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2024年10月17日木曜日

都市に寄生せよ 設計演習Ⅱ、東洋大学、住宅戦争,彰国社,1989年12月10日

 住宅戦争,彰国社,19891210

 

都市に寄生せよ

 

 

  「ある日あなたは突然家族と家を失った。

  身よりも何もない。あなたは誰にも頼らずたった独りで生きていくことを決意する。いわゆるフーテンである。家を建てたり借りたりする気は最早無く、またその余裕もない。都市そのものに住もうと考える。しかし、そのためにも生活上最低限の装置は必要である。時には地下鉄の入口で、あるいは橋の下で、またあるいは路上で寝なければならない。

 都市に寄生して生きる。」

 

 課題はこれだけである。ヴァリエーションとして、以下のような条件をつける場合もあっていい。

 「以下の条件を最低限満足する装置をデザインせよ。」

 

  1.寝られること

 2 食事ができること

 3 人を招待できること

 

 要求図面

 ①装置の平面図

 ②装置の立面図

 ③使用状況のスケッチまたはアクソメ、その他必要と思われる図面

 

 すべての材料を明確に、着色の上提出すること。

 

 

  要するに、住宅の設計課題である。住宅の設計は、建築家の基本であるという。

 しかし、住宅の設計といっても、すぐさまできるわけではない。まずは、コピーから入るのが順当であろう。近代建築史のなかで傑作とされる住宅をあるいは評価の高い現代住宅を数多くコピーする。できたら模型をつくってみる。

 いきなり、「理想の住宅」を設計せよ、といっても、うまくいくわけはない。まず、住宅は極めて身近であり、その具体的なイメージから離れられないということがある。「理想の住宅」といっても、どこかしら、今住んでいる、また育ってきた住宅の痕跡が表現されるものである。困るのは、固定した住宅イメージから全く逃れられない場合である。まずは固定観念をぬぐい去って、頭を柔らかくする必要がある。

 いずれにしても体験しない空間を具体化するのは難しい。だから、とにかく、実際に様々な空間を体験すること、古今東西のすぐれた建築を見て歩くのが建築家となる第一歩であり、基本である。

 住宅といっても実に様々である。世界中を見渡して見て欲しい。地域によって、民族によって、様々な形態がある。

 

 こうしたヴァナキュラーな住居に、基本的な架構原理など多くを学ぶことができる。また、その多様性によって固定観念は揺らいでくるはずである。

 

 しかし、結局自分にとっての「理想の住宅」である。自分がよければいいのである。

 また、そもそも住宅の設計が複雑であるはそのものが

2024年4月27日土曜日

1円入札が問う設計報酬の自由,日経アーキテクチャー,19960923

設計料入札など論外

 

1円入札が、アイロニーとして行われたとしたら、あるいは談合へのプロテストとして試みられたとしたら、かろうじて意味があるのかも知れない。しかし、昔からこの手の話は耐えないのだからしゃれにもならない。古い話だけれど、警視庁が9万円で落札されたのは本当なのか。『日経アーキテクチャー』をはじめ、建築ジャーナリズムは、この際、徹底して設計入札の実態を明らかにして欲しい。

 設計入札など論外である。

 設計入札に応じる建築家など論外である。

 設計入札が設計という業務に馴染まないことは明かだ。にもかかわらず、それが無くならない設計業界の体質は絶望的である。徹底的に実態を洗い出して設計入札反対のキャンペーンを展開して欲しい。

 確認すべきは、設計入札の問題と設計報酬(の自由)の問題は次元が違うということだ。設計者は設計の内容によって決められるべきで、設計料の多寡によって予め決められるべきではない、という単純なことだ。極端な話、しかるべき手続きで決定された後、設計者が納得すれば(利益の社会的還元というのであれば)設計料零ということだっていい。

 問題は、しかるべき手続き、の問題だ。基本的には設計競技によるしかない。方法は様々にある。そのプロセスの公開性が担保されさえすれば、どんなやりかたでもいい。

 公共施設の場合、国民の血税を使うわけだから、それなりの時間と智恵を使うべきだ。単年度予算の制度や行政手間といった小官僚の都合によって、設計入札が採用されているのが根本原因である。公共発注の実態を徹底的にルポルタージュして欲しい。『日経アーキテクチャー』には、その使命がある。






 

2022年8月30日火曜日