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2025年2月2日日曜日

 祇園祭・山鉾町と作事方・・・京町家と建築生産組織、

  祇園祭・山鉾町と作事方・・・京町家と建築生産組織

                              布野修司

       

 はじめに

 景観コントロールあるいは景観形成の手法をめぐっては「タウンアーキテクト」制なるものを考えたいと思う。しかし、ここでは極めて具体的に京都の都心部、山鉾町の景観について考える素材を提供したい。祇園祭の山鉾の巡航する山鉾町は、山鉾と町並みとの関係において何らかのコントロールが可能である(形態規制等の制限が多くの市民によって共有される)と考える。しかし、具体的な景観を支える、あるいは再生させるメカニズムには多くの問題がある。防火規制、税制等の問題も大きいが、ここでは京町家を維持する職人の問題を提起したい。

 かって、住宅生産を担う職人たちは、地域と密着する形で存在してきた。建築職人は単に住宅生産のみならず、地域社会に対しても様々な役割を果たしてきた。例えば江戸の鳶は、町火消しとして町内の便利屋的存在であり、後世まで地つきの頭として地域に大きな影響を及ぼしたとされる。また、祭礼への参加は地域の鳶、大工などの大きな仕事であった。今日でも、飛騨の高山祭りや秩父の夜祭りといった祭礼において、山や屋台を組み立て祭りを取り仕切るのは、ほとんどが同じ町内か特定の出入り筋の建築職人たちである。しかし、地域の住宅生産システムの解体、変容が一般的趨勢となる中で、建築職人の地域との関わりは希薄になりつつある。そこで、建築生産、特に住宅生産における新たな仕組みをどう再構築するか、街並み保存やまちづくりといった課題に対して、住宅生産システム(住まい手・地域住民・つくり手・材料・部品等の諸関係)をどう考えるか、が大きなテーマとなる。

 山鉾町には数多くの京町家が残っており、その保存、維持管理、修復、再生が大きな課題とされている。しかし、現実には、木造町家に関する防火規定など数多くの問題がある。そして、具体的な再生事例で意識されるのが建築職人不足の問題である。京町家の今後のあり方を考えるために、それを支える建築生産組織のあり方についての考察は不可欠である。祇園祭においてハイライトとなる山鉾の巡航のために、山車、笠鉾を組み立てる作業は大工、鳶など建築職人によって行われてきた。その持続的関係に、地域と建築生産組織の新たな方向が見出せるのではないかというのがひとつの視点である。しかし、その実態はいささか寂しい。

 

□山鉾町と建築生産組織

 a 山鉾町の建設動向

 山鉾町の構成を、建築構造別、階数別、人口別に見ると、全体的な傾向を明快に指摘できる。中心業務地区の中でもその中心といっていい四条烏丸付近は、そのほとんどが業務用建物であり、容積率一杯に建てられる中高層建築となっている。現行の建築基準法や消防法のもとでは、木造建築の増改築、新築は困難であり、木造建築物は一貫して減少している。

 木造建築物数の多い風早町、百足屋町、三条町では、低層建物が多く、相対的に人口も多い。一方、木造建築物の少ない長刀鉾町、凾谷鉾町、鶏鉾町では、5階以上の建築物の割合が全体の70%近く占めており、そのほとんどが業務用建物である。

 10年間(198595)の動向をみると、建替率が高いのは四条烏丸の交差点を中心とした地区である。建替率の低いのは新町通り沿いと綾小路通り以南の地区である。木造建築物率の低い地区ほど建替率が高く、逆に木造建築物率の高い地区ほど建替率が低い。10年間に山鉾町内で確認申請された建築物は125件、そのうち木造建築物は20件である。全体の52%を占める64件もの建物が5階建て以上の非木造建築である。また、木造建築のうち、4件が専用住宅であり、そのうち2件が木造3階建て住宅である。用途別では、専用住宅が15件、53件が事業所もしくは店舗など非住宅系の建築物である。住機能を有するものの内でも、専用住宅よりも店舗もしくは事業所併用住宅が多いこと、共同住宅よりも店舗もしくは事業所併用住宅が多いことが山鉾町の特色である。

 b 建築生産組織と山鉾町

 10年間(188695)の125件の申請建築物の設計者を見ると、山鉾町内に事業所を構える設計士事務所数は7あり、都心4区(上京、中京、左京、東山)に43、その他京都市内に43、京都府内に8、残りの24が京都府外の設計士事務所による。山鉾町内に事業所を構える施工者は1社だけであり、都心4区に22、その他京都市内に31、京都府内に4、残りの23が京都府外となっている。

 年度ごとに動向は異なり必ずしも一般化できないが、山鉾町と設計者、施工者が地縁的な関係をもたなくなりつつあることははっきりしている。京都府内(京都市以外)に分類される設計者、施工者がともに少なく、特に施工者は他府県からの参入が多いことがそれを示している。他府県からの施工者のうち最も多いのは大阪からで全体の82.6%を占めている。残りは東京が13.0%、愛知が4.3%である。注目すべきは、相対的に見て、施工者より設計者の方が山鉾町に地域的に関係が深いことである。

 京都市内に在住する設計者、施工者の分布状況を事業者統計をもとに行政区ごとに見た場合、設計者は多い順に中京区38.7%、左京区14.0%、下京区9.7%、北区8.6%、右京区・山科区7.5%、南区4.3%、上京区・伏見区3.2%、東山区2.2%、西区1.1%となっている。施工者の場合も一番多いのは中京区で24.1%、以下、右京区18.5%、下京区16.7%、左京区11.1%、西京区9.3%、伏見区7.4%、南区5.6%、山科区3.7%、上京区・北区1.9%となっている。

 設計者と施工者も多くが中京区を拠点としている。また、下京区もかなりの高い割合を示している。これは、京都市全体の行政区別全事業所の分布とはかなり異なっており、建築産業の特性を示していると考えられる。ただ、中京区の施工者のほとんどが西ノ京や壬生といった西部地区に立地しており、山鉾町に近接しているわけではない。

 

 □祇園祭と建築生産組織・・・祇園祭と作事方

 a. 作事方の仕事

 祇園祭の山車、笠鉾の組立に関わる人々は、祭礼時において「作事方(組立方・建て方)」と呼ばれ、役職に応じて「大工方」、「手伝方(てったいかた)」、「車方」、「屋根方」、「曳方・舁方」などに分けられる。祇園祭の諸行事で建築職人を中心とする人々(以降、作事方と総称)が関わるのは、鉾建・鉾曳初、山建・山舁初、山鉾飾、山鉾巡行、山鉾解体などである。

 現在の祇園祭が一般的に山鉾巡行、宵山、宵々山の賑わいを中心とすることから、作事方が祇園祭の重要な担い手であることは明らかであるが、彼らは以下のようなさらに多くの細かい仕事を担っている。

 ・人夫集め:祇園祭に関わる細事について、人口減少と財政的な面から、1975年頃から学生をアルバイトとして使ってきたが、学生も思うように集まらないのが現状である。山鉾町ごとに保存会などを通じて、京都府以外に住んでいる人を含めて地区外から集めるかたちが多い。人々を集め、それぞれを適当な位置に配置させ、取り仕切るのは作事方の役割である。

 ・吉符入り、その他の神事:吉符入りとは神事始めのことであり、各山鉾町は収蔵庫を開いて神餞を供え、約1ヶ月に及ぶ祭の無事を祈願するほか、各種の打ち合わせを行う。その打合せに作事方の代表は出席する。また、それ以降も山鉾町の諸行事のほとんど全てに出席するのが慣例である。それぞれの行事において作事方がなにがしかの重要な地位を占めることは滅多にないが、実際には作事方が全ての面で中心となっている山鉾町が増えつつある。

 ・山鉾建て:山鉾は、その都度組み立てられ、解体される。山鉾は710日頃から建て始められ、山鉾巡行の修了した17日の夕方に解体され始める。

 ・山鉾巡行:巡行時には交代人員も含めて約3040人もの人が山鉾に乗り、さらに多くの人々がそれに従う。それぞれの役割に応じて、曳方、車方、音頭取、屋根方、囃方などと呼ばれ、そのうち作事方が担うのは曳方、車方、屋根方の三役である。

 ・山鉾解体:巡行が終わるとすぐさま解体が始められる。解体終了によって、作事方の仕事は終わる。

 この他、駒形提灯等の飾り付けや交通整理、町席内の飾り付けや巡行中の留守番といった役割を作事方が行う山鉾町もある。また祭礼時以外にも、山鉾の修理や材料、人員確保など、日常から祇園祭と作事方は関わりをもっている。

 

 b. 作事方の継承

 作事方がどのような経緯で祇園祭と関わりをもつようになったのかは様々である。最も古くから山鉾建てに関わるようになったのはE山作事方のy大工店で1928年からである。最も新しいJi山作事方のw組で1986年からである。平均で19578年、約40年前からということになる。

 d工務店は、Ki鉾・U山・Ta山・To山の4つの山鉾の作事方を務めている。過去にはJi山、Ay鉾、Iw山、Si鉾、Mo山の山鉾にも関わったことがある。祇園祭に関わるようになったのは、1952年のKi鉾再建工事からである。昭和に入って再建されたTo山・Si鉾・Ay鉾はすべてd工務店が関わっている。他にも、先祭と後祭が統合される以前は2つ以上の山鉾の作事方をやっていたというところがかなりある。

 Tu鉾作事方のe工務店と、Ya山作事方のk工務店は兄弟弟子で、ともにTu鉾の作事方をしていたという関係がある。1957年にそれまでYa山の作事方をしていた棟梁がやめ、k工務店が引き受けることになった。k工務店は、現在でもYa山の作事方もしながらTu鉾の組立にも参加している。当時は現在のように山と鉾とで組立の日が違うことはなかったが、複数の山鉾を受け持つ作事方の都合で、四条通りより南は山鉾建ての日程がずらされたという経緯がある。Ab山とTo山の作事方も関係がある。先代の頃に呉服屋に出入りしており、その縁で頼まれて引き受けることになった。また、その呉服屋が所有していた長屋がTo山町内にあったため、To山の作事方も頼まれることになった。Ko山とE山の作事方も関係がある。vさんとyさんが兄弟弟子関係でE山の山建てを行っていた。1947年にKo山の作事方がやめて以来、vさんが引き受けるようになった。修理等は現在でも両者で行っている。

 Ho山作事方のi建設は、現在山鉾の組立を行っている作事方の中で唯一同一町内に在住している。しかし代々作事方を担ってきたわけではなく、1955年頃それまでの作事方が来られなくなり、たまたま町内在住ということで引き受けることになった。Ji山作事方のw組は、当初は取り引き先であったS建設の手伝いとして参加していたが、1994年から全権を委任されるようになった。

 Mo山の山建てをしているjさんは建築とは関係ない。もともと作事方を務めていた山科の棟梁がやめてしまい、作事方を引き受けることになったという経緯である。Ka山作事方のmさんは、もともと大工をしていたが現在は建築関係の仕事はしていない。実際の組立は息子さんがやっており、大工をしているわけではない。

 Ay鉾は、1884年以来途絶えていたが、町内の人々の努力などで1979年に復興した。当初d工務店が関わったが、現在は町の人だけで組み立てており、大工その他は一切参加していない。Si鉾も1871年以降途絶えていたが、1985年に再興された。当時の会長との縁でr工務店が作事方を務めることになった。

 以上、祇園祭に携わるようになった経緯は、昭和に入って復活した四基を除くとそのほとんどが、町の人との関係ではなく、日常の仕事で付き合いのある同業者からの紹介などで引き受けるようになったところが多い。また、祇園祭の作事方はその家が絶えない限りやめることはできないとされるが、実際にはかなり入れ替わっている。

 こうした作事方の継承関係は、公的な文書の形式で残されていない。秩父の夜祭や飛騨の高山祭の場合、、屋台の建て方を請け負った工匠や彫刻をほどこした名匠の名前や系譜が残されている。京都の祇園祭でも、山鉾の主役である飾りもの系譜等はどの山鉾も残っていることを考えると、祭礼における作事方の位置づけは秩父や高山より低いといっていい。

 

 □建築生産組織としての作事方

 a. 作事方の所在地と活動地域

 祇園祭の各山鉾町で実質的に中心となって作事方(大工方、手伝方の両者がいる場合は大工方)を担っている建築生産組織の事業所もしくは代表者とその所在地をまとめてみると、都心4区に所在しているのは10事業所、京都市内が12事業所、残りは宇治市、長岡京市、船井郡日吉町、船井郡丹波町に各1事業所ずつ分布している。山鉾町内に在住しているのはHo山の作事方だけであり、その所在地は広く京都市外にまで及んでいる。作事方と山鉾町は近隣地域としてのつながりはほとんどない。

 作事方のうち198695年に山鉾町で仕事をした例は4物件、2工務店のみである。

 ・展示場 木造二階建 1993年 中京区橋弁慶町

 ・鉾収蔵庫 3階建鉄骨造 1994年 中京区菊水鉾町

 ・事務所店舗 9階建鉄骨造 1994年 下京区月鉾町

 ・物販店舗併用共同住宅 7階建鉄骨造 1995年 中京区占出山町

 以上のうち展示場と鉾収蔵庫はいずれも山鉾保存会の施設であり、各山鉾保存会の会長が施主である。しかし、他は作事方ととなっている山鉾町とは必ずしも関係ない。

 

 b. 作事方の事業内容

 祇園祭の作事方として参加している建築生産組織は、祭礼時以外の日常においては、山鉾町とはあまり密接な関係はない。作事方を務める組織の業務内容はおよそ以下のようである。

 32基の山鉾のうち、建築生産組織と関わりをもたないものが3基あり、また、複数の山鉾に関わるものがあるため、作事方に関わる建築生産組織は25である。

 事業所の創業年をみてみると、最も古いのはe工務店が1890年創業であり、a工務店の1966年創業が最も新しい。半数近くが、戦後になってから創業している。創業以前から作事方として参加しているものが8ある。

 仕事の内容としては、増改築を主体とするものが多いのが特徴である。新築が100%とするものは1だけでで、90%以上が増改築のものが6ある。また、木造しか扱わないものが全体の50%以上にものぼり、木造以外の構造が多いというものはない。建物の用途については、住宅が100%というものが半数以上ある。そのうち70%を超える事業所が、100%在来工法による。

 京都市内で活動する事業所がほとんどであるが、山鉾町内において比較的多く仕事をしているとするものが2ある。また、かっては山鉾町内で数多くの仕事をしていたという事業所が1ある。他は、当初から山鉾町内での仕事はないのがほとんどである。

 

 □祇園祭という祭礼行事に関わる作事方の建築生産組織としての実態は以上のようである。その要点は以下のようになる。

 ・山鉾町では、この間一貫して、木造住宅の建て替えが進行しつつある。確認申請計画概要書調査から、木造から非木造への転換、専用住宅から非住居系建築への転換は、はっきり跡づけることができる。

 ・山鉾町と山鉾町で建設活動を行う建築生産組織(施工者、設計者)は、ほとんど地縁的なつながりをもっていない。

 ・祇園祭の山鉾の組立に関わる作事方は、祇園祭において極めて重要な役割を果たしている。しかし、作事方と山鉾町の地縁的関係はほとんどない。作事方が祇園祭と関わり始めた歴史的な経緯は様々であるが、必ずしも地縁的つながりがもとになっているわけではない。

 ・山鉾町と作事方との日常業務的関係は少ない。祇園祭に関わる24事業所のうち、山鉾町で仕事をしたのは、10年間で4件、2事業所のみである。10事業所は都心4区内にあり、12事業所はその他京都市内、他は京都市外を拠点としている。

 ・作事方の事業形態を見ると実質1人親方の形態が5あり、全体として小規模である。また、業務内容として、基本的に木造を主とし、増改築を行うものが目立つ。

 祇園祭を担う作事方と山鉾町のつながりは以上のように極めて希薄になっている。京町家の再生、維持管理を担う建築生産組織の将来を展望する上でこの実態は極めて憂慮すべきことである。京町家街区の景観維持が焦眉の課題であるとすれば、山鉾町と関わる建築生産組織の再構築が大きな課題となる。祇園祭をひとつの梃子にするのが最も具体的と考えられるが、京町家作事組の結成など、町家再生の事例に取り組むヴォランタリーな組織の動きとともに公的な支援の仕組みも期待される。

2025年1月23日木曜日

延藤安弘 京はこんな町になったらエエナ ―広原盛明の<はんなり・まちづくり>へのつぶやき―、広原盛明さんの京都市長選立候補表明を支援する 建築・すまい・まちづくり関係者の集い 、2003年12月20日(土)午後3時~5時

 京はこんな町になったらエエナ

―広原盛明の<はんなり・まちづくり>へのつぶやき―

 

1.「ひと・くらし・いのち」ありき、がエエナ。     (ひと・まち・くらしづくり)

わけあって今までは

「もの・かね・せいど」中心。

そやからまちのかたちも

ひとのこころもかとうなってきてるんとちがう?

京都はほっこりしたぬくもりある

しなやかなひと・まち・くらしづくりへ。

 

2.論も大切やけど実行もっと大切にしたいナ。         (スポーツ人間)

  中学の頃から陸上競技やってきました。

  走り高跳びでは、関西学生一部で優勝しました。

  スポーツでは、からだを動かしながら

  からだがいちばんはずむ理屈がわかっていくように、

  京のまち、ようしていくのに

  現場でいろんな人々と話し合いを重ね

  実行のうねりを細く太く育くんでいきたい。

 

3.はっきりいうて京の町がいちばん好きや。          (京都との出会い)

  人間だれでも青春時代の出会いが人生決めるもんや。

  京都大学の西山研究室との出会い。

  京都市内の田中、楽只、竹田、崇仁地区の調査やりながら

住み手にとってくらしやすい住まい・まちづくり

  を問い、実践することに人生をかけてみよう

  という志が心の片隅に広がっていったんや。

  私の生きる方向を示し、いろんなことを教えてもろた

  京のひと・まちに心からお返しすることに

  いま再びの青春してみたい。

 

 

 

4.「嵐電」みたいに「市電」が走るまちにしたいナ。          (公共交通)

  1970年代の8年間

  京都の市電守る運動に青春かけました。

  自動車交通の限界をこえて

  ひとにも環境にもやさしい

  移動しながら京の町の風情・風景をながめられる

  「新型市電」の実験路線をつくってみたいナ。

今走っているバスもひとにやさしい心配りをしたい。

 

5.もりもりと緑ひろがり、そよそよと風はらむまちがエエナ。      (歴史都市)

  盆地と鴨川に象徴される

  山紫水明の生命みちる京の都。

  軒先の草花から山の端にかかる月に至るまで

  自然美も工芸美も構築美も

  慈しみあい照らしあいもてなしあう

  環境共生の歴史都市を守り育くんでいきたい。

 

6.りんとした「勇気」「公開」「参画」の姿勢を基本にしたい。      (基本姿勢)

  複雑でやっかいな対立の状況や

  硬直した事態をゆるやかに開くためには

  烈け目や葛藤をのりこえていく勇気をふるいたたせたい。

  勇気とは次の瞬間への意図、いさぎよいふるまい。

  そのためには

  何事もつつみかくさない公開のしくみと

  市民の多様な参画の場づくりをすすめていきたい。

 

7.あがないつつ、伝統的アートの価値を継承したいナ。         (伝統工芸)

  1960年代、清水焼の団地を山科につくった時

  伝統的な登り窯をうかつにもないがしろにした。

  均質なものができないことを理由に。

  それは近代的な効率性をものさしにした考え方。

  しかし、登り窯が生むかけがえのない個性と、

  出来損いをワリ、破片にひそむワザを

  アーチストたちがわかちあう「競争的共存」。

  これは新しい時代の芸術家や事業者の生きる価値。

 

8.記憶を呼びさまし、記憶をふりつもらせたいナ。         (まちなみ景観)

  1本の電柱をなくすことは、まちなみの記憶をよびさます。

  1本の電柱を地中に埋めると、1軒の家をきれいにしたくなる。

  1軒の家がきれいになると、まわりの家々は連鎖的にきれいになる。

  京の人々のまちなみへの記憶を呼びさます動きは

  次世代の子どもたちの記憶をふりつもらせていく。

  電線ない町は町への愛が伝染していく。

  電線のない町は町への愛が伝染していく。

電柱と家々と青空のすき間に降りしきる記憶

  それは京の町の内なる力を育くむ。

  

9.反芻する住民の知恵が子どもの楽しい学びを高めるとエエナ。  (学区コミュニティ)

  京都は日本ではじめて住民が町組ごとに小学校をつくった。

  小学校をコミュニティのセンターとして

  地域の多世代のチエとワザとココロを生かして

  子どもとまちの生き生きとした出会いの機会を高めたい。

  「タンケン・ハッケン・ホットケン」は

  子どものココロの感動をよびさます。

  感動を絵地図や紙芝居などに表現・発表・交流すると

  子どもも住民も双方が高まりあう

  学校と地域が相互に呼吸しあう学区の育くみへ。

 

10.難儀な空店舗にまちの力をまぜあわせてみよう。           (商店街)

   まち中でもはずれでも商店街にアキが生まれたら、

   お年よりたちの安心居場所のデイサービスを営んでみよう。

   散髪屋や美容院が髪をすき、歯医者が歯をみて

   和菓子屋が季節の香りを届け、花屋が四季の彩りを飾り…

   ひととまちの力をまぜあわせて

   「おでん」のようなおいしいコミュニティの拠点を創りたい。

 

11.理性も感性も豊かな市民力を育くむまちにしたいナ。         (市民力)

   千年の都の歴史に蓄えられた人間の知恵の深さのある市民力。

   「もう一度考えときます」ということは

   京では時には否定を意味するけれど

   「ことわります」と言い切ってしまわない

   お互いに閉ざさない、孤立しないという

   京ならではの裏表の微妙なバランス感覚。

   個人の役割をきちんとこなしつつ

   ゆるやかに周りと協働していく連帯感覚。

   伝統の市民力に期待をよせたい。

 

12.なんと観光客が伝統産業にかかわる、そんな場をひろげたいナ。 (観光と伝統産業)

   京の多様なタカラの外面を見にくる観光をこえて

   織物紡いだり陶器をこねたり扇子をつくったり

   立花を生けたりと伝統の文化・産業にジカにかかわる

   観光客がふえてくると、まちなみに勢いが発露するし

   伝統産業の元気がよびさまされていく。

   究極の観光は創り制作することへの参加と体験

   そのことで京の町の内なる力はきたえられていく。

 

13.これからは多世代交流のコミュニティづくりをしたい。     (多世代交流)

   子育て支援と高齢者福祉をたてわりにせんと

   横につなぐゆるやかな世代間の結びあう場づくりは

   決して見なれた風景とはちがうけれど

   静けさを尊ぶ存在と

   動きの中に生を育くむ存在の

   せめぎあいのエネルギーがほとばしる時

   思いがけない偶発的な関係の中で老若共に育ちあう。

 

14.交番、路地、地蔵さんは京の町の安全安心の象徴。        (安全安心)

   六地蔵は平安時代のおわり頃に

   京に至る街道に安置された道祖神。

   のちに家内安全、無病息災などを祈願して

   地蔵尊を巡り拝むようになった。

   古い時代の安全・安心のコミュニティ・シンボルとともに

   現代のそれを育くむことを目指したい。

   地域の人間関係を日頃から育くむことが

   震災や犯罪などの危機管理とのりこえの基本の基。

 

15.ろくでもないゴミに生命をよびさましたい。           (ゴミ問題)

   資源をムダ使いして大量のゴミを出す

   建てては壊すやり方はやめて

   古材を新しい柔らかい場所づくりに生かしたい。

   日常の生活ゴミも丁寧に分別すると

   資源がめぐりめぐって生きつづけられ

   うらうらとした朝日の中で

   人のくらしの営みの叡知の種子は発芽し

   人もまちも健やかに育くまれていく。

 

16.ところで、これまでの各頁の第1行を束ねてみよう。

   

「ひと・くらし・いのち」ありき、がエエナ。

   論も大切やけど実行もっと大切にしたいナ。

   はっきりいうて京の町がいちばん好きや。

   「嵐電」みたいに「市電」が走るまちにしたいナ。

   もりもりと緑ひろがり、そよそよと風はらむまちがエエナ。

   りんとした「勇気」「公開」「参画」の姿勢を基本にしたい。

   あがないつつ、伝統的アートの価値を継承したいナ。

   記憶を呼びさまし、記憶をふりつもらせたいナ。

   反芻する住民の知恵が子どもの楽しい学びを高めるとエエナ。

   難儀な空店舗にまちの力をまぜあわせたいナ。

   理性も感性も豊かな市民力を育くむまちにしたいナ。

   なんと観光客が伝統産業にかかわる、そんな場をひろげたいナ。

   これからは多世代交流のコミュニティづくりをしたい。

   交番、路地、地蔵さんは京の町の安全安心の象徴。

   ろくでもないゴミに生命をよびさましたいナ。

   

   各行の頭文字を束ねてみたら

<ひろはらもりあき はんなりなこころ!>

広原盛明は京都らしいはんなりとした

品格の高い陽気ではなやかな志と

明瞭な政策としての「はんなり・まちづくり」を

市民とともに紡ぎだすために

ささやかな力を尽くしたい。

広原盛明はひたすらそう念じています。

ここ一番のジャンプに誠意と渾身の力をこめて…。

 広原盛明さんの京都市長選立候補表明を支援する

建築・すまい・まちづくり関係者の集い

のよびかけ


 
今年も残り少なくなりました。皆様いかがおすごしでしょうか。話題の総選挙も終わり、政治の季節もひとまず過ぎ去ったように感じられますが、来年2月8日には京都市長選挙が行われます。そしてこの京都市長選に広原盛明さん(京都府立大学前学長、京都大学建築学科1961年卒業)が立候補されることになりました。

 
日本人の心の故郷といわれる京都は、世界的にも貴重な社寺城郭を有し世界遺産にも登録され、また地球温暖化防止国際会議が開催されて「京都議定書」が採択されるなど、世界の歴史文化都市としてその環境保全に重大な責任と役割を課せられた都市です。にもかかわらず、京都南部においては巨大な高架高速道路が市内に向かって建設が進められ、俵屋、柊屋など老舗旅館が立地する中心市街地では高層マンションの乱立に歯止めがかからない状況です。また世界遺産の背景地においても宅地開発が進行しています。京都はいま歴史都市として存亡の岐路に立っているといっても過言ではありません。

 
広原盛明さんは、はやくも1960年代から住民参加のまちづくりに取り組んだ先覚的なまちづくり研究者です。また8年間にわたる京都の市電存続市民運動(197078年)を通して、環境保全の視点から都市交通とまちづくりのあるべき姿を追求した実践家でもあります。阪神・淡路大震災ではいち早く救援活動に駆けつけ、建築士・弁護士・不動産鑑定士・土地家屋調査士などの職能団体によって組織された「阪神・淡路まちづくり支援機構」の代表委員として活躍されてきました。

 
私たちは、京都の現状を憂い、京都の明日を切り開く見識をもった広原盛明さんがこのたび京都市長選に立候補表明されたことを、勇気ある行動として心から歓迎し、支持したいと思います。
 
つきましては、建築・すまい・まちづくりの分野でご活躍の皆様方に広原盛明さんへの支援をお願いしますとともに、「広原盛明さんの京都市長選立候補表明を支援する建築・すまい・まちづくり関係者の集い」(12月20日、京大会館)へのご案内を申し上げます。ご多忙中とは存じますが、ご参加をお待ちしております。
                                                       
2003年11月

よびかけ人(予定)

陣内秀信(法政大学教授)、鈴木成文(東京大学名誉教授、前神戸芸術工科大学学長)、林泰義、山岡義典、内田雄造(東洋大学教授)、藤本昌也(建築家)、峰政克義氏、曽田忠広(愛知工業大学教授)
白砂剛二・湯川聡子・高口恭行・延藤安弘・安藤元夫(近畿大学教授)・森本信明(近畿大学教授)・海道清信(名城大学教授 、横尾義貫(京大名誉教授)・田中喬(京大名誉教授)・中村泰人(京大名誉教授)、小島攻(近畿大学教授)、千葉桂司(都市公団OB )、渡辺豊和(建築家・京都造形大教授)、若林広行(建築家)、安原秀(建築家)

青木志郎(東京工業大学名誉教授・元日本建築学会副会長)、石田頼房(東京都立大学名誉教授・元自治体問題研究所副理事長)、牛見 章(東洋大学名誉教授・元埼玉県都市計画審議会会長)

大谷幸夫(東京大学名誉教授・建築家)、岡田光正(大阪大学名誉教授)、小川信子(日本女子大学名誉教授・元生活学会会長)、片寄俊秀(関西学院大学教授)、柴田徳衛(東京都立大学教授・元東京都理事)、住田昌二(大阪市立大学名誉教授・元福山女子大学学長)、吉田あこ(筑波技術短期大学名誉教授・元国際女性建築家協会副会長)

 

 

広原盛明さんの京都市長選立候補表明を支援する

建築・すまい・まちづくり関係者の集い

 

1.日時:2003年12月20日(土)午後3時~5時
2.会場:京大会館
3.次第(1)よびかけ人挨拶、(2)広原盛明さん挨拶、(3)参加者スピーチ、(4)事務局からの

     支援活動についての訴え、(5)今後のスケジュールなど

4.会費:3千円
5.出欠:同封の葉書あるいはFAX用紙で12月15日(月)までにお返事下さい。
  
   なお欠席の場合も趣旨にご賛同の場合はカンパ(1口5千円)をお願いいたします。
 
  宛先:〒612-0846  京都市伏見区深草大亀谷万帖敷町455  広原盛明宛
     tel/fax 075-643-8524  Email: hirohara@skyblue.ocn.ne.jp
         
郵便振替:京都市伏見区万帖敷郵便局 口座番号(申請中)

          銀行振込:京都銀行墨染支店 普通口座(開設中)

 



2024年5月20日月曜日

どうする京都 岡崎,川勝平太(国際日本文化研究センター教授)上村淳之(日本画家)高木壽一(京都市副市長)布野修司(京都大学大学院工学研究科助教授)本多和夫(平安神宮禰宜)藤本圭司 (京都経済同友会事務局長)小原啓渡(アートコンプレックス1928プロデューサー)堀場雅夫(堀場製作所会長),司会 ばんばひろふみ,KBS京都,2005年1月23日放送

どうする京都 岡崎,川勝 平太 (国際日本文化研究センター教授)上村 淳之 (日本画家)高木 壽一 (京都市副市長)布野 修司 (京都大学大学院工学研究科助教授)本多 和夫 (平安神宮禰宜)藤本 圭司 (京都経済同友会事務局長)小原 啓渡 (アートコンプレックス1928プロデューサー)堀場 雅夫 (堀場製作所会長)、司会 ばんばひろふみ、KBS京都、2005年1月23日放送

どうする京都 岡崎メモ2005年1月23日放送)

 

川勝 平太 (国際日本文化研究センター教授)

上村 淳之 (日本画家)

高木 壽一 (京都市副市長)

布野 修司 (京都大学大学院工学研究科助教授)

本多 和夫 (平安神宮禰宜)

藤本 圭司 (京都経済同友会事務局長)

小原 啓渡 (アートコンプレックス1928プロデューサー)

堀場 雅夫 (堀場製作所会長)

 

・様々な施設が立地する岡崎は、京都市を代表する文化ゾーンとして位置づけられている。

・平安遷都1100年を記念して建立された平安神宮及びその一帯で開催された

第4回内国勧業博覧会。これを機に京都は産業、文化の面で発展し近代都市としての礎を

築くことになった。

→当時の人口40万人の京都に115万人が来場

→市民、役人、経済人が一致してがんばった

→単なる祭りで終わらないために、品評会が行われた

・当時の岡崎は「町衆」の気概を国内外に示した「魂のよりどころ」とでもいう場所であった。

・・・しかし今、その岡崎を、市民は「昔の面影がない」「閑散としているし、地味」

「若者はいかない。知らない」と。

 

・21世紀の京都を発信する拠点として再構築し、京都ブランドのひとつとしてその魅力を

発信することはできないか?。

 

 

■岡崎への思い

川勝

 子どもの頃、動物園に行ったが楽しかった。中学生の時は京都会館ができたが、当時はハイカラな印象を受けた。現在は一帯は「重厚」「おとなしい」というイメージになっている。昼は静かで、夜は暗い。動物園のあり方についても、意味づけが変わってきている。全体的に位置づけを再考すべきであると思う。

 

上村

 私も動物園は行った。絵を学ぶようになってからは、美術館に何度も行くようになった。

 

高木

 岡崎は、「日本の都市景観百選」に選ばれている。岡崎のこのような点を伸ばせれば、と考えている。

 

藤本

 一昨年、学生祭典を開催し、倉木麻衣さんにもきてもらったが、10万人も来た。平安神宮は美しいところだし、学生もそれに感激して、ずっとここで開催したいと言っている。

 

本多

 先ほどのVTRには紹介されなかったが、平安神宮の地鎮祭の時には市民が三日三晩踊り明かして祝っていた。市民の思いは、相当強かった。

 

布野

 私はよそ者でもあるので、岡崎について都市計画者としても考えたことはなかった。事前に歩いて感じたことは、空間的にはスケールアウト。間が多い。有名な建築家により設計されたものがいくつかあるが、統一感がとれていない。歩いて楽しい場所ではない。

 

小原

 私は今日、比較的若い世代ということで参加していると思うが、岡崎は何となく「敷居が高い」「格調が高い」という感じを受ける。遊びの要素がかけているし、寄りつきにくいと思う。

 

堀場

 市民がしらけだしたのがあるだろう。何についても燃えなくなった。まずは市民が燃えないといけない。持ち主は京都市が多いと思うが、もっと真剣に考えて、やる気を出す必要があると思う。私たちもよそさんの土地にあれこれ言いにくい。

 

高木

 岡崎は都市公園に指定されており、建蔽率は10/100。この指定のためにあの環境が守られてきた、というのもある。

 市有地については、市民のもの。市民の思いがあれば、変えていく方法はある。市民の中で盛り上がって「こうあればいい」という提案があれば、動く。

 

本多

 明治26年9月3日に平安神宮で地鎮祭を行ったが、当時は京都復興への重いが相当強かった。しかし、次第にその思いは消えていった。当時は、市内中が電気をつけて花を飾ったりして盛り上がっていた。

 

   京都市の事業評価、施設の民営について

 

高木

 この評価は、予算に反映させるために、出したもの。費用対効果の高いものが評価が高くなっている。「C」は効率が悪い、という評価であり、予算を減らす、という評価ではない。

 

藤本

 施設は、管理だけではなく攻めも大事。サービスを考える必要がある。

 

堀場

 運営を民間に任せていく、ということも必要。

 

上村

 岡崎を文化発信の地とするならば、感性を養う場所になればいい。いいものはたくさんあるので、どんどん見せるためのスペースを設ける。しかしそれが欠けている。美術館の常設も狭いので、もっと広げていく必要があるのではないか。

 

高木

 民間に任せるものは増えている。しかし管理のみの委託であり、財団や協会などがほとんどで、純粋な民間か、というとそうではない。今後は、企画の委託も考えていく必要があるだろう。

 

川勝

 当時は「日本の中心は京都だ」という思いと危機感があった。しかし今の京都はおっとりしていて、危機感がない。

 

堀場

 岡崎でうまくいかなかったら、京都はもうあかん!という象徴的なものとしてがんばっていってはどうか。東京出張のため失礼するが、活発な討論を期待している。

 

小原

 指定管理者制度について、京都はどのように考えているのか。公的な文化施設を民間でやっていく方針などはどうなっているか。民営となると、赤字は許されないし、経営努力をする。企画も変わってくるのではないか。

 

高木

 ここ2年のうちにすべて移行していく予定。管理者を入札などで決めていく。

 

藤本

 民間に任せていいものと悪いものがあると思う。例えば、前回の学生祭典は台風に見舞われたが、京都会館の人は対応が素早かった。ほとんど徹夜で対応してくれて、学生も感激していた。要は人の問題なのだろう。使命感を持って取り組めるようにする必要。

 

■空間整備

 

布野

 ソフトの問題は大きいが、都市公園という位置づけも大きい。疎水については、当時は産業的な位置づけであったが、今では文化的な意味合いになっている。意味づけが、だんだん変わってきている。今後、どのような位置づけを持っていくか、というビジョンが大事。歴史上で生じているちぐはぐをどう束ねていくか。

 

本多

 平安神宮は、建設については当時は国は反対していた。予算書を見るとわかるが、予算もほとんど付いていない。そこで市民は全国行脚をして、お金を集めた。平安神宮は、市民の熱い思いが作った、と言っていい。芸術や文化施設については、神社にある「奉納」、つまり今ある最新のものを供える、という意味で作られたと私は思っている。

 

上村

 日本人の感性である、自然との共生を体験できる空間を体現してほしいと私は考えている。そういう意味で、現在の動物園はその趣旨に反する。

 

高木

 岡崎が都市公園に指定されている理由としては、京都は公園面積が少ない上に、広域避難場所がどうしても必要。ハード面では、岡崎はいい空間を保っていると思う。あとはソフト面でどう運営していくか、どんなにぎわいづくりをしていくか、ということが大事なのだろう。

 京都会館をもう少し建て増ししていくことは、可能。しかし新規に別の建物を増やすことは考えにくい。木のライティングなどは、ソフト事業として可能だと思う。

 

布野

 中国では、地下にショッピングセンターを作るなど、今あるものを再利用しながら思いもかけないものを作ったりしている。

 

藤本

 縛りは、人間が作ったものだから変えればいい。まずは位置づけをどうするか。どう生かし、連携し、仕掛けていくか。

 今ある行政の縛りの中でやるか、連携をしながら縛りをなくしてやっていくか。まずはビジョンを明確にしていく必要があるだろう。

   賑わいづくり

 

高木

 例えば、カフェテラスを出すような場所はある。道路に出すのではなく、敷地内で出していくのは可能だと思う。

 

藤本

 部分的にやっていくのはできるかもしれないが、トータルに見て、戦略を立ててやっていく必要があるだろう。公園法の縛り、人の意識の縛りがある。「特区」に指定して、取り組んでもおもしろいのではないか。

 

高木

 みんなで考えて、取り組んでいく必要がある。賑わいを市民が力を合わせてやっていく。広い意味で、ソフト面の賑わいをみなさんの知恵を借りながら作っていく必要がある。

 

小原

 意識の問題として、「行政に頼る」というものがある。今はPFIがあるし、ドイツでは公共事業の30%に導入されている。つまり民間の知識や財力、技術を生かしていく、という意識も必要だと思う。カフェが1件や2件増えるだけではなく、コンセプトを定め、博覧会当時のような先進性を持たせていくことが必要。そのような取り組みに、行政がバックアップするような仕組みと具体策が必要ではないか。

 

■どういうコンセプトで再構築するか

 

ばんば

 京都会館。設備をもっとよくすれば、「来たくても来られない」というアーチストも来るようになるのではないか。

 

川勝

 疎水や電車、動物園などを見ると、岡崎はこれまでの役割は終わったと思う。しかし、これからの新しい役割がある。その姿として、歩ける、若者がたくさん出入りするような賑わいがある、というもの。また、東京のキャッチアップからの脱皮も求められている。そのためには発進力を備え、国際性を備えていく必要。

 京大、祇園、南禅寺は歩ける距離。しかし、歩く気がしない。これらに連続性を持たせれば、歩くようになる。あと夜が暗い。暗いと言うことは、生活がない、ということ。動物園や京都会館は、今の役割にあうように再構築する必要を感じている。

 

上村

 美術館は、面積が小さいし展示数も少ない。もっと満喫できるようにする必要があるだろう。芸術大学は西京区大枝に移動したが、このために京都の文化を体感できないまま卒業する学生が増えている。

 

藤本

 岡崎周辺は、桜が大変きれい。しかし、現状では陳列に終わっている。このために交通対策が必要。そして楽しい場所にしていく。人の温かさがでるようにすれば、人は集まってくるだろう。

 動物園については、従来の役割は終わったかな、と思う。勝手に言うのは簡単だが、動物園をどこかに移動して、その跡地に芸術系の大学を持ってこれば、学生でにぎわうのでは。

 

布野

 土地の記憶をベースに再構築していく必要があるだろう。例えばあの空間に平安時代を再現するとか、かつてあった九重の塔を復元するとか。博覧会は、第4回内国博覧会以前から明治4年以降毎年開催されています。これを現在も連発するとかも考えられる。建都1200年の時、グランドビジョンのコンペがされた。私も審査に関わっていたが、そこででたアイデアに「100年かけて1200年を振り返る」というものがあった。1ヶ月で1年振り返ることになる。そのようなイベントを打つという提案があったが、イベントを開催するのもおもしろい。

 建築家としては、総合地域計画として、エコ・タウンのモデルを整備するなども考えられる。あとは人が歩いて楽しいような工夫が必要。

 

小原

 京都がすでに持っているアドバンテージ、強いカードがある。文化芸術的なことがどうビジネスと結びつくかが大事。

 私が提案したいのは、「国際オークションセンター」。これは新規に施設を作るのではなく、既存の建物内に備えるのも可能。ネットオークションは近年すごく伸びており、現在600万点の出展がある。オンラインビジネスの20%がオークションで稼いでいる現実もある。このような将来ビジョンも含めて、ネットオークションセンターを設置してはどうかと思う。

 京都の技術、工芸品、コンテンポラリーアートをネットで全世界へ発信し、参加してもらう。プレゼントビジネスが重なっている。ネットで若手の作品を公開して、年に数回ライブで実施し、集客をはかる。サザビーでは1回開催すると100億円が動いている。このような取り組みに行政が参加すると、信頼性が高まる。

 このような発送で、新しいビジネスモデルづくりが大事だと思う。

 

ばんば

 弘法さんのようなものが、平安神宮でできないだろうか。

 

本多

 年に一度だけ、「京の朝市」というものを、市が音頭をとってやっている。敷地内で月1回、弘法さんのようなものをするとなると、受け入れ側としては少々しんどいかな、と思う。

 平安神宮の庭は、生態系の受け継ぎ装置にもなっているので、エコタウン的なものをやっていくことはやりたいと思う。

 

   交通問題について

 

高木

 テーマ性を持たせて考えるにあたり、特定のテーマにまず絞って、肩肘張らずに楽しめるものになれば、と思う。

 動物園は来場者が多いし、テーマによっては美術館も観光客数がトップ5に入ることもある。しかし、それぞれがつながっていないのが現在の問題。個人的な夢としては、車が通らないトランジットモール化してはどうかな、と思っている。LRT的で、京都らしい新しいものを作って、地下鉄の東山三条から行き来するようなタウンづくり。

 

藤本

 一番困るのは、交通問題。車を止められれば、歩いて楽しいゾーンになるだろう。車が入るために、思い切ったパフォーマンスもできない。例えば、インクラインを使って、船に乗って琵琶湖にでられるような交通が整備されれば、桜の季節などはいいだろう。

 

布野

 歩いて楽しいための小物は、そんなにお金をかけずともできる。

 

小原

 若い人の興味の対象を考えると、ネットなどは今や生活必需品になっている。若い人だけにあわせるのではなく、将来どのような生活スタイルになるかをにらんだ上でのビジョンづくりが大事で、それを先取りしていく必要がある。

 

上村

 何か一つ、まず手をつけていく。全体的なものは長いスパンをかけてやっていく。縦割りを越えて、例えば植物園と動物園を一緒にしてもいいのではないか。動物も家畜的な飼い方ではなく、自然との共生を実感できる空間として整備していく。そのようなことは、民間の方がうまい。

 

   岡崎のビジョン

 

高木

 岡崎は、軟式野球の発祥の地。使用率は高いので、だいたいの場所は必要になるが、例えばそこを芝生公園にして、大道芸人がパフォーマンスしているのも楽しい。楽しい場所に変えていく必要性は感じている。

 

藤本

 岡崎が、京都市政の縮図のように感じている。今後を占う場所であると思う。やる気があるのかどうか、長期的に考え、計画的に取り組んでいく必要。そのためには、まず岡崎の位置づけが必要。機能を考え、戦略的に取り組み、京都の活性化の拠点としていく。

 

高木

 行政にビジョンがなければ動けない、というのも問題だと思う。市民がみんなで考え、それを実行していくことが大事。今のところ、ビジョンや提案などは何もない。いろんなところで声が出て、今日をきっかけに集まって考えをまとめていこう、という動きになればいいと思うし、可能だと思う。

 

小原

 こういう場があったので、私は先ほど提案したが、もっとこういう場があれば集まるのではないか。

 

高木

 社会実験的なものであれば、経費をかけずにできる。しかし、後ろを向いたら誰もいなかった、というのは困る。

 

小原

 下世話な話だが、そういう取り組みを税金でやるだけでなく、ビジネスとして成り立ち、京都のブランド化、活性化に結びつくおいしい話であれば、人は寄ってくると思う。

 

藤本

 提案は同友会でもいろいろやっているし、方向性を示したりしているが、やはり行政による都市計画は大事だと思う。必要であれば経済界といわず市民クラブで場を作ってもいい。岡崎の今回のような話題性を持たせることが、第一歩であろう。

 

川勝

 京都にしかできないことが岡崎で展開されている。1200年の歴史がすべて集約できる場所。グランドも、当時は新しかった。動物園もそう。今後は今とは違う形で活かし、すべての市民のためになる必要。

 そういう意味でも、車を入れずにトランジットモール化し、市民が来て、歩けるような空間にする。それと遷都祝祭日を設けて、例えば「毎月22日は何をやっている」というような京都にしかできないことをする。

 

本多

 毎月22日、何かを催すのは可能だと思う。倉木麻衣さんや藤井フミヤさんは「奉納」という意味でコンサートをやった。アーティストに奉納する気があれば、コンサートも可能。

 

川勝

 西陣織もそうだが、ファッションを軸にした新しい取り組みもいいのではないか。

 

上村

 アーティスト側からの提案も、もっとやっていくべきであると今反省している。しかし京都では「宣伝するのはちょっと」というのもある。しかしこれを改めていくべき、という感もある。

 

藤本

 経済同友会では「京都100年考」という提言書を出した。現在イスラム教があのようなことになっているが、今後は仏教が世界平和に貢献するかもしれない。そういう意味で、木造の塔を作り、宗教研究所を作ったり、あるいは寝殿造りを再現して体感できるような空間づくりもいいだろう。

 

以 上

    












 

布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...