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2026年3月13日金曜日

国民住宅と西山夘三の食寝分離論

 9.国民住宅と西山夘三の食寝分離論

 

  戦時下の住宅事情

  第2次世界大戦勃発前夜(1940年)、大政翼賛会が設立される。そして、国家総力戦体制へ向けての「新体制運動」が始まる。日中戦争が泥沼化する中で、日本国内は深刻な物不足に陥っていた。贅沢を慎み、生活を最低限まで切りつめることが強いられたが、それを美徳とする風潮が「新体制運動」を支えた。声高に提唱されたのが国民服であり、国民食であり、国民住宅であった。あらゆる物質生活を標準化することによって切りつめ、国民的統合を図ろうというのが「新体制運動」である。

 軍需産業の拡大とともに労働力が動員され、四大工業地域を中心とする都市部に人口が集中する。1939年には主要都市部の空き家率は1%を下回ったというi。住宅不足と労働者の不衛生な生活が深刻な問題となった。狭小な部屋での生活は、労働者の健康に大きな影響を及ぼす

 日々悪化していく住宅状況を背景に「国民住宅」構想は注目を集めた。1940年に国家による住宅供給機関として、同潤会を改組して設立された『住宅営団』も「国民住宅」への人々の期待を助長した。しかし、「国民住宅」建設という国家的プロジェクトに組み込まれた住宅政策は決して期待されたほど現実に即したものではなかった。衣食住ということで、国民服、国民食、国民住宅が発想されたのであるが、衣食と住は異なる。毎日着替える服や毎食異なる献立の替わりに、国民服を身につけ、国民食を口にするのと同様のレベルで国民住宅を考えることはできないのである。

 

 建築家の関心

 早川文夫(厚生省技師)による「国民住居の提唱」iiが建築界における国民住宅に対する態度を方向づけたといえる。

 「現在日本国民の大多数が住むべき家を仮に名付けて国民住居と呼ぶ。それは現存する家の単なる平均ではなく、かかる家にこそ住むべきであると云ふSollenを意味する」。

 つまり建築家として取り組むべきは、生活を最低限にまで切りつめて良しとする住宅ではなく、今後の住宅の目標を示すことである。以降、あるべき住宅像が様々に語られるのであるが、建築家の関心は必ずしも間取りにはない。

 「国民住宅」とはどうあるべきか。建築学会がまず提案しているiii。「戦時下の非常時であるから生活は簡素にすべき」という姿勢である。大邸宅を切りつめて小さくしていけば間取りは自ずと決定されるという。住宅の平面を構成する部屋は全て寝室に転用できるというのが結論であった。

 さらに学会案を下敷きにして、厚生省住宅規格協議会によって「住宅及其ノ敷地設計基準」が決定される。10㎡を単位として、30㎡「い」型から80㎡「へ」型まで6つの型が用意された。間取りというより、部屋を並べただけである。間取りより、量産のための規格化が建築家の頭を占めていたように見える。専ら、規格化はメートル単位か寸尺単位かといったことが議論されるのである。

 国民住宅設計コンペ(1941年)も現実の逼迫した住宅事情と結びつくものではなかった。「わが国将来の国民住宅の確立を期し、特にその意匠、構造、材料の上に画期的なる草案を求む」というのが募集趣旨ivである。敷地(130㎡指定)や建物規模の設定をみると募集側は必ずしも実現を考えていなかったように思える。審査員自身が審査所感として建築家の戸惑いが作品に現れていると言っている。このコンペの当選図案は、一見して奇妙である。そして中途半端である。木造に国際様式をはりつけただけなのである。

 

 「型」計画

 目前に迫る住宅難から出発した「国民住宅」は、戦時下の状況に眼をつむって理想を語るための道具のようであった。この名だけあって実が伴わない議論に、西山夘三は「食寝分離論」によって激しく反発する。戦争の有無に関わらず、一貫して庶民の住まい方に関心があった西山は、その膨大な調査をもとに、狭くても食事と就寝の部屋は別に確保されるべきであると主張する。そして同潤会が供給してきた中廊下型の間取りと比較しながら、少ない床面積でも食事室と寝室は別に確保できると強調する。

 住宅営団は設立すると同時に5年間で30万戸の住宅を供給すると宣言した。当時の全住宅数はおよそ1400万戸だった。住宅営団が国民の住居の全てをカヴァーすることが考えられていたわけではないが、かなりの目標である。量産化のための「国民住宅」の計画という課題に対しては、建築家にとって個々の住宅の設計を行う場合とは異なった方法が必要とされる。西山が提案したのが「型による解決」である。家族の人員構成に対応した寝室の確保が間取りを決定することが前提になった。この「型」計画は、住宅営団による住宅供給の柱になったばかりでなく、戦後日本の住宅を主導する。そして誰もが知るDK(ダイニング・キッチン)の爆発的普及へつながることになる。

 

i 西山夘三「戦争と住宅」1983

ii早川文夫「国民住宅の提唱」『建築雑誌』19409

iii 建築学会住宅問題委員会「庶民住宅の技術的研究」『建築雑誌』19411

iv 第15回建築展懸賞競技「国民住宅」『建築雑誌』19406

日本人とすまい6 間取り

 

 

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