このブログを検索

ラベル 職人 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 職人 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年7月17日月曜日

自立した個のネットワークへ,職人サブコン,タウンアーキテクト,果てることのない役割,私論時論,建設通信新聞,20020204

 自立した個のネットワークへ,職人サブコン,タウンアーキテクト,果てることのない役割,私論時論,建設通信新聞,20020204

自立した個のネットワークへ

サブコン、職人、タウン・アーキテクト


布野修司

 

 今年の一月号から二年間、二四号、日本建築学会の『建築雑誌』の編集長を務めることになった。半年ほど編集委員会で議論を重ねた末に一月号の特集タイトルは「建築産業に未来はあるか」となった。当然だと思う。日本の建築生産の仕組みが今こそ問われているときはないからである。

日本の産業界そして社会全体が大きな構造改革を求められる中でひとつの焦点は建設産業である。戦後まもなくの日本は農業国家であった。就業者人口の6割は農業に従事していたのである。その後の高度成長を支えたのは重厚長大の製造業そして建設産業である。スクラップ・アンド・ビルドが日本経済を勢いづかせ、日本の建築生産は一時国民生産の四分の一を占めた。「土建国家」と言われたほどだ。しかし、大きな流れは第二次産業から第三次産業へである。そして、バブル期の金融業が日本を舞い上がらせ、掻き回した上に糸の切れた凧のようにしてしまった。日本の製造業の空洞化は誰の目にも明らかである。

こうした趨勢の中で建築産業はどうなっていくのかは今建築界全体の切実なる問いである。明確な指針は手探りであるにせよ、とにかく考える材料を提供しようというのが先の特集である。一瞥頂きたい。

まず前提とされるのは建設投資が国民総生産の二割を占めるそんな時代は最早あり得ないことである。先進諸国をみても明らかなようにそれは半減してもおかしくない。そして、スクラップ・アンド・ビルドではなく、建築ストックの再利用、維持管理が主体となっていくことも明らかである。都市再生の大合唱はその方向を指し示すけれど、需要拡大のみを期待するのは大間違いである。技術のあり方、仕事のあり方そのものが変化せざるを得ないのである。さらに、建築産業の体質が厳しく問われるのも明らかである。すでに、公共事業に対する説明責任が各自治体に厳しく問われる中で、設計そして施工に関わる業務発注の適正化が求められつつあるところである。それ以前に、不良債権の処理がままならず、大手建設業の倒産がさらに続くと噂されつつあるのが現状である。

こうした中で現在起こっているのは就業人口の大きなシフトである。建設業界はこれまで就業者人口調節の役割を担ってきたけれどその余裕は最早ない。IT産業、介護部門への転換は不可避である。そして、建設業界で起こっているのは、熾烈なサヴァイヴァル戦争である。「生き残る者」と「そうでない者」との二極分解が急速に進行しつつあるのである。

取り敢えず現在の問題は「そうでない者」の方である。先の特集の座談会で下河辺淳先生の一言が耳について離れない。

「生き残れない者は死ぬんです」。

確かに、建設業界の高齢化率は高く、需要減によって新規参入がなければ早晩業界全体は縮小して一定の規模に落ち着くであろう。問題はその先である。熾烈な淘汰が進行した後に残存するのがどういうシステムかということである。おそらく、スーパーゼネコンを頂点とする重層下請構造と言われてきた日本の建設産業体勢は変わらざるを得ないのではないか。

 ひとつの根拠は国際化である。建築は地のものとは言え、国際的なルールは尊重せざるを得ないだろう。CM、PMといったシステムは様々に取り入られていくであろう。もうひとつの根拠としてソフト技術の進展がある。企業の規模に関わらないネットワーク型の組織体制がいよいよ実現していくのではないか。そしてもうひとつ鍵を握るのは技術であり技能である。結局は、ビジネスモデルを含めてものをつくるノウハウを握っていることが決め手となるのではないか。そうした意味では能力あるサブコンが建築生産システムのひとつの行方を握るであろう。

 一方念頭に浮かぶのは地域社会を基盤においた建築職人のネットワークである。建築の維持管理が主となるとすれば建築業はどうしても地域との関係を深めざるをえないはずである。小回りが利いて、腕のいい職人さんの需要は減ることはないと考えるけれどどうだろう。

 限られた紙数で、法的枠組み、資格、報酬、保険など様々な問題を論じきれないけれど、期待するのは組織ではなく、技能、技術を持った個人のネットワークによる建築生産システムである。建築家、設計者のあり方もそのネットワークにおいて問われるだろう。まちづくり、維持管理、国際化が建築家にとってのキーワードである。グローバルにみて、 各地域においてサブコン、職人、タウン・アーキテクトのネットワークが果たすべき役割はなくなることはないと思う。


2023年2月19日日曜日

職人大学設立へ向けて・・・SSFの現在,雑木林の世界80,住宅と木材,199604

 職人大学設立へ向けて・・・SSFの現在,雑木林の世界80,住宅と木材,199604


雑木林の世界80

職人大学設立へ向けて・・・SSFの現在

 

布野修司

 

 職人大学の設立を目指し、現場専門技能家(サイト・スペシャリスト)の社会的地位の向上を願うサイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)の結成とそのスクーリングなどの活動については本欄でも何回か紹介してきた(雑木林の世界        )。その結成は一九九〇年一一月。もう六年目に入る。ようやく、具体化への道筋が見えかかってきたような気がしてきた。以下にSSFの現在を報告したい。

 「住専問題」で波乱が予想された通常国会の冒頭であった。見るともなく見ていた参議院での総括質問のTV中継で「職人大学」という言葉が耳に飛び込んできた。村上正邦議員の質問に、橋本首相が「職人大学については興味をもって勉強させて頂きます」と答弁したのである。いささか驚いた。今まで興味もなかった急に国会が身近に感じられたのも変な話であるが、橋本首相の国会答弁は、SSFの活動がこの間大きな広がりを見せつつあるひとつの証左である。

 産業空洞化がますます進行する中で、日本はどうなるのか。日本の産業を担ってきた中小企業、そしてその中小企業を支えてきた極めてすぐれた技能者をどう考えるのか。その育成がなければ、日本の産業そのものが駄目になるではないか。そのために職人大学の設立など是非必要ではないか。

 簡単に言えば、村上議員の質問は以上のようであった。もちろん、膨大な質問の一部であるが、日本の産業構造、教育問題、社会の編成に関わる問題として「職人大学」というキーワードが出された印象である。考えて見れば誰にも反対できない指摘であろう。「興味をもって勉強させていただきます」というのは当然の答弁であった。

 SSFのこの間の活動は、スクーリングを主体としてきた。佐渡に始まり、宮崎の綾町、柏崎、神奈川県藤野町、群馬県月夜野町と五回を数え、茨城県水戸で六回目を準備中だ。現場の職長さんクラスに集まってもらって、体験交流を行う。そうした参加者の中から将来のプロフェッサー(マイスター)を見出したい。そうしたねらいで、SSF理事企業と地域の理解ある人々の熱意によって運営されてきている。

 大学をつくるということが、如何に大変なのかは、大学にいるからよくわかる。そして、大学で教員をしながら大学をつくろうとすることには矛盾がある。シンポジウムなどでいつも槍玉に挙げられるのであるが、何故、今いる大学でそれができないのか、それこそ大きな問題である。

 言い訳の連続で答えざるを得ないのであるが、国立大がであろうと私立大学であろうと、職人を育てる教育をしていないことは事実である。それを認めた上で、現場を大事にする、机上の勉強ではなく、身体を動かしながら勉強するそんな大学はどうやったらつくれるか、それが素朴な出発点である。

 居直って言えば、偏差値社会の全体が問題であり、職人大学をつくることなど一朝一夕でできるわけはない。少しづつ何かできないかとお手伝いしてきたのである。

 本音を言えば、スクーリングを続けていくこと、それが職人大学そのものへの近道であり、もしかすると職人大学そのものなのだ、という気がないわけではない。

 可能であれば、文部省だとか労働省だとか建設省だとか、既存の制度的枠組みとは異なる、自前の大学をつくりたい、というのがSSFの初心である。できたら、自前の資格をつくり、高給を保証したい、それがSSFの夢である。

  しかし、そうした夢だけでは現実は動かない。また、この問題はひとりSSFだけの問題ではないのである。日本型マイスター制度を実現するとなると、それこそ国会を巻き込んだ議論が必要である。

 この間、水面下では様々な紆余曲折があった。五五年体制崩壊と言われるリストラクチャリングの過程における政界、業界の混乱に翻弄され続けてきたといってもいい。

 SSFの結成当時、バブル全盛で、職人(不足)問題が大きくクローズアップされていた。SSFを支えるサブコン(専門工事業)にも勢いがあった。しかし、バブルが弾けるといささか余裕が無くなってくる。職人問題などどこかへ行きそうである。SSF参加企業のみなさんにはほんとに頭が下がる思いがする。後継者育成を社会的なシステムとして考えるコモンセンスがSSFにはある。

 筆を滑らせれば、「住専問題」などとんでもないことである。紙切れ一枚で、何千億を動かすセンスのいいかげんさには呆れるばかりである。現場でこつこつと物をつくる人々をないがしろにするのは心底許せないことである。

 大手ゼネコンにもこの際言いたいことがある。ゼネコンは一貫してSSFに対して冷たい。ゼネコン汚職の顕在化でゼネコンの体質は厳しく問われたけれど、重層下請構造は揺らがないようにみえる。ゼネコンのトップが数次にわたる下請けの構造に胡座をかいて、職人問題、職人大学問題に眼を瞑ることは許されないことである。末端の職人問題については、それぞれの企業内の問題として関心を向けないゼネコンは身勝手すぎるのではないか。SSFの会議では、しばしばゼネコン批判が飛び出す。

 そうした中で、SSFとKSD(全国中小企業団体連合会)との出会いがあった。SSFは、建設関連の専門技能家を主体とする、それも現場作業を主とする現場専門技能家を主とする集まりであるけれど、KSDは全産業分野をカヴァーする。職人大学も全産業分野をカヴァーすべく、その構想は必然的に拡大することになったのである。

 全産業分野をカヴァーするなどとてもSSFには手に余る。しかし、KSDには全国中小企業八〇万社を組織する大変なパワーを誇る。

 SSFには、マイスター制度や職人大学構想に関する既に五年を超える様々なノウハウの蓄積がある。KSDのお手伝いは充分可能であるし、まず、最初は建設関連の職人大学を設立しようということになった。

 その後、様々な動きを経て、財団設立が認可され、その設立大会(一九九六年四月六日)が行われようとしているのが現在である。もちろん、SSFと財団の前途に予断は許されない。ねばり強い運動が要求されているのはこれまで通りであろう。

 


2023年1月26日木曜日

職人大学第二回スク-リング-宮崎校,雑木林の世界53,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199401

  職人大学第二回スク-リング-宮崎校,雑木林の世界53,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199401

雑木林の世界53

サイト・スペシャルズ・フォーラム

職人大学第2回スクーリング

宮崎県宮崎校

                       布野修司

 

 今、宮崎県は綾町のサイクリングターミナルでこの原稿を書いている。後ろでは、金山金治(原建設)氏の「建設職町学(学び、教える)」の講義が行われている。職人になってからづっとつけているという分厚い日記帳をどんと机の上に置いての講義だ。迫力がある。

 サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)の「職人大学第2回スクーリング宮崎県宮崎校」が一一月二三日から開かれており、四日目の午後の最終講義である。この後、夕食をとり、恒例の超ヴェテラン鳶藤野功氏の講義がある。また、今井義雄(鈴木工務店)氏の「現場経営学(新技術への挑戦)」が続く。ハードスケジュールは、第一回の佐渡と同様である。

 今回の受講者は三一名、佐渡に続いての参加者もいる。一八才の鍋島君と興梠さんである。最年少はなんと一七才の大村義人君だ。中卒で既に三年の経験を持つ。ハンサム・ボーイで大人気である。鍋島君はアイドルの役割を譲った形になる。最年長は前回に続いて興梠(佐多技建)さんでOB会である「真渡の会」会長として参加されている。三〇代、四〇代のベテランが今回も中心である。こう書いているうちに、第一期世で「真渡の会」事務局幹事の杢尾さん(皆栄建設)がやってきた。先輩連中の講義は明日の朝、八時半からである。変わり種は、竹村君だ。京都大学の研究室を飛び出して、この九月から大工修行を始めたばかりである。田中文男さんにお願いして真木工作所で働いている。「大学まで出てどうして?」と、好奇の眼で見られても一向気にせず、一生懸命である。

 金山さんの講義が早く終わった。藤野さんの講義を急遽行うことにした。臨機応変である。藤野さんの講義を実況中継してみると次のようである。

 「五トンのものをロープで吊る。吊り角度六〇度。ロープの径はいくらか」。いきなりの質問である。前に講義を受けているからうろたえないけど知らないと面食らう。安全荷重は、円周一インチ(直径八ミリ)で五〇〇キロ、二インチで二トン、三インチで四.五トン、四インチで八トンである。

 「問題は重量見積です。鉄の比重はいくらですか。鉄筋コンクリートは。木は。」。正解は、一立方メートル当たり、七.八トン(八と覚える)、二.四トン、〇 五トン(乾いた松で)である。単に数字を暗記するのではなく、身体で覚えていなければならない。そしてロープ結びの基本実習。ボーラインノット(ハクライ結び)、シングルシートベンド、ハーフピッチ、ティンバーヒッチ、クラウンノット、何度も習って頭には入っているけれど普段やってないからちっとも身がつかない。

 午後の小野辰雄(SSF副理事長 日綜産業)氏の「安全工学と仮設構造物の先端技術」にはNHKの取材が入った。教室を飛び出た野外の講義である。野外に特別に組まれた足場に飛び乗った講義はテレビにとって絵になる。小野講師も力が入った。

 夕食を終えて、六時半から三分にわたって宮崎ローカルで放映。この後七時からのニュースで全国ネットで流されるというが、果たしてどうか。七時からは今井義雄氏の講義が始まったが、テーマは変更になって「職長さんが考える現場経営」。レジュメには「サブコンの役割の変化」、「ゼネコンの求める優良パートナー像」など七項が挙げられている。講義スタートと同時に安藤正雄(千葉大)先生とSSFニュース担当の山本直人さんが二度目の到着。忙しい中、とんぼ帰りである。

 七時のニュースでは流れない。結果的には九時のニュースで流れたのであるが、皆いささかがっかりの様子であった。

 翌日は、理事会とSSF設立三周年記念の行事「みんなでつくろう職人大学」があった。三〇〇人もの人々が集まり、職人大学設立へむけての熱っぽいスピーチが相次いだ。中でも、小野辰雄副理事長の「何故、職人大学か」は、ユーモアも交えながらの熱弁であった。

 シンポジウムに出席した僕が話したのはおよそ次のようなことである。「SSFの実験校はとにかく疲れます。頭が痛くなるというのが素朴な実感です。

 とにかくすばらしいのは、朝の八時半から夜の九時まで、食事の時間を除くとびっちりのハードスケジュールなのですが、講義の始まる前に全員が着席します。眠ったりする人はありません。眼がみんな輝いていて真剣です。大学だとこんなことはありません。平気で遅刻して来ますし、眠ります。第一、授業に出てきません。大学には、大体遊びに来ているんです。人生で唯一遊べる期間なんですね。でも実験校はみな必死です。貴重な仕事の時間を割いてやってきているんです。講師も手が抜けません。

 頭が痛い第一は、「大学の先生の話しは難しくてわからない」といわれることです。よく聞いてみると、わからないというより面白くないというんですね。現場経験の豊富な人のほうが面白いんです。

 頭が痛い第二は、課外授業、補修授業がすごいんです。お酒を飲みながら色々話しをするわけです。体験報告会と呼んでいますが、相互に職種を超えて話しをするのが本当に貴重です。勢い、寝不足になります。二日酔いになります。頭が痛いわけです。」 職人大学構想は、拠点校としての「職人工芸大学(仮称)」の設立を目指して、文部省との非公式の折衝に入ったところである。また、建設業界の理解をもとめて各団体への説明を精力的に開始し出したところである。この間のゼネコン疑惑騒動で予定が狂いっぱなしなのであるが、タイミングとしてはむしろいいのかもしれない。後継者育成のしっかりした体制をいまこそつくりあげるべきなのである。職人大学設立発起人会は来年度になるであろうか。未だ道は遠いのであるが、一歩一歩着実に進んできたことは確かである。会場ではカンパも集められ始めた。浄財を広く集めてその意義を訴えていく必要がある。

 シンポジウムでは、実験校の問題点、足りない点を問われて次のように答えた。

 「僕の考えでは、職人大学は既に出来ていると思います。目標を遠くに置くのではなく、今、既に出来ていると考えた方がいい。第三回、第四回と続けていけばいい。今のところ年二回の予定なのですが、そのうち拠点校、現場校ができる筈です。今は移動大学なんです。佐渡と宮崎がすんだわけですけれど、まだ、各県回るとすると四五都道府県も残っているわけです。年二回じゃ足りなくなるでしょう。そのうちいろんな所から手が上がってくるでしょう。現に、群馬県、神奈川県から申し出があります。とにかく、実験校を続けていく中で、もし、問題点があれば直していけばいいわけです。」。本音である。  





2023年1月18日水曜日

職人大学(SSA)第一回パイロット・スクール佐渡,雑木林の世界48,住宅と木材,日本住宅木材技術センター,199308

職人大学(SSA)第一回パイロット・スクール佐渡,雑木林の世界48,住宅と木材,日本住宅木材技術センター,199308

雑木林の世界 

職人大学(SSA)第一回パイロット・スクール佐渡

 

                       布野修司

 

 一九九三年五月三〇日(日)から六月五日まで、SSF(サイト・スペシャルズ・フォーラム)の第一回パイロットスクールが新潟県の佐渡の真野町(佐渡スポーツハウス)で開催された。職人大学へ向けての第一歩である。まだまだ先は長いのであるが、ようやく、ここまできたと感慨深い。

 僕自身は残念なことにわずかに一泊二日だけしか参加できなかった。しかし、その熱気は肌で感じることができた。以下にその一端を報告しよう。プログラムは次のようであった。

 

 五月三〇日 受付/オリエンテーション/開校式/懇親会

 5月三一日 建設産業とサイトスペシャリスト(安藤正雄 青木利光)/地域ツアー/職人大学設立に向けて

 六月 一日 建設物の構造と仕様(藤澤好一 安藤正雄)/計画作成参画者資格 労働大臣の定める研修(1)(池田一雄仮設工業会専務理事)/体験報告会(1)(安藤正雄)

 六月 二日 計画作成参画者資格 労働大臣の定める研修(2)(森宣制仮設工業会会長)/体験報告会(2)(布野修司)/新技術・新工法(藤野功)/討論 職人大学構想(三浦裕二)

 六月 三日 施工管理 現場学・リーダー学(田中文男 斉藤充)/スポーツ/モニュメントを考える(三浦裕二)

 六月 四日 土木学と技(三浦裕二)/総括シンポジウム(参加者全員)/懇親会

 六月 五日 総括および修了式(内田祥哉SSF理事長)

 

 参加人員三〇名。全国各地から受講者が集まった。その顔ぶれがすごい。ほとんどがヴェテランの職長さんたちである。年齢は一八才から五〇才まで、多士才々である。

 まず感動したことがある。朝八時~夜の一〇時まで、ぎっしり詰まったプログラムは予定通りに実施されたのである。まずそれ自体驚くべきことだ。居眠りする人が全くいない。授業の一〇分前には皆着席して講師を待つ。大学では考えられないことだ。いまさらのように、大学の駄目さを痛感させられたのであった。

 体験報告会のコーディネート役を務めたのであるが、体験を語り合うだけで、大変な勉強である。現場を知らない僕などは当然であるが、お互いの情報交換がとても役に立ったようだ。例えば、こうだ。

 若い職長さんから、若者教育の悩みの話が出された。新しく入った若者がすぐやめてしまうというのは共通の問題である。仕事をさせずに、重いものを運ばせたり、後片づけばかりやらしてるからじゃないか、という意見がすぐさま出た。大半の職長さんは心当たりがありそうな反応だった。しかし、そう簡単ではない。

 新しく入ったある若者を職業訓練学校に通わせた。もちろん、給料を払いながらである。一年して実際に仕事を始めると先輩とうまくいかない。先輩が仕事を教えないのだという。それに対しては、仕事は教えるものではない、盗むものである、という反論がすぐ出た。教えていたら仕事がはかどらないというのである。また、そういうときは、ひとつ上のランクのヴェテランにつければいい、というアドヴァイスもあった。若者が建設産業に定着しない大きな原因に初期教育の問題があるのである。

 ある鳶さんの話が面白かった。原子力発電所の建屋専門の鳶さんである。何故、鳶になったか、という話である。高い足場に登って見ろ、と言われて、ついやってやる、と言ったんだそうである。意外にすいすい登れたんだけど、降りるときは怖くて怖くて足が震えたのだという。しかし、その経験が結局は鳶になるきっかけになったのである。今日本の社会において、そんな機会はほとんどなくなりつつあるかもしれない。職人が仕事をしている様子はなかなか伺えないのである。

 この四月に入ったばかりの若者の話も面白かった。失敗談である。トイレが詰まって、掃除を命じられたけど、水の代わりに灯油を流してしまった。以後、ことある毎にからかわれているのだという。明るい職場のようであった。

 技術についての交流も当然あった。斜張橋の現場をひとりで取り仕切った話には次々に質問もでた。収入の話も出た。最初は、躊躇いがあったけれど、全てオープンにということで、みんなが年収を言い合った。情報公開である。かなりのばらつきがある。能力さえあれば、若くても年収一千万円をとっても少しもおかしくない感じであった。

  講義として迫力があるのは超ベテランの講師陣の話である。現場学、リーダー学は経験の厚さが滲み出る。また、体験に裏つ けられた安全学はなんといっても説得力がある。ロープの結び方やワイヤロープの架け方など、次々と実践的知識を畳み掛けるように話した藤野功氏の講義など実にすばらしかった。

 総括の様子を後で聞くと、受講生全員にとって、とても有意義であったようである。最後の夜、真渡の会という一期生の同窓会が結成されたのだという。これからも交流を続けようというのである。実にすばらしい。こうしたスクーリングを続けていけば、SSFも確実に成長していく筈だ。職人大学の教授陣は、同窓会の中から出ることになろう。

 ところで、職人大学の構想はどうか。是非成功させて欲しい、成功させようと言うのが第一期生の声である。九月末には、職人大学設立発起人会が行われる。具体的に基金集めに向かおうという段階である。果たして、どれだけの賛同者が得られるか。どれだけの基金が得られるか。それが将来の鍵になる。

 まず、第一段階として、現場校を考える。全国の建設現場の中から、認定指導者が配置されている、しかるべき条件を備えた現場を認定し、現場での実習を中心に養成訓練を行なう。

 第二の段階として、地域校を考える。現場校において資格を得た職人を県または地域ブロックレヴェルに開設する地域校で、専門職人たちのチームを指導コントロールできる技術的知識や処理能力を身につけた職長(リーダー)を養成する。

 第三の段階として、本部校を考える。地域校で資格を得た職長が指導者としての教育を受ける最高学府で、全国に一ケ所設立する。建設業を文化的、技術的、あるいは経営的に幅広くとらえる教養やマネージメントの力を身につけた指導者を養成する。

 以上の全てが「職人大学」である。およそのイメージができるであろうか。大変な構想であるが、本部校一校だけつくればいいというのではないのである。

 まずは、職人大学教育振興財団といった財団法人を設立するのが先決である。九月の発起人会はそのための第一歩である。皆様のご支援をお願いしたい(連絡先 SSF事務局)。

 

 


2022年12月19日月曜日

第二回インタ-ユニヴァ-シティ-・サマ-スク-ルにむけて,雑木林の世界33,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199205

 第二回インタ-ユニヴァ-シティ-・サマ-スク-ルにむけて,雑木林の世界33,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199205

雑木林の世界33

飛騨高山木匠塾 

第二回 インターユニヴァーシティー・サマースクールへ向けて

 The 2nd Inter-University Summer School

 

                         布野修司

 

 一九九二年二月二七日、大阪のメルパルクホールで、AF(建築フォーラム)主催のシンポジウム「闘論・建築の世紀末と未来」(磯崎新・原広司 コーディネーター・浅田彰)が開かれた。壮々たるタレントを配したせいであろうか。千人の聴衆を集めた。これには主催者の一員である僕もびっくりである。開演は一八時半だったのであるが、なんとお昼過ぎには列ができた。建築のシンポジウムでこんなことはそうそうないのではないか。少なくとも僕にとって初めて経験であった。

 議論は、日本を代表する両建築家と天才・浅田彰の名司会で実に刺激にみち、充実したものとなった。内容については、今年の秋には刊行される『建築思潮』創刊号に譲るとして(AFでは現在会員募集中 連絡先は、06-534-5670 AF事務局.大森)、なぜ千人もの聴衆が集まったかについて、色々な意見が出た。なんとなく思うのは、バブル経済に翻弄されて忙しく、建築界に議論が余りにも少なかったために議論への飢えがあるのではないか、ということである。東京でなく大阪だったのもいいのかもしれない。スライド会のような講演会ばかりではなく、ちゃんとした議論を行なう場を今後ともAFは続けて行きたいものである。

 

 さて議論の場といえば、飛騨高山木匠塾の第二回「インターユニヴァーシティー・サマースクール」の開催要領案が出来上がった。以下にメモを記して御意見を伺いたいと思う。主旨はこれまでに二度ほど本欄(雑木林の世界23 飛騨高山木匠塾一九九一年七月。雑木林の世界25 第一回インターユニヴァーシティー・サマースクール 一九九一年九月)に書いてきた通りである。気負わずに言えば、建築を学ぶ学生、若い設計者ににできるだけ木に触れさせよう、そうした場と機会を恒常的につくりたいということである。今年も前途多難なのであるが、うまく行けば、秋口に全国から関心をもった人々を募ってシンポジウムが開けたらいいとも考え始めているところである。

 

  ●期間 1992年7月25日(土曜)~8月2日(日曜)

  ●場所 岐阜県高根村久々野営林署野麦峠製品事業所

 ●主催 飛騨高山木匠塾(塾長 太田邦夫)

 ●後援 名古屋営林局・久々野営林署/日本住宅木材技術センター/高山市/高根村/AF(建築フォーラム)/サイトスペシャルズフォーラム/日本建築学会/日本建築セミナー/木造建築研究フォーラム(以上 予定)

 ●1992年度スケジュール(予定)

 7月25日(土) 13:00 現地集合

                施設整備

 7月26日(日)       会場設営

          13:00 オープニング・パーティー

                              オープニング・レクチャー①

 7月27日(月)  9:00 山林見学 伐採 製材 

                フィールド・レクチャー A

            夜          レクチャー②

 7月28日(火)  9:00 オークヴィレッジ    B

                森林魁塾        C

            夜          レクチャー③

 7月29日(水)  9:00 高山見学・屋台会館   D

                飛騨産業(家具工場)  E

            夜          レクチャー④

 7月30日(木)  9:00 実習          F

            夜   ロシアン・ルーレット・ゼミ

 7月31日(金)  9:00 実習

            夜          レクチャー⑤

 8月 1日(土)     野球大会(オケジッタグラウンド)

                ます釣り 他

            夜   日本一かがり火祭り

                フェアウエル・パーティー

 8月 2日(日)       清掃

          10:00 解散     

●プログラム

○レクチャー ① 太田邦夫(塾長 東洋大学)  世界の木造建築/② 藤沢好一(芝浦工業大学) 木造住宅の生産技術/③布野修司(京都大学) 日本の民家の特質/④ 安藤正雄(千葉大学) 木造住宅のインテリア計画/⑤ 秋山哲一(東洋大学) 木造住宅の設計システム

 A 中川(久々野営林署次長)/B 稲本(オークビレッジ主宰)/C 庄司(森林魁塾)/D 桜野(高山市)他/E 日下部(飛騨産業)

 講師陣(予定)   浦江真人 村木理絵(東洋大学)、松村秀一(東京大学)、古阪秀三、東樋口護(京都大学)、大野勝彦(大野建築アトリエ)、古川修、吉田倬郎(工学院大学)、大野隆司(東京工芸大)、谷卓郎、松留慎一郎(職業訓練大学)、野城智也(武蔵工業大学)、深尾精一、角田誠(東京都立大学)他

○実習

 1。屋台模型制作実習 1/5および原寸部分/2。家具デザインコンペ /3。家具制作/4。足場組立実習/5。施設全体計画立案/6。野外風呂建設 /7。バイオガス・浄化槽研究/8。竈建設/9。測量実習 /10。型枠実習                       ●参加資格 木造建築に関心をもつ人であれば資格は問わない

 ●参加予定 芝浦工業大学・東洋大学・千葉大学・京都大学・東京大学・工学院大学・都立大学・東京工芸大学・職業訓練大学・武蔵工業大学

 ●参加費 学生 3000円/日(食事代、宿泊費含む)/一般 5000円/日(食事代、宿泊費含む)/但し、シーツ、毛布、枕カヴァーは各自持参のこと。

●連絡先 芝浦工業大学 藤澤研究室(tel 03-5476-3090)/京都大学  西川・布野研究室(075-753-5755)/千葉大学 安藤研究室(0472-51-7337)/東洋大学 太田・秋山・浦江研究室(0492-31-1134) 





2022年12月10日土曜日

技能者養成の現在,雑木林の世界31,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199203

 技能者養成の現在,雑木林の世界31,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199203

雑木林の世界31

 技能者養成の現在

 茨城木造住宅センター・ハウジング・アカデミー開校

                        布野修司

 

 年が明けて、SSF(サイト・スペシャルズ・フォーラム)の運営委員会が京都で開かれた。一周年記念の国際シンポジウム「明日のサイトスペシャリスト」は大成功であったのであるが、活動二年目の方針をどうするか、がテーマである。

 ●支部設立を軸に定例フォーラムを開催する

 ●「職人大学」構想の実現化へむけたプログラムを具体的に実  施する

 ●SSFニュースの充実

 ●報告書の出版

  マイスター制度視察報告

    国際シンポジウム報告など

 ●調査研究、技術開発

  実態把握をもとにして情報公開のシステムを構築する。

  技術開発、研究開発を行なう

 ●出版、ビデオ制作など、SSFの存在をアピールするための  諸方策を検討し、事業化を図る。

 ●その他、各種イヴェント、事業の可能性を追求する

などが検討事項であった。

 

 続いて、「楔の会」が同じく京都で開かれた。「楔の会」というと知る人ぞ知る、日本の木造住宅行政に先鞭をつけたグループである。建設省建築研究所の第一研究部長の鎌田宣夫氏が組長(会なのに何故か組長という)をつとめられる。十年ほど前、たまたま本誌に書いたことがあるのであるが(「木造住宅歳時記 熊谷うちわ祭り」 一九八三年八月)、木造住宅研究会と居住文化研究会が合同して結成されたのが「楔の会」である。偶然、その発足の会に立ち会った経緯があって、名前だけの会員にして頂いてきた。今回は、セキスイハウス総合研究所の「納得工房」の見学を中心プログラムとして初めて関西で開かれたのであった。

 この十年、木造住宅をめぐる状況の変化は隔世の感がある。随分と一般の木造住宅への関心は高まったといっていい。しかし、木造住宅はどんどん減りつつある。どんどん減るから、関心は高まる、そういうことだ。この流れは如何ともしがたいのであろうか。抜本的な施策はまだないのである。

 

 このところの業界の焦点は技能者養成である。木造住宅の振興を計ろうにも、技能者がいなくなるのであればどうしようもない。例えば、京都の町家を保存しろといっても、修理や改築を行う大工さんをはじめとする職人さんがいなくなればどうしようもないではないか、そんな声がある。一方、「木造住宅、木造住宅」というけれど、木造住宅を建てる人がいなくなれば、木造関連の技能者など必要なくなるではないか、という声がある。木造住宅の需要が増えるのであれば職人は自然と育つ、減るのであれば職人はいらなくなる、議論を乱暴に単純化すれば、根底にはそうした需要と供給の問題がある。ただ単に、職人を養成すべきだ、木造住宅を増やすべきだ、といっても始まらないことである。

 しかし、技能者の養成の問題、木材生産の問題はもとよりそんなに単純ではない。第一に言えるのは、時間がかかるということである。特に、技能者養成は一朝一夕でできるものではない。木材生産についても、外材に頼らず、国産材主体で考えるということになれば、言うまでもなく、長期的な視点とプログラムが必要である。その時々の需給関係に委ねればいいというわけにはいかないのである。

 第二に言えるのは、人の育成というのは社会の編成そのものに関わるということである。林業や建設業に入職する若者が少ないというのは、何も若者のせいではない。木造住宅を支える世界全体、業界や社会全体の問題である。技能者教育の問題である以前に学校教育の問題であり、ひいては社会全体の問題である。偏差値によって一元的にその能力が判断される学歴社会において、職人社会は評価されない。社会的に評価も薄く、報酬も少ないとすれば、若者が参入しないのは当然のことである。

 こうした中で何がなされなければならないのか。社会の編成を問題にする以前に業界の体質改善の問題がもちろんある。建設業界には解決すべき問題がまだまだ数多い。というより、問題は構造的であり、構造そのものの改善が必要である。

 職人養成については、既に様々な取り組みがなされている。それなりの資本力をもった民間企業が技能者養成に力を入れるのは、その死活に関わる以上、当然のことである。しかし、技能者養成は決して民間企業にまかせおけばいいわけではない。

 問われているのは全体システムである。深刻なのは中小の工務店の方である。問題は、徒弟制によって職人の養成を全体として引き受けてきたそうした世界なのである。徒弟制の復活を試みることはアナクロであるとしても、地域地域で新しい仕組みをどう再構築するかがテーマとなる筈である。

 行政の役割があるとすれば、地域における職人養成の仕組みをどう支援するかであろう。この欄で二度触れた(九〇年八月、九一年一一月)「茨城木造住宅センター・ハウジングアカデミー」の試みはそのひとつである。

 「茨城木造住宅センター・ハウジングアカデミー」も、この間紆余曲折があった。しかし、どうにか四月開校にこぎつけそうである。インドネシアに出張していて、肝心の時には、谷卓郎先生、藤澤好一先生に全てお任せであったのであるが、細部をつめるに当たっては難しい問題が続出した。まだまだ、クリアしないといけない問題は山積しているのであるが、なんとか出発できる、そんな段階に至ったことは実に快挙といえるのではないか。

 まず指摘できるのは、住宅行政の側から投じられた施策が商工労働行政との調整連携によって実現しようとしていることである。全国でも珍しいことではないか。技能者養成のプログラムは、社会全体の編成に関わる以上、各省庁の施策は当然関連してくる。特に、地方自治体のレヴェルでは緊密な連携が必要となる。茨城は、そのささやかな先例となるのではないか。

 訓練科目、訓練課程、訓練内容、訓練機関、訓練時間など研修内容、施設整備の他にも実施に向けて検討すべき課題もまだまだ多い。雇用条件も、組合員で同一に決定しなければならない。新入生の宿舎などもきちんと確保しなければならない。教授人のリストアップはできたのであるが、生活指導体制の確立も急務である。OJTのプログラムも具体的に組む必要がある。

 しかし、本当の問題は運営費用をどう捻出するかである。住宅請負契約額の一%を組合でプールするとか、恒常的な運営基金を考える必要があるのだ。個々の工務店が養成の費用を個々に負担するのは大変である。そのコストを組合全体で、また地域の業界全体でプールする仕組みはないか。困難な試みの行方に次のステップが見えてきた。

 


2022年12月3日土曜日

茨城ハウジング・アカデミ-,雑木林の世界27,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199111

 茨城ハウジング・アカデミ-,雑木林の世界27,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199111

雑木林の世界27

茨城ハウジングアカデミー

                        布野修司

 

 九月一日付けで京都大学に転勤となった。不思議な縁である。東洋大学には本当にお世話になり、育てていただいたのであるが、「面白いから行ってこい」と追い出された次第である。それほど気負いはなく、行ってみるか、の心境である。

 京都は一九九四年に建都千二百年を迎える。それを記念する事業の一環として京都駅が建て替えられる。そのコンペは、知られるように原広司案が一等当選、その高さをめぐって大きな議論が巻き起こりつつある。この間の再開発ブームで、町は急速に変化した。古都の景観問題は大きな問題であり続けている。難しそうだけれど、面白そうではある。

 出雲生まれの田舎者にとって、京都は京都であって、所詮他所者である。他所者の眼で京都の町もウオッチングして行こうと思う。そのうち、何かゴソゴソやりたくなるかもしれない。この半年は単身赴任で、東京と京都を行ったり来たりである。まだ、三度往復しただけで、何も報告することはないのであるが、いずれ京都や関西の様々な動きも紹介して行くことになろう。乞う、御期待である。

 以前、本欄で書いた(雑木林の世界14「カンポンの世界」 一九九一年十月)『カンポンの世界』(パルコ出版 九〇年七月)がようやく上梓の運びとなった。書き出したのが、昨年の八月だから、丁度一年である。まあ、早く出来た方ではないか。本をつくる過程を結構楽しんだ。

 その『カンポンの世界』を書くきっかけになった、スラバヤ工科大学のJ.シラス先生がこのほど日本住宅協会の国際居住年記念松下賞(第四回)を受賞された(十月四日)。実に嬉しい。久しぶりに会って、議論をした。相変わらず精力的で鋭い。いい先生に巡り会えてつくづく良かったと思う。

 

 京都へ赴任して、一度東京京都を往復した後、茨城へ赴いた。九月一一日。日本住宅木材技術センターの技能者養成プログラムのためである。茨木の「地域職人学校」(雑木林の世界12「地域職人学校ーーー茨城県地域木造住宅供給基本計画」 九〇年八月)もいよいよスタートである。名称は、まだ確定してはいないのであるが、仮に、「茨木ハウジングアカデミー」と称す。京都からだと水戸も遠くなるのであるが、折角の縁なので、可能な限りお手伝いしようと思っている。

 二百名もの高校生の前で話すのは難しい。一体何を話せば茨木ハウジングアカデミーの魅力を訴えられるか全く自信が無かった。僕のは、日本で初めての試みである、日本中が注目している、という一点だけをただただ強調するだけの気の抜けたアジテーションとなった。現場で何かを見ながら、しながらというのなら、もう少しなんとかなるのにと思いながら、そうもいかない。来年に向けてはプロモーション・ビデオをつくる必要があるかもしれない。

 僕のことはともかく、日本住宅木材技術センターの征矢さんはじめ、懸命になって木造住宅の魅力について訴えることになった。

 藤澤好一 「木造住宅の技術と生産について」

 谷 卓郎 「木造住宅の技術者について」

 布野修司 「木造住宅のデザインについて」

 安藤邦広 「木造住宅の技術とデザイン」

 以上が主なプログラムであったが、メインは、安藤邦広先生のスライド・レクチャーである。一度の研修では無理があろうが、木造住宅を自分の手でつくる楽しみが少しでも伝わればとの思いであった。

 「茨木ハウジングアカデミー」は、職業訓練大学の谷卓郎委員長を中心に来年四月開校を目指して急ピッチで準備作業を進めることになる。とりあえず、高卒者を対象にした認定職業訓練校を目指すのであるが、なかなか準備が難しい。幸いに「中小企業若年建設技能労働者育成援助事業」ということで労働省の補助がついたのであるが、それに従えばおよそ以下のような検討項目がある。

 A.職業能力開発実施のために必要な準備事業

  a.建設技能者育成方針の策定事業

      1.建設技能者育成推進委員会の開催

   2.各企業のニーズ調査

   3.情報収集(先端企業視察)

   4.建設技能者育成方針の策定

     ・職業訓練実施方針

     ・施設及び設備の整備方針、運営方針

   5.各企業のニーズ調査結果及び実施方針説明会の開催 

  b.建設技能者育成実施計画作成事業

      1.建設技能者育成推進委員会の開催

   2.職業訓練実施計画の策定

     ・対象者、訓練期間、教材、訓練時間、訓練カリキュラム、指導員、試験

   3.職業訓練施設、設備の整備計画の策定

     ・名称、所在地、面積、設備の構造、設備の内容及び規模

   4.職業訓練設備運営計画書の策定

     ・訓練開始後二ケ年の運営収支計画

   5.実施計画報告書説明会の開催 

  c.建設技能者育成実施準備事業

   1.職業能力開発推進者研修会の開催

   2.職業訓練指導員及び外部講師名簿の作成

   3.職業訓練マニュアルの作成

   4.職業訓練指導員及び担当者の研修会の作成

 B.認定職業訓練のプログラム

     ・括弧内は茨木ハウジングセンターの内容)

  a.訓練科目(養成訓練建築科)

  b.訓練課程(普通課程)

  c.対象者(高校卒業者)

  d.訓練内容(木造住宅技能者の育成)

  e.訓練期間(二年間)

  f.訓練時間(三二〇〇時間) 

  g.定員(一六人)

 随分と面倒臭い。しかし、既に三年の蓄積があるので、基本方針はほぼ固まっている。問題は具体化へ向けての実施計画である。それも多くは既にクリアしつつあるのであるが、最大の問題は、施設、設備である。どうせなら、どこにもない魅力的なものをつくりたい。しかし、いきなりはそうはいかないから、いろいろ工夫がいるのだ。続いて問題なのが指導員である。座学はなんとかなるにしても、OJTを担当するのにも資格がいる。しかし、なんとかスタートできる、そんな自信が茨城県木造住宅センターの推進グループとともに沸きつつある。