が映えている。

 こうした地形や緑、景観に対する配慮は、設計の基本であり、国立公園に限らないであろう。個々の住宅の設計においても景観は問われている。そのひとつの好例として評価したい。

2026年1月14日水曜日

2025年5月8日木曜日

裸の建築家・・・タウンアーキテクト論序説, おわりに・・・まちづくりの仕掛け人、建築資料研究社,2000年3月10日

 おわりに・・・まちづくりの仕掛け人

 

 各地でユニークなまちづくりが展開されている。ユニークなまちづくりには必ず仕掛け人がいる。この仕掛け人こそタウン・アーキテクトと呼ぶに相応しい。

 まちづくりのためには、まずは人を束ねる能力が必要である。仕掛け人は、しばしば、まちのありかたについて自由に討議する場のオルガナイザー(組織者)である。あるいはアジテーター(主唱者)である。あるいはコーディネーター(調整者)である。時にアドヴォケイター(代弁者)でもある。要するに、まちづくりを推進する仕組みや場の提案者であり、その実践者が本来のタウン・アーキテクトである。

 仕掛け人には、全体を見渡す視野の広さ、バランス感覚もいる。わがままで、特定の集団や地域のためにのみ行動するタイプは相応しくない。まちのあり方とその将来を的確に把握する見識が必要である。そうでなければ人を束ねることはできない。

 そうした意味では、タウン・アーキテクトはもちろん「建築家」である必要はない。まちづくりを仕掛ける誰もがタウン・アーキテクトでありうる。タウン・アーキテクトは、まちのすべての問題に関わって、その方向を示す役割を担う

 自治体が本来的に機能しているのだとすれば、その首長こそタウン・アーキテクトに相応しい。しかし、地方自治体とその行政システムは必ずしも、活き活きと機能していない。だからこそ、さまざまな仕掛け人が必要とされ、様々なまちづくりの試みが現れてきたのである。各地で、それぞれ独自のまちづくりの仕組みがつくられること、それが本論の前提である。

 本書では、いささか「建築家」に拘ってみた。「建築家」こそタウン・アーキテクトとしての役割を果たすべきだという思いがある。様々な条件をまとめあげる、そうしたトレーニングを受け、その能力に長けているのが「建築家」である(筈だ)。また、「建築家」は直接まちの姿(景観)に関わっている。まちづくりの質はまちのかたちに究極的には表現されるのである。 

 素直に「建築家」を考えてみよう。そもそも誰もが「建築家」でありうる。身近な「建物」に関することには全てが「建築家」に関わっている。例えば、誰でもどこかに住んでいる。大邸宅であろうとアパートであろうと(場合によると地下のコンコースや公園のような場所でも)寝起きする場所が誰にも必要だ。何処に住むか、そしてどのような住宅に住むか(住むためにどのようなシェルター(覆い)が必要か)は誰にとっても、生きていく上での大問題である。どういう住宅を建てるかが「建築家」の仕事であるとすれば、誰もが「建築家」なのである。事実、昔は、誰もが自分で自分の家を建てた。現在でも、世界を見渡せば、自分で自分の家を建てる人たちの方が多い。

 住宅に限らない。工場だろうが事務所であろうが同じである。特に、美術館や図書館、学校や病院などの誰もが利用する公共建築は、誰もが関わっている。それぞれ各人の無数の建設活動が集積することによって都市は成り立っている。都市は、だから、それぞれ「建築家」であるわれわれの作品である。

 もちろん、自分一人で「建物」を建てるのは大変である。今日、誰もが自分の手で「建物」をつくれるわけではない。だから、みんなに手伝ってもらう。また、大工さんなど「職人」さんに頼む。「建物」を建てるのにも、得手不得手があるのである。専門分化が進み、「建築」のことは「建築家」に依頼する、のが一般的である。

 しかし、「建築家」は、果たして、市民のために市民に代わって、うちを建て、様々な施設を建て、まちをつくる、そうしたプロフェッションとしての役割を果たしているだろうか。本書全体がつきつけるのは巨大な疑問符である。そしてその疑問符に答える方向性を提示するのが本書である。

 本書において残された議論は多いが、「建築家」の本来のあり方を考える材料が提供できたとすればまずはよしとしたい。問題は新たな活き活きした仕組みが日本の風土に根付くことである。

 

 本書はこれまで書いてきたいくつかの文章を元にしている。しかし、基本的には書き下ろしとして大幅に手を入れた。議論は荒削りではあるが、敢えて無防備に投げ出したい。大きな議論と小さなひとつの運動が開始されることを願う。


タウンアーキテクト論序説・・・建築家の居る場所 まちづくりの仕掛け人

 

目次                                                       

 

はじめに・・・裸の建築家

 

 Ⅰ 砂上の楼閣

 

◎第1章 戦後建築の五〇年                        

  1-1 建築家の責任

  1-2 変わらぬ構造

    a 都市計画の非体系性

    b 都市計画の諸段階とフレキシビリティの欠如

    c 都市計画の事業手法と地域分断

  1-3 コミュニティ計画の可能性・・・阪神淡路大震災の教訓

    a 自然の力・・・地域の生態バランス

    b フロンティア拡大の論理

    c 多極分散構造

    d 公的空間の貧困 

    e 地区の自律性・・・ヴォランティアの役割

    f ストック再生の技術

    j 都市の記憶

 

◎第2章 何より曖昧な建築界

  2-1 頼りない建築家

  2-2 違反建築

  2-3 都市景観の混沌

  2-4 計画主体の分裂

  2-5 「市民」の沈黙

 

 Ⅱ 裸の建築界・・・・・・・建築家という職能          

◎第3章 幻の「建築家」像                    

  3-1 公取問題                      

  3-2 日本建築家協会と「建築家」

  3-3 日本建築士会            

  3-4 幻の「建築士法」   

   3-5 一九五〇年「建築士法」

   3-6 芸術かウサギ小屋か

 

◎第4章 建築家の社会的基盤

  4-1 日本の「建築家」

  4-2 デミウルゴス 

  4-3 アーキテクトの誕生

  4-4 分裂する「建築家」像

   4-5 RIBA

  4-6 建築家の資格

  4-7 建築家の団体

    4-8 建築学科と職人大学

 

 Ⅲ 建築家と都市計画   

 

○第5章 近代日本の建築家と都市計画     

  5-1 社会改良家としての建築家

   5-2 近代日本の都市計画

  5-3 虚構のアーバンデザイン

  5-4 ポストモダンの都市論

  5-5 都市計画という妖怪 

  5-6 都市計画と国家権力ーーー植民地の都市計画

  5-7 計画概念の崩壊

  5-8 集団の作品としての生きられた都市

 

○第6章 建築家とまちづくり

  6-1 ハウジング計画ユニオン(HPU)

  6-2 地域住宅(HOPE)計画

  6-3 保存修景計画

  6-4 京町家再生論

  6-5 まちづくりゲーム・・・環境デザイン・ワークショップ

  6-5 X地区のまちづくり

 

 

 Ⅳ タウン・アーキテクトの可能性

 

○第7章 建築家捜し                                           

  7-1 「建築家」とは何か

  7-2 落ちぶれたミケランジェロ

  7-3 建築士=工学士+美術士

  7-4 重層する差別の体系

  7-5 「建築家」の諸類型

  7-6 ありうべき建築家像

  

○第8章 タウン・アーキテクトの仕事

  8-1 アーバン・アーキテクト

    a  マスター・アーキテクト

    b  インスペクター

    c  環境デザイナー登録制度 

  8-2 景観デザイン 

    a ランドシャフト・・・景観あるいは風景

    b 景観のダイナミズム    

    c 景観マニュアル

    d 景観条例・・・法的根拠

  8-3 タウン・アーキテクトの原型 

    a 建築主事

    b デザイン・コーディネーター

    c コミッショナー・システム

    d シュタット・アルシテクト

    e コンサルタント・・・NPO

  8-4 「タウンアーキテクト」の仕事

    a 情報公開

    b コンペ・・・公開ヒヤリング方式

    c タウン・デザイン・コミッティ・・・公共建築建設委員会

    d 百年計画委員会

    e タウン・ウオッチング---地区アーキテクト

    f タウン・アーキテクトの仕事

  8-5 京都デザインリーグ

 

 おわりに


布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...