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2023年2月13日月曜日

ベトナム・カンボジア行,雑木林の世界76,住宅と木材,199512

ベトナム・カンボジア行,雑木林の世界76,住宅と木材,199512

雑木林の世界76

ベトナム・カンボジア行

布野修司

 

 第3回かしも木匠塾が開かれた(一九九五年一一月二五日 岐阜県加子母村)。という位置づけなのである。アジアを飛び回っているからやりなさいということらしい。

 非西欧の建築史というと、ヨーロッパ、アメリカを除いたアジア、アフリカ、南アメリカの建築史が対象となるが、とりあえずアジアの建築史が中心になる。戦前期までは「東洋建築史」という科目があったのである。しかし、アジアといっても広いし、西欧の建築史のように教科書があるわけではない。新建築学体系の『東洋建築史』の巻は未だに刊行されておらず、新訂建築学体系(Ⅳー2)の『東洋建築史』(村田治郎 一九七二年改訂)があるだけである。それも「第一部 インド建築史」と「第二部 中国建築史」の二部からなるだけで他の地域はほとんど触れられていない。

 もう勝手にしゃべるしかない、というところであるが、幸いに『東洋建築史図集』(一九九五年六月)が刊行された。基本的な最小限の知識は『図集』に委ねることができるので、まあなんとかなるかということで出発した次第である。

 にわか勉強をしながらの四苦八苦であるがなかなか面白い。大変なのは時間が足りないことである。予定を組んでみると、中国建築史が二回か三回、インド建築史も二回か三回ということになる。二、三年試行錯誤して自分なりの見取り図を描きたいなどと不遜にも思い始めたところである。

 講義をするのに実際にものを見ていないと迫力がない。このところ、機会を捉えて、中国、インドへ意識して出かけているのは、実をいうとこの新しい科目のためであるが、今度、日本建築学会のアジア建築交流委員会の一員としてベトナム、カンボジアに行って来た(一〇月二八日~一一月七日 中川武団長)のも、「世界建築史Ⅱ」のためであった。東南アジアにはもう十数年通っているのであるが、ベトナム、カンボジア、ビルマといった社会主義圏には行く機会がなかった。不幸な出来事が続いたせいでもある。この際、見ておきたいということである。

 ハノイから入って、フエ、ダナン(ミーソンなどチャンパの遺跡群)、ホイアン、ホーチミン、プノンペン、シェムリアップ(アンコール・ワット、アンコール・トム)というコースである。行いが悪いのか、ダナンで台風にあってミーソンに行けなかったのは残念だったのであるが(水浸しのダナンを経験できたのであるが)、ベトナム、カンボジアの建築と都市の状況をおよそ把握できたように思う。チャンパ建築、クメール建築についてばっちり勉強できたことはいうまでもない。

 中国の影響の強い北部ベトナムは、木造建築の伝統が生きているのであるが、チャンパ、クメールとなると石の世界が卓越してくる。印象的な建築材料は島嶼部にはないラテライト(紅土)であった。

 今回の研修ツアーで印象に残ったものベストテンをあげてみよう。

 ①バヨン・・・三キロ四方のアンコール・トムの真ん中に建つ中心寺院である。一二世紀末、ジャヤヴァルマン七世によって建てられた。観世音菩薩の顔を四面に持つ塔が林立する世界に類のない建築だ。立体曼陀羅のように思い込んでいたのであるが(確かに大乗仏教の宇宙観を表すのは間違いないが)、増築増築が繰り返されて出来ている。迷路を歩くと実に多様に顔が現れる。不思議な建築である。

 ②アンコール・ワットの夕日あるいはプノン・バケンの夕日・・・他の寺院が東向きでほとんど唯一西向きであるアンコール・ワット(一二世紀前半)が夕日に浮かぶ様は一見の価値有りである。第一回廊にレリーフがピンク色に浮かび上がって来る様は実にすばらしい。また、塔の最上部からみる夕日は絶景であった。プノン・バケン(九世紀末)は第一次アンコールの中心にある山上寺院。

 ③タ・プロム・・・遺跡を熱帯の巨樹が喰っている。ここだけは手を入れず、自然のなすがままに放置されている。考えようによっては最も遺跡らしい遺跡(一二世紀末)。ベスト・スリーにいずれもアンコールの遺跡が入るのはそれだけ印象が強烈だったということか。

 ④金蓮寺・・・ホータイ湖に面して絶景の地に建つ木造の仏教寺院。ベトナムの建築についてはほとんど予備知識がなかったのであるが、独特の木組みである。南宋の影響と言うがベトナム風の木組みがありそうである。下屋は登り梁の上に直接母屋を載せ、垂木が横使いである。

 ⑤フエの王宮・・・北京の故宮を模した阮王朝(         )の王宮。スケールは及ぶべくもないけれど、こじんまりと佇まいがいい。そして、都市計画の原理が面白い。南北軸が四五度ずれて北西ー南東軸になっている。天壇は真南にあるのであるが、ソン・ホン川とヌイ・ング・ビン山に引きずられている。風水の原理がミックスされているのである。

 ⑥ミマン廟・・・阮王朝の歴代皇帝の廟の内、ソン・ホン川の中之島にあって堂々たる軸線の上に展開する第二代の廟がいい。他には、トゥ・ドック廟がいい。

 ⑦ハノイ  通り・・・町を歩く時間がなかったのは残念。ショップ・ハウスが密集するハノイの通称ハノイ  通りは圧巻。建築として面白いのは、プノンペンの中央市場。

 ⑧ホイアンの日本人町・・・日本の昭和女子大を中心とするチームが調査。保存的開発を展開中。かなりの観光地になりつつある。

 ⑨ダナンの洪水・・・膝上まで浸水するのは都市の下水が整備されていないから。しかし、巨木が倒れるのにはびっくり。熱帯の樹木は育つのは早いけれど根を張っていないらしい。しかし、ハノイにしても、フエにしても、シェムリアップにしても、東南アジアの都市は水の中の都市である。

 ⑩プノンペンの戦争犯罪博物館(トゥオル・ソン・監獄博物館)・・・サイゴン陥落から二〇周年。プノンペン陥落は一週間早かったという。しかし、一九七五年からの四年間は、ポルポトの地獄であった。博物館には正視に耐えない展示がなされている。

 



2022年12月11日日曜日

2022年9月19日月曜日

一見バラバラなように見える諸論考が、「都市・建築」の現在をそのまま示して居いる、書評・『都市・建築の現在』,図書新聞,20061125

 書評『都市・建築の現在』

一見バラバラなように見える諸論考が

布野修司

 

本書は、「建築史の研究領域を集成した、日本建築史上・日本出版史上の空前のシリーズ」をうたう全10巻の最終巻である。読者は、当然「都市・建築の現在」を歴史的パースペクティブにおいて位置づけ、「未来」を展望する論考を期待することになる。しかし、集められた諸論考は、あるものは「3 一九六八年――パリの五月革命をめぐる思想と建築」(五十嵐太郎)を論じ、あるものは「6 難民キャンプの現状」(森川嘉一郎)を論じといった具合で、一見バラバラなように見える。この論考のバラバラの寄せ集めは、「建築・都市」の多様性を浮かび上がらせるために「方法論的統一」を求めないとするシリーズに一貫する編集方針に基づくものであるが、「都市・建築」の現在をそのまま示しているというのが第一印象である。

各巻の趣旨は巻頭論文に示されるというから、石山修武の「序 現代の特質―何をもって現代とするか―」が、まず読まれるべきであろう。石山は、まず、建築の工業化=標準化(交通と差異)の問題をとりあげている。建築生産の工業化が「建築・都市」の現在のあり方を決定的に規定するという認識は多くの共有するところであり、極めてオースドックスだと思う。松村秀一論文「1 住宅の生産と流通」、清家剛論文「2 オフィスビルの表現」は、工業化技術の変遷をくっきりと跡づけている。具体的な建築家の建築作品を次々にあげる石山論文は、一般にはわかりにくいと思われるが、この二つの論文でおよそ「都市・建築の現在」は把握できる。松村論文は、プレファブ住宅の歴史を丁寧に描く最良のテキストになっている。清家論文によって、日本に限定されるがオフィスビルの歴史がよくわかる。石山の言うように、二〇世紀はオフィスビルの時代であり、世界中の都市景観を大きく変えたのはオフィスビルである。そして、鉄とガラスとコンクリートといった同じ工業材料によって、また同じ構法によって建てられた超高層が林立する世界中の大都市の景観が似てくるのは当然であった。

石山は、テクノロジーに主導されてきた建築のあり方の究極の姿をコンピューター技術に依拠するフランク・O・ゲーリーのビルバオ・グッゲンハイム美術館に見る。「この建築によって二〇世紀の建築は幕を閉じた」とまで言うが、それが標準化、あるいは「機械の美学」を乗り越えて、極めて遊戯的な、個人的な表現を実現している一方で、その表現が普遍的なコンピューター技術に支えられている、というのがその視点である。石山の文章全体は分裂気味(感覚的)でわかりにくい。「時間、すなわち眼の当たりにせざるを得ない現実の歴史性を生きるのは知覚に頼るしかない。それが、これからの現代の特質である。」と文章は結ばれている。

それに対して、巻末の鈴木博之論文「7 都市と建築 その機能と寿命」は、全巻のまとめの役割を担うが、基調としてわかりやすい。「都市・建築の強さと耐久性」をめぐって、日本近代の歴史を振り返った上で、「成熟期社会の都市と建築」を展望するのであるが、「これまでのスクラップ・アンド・ビルドという体系ではなく、継承と変化に対応する建築のための技術体系が必要とされるのである」というのが結論である。また、建築・都市の長寿命化のためには複合機能性が大事だという。そして、複合機能性を秘めた場所をつくることこそが環境の形成行為であり、文化を築くことだという。

ワイマール・バウハウス大学教授のヨルク・グライダー論文「4 病理としての建築――近代と「美学の生理学」」は、技術と芸術の二律背反の問題を美学の病理として問うている。中川理論文「5 環境問題としての風景論」は、開発と保存の問題を通奏低音としながら「景観問題」を環境問題として問うている。全体を通じて不満があるとしたら、評者が関心を持ち続けているアジア、あるいは発展途上地域の「都市・建築」の問題が触れられていないことである。西欧vs日本の構図が本書の基本に置かれている。この点では、アジアはともかく、日本の中の外国人居住の問題などに触れられず物足りなさはあるものの森川論文に好感をもった。グローバルな都市問題、居住問題は、大きく、先進諸国の「都市・建築」に関わる筈である。

通読して、建築家としての石山修武の「知覚に頼るしかない」という意味が少しわかる。近代建築の巨匠たちが絶大な信頼を置いてきたテクノロジーへの期待は最早ない。また、その延長であるIT技術の留まることのない展開の限界も直感してしまう。建築家がなしうるのは、「状況」を直感しながらつくり続けることである。「1968年」の状況に絡めて、五十嵐太郎は「より純粋な理念に走る思想のほうが過激であり、建築のほうが現実との妥協点をもとめてしまう。ここに思想と建築が交差する永遠のアポリアがある」と結論づける。問題は、「知覚」に頼って行われる現実との妥協の行方である。

果たして、建築の工業化の趨勢は大きく転換することがあるのであろうか。果たして、建築の長寿命化はどのように実現していくのであろうか。「環境問題」は、果たして、「都市・建築」のあり方をどのように変えていくのであろうか。本巻を通じて、以上のような基本的問題は浮かび上がっている。しかし、歴史を見据え、見通す方向性は見えない。近代建築批判の課題は依然として、問い続けるものとして「宙吊り」にされ続けているのである。


2022年7月19日火曜日

建築学の系譜:大江宏編:新建築学体系1 建築概論,彰国社, 1982年(国家・様式・テクノロジー・・・建築の昭和,布野修司建築論集Ⅲ,彰国社,1998年7月10日(日本図書館協会選定図書)所収)

 建築学の系譜:大江宏編:新建築学体系1 建築概論,彰国社, 1982年

布野修司:国家・様式・テクノロジー・・・建築の昭和,布野修司建築論集,彰国社,1998710(日本図書館協会選定図書)所収