このブログを検索

ラベル 京都新聞 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 京都新聞 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年5月17日火曜日

お願い条例,現代のことば,京都新聞,19970402

 お願い条例,現代のことば,京都新聞,19970402


お願い条例

 「建築物西側のバルコニーの外側の壁面から、建築基準法(昭和二十五年法律第二百一号)第四二条第一項第四号の規定に基づき指定された「都市計画道路○○号線」の境界線までの距離を、五メートル以上確保し、その空地を高木により緑化すること」

 以上のような勧告に対して「当該勧告を受けた者がこれに従わないので、規定によって公表する」との内容が、一月の末、ある県報に載った。景観条例に基づく勧告が公表されたのは、全国で初めてのことである。

 現在建設中の九階建てのそのマンションは、当初一〇階建てで計画され、何故かこの間の経緯の中で一階切り下げられた。一見そう変わったデザインではない。京都でも一般に見かけるマンションだ。当該都市でもとりたてて珍しいわけではない。ただ、そのマンションが建つ敷地が景観条例に基づく景観形成地区に指定されているのが大きな問題であった。

 県の景観審議会は正式の届出がなされて以降議論を重ねてきた。建主や設計者からのヒヤリングも行った。景観審議会は原則として公開である。現在、全国二〇〇にのぼる景観審議会のなかでも先進的といえるだろう。新聞やTVの取材にもオープンである。この間の経緯は全て公表されているが「勧告公表やむなし」というのが、全員一致の結論である。

 景観条例は建築基準法や都市計画法に比べると法的拘束力がほとんどない。「お願い条例」と言われる由縁である。建築基準法上の要件を充たしていれば、確認申請の届出を許可するのは当然である。裁判になれば、行政側が敗訴すると言われる。

 しかし、それにも関わらず勧告公表という事態になったのは、そのマンションがまさに条例の想定する要の地にあり、この一件をうやむやにすれば条例そのものの存在が意味がなくなると判断されたからである。

 県外の建主にとって理不尽な条例に思えたことは想像に難くない。近くには景観形成地区から外れるというだけで七五メートルの高層ビルが同じく建設中なのである。景観形成上極めて重要な場所であり、公的な利用が相応しい敷地である。だから、公共機関が買収するのが最もいい解決であり、審議会もそうした意見であった。県にはそのための景観基金もある。しかし、買収価格をめぐって折り合いがつかなかった。問題は、階数を削ればいいだろうと、建主が着工を強行したことである。その行為は「お願い条例」である景観条例の精神を踏みにじるものであった。地域のコンセンサスを得る姿勢が欲しかった。

 景観条例に基づく勧告公表は不幸なことであった。その結果、景観条例の精神が貶められたのを憂える。しかし、一方、法的根拠をもつより強制力のある景観条例を求める声が高まるのを恐れる。それぞれ地域で、よりよい景観を創り出す努力が行われること、その仕組みを創りあげることが重要であって、条例や法律が問題ではないのである。



2022年5月16日月曜日

エコ・サイクル・ハウス,現代のことば,京都新聞,19970203

 エコ・サイクル・ハウス,現代のことば,京都新聞,19970203


エコ・サイクル・ハウス

 PLEA(パッシブ・アンド・ロウ・エナジー・アーキテクチャー)釧路会議(一月八日~一〇日)に出席する機会があった。最後のシンポジウム「エコロジカルな建築」に討論者として出席しただけだから、全貌はとても把握するところではない。しかし、登録者数が一二〇〇名にもおよぶ大変な国際会議であり、今更ながらであるが、環境問題への関心の高さを思い知った。パッシブとはアクティブに対する言葉で、機械力によらず自然のエネルギーを用いることをいう。

 問題提起者のベルグ氏はノルウエイの建築家で、生物学者も参加するガイア・グループを組織し、エコ・サイクル・ハウス(生態循環住居、環境共生住宅)の実現を目指している。興味深かったのは、モノマテリアル(単一素材)という概念である。一次、二次が区別され、一次は木、藁、土など、要するに生物材料、自然材料、二次は、工業材料である鉄、ガラスなどである。要はリサイクルが容易かどうかで材料を区分するのである。

 自然の生の材料であること、製造にエネルギーがかからないこと、公害を発生しないこと、直接的人間関係を基礎としてつくられること、という基本理念を踏まえて提案された完全木造住宅のモデルも面白い。全て木材でつくられ、手工具だけで組み立てられるのである。

 今回は、寒い地域について考えようということであった。しかし、環境問題には、国際的な連帯が不可欠であり、南北問題を避けては通れない、というベルグ氏の発言もあって、湿潤熱帯では考え方も違うのではないか、といった発言をさせていただいた。高緯度では小さな住居が省資源の上でいいというけれど、湿潤熱帯では、気積を大きくして断熱効果を上げるのが一般的である。実際、湿潤熱帯には伝統的民家には巨大な住宅が少なくない。大きくつくって長く使うのである。地域によって、エコ・サイクル・ハウスのモデルが違うのはその理念からも当然である。

 建材の地域循環はどのような規模において成立するのかも課題である。樹木は育っているけれど、山を手入れする人がいない。輸入材の方が安い。建材をめぐる南北問題、熱帯降雨林の破壊はどうすればいいのか。大きな刺激を受けたのであるが、つい考えるのは東南アジアのことであった。インドネシアの仲間たちとエコ・サイクル・ハウスのモデルを考えようとしているせいである。

 二一世紀をむかえて、爆発的な人口問題を抱え、食糧問題、エネルギー問題、資源問題に直面するのは、熱帯を中心とする発展途上地域である。経済発展とともに東南アジア地域にも急速にクーラーが普及しつつある。一体地球はどうなるのか、というわけであるが、クーラーを目一杯使う日本人の僕らがエコ・サイクル・ハウスを東南アジ諸国に押しつけるなど身勝手の極みだ。まず、隗よりはじめよ、である。



2022年5月15日日曜日

既存不適格,現代のことば,京都新聞,19961224

 既存不適格,現代のことば,京都新聞,19961224


既存不適格 11

布野修司

 

 既存不適格。何となく嫌な言葉である。既に存在することがよくない、というのである。人間失格といったニュアンスがこの言葉にありはしないか。

 法律が改正(改悪?)されたとする。以前の法律であれば適法であるが、条件が厳しくなって新法だと不法になる。新法は旧に遡って適用しないというのが法理論上の原則ということで、つくり出されるのが既存不適格である。

 この既存不適格という言葉を一躍現代のことばにしたのは、阪神・淡路大震災である。新耐震基準導入以後の建物は比較的被害が少なかった。問題は、旧基準の既存不適格だった建造物である、という。あるいは、マンションが倒壊し、再建しようとすると元の通りには建てられない。建蔽(ぺい)率や容積率が厳しくなっていたためである。既存不適格建物に住んでいたことを震災にあって初めて知らされた人も少なくない。

 既存不適格の建物をどうするのかということは、もちろん、震災以前から問題であった。しかし、公的な施策としてはほとんど手だてが講じられてこなかったように思う。再開発が必要とされる木造住宅密集地区、すなわち、既存不適格の建物が集中する地区は、合意形成に時間がかかり、都市開発における投資効果が少ないということで置き去りにされてきたのである。

 既存不適格が問題であり、何らかの対応が必要とされていることは言うまでもない。しかし、既存不適格が問題だ、だからすぐにでも建て直す必要がある、ということではないだろう。不適格にもいろいろ次元がある。容積率の問題など都市計画次第である。既存不適格だから即建て直せ、という発想に対してはいささか違和感が残る。

 例えば、京都の町家を考えてみる。古い町家が残る京都は日本一既存不適格の建造物が多い都市である。しかし、だからといって、京都が日本一既存不適格な都市ということになるであろうか。仮に、それを受け入れざるを得ないにしても、既存不適格などとレッテルを貼られない、もっと積極的なまちづくりの展開はありえないのか。防災の問題は、必ずしも、個々の建造物の強度の問題ではないであろう。その維持管理の仕組みを含めた社会的なシステムの構築こそが問題なのではないか。

 逆説的に言えば、京都は既存不適格であるから京都らしいのである。あんまり誉められたことではないけれど、京都は全国的に見て違反建築も多いのだという。違反建築が多いのは既存不適格が多い現状ともしかすると関係があるのかもしれない。そこには全国一律の法律によっては統御されない原理がまだ生きていると言えるからである。建て替えによって全国一律の法律に従うことは、京都が京都らしくなくなることである。京都のジレンマである。



2022年5月14日土曜日

生きている世界遺産,現代のことば,京都新聞,19961102

 生きている世界遺産,現代のことば,京都新聞,19961102


都市型住宅:生きている世界遺産 10

 

 天沼俊一先生の『印度仏塔巡礼記』(一九三六年)とモハン・M・パントさんの『バハ・マンダラ』(一九九〇年)を携えてカトマンズの地を初めて踏んだ。バハとは仏教の僧院ヴィハーラからきたネパール語で、中庭を囲んだ住居形式をいう。アジアにおける都市型住宅の比較研究のための調査が目的でネパールの後インドへも足をのばした。ネパールではハディガオンという町の調査とトリブバン大学での特別講義が任務であった。

 カトマンズ盆地は京都盆地のおよそ四倍ほどある。ヒマラヤをはるかに望む雄大な盆地の景観はそこにひとつの完結した宇宙があるかのようである。古来ネワール人が高密度の集住文化を発達させてきた。カトマンズ盆地には、パタン、バクタプル、キルティプルといった珠玉のような都市、集落を見ることができる。カトマンズの王宮、パタンのダルバル・スクエア(王宮前広場)、バクタプルの王宮、そしてスワヤンブナート(ストゥーパ)などが世界文化遺産に登録されたことが、その建築文化の高度な水準を示している。

 カトマンズに着いて、いきなり、インドラ・チョークを抜けて王宮へ向かった。バザールの活気と旧王宮の建築の迫力に圧倒される。パタンのダルバル・スクエアにしても、バクタプルの町にしても同様である。世界遺産といっても遺跡として凍結されているのではなく町は実にいきいきと生きているのである。

 そのひとつの理由はすぐさま理解された。広場や通りに人々が集う空間的仕掛けがきちんと用意されている。具体的にはパティと呼ばれる東屋、ヒティ(水場)が要所要所に配されているのである。様々な用途に今でも使われている。

 そしてもうひとつは、都市型住宅の型がきちんと成立していることである。バハの他にバヒという形式もある。バヒはもともと独身の僧の施設で、バハは妻帯を行うようになってからの施設をいう。中庭式住宅であることは同じである。このバハ、バヒといった住居形式が都市の建築形式として、段階的に展開していく。それをパタンという都市に即して論じたのがパントさんの論文である。

 天沼先生の本を見ると多くの写真が載っていて丁度六〇年前の様子がよく分かる。一九三四年に地震があった直後の訪問で多くの寺院が破壊された様子が生々しいけれど、チャン・ナラヤン寺院、パシュパティナート、チャバヒ・バハ、ボードナートなど、今日の姿とそう変わらない。

 もちろん、カトマンズは急速に変容しつつあり、スクオッター問題も抱えている。しかし、今日までまちの景観を維持してきたきちんとした形式がある。カトマンズ盆地に日本のまちづくりを考える大きなヒントを得たように思う。アジアにも都市型住宅の伝統は息づいきたのである。特に京都には町家の伝統の上に現代的な都市住居の型を生み出す役割があると思う。

 


2022年5月13日金曜日

設計入札,現代のことば,京都新聞,19960910

  設計入札,現代のことば,京都新聞,19960910


設計入札            009

布野修司

 

  「東京都の水道局が、指名競争入札にした職員住宅の基本設計委託を、ある設計事務所が1円で落札しました。設計料のダンピングと設計報酬の自由についてご意見をお願いします」と、建築専門誌から求められた。

 絶句である。

 1円入札が、アイロニーとして行われたとしたら、あるいは建築界の談合体質へのプロテストとして試みられたとしたら、かろうじて意味があるのかも知れない。しかし、昔からこの手の話は耐えないのだからしゃれにもならない。恥ずかしい限りである。

 しかし、それにしても設計入札はどうしてなくならないのであろうか。公共施設の内容は、設計料の多寡によって決められるべきではない。入札が設計という業務に馴染まないことは明かではないか。にもかかわらず、それが無くならない建築設計業界の体質は絶望的と言わざるを得ないのかもしれない。京都の実態は果たしてどうなのであろう。

 どのように設計者を決めればいいのか。ある特定の公共施設に最も相応しい建築家が特命で随意契約によって選ばれる場合もあろうが、一般的にはコンペ(設計競技)によるのがいい。京都でもこれまでいくつか行われてきている。

 コンペといっても色々あるけれど、最近試みて面白いと思っているのが、公開ヒヤリング方式の指名コンペである。何も難しいことはない。従来審査委員会のみで行われているヒヤリングを公開で行おう、というだけである。一種のシンポジウムと考えればいい。半日の時間で、しかるべき場所さえあればいいのである。

 指名を受けた設計者たちは自らの提案を審査員のみならず市民に対してもわかりやすく説明しなければならない。仲間内でのみ通用する難解な建築的コンセプトを振り回してもはじまらない。競争者も同席しており、専門的な裏づけについてもしっかり答えなければならない。テーマの定まらないまちづくりシンポジウムなどより、はるかに真剣でスリリングである。

 血税を使って公共施設をつくるのであるから、その内容は市民に公開されるべきである。また、どのような施設が相応しいか議論されるべきである。公開ヒヤリングの場は既にまちづくりの第一段階ともなりうる。

 今のところ、島根県のいくつかの自治体で試みられ、島根方式と呼ばれ始めているのであるが、少しの努力でどんな自治体でもすぐにできることである。公共施設であるからには、それなりの時間と智恵を使って、少しでもいいものができるように努力がなされるべきである。建設費をもとに施工者を決めるのとは違う。まずは、どのような施設をつくるかが問題である。設計料が安いからというだけで設計者を決めるのはあまりにも乱暴である。設計入札など論外である。そして、設計入札に応じる建築家など論外である。

 



2022年5月12日木曜日

社区総体営造,現代のことば,京都新聞,19960420

  社区総体営造,現代のことば,京都新聞,19960420


社区総体営造           006

布野修司

 

 この春休みに台湾へ行ってきた。中央研究院台湾史研究所と台湾大学建築輿城郷研究所での特別講義が主目的である。折しも、台湾は総統選の渦中にあった。わずか十日ほどの滞在であったけれど、つぶさに総統選の様子を見聞きすることになった。

 中国の軍事演習でミサイルが飛び交うなど政治的緊張が予想されたが、市民はいたって平静であった。選挙戦はお祭り騒ぎで、人々はむしろ楽しんでいる雰囲気すらある。各党の集会にも顔を出してみたが、家族連れも多く、旗や帽子、警笛など様々な選挙グッズが売られ、各種屋台も並んで縁日の趣もあった。

 各党の主張の背後には、複雑な台湾社会の歴史があるが、それぞれの主張はわかりやすい。投票日は、午後四時の締切りと同時にその場で開票が行われた。「二号 李登輝一票」などと読み上げる声とともに「正」の字が書かれていく。それを住民たちが取り囲んで見る。臨場感満点である。日本の選挙文化との違いを否応なく感じさせられたのであった。

 ところで、こうして民主化の速度をはやめてきた台湾で、「社区総体営造」あるいは「社区主義」、「社区意識」、「社区文化」、「社区運動」という言葉が聞かれるようになってきた。「社区」とは地区、コミュニティのことだ。そして、「社区総体営造」とはまちづくりのことだ。「経営大台湾 要従小区作起」(偉大な台湾を経営しようとしたら、小さな社区から始めねばならぬ)というのがスローガンとなりつつあるのである。

 実は、この台湾のこの新しいまちづくりについて知りたいというのも今回の目的のうちのひとつであった。「社区総体営造」を仕掛けているのは、行政院の文化建設委員会である。幸い、その中心人物である陳其南氏、台北市でモデル的な運動を展開中の陳亮全氏(台湾大学)、黄蘭翔氏(中央研究院)などと議論することができた。

 「社区総体営造」を進めるときは社区から始めなければならない。しかも、自発的、自主的でなければならない。基本的に移民社会をベースとする台湾では、漢民族の家族主義が強いこともあって、コミュニティ意識が希薄である。まちづくりを考える上では、どうしてもその主体となるコミュニティの育成が不可欠であるという認識が出発点にある。

 社区毎に中、長期の推進計画が立てられる。社区の役割は住民のコンセンサスを得て、詳細の完備した地区の設計計画を立て、同時に資金の調達計画、経営管理計画を立てることが期待される。行政機関の役割は考え方の普及が中心で部分的な経費の支援のみである。

  十日の間、・・(ばんか)という台北発祥の下町地区に泊まって時間があれば地区を歩き回った。かってコミュニティの核であった廟がここそこにあるけれど、まとまりは失われつつある。こうした地区で「社区総体営造」はどのように展開できるのか。台湾の友人たちとともに考え始めたところだ。



2022年5月11日水曜日

職人大学,現代のことば,京都新聞,19960302

 職人大学,現代のことば,京都新聞,19960302


職人大学             005

布野修司

 

 「職人大学」の設立を目指して、サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)が設立されたのは一九九〇年の一一月であった。縁あってその集まりに当初から参加してスクーリングをお手伝いしてきたのだが、ようやく具体化の一歩を踏み出すところまで来た。

 産業構造の空洞化が指摘される中で、日本の経済成長を支えてきた中小企業からの次世代人材育成の要望が次第に輪を広げ、「職人大学の設立については、興味を持って勉強させていただきます」という首相の国会答弁を引き出すまでにはなったのである。

 SSFは、サイト・スペシャリストの集まりである。サイト・スペシャリストとは、耳慣れない言葉だが、日本語にすれば現場専門技能家となろうか。「優れた人格を備え、伝統技能の継承にふさわしい、また、新しい技術を確立、駆使することができる」新しい現場職人のイメージを表現したくてつくられた言葉である。

 SSFが設立された頃、建設現場における職人不足の問題が社会的に大きな話題となっていた。きたない、きつい、給料が安い=3Kということで、若者の現場離れが指摘され、建設職人の高齢化が大きくクローズアップされた。そうした中で、如何に現場を魅力あるものにし、現場で働く技能者の社会的な地位をどうしたら向上できるか、そんな思いで設立されたのがSSFである。同じ頃、作業着のデザインを考えたり、ビデオ作品を制作したり、いち早くイメージアップ作戦に取り組んだのが京都府建設業組合であった。

 バブルが弾け、失業率が増加し続ける現在状況は変わった。しかし、次代の建設産業を担う後継者の育成という本質的な問題は残されたままである。豊かになった日本の社会といっても社会資本としての都市環境、住環境は驚くほど貧しい。それを豊かに創りあげ、維持していくには、なによりもすぐれた職人が必要である。そして、例えば、ドイツのマイスター制度のようなサイト・スペシャリストを育てる社会的仕組みが必要ではないか。

 建築教育といっても、大学や工専、工業高校で行われるのは座学中心である。ほとんど机上の学習のみで現場のトレーニングがない。現場でのトレーニングをむしろ主とするそんな大学ができないか。偏差値で輪切りにするのでなく、現場の能力を多面的に評価できないか。サイト・スペシャリストが尊敬され、その技能にふさわしい収入も保証される、そんな社会のあり方は望むべくもないのか。

 職人大学の設立をめぐっては社会の編成に関わる実に多くの問題がある。従って、その実現へ向かってはさらに紆余曲折が予想される。しかし、少なくとも実験的モデルが必要である。具体的に現場でものをつくっていくすぐれた職人さんたちがいなくなるとすれば身近な環境はどうなるか。構造転換はここでも不可避のように思える。職人大学に期待するところ大である。



2022年5月10日火曜日

京町家再生,現代のことば,京都新聞,199601

 京町家再生,現代のことば,京都新聞,199601


京町家再生                004

布野修司

 

 阪神・淡路大震災から一年たった。自然の力の脅威、地区の自律性の必要、重層的な都市構造の大切さ、公園や小学校や病院など公共施設空間の重要性、ヴォランティアの役割、・・・大震災の教訓について数多くのことがこの一年語られてきた。

 しかし、具体的取り組みとなるといささか心細い。復興計画にしても、関東大震災後の復興、第二次大戦後の戦災復興と同じことの繰り返しではないか。もしかすると、大震災の最大の教訓は、震災の体験は必ずしも蓄積されないということなのだ。

 大震災は、日本のまちづくりや建築のあり方に根源的な疑問を投げかけることにおいて衝撃的であった。日本の都市のどこにも遍在する問題を地震の一揺れが一瞬のうちに露呈させたのである。そうした意味では、大震災のつきつける基本的な問題は、被災地であろうと被災地でなかろうと関係ない。震災の教訓をどう生かしていくのかは、日本のまちづくりにとって大きなテーマである。

  町家の家並みを、景観資源として、文化遺産としてどう残していくか、ということは京都にとって大きな課題である。震災直後、被災度調査ということで被災建物を随分見て歩いたのであるが、その眼でみると、はっきり言って不安も沸いてくる。問題はメンテナンス(維持管理)である。白蟻や腐食による老朽化が大きな被害につながった。最低限の教訓を生かす意味で、構造躯体の耐震診断を含めて、自宅の点検はしておく必要がある。

 繰り返し強調しなければならないけれど、木造住宅だから危ない、ということは決してない。しっかりした設計がなされていれば問題ないことは今回の大震災でも明らかである。木造住宅は駄目だという風潮は京町家にとって致命的となりかねない。少なくとも、現存する町家のストックを維持していく方策が一刻も早くとられるべきであろう。

 ところで、京町家再生ということになると実に大きな問題がある。防火規定があるところでは、京町家らしい木造住宅は既に建設できないのである。震災以前に、京町家再生のための手法を色々検討したことがあるのであるが、端的に言って、文化財として凍結的に保存する以外に制度的な手法がない。いかに日本の古都とはいえ、例外を認めない全国一律の建築基準法の規定がある。

 昔ながらの木造の京町家の街並みを建設することを可能にするための唯一の方法は、ずばり、都市計画で防火規定を外すことである。もちろん、様々な防火の措置が担保されなければならないけれど、そんなことが果たして可能か。

 しかし、もし、震災が京都を襲って京町家群が壊滅的な被害を受けていたとすれば、京町家の街並みをそのまま再生する方法はなかったのである。再生の手法がないとすれば京町家の街並みは既に死んでいると言ってもいいのではないのか。 



2022年5月9日月曜日

文化住宅と住宅文化,現代のことば,京都新聞,19950814

 文化住宅と住宅文化,現代のことば,京都新聞,19950814


文化住宅と住宅文化                001

布野修司

 

 関西で「ブンカ」というと「文化住宅」という一つの住居形式を意味する。ところが「文化住宅」といっても関東ではまず通じない。「文化住宅」という言葉がないわけではない。もともとは大正期から昭和初期にかけて展開された生活改善運動、文化生活運動を背景に現れた都市に住む中流階級のための洋風住宅(和洋折衷住宅)を意味した。

 関西で今日いう「文化住宅」は、従来の設備共用型のアパートあるいは長屋に対して、各戸に玄関、台所、便所がつく形式を不動産業者が「文化住宅」と称して宣伝し出したことに由来するらしい。もちろん、第二次大戦後、戦後復興期を経て高度成長期にかけてのことだ。住戸面積は同じようなものだけれど、専用か共用かの差異を「文化」的といって区別するのである。アイロニカルなニュアンスも込められた独特の言い回しだと思う。

 一般的に言えば「木賃(もくちん)アパート」だ。正確には、木造賃貸アパートの設備専用のタイプが「文化」である。「アパート」というと、設備共用のタイプをいう。もっとも、一戸建ての賃貸住宅が棟を連ねるタイプも「文化」といったりする。ややこしい。

 ところで、今回の阪神・淡路大震災において、とりわけダメージの大きかったのが「文化住宅」である。木造住宅だからということではない。木造住宅であっても、震災に耐えた住宅は数しれない。木造住宅が潰れて亡くなった方も多いけれど家具が倒れて(飛んで)亡くなった方も数多い。今回の震災の教訓は数多いけれど、しっかり設計した建物は総じて問題はなかったといっていい。しかし、メンテナンス(維持管理)の問題は大きかった。「文化住宅」は、築後年数が長く、白蟻や腐食で老朽化したものが多かったため大きな被害を受けたのである。

 激震地からはかなり離れているのに、半数以上が半壊全壊した「文化住宅」街がある。聞けば、高度成長期に古材を使って不動産会社がリース用「文化住宅」として売り出したという。不在地家主が一〇〇人近い、この三十年で持家取得した世帯が二〇〇近く、応急仮設住宅に住む借家人の世帯が二五〇、権利関係が複雑だ。復興計画のお手伝いを始めたのであるが、なかなか目途が立たない。

 それにしても「文化住宅」とは皮肉な命名である。「文化住宅」に日本の住宅文化の一断面が浮き彫りになっているからである。今回の阪神・淡路大震災は、日本の建築や都市がいかに脆弱な思想や仕組みの上に成り立っているかを明らかにしたのだが、とりわけ強烈に思い知らされたのは日本社会の階層性である。より大きな被害を受けたのは、高齢者であり、障害者であり、要するに社会的弱者であり、住宅困窮者であった。戦後の住宅政策や都市政策の貧困の裏で、「文化住宅」は日本の社会を支えてきた。それが最もダメージを受けた。実に悲しいことである。




2022年5月7日土曜日

私の京都新聞評「「景観と観光」掘り下げて」,京都新聞,20061008

 私の京都新聞評「「景観と観光」掘り下げて」,京都新聞,20061008 


布野修司

 「美しい国へ」というのが九月二六日に発足した安部新内閣のスローガンだという。「美しい国」と言われれば、「美しく」なくなりつつある国土を反射的に思う。具体的で身近な都市景観のことである。

景観の問題は、京都が深刻で、景観法の施行とともに新たなテーマとなりつつある眺望景観について危機的な現状が報告されている(「鴨川から見た東山、京都御苑 27眺望緊急対策必要」、九月一七日、地域総合面)。「景観は京の宝」(上田正昭、天眼、六月一七日)である。湖国近江にとっても景観が命であることは言うまでもない。東海道山陽新幹線から見える景観の中で、米原―京都間が最も美しいと思う。水利の秩序を基にした集落景観がよく残っている。しかし、滋賀でも、この間たびたび県南部のマンション建設ラッシュについて景観問題が報じられてきた。大津市中心街の区画整理頓挫(「地権者の合意確保が壁、景観配慮、今後の鍵」、九月一八日)は、問題の根を物語っている。

九月一九日、国土交通省は基準地価の調査結果を発表した。東京、大阪、名古屋の3大都市圏の地価は16年ぶりに上昇したという。京都市内も中古マンションの価格が分譲価格を上回り(「京の中心部ちょっとバブル!?」、二七面)、「大津・湖南の沿線上昇」である。地権者にとっては、地価上昇は歓迎すべきことである。しかし、不動産価格の上昇のみを追求することによって引き起こされてきたのがこの間の景観問題である。

「景観で飯が食えるか」というのが、マンション供給業者・地権者のセリフであるが、「景観」で飯が食えるようにならないものか。新幹線新駅問題で不明朗な土地取引が取りざたされるが、土地を投棄の対象にする国が美しい国土を生み出さないことははっきりしている。

キーワードのひとつは観光である。「京の観光力、めざせ集客5000万人」シリーズなど本誌は京都については観光をよく取り上げる。観光は単に数(指標)の問題ではない。観光客の数をめぐる読者の応答(「年鑑観光客数」どの程度正確?、九月一七日)が問題を投げかけている。要するに誰にとっての観光かという問題が根にある。滋賀について、大森猛日本観光学会会長が「民」中心の振興事業を訴える(一〇月二日)。大いに共感するが、貴重な観光資源である景観をなし崩しにしているのはそれ以前の問題である。新駅をいうのであれば、米原駅はなんとかならないものか。「景観」も「観光」も重要である。紙面で掘り下げて欲しい。

 

 

2022年5月6日金曜日

私の京都新聞評「防災への意識 紙面で検証を」,京都新聞,20060910

  私の京都新聞評「防災への意識 紙面で検証を」,京都新聞,20060910

 

2006年9月10日

布野修司

 九月一日は、「防災の日」である。今年も、全国各地で、京都市では南区一帯で(九月二日、一面)、滋賀県では、一日早い三一日に高島市で(九月一日、二五面)、三日の日曜日に県内二一会場で(九月四日、地域面)、それぞれに大地震を想定して防災訓練が行われた。高い確率で近い将来地震が起こるとされる琵琶湖西岸断層を抱える京滋の住民にとっては、日常的に、極端にいえば毎日震災に備えている必要がある(「襲う災害、安全どう守る」「防災の日」特集)。「首都圏で大規模停電」(八月一四日)などいつ来るかわからないのが災害である。しかし、「ハザードマップ、市町村6割「未作成」」(八月二三日、三面)、「木造住宅の耐震改修、6町、補助制度なし」(九月二日、二四面)という実態がある。継続的なキャンペーンが必要だと思う。『京都新聞』には日頃から防災関係の記事は多いが、「防災の日」を控えて、とりわけ、八月は防災関係の記事が目立った。「防災・減災フォーラム」の開催(京都、八月一九日。滋賀、八月二八日)など高く評価したい。

 今年の夏は、七月の九州、出雲に始まり、神奈川(八月一七日)、京都府南部(八月二二日)など、全国で水害が多発した。異常気象ということもあり、舗装が進んで雨水が一気に都市河川に流れ込むためにこのところ都市洪水が頻発する。一時間に50ミリ以上降ると下水管が対応できないという事情もある。

 現在、宇治川と大橋川(宍道湖-中海)について河川改修と景観をめぐる検討委員会に関わっているが、「治水」の考え方は大きく変化しつつある。100年とか150年に一度の確率で起こる大洪水に厖大なお金をかけるより、「減災」の方策をとろうという流れがある。国土交通省も「溢れさせて守る」という方針を検討中である。河村琵琶湖河川事務所長も、ハード対策だけでなく、「自分で、みんなで、地域で守る」ソフト対策が重要という(「水害自分で、地域で守れ」八月二九日、二四面)。地域の水防団の重要性も指摘される(「火災や水害で活躍、5団体、7個人が受賞」、八月一八日)。兵庫県には、いざというときに畳を土嚢代わりに設置する「畳堤」という伝統もある。

 嘉田新滋賀県知事にとって、新幹線新駅問題とともに「治水」対策は最重要課題である。防災・減災を様々な角度から掘り下げる継続的記事、特集を期待したい。


 

2022年5月5日木曜日

私の京都新聞評「地域版は教材の宝庫」,京都新聞,20060813

 私の京都新聞評「地域版は教材の宝庫」,京都新聞,20060813

布野修司

 受験者数の減少、独立法人化の流れの中で、大学は大きく変わりつつある。「特色ある大学支援48件」(八月五日、二五面)は、文部科学省の、いわゆる「特色GP」(特色ある大学教育支援プログラム)の2006年度分の発表である。京滋からは、同志社大、京都外国語大、京都精華大、滋賀大学が選ばれた。大学も、競って教育方法やカリキュラムの特色を競う時代である。

 滋賀県立大学は、この「特色GP」に先行する「現代GP」(現代的大学教育支援プログラム)に選定され(2004年度~2006年度)、最終年度の取り組みを行っている。「近江楽座―スチューデント・ファーム―」という愛称で呼ばれる、学生たちが地域の皆さんと共にまちづくりを学ぶプログラムである。そして続いて、今年度から文部科学省の科学技術振興助成「地域再生人材創出」プログラムの全国一〇大学のひとつに選出された(六月一日、二二面)。大学院に「近江環人地域再生学座」というコース(社会人向けコースも含む)を創設し(一〇月開講)、地域診断からまちづくりまでを組織化できる人材(コミュニティ・アーキテクト)の育成を目指す。

 大わらわでその準備に追われているが、そうした眼で見ると、地域版は情報、教材の宝庫である。

 「国宝・三井寺金堂の大屋根に上って、親子が檜皮ぶき作業を体験」(七月一六日、二二面)、など、夏休みに入ると、「論語を教科書に朗読、大野了佐の思い学ぶ」(七月二六日、二二面)、「サワガニ捕り子ら夢中」(七月二八日、二二面)、「“チョウ距離旅行”どこまで?比良山系でアサギマダラ調査へ」(同、二三面)、「間伐材を活用、いす作れたよ」(八月三日、二二面)など、ほぼ連日、体験学習、地域学習、環境学習の記事が地域の思いを子供たちに託すかたちで伝えてくれる。欲を言えば、ただ楽しかった、よかったではなく、問題点も含めた掘り下げが欲しい。

 地域を超え、全国へつながる動きも、近江八幡市を中心とする「「文化的景観」はぐくもう、全国連絡協が設立総会開く」(七月一九日)、例年の「びわ湖環境ビジネスメッセ」(七月二〇日)など重要である。単に一過性のイヴェント報告に留まらない指摘が欲しい。来年秋の「全国豊かな海づくり大会」へむけて「琵琶湖の現状学び語る場に」(七月一七日)地域面もなって欲しい。琵琶湖は京滋住民のキャンパスである。「琵琶湖からのメッセージ」シリーズ(「共生の視点大切に、増える水草」、七月三一など)は貴重である。

 さらに、NPOの動きについての情報が必須である。地域再生にNPOの力は欠かせない。「かいつぶり」欄の「NPOの力」(七月二〇日 秋元太一)に大いに共感する。

 

2022年5月4日水曜日

私の京都新聞評「滋賀県知事選,波乱の背景は?」,京都新聞,20060709

 私の京都新聞評「滋賀県知事選,波乱の背景は?」,京都新聞,20060709

布野修司

 三選を目指す現職知事、しかも自公民の三党が推す候補を新人女性候補嘉田由紀子氏が破った。七月二日の滋賀県知事選の結果は全国的にも波紋を拡げつつある。

「全く予想外」「まさか」「なぜ」絶句、「相乗り敗北」衝撃、「市民の力政党破る」「女性の思い反映を」「県民、刷新・変化望む」の文字が三日付けの朝刊に踊っている。投票率は前回より627ポイント増だが、45%弱―「目指せ投票率50%超」(六月二五日)という学生たちのキャンペーンも行われたが、若者たちの投票はやはり少なかったのではないか。しかし、新知事の支持率は若者の方が高いという(七月五日 転換・中)。分析はこれからである―、前々回は65%だから「山が動いた」とは言えないにせよ、「風は吹いた」。

ワールド・カップ・サッカー(六月九日開幕)で寝不足のこの一月であったが、身近な紙面は六月一五日告示の滋賀県知事選一色であった。正直なところ、この波乱の予感は紙面から伝わっては来なかった。結果として、投票行動に結びつく争点となったとされる新幹線「新駅」、ダム建設、県行財政改革なども、当初は手探りの報道である(「新駅」争点?決着済?六月一六日)。「もしかすると・・」と思ったのは、六月二六日付の世論調査結果の報道「嘉田氏追い上げる」である。

16のテーマをめぐる「ここが聞きたい」県知事選候補者アンケート(六月一七日~二四日)は、結局ポイントをついていたと思う。が、アンケートはアンケートで公式的である。好感をもったのは「わたしたちの一歩」①~⑤(一七日~二二日)である。大きな争点にはならないにせよ、環境、起業、観光、弱者などの視点が掘り下げられていた。もっと続けて欲しいと思いながら読んだ。選挙報道に携わる記者の署名原稿「添付ファイル」も選挙戦の現場の雰囲気をよく伝えていた。ただ、写真コラム「がまん模様」はありきたりに過ぎた。

選挙戦を制したのは、「もったいない」という日本で忘れ去られようとしてきた言葉である。環境経済学2006世界大会が始まったが、「エコノミー/エコロジー 対立から連携へ」という連載(二七日~七月一日)も暗示的であった。環境問題について造詣の深い新知事には、議会との関係など多くの困難が予想されるが、その初心、マニフェストの実現を期待したい。

 


2022年5月3日火曜日

私の京都新聞評「環境再生は世界共通テーマ」,京都新聞,20060611

私の京都新聞評「環境再生は世界共通テーマ」,京都新聞,20060611

 

2006年6月10日

布野修司

 滋賀県立大学には、環境フィールドワークというユニークな授業がある。専門の領域を超えて、環境問題に教師も学生も一緒になって取り組む。今年から新しく開始された「琵琶湖集水域の生態環境」というテーマに加えて頂いて、実に新鮮である。大学近辺の江面川をまずターゲットにして、生息する水生生物を捕まえて記録する、要するに魚採りである。子どもの頃の記憶が蘇って、実に楽しいのであるが、愕然とする事実も知らされるる。滋賀県をのぞくと全国の河川からメダカがいなくなったのだという。

こんなことを書くと笑われそうなのが、「児童らいきいき活動、環境調査へ結成式」(五月二四日、22面)である。長浜市ではもう二〇年も水生生物少年小女調査隊が活動を続けているのだという。今年は九七人が隊員になった。滋賀県は環境県だとつくづく思う。同じ日の記事には、湖南市吉永の野洲川で三雲東小の生徒がアユの稚魚八〇〇〇匹を放流したとある。調査とともに環境再生の試みも盛んである。五月二七日に京滋のトップを切って愛知川でアユ釣りが解禁されたが、アユ釣りの背後にはアユ放流の努力がある。また、堰や土砂が移動を阻むことから魚道設置の試み(五月二三日)もある。大津市の喜撰川など多くの魚道が設けられているという。ただ、効果の疑わしいものが少なくないという。

授業の一環で、荒神山に上って琵琶湖を眺めた。湖岸の水が黄土色に濁っているのがよくわかる。濁水の流入である。環境への配慮も未だに多くの問題を抱えていると言わざるを得ない。「濁水や農薬、生態系に影響?」(五月二九日22)は、「見えない不安」を報告している。田植え期にはいつも黄土色になるのだというが、その影響はよくわかっていないのだという。






 

 

2022年5月2日月曜日

私の京都新聞評「再び胸を突く「1年前の衝撃」」,京都新聞,20060514


 私の京都新聞評「再び胸を突く「1年前の衝撃」」,京都新聞,20060514

2006年5月14日

布野修司

 四月二五日、尼崎JR脱線事故一周年。一年前の衝撃が否応なく蘇った。突然身近な人を失った遺族の癒されることのない無念の思いが紙面から伝わってくる。直接関わりないものにとって、事故の記憶は日々薄れていくのが常であるが、遺族にとって、時間はとまったままである。

 事故後、JR西日本は過密ダイヤを改正し、利潤追求一辺倒の管理体制を見直した、という。よく利用する琵琶湖線は、その(慎重になった)せいか、よく遅れるが、いまだ問題があるのではないか。災害時の救急手法についても多くの課題がなお指摘されている(四月二六日紙面)。

 何よりも強烈だったのは、捻り飴のように折れ曲がり潰れた車体である。驚くべき脆さである。スピードを出すために可能な限り軽くするのが設計思想だという。経済性と安全性をめぐるより深い問題がここにはある。

 尼崎脱線事故一周年の翌日、「姉歯容疑者ら8人逮捕」。この「耐震偽装」の問題は、建築を専門とする筆者にとって、実に頭が痛い。建築というのは身近な環境を豊かにつくりあげる夢のある仕事である。この問題によって、建築界が豊かな才能をもった未来の建築家を失ったのだとすれば実に残念である。

 不況不況といいながら、この間は未曾有のマンション・ブームであった。京都の都心部、いわゆる「田の字」地区に、何本もの高層マンションが建並び、景観をめぐって大きな議論が起こったのは記憶に新しい。このブームの下で起こったのが、今回の、コストダウンのためには手段を選ばない「耐震偽装」である。「偽装」そのものは論外である。しかし、安全性と利潤(コストダウン)をめぐる設計思想の問題がここにもある。

 「耐震偽装」問題が深刻なのは、建築基準法、建築確認制度、構造計算法など建築界の依ってたつ仕組みそのものに問題があるからである。単にモラルの問題としてすまされないのである。今回はいずれも別件逮捕だとされるが、深刻なのは購買者、居住者である。再建について、開発業者や建築家の能力に限界があるとすれば、保険制度の導入が不可欠だと思える。そうした議論が起こらないのは何故なのか、実に不思議である。

同じ二六日は、チェルノブイリ原発事故二〇周年であった。世界を震撼させたこの大事故の傷は未だ癒えない。はっきりしているのは絶対安全な建造物はないということである。建築物は建った瞬間から劣化が始まる。耐震基準の問題は、いうまでもなく、われわれ全ての問題である。

2022年5月1日日曜日

百年計画,現代のことば,京都新聞,19960606

 百年計画,現代のことば,京都新聞,19960606

百年計画            

布野修司

 

 「奈良町百年計画」というプロジェクトに研究室みんなで参加したことがある。大学の研究室の他、建築家や企業の研究所など数グループが、決められた地区の百年後の姿を提案するのである。一種のコンペティション(設計競技)であるが、一等二等が決められるのではなく、それをもとにまちづくりについて議論しようというのである。

 求められたのは八〇〇分の一の縮尺の立体図である。畳二畳程の大きさになった。八〇〇分の一というと、住宅一軒一軒がどうなるのか描く必要がある。とにかく大変な作業であった。

 何故、百年計画なのか。都市計画というと、現実の柵(しがらみ)があって、なかなか思い切った提案ができない。しかし、単なる計画案(絵)を描くというのでは、それこそ画瓶だ。現実の条件を長い目で評価した上で、百年後の姿をできるだけリアル(と思えるように)に描いてみようというのである。

 百年後は誰も生きていないのだから、誰も正解を知らない。何も予測を競おうというのではないけれど、多少思い切った提案が可能ではないか、というねらいである。

 それに、自分の住宅が一軒一軒具体的に描かれるのだから、住民も無関心ではいられない。展覧会やシンポジウムを開いて議論する大きな材料になるのではないかという期待もあった。

 やってみるととても面白い。まず、現存するコンクリートの建物はすべて百年後には無くなっていると仮定できるのである。逆に、木造の町家は、建て替えによって更新していけばそのまま残っている可能性が高い。これは実に、奇妙な感覚であった。

 何が残り、何が残らないかという判断にまず計画理念が問われることになる。わが研究室は、奈良町=仏都、仏教の世界センターという基本コンセプトを軸にまとめたのであるが、各テーマはグループごとにさまざまである。まちづくりをそれこそ立体的に考える貴重な体験であった。

 理想的な計画案でも地獄絵でもない。百年後を想定するということは、逆算して五〇年後、二〇年後も問われることになる。逆に計画するやり方は、思考実験としてかなり有効ではないか、と思う。

 建都一二〇〇年を経過したばかりであるが、これを機会に、「建都一三〇〇年」の京都についても、百年計画を立ててみたらどうか。開発か保存か、といった二者択一の思考で判断停止するのではなく、地区ごとにその百年後の姿を詳細に描いてみるのである。もしかすると、後に続く世代へのそれは義務でもあるかもしれない。

 などというと気が重くなるのであるが、まちづくりのための議論のために、全国の自治体も気軽に百年計画を立ててみたらいいと思う。もっとも、作業は大変であり、とても気楽にとはいかないのであるが。