このブログを検索

ラベル 出所不明 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 出所不明 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年2月9日日曜日

真鶴町(神奈川県)美の条例

 真鶴町(神奈川県)美の条例

 

 人口1万人弱の町の実験的試みである。日本の都市計画行政は基本的にはコントロール行政である。「建築基準法」や「都市計画法」によって、土地利用や開発行為は規制を受ける。しかし、そうした法律だけで美しい都市景観が生み出されるとは限らない。全国画一的な法律ではなく、自治体独自の「条例」によって、望ましい街並みを誘導しようというのが真鶴町の「美の条例」である。

 条例は6章31条からなっている。住民参加を義務づける画期的な内容になっている。中でもユニークなのは、第10条「美の原則」である。「場所」(建築は場所を尊重し、風景を支配しないようにしなければならない)など、「格づけ」「尺度」「調和」「材料」「装飾と芸術」「コミュニティ」「眺め」に関わる八つの原則からなっている。また、69のキーワードが用意されている。下敷きになっているのは、C.アレグザンダーの「パターン・ランゲージ」である。また、チャールズ皇太子の「英国の未来像ー建築に関する考察」における10原則である。

 この「美の条例」をめぐっては様々な議論が巻起こった。美は絶対的なものか、美は強制できるのか、等々。評価は分かれるが、ユニークな試みとは言えるだろう。具体的にはコミュニティ・センターが「パターン・ランゲージ」の方法に従って設計された。

2025年2月2日日曜日

 祇園祭・山鉾町と作事方・・・京町家と建築生産組織、

  祇園祭・山鉾町と作事方・・・京町家と建築生産組織

                              布野修司

       

 はじめに

 景観コントロールあるいは景観形成の手法をめぐっては「タウンアーキテクト」制なるものを考えたいと思う。しかし、ここでは極めて具体的に京都の都心部、山鉾町の景観について考える素材を提供したい。祇園祭の山鉾の巡航する山鉾町は、山鉾と町並みとの関係において何らかのコントロールが可能である(形態規制等の制限が多くの市民によって共有される)と考える。しかし、具体的な景観を支える、あるいは再生させるメカニズムには多くの問題がある。防火規制、税制等の問題も大きいが、ここでは京町家を維持する職人の問題を提起したい。

 かって、住宅生産を担う職人たちは、地域と密着する形で存在してきた。建築職人は単に住宅生産のみならず、地域社会に対しても様々な役割を果たしてきた。例えば江戸の鳶は、町火消しとして町内の便利屋的存在であり、後世まで地つきの頭として地域に大きな影響を及ぼしたとされる。また、祭礼への参加は地域の鳶、大工などの大きな仕事であった。今日でも、飛騨の高山祭りや秩父の夜祭りといった祭礼において、山や屋台を組み立て祭りを取り仕切るのは、ほとんどが同じ町内か特定の出入り筋の建築職人たちである。しかし、地域の住宅生産システムの解体、変容が一般的趨勢となる中で、建築職人の地域との関わりは希薄になりつつある。そこで、建築生産、特に住宅生産における新たな仕組みをどう再構築するか、街並み保存やまちづくりといった課題に対して、住宅生産システム(住まい手・地域住民・つくり手・材料・部品等の諸関係)をどう考えるか、が大きなテーマとなる。

 山鉾町には数多くの京町家が残っており、その保存、維持管理、修復、再生が大きな課題とされている。しかし、現実には、木造町家に関する防火規定など数多くの問題がある。そして、具体的な再生事例で意識されるのが建築職人不足の問題である。京町家の今後のあり方を考えるために、それを支える建築生産組織のあり方についての考察は不可欠である。祇園祭においてハイライトとなる山鉾の巡航のために、山車、笠鉾を組み立てる作業は大工、鳶など建築職人によって行われてきた。その持続的関係に、地域と建築生産組織の新たな方向が見出せるのではないかというのがひとつの視点である。しかし、その実態はいささか寂しい。

 

□山鉾町と建築生産組織

 a 山鉾町の建設動向

 山鉾町の構成を、建築構造別、階数別、人口別に見ると、全体的な傾向を明快に指摘できる。中心業務地区の中でもその中心といっていい四条烏丸付近は、そのほとんどが業務用建物であり、容積率一杯に建てられる中高層建築となっている。現行の建築基準法や消防法のもとでは、木造建築の増改築、新築は困難であり、木造建築物は一貫して減少している。

 木造建築物数の多い風早町、百足屋町、三条町では、低層建物が多く、相対的に人口も多い。一方、木造建築物の少ない長刀鉾町、凾谷鉾町、鶏鉾町では、5階以上の建築物の割合が全体の70%近く占めており、そのほとんどが業務用建物である。

 10年間(198595)の動向をみると、建替率が高いのは四条烏丸の交差点を中心とした地区である。建替率の低いのは新町通り沿いと綾小路通り以南の地区である。木造建築物率の低い地区ほど建替率が高く、逆に木造建築物率の高い地区ほど建替率が低い。10年間に山鉾町内で確認申請された建築物は125件、そのうち木造建築物は20件である。全体の52%を占める64件もの建物が5階建て以上の非木造建築である。また、木造建築のうち、4件が専用住宅であり、そのうち2件が木造3階建て住宅である。用途別では、専用住宅が15件、53件が事業所もしくは店舗など非住宅系の建築物である。住機能を有するものの内でも、専用住宅よりも店舗もしくは事業所併用住宅が多いこと、共同住宅よりも店舗もしくは事業所併用住宅が多いことが山鉾町の特色である。

 b 建築生産組織と山鉾町

 10年間(188695)の125件の申請建築物の設計者を見ると、山鉾町内に事業所を構える設計士事務所数は7あり、都心4区(上京、中京、左京、東山)に43、その他京都市内に43、京都府内に8、残りの24が京都府外の設計士事務所による。山鉾町内に事業所を構える施工者は1社だけであり、都心4区に22、その他京都市内に31、京都府内に4、残りの23が京都府外となっている。

 年度ごとに動向は異なり必ずしも一般化できないが、山鉾町と設計者、施工者が地縁的な関係をもたなくなりつつあることははっきりしている。京都府内(京都市以外)に分類される設計者、施工者がともに少なく、特に施工者は他府県からの参入が多いことがそれを示している。他府県からの施工者のうち最も多いのは大阪からで全体の82.6%を占めている。残りは東京が13.0%、愛知が4.3%である。注目すべきは、相対的に見て、施工者より設計者の方が山鉾町に地域的に関係が深いことである。

 京都市内に在住する設計者、施工者の分布状況を事業者統計をもとに行政区ごとに見た場合、設計者は多い順に中京区38.7%、左京区14.0%、下京区9.7%、北区8.6%、右京区・山科区7.5%、南区4.3%、上京区・伏見区3.2%、東山区2.2%、西区1.1%となっている。施工者の場合も一番多いのは中京区で24.1%、以下、右京区18.5%、下京区16.7%、左京区11.1%、西京区9.3%、伏見区7.4%、南区5.6%、山科区3.7%、上京区・北区1.9%となっている。

 設計者と施工者も多くが中京区を拠点としている。また、下京区もかなりの高い割合を示している。これは、京都市全体の行政区別全事業所の分布とはかなり異なっており、建築産業の特性を示していると考えられる。ただ、中京区の施工者のほとんどが西ノ京や壬生といった西部地区に立地しており、山鉾町に近接しているわけではない。

 

 □祇園祭と建築生産組織・・・祇園祭と作事方

 a. 作事方の仕事

 祇園祭の山車、笠鉾の組立に関わる人々は、祭礼時において「作事方(組立方・建て方)」と呼ばれ、役職に応じて「大工方」、「手伝方(てったいかた)」、「車方」、「屋根方」、「曳方・舁方」などに分けられる。祇園祭の諸行事で建築職人を中心とする人々(以降、作事方と総称)が関わるのは、鉾建・鉾曳初、山建・山舁初、山鉾飾、山鉾巡行、山鉾解体などである。

 現在の祇園祭が一般的に山鉾巡行、宵山、宵々山の賑わいを中心とすることから、作事方が祇園祭の重要な担い手であることは明らかであるが、彼らは以下のようなさらに多くの細かい仕事を担っている。

 ・人夫集め:祇園祭に関わる細事について、人口減少と財政的な面から、1975年頃から学生をアルバイトとして使ってきたが、学生も思うように集まらないのが現状である。山鉾町ごとに保存会などを通じて、京都府以外に住んでいる人を含めて地区外から集めるかたちが多い。人々を集め、それぞれを適当な位置に配置させ、取り仕切るのは作事方の役割である。

 ・吉符入り、その他の神事:吉符入りとは神事始めのことであり、各山鉾町は収蔵庫を開いて神餞を供え、約1ヶ月に及ぶ祭の無事を祈願するほか、各種の打ち合わせを行う。その打合せに作事方の代表は出席する。また、それ以降も山鉾町の諸行事のほとんど全てに出席するのが慣例である。それぞれの行事において作事方がなにがしかの重要な地位を占めることは滅多にないが、実際には作事方が全ての面で中心となっている山鉾町が増えつつある。

 ・山鉾建て:山鉾は、その都度組み立てられ、解体される。山鉾は710日頃から建て始められ、山鉾巡行の修了した17日の夕方に解体され始める。

 ・山鉾巡行:巡行時には交代人員も含めて約3040人もの人が山鉾に乗り、さらに多くの人々がそれに従う。それぞれの役割に応じて、曳方、車方、音頭取、屋根方、囃方などと呼ばれ、そのうち作事方が担うのは曳方、車方、屋根方の三役である。

 ・山鉾解体:巡行が終わるとすぐさま解体が始められる。解体終了によって、作事方の仕事は終わる。

 この他、駒形提灯等の飾り付けや交通整理、町席内の飾り付けや巡行中の留守番といった役割を作事方が行う山鉾町もある。また祭礼時以外にも、山鉾の修理や材料、人員確保など、日常から祇園祭と作事方は関わりをもっている。

 

 b. 作事方の継承

 作事方がどのような経緯で祇園祭と関わりをもつようになったのかは様々である。最も古くから山鉾建てに関わるようになったのはE山作事方のy大工店で1928年からである。最も新しいJi山作事方のw組で1986年からである。平均で19578年、約40年前からということになる。

 d工務店は、Ki鉾・U山・Ta山・To山の4つの山鉾の作事方を務めている。過去にはJi山、Ay鉾、Iw山、Si鉾、Mo山の山鉾にも関わったことがある。祇園祭に関わるようになったのは、1952年のKi鉾再建工事からである。昭和に入って再建されたTo山・Si鉾・Ay鉾はすべてd工務店が関わっている。他にも、先祭と後祭が統合される以前は2つ以上の山鉾の作事方をやっていたというところがかなりある。

 Tu鉾作事方のe工務店と、Ya山作事方のk工務店は兄弟弟子で、ともにTu鉾の作事方をしていたという関係がある。1957年にそれまでYa山の作事方をしていた棟梁がやめ、k工務店が引き受けることになった。k工務店は、現在でもYa山の作事方もしながらTu鉾の組立にも参加している。当時は現在のように山と鉾とで組立の日が違うことはなかったが、複数の山鉾を受け持つ作事方の都合で、四条通りより南は山鉾建ての日程がずらされたという経緯がある。Ab山とTo山の作事方も関係がある。先代の頃に呉服屋に出入りしており、その縁で頼まれて引き受けることになった。また、その呉服屋が所有していた長屋がTo山町内にあったため、To山の作事方も頼まれることになった。Ko山とE山の作事方も関係がある。vさんとyさんが兄弟弟子関係でE山の山建てを行っていた。1947年にKo山の作事方がやめて以来、vさんが引き受けるようになった。修理等は現在でも両者で行っている。

 Ho山作事方のi建設は、現在山鉾の組立を行っている作事方の中で唯一同一町内に在住している。しかし代々作事方を担ってきたわけではなく、1955年頃それまでの作事方が来られなくなり、たまたま町内在住ということで引き受けることになった。Ji山作事方のw組は、当初は取り引き先であったS建設の手伝いとして参加していたが、1994年から全権を委任されるようになった。

 Mo山の山建てをしているjさんは建築とは関係ない。もともと作事方を務めていた山科の棟梁がやめてしまい、作事方を引き受けることになったという経緯である。Ka山作事方のmさんは、もともと大工をしていたが現在は建築関係の仕事はしていない。実際の組立は息子さんがやっており、大工をしているわけではない。

 Ay鉾は、1884年以来途絶えていたが、町内の人々の努力などで1979年に復興した。当初d工務店が関わったが、現在は町の人だけで組み立てており、大工その他は一切参加していない。Si鉾も1871年以降途絶えていたが、1985年に再興された。当時の会長との縁でr工務店が作事方を務めることになった。

 以上、祇園祭に携わるようになった経緯は、昭和に入って復活した四基を除くとそのほとんどが、町の人との関係ではなく、日常の仕事で付き合いのある同業者からの紹介などで引き受けるようになったところが多い。また、祇園祭の作事方はその家が絶えない限りやめることはできないとされるが、実際にはかなり入れ替わっている。

 こうした作事方の継承関係は、公的な文書の形式で残されていない。秩父の夜祭や飛騨の高山祭の場合、、屋台の建て方を請け負った工匠や彫刻をほどこした名匠の名前や系譜が残されている。京都の祇園祭でも、山鉾の主役である飾りもの系譜等はどの山鉾も残っていることを考えると、祭礼における作事方の位置づけは秩父や高山より低いといっていい。

 

 □建築生産組織としての作事方

 a. 作事方の所在地と活動地域

 祇園祭の各山鉾町で実質的に中心となって作事方(大工方、手伝方の両者がいる場合は大工方)を担っている建築生産組織の事業所もしくは代表者とその所在地をまとめてみると、都心4区に所在しているのは10事業所、京都市内が12事業所、残りは宇治市、長岡京市、船井郡日吉町、船井郡丹波町に各1事業所ずつ分布している。山鉾町内に在住しているのはHo山の作事方だけであり、その所在地は広く京都市外にまで及んでいる。作事方と山鉾町は近隣地域としてのつながりはほとんどない。

 作事方のうち198695年に山鉾町で仕事をした例は4物件、2工務店のみである。

 ・展示場 木造二階建 1993年 中京区橋弁慶町

 ・鉾収蔵庫 3階建鉄骨造 1994年 中京区菊水鉾町

 ・事務所店舗 9階建鉄骨造 1994年 下京区月鉾町

 ・物販店舗併用共同住宅 7階建鉄骨造 1995年 中京区占出山町

 以上のうち展示場と鉾収蔵庫はいずれも山鉾保存会の施設であり、各山鉾保存会の会長が施主である。しかし、他は作事方ととなっている山鉾町とは必ずしも関係ない。

 

 b. 作事方の事業内容

 祇園祭の作事方として参加している建築生産組織は、祭礼時以外の日常においては、山鉾町とはあまり密接な関係はない。作事方を務める組織の業務内容はおよそ以下のようである。

 32基の山鉾のうち、建築生産組織と関わりをもたないものが3基あり、また、複数の山鉾に関わるものがあるため、作事方に関わる建築生産組織は25である。

 事業所の創業年をみてみると、最も古いのはe工務店が1890年創業であり、a工務店の1966年創業が最も新しい。半数近くが、戦後になってから創業している。創業以前から作事方として参加しているものが8ある。

 仕事の内容としては、増改築を主体とするものが多いのが特徴である。新築が100%とするものは1だけでで、90%以上が増改築のものが6ある。また、木造しか扱わないものが全体の50%以上にものぼり、木造以外の構造が多いというものはない。建物の用途については、住宅が100%というものが半数以上ある。そのうち70%を超える事業所が、100%在来工法による。

 京都市内で活動する事業所がほとんどであるが、山鉾町内において比較的多く仕事をしているとするものが2ある。また、かっては山鉾町内で数多くの仕事をしていたという事業所が1ある。他は、当初から山鉾町内での仕事はないのがほとんどである。

 

 □祇園祭という祭礼行事に関わる作事方の建築生産組織としての実態は以上のようである。その要点は以下のようになる。

 ・山鉾町では、この間一貫して、木造住宅の建て替えが進行しつつある。確認申請計画概要書調査から、木造から非木造への転換、専用住宅から非住居系建築への転換は、はっきり跡づけることができる。

 ・山鉾町と山鉾町で建設活動を行う建築生産組織(施工者、設計者)は、ほとんど地縁的なつながりをもっていない。

 ・祇園祭の山鉾の組立に関わる作事方は、祇園祭において極めて重要な役割を果たしている。しかし、作事方と山鉾町の地縁的関係はほとんどない。作事方が祇園祭と関わり始めた歴史的な経緯は様々であるが、必ずしも地縁的つながりがもとになっているわけではない。

 ・山鉾町と作事方との日常業務的関係は少ない。祇園祭に関わる24事業所のうち、山鉾町で仕事をしたのは、10年間で4件、2事業所のみである。10事業所は都心4区内にあり、12事業所はその他京都市内、他は京都市外を拠点としている。

 ・作事方の事業形態を見ると実質1人親方の形態が5あり、全体として小規模である。また、業務内容として、基本的に木造を主とし、増改築を行うものが目立つ。

 祇園祭を担う作事方と山鉾町のつながりは以上のように極めて希薄になっている。京町家の再生、維持管理を担う建築生産組織の将来を展望する上でこの実態は極めて憂慮すべきことである。京町家街区の景観維持が焦眉の課題であるとすれば、山鉾町と関わる建築生産組織の再構築が大きな課題となる。祇園祭をひとつの梃子にするのが最も具体的と考えられるが、京町家作事組の結成など、町家再生の事例に取り組むヴォランタリーな組織の動きとともに公的な支援の仕組みも期待される。

2025年1月30日木曜日

建築計画学批判のためのメモ,日本建築学会

建築計画学批判のためのメモ

布野修司

京都大学大学院工学研究科

生活空間学専攻

 

 0.学が学であり得るためには、それなりの条件が必要である。少なくとも、学の対象とする領域、学の目的が明らかでなければならない。また、その体系性、その方法の固有性、その実践性は常に問われている。建築計画学をめぐって繰り返し、その領域や方法が問われるのは、その根拠がそもそも危ういか、その前提がしばしば見失われているからである。もちろん、学の成立根拠をめぐる前提は固定的に考える必要はない。対象領域や目的をある集団が共有しているかどうか、ある制度的な枠組みにおいてそれが認められているかどうかが本質的である。繰り返し根拠(パラダイム)を問うことは自らの制度の再生産(確認)のためのポーズ(パーフォーマンス)として常に要請されるのである。

 1 建築計画学というからには、「建築」あるいは「計画」という行為との関係が常に問われる。ここで建築計画学の関わる領域を、大きく建築の全過程(企画、計画、設計、施工、維持管理)に関わる「広義の建築計画」と「平面計画」を機軸とする、構造計画、設備計画、施工計画等と併置される専門分野としての「狭義の建築計画」とに分けておく必要がある。もちろん、「狭義の建築計画」が「広義の建築計画」を離れて自律的に成立し得ないということを繰り返し確認するためである。

 2 「建築計画学」は、「建築」「計画」の過程を論理的に組み立てることを目的(成立根拠)にしている。しかし、その全ての過程を論理的に体系化できるわけではない。建築は一方で社会経済的生産物である。もちろん、単に経済的合理性や工学的合理性あるいは産業的合理性がその論理体系の根拠になるわけではない。誤解を恐れずに言えば、建築計画学は社会体系を支える真の合理性を自らの成立根拠として仮構することで成り立っている。いずれにせよ、建築の生産(計画設計施工)は、社会文化生態力学(Socio-Cultural Eco-Dynamics)において行われるのであって、その力学を論理的に解くことは必ずしも容易ではない。

 3 (それ故)建築計画学の出発点(であり帰着点)は常にはフィールド(現場)にあると考える。要するに現場から、「臨池経験」をもとに「建築計画」の方法を組み立てるのが基本である。フィールドはどんな「現場」でもいい。例えば、一日中、小学校に立っている、一日全く何も知らない町を歩く、何が発見できるか、何が組み立てられるか、それが出発点である。現実の様々な現象に多くの矛盾、問題点がある、それをどう解決するのか、実に素朴な原点である。

 4 フィールドからどのような方法で何を引き出すのかこそがディシプリンの存在基盤に関わる。建築計画学は、基本的には、「もの」あるいは空間の配列に関わる。すなわち、多様で錯綜する現実から何らかの「計画(設計)言語」を抽出することを目的とする。従って、空間に関わる諸分野とあるディシプリンを共有するが、極めて現実的な生きられた空間、物理的な空間の組立を第一に問題にする点に予め限界と可能性がある。 

 5 どのような「計画(設計))言語」を抽出(提出)するのかが建築計画学の生命である。建築計画学が予め以上のような限定を前提しているとすれば、抽出された「計画(設計)言語」と現実とのずれは常にチェックされる必要がある。最終的にその生命を評価するのは社会(文化生態力学)である。抽出された「計画(設計)言語」は現実に返されてはじめて意味をもつ。また、建築計画学はこの実践の過程を自らの内に取り込まない限り完結しない。その全体性、体系性は保証されない。

 6 建築計画学が最低限果たすべきは、何処まで論理化できて、どこに論理の飛躍があるかを明確にすることである。設計計画のプロセスを透明化することによって、社会(文化生態力学的)に開くことが出来る。

 7 トゥールはトゥールであって方法そのものではない。トゥールのみを方法として問題とするのは本末転倒である。調査研究も一個の美しい作品として社会化されるべきである。 

2023年5月8日月曜日

住まいの豊かさとウサギ小屋の世界、第16回 3階住宅フォーラム、旭化成

 第16回 3階住宅フォーラム

住まいの豊かさとウサギ小屋の世界

                  ハウシング計画ユニオン 『群居』編集長 

                        布野修司(京都大学助教授)

 

 

 

●著書等

         『戦後建築論ノート』(相模書房 1981

                  『スラムとウサギ小屋』(青弓社 1985

                  『住宅戦争』(彰国社 1989

         『カンポンの世界ーージャワの庶民住居誌』(パルコ出版  199107

         『見える家と見えない家』(共著 岩波書店 1981

                  『建築作家の時代』(共著 リブロポート 1987

         『悲喜劇 1930年代の建築と文化』(共著 現代企画室)

         『建築計画教科書』(編著 彰国社 1989

         『建築概論』(共著 彰国社 1982

         『見知らぬ町の見知らぬ住まい』(彰国社  199106) 等々

 

 

○主要な活動

         ハウジング計画ユニオン(HPU) 『群居』

         住宅生産組織研究会

         東南アジアの都市と住居に関する研究

         日本寄せ場学会

                同時代建築研究会

         建築フォーラム(AF)

         サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)

 

 

 0.はじめにーーー自己紹介に代えて 

   

      ◇『群居』のことなど

       

   ◇研究のことなどーーー東南アジア研究と住宅生産組織研究

 

   ◇イスラムの都市性に関する研究

 

   ◇中高層ハウジングコンペ

 

   ◇ワンルームマンション 外国人労働者の居住問題

 

   ◇茨城ハウジング・アカデミー

    飛騨高山木匠塾

    

   ◇サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)

 

   ◇建築フォーラム(AF)

 


 Ⅰ.『住宅戦争ーー住まいの豊かさとは何か』をめぐって

   詐欺みたい・前半と後半・住宅一揆・

   住まいの豊かさとは何か 問題提起のみ

   自分の問題である 戦争状態として捉えるということを主張

   「それぞれの住宅戦争」

 

   住まいと町づくりをめぐる基本的問題

 

    ●住宅=町づくり

   ◇建築と都市の分離

   ◇大都市圏と地方

   ◇地域と普遍(国際化)

 

   ●論理の欠落ーーー戦後住まいの失ったもの 豊かさのなかの貧困

   ◇集住の論理

   ◇歴史の論理

   ◇多様性と画一性

   ◇地域性

   ◇直接性

 

 住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは?

                            

 

 1。一坪一億円               ○価格  

 2。入母屋御殿                            ○イメージの画一性

 3。展示場の風景               ○多様性の中の貧困

 4。建築儀礼                              ○建てることの意味

 5。都市型住宅                           ○型の不在

 6。ウサギ小屋                        ○狭さと物の過剰

 7。電脳台所                              ○感覚の豊かさと貧困

 8。個室 家の産業化                      ○家族関係の希薄化

 9。水。火。土。風            ○自然の喪失 

10。死者との共棲                          ○歴史の喪失

 

 

   ●住まいと町づくりをめぐるトピックス

   ◇「家」の産業化

   ◇体系性の欠如(住宅都市政策)

   ◇グローバルな視野の欠如 発展途上国の住宅問題

   ◇社会資本としての住宅    国際的経済構造のなかの住宅土地問題

   ◇住宅と土地の分離 決定的な土地問題

   ◇住宅問題の階層化

   ◇住機能の外化 住まいのホテル化 家事労働のサービス産業代替

   ◇社会的弱者の住宅問題 持家主義と福祉主義

   ◇高齢者の住宅問題 ケア付住宅 ヴォランタリー・アソシエーション

   ◇二世帯住宅・・・・・

 


 Ⅱ.カンポンの世界

 

  A.カンポンの形成

 

   1.ジャワの村落

    ①デサとカンポン desa & kampung

      ②デサ、ヌガラ、パサール desa,negara,pasar

      ③デサ共同体

 

   2.インドネシアの都市形成過程

    ①ヌガラ都市、パサール都市、植民都市

    ②ジャカルタの都市形成過程

 

   3.アーバン・インヴォューション

    ①インボューションと「貧困の共有」

    ②過大都市化とそのメカニズム

    ③アーバン・インヴォューション

 

 

  B.カンポンの生活空間

 

    1.スラバヤと四つのカンポン

    ①カンポン・ウジュン

    ②カンポン・サワハン

    ③カンポン・カリルンクット

    ④カンポン・ドノレジョ

 

    2.ルーマー・カンポン

    ①カンポン住居の原型

    ②カンポン住居の標準型

    ③カンポン住居の類型

 

   3.カンポンの構成原理

    ①カンポン住居の更新プロセス

    ②カンポンの構成原理

 

  C.カンポン・インプルーブメント・プログラム(KIP)

 

   1.KIPの歴史と概要

 

   2.KIPの手法と実施プロセス

 

   3.KIPの諸問題


Ⅲ.セルフヘルプハウジング

 

  A.東南アジアの居住政策

 

   1.居住政策の基本フレーム

    ①居住政策の体系

    ②居住政策のための組織と財源

    ③居住政策と土地制度

 

   2.居住政策の展開

    ①住宅供給

    ②居住環境改善

    ③関連諸政策

 

 

  B.東南アジアのハウジング・プロジェクト 

 

   1.コアハウス・プロジェクト

 

   2.ルーラル・ハウジング

 

   3.セルフヘルプ・ハウジングの可能性と限界

    ①Building Together

       ②Freedom to Build

       ③Bali Housing Project

       ④DIAN Desa


 Ⅳ.工業化住宅と住宅設計

 

 

 1.工業化住宅とは

   

   ●産業社会の論理と工業化住宅

 

   ●住宅生産の工業化

 

   ●プレファブリケーション:マスプロダクション:オープン・システム

    部品化:

 

 2.工業化住宅の歴史

 

   ●その起源

 

   ●日本の工業化建築の展開

 

   ●日本のプレファブ住宅

 

 

 3.工業化住宅の仕組み

 

   ●工業化構法

 

   ●住宅メーカーの組織編成

 

   ●業務内容と業務プロセス

 

 

 4.工業化住宅と住宅設計

 

   ●工業化住宅とそれ以外の住宅との本質的差異はどこにあるか

 

   ●工業化住宅は全体を支配しうるか、その問題点、弱点とはなにか、

 

   ●建築家は何を武器にすることにおいて、工業化住宅の流れに対抗しうる    のか

   ●具体的な試みは?????

 


 

 Ⅴ.住宅生産の構造と建築家

 

 

 1.日本の住宅生産の概要

   

   (1)国民経済と住宅投資  GNPに占める住宅生産の比率は?

   (2)住宅建設戸数の動向 年間住宅建設戸数は? 最大は?

   (3)住宅需要の動向      世帯数と住宅総数の関係は?

   (4)住宅所有関係の動向 持家と貸家

     

      省略

 

 

 

 2.地域と住宅=町づくり

 

      ●地域と住宅あるいは住宅の地域性

 

   ・地域性とは

   ・工業化住宅と町場

   ・小規模住宅生産の可能性

 

   ●地域住宅計画の可能性と限界

 

      ・施策の概要

   ・施策の意義

   ・施策の展開

 

   ●地域住宅計画と住宅設計

 

   ・地域住宅工房のネットワーク・・・

   ・ハウスドクター

   ・タウン・アーキテクト

 

 

 

   ●ハウジング計画論の展開

 

    基本原理

 

   ●具体的提案

 

    ●回路 公的住宅供給 民間住宅供給 ... 個人住宅設計

 

    ●組織 設計 施工 ディベロッパー

       

    ●住宅イメージ

 

    ●場所


Ⅵ.都市型住宅をめぐって

 

●都市住居の現在ーーー誰もがさぼっている

 都市型住居の原型 コートハウス論 イスラム

 塔の家 雑居ビルの上の住居

 超高層マンション:複合化

 

 

 ●中高層住宅生産高度化施策プロジェクト

 住宅生産供給メタストラクチュアリング・タスクフォース

 

□プロジェクトの目的について

 

 1.国民住居論・・・住宅供給の促進、土地の高度利用、故に中高層住宅の建設という一見もっともな主旨にはいくつもの留保が必要ではないか。第一、土地の高度利用の形態、都市開発における住宅開発の位置づけがはっきりしない。第二、第一と関連して、中高層住宅という時、住宅専用の中高層住宅をなんとなくイメージしてしまうが、他の都市機能との関連でどういう形態が必要なのか必ずしもはっきりしない。すなわち、中高層住宅の建設推進という時に、どのような中高層住宅がどういう場所に必要なのかという議論がいるのではないか。国民にとって魅力的でなければ受け入れられないし、反響も呼ばないだろう。

 

 2.建築職人育成システム・・・中高層住宅について、その生産性の向上・生産合理化の問題、建設労働者の高齢化・新規参入の減少・労働力不足の問題、建設コストの高騰の問題等がプロジェクトの目的の大きな背景にあることは理解されるが、このプロジェクトにおいて、それをモデル的に解くというのは、口実としてはあっても過大すぎる目的ではないか。建設労働力の編成の問題はもう少し大きなフレームを要する問題である。建設労働力の編成と育成の問題はそれ自体大テーマである。

 

 3.工業化手法の展開・・・2.の目的を工法・構法の開発というレヴェルでのみ対応しようとするのは1.の具体的イメージがないかぎり、そう有効ではないのではないか。このレヴェルで目的となるのが、量産化・画一化手法ではなく、多様化手法、多品種少量生産手法?である。というより、中高層(住宅)建築に関する工業化手法の本格的展開というのが目的ということになろう。この場合、戸建住宅との同一尺度による比較において生産性、建設コストを問題にすることは果してどうか。

 

 4.メタストラクチュアリング・・・3.を目的とする場合、基本的問題がある。工業化手法の本格的展開を担う主体がはっきりと見えていないことである。そこで大きく浮かびあがるのが、住宅生産供給のメタストラクチュアリングという目的である。このメタストラクチュアリングについての方針が前提とならないと、プロジェクトは単なる実験、イヴェントに終わる可能性が高い。実験あるいはデモンストレーション、パイロット・プロジェクトという性格は当然あるとして、メタストラクチュアリングの戦略がなければ波及効果は期待できないであろう。

 

 5.都市住居のプロトタイプ・・・もうひとつ、少し次元をことにする目的があるのではないか。都市住居の型の創出という目的である。単に工業化手法による中高層住宅モデルというだけではなく、町並みを形成するモデルとしての都市住居を問題とする必要である。1.を建築的に問題とした場合、都市型住居のモデルが問題となるであろう。また、このレヴェルでは、都市計画的な諸規制、事業法のありかたも当然問題となろう。

 


Ⅶ.建築家と住宅の戦後史

 

 

 

 1.初期住宅問題と建築家  前史 「ハウジング計画論ノート」より

 

   

   ●新しい目標としての都市と住宅ーーー住宅改良雑感(後藤慶二)/社会        改良家としての建築家/市街地建築物法

      ●文化生活運動の展開ーーー住宅改良と文化住宅の理想/文化生活運動の        位相/

   ●民家研究の出自ーーー今和次郎のことなど

 

   ●戦争と住宅ーーー西山夘三の国民住居論攷

 

 

 2.戦後建築の課題としての「住宅近代化」

              『戦後建築論ノート』より

  

   ●ヒューマニズムの建築ーーー機能主義と素朴ヒューマニズム/近代建築        論争/計画化

   ●住宅の近代化ーーーこれからのすまい/日本住宅の封建性

 

   ●伝統論争と住宅

 

 

 3.住宅産業と建築家

 

   ●都市への幻想ーーー小住宅作家万歳/住宅は芸術である

 

   ●マイホーム主義と住宅デザインーーー「都市住宅」派

 

   ●都市からの撤退--- 最後の砦としての住宅 自閉の回路

               近親相姦の住宅設計

      ●住宅デザインの商品化ーーー商品化住宅の様式化

 

 

布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...