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2026年1月17日土曜日

座談会 構造設計者の夢と現実 斎藤公男・布野修司・竹山 聖・大崎 純・諸岡繁洋・高木次郎, traverse10, 新建築学研究,2009

 座談会 構造設計者の夢と現実 斎藤公男・布野修司・竹山 聖・大崎 純・諸岡繁洋高木次郎  traverse10, 新建築学研究,2009

構造設計者の夢と現実

 

参加者 斎藤公男(日本大学名誉教授)

布野修司(滋賀県立大学)

竹山 聖(京都大学)

大崎 純(京都大学)

諸岡繁洋(東海大学)

高木次郎(首都大学東京)

 

大崎

本日はお忙しいところお集まりいただき,有難うございます。座談会のテーマは「構造設計者の夢と現実」ですが,このテーマにとらわれずに,構造設計とデザイン全般について,忌憚のないご意見をお願いします。まずは斎藤先生の建築学会長としてのご経験を中心に,話を進めていきたいと思います。

 

姉歯問題

 

斎藤

会長としての2年間を無事終えることができました。布野さんをはじめ,多くの方にご協力いただき,この場をお借りしてお礼申し上げます。会長を終わって,言葉を発するのは今日が始めてです。会長になった時に最も重たかったのは姉歯問題ですね。副会長の時に,この事件が起きました。学会としても何かしないといけないということになり,20069月に,「健全な設計・生産システム構築のための提言」をまとめました。大崎さんも参加されていましたね。本来は構造設計について重点的に考えなければならなかったのですが,学会にもいろいろな方がおられて,当時の村上会長をはじめとして国に近い方もおられたので,設計と生産全体の枠組みを概括するだけで,姉歯問題の核心部分である構造計算や構造設計はほんのちょっとしか入っていません。

 

大崎

姉歯という人が悪いことをしたということの焦点がぼやけて議論が拡大して,施工や保険まで入ってきました。

 

斎藤

そうですね。そこで,学会長になった時に,学会は職能団体と違った発言ができるので,少なくとも構造設計の問題を総括し顕在化させないといけないと考えました。ということで,すでにあった「社会ニーズ対応推進委員会」を活用して,「建築学からみたあるべき構造設計特別調査委員会」を発足させた。いろいろストレスの溜まっていそうな和田章さんを中心として,高木さんも入っていただいて,いろいろな方面の若手から意見を出してもらっています。

 

高木

この委員会は,構造設計を中心に20人くらいの委員で構成されていて,斎藤先生,和田先生,金箱温春さんになどに圧倒されながら議論を進めています。今年度中に新たな提言をまとめようということで,前の提言をふまえて,構造設計をとりまく状況がどのように変わったのか,これからどのようにあるべきかを考えています。資格の問題や,コンピュターに依存しすぎることの問題点とか,確認申請はどうあるべきかといったことを含めて,構造設計の本来のありかたを全般的に考えています。

 

大崎

前の提言では学会としての自助努力の項目をいろいろ挙げましたが,いろいろなしがらみで実現が困難でした。そのような虚しさはないですか?

 

高木

制度のあるべき姿を発信するにあたって,ある程度の公共性とか中立性がある意見を述べられるのは学会であり,JSCAが何か言っても「身内でなんか言ってるよ」というようにとらえられるので,何か言う時の重みは学会が格段に上であるという認識があります。提言は一般的な形でまとめなければいけませんが,抽象的になってはだめで,それを解説するというかたちで具体性を持ったものにするというようなことを考えています。

 

斎藤

今回は「構造設計」に虫眼鏡をあてて,拡大して,そこに課題を特化してます。だからメンバーも実際に構造設計をやってる若手が中心で,自分たちが実際に法律をつくる立場であれば,あるいは意見を求められれば,どういう姿であれば責任を果たして誇りをもてるかを明文化しようということからスタートしてます。前回の虚しさは私も感じましたが,今回は虚しさを感じないように頑張ろうということです。私が会長のときに姉歯事件が起きたら,多分,全然別のアクションを起こしていたのではないかと思ったりもします。若い頃,私も安保闘争とか学園紛争を経験しましたので,その時期に精いっぱいのことをしないといけないという気持ちは大きいです。布野さんもそうだと思いますけど。

 

布野

10年違いですが。

 

斎藤

いずれにしろあの時の重要かつ緊急性のあるミッションがあったはずなので,もう少しジャーナリズムを引き込んで,社会に理解されるようなデモンストレーションをしたかった。だから,副会長のときにあれだけしかできなかったという無念さはありました。「前回の提言」では,自助努力と共に緩やかに法規制を進めるべきだという内容でしたが,緩やかであるべき法規制のほうがどんどん先に行っちゃって,学会や職能団体の自助努力が追い付かないということになってしまいました。今からでも遅くない。はたして自助努力は何だろうということを若い人を中心に議論して,次の青写真を示すというのが今回の活動の一つの目標です。

 

布野

阪神淡路大震災のあとで,横尾委員会というのを尾島俊雄先生が立ち上げて,2年ぐらい議論して提言を出しました。尾島先生から横尾義貫先生に依頼があって,SECOMの会長や内田祥哉先生に意見を聞くなど相当議論しました。そのときのひとつの結論は保険です。建物に関して保険が成立するためには建物のレーティングが必要で,学会のイニシアチブ下に格付け機関を作ったらいいというのが私の意見でした。

 

大崎

耐震等級と保険をリンクさせるという話ですね。

 

布野

そうです。耳学問ですが,カリフォルニアはどうだとか,ずいぶん勉強しました。もう一つ,保険の前提は自己責任あるいはクライアント責任です。でもそんなことは今でも大きい声で言えない。もちろん設計者責任もあるけど,全部ゼネコンにおんぶにだっこできた。その直後に第3者検査機関の制度ができて,姉歯問題で全て振り出しに戻ってしまった。

 

斎藤

何年ぐらい前のことですか。

 

布野

震災の2年後ぐらいなので,97年か98年です。建築雑誌にインタビュー記事は載っています。

 

諸岡

そのころのアメリカの保険では断層からの距離とかもはいっていたと思うので現実的だったのではないですか。でも日本ではぜんぜん普及してない。

 

布野

そうですね。国交省はまったく理解していない。基準法にしても,建築士法にしても,きつく縛ることしか頭にない。

 

社会へのメッセージ

 

斎藤

「提言」のもう一つの問題点は,市民に届かなかったということすね。

 

大崎

提言を誰に向かって何のために出すのかという意味づけが難しいです。

 

斎藤

阪神大震災の時に,構造設計で安全性を保証するのがいかに難しいかということをしっかり伝えないといけなかったし,姉歯事件の時に,構造計算がいかに危ういかをもっと考えるべきでした。いずれにしろ,耐震設計の難しさを市民にもっと分かりやすく伝えるのが重要です。それと同時に社会資産としての建築の役割と魅力を伝えたい。ということで,2年前の会長就任の折,何か見える形でやれないかということを考えて,2年前の6月に「『建築』への責任と誇り」というマニフェストを出しました。バビロニアのハムラビ法典の時代から,建物が壊れると設計者は厳しく処罰されたように,国から言われなくても本物の構造設計者は命がけで仕事してるわけだけど,「責任」に加えて,「誇り」を共有できないとまずいと思いました。マニフェストのサブタイトルは「建築学とデザイン「力」の融合」です。学会には幸い,広範で深い建築学があって,各々の分野で進化していくんだけと,それを社会に出していくのが大事です。おそらく今年末には定款改正の議論が出てくると思うけど,50年ぐらい前に「社会」とか「公共」という言葉が定款から抜けちゃったんですね。なぜかというと,JSCAなど建築家協会や事務所協会とかの職能団体が成育して来て,そちらに社会的活動を任せて,学会は「学術・技術・芸術」を中心に学術団体として特化しようということになった。

 

大崎

学会は学術団体ですから,研究者や学生などの学術関係の会員に貢献すればよくて,どこまで市民に貢献すればよいかという判断は難しいです。

 

斎藤

芦原義信さんが会長だった20数年前に「開かれた学会」というのを標榜して以来,定款にはないけど,提言やいろいろなイベントを通じて学会の社会性は重視されてきました。横断的とか総合的とかの特徴のある学会の中で,何か共有できる社会的な建築テーマがあっていいのではないかと思いました。例えば,「既存建築を活かす対震改修デザイン」という委員会を松村秀一さんにやってもらっていますが,耐震補強を促進するという意味でも,ソフトとハードの両面から,建築的な魅力を作っていくということを議論してもらっています。

 

建築デザイン発表会

 

斎藤

特別調査委員会以外でも,形として見える学会活動をやりたかった。ひとつは「建築デザイン発表会」で,去年の広島大会からです。

 

布野

もともとは誰の発想ですか?

 

斎藤

芸術的な分野での自由な発表の場が村上会長の時に必要だという意見はありました。私は「デザイン」を広義にとらえて,技術的なアイデアとか,論理性を持った,プロジェクトについて建築家や,計画系の院生などが発表できる場所を学会として創設したかった。副会長のときには実現できなくて,去年やっと実現できました。

 

布野

「斎藤先生が建築計画委員会はいらないと言っている」という噂が流れていました。建築家とエンジニアがいればいいんだといわれれば,確かにそうかな,という感じだったんですが,まさか私が建築計画委員長になるとは思ってなかった。建築デザイン発表会の実現にはそれなりに貢献させていただきました。

 

斎藤

中に向かってはデザイン発表会ができたので,外に向かって何か必要だということで,考えたのがアーキニアリング・デザイン展(AND展)です。

 

竹山

10月に関西でも巡回展があるので協力させていただきます。

 

斎藤

こういうイベントをやりたいと思ったきっかけは,1996年にパリのポンピドーで開催された「エンジニアリングの芸術展」です。過去200年のエンジニアリングの歴史展を,あのエッフェル塔が非難されたパリでやったわけです。学会はお金も人もなく,「殿ご乱心あそばしたか」といわれそうでしたが,皆さんの賛同がやっと得られ動き出しました。学会のいいところは教育界があって学生や先生方がいるということだから,建築を志してそれぞれの職能に入っていく前の段階の学生たちが参加できる形にできないかと思いました。

 

布野

陶器さんに模型作りを手伝わされました。

 

斎藤

結果的に130の模型が集まったんだけど,ただ作るんではなく,世界古今東西の建築や都市や住宅が持っている魅力やしかけや秘密をどういう角度で展開したらいいかというスタディや中間発表会を,半年ぐらいかけてやりました。考えながら作っていく制作プロセスそのものがイベントになったわけです。

 

資格問題と職能団体

 

斎藤

今回の建築士法改正で,構造設計一級建築士と,設備設計一級建築士ができたけど,「肝心のアーキテクトはどこなの?」というのが資格での大きな問題で,ちゃんと議論しないといけないですね。建築関係の職能団体が三すくみの様な状況にも見えます。学会が中心になって日本における将来の建築家像を議論しないといけないように思います。

 

布野

竹山さんは建築家協会には入ってるの?

 

竹山

最近入りましたね。出江寛さんが近畿の支部長をやめられるときに,あとを頼む人が欲しいといって誘われました。それまでは,学会以外のところとはなるべく距離を置くというスタンスでした。新建築家協会も,丹下健三さん会長での立ち上げにあたって,伊東豊雄さんも入ったし,長谷川逸子さんからはわざわざ電話で誘ってもらいましたが,原広司先生に「いい建築家は新建築家協会には入らない」といわれてやめたんです。

 

斎藤

「いい建築家」がキーワードですね。

 

竹山

当時,社会にもの申せるだけの建築家の政治的な団体がなく,クラブ的な建築家協会しかないという問題があったのでしょうね。「建築家」という言葉自体,行政の認識にはなくて,関空の建築家を選べと外圧がかかってはじめて役所で用いられはじめたくらいですから。ここ3,4年,大阪府建築士事務所協会の機関誌に連載しているので,事務所協会のことはわかってきました。それから,今年,大阪建築コンクールというかなり長い歴史のあるコンクールの審査委員長をしました。渡辺節賞という栄えある名の新人賞もあり,これは建築士会ですので,建築士会の会にも呼ばれ雰囲気もわかってきました。最近いろんなことを知るようになって,難しいことが山ほどあるなと思いました。だから,斎藤先生のようにピュアなかたちで,知らないふりをして構造の専門家としてアーキテクトや社会に物申すというのがいいのかなという感じです。今までの三すくみとか五すくみとかを知りすぎてどうにもならんよと言ってるうちに,官僚がすごい法律作って建築技術教育普及センターで講習を受けさせられたり高い更新料を払わされたり,確認審査料もべらぼうに高くなってしまう。コンクリートと木造を混ぜたりすると,混構造ということになって簡単には建たない。これもうまく設計すれば合理的なわけで,いわば構造設計者の工夫の余地が全くないような方向に法律が進んでいる。姉歯をきっかけとして官僚が焼け太ってとっているという状態です。学会がピュアな立場で意見を言わないと。

 

斎藤

デザインが後退してますね。

 

竹山

ひどいですね。最初から「ルート1で行きましょうね」,「そんなことしたら構造設計料も高くなるし時間もかかるのでやめたほうがいいです」という状態です。クリエイティビティの余地がない。

 

斎藤

戦略としてはどうしますか?

 

竹山

これをチャンスに官僚と組んで自分たちの利権を広げようという動きもあるようです。そこに突破口を開いてリーダーシップをとるのは学会しかない。それから,教育の面で一番若年層まで広がってるのは学会ですから,鉄は柔らかいうちに打てということで学生の意欲を掻き立てるという意味で,斎藤先生はいいビジョンをお持ちだと思います。

 

布野

仙田満会長のとき,「建築家協会と間違えてるんじゃない?」という印象がありました。もともと建築学会も建築家協会,つまり建築家の集まりということで出発してるんですけどね。。。学会長と協会長の両方をやられたのは芦原先生と仙田先生だけなんじゃないですか。関西はそれほど人材がいないので,学会も建築士会も建築家協会もみんないっしょにやっていると聞きました。地方に行くともっとそうでしょう。建築家協会に入ってると,エリートという感じでしょうか。去年1年間,山本理顕さんと国交省の委員会で,イギリスのCABE(Committee for Architecture and Built Environment)のようなデザインレビュー組織をつくってタウンアーキテクト制を推進しようという話をしました。今年から1億5千万円を街づくりに配るという制度ができたんですが,配分する委員会の委員は建築家協会,建築士会,事務所協会という業界団体になってしまった。地域で決めるというのとは違います。

 

竹山

最近出席した建築士会の会合で,藤本昌也会長が士会でみんなもらおうと檄をとばしてましたよ。(笑)

 

布野

私が97年にアーバンアーキテクト制といったときも藤本先生が出てきてました。

 

大崎

中立を保てるのは学会しかないということですね。

 

斎藤

建築基本法なんかも,うまくやればいいんだけど,結局定量的なことが入って韓国とかと違う,役人向きになってしまうかもしれない。学会でも神田順さんなんかがずいぶん前からやってて,いい骨格ができ始めたのに,いいところだけ国に吸い取られて,形を変えてくるとか。こういうことに対して,学会はもっと発言しないといけない。いい議論をして建築を文化にしていくのも学会の役目だと思います。そのために,市民に声が届くための方策を考えないといけない。

 

布野

副会長になった辻本誠さんと,各特別委員会などの発表を,NHK解説委員の前でやるべきじゃないかという話をしてます。業界誌ではなくて,一般誌を呼んで記者会見をしたらいい。

 

大崎

学会では定期的にプレスリリースをしてますか?

 

布野

してるけど一般誌はこない。

 

斎藤

今年度の最初の記者会見の時に,一般誌の新聞記者がいて,専門誌ではなくて我々が取り上げられるような魅力的なことをもっとやってくれないとこまる,と言われたそうです。

 

布野

東国原知事じゃないけど,もっとメッセージ性のあることをやらないと。

 

斎藤

布野さんがそれをやってくれるはずだったんけど。。。今日はそれを一番大きい声で言いたい。(笑)

 

大崎

御用学会とまでいわなくても,学会で主導的な立場におられる先生も国の委員会や審議会に呼ばれたら参加するでしょう。

 

布野

建築基本法も国では重視してないけど,理念法だけだと心配です。

 

大崎

だから,中立性を保って良いとこどりをされないためには国とは一線と画さないと。

 

布野

それは,建築センターに使われるのが良いとか,悪いとか積年の問題でしょう。

 

斎藤

でも,組織としては,事務局に天下りがいないというのは建築学会だけです。団体や組織を背負っているという鎧をすてて,個人の純粋性が必要です。そのような意味で,私はちょっと硬いけど「建築学」という言葉を使ってます。建築学というと,構造,環境,計画ということもあるけど,もっと広い意味で,本来あるべき建築が見えるかたちで意見がでていったらいいなと。

 

構造設計

 

斎藤

構造設計は「技術」だから,「科学」とは違うわけで,科学的に計算すれば結果が出ると考えると,ものを設計する技術にはつながらないですね。だから,「建築学」の視点からいろいろ考えないといけない。「科学」と「工学」があれば「技術」ができるというようなことはなくて,科学も工学もない時代から技術は連綿とつづいてます。世界遺産もそうだし,日本の匠の世界もそうです。だから,科学と工学を技術にするためには人間が必ず介在しないといけない。それを飛ばして,数値化すればよいというのでは,これからできる建築基本法も危ういものがあるので,それにうかうか乗らないように議論していかないといけません。

 

竹山

構造設計でも,安藤忠雄のようなスターが出てくるといいです。ピーター・ライスとか,たとえばセシル・バーモントが来ると,すごい数の学生が聞きに行きますね。日本では,斎藤先生をはじめ何人かおられますが,セルフプロモーションが十分じゃない。

 

諸岡

アーキテクトの横に構造設計者の名前が併記されるようにならないと,建築の学生でさえ,構造設計者の名前を知らないですよね。

 

竹山

たとえばカーサ・ブルータスに取り上げられるような構造設計者がいないといけないのかも。(笑)安藤忠雄みたいに。

 

諸岡

昔は11PMが目標でした。

 

大崎

構造設計一級建築士ができて,名前が出るようになりますね。

 

斎藤

規模によってですが。それから現場の看板には出るかもしれないね。

 

高木

それは申請上の手続きであって,パブリックに公表されるわけではない。

 

大崎

アーキテクトが構造設計者の名前を出したがらないということではないですか。

 

竹山

そんなことはないでしょう。でも,アラップのイギリスとは違って,制度上は,構造設計者は設計事務所からの外注で仕事をしているから,外から認知されにくいということはあるかもしれません。イギリスなんかは直接契約ですから。

 

斎藤

でも,ピーターライスとかノーマンフォスターの名前が出るという話は,制度上の問題とは違って,そのプロジェクトで,かなり重要な役割を果たすからです。そうすると,自然と名前が出てくるんですね。シドニー・オペラハウスでも,ウッソンの名前は分からなくても,アラップといえば分るじゃないですか。だから,プロジェクトの内容とか進め方とか素質の問題だと思う。仕事をとるときはアーキテクトが出向いていくというのは仕組みの問題ですね。でも場合によっては,川口衞先生が橋の仕事をされたようなケースもある。ピーターライスの名前が出たというのは,組んでたアーキテクトが,そういう構造設計者を必要とするというプロジェクトが多かったということですね。

 

竹山

ピーター・ライスが全盛のときは,コンペの時にどのアーキテクトが先に電話をするかという感じで,ピーター・ライスの取り合いだったと聞いています。今の日本の若い人でも,どの構造設計者と組めば,たとえば佐々木睦朗と組めば面白い仕事ができるかということを考えているみたいです。そういった情報交換もアーキテクトの間でやりますよ。

 

斎藤

日本でも優秀な構造設計者は,若手であってもアーキテクトが評価してますね。ちょっと変わったことや新しい試みをしようとした時に,どの構造家に依頼するかを考えるのは最近の風潮ですね。

 

布野

陶器浩一さんも売れっ子で,5件ぐらい同時に9月着工です。

 

竹山

妹島和世さんも,構造設計者が変わると面白い仕事ができているような感じです。今の若いアーキテクトの気分を,一般の人も共有できれば,構造もまた文化ということになるんでしょうね。

 

斎藤

単に構造計算する人と,クリエイティブなことをする人を見分けるというのは,業界の中ではできてる。組織事務所やゼネコンでも,面白いことのできる人は,評価されてるみたいですね。エンジニアの名前は出にくいけど,そのような人が関わることのできるプロジェクトがもっと増えて表に現れれば,若い人も含めて,コンピュータだけでなくて人間が介在することによって建築は面白くなるんだということがわかってもらえる。教育の問題でもあるんだよね。講義でどのように紹介してるかとか。

 

諸岡

著名なアーキテクトの本ではなく,著名な構造家の作品を集めた本というのは可能でしょうか。

 

竹山

もちろん可能でしょう。しかもそれが売れるような世の中にしないといけない。

 

諸岡

どっちが先かということですが。出さないと売れないし。。。

 

高木

木村俊彦先生の本はありますね。

 

布野

一般に本は売れないしね。

 

建築と文化

 

布野

学会に話を戻せば,学会活動を点数稼ぎと考えている先生が多いように思います。研究協議会のパネリストになるとかが目的で,斎藤先生のいわれるような建築を愛するという発想は全くない。

 

斎藤

それは業績評価と関係しますね。アーキテクトの業績を大学でどのように評価するか。それを学会がもっと発信して,建築の先生が論文以外の設計とかソフトの面で評価されるべきだという意見を出すべきだと思う。建築デザイン発表会はそのために提案しました。アーキテクトの発表を活性化しないと建築学科がダメになります。

 

布野

構造の先生がそう言われるのも面白いですね。

 

斎藤

やろうと思えば学会にはいろんな可能性があるなということを2年間で感じました。あるプロジェクトやアイデアに社会性があれば,企業も大学も協力してくれます。

 

竹山

アーキニアリング・デザイン展はいろんな職能団体が相乗りですか?

 

斎藤

協賛です。お金は出さないのが一般ですが,JSCAだけは応援してくれました。

 

竹山

昔アーキテクチャーオブザイヤーというのがあって,僕も委員に入ってたけど,初めて5団体が協賛したそうですね。お金がなくなって終了しましたが。木村俊彦先生が全体のコーディネータをされたのが最後でした。

 

斎藤

池袋でやったときですね。

 

竹山

その時に,阪神大震災があって構造や地震について何か発言するようなテーマにすべきだし,そのようなコーディネータを選ぶべきだと言って,木村先生になったんです。それまでは丹下さんや篠原さんといったアーキテクトがその年の10作品ぐらいを選んで展示するということでした。でも木村さんになって違うテーマになった。結局,バブルもはじけて寄附が集まらなくなって,終わりになりました。

 

斎藤

模型も壮大なものでしたね。

 

竹山

あのときには一般の人もすごく入ったんですよ。アーキニアリングにしても,一般の人に来てもらおうとすると,テーマにしろメッセージにしろ何かいいえさを投げないといけないですね。結局,ちまたで売れてるのは「間違いのない家を建てるために」とかの本ですから。

 

布野

でも,安藤忠雄なんかが言ってるのは普通のことですよ。

 

竹山

安藤さんなんかは,確信犯的にポピュリズムのど真ん中の分かりやすいメッセージを出して,自分で興業を打ってるわけです。一般の人がそれに飛びつく。構造設計者についても,姉歯事件で,いろいろな種類の人がいることがわかったわけだし,構造設計を楽しい教養として一般の人が理解するような文化が生まれるかどうかですよ。イタリアなんか田舎の町に行っても,建築とか都市の話をやってる。日本ではどのマンションが安いかとか,どこのゼネコンのマンションだったら後で高く売れるかというような話ばかりです。

 

斎藤

文化になってないよね。

 

斎藤

オープンアーキテクチャを五十嵐太郎さんがやってますが,地方にいくと,地域の人を巻き組むようなことがやりやすいのではないですか?

 

竹山

京都でJIAが中心になって,「京都の町に根付いた建築」というテーマで,40人ぐらいの建築家の展覧会を,旧日銀の京都博物館でやって,結構一般の人が来ていましたね。京都のような町でちょっと興味のある人が来やすいところで展覧会を無料でやると,週末にいっぱい人が来ます。

 

布野

それは不思議ですね。京都でシンポジウムをやると,全然来ない。シンポジウムは大阪のほうが集まる。

 

大崎

なぜですか?

 

布野

京都は,某先生がやってるのは行かないとか,難しいんです。

 

諸岡

構造の話が分かるような子供向けの絵本のようなものがあればいいですね。建築については高松先生の絵本などがありますが,構造については川口衞先生の「建築の絵本」しか思いつかないです。

 

竹山

最近2カ月に1回ぐらい住まいのクリニックという催しを,エンジン01文化戦略会議で今川憲英さんと一緒に全国行脚してます。構造については難しいですね。数式が出てくると,とたんにみんな寝てしまいます。一般の人は,定量的でなく,定性的な話を聞きたいわけです。だいたい,鉄筋コンクリートと鉄骨の違いが分からない人も多いんですから。

 

布野

学生と同じですね。

 

竹山

非常に下世話な話になりましたが,でも,一般の人が建築を文化としてとらえるようになってくれるように盛り上げるしくみは,学会が中心になって取り組むべき課題だと思います。

 

大崎

子供から教育していかないといけないですね。高校生ぐらいからでも,建築を志望する人が増えるかもしれない。デザイナーより構造設計者のほうが人不足ですね。

 

高木

構造設計より設備設計のほうが足りないと聞いています。とくに電気系。

 

構造設計教育

 

竹山

京大の構造設計教育ってどうですか。

 

布野

教育してないでしょう。

 

竹山

設計演習には参加してもらってますが。そもそも学生たちに構造の基本的なセンスとか素養がないんだけど,構造の先生も,コンクリートだったらスパンの1/10, 鉄骨だったら1/15とかしか言わない。もっと実務に近くて面白いことをやってくれる先生がいるといいですね。

 

大崎

でも,この前,「ここに柱がいるよ」と言ってあげて,学生が素直に柱をつけたら,講評会で,デザインの先生に「なぜこんなところに柱があるんだ」とお叱りをうけていたのを見て,指導する意欲がなくなりました。(笑)

 

布野

西澤英和さんは,設計演習で図面見て,どうとでもなるといつも言ってたよ。「ここに柱がいるんじゃないの」と僕が心配したぐらいです。

 

竹山

京都大学がアピールするためには,スター構造設計者が必要です。教育にはいろいろなやり方があって,直接教えるのも大事だけど,背中をみて学ぶというのもあります。柱云々というようなことと違うところを伸ばしたほうが良い学生もいれば,しっかり設計することを教えたほうが良い学生もいる。せっかく構造の強い京都大学で,構造のスーパースターがいてほしいな。

 

大崎

京都大学は研究者も育てないといけないし,難しいですね。構造デザイナーを養成するという教育はしていない。

 

諸岡

でもベースはしっかり教えているので,構造設計事務所に就職しても,そこの先生とは違う独自のことを提案できる。

 

高木

設計演習を教えてて,これで建つかと聞かれたら,たいてい何とかなるんじゃないですかという答えになるんですが,そのことで余分にお金と労力がかかるので,どうしてもそれをやりたいということを説明してくださいよと学生に教えてます。経済的観点を持ち込まないと,実務的な設計演習にはならないでしょう。

 

布野

こんなに柱が太くなるよということでしょう。

 

高木

もちろんそうです。プロポーションの話もあります。

 

斎藤

でも,大事なことは,やりたいことがあった時に,答えは無数にあるわけでしょう。素材とかコンストラクションとか。それで目指すものをどのように実現するかということまで見せてあげないと,本物の構造デザインの教育にはならない。

 

高木

それは教える学年にも関係して,建築のことがわかってくれば,そのような話をするのもいいんです。

 

竹山

2回生にも,広い意味のデザイナーとアーティストの違いを説明しています。アーティストは自分で自分のためにものをつくり,デザイナーは,社会のため,ひとのお金でひとのために作るので,責任がある。勝手なことをやるな。「こんなことやりたい」ではなく,「こうやるべきではないかと思います」と言うように。君のこの変てこりんな形は社会に認知されるか,誰かがお金を出して作ってくれるか,お金を出してもらうためには,説得力が必要であり,なお価値を共有してもらわなければならない。それがデザインだ,と。このようなことは,2回生でも分かります。

 

布野

最初の設計を見るのは好きです。それで能力が分かったりします。一般に授業を聞いていくとだんだん下手になる。最初に輝いてたことを貫く子が結局活躍してます。

 

斎藤

知識だけが増えるとだめになる。建築家のプロの世界でも同じかもしれない。

 

布野

儲かっていっぱい設計しだすとだんだんつまんなくなる。

 

斎藤

あやしくなって踏み越えてはいけないところに行っちゃったり。

 

布野

高崎正治は,造形センスは2歳ぐらいまでに決まるという。4歳ぐらいになると,粘土細工をしてて「家に見える?」みたいにお母さんの顔を見るようになって,全然面白くなくなる。

 

竹山

高崎さんは僕とは違う種類の人だと思ってて,馬鹿みたいに高いのをつくります。坪400万と聞いたので,「そんなの建てる人がいるの?」と言ったら。「安いよ。彫刻なんて坪いくらだと思う?」と言われました。藤森照信さんは,坪80万は普通の建築,90万はまずまずの建築,100万超えたら建築家の建築といって,坪100万以上取る。

 

布野

何時ごろの坪単価の話なの?

 

竹山

少し前かな。僕は坪60万と思ってたからそういう説得の仕方もあるのかと思いました。でも,納得する人だったら,坪100万でも200万でもいいわけでしょう。だから,説得力のある学生は別のレベルで生きるかもしれない。

 

高木

僕の場合は設計理論のレベルが低いので,こんなんじゃだめだといいながら,学生がいろいろ言ってくると,それじゃ構造的に何とかしようかと考えたりして。

 

竹山

シドニーのオペラハウスもずいぶんお金と年月をかけたけど,完成したらみんなお金のことは忘れてしまうから。

 

斎藤

結果的には集客力もすごいので元は取れてるし,社会資産になった。一般的なことをいうと,アーキテクトにもピンキリというか,スター建築家から,基本的なことができる人までいるわけです。構造というのはもっとそれが激しくて,基本は健全な設計ができるということですね。まずは安全を守るということを教育するのが大事です。その中で,何らかの素質や才能がある人が,何年かに一人現れるというのが構造の世界だと思う。みんなが創造的になるのは無理な話だけど,建築や空間の質とかに関わるような仕事があるんだよということは教えないと。コンピュータの魅力は大きいけれど,その魔力に負けないように,個人の力によって何ができるかという展望が開けるような教育が必要です。

 

大崎

座談会テーマの「構造設計者の夢と現実」に関して十分に議論できたか自信がありませんが,時間もオーバーしてますので,構造教育が重要だということで,traverseにふさわしい結論で締めさせていただきます。有難うございました。

 

平成217月,建築会館会議室

 

 

 


2022年9月22日木曜日

現代の建築構造ー実践の内と外ー,2015年6月12日18:30~20:00 建築会館 建築書店,八束はじめ・布野修司対論シリーズ 第6回:ゲスト アラン・バーデン(英国生まれ 構造設計家),建築討論006,日本建築学会,201510

 https://www.aij.or.jp/jpn/touron/6gou/tairon06.htmlhttps://www.aij.or.jp/jpn/touron/6gou/tairon06.html

日本建築学会「建築討論web」

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6回八束はじめ・布野修司対論シリ

現代建築構造実践

 

日時201561218:3020:00
会場日本建築学会 建築書店

日英にかけて活躍中構造設計家実践研究
日本欧州での現場実践及大学での構造へのアプロチのいにれる、制度的文化的相違についての討論構造設計構造学
建築のその分野将来瞥見する。

ゲスト

アランデン(構造設計家 ストラクチャエンヴァイロンメント(SE)代表)

1960 イギリスまれ。東京とロンドンを拠点として活躍中日本構造デザイン受賞 
ロンドン大学インペリアルカレッジで学士及修士号東京大学博士号取得土木工学)。木村俊彦構造設計事務所構造設計集団SDG)を1997SE設立現在る。元関東学院大学教授芝浦工業大学非常勤講師 
作品 オレンジフラット(意匠設計長谷川逸子)、キへリング美術館意匠設計北川原温)、森山邸意匠設計西沢立衛

 

八束はじめ(建築家建築批評家芝浦工業大学名誉教授

布野修司建築計画、アジア都市建築史建築批評日本大学特任教授


八束それでは時間になったので、討論シリ6回目をはじめます。このシリズでは、最初からめているわけではなかったのですが、せっかく建築学会でやるんだから、建築学構成するいろいろな分野をおびしてやろうよと、から布野さんに提案しました。まで建築計画があり、建築史があり、建築設計があり、それから建築生産があり、都市計画工学)がありということなので、今回構造にしようというわけです。今回はアランデンさんをおびしていますが、バデンさんは元々ロンドン大学土木学位られて…

布野土木カレッジというんですか?

デン:インペリアルカレッジという…

布野すごいそうだね()

八束ロンドン大学って、日本大学とは全然違っていて、我々には理解しがたいカレッジの集合体でしょう?  われわれがっている建築はバトレットというに、一緒場所にもないみたいですね。バデンさんは建築ではなくて土木のカレッジにばれたわけですが、ここでばれた修士からは日本学位られて、東京とロンドンをったりたりの生活をされています。日本建築学科大部分工学部しています。美術系学校にあるのは一割たないといますけど、イギリスでいうと、有名どころでは、大学ですらないAAArchitectural Association)スクルや、さっきいったロンドン大学トレットなどはデザインスクルで、エンジニアリングの学校ではない。日本とロンドンの建築教育環境はずいぶんうといます。バデンさんが関東学院にいらしたのは10年以上前ですか?

デン:97着任して、2008まで大体11年間いました。

八束いわゆる構造設計家大学専任になるケスは、日本でも最近えてきていますがまだそこまでくない。構造実践とアカデミでの「」というのは、現場建築設計建築計画学よりももっときながあるのではないかというはしていますが、イギリスではどうなのかということをめて、国際的比較論をやって、メリットとデメリットを一般的におしてみたい。もちろんバデンさん個人構造設計家としてのフィロソフィなどもおありでしょうけど。この対論シリズは「はこれしかやらない」とじこもった議論をするよりも、もっと文脈展開したいといますので、そう意味めてバデンさんをおびした次第です。さんがえるためのいろいろな素材提供できればといますので、よろしくおいします。とはいえ、言葉だけではバデンさんの仕事じないといますので、最初自己紹介ねたいスライドレクチャ口火いてきたいといます。

ロンドンから東京へ civil engineering ということ

デン:紹介ありがとうございます。今日はじめて対論シリズにましたので、期待しているようになるかわかりませんが、頑張ります。

八束先生が、イギリスと日本比較教育実務など、いろいろなテマをしてくれましたが、それを全部話すのはもかかりそうですけれど、紹介り、のケしくて、日本には外国人のデザイナはいますけれど、構造エンジニアはほとんどいないですね。関東学院大学にも、常勤外国人教員工学部全体しかいなかった。ですから、とても戸惑いましたが、に、自由きなようにプログラムをんでやっていました。八束先生からイギリスの教育・実務土木出身というがあったといますが、イギリスでは構造家皆土木工学卒です。建築学科には構造をやるがいませんし、授業にも構造授業はありません。も、当時学士3年間でインペリアルカレッジを卒業してからはじめて建築家出会ったんです。土木領域には建築空間論社会的学問くなくて、卒業後にそれにぶつかりました。 

 まずはのバックグラウンドとして、きなエンジニアを紹介してからすことにしましょう。このトマステルフォ1有名土木エンジニアですが、このろに水道橋があってそこに運河れています(1)。産業革命以前時代で、鉄道ネットワクがなく、運河のネットワクが重要だった時代です。このから品物運河運搬して、どんどんこのネットワクががっていったんです。はいろいろ設計した土木設計者で、イギリス土木構造学会初代会長でもあります。でもその水道橋観光化されて、ることができます。15家族旅行両親れてってくれたにはじめてこの出会いました。鉄道本格的産業革命時代になると、このブルネルというエンジニアが鉄道関係仕事をやっていて、は、線路はもちろん駅舎設計しました2晩年汽船設計していて、写真ろにあるのはで、入水式った写真です。本当幅広いエンジニアリングをやった天才的ですけれども、この大好きなで、ロンドンからコンウォルのにある電車です(2)。120mスパンがつあって、右上写真のようなジャッキアップ工法えたものです。このはよく授業使でもあって、はもともと空間ではなく、もっと物理的なデザインをやろうと、土木んだのです。あまり空間興味がなくて()、どっちかというと躯体的なところに興味があったんです。これがブルネルの作品であるロンドンのパディントンですね(3)。ヒスロー空港からロンドンにく、ヒスロエキスプレスの駅舎になります。飛躍する屋根というか、苦労しない構造で、スパンのいアチになっていて、そこから自然採光ができるようになっています。 それと八束先生がよくご存知の、ロシアのシュホフというエンジニアがいます。1920年代のロシア革命期活躍したです319世紀鋳鉄錬鉄主流でしたが、20世紀ると鋼材普及して、鋼材使って設計しました。有名なのはモスクワのラジオアンテナです(4)。人件費くて材料いですが、当時で、素材のコストがとてもくて、極限までく、鋼材をなるべく使わないようにしてつくったものです。それはまさにエンジニアの役目で、それはよりない材料・資源で、よりきな効果すという役目です。がそれを天才的たしたといます。写真はモスクワの広場しているGUMという「デパト」ですが、建物があって、そのにアドのような屋根っています。ロシアのしい積雪えられるように、いア屋根られていますが、よくるとそのにそれを補強するのロッドがとして安定させています。その後彼はロシアのあちこちの通信塔とか、モスクワ郊外にテントのような屋根をつくっています。これは初期膜構造ですね。

八束しだけ言葉ませてさい。シュホフのタワは、つい最近ディベロッパがあれをして高層マンションをつくろうとして世界中建築家構造家大反対したというきな事件がありました。にもシュホフのおさんからアピルがってきて、川口衞先生などにをかけさせてもらいました。日本でも署名めて、一応即座しはれましたが、メンテナンス費用がどこからるかまっていないのでまた楽観できない状況です。って失礼しましたが、をどうぞ。

デン:それとアラップです4当時はロンドンのさなコンサルタントだったんです。シュホフもわりですがアラップもわりで、食事をもっと能率的にしようと使っていました。日本きなだったらしいです。代表作のシドニー・オペラハウスですが(5)、アラップはデンマまれで、コンペでったウッツォンと同郷です。コンペ模型をアラップが解析可能なように球面からせるように合理化しました。屋根面のタイルもすべて曲率ですから、生産的にも経済性くなるです。10に、現場写真てかっこいいなぁとって、こんな仕事ができればとっていました。左上がミックルイスという数学得意で、右下がジャックズンツ。アラップ事務所初期のリー達です。アラップは建築だけでなく、イギリスのほとんどのエンジニアとじように土木構造物もたくさん設計していて、このカイレスキュー橋大好きな道路橋です(6)。ものすごく地形にかみっているような、りのじようなで、自然えてきたなんじゃないかとうくらい風景とフィットしているです。

 そしてのロンドン時代のボスで、ティムマクファレンさんというで、事務所にいたのは86から882年間だけでした5。これは事務所めた物件ですが、ヨクシャー州にあるガラスの博物館です(7)。これまで二次部材として使われていた強化ガラスを、メインの構造部材として使っています。

 ガラスの、ガラスの屋根全部ガラスでできています。ると1ではなく3からできていて、ガラスが一枚割れてもいいようにってあります。そしてこれはグラスゴー市内地下鉄屋根じようにガラスの屋根でできています。 

 これは渡辺邦夫さん6東大留学している3年間橋梁技術んで、その1年間木村俊彦さんの事務所にいました。当時京都駅設計をしていましたので、それにわりました。雑誌掲載されていた渡辺さんの東京フォラムの実現しないだろうとっていました(8)。原先生梅田スカイビルのジャッキアップの渡辺さんにめておいして、をしました。木村事務所ではあまり模型らなくて不満だったので、92から97大学着任するまで渡辺さんの事務所SDGにいました。くて、東京国際フォラムの工程遺跡発掘調査のため延期になっていたで、その事務所りました。発掘調査中一年間設計のやりしがあったので、ガラスのアトリウムの設計わることができました。構造表現強烈参加できてよかったです。その2年間現場常駐していました。ケブルを使って安定させるとか、鋳造したりとか、なかなか体験できない現場本当がよかったです。それと大桟橋のタミナルです(9)。じつは東京国際フォラムの建築家ヴィニョリさんがSDGをポロさんたちに紹介してくださって、仕事まりました。1年間だけでしたのでかいところまでは参加しませんでしたが、これも渡辺さんのとてもいい作品だといます。

    布野影響けたエンジニア6で、えばそれぞれに共通するか、あるいは、影響けたけれどそれぞれ影響なのか、バデンさんとしては一番影響けたエンジニアがいて、はそれにプラスするとか、バデンさんは自分独自方法をどうっているのか、そういういてみたいんですが。しいかな。

    バデン:それぞれのエンジニアからそれぞれの影響けました。ただし共通点としてはがその時代しい素材工法最大限かすように構造システムを発想したわけです。それまでそのようなものがなかったのにしい可能性いて、それを具現化する行為素晴らしい事例しているとう。一人ばなければならないのであればブルネルになりますね。イギリスではがもう神様のような存在です。数年前世論調査では、史上重要なイギリスとして、第二次世界大戦のイギリス首相チャチルの二位になっていた。

    布野一番最初にでてきたテルフォドは土木学会会長だそうですが、土木学会は「ロイヤルチャド」なんですか?

    デン:これはChartered勅許収得済)の学会ですが、RIBAってICEinstitution(=royal institute)とのんだんですね。RIBAIinstituteになっています。

    布野発足RIBA王立英国建築家協会)よりいですよね。そこからAAまでつなげてもらうと、背景がわかるとったんですが。

    デン:教育資格関係いといます。イギリスの場合各学会資格える役割になるんです。王室勅許でその勅許をメンバえるようなことで、国家試験はないんです。建築家とエンジニアも。その意味では資格制度自由ですが、それでまたいろいろ混乱じるのですが、イギリスでは建物設計法律上だれでもできます。そののおばさんが構造設計をしてもいい制度制度とはばないかもしれない())になっています。布野シビルエンジニアの学会で、それに対抗してRIBAができる。それ以前にミリタリー・エンジニアにしてシビルエンジニアがらの職能主張していく段階があった。するに、学協会設立には業務独占問題んでいて、ロイヤルチャドなのかどうかはきな問題だった、そのために熾烈いの過程があったんではないかと勝手っているのですが、それとインペリアルカレッジの関係はどうなんでしょう?

   デン:インペリアルカレッジの場合は、エンジニアとサイエンス専門大学で、当時はロンドン20から30あるロンドン大学つのカレッジだったんです。卒業した15年位前ですかね、結局ロンドン大学から分離して、独立した大学になっています。バトレットはユニバシティカレッジの建築学科理解しています。ロンドン大学にユニバシティカレッジがあって、その建築のバトレットがあって、それとはにエンジニアの土木工学科があるというになっています。

   八束布野さんがミリタリー・エンジニアリングとシビルエンジニアリングというをしたので、ベシックなことなんだけれど、聴衆のために解説しておきたいといます。日本では、明治以降西洋からくの専門分野輸入して翻訳したわけですけど、アキテクチャを「建築」とか「造家」としたのはわからなくないとしても、シビルエンジニアリングは「土木」としたわけですね。そのまませば「公民エンジニアリング」ですけど。えばフランスのヴォバンは築城名手で、はミリタリー・エンジニアですよね7をかけたり道路舗装したりというのはすべて軍事事業だったわけで…

    布野ヴォバンは、ルイ14えた、コルベルの重商主義政策えた、一大ミリタリー・エンジニアであり、都市計画家であり、建築家であり、それらが一体化した存在ですよね。ヴォバン勝手ってるんですが、西欧列強植民都市街区割に、ものすごい影響えています。当時、エンジニアっていうのはつまりミリタリー・エンジニアで、それこそ大砲製造もやったかもしれないし、ルネサンスのユニヴァサルマンのようになんでもやるような存在だった。そういう存在から、シビルエンジニアが分化してきたという過程がある。

    八束フランスでうとナポレオンの学制改革てきて。たぶんイギリスもそういうことなのだろうとうのだけれど、軍事技術からもっと一般公民生活した技術分野というのが独立したわけですね。それが日本殖産興業的明治ではじなくて、公民とはの「お発想になってしまった。だから日本土木うものとヨロッパのたちがっているcivil engineeringのイメジとは、随分違うのじゃないかとうのですが、バデンさんがイギリスの土木学校て、また日本東大土木かれて、そのはすごくじるのではないかといます。

    布野説明だとインペリアルカレッジというのはずしもシビルエンジニアリングのカレッジではない。サイエンスにい、もっと理論的なこともうカレッジですね。バデンさんは、そうした基礎んだで、シビルエンジニアというか、建築構造デザインへの応用興味をもった。そういうセンスが面白いんじゃないか、たぶんインペリアルカレッジの影響きいんじゃないかと理解するんですが。

    デン:イギリスの教育制度日本より随分専門分岐いんです。自分場合普通いといますが16になると歴史英語外国語美術音楽地理、の科目全部終え、それから数学物理学科学三科目だけを18まで勉強する過程ました。大学ではしだけフランスをやりましたが、基本的には一年生から土木関係科目しか履修できない制度です。日本やアメリカからるとめて専門的教育制度えるといます。皆大体14時点理科系芸術系めなければならないのは事実です。

    八束このa+uが、友人今芸大えているトムヘネガンがゲストエディタでジェムススタリングの特集をやっていました。トムと時々スタリングってもうらないよね、かわしいことだとかしていたのですが、はそのじてa+u編集部しかけた結果特集をやるということになったらしいです。あの特集ていても、初期大学煉瓦建築三部作(レスタ、ケンブリッジ、オクスフォド)はぜったいにイギリスじゃないとやれない仕事だし、そのああいう仕事がなくなっていったのは非常残念なことだとっています。そののハイテックとうのともうし。トムはAAスクルの出身で、そのスタリングの事務所にいたのですが普通AAスクルというのは非常にコンセプチュアルなドロイングが90年代流行っていた―だにそうだといますが―イメジがいですよね。はバトレットやグリニッジのほうが過激表現になってきているんだけど、いずれにせよ基本的にはコンセプチュアルな美術表現ですよね。でもそればかりではない。ほどイギリスの建築学校構造授業がないとおっしゃっていましたが、そうなんですか?

    デン:物凄簡単授業はありますが、日本みたいに建築家住宅をすべて担当できるというのはありないんです。バトレットのにも専門的構造教育はないといます。設計できないんです。単純梁設計する能力もないです。にインペリアルカレッジの教育は、デザインの教育はまったくなかったですね。ものすごくハドで、毎日偏微分方程式をとかなければならない。ほとんど数学者じくらいの教育をやっていました。それでおまけみたいにってスケッチしろという課題はあって、でも三時間かけてスケッチしたという程度で、エスキスのしかたとかそういう教育はなくて、ハドな工学系教育ばかりでした。

   八束AAのディレクタだったモセンムスタハビというがいて、AAにハGSDGraduate School of Design)のディンをやっていました。でもそうかな? 四年くらい丹下さんの展覧会とシンポジウムがハドであって、ばれてったんですね。そののパティでモセンが最初に「ハドではHow to buildえない」とったので、はひっくりかえりそうになった()。日本建築学科主任がこんなことをったらたちまちクビになりそうだなとった記憶があります。松下希和)がハGSD卒業生なのでいたですが、GSDでも一応構造授業はあるみたいですね。だけど、当時日本から、にゼネコンの設計部から留学していたたちがいて、このたちがスラスラとラメンの計算をしすと連中見張ってくんだそうです。すると日本人のほうが ()日本場合工学部くと、将来意匠専攻でも構造専攻でも、最初2くらいは構造もスタジオも両方必修ですから、やらなきゃいけない。建築史志望でも、都市計画志望でもやんなきゃいけない、というような教育をしている。そのことによるいこと、いことというのはどうなんでしょう。

   デン:それはよくえることです。建築生産としては日本のやり総合的いといます。そういった統合的なやりかたをとっているのは、っているりでは日本韓国だけですよね。はエンジニアリングと建築学科分離している。

   八束韓国も、ソウル国立大学学科ですね。全部がそうかわからないけれど。

   布野歴史的には、韓国は、教育制度めて日本様々制度んでいますから。戦後も、日本勉強した先生方指導していった。金寿恨などは東京芸大んでますね。最近UIA建築家資格への対応で、5年生導入などわってていますが、韓国日本出発点のベスは一緒です。

   八束ソウル国立大学日本でいう東大みたいなところでしょ。学科うだけではなくて、年限う。

   布野UIA規定って5のトレニング期間めたので、大学でもエンジニア4とデザイン5と、年限うのが一般的になったようです。

   デン:建築生産としては日本のやりいでしょうけれど、意匠のみでなく構造設備電気と、いろいろ統合的教育なので。でもどうでしょう。西洋のやりすと、両方極端最先端まで頑張るので、わせでうまくいけば、おいに刺激しやすいようにじるんですけれど。統合的教育ですと、建築家がリドするので、エンジニアが下請立場にしかなりない。

   1. トマステルフォ Thomas Telford(1757-1834) スコットランドの土木エンジニア。とくに道路橋梁運河港湾、トンネルなどの建設なった。「道路巨人」ともされる。初代土木技術者協会長

2. イザムバキングダムブルネIsambard Kingdom Brunel1806-1859)イギリスの鉄道技術者鉄道関連様々構造物がけ、今日でも名前した国際的鉄道デザインがある。佐藤建吉 『ブルネルの偉大なる挑戦 日刊工業新聞社2006

3. ウラディミシュホフ Vladimir Shukhov (1853-1939) ロシアの鉄道技術者1929ニン賞受賞。モスクワのラジオ資材不足原設計半分以下になったが、原設計350m)ではエッフェル1/4鉄量計算であった。

4. ー・アラップ Sir Ove Arup (1895-1988) デンマク=イギリスの構造設計家傑出した構造家であったばかりか、総合的なアラップアソシエツをも組織し、それは現在世界中にブランチをする大技術事務所になっている。

5. ティムマクファレン Tim Macfarlane 1951)ガラス構造られるイギリスの構造設計家

6. 渡辺邦夫1939 日本構造設計家 日大理工学部出身構造設計集団SDG主宰

7. セヴァスチャンプレストルヴォバン Sébastien Le Prestre, Seigneur de Vauban 1633-1707)ルイ14えた著名軍事技術者建設のみならず後略などの実践 なった軍人である。

日本的事情建築vs.土木

八束なるほどね。日英比較に、っておくべきだとうのは、日本での土木建築分離なんです。えばじコンクリトでも、土木のコンクリトと建築のコンクリトは全然違うじゃないですか。ほとんど共通言語がないくらい。

布野基準がない。

デン:もったいないといます。ほとんどじものがダブって指針したり、教育過程をつくったり、それはやっぱりもっと能率よくできるとうんですね。だから、ヨロッパの場合はコンクリ構造物指針があって(Eurocode)、ヨロッパ連合一般的なコドになっているのですけれど、それは建築物でも土木構造物でもどちらでも適用できます。そのがいいとうのですね。日本分離する弱点のひとつはそこにあるといます。土木場合法律りはあまりないのですが、土木学会指針すんですね。建築学会じようなコンクリトとか鋼構造物とか木造構造物とかにじようなものをしていて、なおかつ建築場合建築基準法があるから、なかなか素早時代変化った対応出来ない。えば許容応力度などをえるとすれば、法律になると国会議事になってくるわけですから、たいへんじゃないかなとうのですね。学会だけに一任するならもっと柔軟対応できるとう。

八束この間私審査わっていたトウキョウ建築コレクションで、最優秀獲得した修士論文関東大震災のいわゆる「百号報告」をったもので、煉瓦造べてRC決定的有利であるとう、佐野利器筆頭にする建築構造技術者がやった報告が、はサンフランシスコの事例めた実施調査が、さしたる件数をしていなかったにもわらず、佐野たちの予断されたものだったという議論でした8当時、その報告信憑性しては土木側からは疑念されていたのに、日本建築耐震化にこれで決定的をとられたというのですね。その方針としての是非はともかく、建築土木っていなかったというひとつのです。

布野何回られそうになったよ。

八束に? 建築構造先生に?

布野建築構造先生に。まえをしてもいいけれど。土木建築のストラクチャエンジニアリングは一緒にやればいいじゃないの、と何度ってみたことがある。おうかって、れられる。建築にはいろいろある、二次部材とか、土木構造計算とはうんだ、とわれる。シンガポルのような岩盤くて、地震いようなところなら、設計者だけでできますよね、なんて暴言くからなんだけど。

八束土木基本的公共工事建築公共工事もあるけれど、民間いからというのはわからなくはないのだけれど指針のつくりまでうとね。発注仕方問題もありますよね。 磯崎さんとやっていたくまもとアトポリスで、牛深のハイヤ大橋というプロジェクトでレンゾピアノと岡部憲明、ピー・ライスのチムを指名したのですね。アトポリスでものプロジェクトはにもあったけれども、あれだけの規模めてだから、色々とびっくりすることがありました。日本土木では、さっきバデンさんにせていたような構造表現になっているという発想はもともとなくて、意匠というのは極端うと欄干設計なんだな。デザイナ基準うのがまずない、コストのめて。それでスパンとかアチとかの基本形式でマトリックスをつくってりこんでいくのですが、それは普通にやることだからいいとしても、最後には、ピアノとコストミニマム両方実施設計やらせる。つまり完全にひとつダミをつくるのです。そっちは協力してくれたエンジニアリング事務所がやったわけですが、そしてピアノとの差額でみましょうという。

宇野建築でも、じです。日本公共発注であれば、じことです。とくに地方では、そうしたことが常態化しています。

八束でもそれは、もうちょっと手前段階じゃないですか。対案実施設計というか、配筋図とか施工図みたいなのまで全部やらせる。10センチくらいはある設計書をつくって積算する。その膨大無駄たるやいです。

宇野戦前土木技師内務省ほかの政府技官でしたから、全体統括する主任技師という立場からトタルな設計工事管理ができましたが、戦後日本では、られた予算大量いで土木構造物をつくる必要があり、基準づくりと標準設計重要だったので、設計者工事者はすべて入札める仕組みとなって、そのため下部構造上部構造別々設計者設計したり、別々施工者工事をしたりと、全体統括することがなくなってしまいました。また、明治時代に、江戸時代普請作事奉行による都市建設分担のまま欧米技術導入、それで土木建築技術基準別々展開してきてしまった問題もあります。そうしたことを丁寧じないと…。日本仕組みがうとっていても、解決できないのではないですか。

八束その宇野さんのほうがよりしそうだから、解説してください。戦前戦後でどうったの?

宇野戦前といいますか、近代日本基本的軍事技術優先して西洋技術導入してきたようにいます。たとえば、帝国大学前身とする東京大学建築学科では、西洋建築技術工部大学校いたお建築家によって導入されたというようにわりますが実際は、薩摩などは英国関係もあり、幕末にはすでに大砲といった軍事技術導入していました。そういう意味では、構造工学とか造船技術がすでに幕末のころから日本ってきている。建設技術同様です。大学ができたのが明治20すぎ。その帝国大学となり、それで日本には大学じて近代技術導入されましたという歴史かれてきましたけれど、本当はそれより半世紀ほどから、英国から日本にヨロッパの技術ってきていた。軍事民事中央政府から各地方近代技術導入展開してきたのだといます。民間都市建築造営内務省統括していたのでトタルな設計工事ができたのですが、戦後は、内務省解体され、自治省創設され、事業官庁としてしく建設省運輸省がつくられます。そうした過程で、公共事業統括する主任技師立場われていきました。

 たとえば、一物二価問題もあります。断面のアルミのすり、あるいは同量仕様のコンクリトでも鉄筋でもいいのですが、以前は、建築土木工事単価がまったくものになっていました。市場がちがうために、建材でもそういうことがこります。明治以来土木建築技術基準別々発展してきたこともありますし、戦後日本社会は、資本主義市場主義)と社会主義併存しながらやってきたようなところがあって、市場としても両者分離していたというわけです。ゼネコンなども、同一会社形態をとっていますけれど、建築土木縦割りになっています。このままではグロバリゼションの時代日本建設市場はあまりにガラパゴス状態だから、さすがに調整しなければというはありますが、国内的には相変わらず八束さんがったように不合理なことがありますし、バデンさんが指摘したように非効率でもあるといます。

布野まずう。金額10100倍違う。がびっくりしたのは篠原修先生った委員会で、橋梁のデザインがどうしようもない、コンペにできないかとったら、ああいいよってって、平気800万円分浮かすんですね。計算やりしている。それでコンペにして、デザイナ最優秀賞をとって実施された。委員だったんだけれど、え、そういうことができるのと。するにコスト感覚とか、見積もり感覚全然違う。あるいは工程感覚相当違う。

八束ピアノのでもうひとつびっくりしたのは、単年度発注していくからいっぺんにはできないわけだよね。そうすると最初予算がいくらで、たとえば1000とかでまったとすると、それを三年度でやるなら三分づつとうじゃないですか。ところが二年目以降になると、それがどんどんがっていくんですよ。トタルで最初見込みより圧倒的がるのは土木ではたりということらしい。

布野それはで? 人件費とか資材費がるからかな、理屈としては。

八束一回発注してしまうと二度目からは競争原理かないというのもあるでしょうし、ひょっとしたら一度めは入札つためにれておいて、というのもあるのかもしれません。それを新聞かれて知事がびっくりしたということがあってね。でも担当土木課長さんなんかは平然としていた。新国立どころではなくて、どうなんだろうといましたね。

布野ロッパでもたようなことがあるのかな。

八束デンさんそのイギリスとかではどうですか?

デン:担当エンジニアにもよります。のスライドでせたカイレスキュー橋はアラップ事務所橋梁ムによるものですが、とてもいいだといます。きくないですが、世界的評価されていて、いろいろなえられた。当時のアラップ設計三人中二人はデンマ出身ですので北欧っているかもしれない。日本れた事例えるとすぐ葛飾かぶでしょう。首都高速道路公団がいくつかのコンサルやのグルプに設計委託したものですが(新日本技研日本建設コンサルタンツ、M+Mデザインオフィス(大野美代子さんの事務所)、埼玉大学田島先生)、その日本的委員会スタイルのプロセスから素晴らしいまれてきました。名前でさえ近所住民めてもらったそうです。結局どちらのシステムがいい結果すのはしい問題だ()。

布野ストラクチャエンジニアにとって、力学的計算というのは共通なのに、何故一緒にやらないのか。欧米一緒じゃないんですか。基準うのはどうえてもおかしい。でもそういうことをうと、社会的けているんだっていう。けの問題次元いますよね。

八束けといういい現状肯定ということでもあるわけですね。もうひとつの問題のあるけは、構造学構造設計けなんですね。一年生入門講義担当していて、全部分野してざっとしていたんです。そこで、構造だけじゃなくて建築計画設計があるし、設備もそうだし、するに各分野原論応用論がある、大学でやっている現場でやっている技術があるというをします。設計教員だけはプロフェッサー・キクテトであるにせよ実践家である建築家がやっているわけだけど、分野はそうではなくて、大学人原論担当している。構造くの日本大学建築学科教員原論である構造学解析をやっている、実験めて。だけどらは、トタルとしての建築構造物わないというか、えない。ある有名大学構造先生自宅友達設計して、当然その先生構造をやるかとったが、できなかったんですって。トタルのシステムとしての建築いは架構構造学はやらない。要素還元してモデルをてはするけど、それをインテグレトする作業はしない。このはどうわれますか?

デン:建築家じようにがいろいろあるんですよね。出来と、できないと。日本にも構造エンジニアがたくさんいますから。たまたまできなかったのかもしれない。いはあまりやりたくなかったかだといますけれど。 

 ただ、土木建築分離したことで、柔軟性がとんでいってしまいましたよね。そのために、えば、バス設計などでは、あまりいい結果がでていないようにいます。いは駅舎ですね。最近くなったのですけれど、はじめて日本には、すごいもったいないなといました。構造デザインという言葉きではないのですけれども、構造設計をしっかりやれば、におかけなくてもすごくいいものができたのに。なぜ、あんなにひどい駅舎ができているのかわからない。それはたぶん土木建築のかみうところがくなかったからだといます。ってきたのですけれど、それをしたのはたぶん土木建築のエンジニアが一緒になったことではなくて、まちづくりとか都市のデザインのたちが影響力えられるようになってきたからだといます。

八束土木建築関係というだけではなくて、建築でのけの問題だとうんですけどね。

8. 浦山侑美子関東大震災における建築物被害報告する一考察周辺史料してる『百号報告』の信憑性―」(九州大学大学院 人間環境学府 空間システム専攻 平成26年度修士論文

最適設計とフェルセ

布野構造先生自分設計出来ないというがありましたが、それとはに、構造先生全然違次元建築えているところがある。構造力学先生最適設計ということをおっしゃる。計算のためだけの計算える場合がある。数学的なきれいさをめるということもある。最適設計というのは、いといますが、単純化すると、ての部材同時れるということですよね。9.11に、ミノルヤマサキのWTCビルが一瞬崩壊した理由について、これが最適設計だといった構造先生実際にいるんです。常識的には、てが同時崩壊することはありえないから、それをえた設計するとうんですけど、バデンさんの意見きたいですね。
デン:WTCですけど、構造エンジニアはレズリー・ロビンソンさんというで、そのI.M.ペイと一緒に、香港のあのバッテンがいている超高層があるじゃないですか。
八束中国銀行Bank of China Towerですね。
デンそれとか超高層沢山やっていたです。あれは7374年頃ですかね、着工したのは。当時彼か、32貿易センタ設計したんです。でもまあ、あの、飛行機んでくるのは…
布野予想していなかった?
デン:なにか、さい飛行機るように予想していた、というか荷重た、というのはどこかでんだことがありますけど。
布野そうですか。
デン:巨大飛行機んでくるのは当然予測できなかったとうんですけど。施工中写真をみると、あれはのエレベコアはしたものではなくて、外周間隔っているのですね。1トルから1.5トルの細間隔っていて、それが横梁一緒きなラメン、フィレンディルをむんですが。まず、くと水平力抵抗できる能力がすごく欠損されるんですけど、それだけじゃなくてが、20mいスパンのトラスがっていて、それが接合する部分がれて、がれて結局柱座屈して、崩壊したんです。連鎖崩壊問題ですが、極端なケスですね。システムをぶときには、ひとつの構造部材をとっても、フェルセ設計というか、建物全体極小なダメジか欠損影響されないように設計しなければならないんですよね。まあ、極小が、どれくらい極小かというのは問題ってくるんですけど。
布野9.11のときにですね、タイのバンコクかなにかで、日建設計構造エンジニアの先生一緒にテレビてたんです。そしたら、あんなにストンとちるのは「おかしい」というんですよ。一階辺りに爆薬仕掛けてたんじゃないか、そうじゃないとえられない、と。日本場合の、りを前提にして設計しているから、という、直後説明はそうだったんですけど。
八束でも、燃料をいっぱいんだ飛行機んだんだから…
布野一挙崩壊するわけですか? 問題にしたいのは本当最適設計とはなにかということなんですよ。最適設計だったからとった構造先生は、「どの部材もミニマムに断面設計をしてあった。それが理想だ」というをしたんで、それはうでしょ、ということなんです。

    デン:あの、日常外力して最適設計があるとうんですけど、やっぱり現代ではテロのこともえないといけない。なにか爆発があったりとか、なにかぶつかってくることにしてもまた最適設計をしなければならない。フェルセ設計をおししてみますと、東京フォラムの最後だったんですけど、有楽町線に、ガラス構造のキャノピをつくったんですね(10)。はじめは鉄骨だったんですが、ある日渡辺さんが「いや、ガラスでりましょう」としたので、がさきほどのティムマクファレンさんのことをしてロンドンに電話したら、がすぐに模型をもって東京てプレゼンをしたんです。そのを、いろいろ詳細設計をしだしたんですが。まあこれ、はねしですけど、鉄砲をそのったがそのたったりしたとすると、強化ガラスですから、ガラスみたいに破片になってしまって、耐力一瞬失われるんですけれども、さっきのガラスミュジアムとじようにツを三枚入れたんですけれど、それだけではりなくて、ガラスの透明部分えますか? あれはアクリルなんです。アクリルはらかいから普段荷重負担にはかないんですが、かの爆弾みたいなもので全部強化ガラスがわれたに、落下しないようにさをえてくれる、極端なフェルセ設計れたんです。当時は、建築センタ評定をとり、安全性証明するプロセスに参加しました。

   布野旭硝子ですね? ガラスを構造材使っただといたことがある。

   デン:屋根部分旭硝子ですけど、はね部材はイギリスでつくって飛行機ってきたんですね。ティムさんがっていたサンゴバンというメがガラスをり、ロンドンにあるファマンがパツを強化してもらいました。当時は、予算がありましたから出来たんですね()。

   八束蛇足だけど、神戸設計した建物つあるんですよ。で、大震災のときに構造家がいちったら、りの建物みんなれているのに、らの建物平気だったんです。がそれにどうコメントしたか、というと、「かった」じゃなくて、「構造家としてはちょっと忸怩たるものがあります」と。

   布野最適設計でなくて、過剰だったということ。

   八束は、設計はいつも「梁太いよな、これ」とかってたから、やっぱり、とったんだけど、まあそのかったわけ()。つまりさっきの日建のエンジニアののいいね。安全率何処まで見込むかというのは、ルルでもまった基準はあるにせよ、結局その裁量になる。皆現場えていることでしょうけど、そのはなかなか微妙なところですよね。けどフェルセフというのは究極的には福島のように千年一度津波問題だってあるわけだからね、さじ加減ではまされない。


コラボレション―構造家建築家

八束話題じますが、さっきバデンさんは、ロンドンで土木めたは、関心空間よりはシステムだったとおっしゃっていたけれど。でもそれはスタ時点であって、でもそうではないのではないでしょうか? 駅舎でも、さっきのしい構造のようなものは空間だとう。空間ではないとうけれど、でも景観かれた構造物というのは空間的意識でしょう、物理的なシステムにまらず。からるにせよ、からるにせよ、そういうトルな架構というのは、エステティクスでないにせよ、そういうものをもっている。これは原論として、としての構造学われることは日本教育現場ではだといます。あれは建築家からみるととても違和感があるのだけれど、どうですか。

デン:エンジニアによるとうのですけれど。がさっきったように、空間はもちろん認識しますけれども、その物理的なところは、ではより重要になっている。多分キテクトは空間可能性すことにして、エンジニアは物理的可能性すという根本的関心いがある。えば接合部とかは、エンジニアの設計チャンスですよね。素材をきりかえられるところですし、いろいろな物理的表現ができるところですから。ですから構造家数学者彫刻家混合になっているものだとよくわれます。もし日本従来教育けていたら、じような感覚をもっているかわからないのですけれど。布野構造苦手なんだけれど、接合部とかディテルで材料えられるというのは、とてもおもしろい。

八束接合部力学的にも意匠的にもフォカスですからですね。アランさんのご自身設計は、さっきなさいませんでしたけれども、最近拝見していると、空間のことに非常関心のある設計家んでやってらっしゃるお仕事いようにいます。そこを橋渡しするというか、建築家構造のことを理解し、構造家設計のことを理解し、という関係ができないとなかなかしくて、そういう教育というのは、これは非常しいですね。昔丹下先生坪井先生のコラボレションのことをいたことがあるのだけれど、ふたりがわせをすると丹下先生構造ばかりして、坪井先生意匠ばかりするんですって。あるときに坪井先生海外留学されて一年間いなかった。その構造講義丹下先生がかわりにやられたらしいんですよ。丹下さんは数学かったらしいけれど、解析まで授業でやったともえないから、たぶん建築家としてれと空間架構は、こういう関係があってというを、実作してやられたのだろうといます。それはいてみたかった。

デン:代々木体育館きました。それはすごく健全関係だといます。エンジニアが空間提案したり、建築家構造についてして、徹底的においに信頼って、それをベスにしてコラボレションをしていけば傑作ができるかもしれない。八束でもそういうことができる建築家とできない建築家がいますよね。1990大阪博覧会でフォリをつくるプロジェクトをやったのですが、当時AAのディレクタだったアルヴィンボヤルスキ磯崎さんとふたりで人選をしたんです。自分てましたけれど、全体のコディネとしてたちの面倒なければならなかったのです。AA中心海外組今話題のザハハディドもめて、当時ほとんどてたことがない連中でしたが、わせしていると、直感的にではあっても構造のことを、あるいはろうとすると、まったくそうでないがいるんですよ。後者はとにかくアラップに相談すればとかしてくれると神頼みなんです、がとはいませんけど()。丹下坪井関係とはい。 

もっと最近ですけれども、佐々木睦郎さんとをしていて、たようなことがありました。佐々木さんは自由曲面構造デザインをたくさんされていますけれども、ハドとかAAとかのスタジオにったら、ているんだけれど、全然下わっていかないようなてくる、あれ全然わかっていないよ、というんです。当然重力くということはあるとしても、からにはかない。そのへんの教育というのは建築家にしても構造家にしてもある程度共通のベスがないとうまくいかないのかなと。しろディンが、we dont teach how to buildってっているところだからというがしました。で、そういう学生卒業してどこにくのかなとって、バトレットにった学生いてみたら、SF映画のアニメになるか、日建設計みたいなところにってそういうデザインはめちゃうかのどっちかだとっていました。例外的がザハの事務所みたいなところにくと。

          デン:建築家とのコラボレションについてですが、もアイディアがあれば空間について提案します。わせのには自由にそれを発言できるような環境必要ですよね。でも上手くいくわせはないですね。エンジニアとしては建築家才能ないと、つまりたちのがもっと上手くできますということだったら、つまらなくなるとうのですよ。もっと意匠自分よりできることをじたうえで、会話でおいに自由提案できるような環境重要だといます。 

場合渡辺邦夫さんみたいに、工学スにしてものすごく空間をつくろうという方針ではないから、建築家からの提案があれば、なるべくそれをじて、ダメになるまでは追及していこうといます。改善できるところがあれば、提案するのですけれど。のやりは、ディテルとか接合部とかはどんどんやりたいとうのですけれど、全体のコンセプトにはあまり影響しないようなでしょうね。そういう方針がエンジニアによっていますね。川口先生代々木体育館参加されたとうのですが、はエンジニアのベスが極端にしっかりしているで、システムを提案するからそれをけば空間影響することになりますけれども、デザイナ提案している空間をわざとして、エンジニアとしての方針そうとするタイプではないといます。

   八束代々木しては、現場担当だったのは建築だってくなられた神谷さんで、構造川口さんですけれども、お二人うと面白いです。でも理解ったりするんだな、お二人で。建築家とコラボレションするときに日本建築家とイギリスの建築家とそれぞれ、個人いではあるけれど、トレニングのいで日本がうまいとか上手くないとかじられることはありますか。それとも、それは個人差ですか。

   デン:日本ではくていい建築家ばかりとむことがいのですけれども、イギリスではまだ本当無名でまだほとんど設計経験のない建築家うので、全然違うんですね。仕事内容として。ティムマクファレンさんの事務所にいたがいろいろAAスク建築家仕事をしていましたから、時々素晴らしいコラボレションの場面目撃できた。わせがうまくくと魔法のように1+12以上になるような人間コラボレションをめてわいましたね。日本て、しばらくそれがなくて、東京フォラムにったころはまた、ヴィニョリさんたちのスタッフとわせをするときにまたそのような関係がうまれ、本当しかったです。建築家もそれをめているとうのだけれど、なかなかないですよね、本当生産的わせは。

   八束さっきの丹下さんと坪井さんの関係非常ているなとったのは、関西新空港のピアノとアラップの関係で、岡部憲明さんとしかったので、コンペに応募したりのにプロジェクトをせてもらいました。アラップは構造だけでなく環境もやる総合エンジニアリン事務所ですから、オプンダクトとかきくデザインにわってくるような議論しながら、めていったということを岡部さんが説明してくれて、非常感銘をうけて、これは絶対勝つだろうなといました。アラップにめばなんでもできてしまうとっているさっきの花博のフォリのデザイナたち(全部ではなくて)とは対極的です。こうしてほしいんだとっても、構造物はできない。そういうところのトレニングの問題こうでもあり、日本でもやちょっと問題になりつつあるとう。

   デン:かに時代当然変わっていくし、ロンドンでも建築家がいないケスがてきたりしているのですけれども、エンジニアが全部デザインしようとするとたぶんうまくいかないというがします。ピー・ライスも、パリで数回建築家なしで全部設計したことがあるのですけれども、講演会写真せていたのですが、失敗作でしたとご自身もおっしゃっていましたね。

   八束ヴィレットの博物館かな、改装の? 失敗原因は、どういういうことですか?

   デン:ヴィレットではなく、レクチャでみせたのはパリのあるビルにある屋内渡廊下だった。たちはたぶん真面目すぎるから、ないところ、いは裏切るところ、とか、そのもっと人間らしい部分りなくなっちゃうのだとうのですね。やっぱりどうしても力学的先入観すぎて、なかなか三角形せないとか、なかなかアチの放物線せない。それをすのはやっぱりデザイナ一緒わせをしながらだといます。その影響がないとおいに失敗だと。デザイナもエンジニアもいろいろ失敗があるとうのですが。コラボレションがものすごく重要です。

デザインとエンジニアリングの臨界


布野建築というのは、られた時間で、いはられた施工者とか、られた資源解答すわけですよね。それで結果として非常にうまくいく場合もあるし、失敗することもある。そこで一番大事にされているのはか、ということなんです。それはバデンさんが影響けた先人たちに共通しているものはか、といにもわってきますが、さきほどアラップの設計した自然からたようなだといわわれたのだけれど、それが一体何なのかといてみたい。するにキドをりたいのです。渡辺邦夫先生一緒日本建築学会賞審査員二年くらいやっていたのですね。そのときに藤森照信先生熊本県立農業高校て、は、これは絶対ダメだというんです。食堂なんかはどこにっているのかわからない非常幻想的空間ができていて、すごくいい。ったのは、これは20たったらとったかな、バランバランになりますよ、とおっしゃった。つまり構造エンジニアとしてここまではせるというか、コラボの許容範囲というようなもの、それがあるのではないか。それをキドだとすると、接合部とディテルかなともうんですが、どうですか。

   古瀬敏静岡文化芸術大学名誉教授しいいえてみてもいいですか? デザイナがこういうのをつくりたいというのが非常野心的だけどかなりしいものがでてきたときに、ストラクチャエンジニアが、ここまでならできる、これはできないとえての代案提案できる、それが、コラボレションで1+12以上になるというのひとつではないかとうのですが。アランさんは、造形物としての実際やりたかったことのつということでしたけれども、完成したその機能たし、なおかつ非常しいというそこのセンスがおありになるから、アキテクトとのやりとりが非常にいいところにいき、ちゃんととしどころが出来るようになるのではないかと、いました。

   デン:たちのトレニングとしては、さっきったように、教科書めば、トラスの場合三角形をつくりなさい。アチのときは放物線、リングのときにはちゃんとじてとか、そういうトレニングばかり、長年やってきました。いエンジニアはそういう原則まえてキャリアをはじめるのでしょうけれども、だんだん、いい建築家とコラボすれば、それをして、空間だけでなく、イキイキとした彫刻的なものが出来ることがわかってくる。ただ、たちだけではとてもできない。建築家対話しながらそれがてくるわけで。 三角形だったらどこでそうとするかとか、じたリングをどこから変則的にするかとか、布野先生がおっしゃった最適解をどうすか、そういうことは自分たちではできない、自信てないわけです。今日、そういう意味せようとっていたのですけれども、このビルは2004内海智行さんとやった建物で、ではどこにでもあるのですけれども、当時しかった構造です。せっかく敷地だったから、みたいな構造をやりましょうと、そういうんできたのですが、内海さんが提案してきたのかはれましたが、その構造がだんだん三角形じゃなくて、接点っていない外部柱というか、半分柱半分筋違という構造になってきた(11)。構造解析安全性確認できるんですけど、なにか方向性がないといけないんですよね。意匠方向性とエンジニアからの方向性から。これは割合とうまくまとまったので、では建物べると数十倍面白いとうんですけど()。集合住宅みたなのは、憂鬱になりますよね。

   八束くわかります。でも、「憂鬱になる」というその建物も、大学建築学科構造設計者がいるわけですよね()。で、その人達がそういう感覚共有しているか、っていうのが非常きな問題なわけで。多分そういうたちと、じアキテクト、内海さんなら内海さんがんで、こういうのができたかどうか、っていうのはわしいとうんです。一方通行ではいけない。退職した大学大学院で、意匠学生諸君構造のことをちゃんと理解してもらおうとって「構造設計特論」という、いろんな構造家にかわるがわる講義をしてくという授業って、バデンさんにもそれをおいしました。もちろん構造専攻学生にもてもらいたいとった。これは第一歩ですけれども、そこの感覚を、構造にも、意匠学生さんにもってもらって、という教育のシステムをつくっていくっていうのはなかなか大変だとはいます。この松村さんをゲストにした建築生産対論で「もかも四年間でというのはかすぎる」というをしたんですけれども、これは構造意匠問題だけではなくて、次回予定している環境にせよ、そういうインテグレトするような教育仕方はこれから議論していかなくてはいけないな、とっているわけです。

        数学造形臨界事例としてのコルビュジエとクセナキス

   布野数学造形関係として、クセナキス9とコルビュジエのコラボみたいなのは最悪だったのかどうか、ちょっといてみたいんです。クセナキスはクビになったんですね。たまたま、上杉春雄さんが、札幌にいる脳神経外科医でかつプロのピアニストですが、クセナキスをきながら、そういうことをってくれたんですよ。

    デン:まず、クセナキスは、どのくらいコルビュジエと一緒にやっていたかわからないんですけど。音楽をやっていたんですよね。数学から音楽をつくったり、エレクトロニクスな音楽ったり。

布野どっちがだろう? もともと数学者だよね。

12 八束いや全部同時んでいたみたいですけど、なくともパリにてコルビュジエの事務所入所したには、いずれにせよエスタブッリシュされた存在ではなかったはずです。は、作曲はダリウスミヨとかオリヴィエメシアンに師事したんだけれども、紹介したのはコルビュジエらしい。フィリップス12)とかではちゃんとクセナキスの名前はクレジットされているし、コンセプトも尊重されているから、二人関係はそんなにマズかったわけじゃないとうけど。

    布野「フィリップス」の評判くなってきた、コルビュジエが「これには、オリジナルはなにもない」とった。それで、コルビュジエに「あんたのつくっているものも、からやっていた、三角四角ですね」ってったらクビになった、っていてるらしい、上杉さんによると。

   デン:昔読んでいて、かに確率理論とかそういうような数学がたくさんげていて。まあ、確率とかリズムとかがではものすごく重要なことのようですけれども。もしかしたら。

布野そういう方向う?

   デン:普通のエンジニアとはちょっと方向ですかね。数学美めてたんですかね。自分がティムさんの事務所たときAAスクルで一回非常勤講師月間していました。ちょうどクセナキスがAAにレクチャをするがあって本人とボヤルスキー学長たちと食事しにった。らのくと建築よりクセナキスの音楽みが主題になっていて、コルビュジエとのコラボレションあるいは建築設計はほとんどなかったとう。布野建築理論って、古来音楽理論わってきていますよね。プロポションの理論とか、相互通呈するものがある。上杉春雄さんは、楽譜ながら全部説明してくれる。ピタッとるんですよね。上杉さんは、建築狂といってもいいくらいで、全部見ている。毛綱モンのを全部見た、とか、白井晟一全部見た、とかね。お何者だ、という、すごい外国行くとみんな大体全部見ている。ラトゥレットもた、当然ですけど。

   八束のことばでいえばアルゴリズムですけど、コルビュジエ自身がモジュロルとか、トラセレギュラトゥルとか数学化するのがきでしょう。そこへもっと数学いクセナキスがってきて、確率論とかで寸法決めをやったということですね、ラトゥレットだと波動ガラスというサッシュのけで、フィリップスになると三次元複雑なシェルの形状になる。だから構造ですよね。力学的計算までしたのかどうかはらないけど。布野さんが多分聞きたかったであろうことでいうと、コルビュジエもクセナキスも最初から数字ありきではなくて、もこんなじという直観的なことからはじまって、それを近似していったみたいですね。そこで一致するものがないとコラボにはならない。

9.ヤニスクセナキス Iannis Xenakis1922-2001)ギリシャの作曲家建築家 確率論取込んだ設計作曲なった。1997年京都賞受賞


リノベションの諸問題

八束で、話題にしたいんですが、これはフィルドとしては、より布野さんにわるとうんだけど、これからはリノベションがえていくだろうということです。これは前回松村さんが強調していたことでもあるけれども、たとえば、東京電機大今川憲英さんなんかも、今後はそれだということでかなり頑張ってらっしゃるようですけど、この分野構造家たす役割っていうのは意匠家以上きいものがあるのではないかということです。意匠担当であっても、勝手あけられてもるから構造のことがある程度わからないといわけですね。バデンさんのイギリスでのお仕事はやはりこの分野いようだと いうことでとりあげてみたい。それから、ほどのおにもありましたが、バデンさんはしい材料わせということに大変関心がおりだとうんだけど、そういう資質は、リノベションでは材料しい材料わせということでインベンティブな仕事可能にするのではないかというがあります。そのへんについてはどのようにおえでしょうか。

   デン:うん。たぶん10年位まえから「これから日本ではリノベションの仕事えます」とみんないってますけど、まだまだ、えてなくて。いろいろ問題があるといますね。まず、法律的にあまり簡単ではないですね。建物安全性証明して、もう一回確認申請をとる、というのは色々面倒くさいところがあって、簡単ではないので。でも、ほんとうには、可能性がたくさんあるといますね。オフィスビルを住居用途変更をしたり、リノベションするとか。もいろいろ提案するんですけど、なかなか。この関東学院大学4階建てのRC建物だったんですけど、耐震補強するかえるかっていうがあった。は、撤去して解体して、もっと4ともしかしたら5鉄骨でつけたして、もしかしたら耐震補強しは必要となるかもしれないですけど、建物くして耐震性くする。ただ乱暴補強するというやりだけではなくて、もう使って建物重量らしたりだとか、そういう可能性があるといます。

   八束けれども、のレヴェルでは、布野さんなんかがアジアのいろんな中国とかインドネシアとかんなところで調査をやってらっしゃるけど、近代的最先端構造建設技術やファブがない途上国今後起こってくるであろう、既存のストックとの一種のハイブリッドでやってかざるをない状況というのは、おなじリノベションといっても分野ですよね。最近、ネパルとかで地震があって、あれは人災だということがよくわれていますが、途上国では、そういうものをないから全部壊してしいものにえるっていうのはリアリティのあるではないので、それを補強しながらしいユスにえていくというのは大事業としてありうるとうんだけど。

   デン:あれは現代社会のエンジニアリングのきなミスですね。ネパルの歴史的組積造建物は、100年前からないっていうことを結構みんなわかっていて、それを立入禁止にするか、ある程度耐震性えるような計画てないのは、本当無責任だとうんですね。中国地震じようでしたよね。小学生沢山犠牲になっていた地震が、10ほどですかね。ありましたね。自然災害とよくわれるのですが、本当人工災害です。エンジニアが十分関与していないからいは関与させられる制度ができていない。

   布野は、地震はいろいろみてます。1976のバリ地震とかね。ネパルは、1936大地震経験しているんです。たまたま、そのときに訪問していた天沼俊一10先生かれているんですよ。

   八束京大建築史の?

   布野建築史天沼先生一冊「インドなんとか紀行」というね。だから、わかってたですよ。で、だいたいやられているのは補修方法ね。バリでも、モダンな手法れたのがやられていて、多分相当被害けたのは伝統的というような補修補修をいれていて、わかりませんよ。多分、セメントをめたりとか、いろいろやってきたのが多分ダメジをけた、というのがある。

    八束つまりずしもいものの問題というより中途半端改修問題であるというわけですね?

   デン:イギリスの場合はなかなか、建物さないから、たちがやっているものも、平凡なものがくて。数件だけおせしますけど、こういう、100かどうかわからないですけど、建物にお金持ちが地下をつくってプルをれたいというわけです(13)。で、煉瓦建物保持しながら、しづつったりする場合に、建物をどうやってえていくか、安全仕事めるか、そういう仕事なんです。鉄骨れたりしているわけですが、地下鉄筋コンクリトですから、結構、プロセスが複雑になってしまいます。あるいは、これは数百年前からある工場だったのですけれど、その2層建てのマンションを鉄骨して、住居スペスをる(14)。イギリス事務所では100くらいやってるんですけど、平凡なテラスハウスで、のアパトとのアパトとか、あるいはごと二分割とか、色々分割されていますけど、三層分を、ったり、もっと空間じるように鉄骨れたり、鉄骨わせたりとかしています。はビクトリア時代のものなので当然いじることができないのですが、近代的空間にしている。こういう仕事いですね。日本のリノベションとイギリスとでは、用途変更のプロセスもまったくったり、目的うし、使っている素材全然違います。イギリスではレンガ自体構造ですので、材料使えるわけですけれども、日本では地震があるから材料使えない。靭性のある鉄筋コンクリトか鉄骨になりますね。

   布野五重塔は、免震的といわれますね。ヴァナキュラ民家もそれなりの耐震性とか耐風性とかがあって、台風についても、地震についても、それなりに対応する工夫をしてきた。バリ1976地震のときれたのは、バリ伝統的住居ではなくて、みんなしい材料しい構法てた建物だった。日本でも、昭和のはじめの地震では筋交いをいれたほうがやられている。日本木造は、ったり、いだりして、100200年持たせてきたでしょう。リノベションについては、そういうことがこっていくんじゃないか。コンクリトに鉄骨れるとかね。無様だろうがなんだろうが、鉄骨先生だったら、それでいけますよ、という。ただ、日本基準うと、ヘンテコになりそうですね。耐震補強ってうとじブレスをれないといけないとか。するにね、リノベションでも、アランさんは平凡仕事ってうけど、現場現場工夫できることとか面白いことをつけてやられているんじゃないかっていうふうに、想像するわけです。だから、もっと多様なことがこっていくなかで、面白表現こっていく可能性があるのではないか、とっているんです。

   宇野いま自分研究室には、トルクメニスタンから留学生ています。ソヴィエト時代には、ソヴィエトが近代建築ってきたようです。1970年半ばに、コルビュジエに傾倒した設計上手建築家がいたらしく、写真ると、なかなかいRC近代建築があります。独立後20数年たったわけですが、現在、ソヴィエト時代建築されつつあって、フランス、ドイツ、そしてロシアから、また中国からも、さまざまな会社がやってて、それぞれのスタイルと技術建築っているそうです。様式技術がバラバラで、それをなんとかしたいってはいっています。また、一方で、1940年代きな地震があって、それまでの伝統的建築全部崩れてしまったとのことでした。日本関東大震災とほぼじような状況で、震災後RC近代建築普及したようです。僕自身は、トルクメニスタンにったことありませんし、しい情報もないんですけど、世界には、そういうところが結構あるんだなあっていました。つまり、その土地土地建築技術伝統近代建築出会った地域、さらには、その、さまざまな様式技術外国から導入されるときの混乱のようなものがあるわけです。 今日話題は、英国日本建築制度歴史的いとか、エンジニアとアキテクトのコラボレションのですけど、ら(日本社会)は経験してきていて、ある程度、どうすればより合理的になるか方向性えているといます。戦後社会制度としての近代急激普及したために、一般国民理解がまだ十分じゃないっていうことで、いろいろ問題があるのは事実ですけど、エンジニアリングの問題ではない、っていうか、そういます。

   八束それって、さきほどの日本がガラパゴスだという裏返しみたいね。

   宇野デンさんにおきしたかったのは、えば、トルクメニスタンみたいなところは世界にはいくつもあるわけで、そうすると、エンジニアというか、十分近代化した技術っている我々は(英国日本は)どのようにうべきか、っていうことです。えば、トルクメニスタンにはいろいろな建築んできていますけど、構造的えて耐震性めるにはどういう提案がありますか?ってかれたに、どうえればいいのか、はわからなかった。

   デン:もトルクメニスタンに全然詳しくないですし、ったこともないんですが。鉄筋コンクリ建物ですか?

   宇野伝統的には組積造で、鉄筋コンクリ近代建築導入される大地震一度壊れています。その鉄筋コンクリ建築導入されました。ただ、耐震性いソヴィエトの建築なので…

   デン:だったらそれを、一軒ずつ調査しなければならないですよね。調査して、耐震性強化して、方針えるしかいとうんですけど。調査なしでただ解体するとか、歴史的なものだったらそれが勿体無いわけですよね。

   宇野勿体無いですよね。耐震補強とかするといいのに、っています。ソヴィエトから独立してまだわずかですから建築基準ってないところに、他国がたくさんやってきて建築っているのです。トルクメニスタンは、天然ガスが豊富資源国で、お金持ちのです。そこをっていろいろな参入してきているというわけです。エンジニアリングの問題として、コンサルテションできることがいくつもありそうです。

   八束中国なんかだって、じことがこっているんじゃない? するに、中国だとかソだとか、あれだけいところで、一律基準くわけはないんで。アメリカなんかだったらごとに全部基準法うじゃないですか。そういうことが多分、きちんとできていない。世界遺産というがあったから、もうひとつついでに話題として提供しておくと、世界遺産たるものだけど、アンコルワット。日本では早稲田中川武さんのチムが修復やなんかにわっているんだけど、結構危ないらしいんですよ。一部禁止だし。友人構造家新谷眞人さんが結構コミットしていて、あれって全部石んでいるわけではないんですね。なんですけど、それの総重量計算して比率推測するというようなをだいぶにされていました。

   デン:地震があるからでしょう? 腐食して。

   八束んでいる結構流動化していくみたいなんです。その解消しないと、すぐにというのではないかもしれないけどない、っていうのを新谷さんにいたことがあります。だから構造家近過去のリノベションどころか、大過去のコンサベションまでってやる仕事現時点でもているということですね。

10.天沼俊一 18761947建築史家東京帝国大学工科大学造家学科卒業京都帝国大学・助教授・教授192036)。『日本建築史要』(1926)、『日本建築史図録』(1933-1939)、『成虫楼随筆』(1943)、『日本古建築提要』(1948)


構造家のレゾンデトル

デン:そういう耐震補強もそうですけど、リノベションもコンバジョンもものすごく可能性があるとっているんです。それでそのプロセスには、構造エンジニアが不可欠だといますね。エンジニアが存在しないとできない仕事で。その最適化色々コンピュタで最適設計というか、ボタンをせば、単純な、両側に、3とラメン構造があれば、ボタンをせばえがてくるかもしれないですけど。 そういえば、先週日曜日横浜大桟橋学会というかセミナがありましたよね。いらっしゃいましたか?

   宇野いていますけど、あいにく、くことはできませんでした。

   デン:さんと渡辺さんと、アレハンドロザエラポロさんがいましたけど。「THE SAGA OF CONTINUOUS ARCHITECTURE」「連続的建築はこれからどうなるか?」というようなテマだったんですけど、そのなかで、アメリカからたジェフリー・キプネスさん、オハイオ州立大学建築評論家がいるんですけど、が、渡辺さんの発表わったら「いや、でも渡辺さん、もうそろそろ構造エンジニアの時代わったといませんか」という質問をしたんですね()。通訳がうまくなかったから、渡辺さんにはその発言衝撃さが理解できなかったみたいですけど。でもそれをいて、建築をやっているでもそういうふうにえているはまだまだいのかな、とすごいしいいがしました。いかに構造エンジニアがやっていることが、社会わっていないか、コミュニケトしていないか、えました。

   八束キプニスはアイゼンマンのポスト構造主義理論家としてられていますが、元々物理学なんかをんだ本来理系のはずですけど、どういうもりでったのかな?

   デン:構造家不要とかいわれても、リノベションなんかだって、全然自動化できなくて、エンジニアの判断必要で、そのでどうやってコンバジョンが上手くいくかという発想必要で、構造がわからないと発想できないとうんですよね。コンバジョンの場合は、やっぱりみんな真剣えてないとうんですね。絶好のチャンスは新国立競技場ですよね。

   布野それきたい。

   デン:もうしたんですけど、競技場補強するとかいろいろながありたとうんですけど。

   布野まだっていて、使うかどうか。設計案がわからない段階で、全部とったりするのは、またおがかかる。

   デン:いや、学会が、再利用指針しているんですよ。

   布野そうか()。

   デン:そういうやりもできるとうんですけど。もっと地球にやさしい、日本わったということを絶好のチャンスだったとうんですね。

   八束この問題簡単には議論出来ないし、宇野さんたちがまた企画をおえみたいだから、時間えたし、今日はこんなところにしましょう。じゃあ、バデンさん、うございました。

文責八束はじめ)

 

布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...