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2025年2月15日土曜日

死者の家:トバ・バタックの家,at,デルファイ研究所,199311

 死者の家:トバ・バタックの家,at,デルファイ研究所,199311A


死者の家  トバ・バタックの墓 スマトラ

                布野修司

 

 東南アジアを歩いていて、興味深いのが墓である。実に様々な形態の墓がみられるのである。

 インドネシア、マレーシアはムスリムが多いから、イスラームの墓を頻繁に眼にするのだが、これが実にそっけない。土葬なのであるが、極端な場合、土を盛って木を一本立てただけのものがある。普通、四角く囲って、頭に低い石柱もしくは木杭が立てられる。足の所にも立てられ一対となるケースも多い。もちろん、立派なものになると墓石がつくられ、墓の上にシェルターがつくられたりするのであるが、一般的に単純なものが多い。東南アジアの場合、頭をメッカの方に向けるのが多い印象だけれど、てんでバラバラの場合もある。

 イスラームの死生観は、ヒンドゥー教や仏教とは随分異なっているようだ。イスラーム各派で埋葬の形は異なるのだが、サウジアラビアなどでは、特別な葬儀や墓参を全く行わず、埋葬のあとにも墓標を立てないのだという。

 ムスリムにとって、現世の死はそのまま全ての終わりを意味しない。それは束の間の眠りの期間にすぎず、ほどなく審判をうけた後、天国なり地獄で永遠の来世を送る一ステップに過ぎない。人によっては、死は一〇日、あるいは一日か半日の出来事にしか感じられないものだという。墓はあんまり意味がないのである。

 スラバヤのカンポン(都市内集落)を歩いていて、そこが墓地だと気づいてぞっとしたことがあるのであるが、ムスリムにとっては墓地に住むことはそう違和感がないのである。

 それに対して、イスラーム化以前の墓や墓地には様々なものがある。東南アジアには入念な葬送儀礼を行なう地域が多かったのである。死者の記念として、石を工作したり、巨石を建てたりすることは、ニアス、トバ、トラジャ、中央スラウェシ、フローレス島、スンバを含む島嶼部の他の多くの地域社会の特徴である。

  墓は「死者の家」である。家の形をした墓もよく見かける。サラワク、低地バラム地方のブラワン族は、死者の骨を洗い、サロンと呼ばれる見事な彫刻が施された共同霊廟にそれを安置する。バロック的な棟飾りを持った同様の霊廟は、サラワクのケンヤ族、カヤン族、カジャン族、プナン・バ族などでも一つの特徴となっている。また、イバン族は、優雅に彫刻されたスンカップと呼ばれる小さな「埋葬小屋」を作る。

 北スマトラのトバ・バタック族は、住居を模した霊廟を建てた。ほとんどがキリスト教に改宗したのであるが、今日でもその伝統が残っている。その霊廟はかつては石造であったが、今日では、一般的にペンキを塗ったコンクリートで作られており、伝統的な住居の形を模した精巧な複製となっている。住居型の墓は、トバのいたるところに点在しており、巨大なトバ湖の中央にあるサモシル島には、特に多くみられる。また、同じバタックでも、カロ高原のカロ・バタックは、特異な形態をした納骨堂をもつ。

 土着宗教において、先祖との実り多い関係を維持することは極めて重要であった。そのための施設である、墓や廟や納骨堂は、先祖のための家であり、生きている者と先祖との交流のための空間なのである。

 

2025年2月14日金曜日

石窟寺院トゥガリンガ,at,デルファイ研究所,199304

石窟寺院トゥガリンガ,at,デルファイ研究所,199304 

石窟寺院 トゥガリンガ   バリーギャニャール              布野修司

 


 アジャンタ、エローラ、エレファンタ、カーリなどインドの石窟寺院には及ぶべくもないのだが、ジャワやバリでも石窟のチャンディー(ヒンドゥー寺院)がつくられている。

 バリ島の石窟寺院というとゴア・ガジャ           である。バリを訪れる人であればこの「象の洞窟」は誰でも知っているのではないか。洞窟そのものはTの字形の平面をした小さなものだが、何よりも、異形の怪物が口をあんぐりと開けたそのエントランスが強烈だ。バリの芝居に出てくる魔女ランダの顔を思わせる。あるいは、バロック的石窟寺院といってもいいかもしれない。

 全体としてこじんまりと谷になった境内は実にいい雰囲気である。豊かな水が流れ落ちる沐浴場もいい。その沐浴場が発見されたのは戦後のことだというから、ちょっと驚く。

 しかし、シチュエーションの妙といったらグヌン・カウィ             だろう。ゴア・ガジャよりはるかにダイナミックなスケールがある。すり鉢状に棚田が囲む谷を降りていくと、谷底を流れる川を挟んで石窟のチャンディー(ヒンドゥー寺院)が建ち並ぶのであるが、そこへ至るアプローチがすばらしいのである。

 王と女王の墓地にはそれぞれ数基のチャンディーが掘り出されようとして中断したままになっている。プロポーションをみると、縦に細長い東部ジャワのチャンディーに近い。一一世紀後半とみられるから、東部ジャワのヒンドゥー王国の影響が既に及んでいたということだろうか


2025年2月12日水曜日

ランシット・ハウジング・プロジェクト,at,デルファイ研究所,199309

  ランシット・ハウジング・プロジェクト,at,デルファイ研究所,199309


ランシット・ハウジング・プロジェクト                バンコク

                布野修司

 

 バンコクの近郊、ランシットのコア・ハウス・プロジェクトである。このプロジェクトは、C.アレグザンダーがリマのコンペで提案したものによく似ている。それもそのはず、このプロジェクトのアイディアは、C.アレグザンダーの共同者であり、『パターン・ランゲージ』の共著者でもあるS.エンジェル(当時アジア工科大学教授)によって提案されたものなのである。

 模型で分かるように、敷地が細長く短冊状に分けられている。そして、コア・ハウスが長屋建てで一列に建てられる。リマの場合、コア・ハウスは二階建てであるが、ここでは平屋だ。各入居者は、それぞれの資力と要求に応じて、自分の敷地に増築していくわけである。模型は居住者用につくられたもので、八つの増築パターンが示されていた。

 ここも何年か時間を置いて二度ほど訪れてみた。二度目にいってみると様々な増築がなされていた。すぐにペンキを塗る。絵を描く。日本にはないセンスである。一室増築したものがある。緑がすぐ育つから一年もあれば町らしくなる。敷地一杯に増築した例さえ見られたのであった。

 バンコクでも、他にいくつかのコア・ハウス・プロジェクトがある。PCパネルによるプレファブのコア・ハウスも試みられた。トゥン・ソン・ホンのハウジング・プロジェクトがそうである。

 コア・ハウス・プロジェクトには色々のタイプがある。インドネシアの例では、敷地を田の字型に分割し、その中央に四軒分のコア・ハウスを建てるものがある。材料も乾燥地域に行けば、当然、日干し煉瓦によるコア・ハウスがつくられている。

 ところが、こうして様々な建築的アイディアにみちたプロジェクトも、必ずしも成功したとはいえない限界があった。第一の理由は、コア・ハウス・プロジェクトが、リセツルメント(再定住)・プロジェクトの一環として行われてきたことである。リセツルメントとは、「スラム」居住者を都市近郊に移住させるプロジェクトのことである。インドネシアやフィリピンの場合、他の島へ移住させる場合もある。その場合、トランスマイグレーションとかイミグレーションと言われる。

 とにかくそうした場合、移住したのはいいが、生計をたてる手段が用意されていないのである。工場などが設置され、雇用を吸収する、そうした計画はなされても現実には困難が多かった。農業をやるにも条件の悪いことが多かったのである。

 いくら居住条件が多少よくなっても、生計を立てれないのであれば都心に戻るしかない。都心に住む事によって様々な収入が得られる。商売のネットワークも都心だから存在する。「スラム・クリアランス」が問題なのは、そうしたネットワークや経済基盤をずたずたにするからである。かくして、コア・ハウスの居住者も、それを放棄して都心へユーターンする、そんな現象が広範に見られたのである。

 

 

2024年4月16日火曜日

建設省住宅局編:これからの中高層ハウジング,丸善, 1993年

中高層ハウジングの「かたち」と供給システム

布野修司

 

 中高層ハウジング=積層集合住宅(地)の多様な形式

 中高層ハウジングのめざすもの、その基本理念、指針、基本モデルのための5つの柱から、具体的にはどのような「かたち」が導かれるのか。

 中高層ハウジングというと、日本では「マンション」「公団住宅」などの中高層集合住宅がイメージされる。しかし、ここでいう中高層ハウジングは、現在日本に見られる中高層住宅を前提にしているわけではない。むしろ、日本のこれまでの中高層住宅と異なる「かたち」を目指したい。また、その基本理念は別の「かたち」を要求しているはずである。

 日本の集合住宅は必ずしも多様でもない。というより、画一的だと指摘されることが多い。住戸形式もnLDKという記号で表現されるほど定型化され、その定型化された住戸をただ並べ、積み重ねるだけの「かたち」が一般的である。そして、そうした集合住宅によって形成されるまちの景観もそう豊かではない。同じような集合住宅が建ち並ぶ日本の団地の景観は、日本のまちの象徴である。

 中高層ハウジングの解答はひとつではない、立地により、建設・維持のしくみにより、またそこに暮らす人びとの生活により、さまざまな「かたち」をとる、中高層ハウジングは多様である、というのが第一の基本理念である。

 中高層ハウジングといっても、必ずしも階(層)数が問題なのではない。2~3層が低層、エレベーターを用いない5層までが中層、エレベーターの必要なのが高層というのが一般的分類であるが、高齢者やハンディキャップトのために2~3階建ての戸建住宅にもリフトが使用されるとするとその区別は本質的ではない。接地性(地面への近さ)による区別も、庭園や立体街路を各層に取り込む形になると必ずしも本質的ではない。テーマとなるのは、積層する住居の集合の「かたち」であり、立体的に住む住み方である。

 

 都市型住宅のかたち=共用空間の多様な形式

 中高層ハウジングは都市型のハウジングである。一戸一戸が独立するかたちの戸建住宅とは違って、集まって住む「かたち」が問題となる。廊下階段、壁など躯体のみを共有する区分所有の形式が一般的であるが、「所有」から「利用」へ、住居に対する価値観が転換して行くとすれば、何を「共有」し「共用」するかが問題になる。中高層ハウジングの「かたち」、集まって住むかたちを決めるのは、ある意味では「共用空間」の「かたち」である。そして、その「かたち」は住戸の形式とも関わる。

 ・厨房、食堂、居間などの空間を含めてほとんど全てのサーヴィス機能を共有する形式(例えば、「ホテル型マンション」)。

 ・厨房、バス、トイレなど設備のいくつかを共用する形式(コレクティブ・ハウス、設備共用アパート)

 ・部屋を共用する形式(例えば、倉庫、ピアノ室、書斎・勉強部屋などを一定期間賃貸する)

 ・廊下・通路空間を共用居間として利用する形式。

 すなわち、住機能をどのように配分するかによって多様な「かたち」がつくられる。さらに、集まって住むために必要な施設、店舗や集会所などのコミュニティ施設が有機的に組み込まれて多様な中高層ハウジングの「かたち」がつくり出されるのである。

  

 中高層ハウジングの骨格=スケルトンの3つの型

 中高層ハウジングが以上のように多様な「かたち」をとることを前提にした上で、具体的な「かたち」を考えよう。積み重なって住むことを可能にし、しかも多様な住戸形式、集合形式を可能にする手法が「スケルトン(躯体)分離」である。スケルトンとインフィル(内装)を分離することによって、居住者自ら住環境をつくりだす手掛かりを与えることができ、維持管理に関わる耐用年限の違いにも対応できる。

 多様といっても、それを物理的に実現するシステムが問題となる。技術的には無限の方法があるわけではない。その基本は建設システム、中でもスケルトン(躯体)のシステムである。スケルトンは、原理的に以下のO、A、Bの三つに分けられる。

 O 柱列型スケルトン

 A  壁型スケルトン

 B  地盤型スケルトン

  もちろん、このO、A、Bのそれぞれにも構造技術的にヴァリエーションがある。しかし、めざすべき中高層ハウジングの「かたち」について大きな整理ができ、最初の出発点になる。O、A、Bは、それぞれ大きく集合形式を規定し、住戸形式にも制約を与える。例えば、A型は、O型、B型に比べて、住戸単位の「かたち」や大きさを規定する。また、「共用空間」のシステムなど集合のためのサブ・システムがさらに必要となる。

 いずれにせよ、スケルトンの3つの型によって、中高層ハウジングの骨格を得ることが出来る。

 

 中高層ハウジングの供給モデル=土地・建物の所有(権移転)のモデル

  中高層ハウジングの「かたち」は、その立地によって異なる。従って、具体的な場所を設定しなければその「かたち」を議論することが出来ない。ここで具体的な敷地を設定する前提として、供給モデルを設定する必要がある。手掛かりは現実性である。また、中高層ハウジングの基本理念である。土地・建物の所有権の移転、供給主体に着目して供給システムを分析すると以下のような三つの供給(事業)モデルを設定できる。

 供給O型:個人の土地所有者による供給モデル(賃貸マンション、定期借地権付きマンション)。

 供給A型:供給後、居住者が土地・建物を共有するモデル(分譲マンション)。

 供給B型:供給後、法人・公共団体が土地・建物を所有する供給モデル(公団賃貸住宅、社宅・会員制マンション)。

 すなわち、供給後の土地・建物の所有形態によってわけるのである。ストック社会における住居形態を考える上で、ストックをどう維持管理するかが極めて重要なのである。

 

  中高層ハウジングの立地と開発モデル

 供給主体、そして供給後の土地・建物の所有関係のイメージを、ある程度以上のように区別した上で、中高層ハウジングの立地を考えてみると、その供給(開発)規模によって供給形態を区別することができる。

 開発O型ー1(One  apartment)住棟規模:

 開発A型ー団地(an partment complex)規模:

 開発B型ー街区(Block)レヴェル:

   O型の開発が隣接すれば、複数棟の開発になり、あらかじめ計画されるとするとA型の開発になる。また、さらに複数棟の開発が連続すれば街区単位の開発につながり、B型につながる。そうした意味でO型は基本である。しかし、規模によって「共有空間」のとり方に差異がある。

 中高層ハウジングの敷地を具体的に設定するには、当然、協調建替え、換地など都市計画的手法が必要である。また、敷地の形状に応じて、何段階かの開発プロセスが必要となる。まちづくりのプロセスとリンクすることにおいて、中高層ハウジングは都市型ハウジングとなりうるのである。

 

 中高層ハウジングの三つの型 98O、98A、98B

 スケルトンのOAB、供給モデルのoab、開発OABの区分において、原理的には3×3×3=27(OO)(OoA)・・・・(BbB)のパターンが設定できる。しかし、現実に最も可能性が高い組み合わせが(OoO)(AaA)(BbB)の三つである。紛らわしが、OABという同じ記号を用いた理由である。特にスケルトンの型と開発(供給)規模には対応関係がある。スケルトンO型はどんな規模にも対応できるけれど、スケルトンA、B型はそれぞれ開発AB型が最も適している。そこでスケルトンの型と供給規模の型を合わせてAOBの三つの型を考える。供給oabとの組み合わせが9パターン考えられるが(oB)(bA)の組み合わせは考えにくい。最も可能性高いケースが(Oo)(Aa)(Bb)である。そこで基本設計モデルのために単純化して三つの分類視点を会わせて、OABの三つの型を区別する。戦後日本の住宅のモデルとなった51cにならえば、98OABである。(Oa)(Ob)(Ao)(Ba)もその応用としてかんがえることができるだろう。

 

  以上において、中高層ハウジングのおよその「かたち」(スケルトン、敷地規模)が設定できた。それでは、具体的な住戸、住棟、団地、街区のイメージはどのような「かたち」をとるのか。居住者によっては具体的な「かたち」こそ問題である。

 しかし、ここではnLDKといった住戸モデル、階段室型といった住棟モデルは提出されない。すべて、立地、維持管理の仕組み、居住者の参加に仕方等によって「かたち」は変わりうる。中高層ハウジングが目指すのものが、居住者自らの居住環境形成であり、集まって住む多様な「かたち」であるが故に、後は個々の実例を積み重ねる必要がある。具体的な「かたち」が積み重ねられることによって、いくつかの型が生み出されるとすれば、中高層ハウジングという中性的な名称ではなく、また、「マンション」「アパート」「公団住宅」といったネーミングとは違う名前が定着することになるであろう。「つくば方式」「保谷Ⅰ、Ⅱ」といった地域名が冠されることになるかもしれない。

 日本の「まち」に相応しい都市型住宅が成立するかどうか、はもちろん、日本における家族や社会のあり方がどうなるか、また、それを支える様々な制度がどうなっていくかが問題である。高齢化が進行し、高齢の単身者が増えて行くとすれば、厨房や居間を共用するかたちのコレクティブ・ハウスの形式やケア付き住宅は不可欠である。女性の社会進出も、住宅の形式を変える可能性がある。外国人など文化的な背景を異にする人が集まって住むとすれば、当然これまでと異なる形式が必要になる。nLDKモデルだけでは対応できないことは明らかであろう。

 それに中高層ハウジングがひとつのまちであるとすると、住居以外の機能を持った空間が様々に挿入された新しい形式が必要になる。その「かたち」が日本の集合住宅を大きく変えることになろう。



 

2023年10月18日水曜日

中高層住宅生産供給高度化プロジェクト研究報告書Ⅲ(主査 大野勝彦 分担執筆 安藤正雄,松村秀一 神田順 伊藤裕久他),建設省住宅局住宅生産課,1993年

 中高層住宅生産供給高度化プロジェクト研究報告書Ⅲ(主査 大野勝彦 分担執筆 安藤正雄,松村秀一 神田順 伊藤裕久他),建設省住宅局住宅生産課,1993



2023年8月8日火曜日

住居の図式を超えて,山本理顕『住居論』, SD,鹿島出版会,199311

       

山本理顕 住居論

住居の図式を超えて

                           布野修司

 

 小気味いい住居論だ。その真摯な思索は原論的であり、根源的である。歯ごたえのある住居論が耐えて久しい中で実に貴重である。

 「家族という共同体は〈共同体内共同体〉である」というのが山本流に簡潔に表現された基本テーゼなのであるが、何も難しいことはない。家族という集団のための空間をその内的な関係のみならず外部との関係において捉えるのが基本ということだ。内と外との関係、その境界のありかたを規定するシステムこそが問題であり、住居のあり方を決定づける、極く当然の視点である。

 しかし、こうした基本的視点がもし新鮮であるとすれば、住居を家族内部の関係へと還元する、食寝分離、公私室分離、個室の確立といった空間分化と規模拡大の論理がこれまで余りに支配的だったからではないか。また、住宅芸術論と住宅産業論とに建築家による住居論は分裂してしまい、家族のありかたが空間の問題として追求されてこなかったからではないか。

 この住居論は極めて図式的である。あるいはモデル提示的である。そうした意味でわかりやすい。また、そうした意味で原論的である。この極めてプリミティブな思考において、しかし、住居の実に多様なあり方を明らかにすることができる。そこがポイントである。

 ヴァナキュラーな住居集落の基本的な空間配列をみると一見複雑に見えても実に単純な形式をしていることが多い。しかし、極めて単純な住居形式といっても多様である。基本的な関係のパターンによって、実に多様な集合形式が生み出される。山本理顕の住居論の基礎にあるのはそうした眼である。そうした原理を考究するもととなったのが世界集落調査である。三章構成の本書のⅢ「領域論」にその集落調査に基づく考察も収められている。

 住居の空間的形式についての多様なモデルを手にして日本の住居を見直す時、あまりにもワンパターンではないか。nLDKという空間形式と家族モデルのみが蔓延しているのである。山本理顕の住居と社会(共同体)のあり方についてのプリミティブな還元的考察とそれに基づくいくつかのささやかな実践が驚くほどの反響を呼んだのは、日本の住居の貧困さを浮かび上がらせるとともに建築家のある怠慢を明るみにしたからであろう。

 住居を外部との関係において捉える視点は、そのまま住居集合論に結びつき、都市構成論に結びつく。この住居論は、必然的に住居を可能な限り開いていくそうしたヴェクトルをもっている。住居を「作品」として自閉させたり、生活者にべったり寄り添ったりすることのない乾いた論理展開が魅力なのだ。

 とは言え、建築というのは図式ではない。抽象的な空間モデルを物に置き換えればいいということではない。山本理顕の住居論が魅力的なのは、具体的な表現の実践があるからであろう。そうした意味で興味深いのは住居の表現論である。Ⅱの「住居計画」には表現へのジャンプが素直に吐露されていて思わずにやりとさせられる。

 




 

2023年6月20日火曜日

飛騨高山木匠塾のこと,秋田木材通信社,19930101

 飛騨高山木匠塾のこと,秋田木材通信社,19930101

                                        布野修司

 

 昨年も慌ただしく過ごしてあっという間にすぎてしまいました。秋田には一度もお邪魔することができず残念です。近くなったせいか、生まれ故郷の出雲の仕事が多くなり、色々なお手伝いを始めております。景観、景観と喧しいのですが秋田は如何でしょうか。

 ところで、飛騨高山木匠塾は2回目のサマースクールを昨年行ったのですが、延べ百人近い学生の参加があり大盛況でした。主な参加大学は、芝浦工業大学、東洋大学、千葉大学、京都大学、大阪芸術大学の五校でした。教師陣は、太田邦夫塾頭以下、秋山哲一、浦江真人、村木里絵(以上、東洋大学)、藤澤好一(芝浦工業大学)、安藤正雄、渡辺秀俊(千葉大学)、布野修司(京都大学)。それに今年は、大阪芸術大学の三澤文子、鈴木達郎の両先生が若い一年生を引き連れて参加下さいました。また、足場丸太組み実習には、講師として、わざわざ藤野功さん(日綜産業顧問)が横浜から来て下さいました。今年は、切り出し現場および「飛騨産業」の見学に加えて、製材所(安原木材)の見学を行い、オークヴィレッジと森林匠魁塾にもお世話になりました。渓流が流れ、朝夕は寒いぐらいに涼しい。森に囲まれ、飛騨高山木匠塾の環境は抜群です。野球大会や釣りなどリクレーションも存分に楽しみました。極めて充実した九日間だったように思います。今年も、第3回の「インターユニヴァーシティー・サマースクール」の開校が楽しみです。 

 百聞は一見に如かずです。飛騨の里というのは、木のことを学ぶには事欠かない、実にふさわしい場所だと思うのですが、そんなことを言えば、秋田の方がよりふさわしい筈です。昨年、この欄で、「秋田能代木匠塾の設立を」と題して、「秋田能代木匠塾と仮に呼ぶ、そんな空間はできないでしょうか。楽しみにしてます」と書いたのですが、その後、如何でしょうか。とりあえず、今年は、飛騨高山へ、学生達を教えにいらっしゃいませんか。




布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...