このブログを検索

ラベル 京都論 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 京都論 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年5月20日月曜日

どうする京都 岡崎,川勝平太(国際日本文化研究センター教授)上村淳之(日本画家)高木壽一(京都市副市長)布野修司(京都大学大学院工学研究科助教授)本多和夫(平安神宮禰宜)藤本圭司 (京都経済同友会事務局長)小原啓渡(アートコンプレックス1928プロデューサー)堀場雅夫(堀場製作所会長),司会 ばんばひろふみ,KBS京都,2005年1月23日放送

どうする京都 岡崎,川勝 平太 (国際日本文化研究センター教授)上村 淳之 (日本画家)高木 壽一 (京都市副市長)布野 修司 (京都大学大学院工学研究科助教授)本多 和夫 (平安神宮禰宜)藤本 圭司 (京都経済同友会事務局長)小原 啓渡 (アートコンプレックス1928プロデューサー)堀場 雅夫 (堀場製作所会長)、司会 ばんばひろふみ、KBS京都、2005年1月23日放送

どうする京都 岡崎メモ2005年1月23日放送)

 

川勝 平太 (国際日本文化研究センター教授)

上村 淳之 (日本画家)

高木 壽一 (京都市副市長)

布野 修司 (京都大学大学院工学研究科助教授)

本多 和夫 (平安神宮禰宜)

藤本 圭司 (京都経済同友会事務局長)

小原 啓渡 (アートコンプレックス1928プロデューサー)

堀場 雅夫 (堀場製作所会長)

 

・様々な施設が立地する岡崎は、京都市を代表する文化ゾーンとして位置づけられている。

・平安遷都1100年を記念して建立された平安神宮及びその一帯で開催された

第4回内国勧業博覧会。これを機に京都は産業、文化の面で発展し近代都市としての礎を

築くことになった。

→当時の人口40万人の京都に115万人が来場

→市民、役人、経済人が一致してがんばった

→単なる祭りで終わらないために、品評会が行われた

・当時の岡崎は「町衆」の気概を国内外に示した「魂のよりどころ」とでもいう場所であった。

・・・しかし今、その岡崎を、市民は「昔の面影がない」「閑散としているし、地味」

「若者はいかない。知らない」と。

 

・21世紀の京都を発信する拠点として再構築し、京都ブランドのひとつとしてその魅力を

発信することはできないか?。

 

 

■岡崎への思い

川勝

 子どもの頃、動物園に行ったが楽しかった。中学生の時は京都会館ができたが、当時はハイカラな印象を受けた。現在は一帯は「重厚」「おとなしい」というイメージになっている。昼は静かで、夜は暗い。動物園のあり方についても、意味づけが変わってきている。全体的に位置づけを再考すべきであると思う。

 

上村

 私も動物園は行った。絵を学ぶようになってからは、美術館に何度も行くようになった。

 

高木

 岡崎は、「日本の都市景観百選」に選ばれている。岡崎のこのような点を伸ばせれば、と考えている。

 

藤本

 一昨年、学生祭典を開催し、倉木麻衣さんにもきてもらったが、10万人も来た。平安神宮は美しいところだし、学生もそれに感激して、ずっとここで開催したいと言っている。

 

本多

 先ほどのVTRには紹介されなかったが、平安神宮の地鎮祭の時には市民が三日三晩踊り明かして祝っていた。市民の思いは、相当強かった。

 

布野

 私はよそ者でもあるので、岡崎について都市計画者としても考えたことはなかった。事前に歩いて感じたことは、空間的にはスケールアウト。間が多い。有名な建築家により設計されたものがいくつかあるが、統一感がとれていない。歩いて楽しい場所ではない。

 

小原

 私は今日、比較的若い世代ということで参加していると思うが、岡崎は何となく「敷居が高い」「格調が高い」という感じを受ける。遊びの要素がかけているし、寄りつきにくいと思う。

 

堀場

 市民がしらけだしたのがあるだろう。何についても燃えなくなった。まずは市民が燃えないといけない。持ち主は京都市が多いと思うが、もっと真剣に考えて、やる気を出す必要があると思う。私たちもよそさんの土地にあれこれ言いにくい。

 

高木

 岡崎は都市公園に指定されており、建蔽率は10/100。この指定のためにあの環境が守られてきた、というのもある。

 市有地については、市民のもの。市民の思いがあれば、変えていく方法はある。市民の中で盛り上がって「こうあればいい」という提案があれば、動く。

 

本多

 明治26年9月3日に平安神宮で地鎮祭を行ったが、当時は京都復興への重いが相当強かった。しかし、次第にその思いは消えていった。当時は、市内中が電気をつけて花を飾ったりして盛り上がっていた。

 

   京都市の事業評価、施設の民営について

 

高木

 この評価は、予算に反映させるために、出したもの。費用対効果の高いものが評価が高くなっている。「C」は効率が悪い、という評価であり、予算を減らす、という評価ではない。

 

藤本

 施設は、管理だけではなく攻めも大事。サービスを考える必要がある。

 

堀場

 運営を民間に任せていく、ということも必要。

 

上村

 岡崎を文化発信の地とするならば、感性を養う場所になればいい。いいものはたくさんあるので、どんどん見せるためのスペースを設ける。しかしそれが欠けている。美術館の常設も狭いので、もっと広げていく必要があるのではないか。

 

高木

 民間に任せるものは増えている。しかし管理のみの委託であり、財団や協会などがほとんどで、純粋な民間か、というとそうではない。今後は、企画の委託も考えていく必要があるだろう。

 

川勝

 当時は「日本の中心は京都だ」という思いと危機感があった。しかし今の京都はおっとりしていて、危機感がない。

 

堀場

 岡崎でうまくいかなかったら、京都はもうあかん!という象徴的なものとしてがんばっていってはどうか。東京出張のため失礼するが、活発な討論を期待している。

 

小原

 指定管理者制度について、京都はどのように考えているのか。公的な文化施設を民間でやっていく方針などはどうなっているか。民営となると、赤字は許されないし、経営努力をする。企画も変わってくるのではないか。

 

高木

 ここ2年のうちにすべて移行していく予定。管理者を入札などで決めていく。

 

藤本

 民間に任せていいものと悪いものがあると思う。例えば、前回の学生祭典は台風に見舞われたが、京都会館の人は対応が素早かった。ほとんど徹夜で対応してくれて、学生も感激していた。要は人の問題なのだろう。使命感を持って取り組めるようにする必要。

 

■空間整備

 

布野

 ソフトの問題は大きいが、都市公園という位置づけも大きい。疎水については、当時は産業的な位置づけであったが、今では文化的な意味合いになっている。意味づけが、だんだん変わってきている。今後、どのような位置づけを持っていくか、というビジョンが大事。歴史上で生じているちぐはぐをどう束ねていくか。

 

本多

 平安神宮は、建設については当時は国は反対していた。予算書を見るとわかるが、予算もほとんど付いていない。そこで市民は全国行脚をして、お金を集めた。平安神宮は、市民の熱い思いが作った、と言っていい。芸術や文化施設については、神社にある「奉納」、つまり今ある最新のものを供える、という意味で作られたと私は思っている。

 

上村

 日本人の感性である、自然との共生を体験できる空間を体現してほしいと私は考えている。そういう意味で、現在の動物園はその趣旨に反する。

 

高木

 岡崎が都市公園に指定されている理由としては、京都は公園面積が少ない上に、広域避難場所がどうしても必要。ハード面では、岡崎はいい空間を保っていると思う。あとはソフト面でどう運営していくか、どんなにぎわいづくりをしていくか、ということが大事なのだろう。

 京都会館をもう少し建て増ししていくことは、可能。しかし新規に別の建物を増やすことは考えにくい。木のライティングなどは、ソフト事業として可能だと思う。

 

布野

 中国では、地下にショッピングセンターを作るなど、今あるものを再利用しながら思いもかけないものを作ったりしている。

 

藤本

 縛りは、人間が作ったものだから変えればいい。まずは位置づけをどうするか。どう生かし、連携し、仕掛けていくか。

 今ある行政の縛りの中でやるか、連携をしながら縛りをなくしてやっていくか。まずはビジョンを明確にしていく必要があるだろう。

   賑わいづくり

 

高木

 例えば、カフェテラスを出すような場所はある。道路に出すのではなく、敷地内で出していくのは可能だと思う。

 

藤本

 部分的にやっていくのはできるかもしれないが、トータルに見て、戦略を立ててやっていく必要があるだろう。公園法の縛り、人の意識の縛りがある。「特区」に指定して、取り組んでもおもしろいのではないか。

 

高木

 みんなで考えて、取り組んでいく必要がある。賑わいを市民が力を合わせてやっていく。広い意味で、ソフト面の賑わいをみなさんの知恵を借りながら作っていく必要がある。

 

小原

 意識の問題として、「行政に頼る」というものがある。今はPFIがあるし、ドイツでは公共事業の30%に導入されている。つまり民間の知識や財力、技術を生かしていく、という意識も必要だと思う。カフェが1件や2件増えるだけではなく、コンセプトを定め、博覧会当時のような先進性を持たせていくことが必要。そのような取り組みに、行政がバックアップするような仕組みと具体策が必要ではないか。

 

■どういうコンセプトで再構築するか

 

ばんば

 京都会館。設備をもっとよくすれば、「来たくても来られない」というアーチストも来るようになるのではないか。

 

川勝

 疎水や電車、動物園などを見ると、岡崎はこれまでの役割は終わったと思う。しかし、これからの新しい役割がある。その姿として、歩ける、若者がたくさん出入りするような賑わいがある、というもの。また、東京のキャッチアップからの脱皮も求められている。そのためには発進力を備え、国際性を備えていく必要。

 京大、祇園、南禅寺は歩ける距離。しかし、歩く気がしない。これらに連続性を持たせれば、歩くようになる。あと夜が暗い。暗いと言うことは、生活がない、ということ。動物園や京都会館は、今の役割にあうように再構築する必要を感じている。

 

上村

 美術館は、面積が小さいし展示数も少ない。もっと満喫できるようにする必要があるだろう。芸術大学は西京区大枝に移動したが、このために京都の文化を体感できないまま卒業する学生が増えている。

 

藤本

 岡崎周辺は、桜が大変きれい。しかし、現状では陳列に終わっている。このために交通対策が必要。そして楽しい場所にしていく。人の温かさがでるようにすれば、人は集まってくるだろう。

 動物園については、従来の役割は終わったかな、と思う。勝手に言うのは簡単だが、動物園をどこかに移動して、その跡地に芸術系の大学を持ってこれば、学生でにぎわうのでは。

 

布野

 土地の記憶をベースに再構築していく必要があるだろう。例えばあの空間に平安時代を再現するとか、かつてあった九重の塔を復元するとか。博覧会は、第4回内国博覧会以前から明治4年以降毎年開催されています。これを現在も連発するとかも考えられる。建都1200年の時、グランドビジョンのコンペがされた。私も審査に関わっていたが、そこででたアイデアに「100年かけて1200年を振り返る」というものがあった。1ヶ月で1年振り返ることになる。そのようなイベントを打つという提案があったが、イベントを開催するのもおもしろい。

 建築家としては、総合地域計画として、エコ・タウンのモデルを整備するなども考えられる。あとは人が歩いて楽しいような工夫が必要。

 

小原

 京都がすでに持っているアドバンテージ、強いカードがある。文化芸術的なことがどうビジネスと結びつくかが大事。

 私が提案したいのは、「国際オークションセンター」。これは新規に施設を作るのではなく、既存の建物内に備えるのも可能。ネットオークションは近年すごく伸びており、現在600万点の出展がある。オンラインビジネスの20%がオークションで稼いでいる現実もある。このような将来ビジョンも含めて、ネットオークションセンターを設置してはどうかと思う。

 京都の技術、工芸品、コンテンポラリーアートをネットで全世界へ発信し、参加してもらう。プレゼントビジネスが重なっている。ネットで若手の作品を公開して、年に数回ライブで実施し、集客をはかる。サザビーでは1回開催すると100億円が動いている。このような取り組みに行政が参加すると、信頼性が高まる。

 このような発送で、新しいビジネスモデルづくりが大事だと思う。

 

ばんば

 弘法さんのようなものが、平安神宮でできないだろうか。

 

本多

 年に一度だけ、「京の朝市」というものを、市が音頭をとってやっている。敷地内で月1回、弘法さんのようなものをするとなると、受け入れ側としては少々しんどいかな、と思う。

 平安神宮の庭は、生態系の受け継ぎ装置にもなっているので、エコタウン的なものをやっていくことはやりたいと思う。

 

   交通問題について

 

高木

 テーマ性を持たせて考えるにあたり、特定のテーマにまず絞って、肩肘張らずに楽しめるものになれば、と思う。

 動物園は来場者が多いし、テーマによっては美術館も観光客数がトップ5に入ることもある。しかし、それぞれがつながっていないのが現在の問題。個人的な夢としては、車が通らないトランジットモール化してはどうかな、と思っている。LRT的で、京都らしい新しいものを作って、地下鉄の東山三条から行き来するようなタウンづくり。

 

藤本

 一番困るのは、交通問題。車を止められれば、歩いて楽しいゾーンになるだろう。車が入るために、思い切ったパフォーマンスもできない。例えば、インクラインを使って、船に乗って琵琶湖にでられるような交通が整備されれば、桜の季節などはいいだろう。

 

布野

 歩いて楽しいための小物は、そんなにお金をかけずともできる。

 

小原

 若い人の興味の対象を考えると、ネットなどは今や生活必需品になっている。若い人だけにあわせるのではなく、将来どのような生活スタイルになるかをにらんだ上でのビジョンづくりが大事で、それを先取りしていく必要がある。

 

上村

 何か一つ、まず手をつけていく。全体的なものは長いスパンをかけてやっていく。縦割りを越えて、例えば植物園と動物園を一緒にしてもいいのではないか。動物も家畜的な飼い方ではなく、自然との共生を実感できる空間として整備していく。そのようなことは、民間の方がうまい。

 

   岡崎のビジョン

 

高木

 岡崎は、軟式野球の発祥の地。使用率は高いので、だいたいの場所は必要になるが、例えばそこを芝生公園にして、大道芸人がパフォーマンスしているのも楽しい。楽しい場所に変えていく必要性は感じている。

 

藤本

 岡崎が、京都市政の縮図のように感じている。今後を占う場所であると思う。やる気があるのかどうか、長期的に考え、計画的に取り組んでいく必要。そのためには、まず岡崎の位置づけが必要。機能を考え、戦略的に取り組み、京都の活性化の拠点としていく。

 

高木

 行政にビジョンがなければ動けない、というのも問題だと思う。市民がみんなで考え、それを実行していくことが大事。今のところ、ビジョンや提案などは何もない。いろんなところで声が出て、今日をきっかけに集まって考えをまとめていこう、という動きになればいいと思うし、可能だと思う。

 

小原

 こういう場があったので、私は先ほど提案したが、もっとこういう場があれば集まるのではないか。

 

高木

 社会実験的なものであれば、経費をかけずにできる。しかし、後ろを向いたら誰もいなかった、というのは困る。

 

小原

 下世話な話だが、そういう取り組みを税金でやるだけでなく、ビジネスとして成り立ち、京都のブランド化、活性化に結びつくおいしい話であれば、人は寄ってくると思う。

 

藤本

 提案は同友会でもいろいろやっているし、方向性を示したりしているが、やはり行政による都市計画は大事だと思う。必要であれば経済界といわず市民クラブで場を作ってもいい。岡崎の今回のような話題性を持たせることが、第一歩であろう。

 

川勝

 京都にしかできないことが岡崎で展開されている。1200年の歴史がすべて集約できる場所。グランドも、当時は新しかった。動物園もそう。今後は今とは違う形で活かし、すべての市民のためになる必要。

 そういう意味でも、車を入れずにトランジットモール化し、市民が来て、歩けるような空間にする。それと遷都祝祭日を設けて、例えば「毎月22日は何をやっている」というような京都にしかできないことをする。

 

本多

 毎月22日、何かを催すのは可能だと思う。倉木麻衣さんや藤井フミヤさんは「奉納」という意味でコンサートをやった。アーティストに奉納する気があれば、コンサートも可能。

 

川勝

 西陣織もそうだが、ファッションを軸にした新しい取り組みもいいのではないか。

 

上村

 アーティスト側からの提案も、もっとやっていくべきであると今反省している。しかし京都では「宣伝するのはちょっと」というのもある。しかしこれを改めていくべき、という感もある。

 

藤本

 経済同友会では「京都100年考」という提言書を出した。現在イスラム教があのようなことになっているが、今後は仏教が世界平和に貢献するかもしれない。そういう意味で、木造の塔を作り、宗教研究所を作ったり、あるいは寝殿造りを再現して体感できるような空間づくりもいいだろう。

 

以 上

    












 

2024年5月3日金曜日

京都というプロブレマティーク,建築文化,199402

建都1200年の京都,布野修司+アジア都市建築研究会編,建築文化,彰国社,1994年2月号

 

京都というプロブレマティーク

布野修司

 

 京都:歩く、見る、聞く

 京都に移り住んで2年が経過した。移り住んだといっても、バタバタしているだけでその実感は薄い。2年など、建都1200年を迎えた古都の歴史にとって、瞬きの間にもならないだろう。それに、取りあえず居を構えたところが洛外も洛外、宇治の黄檗だから、京都に住んだとはとても言えない。京都のことはわからない、というのが全くもって正直のところだ。

 しかし、京都に住み続ければ京都のことが果たしてわかるようになるのであろうか。「京都は奥深い。京都を理解しようとするのならば、徹底的に京都を研究する必要がある。中途半端に理解しようとするのであれば、観光客でいる方がまだましだ。」と京都の友人はいう。そうであるとすれば、まあ観光客でいるしかなさそうではないか。ただ、観光客にとっての京都も、京都の半面とはいえなくても1割ぐらいの(観光収入がGNPの1割というから)京都ではありうるのではないか、そんな気分である。

 観光客といっても、清水、金閣、銀閣、二条城、三三間堂といった有名観光社寺をめぐるのとは違う視点の可能性はある。「路上観察学会」の面々が京都を襲って一冊の本をものしている。『京都面白ウオッチング』(  )である。「大人の修学旅行」、「路上観察の旅」ということで、京都の珍建築や珍木・名木、小鳥居、犬矢来、石亭、縁石、角石、狛犬、猛獣のレリーフ、壷庭、鬼門、ステンドグラス、金物、消火栓、銭湯、西洋館、マンホールの蓋、張り紙等々、ありとあらゆるディテールが発見され、観察されている。京都人にとっては全く理解できない「宇宙人」の視点かもしれない。しかし、京都人でも、「ええっ」と思うような発見があるのではないか。路上観察学会は、「純粋観察」を標榜する。「純粋」観察がいかに成立するかは不明であるが、「路上」の観察は、あるいは「路上」からの観察は、大きな京都への接近方法である。路上からの接近といってもいろいろある。ディテールはディテールでも、『仕組まれた意匠ーーー京都空間の研究』(  )の方が「京の意匠」についてのはるかにオーソドックスなアプローチとなっている。要は視点であり、視角なのである。 

 「見知らぬ町を見慣れた町のように見る。見慣れた町を見知らぬ町のように見る。」といったのはW.ベンヤミンであるが、この眼の往復運動は基本的なアプローチとしてどこでも通ずる筈だ。と格好をつけて、とにかく、京都の町を歩きだした。今までに5回ほどになろうか。

 まずは、新町通り、西洞院通りを南北に歩いた。京都の都心、山鉾町の中心である。町家の落ち着いた佇まいよりも、駐車場やマンションでがたがたの町並みに驚いた(  )。続いて、二度目は伏見へ飛び出してみた。伏見の大手筋は買い物などで日常的にも親しくなりつつあるのであるが、秀吉の城下町の骨格を感じることができる。近世の洛中と洛外、南と北の断層が見えた。松ノ木町40番地の印象は強烈であった。高瀬川の姿も木屋町あたりとは同じ川かと思う程違う(  )。三度目は、上七軒、下之森、四・五番町、島原、六条柳町、五条橋下、祇園とかっての花街をめぐった。洛中の周縁をぐるりとめぐったことになる。角屋の見学が主目的であったのだが、洛中のスケールを身体で実感できた(  )。四度目は、太秦から三条通りを河原町まで歩いた。京都横断である。都心の三条通りには近代京都の厚みが残る(  )。五度目は、鴨川を出町柳から七条まで歩いた。鴨川からの眺望は無惨。東山は見えかくれもしないほど。橋の下のスコッターたちの住まいが印象的であった(  )。

 歩きながらの学習である。もちろん、ただ歩いても仕方がない。しかし、歩きながら京都の歴史をひもとけばよく頭に入る。京都はそうした意味では日本史の書物のような都市だ。一般的な歴史の学習ばかりではない。研究室には、特に、歴史的環境、地域文化財に関する膨大な調査研究の蓄積があった。また、「保存修景計画研究会」といったオープンな研究会が続けられている。おかげで、わずかな時間にしては、随分と勉強できたような気がしないでもない。

 京都に移って、すぐさま調べたのは祇園である。バブル経済に翻弄される実態を所有関係の変化から探ろうとしたのである。また、いきなり「町家再生研究会」(望月秀祐会長)に加えて頂いた。相続税についての具体的検討などを通じて町家をめぐる厳しい状況が理解される。研究会は、例えば橋弁慶町の町会所の改築問題など実践的課題を眼の前につきつけられている。さらに、横尾義貫先生の御下命でより一般的に「町家再生のための手法」について考える作業もある。

 以下は、以上のようなささやかな京都体験に基づく京都論のためのノートである。

 

 世界の中心としての京都

 「京のいけず」とか「京のぶぶづけ」とかステレオタイプ化された一連の京都論、京都人論があるのであるが、そうした中に「東京は日本の中心かもしれないけれど、京都は世界の中心であると、京都人は思っている」というのがある。京都府建設業協会の出している雑誌「建設きょうと オープン・フォーラム」で読んだ。京都府建設業協会は、全国に先駆けて「現場作業服のファッション・ショー」(SAYプロジェクト)を開いたり、今また「年収1000万円プロジェクト」などを展開するなど極めて活動的である。京都は他に先駆けて新しいことをやるべきだという意気込みがその先進的プロジェクトの数々に現れているように見える。なるほどと思う。

 京都は日本の都市のなかで唯一特権的な都市である。「京都はただの地方都市になってしまった」という言い方がよくなされるのであるが、それも京都を特権的なものと考える裏返しの表現だろう。

 第一、千年を超える歴史をもった都市は世界にもそうはない。ローマ、北京、イスタンブール、・・・ぐらいであろうか。新たな都市が生まれてやがて衰退する。都市にも栄枯盛衰があり、生死があるのはむしろ自然である。17世紀の初頭、東国の寒村であった江戸、東京を考えてもいい。今、その東京はほぼ平面的広がりの限界に近づき、このまま行けば「死」を迎えるしかないであろう。過飽和状態に至って、新たなフロンティア(ウオーターフロント、ジオフロント・・・)を求める動きが顕在化したのがこの間の様々な東京改造の動きであった。少なくともさらに数百年の首都であり続けるかどうかは大いに疑問である。千年の都であり続けた京都は希有の存在なのである。

 第二、京都には千年の都としての世界的な遺産がある。千年の都といっても、建設された都市がそのまま生き延びるということではない。江戸は火事で頻繁に焼けたし、東京にしても、震災、戦災で、繰り返し白紙に還元されてきた。京都だってそうである。むしろ、ドラスティックな変転を経験してきたのが京都である。大火も何度も起こっている。今、世界遺産条約に登録申請を行なうほどの遺産が残されたのはある意味では偶然かも知れない。京都は有力な原爆投下目標地として、通常爆撃禁止という措置により温存されており、小規模な空襲しか受けなかったのである。また、陸軍長官スティムソンの反対で、たまたま原爆投下の候補地から外れただけだからである(  )。しかし、残された歴史遺産、文化遺産の厚みはその特権性の大きな根拠である。

 第三、京都は日本的なるものの源泉である。そうした意味で「日本」の中心である。日本文化の原型、日本的美意識といったものは全て京都で生み出されてきたものである。京都は宿命的に「日本」を背負った都市である。「日本」というアイデンティティーが問われ続ける限り、「京都」も問われ続ける可能性がある。

 東京遷都により、京都は千年に及ぶ首都としての地位を失った。京都の最終的「危機」はこの時に始まったとみていい。首都機能という意味では、既に江戸にその役割を譲ってきた。そして、天皇の居住地という天皇制のシンボルとしての京都はそのアイデンティティを失ったのである。「天皇は遷都宣言をされていない」、「天皇は京都にお戻り下さい」といった主張は今でも京都で根強い。京都が京都である第一の根拠だからである。

 京都が京都である根拠を失い、衰微していくが故に、京都「府」は京都を活性化するために積極的な近代化策をとる。学区制に基づく小学校の創設、病院や各種文化施設など全国に先駆けてつくられたものは数多い。職制や戸籍の導入なども同様である。近代技術の導入も実に積極的であった。琵琶湖疎水しかり、蹴上の発電所しかり、市電しかりである。明治28年(1895年)の平安遷都1100年記念の年の京都は大いに元気であった。具体的な記念事業は平安京を模した大極殿(平安神宮)の建設、『平安通志』の編纂、第4回内国勧業博覧会である。博覧会には、京都市の人口の3.3倍の113万人が入場したのだという。この年、時代祭がつくられ、疎水の発電所の電気で市電が走った。街厠(公衆便所)がつくられたのもこの年だ(  )。

 それから100年、建都1200年を迎えた京都はどうか。いささか盛り上がりに欠ける。建都1200年記念事業の規模といい、意欲といい、建都1100年の時には及ぶべくもない。何故か。少なくとも、首都機能の喪失は決定的な形で明らかになりつつある。政治的、経済的、社会的中心ははっきりと東京へと移動したのである。それに対して、首都(あるいはその機能)の復権は果たして如何に可能なのか。

 文化や学問に特化する方向がある。「京都学派」や「アカデミー賞」が強調される。文化的中心、首都としての京都の地位の保持である。一方、徹底して「アンチ東京」、革新の政治的立場を貫く主張がある。いずれも中心(反中心を含めた)志向の発想である。首都機能が一方的衰退していく中で、国賓のための「和風」迎賓館が今テーマとなるのはよく理解できる筈だ。また、大学の洛外移転による都心の衰退が大問題とされるのも、単に経済的理由からだけではないのである。

 第二、第三の京都の存在根拠はどうか。世界的遺産としての京都が危機に瀕していることを示すのがこの間の景観問題である。また、「日本」=「京都」というのも果たして絶対的であり続けるかどうか。「京都」を特権的な都市であらしめてきた根拠が失われるとすれば、「京都」は滅びるしかないであろう。坂口安吾の「京都」滅亡論(   )は、京都再生論の対極に位置し続けているように見える。 

 

 日本の都市の鏡としての京都

 京都もまた生活者の都市である。生活している人々によって生きられてこそ生きた都市でありうる。実際どんな都市であれ、それを支えてきたのは生活者の論理である。「京都の博物館化」、「京都のテーマパーク化」   )が一方で極論されるのであるが、京都の場合、むしろ特に、生活者の論理を強調してきたように見える。「町衆」の論理である。京都「市民」への道を「京戸→京童→町衆→町人」とたどった林屋理論がそのベースである(   )。

 東京から京都へ移り住んで色々気づくことがあるのであるが、否応無く感じるのは地域共同体、隣保組織の根強さである。例えば、祇園祭がある。祇園祭に山鉾を出す山鉾町のコミュニティー組織の結束は根強いのである。例えば、地蔵盆がある。これまた大きく変容しつつあるのであるが、今猶、随分盛んなように見える。少なくとも、町を歩くと、ここそこに地蔵堂がある。余所者には実に印象的である(   )。

 いま、山鉾町のコミュニティー組織や屋台保存会は大きな変容を迫られている。都心のブライト化によって、人口がどんどん減りつつあるのである(   )。地価高騰、相続税等の問題で再開発圧力が強まり、町家の町並みも変わる。山鉾町を歩いてみると、ところどころに虫食いのように空き地や駐車場がある。セットバックして建てられるビルと町家の町並みはガタガタである。象徴的なのは町会所である。四条通りなどの大きな通りに面した町会所は、間口の狭いビルに建て替えられつつあるのである。

 東京の下町でもいい、あるいは、地方都市でもいい、都市化の進展とともに地域の共同体は一様に解体のプロセスを辿ってきた。京都もまた同じである。都心の小学校の統廃合問題がその象徴だろう。町衆の伝統をベースに全国に先駆けて住民の発意で小学校をつくったのが京都の各町である。祇園祭を支える山鉾町に代表される京都の地域共同体がどうなっていくかは京都の行方に大きく関わっているといっていいだろう。

 京都のそうした地域共同体のあり方に決定的なインパクトを与えてきたのは経済の論理である。あるいは産業化の論理である。その趨勢の及ぶところ、如何に特権的な都市「京都」といえども免れることはできない。否、特権的であるが故に、開発のターゲットが京都に向けられるそんな構造があるのである。

 例えば、祇園がいい例だ。四条大橋から八坂神社へ向かう四条通りの両側には駐車場が目立つ。また、空き家も少なくない。いわゆる「東京の地上げ屋」の仕業だという。一極集中の核としての首都東京にまず顕在化し、やがて、地方に波及して行ったバブル経済の猛威は、日本の諸都市をすっかり翻弄してしまったのであるが京都も例外ではないのである。というより、最も翻弄されたのが京都であり、祇園のような町であった。京都を代表する「町」のひとつである祇園。京都の「応接間」といわれるように、接待文化の中心である。芸やマナーの伝統を支えてきた。そうした町で、路線価格がわずか三年で十倍以上に跳ね上がった。例えば、四〇坪の借地の評価額が十億円で相続税は約一億円になる。住民は住めなくなる。それだけではない。舞子さんや芸妓さんのなり手がいなくなる。仕出し屋さんの後継者の問題もある。町家を修理したり、改築したりする大工さんだって危うい。「町」を支える構造が大きく揺らいでいるのである。西陣のような伝統産業の町の衰退は産業構造の転換そのものに関わり、そこでも町の構造そのものが問われているのは同じである。

 1991年秋、「祇園地域の歴史的まちづくりを考える」シンポジウムが開かれたのであるが、大袈裟に言うと、その会場には「東京資本」に対する怨嗟の声が満ちていた。しかし、祇園で起こりつつあることを「東京の地上げ屋」のみのせいにすることは誤りである。また、相続税や地価税など税制のみのせいにするのも誤りである。売るものがいるから買われるのであって、問題の根は地域の中に存在している。言うまでもなく、その根底にあるのは日本の各都市に共通の問題だ。地上げ屋の論理、経済の一元的論理が支配するとすれば、京都は確かにただの「地方都市」になりつつあるといっていいのである。

 何故、京都がターゲットとなるのか。いうまでもなく、それだけの環境資源、歴史資源、地域資源を持っているからである。全国の各都市の問題を象徴するからこそ京都の問題が象徴的に取りあげられるのである。モヒカン刈りの一条山、大文字の裏山などスキャンダラスな問題が頻発するのも、裏返して見れば京都のもつポテンシャルを示すものであろう。

 「京都ホテル」、「JR京都駅」の問題にしてもそうである。高さが象徴的に問題とされるであるが、そこで問われているのは単に高さではない。その根底において問われているのは町づくりの論理であって、経済性という一元的な尺度によって、自然や文化や歴史や景観が切り捨てられていくその論理が激しく問われているのである。

 京都について大谷幸夫は次のようにいう(   )。

 「ごく一般論として言えば、日本の中でまあ一応、最も古い都市でしょ、歴史を持った。だから歴史的文脈とか論理とか、歴史的成果を蓄積されて、あるわけでしょ?・・・都市は事実に基づいて考えろっていう主張から言って最も根拠を持ってる、事実が意味と根拠を持ってるわけよね。その京都でまともな都市計画ができなかったら、日本の都市でどこでできるんだって言いたいわけね。」

 確かにその通りである。

 

 京都オールタナティブ

 具体的な都市、京都について今何が問題なのか。

 京都ホテル、JR京都駅、京都市コンサートホール、京都市勧業会館、和風迎賓館、市庁舎建替、・・・いくつか具体的な建築物の建設をめぐる問題がある。また、高速道路、地下鉄、幹線道路などインフラストラクチャー整備の問題は都市計画の基本問題としてある。また、関西文化学術研究都市の建設、梅小路公園の建設、二条城駅周辺整備事業、京都リサーチパークの建設など開発、再開発の地区整備の課題がある。より構造的な問題としては、経済活性化の問題があり、産業構造のリストラクチャリングの問題がある。「新京都市基本計画」には様々な課題が網羅的に、また、地区毎の課題とともに挙げられているところである(   )。

 こうした様々な都市計画的課題は日本のどの都市においてもそれぞれに問われることではある。しかし、京都には京都故に特権的に課題とし得るテーマがあり、議論がある。新京都市基本計画は、「平成の京づくりー文化首都の中核をめざして」とうたうのであるが、「世界性」、「中心性」のテーマをどう展開するかがまずキーとなる。京都への遷都論、和風迎賓館など首都機能の建設、国際日本文化研究センターの建設、「国際歴史都市研究センター」構想、「国際木の文化研究センター」構想などがそれに関わる。日本の文化の固有性に関わるセンター機能の特権をどう展開するかである。このレヴェルの主張は、京都の新しい経済センターを建設するとか、洛南に新たな都心を造るといった主張とははるかに次元を異にする。京都をめぐる議論がすぐさま錯綜し始めるのは理念としての京都と現実の京都が同一レヴェルで語られるのが常だからである。

 とはいえ、現実の京都をどうするのか、というのは大きな問題である。景観問題がこの間大きくクローズアップされたことが示すように、一方で、大変な危機感があるように見える。しかし、一方で、意外にクールな眼もある。「何も困っていない。何があっても、1200年の京都はびくともしない。」という層も少なくないのである。「京都はこれまでも新しいものを取り入れながら、古いものとの調和を計りながら生きてきた。これからもそうであろう。」という底抜けの京都肯定論である。京都の景観が破壊されることに、より危機感があるのは観光客であったり、観光客に依存する層である。あるいは傍観者としての京都以外の居住者なような気がしないでもない。

 京都肯定論の裏には、かなりニヒリスティックな京都論、京都滅亡論もある。もう手遅れだ、なるようになるしかない、という。しかし、通常、京都の経済的地盤沈下を問題として活性化を訴える京都開発論がそれに対して対置される。というより、現実の京都をつき動かしているのは、開発の波であり、再開発への蠢きである。それに対して、古都の自然や町並みの景観を守ろうという京都保存論がある。もちろん、論議の順序は逆である。京都を開発の波が襲うことによって、京都の景観が失われる。そこで京都の景観を守れ!と声が上がり、それに対して、「景観で飯が食えるか」という活性化論が切り返すというのが構図である。

 そこで問題なのは議論が極めて単純化されることである。京都開発論に対して、京都凍結論が出される。木造都市復元再生論が出される。地下都市論が出される。京都博物館化が訴えられる。いずれも極論である。京都の完全な木造都市としての復興、完全地中化の主張など「保存」という名の大変な開発論である。一方、京都を更地にしてしまおうという活性化論などないのである。保存と開発という二分法が決して有効ではないことは明白であるにも関わらず、極論の提示によって議論が閉鎖される。思考の怠慢である。

 南部開発、北部保存という緩やかな了解も同じ様な単純化がある。南北一体化が一方で大声で主張される(   )のは京都がそれ自身、南北問題、洛中ー洛外問題を抱えているからである。北部は保存、南部は開発と決めつけるにはいかないし、また、単純な一体化もそう簡単ではないのである。

 建築物の高さだけが問題とされるのであるが、これまた議論の単純化である。何がどこからどのように見えないといけないのか、そんな議論が少しも深まらない。京都ホテルやJR京都駅以前に既に問題は顕在化していた筈であるにも関わらず、何故、より一般的な問題として突き詰められないのか。例えば、町家再生の問題がある。町家を何故再生しなければならないのか。再生すべき町家とは何か。基本的な議論が一般化されていない。また、それ以前に、町家の町並みがガタガタに崩れていくメカニズム(経済原理、税制、消防法など法・制度)は誰もが指摘するけど一向にメスが入らない。単純化した主張は確かにわかりやすくセンセーショナルではあるけれど、一方で、現実の様々な矛盾を覆い隠してしまうのである。

 そこで何が必要とされるのか。ひとつには強力なリーダーシップである。歴史的にみても、あるいは近い例としてミッテランのグラン・プロジェをみても、思い切った都市計画の実現には巨大な権力が必要とされる(   )。しかし、おそらく、それは京都には、あるいは日本には馴染まないだろう。可能性があるとすれば、京都のこれからの壮大なヴィジョンとして、可能な限り英知を集めたコミッティーによって立案されたプログラムをしかるべきプロセスにおいてオーソライズし、建都1300年に向けて着実に実行していくというシナリオである。 

 しかし、何よりも必要なのは個別の具体的な実践である。日本の都市計画が最悪なのは決定のプロセスが不透明で曖昧なことである(   )。オープンな議論の上でしかるべき機関とプロセスにおいて決定し、実践する、そうした回路が不可欠である。個々のモニュメンタルな建築物の建設についても開かれた場における徹底した議論が必要である。議論が曖昧なまま中途半端な形で残されたまま事態が進行していくのは実に不健康なことである。

 数々の提案は以上にみたように既にある。また、様々なまちづくりのグループも多い。そうだとすれば何が必要か。都市計画のためのユニークな仕組みを創り出しうるかどうかこそが京都に今問われていると言えはしないか。同じ制度同じ手法を前提にする限り、これまでの遺産という特権が残されるだけである。遺産を食いつぶしていくのもいい。ただ、新たな遺産を創り出していく仕組みの再構築がなされないとすれば建都1300年にはもしかすると京都は京都でなくなっているかもしれない。わずか2年の観光客の眼にはそんな根拠の無い不安も沸きつつある。

 

 

註1 赤瀬川原平 藤森照信他 新潮社    

註2 川崎清 小林正美 大森正夫 鹿島出版会    

註3 脇田祥尚 「祇園山鉾町周辺の伝統と変容」(「京都 歩く・見る・聞く①」 『群居』30号     月)

註4 青井哲人 「伏見へ出る?」(「京都 歩く・見る・聞く②」 『群居』31号       月)

註5 堀 喜幸 「遊里めぐり」(「京都 歩く・見る・聞く③」 『群居』32号     月)

註6 荒 仁 「「京の横断面」ー三条通りを歩く」(「京都 歩く・見る・聞く④」 『群居』33号     月)

註7 鎌田啓介 「鴨川を行く」(「京都 歩く・見る・聞く⑤」 『群居』34号       月)

註8 吉田守男 「奈良・京都はどうして空襲をまぬかれたか」『世界』   号、   

註9  井ケ田良治、原田久美子編 『京都府の百年』、山川出版社、   

註10 坂口安吾 「日本文化史観」、坂口安吾著作集、ちくま文庫 

註11 堀 貞一郎 「完全なテーマ・パーク=京都を」、『京都2001年ー私の京都論』所収、かもがわ出版、   

註12 林屋辰三郎 『町衆』、中公新書、   

註13  地蔵盆とコミュニティー組織についてはいくつか研究があるが、地蔵信仰と地蔵の配置をめぐっては、竹内泰君が「聖祠論」として研究中である。

*14 中村淳 「歴史的都市における地域コミュニティーに関する研究」(    年度 京都大学修士論文)

*15 大谷幸夫 「時日に基づかない都市計画」、『建築思潮』02号、学芸出版社、   

*16 京都市企画調整局、    月。本特集の内田俊一京都市助役(前企画調整局長)論文参照。

*17 京都南北一体化研究会、『京都が蘇るー南北一体化への提言』、学芸出版社、   

*18 磯崎新・原広司、「消滅する都市」、『建築思潮』02、    年。および本特集巻頭対談参照。

*19 拙稿 「都市計画という妖怪」、『建築思潮』02、     

2023年3月3日金曜日

京都グランドヴィジョン研究会,雑木林の世界89,住宅と木材,199701

京都グランドヴィジョン研究会,雑木林の世界89,住宅と木材,199701

 雑木林の世界89

京都市グランドビジョン研究会

布野修司


 幸運なことに「京都市グランドビジョン研究会」に加えて頂いて、この半年京都のグランドヴィジョンについて考えている。「新京都市基本計画」が策定されたのが一九九三年三月のことで、まだ日が浅いのであるが、その目標年次は二〇〇〇年であり、二一世紀のビジョンが欲しいということである。その基本計画にも「二一世紀京都のグランドビジョンづくり」が唱ってあり、長期的な構想を立てようと言うのである。

 ジャンルを異にする諸先生方の報告とそれをめぐる議論はそれ自体知的刺激に富む。まして、具体的政策提言に関わるとなると議論はしばしば白熱化する。もったいないことに何回かは欠席を余儀なくされた。とても全貌を把握できているわけではないが、印象に残ったことをいくつか報告してみよう。研究会は、まだ続行中で、中間報告をまとめようとしている段階である。

 研究会のテーマ、政策課題の抽出に当たっては、「ひと」「まち」「なりわい」という三つの視点が設定された。「ひと」ー基本的な市民生活の姿や、市民意識などに関わる視点、「まち」ー都市施設や土地利用、交通システム、環境などに関わる視点、「なりわい」ー都市の産業、生業、企業のあり方に関わる視点の三つである。そして、具体的には、「暮らしの充実」「新しい都市活力の創造」「都市ストックの活用・再生」「国際社会における京都の位置の確立」「循環型・環境共生型社会の実現」の五つのテーマが設定された。研究会メンバーは、この五つのテーマのいずれかを選択し報告することが求められ、議論を重ねてきたのである。

 この五つのテーマは、もちろん、京都市に固有なものではないだろう。問題は中身であるにしても、スローガンとしてのテーマ設定だけなら他の自治体においても共通のフレームになるはずである。また、あれもこれもと字づらだけ総花的に並べてもはじまらないだろう。メリハリを効かせる必要もある。

 さらに、そもそもグランドビジョンとは何か、という議論もある。単に、言葉の上での提案では何の意味もない、という問題意識はメンバーにおいて当初から共有されていたように思う。

 単なる提言では意味がない。その実現性をどう担保するかが問題である。というのは僕の当初からの主張でもある。全国で自治体の数だけ「基本構想」が立案されるけれど、立案された瞬間に歴史的資料になるといった質のものが余りに多すぎるのである。報告書ができてもそれでお仕舞い。しかも、どの自治体の報告書も似たり寄ったり、というのではグランドビジョンとは呼べない筈である。

 長期的なビジョンをもつことはそれぞれの自治体において極めて重要なことである。百年後の姿を想定した上で、ここ一〇年の施策の方向を定める、そうしたパースペクティブが今必要とされている。「百年計画のすすめ」も、かねてからの僕の主張である。しかし、任期で縛られる首長の施策は、往々にして近視眼的なものとなりがちである。それに百年の計となると、予測不可能なことも多い。グランドビジョンをめぐる議論が継続される場(京都賢人会議、グランドヴィジョン委員会・・・)が恒常的に設定される必要があるというのが、僕の意見である。

 今回の提案は議会の承認を得て正式のものとなるということなので、一定の方向づけについては担保されることになる。しかし、グランドビジョンの策定過程、システムが既に問題である。研究会はインフォーマルなものであるが、策定過程の透明性が確保することが方針とされ、策定段階からさまざまな方法で市民参加の手だてを講じることになっている。具体的には、種々の提案募集(コンペティション)、シンポジウム、TV討論などが連続的に企画されつつあるのである。

  さて中身であるが、それ以前に、それぞれの京都論というか、京都とのスタンスの取り方が興味深い。研究会メンバーでもある戸所隆(高崎経済大学)先生は、京都論を四つのパターンに分類する(「新しい京風空間の創造ー歴史都市の未来」『京が甦る』二場邦彦+地域研究グループ編、一九九六年七月)。

 ①「内からみる内なる京都」論

 ②「内からみる外なる京都」論

 ③「外からみる外なる京都」論

 ④「外からみる内なる京都」論

 見るところ、研究会メンバーは、ほとんど①②ないし④の範疇であろうか。戸所先生は日本全体から見れば、ほとんどが④の範疇ではないかという。①自体は研究会ではあまり声にはならない。従って、京都に住み、京都を自分のまちと強く思いながら、京都と完全に一体になれず、批判的に見る②のパターンが研究会の基調である。

 研究会でまず大きな問題になったのは、京都をどう位置づけるかということである。様々な指標が提示され、他の政令指定都市との比較が試みられた。真っ先に提起されたのは、豊かさの指標とは何か、豊かさは何によって計れるのかということである。

 数次で比べると、全国で何番目といった事実が分かる。「京都の着だおれ」というけれど、京都の人はあんまり被服費にお金を使っていないといった意外な事実も出てきた。しかし、そうした数字を並べても、必ずしも、京都の特性を捉えたことにならないのではないか。そのレヴェルでは、京都は只の地方都市だということになる。

 そこで、京都にしかないものは何か、という議論が出てくる。また、京都において変わるものと変わらないものとは何か、百年後にも残っているものは何か、ということになった。この発想こそ、京都に限らず、各自治体で試みられるべき思考実験である。

 京都の場合、日本においては明らかに特権的な都市だ。千年にもわたって首都が置かれた歴史都市なのである。また、歴史都市(古都)としての環境(景観)資源を有しているのである。「新京都市基本計画」が「文化首都」を唱うように、その特権性はセンター機能にある。基本理念は「世界の中心としての京都」あるいは「世界都市としての京都」である。

 と、言い切ると、京都の現状のいささか力不足な面も見えてくる。それをどう強化するのか。グランドビジョンの道筋も見えてくることになる。

2023年1月15日日曜日

シンポジウム:司会:歴史的街並みの活用とコミュニティ創生に関する東南アジア(ASEAN)専門家会議, 梶山秀一郎 木下龍一 東樋口護,京都市景観・まちづくりセンター・日本建築学会 第三世界歴史都市・住宅特別研究委員会,19991106ー07

 シンポジウム:司会:歴史的街並みの活用とコミュニティ創生に関する東南アジア(ASEAN)専門家会議, 梶山秀一郎 木下龍一 東樋口護,京都市景観・まちづくりセンター・日本建築学会 第三世界歴史都市・住宅特別研究委員会,19991106ー07