アジアの景観を探るー材料の未来,日経産業新聞,19930421
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2026年3月8日日曜日
2025年12月13日土曜日
チャンディー・チョト,at,デルファイ研究所,199310
チャンディー・チョト,at,デルファイ研究所,199310
チャンディー・チョト ジャワ
布野修司
チャンディー建築については、これまでにあまり知られていないチャンディ・スク(中部ジャワ)とトゥガリンガ(バリ)を紹介したけれども、もうひとつ紹介したいものがある。チャンディー・チョトである。
チャンディー・チョトというのは、中部ジャワの古都ソロ(スラカルタ)の東方、ラウ山( )の山腹に位置する。ということは、チャンディ・スクのすぐ近くということになる。チャンディー・スクは、エロティックなチャンディーということで地元の人にも知られているのであるが、チャンディー・チョトについてはそんなに知られていないのではないか。
性のシンボルが様々に埋め込まれたチャンディー・スクで不思議な気分にさせられたあと山を降りようとすると、近くにもうひとつチャンディーがあるという。見逃す手はない。好奇心にかられて行ってみた。チャンディー・スクからさらに登ったところになるほど不思議なチャンディーがもうひとつあった。それがチャンディー・チョトである。
チャンディー・チョトについてはほとんど情報がなかった。ジャワで出された『中部ジャワのチャンディー』( )という本には記述がないのである。後で調べると丁寧なガイドブックにはちゃんと場所が示されていたのであるが、名のみで何の記述もない、そんなチャンディーである。
まずは木造の建物の方形の屋根が目につく。バリのプラ( 寺院)に似ている。第一感はこれは新しいだろうということであった。イジュク(やしの繊維)で葺かれた屋根や木造が新しいのである。しかし、もちろん、木造の建造物は何度も建て替えてきたはずだ。
急な階段を上がると最初の広場に変なものがある。海亀の大きな姿が石のモザイクで描かれている。よくみると、魚や蟹がいる。そしてリンガもある。さらに、チャンディー・スクにもあった甲の平らな亀がある。明らかに、チャンンディー・スクの親戚のように思えた。ここでは亀は階段の踏石として使われている。チャンディー・スクの亀石も踏石だったのではないか。
スケールはチャンディー・チョトの方がはるかに大きい。ここでも軸線は一直線にとられ、はるかに下界をみおろしている。構成原理は同じだ。階段状の構成は、急でダイナミックである。最上部には同じようにピラミッド状のチャンディーがある。何故か、ここも上屋がない。
チャンディーの前に二対の祠があり、そこにリンガが奉られていた。随分と具象的である。男根崇拝は至るところにあるということか。ところが、その直後にみたものには、いささか度肝を抜かれてしまった。
最上部のチャンディーのさらに上に建物の陰がみえる。木造の塔のようである。近づいてみると三重の塔である。なんと、塔の上に巨大なリンガがそびえたっているではないか。
リンガを最重要の崇拝物とするのはシヴァ派である。あるいはタントラ教である。タントラ教は、宇宙の生成、発展を男女の性的結合になぞらえて理解する。そのシンボルがリンガであり、女性性器ヨーニである。リンガ、ヨーニに対する崇拝はもちろんタントリズムに固有というより、ヒンドゥー教全体のものである。ジャワのチャンディーは、ずいぶんと見て歩いた。リンガもずいぶんみた。しかし、チャンディー・チョトの三重の塔の上の、こんなあっけらかんなのは初めてであった。
2025年12月12日金曜日
ジャカルタ原住民・ベタウィの住居,at,デルファイ研究所,199303
ジャカルタ原住民・ベタウィの住居,at,デルファイ研究所,199303
ジャカルタの原住民・ベタウィの住居
ジャカルタ・チョンデット
布野修司
人口800万人を超える大都市ジャカルタ、そのジャカルタの南西部にチョンデット と呼ばれる地区がある。現在の行政区域でいうとバレカンバン、カンポン・テンガ、バトゥ・アンパルという三つのクルラハン(行政単位 連合町内会)からなるチリウン川沿いのかなり広大な地区である。
ジャカルタの歴史的地区というと、まず、北のコタ地区である。かってバタビア城があり、市庁舎を始め、コタ駅など歴史的建造物が建ち並ぶ旧市街である。それともうひとつ、現在の都心、ムルデカ広場を中心とする地区、およびそれに隣接する高級住宅地メンテンがある。この二つの地区は誰でも知っているのだが、もう一ケ所、その保存が計画されつつある地区がある。それがこのチョンデットである。
ジャカルタは、スンダ・カラパ( カラパは椰子を意味する)と呼ばれた頃からチリウン川とともに発達してきたのであるが、その遥か以前、先史時代からこのチョンデットには人々が居住してきた。様々な出土品がそれを物語るのである。
住民の八割は、ベタウィ と呼ばれるジャカルタ・アスリ(原住民)である。五〇万人と推定されるベタウィは、もちろん、他の地区にも分散して住むのであるが、その中心がこのチョンデットである。タルマヌガラ王国時代の港湾地区であり、今猶独自の文化を保持していることで知られのである。
今、訪れてみると、チリウン川は、汚染され淀んで強烈な臭いを放つ河口の様子からは想像できないほど豊かな樹木に覆われ、美しい。辺りには、果樹園が多く、のどかな農村の風景が広がる。家々が密集し、車が走り回る、騒々しいジャカルタにもこんなところが残っているのかと思う。
独自の衣食住文化を保持するといっても、残念なことにベタウィの伝統的住居として、その原型をとどめるものは極めて少ない。ジャカルタ市の建築保存課のウイスヌ・アルジョ氏に半日案内してもらったのであるが、なかなかみつからない。イスラム化、植民地化の過程で様々な要素が混じり合ってきたし、時代と共に変化もしてきているのである。
原型と思われるベタウィの住居は数十件程になってしまったというのであるが、そのプランはカンポンでよくみるもののように思えた。
屋根の形態は、寄棟、切妻などいくつかタイプがあるが、テラス、ルアン・タム(客間)、ルアン・ティドゥール(寝室)、ダプール(厨房)、カマール・マンディー(浴室・トイレ)、スムール(井戸)が前から後ろへ一列に配置されるのが基本的パターンなのである。
むしろ特徴は装飾である。ベタウィは、木彫を得意としたという。今でもチョンデットには、大工や職人が多く、家具や材木屋がやたらと目につくのである。
2025年12月11日木曜日
ソンボ・ハウジング・プロジェクト,at,デルファイ研究所, 199301
ソンボ・ハウジング・プロジェクト,at,デルファイ研究所, 199301
ソンボ・ハウジング・プロジェクト
マルチ・ディメンジョナル・ハウジング・プロジェクト
スラバヤ・ジャカルタ
布野修司
インドネシアで、いま、新しい形の集合住宅が生まれようとしている。カンポン・インプルーブメント・プログラム(KIP)の成果のあと、ジャカルタ、スラバヤといった大都市では、既成市街地の再開発という形での住宅供給が本格化しようとしているのであるが、それに先駆けて、実験的試みが展開されようとしているのである。リードするのは、スラバヤ工科大学のJ.シラス教授だ。
最初のプロジェクトは、スラバヤのデュパッ 地区のハウジング・プロジェクトである。続いて、ソンボ 地区の計画が進められ、もうすぐ完成する。そして、ジャカルタでも、J.シラス教授によるプロジェクトが建設中だ。プロガドン 地区のプロジェクトである。
三つのプロジェクトの基本的なコンセプトは同じである。何がその特徴なのか。何が新しいのか。J.シラス自身は、何も特別なことはないというのであるが、そうでもない。
その特徴は、ひとことでいうと、共用スペースが主体になっているところにある。リビングが共用である、厨房が共用である、カマール・マンディー(バス・トイレ)が共用である。もう少し、正確に言うと、通常の通路や廊下に当たるスペースがリッチにとられている。礼拝スペースが各階に設けられている。厨房は、各戸毎に区切られたものが一箇所にまとめられている。カマール・マンディーは二戸で一個を利用するかたちでまとめられている。まとめた共用部分をできるだけオープンにし、通風をとる。その特徴を書き上げ出せばきりがないけれど、およそ、以上のようだ。
このハウジング・システムをどう呼ぶか。マルチ・ディメンジョナル・ハウジングと呼ぼうと思う、というのがJ.シラスの答である。直訳すれば、多次元的ハウジングである。
デュパッやソンボを訪れてみると随分活気がある。コモンのリビングというか廊下がまるで通りのようなのである。そこに、カキ・リマ(屋台)ができ、作業場ができ、人だかりができるからである。二階であろうと三階であろうと、すぐにトコ(店舗)もできる。カンポンの生活そのままである。
シェルターだけつくっても仕方がない、経済的な支えもなければならないし、コミュニティーの質も維持されなければならない。マルチ・ディメンジョナル・ハウジングというのは、経済的、社会的、文化的、あらゆる次元を含み込んだハウジングという意味なのである。
J.シラスの場合、経験を積み重ねながら、よりよいデザインを目指すそうした姿勢が基本にある。デュパッの経験はもちろんソンボに生かされている。また、その設計施工の過程において、住民参加が基本になっている。
赤い瓦の勾配屋根を基調とするそのデザインは、カンポンの真直中にあって嫌みがない。素直なデザインの中に力強さがある。
2025年12月10日水曜日
BRI(ブリ)タワー,at,デルファイ研究所,199306
BRI(ブリ)タワー,at,デルファイ研究所,199306
ブリ(BRI)タワー ジャカルタ・スラバヤ
布野修司
二年ほど前、スラバヤに一際目立つ高層ビルが建った。BRIタワー、下層階にインドネシア銀行が入るオフィス・ビルである。ミラーグラスのカーテン・ウオールで、最上階が六角錐形に尖っている。カンポンの住居との対比が印象的だ。
アメリカの建築家のデザインだというのであるが、名前は確認し忘れた。ロンドンのドックランド、ピラミッドを頂く、シーザ・ペリの超高層ビルやヘルムート・ヤーンのシカゴの超高層ビルなど最近は頭に尖った帽子を被るのが流行らしい。
われわれにはどうということはないビルなのであるが、スラバヤでは相当話題になったらしい。「ちびた鉛筆ビル」などというニックネームがついたことがそれを示している。なるほどずんぐりむっくりのプロポーションは、使い古した鉛筆のようである。新しいビルだけど、使い古したというのだから、少し皮肉が込められたネーミングかもしれない。
昨年ジャカルタへ行ってびっくりした。この「ちびた鉛筆ビル」がジャカルタにもあるのである。高速道路を走りながら、慌ててシャッターをきったのであるが、見るからにそっくりである。写真を焼いて見比べて見ると、微妙にデザインが変えてある。しかし、素材や色の使い方からみて同じデザイナーであろう。このふたつのBRIタワーは、成長著しいインドネシアの都市のニュートレンドを象徴するかのようだ。
ある企業が同じスタイルで本社や支社をデザインすることはもちろんあるのだけれど、なんとなく嫌な感じがしないでもない。同じデザインを都市を違えて繰り返す建築家のセンスが気になるのである。
しかし、考えてみると、日本だってそう偉そうなことは言えない。新宿の副都心を見よ。みんなアメリカのどこかで見たような超高層ビルではないか。そう指摘する声は多い。ものまねが日本人の代名詞のように言われた時代はそう昔ではないのである。ジャカルタに行く度に気になるのがタムリン通りにあるあるビルだ。知る人ぞ知る、東京の新橋にあるビルとそっくりなのだ。
同じような材料やモチーフを用いることはよくあることだ。地域毎にスタイルは共有されてきたし、建築家個人のスタイルの一貫性もむしろ当然のこととされる。そもそも近代建築の理念は、世界中で共通のスタイルを実現することなのだから今更目くじらをたてても始まらないのであろう。全くのコピーをつくることはやらなかったにせよ、同じようなことは近代建築家が世界中の発展途上国でやってきたことだ。
ジャカルタにも随分と高層ビルが増えた。その中に、ポール・ルドルフによる高層ビルがある。ダルマラ・サクティ・ビルだ。いかにもルドルフらしい。しかし、それにしても、なつかしい過去の建築家に思えていたルドルフの顕在ぶりにジャカルタで出会おうとはなんか複雑な気分である。
2025年12月9日火曜日
ヤマトホテル,at,デルファイ研究所,199302
ヤマトホテル,at,デルファイ研究所,199302
ヤマトホテル スラバヤ 布野修司
スラバヤの目抜き通り、ジャラン・トゥンジュンガンにマジャパイトという小さなホテルがある。デュドック風というか、庇の水平性を強調してファサードを構成する小品だ。中に入ると、一階ロビーは吹き抜けており、シャンデリアが下がっている。上部にステンドグラスがめぐっていて、往時を忍ばせる。
インドネシアに近代建築をもたらしたのはオランダであり、アムステルダム・スクール、ロッテルダム・スクール、あるいはデュドックの影響などを様々にみることができるのであるが、この小品もそのひとつである。
スラバヤの近代建築というと、H.P.ベルラーヘが設計したアルヘメーネ(生命保険会社)の社屋がある。竣工は 年である。また、市庁舎を始めとするC.シトロエンのいくつかの作品が数少ない光彩を放っている。さらに、蘭領東インドで数多くの作品を手掛けたE.H.G.H.キュイペルスのいくつかの作品が残っている。しかし、残念ながらこのホテル・マジャパイトの建築家の名はわからない。
このなにげないホテルは、しかし、スラバヤの人にとって、また、インドネシアの全ての人にとって、大きな意味をもつホテルである。そしてさらに日本にとっても縁が深い。実は、このホテルは、かってヤマトホテルと呼ばれていたのだ。
日本の占領期に憲兵隊本部が置かれていたのがこのホテルである。そして、インドネシアの独立戦争の火蓋がきって落とされたのがこのヤマトホテルの前の戦闘なのである。
記念すべき日は、一九四五年一一月一〇日。これは、スラバヤの人々が永遠に記憶する日付だ。スラバヤ工科大学の正式名称は、「11月10日スラバヤ工科大学」というのである。
植民地支配復活の意図をもってスラバヤに上陸した連合軍(英印軍)とスラバヤ民衆が衝突、以降、全市が制圧されるまで一五日間の壮絶な戦闘が繰り広げられたのであった。
いま、ホテル・マジャパイトを訪れると、その闘いを記録する数葉の写真がロビーに飾られている。また、イドルス(一九二一-七九)が、独立戦争最大の闘いとなったこのスラバヤの戦闘を舞台にした小説『スラバヤ』( )を書いている。
「数人の混血児が敢えて赤白青の三色旗をヤマトホテルに掲げようとしたとき、インドネシア人はひどく驚いた。驚いた人々はだんだん数が増え、増えるにつれてホテルに近づいていった。突然ひとりの青年がまえにとび出した。彼はポールによじ登ると、旗から青地部分を引き裂いた。」
オランダの三色旗から、青地部分を引き裂くと、赤白の現在のインドネシア国旗になる。『スラバヤ』冒頭の実際にあった有名なエピソードである。
グナワン・モハマッド、イグナス・クレデン編 『インドネシア短編小説集』(佐々木重次監訳 勁草書房 一九八三年)所収
押川典昭訳『スラバヤ』
2025年6月14日土曜日
2025年6月13日金曜日
2025年5月15日木曜日
2025年2月15日土曜日
死者の家:トバ・バタックの家,at,デルファイ研究所,199311
死者の家:トバ・バタックの家,at,デルファイ研究所,199311A
死者の家 トバ・バタックの墓 スマトラ
布野修司
東南アジアを歩いていて、興味深いのが墓である。実に様々な形態の墓がみられるのである。
インドネシア、マレーシアはムスリムが多いから、イスラームの墓を頻繁に眼にするのだが、これが実にそっけない。土葬なのであるが、極端な場合、土を盛って木を一本立てただけのものがある。普通、四角く囲って、頭に低い石柱もしくは木杭が立てられる。足の所にも立てられ一対となるケースも多い。もちろん、立派なものになると墓石がつくられ、墓の上にシェルターがつくられたりするのであるが、一般的に単純なものが多い。東南アジアの場合、頭をメッカの方に向けるのが多い印象だけれど、てんでバラバラの場合もある。
イスラームの死生観は、ヒンドゥー教や仏教とは随分異なっているようだ。イスラーム各派で埋葬の形は異なるのだが、サウジアラビアなどでは、特別な葬儀や墓参を全く行わず、埋葬のあとにも墓標を立てないのだという。
ムスリムにとって、現世の死はそのまま全ての終わりを意味しない。それは束の間の眠りの期間にすぎず、ほどなく審判をうけた後、天国なり地獄で永遠の来世を送る一ステップに過ぎない。人によっては、死は一〇日、あるいは一日か半日の出来事にしか感じられないものだという。墓はあんまり意味がないのである。
スラバヤのカンポン(都市内集落)を歩いていて、そこが墓地だと気づいてぞっとしたことがあるのであるが、ムスリムにとっては墓地に住むことはそう違和感がないのである。
それに対して、イスラーム化以前の墓や墓地には様々なものがある。東南アジアには入念な葬送儀礼を行なう地域が多かったのである。死者の記念として、石を工作したり、巨石を建てたりすることは、ニアス、トバ、トラジャ、中央スラウェシ、フローレス島、スンバを含む島嶼部の他の多くの地域社会の特徴である。
墓は「死者の家」である。家の形をした墓もよく見かける。サラワク、低地バラム地方のブラワン族は、死者の骨を洗い、サロンと呼ばれる見事な彫刻が施された共同霊廟にそれを安置する。バロック的な棟飾りを持った同様の霊廟は、サラワクのケンヤ族、カヤン族、カジャン族、プナン・バ族などでも一つの特徴となっている。また、イバン族は、優雅に彫刻されたスンカップと呼ばれる小さな「埋葬小屋」を作る。
北スマトラのトバ・バタック族は、住居を模した霊廟を建てた。ほとんどがキリスト教に改宗したのであるが、今日でもその伝統が残っている。その霊廟はかつては石造であったが、今日では、一般的にペンキを塗ったコンクリートで作られており、伝統的な住居の形を模した精巧な複製となっている。住居型の墓は、トバのいたるところに点在しており、巨大なトバ湖の中央にあるサモシル島には、特に多くみられる。また、同じバタックでも、カロ高原のカロ・バタックは、特異な形態をした納骨堂をもつ。
土着宗教において、先祖との実り多い関係を維持することは極めて重要であった。そのための施設である、墓や廟や納骨堂は、先祖のための家であり、生きている者と先祖との交流のための空間なのである。
2025年2月14日金曜日
石窟寺院トゥガリンガ,at,デルファイ研究所,199304
石窟寺院トゥガリンガ,at,デルファイ研究所,199304
石窟寺院 トゥガリンガ バリーギャニャール 布野修司
アジャンタ、エローラ、エレファンタ、カーリなどインドの石窟寺院には及ぶべくもないのだが、ジャワやバリでも石窟のチャンディー(ヒンドゥー寺院)がつくられている。
バリ島の石窟寺院というとゴア・ガジャ である。バリを訪れる人であればこの「象の洞窟」は誰でも知っているのではないか。洞窟そのものはTの字形の平面をした小さなものだが、何よりも、異形の怪物が口をあんぐりと開けたそのエントランスが強烈だ。バリの芝居に出てくる魔女ランダの顔を思わせる。あるいは、バロック的石窟寺院といってもいいかもしれない。
全体としてこじんまりと谷になった境内は実にいい雰囲気である。豊かな水が流れ落ちる沐浴場もいい。その沐浴場が発見されたのは戦後のことだというから、ちょっと驚く。
しかし、シチュエーションの妙といったらグヌン・カウィ だろう。ゴア・ガジャよりはるかにダイナミックなスケールがある。すり鉢状に棚田が囲む谷を降りていくと、谷底を流れる川を挟んで石窟のチャンディー(ヒンドゥー寺院)が建ち並ぶのであるが、そこへ至るアプローチがすばらしいのである。
王と女王の墓地にはそれぞれ数基のチャンディーが掘り出されようとして中断したままになっている。プロポーションをみると、縦に細長い東部ジャワのチャンディーに近い。一一世紀後半とみられるから、東部ジャワのヒンドゥー王国の影響が既に及んでいたということだろうか
2025年2月12日水曜日
ランシット・ハウジング・プロジェクト,at,デルファイ研究所,199309
ランシット・ハウジング・プロジェクト,at,デルファイ研究所,199309
ランシット・ハウジング・プロジェクト バンコク
布野修司
バンコクの近郊、ランシットのコア・ハウス・プロジェクトである。このプロジェクトは、C.アレグザンダーがリマのコンペで提案したものによく似ている。それもそのはず、このプロジェクトのアイディアは、C.アレグザンダーの共同者であり、『パターン・ランゲージ』の共著者でもあるS.エンジェル(当時アジア工科大学教授)によって提案されたものなのである。
模型で分かるように、敷地が細長く短冊状に分けられている。そして、コア・ハウスが長屋建てで一列に建てられる。リマの場合、コア・ハウスは二階建てであるが、ここでは平屋だ。各入居者は、それぞれの資力と要求に応じて、自分の敷地に増築していくわけである。模型は居住者用につくられたもので、八つの増築パターンが示されていた。
ここも何年か時間を置いて二度ほど訪れてみた。二度目にいってみると様々な増築がなされていた。すぐにペンキを塗る。絵を描く。日本にはないセンスである。一室増築したものがある。緑がすぐ育つから一年もあれば町らしくなる。敷地一杯に増築した例さえ見られたのであった。
バンコクでも、他にいくつかのコア・ハウス・プロジェクトがある。PCパネルによるプレファブのコア・ハウスも試みられた。トゥン・ソン・ホンのハウジング・プロジェクトがそうである。
コア・ハウス・プロジェクトには色々のタイプがある。インドネシアの例では、敷地を田の字型に分割し、その中央に四軒分のコア・ハウスを建てるものがある。材料も乾燥地域に行けば、当然、日干し煉瓦によるコア・ハウスがつくられている。
ところが、こうして様々な建築的アイディアにみちたプロジェクトも、必ずしも成功したとはいえない限界があった。第一の理由は、コア・ハウス・プロジェクトが、リセツルメント(再定住)・プロジェクトの一環として行われてきたことである。リセツルメントとは、「スラム」居住者を都市近郊に移住させるプロジェクトのことである。インドネシアやフィリピンの場合、他の島へ移住させる場合もある。その場合、トランスマイグレーションとかイミグレーションと言われる。
とにかくそうした場合、移住したのはいいが、生計をたてる手段が用意されていないのである。工場などが設置され、雇用を吸収する、そうした計画はなされても現実には困難が多かった。農業をやるにも条件の悪いことが多かったのである。
いくら居住条件が多少よくなっても、生計を立てれないのであれば都心に戻るしかない。都心に住む事によって様々な収入が得られる。商売のネットワークも都心だから存在する。「スラム・クリアランス」が問題なのは、そうしたネットワークや経済基盤をずたずたにするからである。かくして、コア・ハウスの居住者も、それを放棄して都心へユーターンする、そんな現象が広範に見られたのである。
2024年4月16日火曜日
建設省住宅局編:これからの中高層ハウジング,丸善, 1993年
中高層ハウジングの「かたち」と供給システム
布野修司
中高層ハウジング=積層集合住宅(地)の多様な形式
中高層ハウジングのめざすもの、その基本理念、指針、基本モデルのための5つの柱から、具体的にはどのような「かたち」が導かれるのか。
中高層ハウジングというと、日本では「マンション」「公団住宅」などの中高層集合住宅がイメージされる。しかし、ここでいう中高層ハウジングは、現在日本に見られる中高層住宅を前提にしているわけではない。むしろ、日本のこれまでの中高層住宅と異なる「かたち」を目指したい。また、その基本理念は別の「かたち」を要求しているはずである。
日本の集合住宅は必ずしも多様でもない。というより、画一的だと指摘されることが多い。住戸形式もnLDKという記号で表現されるほど定型化され、その定型化された住戸をただ並べ、積み重ねるだけの「かたち」が一般的である。そして、そうした集合住宅によって形成されるまちの景観もそう豊かではない。同じような集合住宅が建ち並ぶ日本の団地の景観は、日本のまちの象徴である。
中高層ハウジングの解答はひとつではない、立地により、建設・維持のしくみにより、またそこに暮らす人びとの生活により、さまざまな「かたち」をとる、中高層ハウジングは多様である、というのが第一の基本理念である。
中高層ハウジングといっても、必ずしも階(層)数が問題なのではない。2~3層が低層、エレベーターを用いない5層までが中層、エレベーターの必要なのが高層というのが一般的分類であるが、高齢者やハンディキャップトのために2~3階建ての戸建住宅にもリフトが使用されるとするとその区別は本質的ではない。接地性(地面への近さ)による区別も、庭園や立体街路を各層に取り込む形になると必ずしも本質的ではない。テーマとなるのは、積層する住居の集合の「かたち」であり、立体的に住む住み方である。
都市型住宅のかたち=共用空間の多様な形式
中高層ハウジングは都市型のハウジングである。一戸一戸が独立するかたちの戸建住宅とは違って、集まって住む「かたち」が問題となる。廊下階段、壁など躯体のみを共有する区分所有の形式が一般的であるが、「所有」から「利用」へ、住居に対する価値観が転換して行くとすれば、何を「共有」し「共用」するかが問題になる。中高層ハウジングの「かたち」、集まって住むかたちを決めるのは、ある意味では「共用空間」の「かたち」である。そして、その「かたち」は住戸の形式とも関わる。
・厨房、食堂、居間などの空間を含めてほとんど全てのサーヴィス機能を共有する形式(例えば、「ホテル型マンション」)。
・厨房、バス、トイレなど設備のいくつかを共用する形式(コレクティブ・ハウス、設備共用アパート)
・部屋を共用する形式(例えば、倉庫、ピアノ室、書斎・勉強部屋などを一定期間賃貸する)
・廊下・通路空間を共用居間として利用する形式。
すなわち、住機能をどのように配分するかによって多様な「かたち」がつくられる。さらに、集まって住むために必要な施設、店舗や集会所などのコミュニティ施設が有機的に組み込まれて多様な中高層ハウジングの「かたち」がつくり出されるのである。
中高層ハウジングの骨格=スケルトンの3つの型
中高層ハウジングが以上のように多様な「かたち」をとることを前提にした上で、具体的な「かたち」を考えよう。積み重なって住むことを可能にし、しかも多様な住戸形式、集合形式を可能にする手法が「スケルトン(躯体)分離」である。スケルトンとインフィル(内装)を分離することによって、居住者自ら住環境をつくりだす手掛かりを与えることができ、維持管理に関わる耐用年限の違いにも対応できる。
多様といっても、それを物理的に実現するシステムが問題となる。技術的には無限の方法があるわけではない。その基本は建設システム、中でもスケルトン(躯体)のシステムである。スケルトンは、原理的に以下のO、A、Bの三つに分けられる。
O 柱列型スケルトン
A 壁型スケルトン
B 地盤型スケルトン
もちろん、このO、A、Bのそれぞれにも構造技術的にヴァリエーションがある。しかし、めざすべき中高層ハウジングの「かたち」について大きな整理ができ、最初の出発点になる。O、A、Bは、それぞれ大きく集合形式を規定し、住戸形式にも制約を与える。例えば、A型は、O型、B型に比べて、住戸単位の「かたち」や大きさを規定する。また、「共用空間」のシステムなど集合のためのサブ・システムがさらに必要となる。
いずれにせよ、スケルトンの3つの型によって、中高層ハウジングの骨格を得ることが出来る。
中高層ハウジングの供給モデル=土地・建物の所有(権移転)のモデル
中高層ハウジングの「かたち」は、その立地によって異なる。従って、具体的な場所を設定しなければその「かたち」を議論することが出来ない。ここで具体的な敷地を設定する前提として、供給モデルを設定する必要がある。手掛かりは現実性である。また、中高層ハウジングの基本理念である。土地・建物の所有権の移転、供給主体に着目して供給システムを分析すると以下のような三つの供給(事業)モデルを設定できる。
供給O型:個人の土地所有者による供給モデル(賃貸マンション、定期借地権付きマンション)。
供給A型:供給後、居住者が土地・建物を共有するモデル(分譲マンション)。
供給B型:供給後、法人・公共団体が土地・建物を所有する供給モデル(公団賃貸住宅、社宅・会員制マンション)。
すなわち、供給後の土地・建物の所有形態によってわけるのである。ストック社会における住居形態を考える上で、ストックをどう維持管理するかが極めて重要なのである。
中高層ハウジングの立地と開発モデル
供給主体、そして供給後の土地・建物の所有関係のイメージを、ある程度以上のように区別した上で、中高層ハウジングの立地を考えてみると、その供給(開発)規模によって供給形態を区別することができる。
開発O型ー1(One
apartment)住棟規模:
開発A型ー団地(an Apartment
complex)規模:
開発B型ー街区(Block)レヴェル:
O型の開発が隣接すれば、複数棟の開発になり、あらかじめ計画されるとするとA型の開発になる。また、さらに複数棟の開発が連続すれば街区単位の開発につながり、B型につながる。そうした意味でO型は基本である。しかし、規模によって「共有空間」のとり方に差異がある。
中高層ハウジングの敷地を具体的に設定するには、当然、協調建替え、換地など都市計画的手法が必要である。また、敷地の形状に応じて、何段階かの開発プロセスが必要となる。まちづくりのプロセスとリンクすることにおいて、中高層ハウジングは都市型ハウジングとなりうるのである。
中高層ハウジングの三つの型 98O、98A、98B
スケルトンのOAB、供給モデルのoab、開発OABの区分において、原理的には3×3×3=27(OoO)(OoA)・・・・(BbB)のパターンが設定できる。しかし、現実に最も可能性が高い組み合わせが(OoO)(AaA)(BbB)の三つである。紛らわしが、OABという同じ記号を用いた理由である。特にスケルトンの型と開発(供給)規模には対応関係がある。スケルトンO型はどんな規模にも対応できるけれど、スケルトンA、B型はそれぞれ開発A、B型が最も適している。そこでスケルトンの型と供給規模の型を合わせてAOBの三つの型を考える。供給oabとの組み合わせが9パターン考えられるが(oB)(bA)の組み合わせは考えにくい。最も可能性高いケースが(Oo)(Aa)(Bb)である。そこで基本設計モデルのために単純化して三つの分類視点を会わせて、OABの三つの型を区別する。戦後日本の住宅のモデルとなった51cにならえば、98OABである。(Oa)(Ob)(Ao)(Ba)もその応用としてかんがえることができるだろう。
以上において、中高層ハウジングのおよその「かたち」(スケルトン、敷地規模)が設定できた。それでは、具体的な住戸、住棟、団地、街区のイメージはどのような「かたち」をとるのか。居住者によっては具体的な「かたち」こそ問題である。
しかし、ここではnLDKといった住戸モデル、階段室型といった住棟モデルは提出されない。すべて、立地、維持管理の仕組み、居住者の参加に仕方等によって「かたち」は変わりうる。中高層ハウジングが目指すのものが、居住者自らの居住環境形成であり、集まって住む多様な「かたち」であるが故に、後は個々の実例を積み重ねる必要がある。具体的な「かたち」が積み重ねられることによって、いくつかの型が生み出されるとすれば、中高層ハウジングという中性的な名称ではなく、また、「マンション」「アパート」「公団住宅」といったネーミングとは違う名前が定着することになるであろう。「つくば方式」「保谷Ⅰ、Ⅱ」といった地域名が冠されることになるかもしれない。
日本の「まち」に相応しい都市型住宅が成立するかどうか、はもちろん、日本における家族や社会のあり方がどうなるか、また、それを支える様々な制度がどうなっていくかが問題である。高齢化が進行し、高齢の単身者が増えて行くとすれば、厨房や居間を共用するかたちのコレクティブ・ハウスの形式やケア付き住宅は不可欠である。女性の社会進出も、住宅の形式を変える可能性がある。外国人など文化的な背景を異にする人が集まって住むとすれば、当然これまでと異なる形式が必要になる。nLDKモデルだけでは対応できないことは明らかであろう。
それに中高層ハウジングがひとつのまちであるとすると、住居以外の機能を持った空間が様々に挿入された新しい形式が必要になる。その「かたち」が日本の集合住宅を大きく変えることになろう。
2024年1月13日土曜日
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布野修司 履歴 2025年1月1日
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