このブログを検索

ラベル ワークショップ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ワークショップ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年3月10日金曜日

木の移築プロジェクト,雑木林の世界95,住宅と木材,199707

 木の移築プロジェクト,雑木林の世界95,住宅と木材,199707

雑木林の世界95

木の移築プロジェクト

布野修司

 オーストリアのウイーン工科大学、フィンランドのヘルシンキ工科大学、米国のヴァージニア工科大学からたてつづけに建築家、教授の訪問を受けた。ウイーン工科大学からは建築家ヘルムート・ヴィマー氏。ウイーンを舞台に興味深い集合住宅のプロジェクトをいくつも展開中である。中高層ハウジング研究会と京都大学のアジア都市建築研究会で話してもらったが、大いに刺激的であった。

 例えば、開口部、ファサードのシステムの提案がある。周辺の歴史的建造物の壁の色に合わせたブラインドがつけられており、時間毎にファサードの表情が変わる。また、別のプロジェクトで、居住者が思い思いの絵やメッセージをファサードに描くシステムもある。

 後の二大学は学生それぞれ二十人前後が同伴しての訪問であった。目的もよく似ている。京都の町を素材に特に木造建築について学ぼうというのである。ワークショップ方式というのであろうか、単位認定を伴う研修旅行である。日本の大学も広く海外に出かけていく必要があると思う。うらやましい限りである。

 修学院離宮、桂離宮、詩仙堂…、二つの大学のプログラムを見せられて、つくづく京都は木造建築の宝庫であると思う。実に恵まれているけれど、時としてその大切な遺産のことを僕らは忘れてしまっている。議論を通じて、日本人の方が木造文化をどうも大事にしてこなかったことをいまさらのように気づかされて恥じ入るのである。

 フィンランドは木造建築の国である。だから木の文化への興味は実によく分かる。フィンランドにはアルヴァー・アールトという大建築家の存在があって日本にもファンが多い。建築の感覚に通じるものがあるのである。建築史のニスカネン教授のアールトについての講義はいかにその作品が深くフィンランドの木造建築の伝統に根ざしているかを具体的に指摘して面白かった。建築のグローテンフェルト氏と美術史のイエッツォネン女史の講義も、フィンランドの建築家の作品の中に日本建築の影響がいかに深く及んでいるかを次々に指摘していささか驚いた。

 学生たちはただ観光して歩いているわけではない。両大学ともスケッチしたり、様々なレポートが課せられている。レイ・キャス教授率いるヴァージニア工科大学のプログラムで特に興味深いものとして具体的にものを制作する課題がある。近い将来日本の民家を解体してアメリカに移築しようというのだ。「木の移築」プロジェクトという。プロジェクトの中心は、京都で建築を学ぶピーター・ラウ講師である。民家の再生を手がける建築家、木下龍一氏がサポートする。

 まず、初年度は民家を解体しながら木造の組み立てを学ぶ。そして、次年度はアメリカで組み立てる。敷地もキャンパス内に用意されているという。米国の大工さん(フレーマー)も協力する体制にあるという。問題は日本側の協力体制である。面白そうだから協力しましょう、という話になったけれど、容易ではない。組み立て解体の場所を探すのが大変である。解体する民家を探すのも難しい。いきなり今年は実行できないけれど、とにかく何か共同製作しようという話になった。

 みんなでひとつの巨大な「連画」を描くのである。場所は、国際技能振興財団の「ピラミッド匠の広場」(滋賀県八日市市)になんとか確保した。ヘルシンキ工科大学は参加できなかったが日米学生三〇数名が参加した。

 指導は彫刻家大倉次郎氏であった。木彫で海外にも知られる。作業は簡単といえば簡単であった。墨で線を引くだけである。

 とにかく筆の赴くままに無心に引け、という。意識してパターンをつくってはいけない、という。交代して順番に引いていく。前の人の線が気になる。ルールは、前の人の線に接してはいけない、ということである。

 まず、紙の上に木や竹、石などを置く。これも構成を意識せずにばらまく。置かれたものをよけて線を引くのもルールである。

 やってみると意外に面白い。筆の太さによって線は規制されている。個々の線に個性はでるけれど、全体として統一感は自然にでてくろ。一心不乱に引いて、共同でひとつの作品ができる。貴重な体験であった。

 「木の移築」プロジェクトもなんとか成功させたいものである。

 ところで「木匠塾」も軌道にのりつつある。今年は加子母村(岐阜県)でバンガローを建てる。学生の設計で学生による自力建設である。加子母村については、学生主体の運営で来年以降も継続して二棟ずつ自力建設を行うことになった。また、これまでの成果をまとめ、全国的に展開する段階に達しつつある。

 SSF(サイト・スペシャルズ・フォーラム)の第八回スクーリングは陸前高田氏で開かれた。大変な盛り上がりで、毎年開く勢いである。

 職人大学設立も本格的に動き出した。難問山積であるが、大きな流れになっていくのは間違いないところである。

  本誌の連載は「雑木林の世界」以前の四回を加えて丁度一〇〇回となった。木匠塾、SSF、職人大学の動きは記録できたのではないかと思う。ご愛読感謝したい。

 以下、小さく縮めて入れて下さい。

●1989:01 雑木林のエコロジー02 草刈十字軍03 出桁化粧造04 智頭杉「日本の家」●1990 05 富山の住宅 06 UKーJAPAN ジョイント・セミナー 07I風水ーーーインドネシア08 伝統建築コース 09Z出雲建築フォーラム10  家づくりの会 11  ワンルームマンション研究  12○地域職人学校ーーー茨城県地域木造住宅供給基本計画 13  中高層共同住宅生産高度化推進プロジェクト14Iカンポンの世界 15  「木都」能代16 「樹医」制度・木造り校舎・「樹木ノート」●1991年

17 秋田県建設業フォーラム   1月

18サイト・スペシャルズ・フォーラム 2月

19A建築フォーラム(AF)         3月

20A地球環境時代の建築の行方      4月

21 「イスラムの都市性」研究   5月

22A住居根源論                    6月

23 飛騨高山木匠塾             7月

24 木の文化研究センター構想       8月

25 第一回インターユニヴァーシティー・サマースクール 9月

26S凅沼合宿SSF       10月

27○茨城ハウジングアカデミー 11月

28  第一回出雲建築展シンポジウム12月


●1992年

29 割箸とコンクリート型枠用合板  1月

30Iロンボク島調査                 2月

31○技能者養成の現在ー茨城木造住宅センターハウジングアカデミー 3月

32 東南アジア学フォーラム    4月

33 第二回インターユニヴァーシティー・サマースクール 5月     

34  建築と土木          6月

35  望ましい建築・まちなみ景観のあり方研究会         7月

36 エスキス・ヒアリングコンペ・公開審査方式     8月

37 日本一かがり火祭り

38 京町屋再生研究会 

39 マルチ・ディメンジョナル・ハウジング

40  朝鮮文化が日本建築に与えたもの                  12

●1993年


41    

42  群居創刊10周年                 2

43  京都・歩く・見る・聞く           3

44                                 4

45  韓国建築研修旅行                5

46 飛騨高山木匠塾93             6

47  北朝鮮都市建築紀行            7

48 SSF第一回パイロットスクール  8

49  東南アジアの樹木                9

50 空間アートアカデミー:サマー・スクール

51 飛騨高山木匠塾第三回インターユニヴァーシティー・サマースクール

52 現代建築の行方ーー出雲建築フォーラム


●1994年

53 SSF第二回パイロットスクール   

54  町家再生のための防火手法

55 木造建築のデザイン

56  これからの住まい・まちづくりと地域の住宅生産システム

57 市街地景観セミナー「城山周辺の建築物の高さを規制するべきか、否か」

58 ジャイプールのハヴェリ

59 町全体が「森と木と水の博物館」鳥取県智頭町のHOPE計画始まる

60 東南アジアのエコハウス

61  マスター・アーキテクト制

62 飛騨高山木匠塾第四回インターユニヴァーシティー・サマースクール  

63 ジャワ島横断

64 アジアの建築文化と日本の未来


●1995年

65 韓日国際建築シンポジウム

66 新木材消費論

67 阪神大震災と木造住宅

68 戦後家族とnLDK

69 北京・天津・大連紀行

70 阪神大震災に学ぶ(1)

71 かしも木匠塾フォーラム

72 中高層ハウジング研究会

73 アーバン・アーキテクト制

74  第五回インターユニヴァーシティー・サマースクール:かしも木匠塾フォーラム

75 エコハウス イン スラバヤ

76 ベトナム・カンボジア行


●1996年

77 80年代とは何であったか  第3回かしも木匠塾

78  都市(まち)の記憶 風景の復旧:阪神淡路大震災に学ぶ(2)

79 社区総体営造

80  職人大学を目指して

81 

82  台湾紀行

83 明日の都市デザインへ

84  日本のカンポン

85  東南アジアのニュータウン

86  木匠塾:第六回インターユニヴァーシティー・サマースクール

87 住宅の生と死

88 ネパール紀行


●1997年

89  漂流する日本的風景

90 京都グランドヴィジョン研究会

91 組織事務所の建築家

92 パッシブ・アンド・ロウ・エナジー

93 景観条例とは何か

94 パッシブ・ソーラー・システム・イン・インドネシア

95 スタジオコース 

96 木の移築プロジェクト

2023年3月9日木曜日

スタジオ・コ-ス,雑木林の世界94,住宅と木材,199706

 スタジオ・コ-ス,雑木林の世界94,住宅と木材,199706

雑木林の世界94

スタジオ・コース

布野修司

 京都大学の建築学科では二年前からスタジオコースと呼ぶ設計演習のプログラムを行っている。四回生の半期の設計演習で、教師がそれぞれスタジオを開設し、それぞれ独自の課題に取り組む、というものだ。アメリカなどのスクール・オブ・アーキテクチャーでは普通のシステムで取り立てて珍しいことではない。日本では共通課題が一般的であるが、四回生となると設計に対する興味や進路もはっきりしてくることから、多彩なメニューを用意しようというのが導入の動機である。竹山聖先生の設計教育改革の一環でもあった。

 講評は全スタジオが集まって行う。だから、スタジオ毎に勝手にやればいいということではない。スタジオということは指導教官が競争する形になるのが刺激的である。

 少し考えた末に、わがスタジオはアーバン・デザインを課題にすることにした。講座の名前は「地域生活空間計画」であり、地域計画、都市計画を担当しているからある意味では当然の選択である。そして、もうひとひねりして、課題はアジアのフィールドに求めることにした。オーソドックスな建築設計の課題は、竹山聖など他の先生がいるから特徴を出そうということであるが、敷地や町のコンテクストを読む方法に少しウエイトをおいてみたいと思ったのである。

 一年目は中国・大連の南山地区を対象として選んだ。南山地区は戦前期に日本によって計画建設された。満鉄社宅共栄住宅など現在も当時の住宅群が残っている。そして、南山地区全体の保存開発が問題となっていた。日本人建築家としてかっての植民地に何が提案できるか、がテーマである。

 研究室で大連理工学院の陸偉先生と共同で調査した資料があり(ヴィデオ、図面、・・・)、その整理をとっかかりに地区の分析を行う。調査を実際に行った山本麻子君がティーチング・アシスタントとして指導に当たった。彼女は結局修士論文(一九九六年度)を南山地区についてまとめることになるが、研究と一石二鳥をねらった課題設定と言えるであろうか。

 二年目は、台北の萬華地区をとりあげた。萬華地区は台北発祥の地であり、また「日拠時代」(日本植民地時代)には西門町など日本人が多く居住した。台北萬華地区はチェ君、田中禎彦君と調査したことがあり(雑木林の世界82 台湾紀行)、ヴィデオなどの資料は豊富にあった。まず、手元の資料から地区のイメージを分析するのが課題となるのは同じである。

 三年目は、インドネシアのジョクジャカルタのマリオボロ地区を選ぶことにした。この三月訪れて(雑木林の世界94)ガジャマダ大学で講義をした際、大学院の学生達がマリオボロ地区を対象としてスタディを行っており、アドヴァイスを求められた。帰国して、スタジオ・コースのテーマを決めるに当たって同じテーマでやってみたらと思い立ったのである。ティーチング・アシスタントには、一緒に調査に行った藪崎達也君と北岡伸一君が当たる。二人は最初の年にスタジオコースを経験しており、要領がわかっているのが心強い。

 ガジャマダ大学のプログラムは立命館大学とのジョイントプログラムである。立命館大学の佐々波秀彦先生にはまず最初に講義をお願いした。さらに続いて、ジョクジャカルタの歴史的環境の保存的開発について学位論文を書いたシータ先生(ガジャマダ大学)にも指導していただくことにした。豪華な布陣である。

 プログラムは現在進行中で結果はわからない。最終プレゼンテーションをガジャマダ大学へ送るのが楽しみである。学生達は現地を知らない分、思い切った提案ができる。とんでもない誤解もあるかもしれないけれど、それは現地を知った教師陣の責任である。両方の学生のアイディアをつき合わせて議論できれば面白いに違いない。外人の発想も役に立つかもしれない。

 ジョクジャカルタは、ボルブドゥールやプランバナンのヒンドゥー・仏教遺跡で知られる。また、イスラームの侵入以降もマタラム王国の首都が置かれた古都である。

 マリオボロ地区はその古都の中心に位置する。ジョクジャカルタの中央にはクラトン(王宮)が位置し、現在もスルタン一族が居住している。クラトンの南北にアルンアルンと呼ばれる大きな広場がある。そして、北のアルンアルンの西に大モスクが配される。ジャワの都市の基本的なパターンがジョクジャカルタであるとされる。

 その北のアルンアルンからさらに北へ伸びる大通りがマリオボロ通りであり、その周辺一帯がマリオボロ地区である。この大通りの軸線上に聖なる山ムラピ山が聳える。富士山より高い活火山で数年前に噴火して数人の死者を出した。

 こうして記述しても紙数が足りないけれど、計画的課題としては同じ課題としては京都をイメージすればいい。同じ古都として同じ様な課題を抱えているのである。

 マリオボロ地区の北端にトゥグ駅がある。鉄道線路が町を南北に分断している。南北の交通問題はかなり深刻である。駅周辺の再開発問題はJR京都駅周辺の問題と同じである。

 地区の内部、都心地区には人口減少という大きな課題がある。これも京都の都心と同じである。

 マリオボロ地区には古都として多くの歴史的建造物が残されている。この歴史的建造物をどう継承していくのかも共通の課題である。御所を中心とする大通り、烏丸通りや河原町通りをイメージすればいい。八坂神社へ向かう四条通りが似ているかもしれない。

 カンポン(都市内集落)の再開発問題もまた同様である。京都で町屋型集合住宅がもとめられているように、インドネシアでも町屋型集合住宅が求められている。

 観光客をどうするのかもジョクジャカルタにとって死活問題である。大学町であることもよく似ている。

 レクチャーをもとにした資料の分析から、いくつかの問題群が指摘される。現地を見なくてもある程度共通のテーマを理解できるのは以上のような類推も力になっている。ジョクジャカルタのことを考えながら京都のことを考えるのが課題ともなる。これまでの課題も同じで、各地区とも共通の課題がある。それぞれに固有の解答を求めるのがねらいである。






2023年1月22日日曜日

空間ア-トアカデミ-:サマ-スク-ル,雑木林の世界50,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199310

 空間ア-トアカデミ-:サマ-スク-ル,雑木林の世界50,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199310

雑木林の世界50

空間アートアカデミー:サマー・スクール

 

                       布野修司

 

 1993年の夏は異常な夏であった。梅雨が明けたのかどうか定かではない冷夏、長雨にはうんざりした。地震や台風の被害には、あらためて自然の脅威を感じさせられてしまう。それはそれとして、この夏はいささか忙しかった。七月の末から、新潟→ソウル→高山と連続して旅するスケジュールになったのである。夏休みをとった気分がしない。天候と同じである。

 しかし、刺激的な夏であったことは間違いない。もちろん、ハイライトは飛騨高山木匠塾である。雨に祟られたのであるが、第三回のインターユニヴァーシティ・サマースクールは八月一日から一〇日まで予定通り開かれた。大盛況、大成功であった。今年は、個人的なハプニングもあって、二泊三日しか参加できなかったのであるが、参加者の声も集めて、次回に報告しよう。八月七日の高根村「日本一かがり火まつり」への屋台参加は、用意したものは完売ということで、高根村のお役にも立てたようである。

 高山へ駆けつける前は、まず、新潟であった。「にいがた建築まちなみ100選」プレシンポジウムということで、「まちなみ形成と建築家」というシンポジウムのコーディネーターを務めた。芦原太郎、小嶋一浩、エドワード鈴木、隈研吾、高橋晶子、團紀彦、原尚、平倉直子、元倉真琴といったそうそうたる建築家が参加するシンポジウムであった。小川富由、青木仁、合田純一といった優秀な建設省の若手官僚も大勢加わった、かなりというか大変な人数のシンポジウムである。もちろん、初めての経験であった。実は、本欄でも触れた(雑木林の世界   「望ましい建築・まちなみ景観のあり方研究会」 一九九二年七月)研究会の延長のプログラムである。景観問題・建築文化研究会として活動を続けているのであるが、具体的実践の段階が来たといえるかもしれない。これもまたの機会に報告しよう。

 

 ソウルへは新潟から直接飛んだ。新潟からはウラジオストックやハバロフスク、イルクーツクへも飛んでいる。環日本海(東海)時代には裏日本側が中心となる。新潟を中心に既にネットワーク化が進んでいるという印象である。

 「空間」社のアート・アカデミーの講師として招かれたのであるが何をすればいいのか若干不安であった。五月に来日した張世洋氏(空間社代表)に招待状を手渡され、飛騨高山木匠塾と日程が重なると固辞したのであるが、どうしても来てくれということで、内容もよく知らずに三本ほどのレクチャーを用意して韓国へと向かったのである。今年は本当に韓国づいている。

 張さんとは、出雲建築フォーラム以来のつき合いである(雑木林の世界   「朝鮮文化が日本建築に与えたもの」 一九九二年一二月)。張さんは、ソウルのオリンピック・スタジアムを設計した金寿恨(故人)の一番弟子で、その空間社を引き継いでいる。韓国建築界の若きリーダーである。今年、三月、ソウルで再会し、五月、京都工業繊維大学での講演のために京都を訪れた氏にもう一度あった。二才違いであるが、やけに馬が合う。

 着いた日、早速、パーティーを開いて頂いた。メンバーがすごい。アート・アカデミーの他の講師(金億中、金鐘圭、襄乗吉、鄭奇溶)がまずすごい。スイス、イギリス(AAスクール)、アメリカ(UCLA)、パリとみな外国帰りの気鋭の建築家である。何で、僕なんか招待したのわからない、そんな気分にさせられてしまう。また、母校ソウル大学への復帰が決まった金光呟氏や承孝相氏など「4.3グループ」(一四人で設立)の若手建築家が沢山パーティーに参加してくれた。何か場違いな感じもしないではなかった。

 翌日からの四日は楽しい地獄であった。サマースクールのプログラムいうのが、実はある種の設計競技だったのである。一人のチューターに三人の学生がつく。具体的な敷地が与えられ、その敷地へ建築的回答を与えるよう求められるのである。短期集中グループ設計である。

 僕のチームについたのは、成均館大の禹君と安君、そして釜山大の安君であった。全部で一五人。ソウル大、蔚山大、仁荷大、忠北大、ハーバード大、延世大、東義大、弘益大、忠北大、韓国中から精鋭が集まっている。ポトフォリオを予め提出し、選抜されるのだという。

 実をいうとサマースクールは既に毎週土曜日、七月一〇日、一七日、二四日と三回開校されていた。講演会があってスタディーをするのである。僕の場合、毎週来る訳にはいかないのでその間のわがチームは張さんの指導である。いささかハンディが大きかったかもしれない。ソウルについて、ことの次第を知ったのであるが、あせったのはいうまでもない。

 敷地は、空間社のすぐ裏手にあった。長細い三角形をしているのが特徴的である。すぐ眼の前に秘園のある昌徳宮の塀がある。景福宮と昌徳宮を結ぶ道の始点・終点である。まずは敷地分析の結果を聞くところから始めた。通訳には韓三建君がついてくれた。韓君は抜群のデザインセンスを持っているから百人力であった。

 三週間の敷地分析を聞いて、基本テーマ、基本コンセプトを決めなければならない。何せ時間がないのである。一瞬の閃きで、「時の門              ーメディエイティング・トライアングル」というタイトルを決定。作業開始である。

 学生達は大変である。三泊四日の間に作品を仕上げねばならない。その間にレクチャーがあり、講評があり、フリーディスカッションがある。僕だって大変だった。四日の間に、二回スライド・レクチャーを行い、講評、ディスカッションの全てに参加しなければならない。各チームは競争で、先生同士も競争である。実に苦しい、楽しい四日間であった。

 最初の日、タイトルといくつかのねらいだけ決めた。午前中に都さんの「パラダイム・シフト」をめぐる哲学的講義があり、午後、僕がハウジングにおけるパラダイムシフトについて講義した後である。サマースクールは飛騨高山木匠塾と同じく今年で三回目で「思考の転換」をテーマとしたのである。

 さあやろう、といって、次の打ち合わせを夜中にしたいというので行ってみると、何も出来ていない。かなりあせる。チーム内でかなりの意見の相違が出て対立してしまった。これだからグループ設計は面白い。困った、明日の中間発表は基本コンセプトのプレゼンテーションで何とかしのごう、ということになった。

 翌朝行ってもさしたる進展がない。午後からの中間発表を聞いていささか安心する。議論ばかりでちっとも進んでないように見えるチームもあったのである。というように悪戦苦闘しながら、最終日を迎えて驚いた。ものすごい馬力である。方針を最終決定するやすさまじい勢いで作業が進んだのである。模型もあっという間に出来た。さすがにえり選った精鋭である。我がチームも格好がついた。いい線いったように思う。残念ながら最終展示は見届けられなかったのであるが、すぐさま展覧会が開かれた(八月四日~一六日)。結果はまた『空間』誌に掲載される。楽しみである。