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2022年12月4日日曜日

第一回出雲建築展・シンポジウム,雑木林の世界28,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199112

 第一回出雲建築展・シンポジウム,雑木林の世界28,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199112

雑木林の世界28

第一回出雲建築展・シンポジウム

                        布野修司

 

 京都はまだ右も左もわからない。当り前である。

 研究室で雑用をしていると、全建連の吉沢健さんから電話が入る。京都府にも建築技能者養成のプログラムがあるから宜しくとのこと。一時間もしないうちに、京都府建築工業協同組合の専務理事、高瀬嘉一郎さんが部屋にお見えになった。心底驚いた。日本は狭い。短い時間であったけれど、少しは京都の職人さんの世界のことを教えて頂いた。

 「京都の景観保存というけれど、町家や社寺仏閣を建て、維持修理する職人がいなくなったらどうなるのか」

 「京都で職人が育たなくなったら、全国どこでも駄目なんじゃないか」

 いちいちうなづいた。京都でも建築技能者養成のプログラムが開始される。「木の文化研究センター」構想と連動する可能性もあるという。楽しみなことである。

 また、過日、京都府建設業協会を訪ねた。サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)の国際シンポジウムのために「ユニフォーム」をお借りするためにである。

 全く知らなかったのだけれど、京都府建設業協会では、もう三年も前から、「SAYプロジェクト」を実施中である「SAY」とは、ストレート・トゥー・ザ・ヤングの略だ。建設現場のイメージアップのために、作業服のデザインを公募し、実際入選作を制作した上でファッション・ショーを行うなど大キャンペーンを展開中なのである。多くの力作を応募したのは高校生である。何故、現場が魅力がないか、どうすればいいか、をめぐって先生と高校生が討議したCDもつくられていた。プロジェクトのビデオを見せて頂いたのであるが、熱気に圧倒されるようであった。古都に、全国に先駆けて新しい動きが起こっているのである。

 とにかく学ぶことは多いのだ。そんな中、「布野修司関西移住歓迎会」(十月一八日)などという本人にとって気恥ずかしくなるような会を開いて頂いた。そんな厚かましい態度をいつもしているのであろうか。どうせ、酒の肴と思うものの、照れくさい。随分と盛会であった。今をときめく高松伸との対談というスタイルが効を奏したのであろう。アトラクションは、実際、高松先生のワンマンショーのようであった。高松伸と僕とは、すぐ後で触れるように、出雲出身で同郷である。同郷のよしみで一肌脱いでくれたのである。

 とにかく、多くの人に会った。東孝光、有村桂子、安藤忠雄、磯野英生、遠藤剛生、柏木浩一、京極迪宏、久保田晃、重村力、永田祐三、鳴海邦磧、人長信昭、平山明義、本多友常、山崎泰孝、渡辺豊和、・・・デザイナー、建築家が多かったのかもしれない。とにかく大変なネットワークで、感謝感激である。実に心強い。

 

 ところで、「出雲建築フォーラム」については、本欄(「雑木林の世界ー9」 一九九〇年五月号)で触れたことがある。その最後はこう締めくくられている。

「・・・・とりあえず、神有月に全国から建築家たちが出雲へ参集する、そんなフォーラムのプログラムでも考えてみようかと、出雲の仲間達と考えはじめたところだ。」

 その後、どうなったか。自分でもびっくりするほどだ。あっという間に「出雲建築フォーラム(IAF)」が組織され、第一回出雲建築展が催されるに至ったのである。

 出雲建築フォーラムは、設立趣旨に次のようにいう。

 「豊かな建築文化を目指し、「出雲」に住む、あるいは「出雲」出身の、さらには「出雲」になんらかの縁のある建築家、評論家、建築愛好家により、「出雲」の都市、建築、住まい・街を考える出雲建築フォーラムを設立する。古代、「出雲」は、大和とは異なるもう一つの文化圏として、また中国、朝鮮からの文化の受け皿として、「日本文化の原点」たる役割をもっていた地域である。出雲建築フォーラムの設立は、環境問題、都市問題が痛切に叫ばれる現代日本において、町づくり、地域開発等、建築が関わる問題を原点に立ち返って考える試みであり、同時に「出雲」の「町起こし」、「地域起こし」である。「地方の時代」といわれて久しいが、現実には多くの地方都市で「開発」の名のもとに東京のコピー化が進んでいるばかりである。また、建築界に目をやれば、景観保存、伝統建築の存在を無視した建築ラッシュが続いている感がある。このような現状を見据え、出雲建築フォーラムは、伝統文化、伝統建築、景観保存の問題を踏まえながら、各自の研讃を積み地方都市創生のあり方に一石を投じる場とする計画である。

 ※「出雲」とは、地域としての出雲の国であると同時に、「大和」に対するもう一つの日本文化の発祥地としての「出雲」でもある。具体的地域としては「石見」を含む「島根」、さらに「鳥取」を含めた「山陰」までの地域的広がりを持たせる。」

 出雲出身の建築評論家、長谷川尭さんにも喜んで賛同して頂いた。また、出雲建築展の審査委員長も務めて頂くことになった。

 出雲建築展というアイディアは、高松伸の発案になる。展覧会を毎年(今のところ二年に一回の予定?)開催していくことにおいて、出雲の建築文化を考える恒常的な場にしたい、地域の建築家にとっても、出雲で仕事をする建築家にとっても、共通の場をつくりたい、というのが目的である。

 第一回のテーマは、「出雲の建築的表現」である。いささか抽象的である。一回目と言うことで、少し、構えすぎたかも知れない。「出雲」というときの建築的イメージはなにかを考えてみようということである。大社造りの巨大木造建築、荒神谷の青銅器、玉鋼の鉄の文化、歌舞伎の発祥等々、「出雲」はどのようにイメージされるか、そしてどう建築的に表現されるか、最初のテーマとしたのである。賞金百万円も用意された。大変な組織力である。

 十月一二日には、審査会(審査委員 長谷川尭、藤間享、和田嘉宥、高松伸、布野修司)が行われた。展覧会は一一月三日~四日、元JR出雲大社駅駅舎(赤字ローカル線というので廃止されたが、和風のユニークな駅舎)で開かれた。相田武文、菊竹清訓、渡辺豊和、毛綱毅曠、山崎泰孝、高松伸、新居千秋、竹山聖、宇野求といった招待作家も、力作を寄せてくれ、大いに盛り上がった。また、一一月四日には、表彰式とシンポジウムが出雲大社社務所で賑やかに開かれた。

 「大和建築」に対して、「出雲建築」というものが果して考えられるか。出雲に独自の空間のあり方、自然と人間との独自の関わり、スケール感覚等々が果してあるのか。なかなかに興味深い。僕自身色々と突き詰めて考えてみたいことがでてくる、そんな刺激的なシンポジウムであった。毎年、神在月が楽しみである。

 





 

 


2022年2月18日金曜日