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2023年1月22日日曜日

空間ア-トアカデミ-:サマ-スク-ル,雑木林の世界50,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199310

 空間ア-トアカデミ-:サマ-スク-ル,雑木林の世界50,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199310

雑木林の世界50

空間アートアカデミー:サマー・スクール

 

                       布野修司

 

 1993年の夏は異常な夏であった。梅雨が明けたのかどうか定かではない冷夏、長雨にはうんざりした。地震や台風の被害には、あらためて自然の脅威を感じさせられてしまう。それはそれとして、この夏はいささか忙しかった。七月の末から、新潟→ソウル→高山と連続して旅するスケジュールになったのである。夏休みをとった気分がしない。天候と同じである。

 しかし、刺激的な夏であったことは間違いない。もちろん、ハイライトは飛騨高山木匠塾である。雨に祟られたのであるが、第三回のインターユニヴァーシティ・サマースクールは八月一日から一〇日まで予定通り開かれた。大盛況、大成功であった。今年は、個人的なハプニングもあって、二泊三日しか参加できなかったのであるが、参加者の声も集めて、次回に報告しよう。八月七日の高根村「日本一かがり火まつり」への屋台参加は、用意したものは完売ということで、高根村のお役にも立てたようである。

 高山へ駆けつける前は、まず、新潟であった。「にいがた建築まちなみ100選」プレシンポジウムということで、「まちなみ形成と建築家」というシンポジウムのコーディネーターを務めた。芦原太郎、小嶋一浩、エドワード鈴木、隈研吾、高橋晶子、團紀彦、原尚、平倉直子、元倉真琴といったそうそうたる建築家が参加するシンポジウムであった。小川富由、青木仁、合田純一といった優秀な建設省の若手官僚も大勢加わった、かなりというか大変な人数のシンポジウムである。もちろん、初めての経験であった。実は、本欄でも触れた(雑木林の世界   「望ましい建築・まちなみ景観のあり方研究会」 一九九二年七月)研究会の延長のプログラムである。景観問題・建築文化研究会として活動を続けているのであるが、具体的実践の段階が来たといえるかもしれない。これもまたの機会に報告しよう。

 

 ソウルへは新潟から直接飛んだ。新潟からはウラジオストックやハバロフスク、イルクーツクへも飛んでいる。環日本海(東海)時代には裏日本側が中心となる。新潟を中心に既にネットワーク化が進んでいるという印象である。

 「空間」社のアート・アカデミーの講師として招かれたのであるが何をすればいいのか若干不安であった。五月に来日した張世洋氏(空間社代表)に招待状を手渡され、飛騨高山木匠塾と日程が重なると固辞したのであるが、どうしても来てくれということで、内容もよく知らずに三本ほどのレクチャーを用意して韓国へと向かったのである。今年は本当に韓国づいている。

 張さんとは、出雲建築フォーラム以来のつき合いである(雑木林の世界   「朝鮮文化が日本建築に与えたもの」 一九九二年一二月)。張さんは、ソウルのオリンピック・スタジアムを設計した金寿恨(故人)の一番弟子で、その空間社を引き継いでいる。韓国建築界の若きリーダーである。今年、三月、ソウルで再会し、五月、京都工業繊維大学での講演のために京都を訪れた氏にもう一度あった。二才違いであるが、やけに馬が合う。

 着いた日、早速、パーティーを開いて頂いた。メンバーがすごい。アート・アカデミーの他の講師(金億中、金鐘圭、襄乗吉、鄭奇溶)がまずすごい。スイス、イギリス(AAスクール)、アメリカ(UCLA)、パリとみな外国帰りの気鋭の建築家である。何で、僕なんか招待したのわからない、そんな気分にさせられてしまう。また、母校ソウル大学への復帰が決まった金光呟氏や承孝相氏など「4.3グループ」(一四人で設立)の若手建築家が沢山パーティーに参加してくれた。何か場違いな感じもしないではなかった。

 翌日からの四日は楽しい地獄であった。サマースクールのプログラムいうのが、実はある種の設計競技だったのである。一人のチューターに三人の学生がつく。具体的な敷地が与えられ、その敷地へ建築的回答を与えるよう求められるのである。短期集中グループ設計である。

 僕のチームについたのは、成均館大の禹君と安君、そして釜山大の安君であった。全部で一五人。ソウル大、蔚山大、仁荷大、忠北大、ハーバード大、延世大、東義大、弘益大、忠北大、韓国中から精鋭が集まっている。ポトフォリオを予め提出し、選抜されるのだという。

 実をいうとサマースクールは既に毎週土曜日、七月一〇日、一七日、二四日と三回開校されていた。講演会があってスタディーをするのである。僕の場合、毎週来る訳にはいかないのでその間のわがチームは張さんの指導である。いささかハンディが大きかったかもしれない。ソウルについて、ことの次第を知ったのであるが、あせったのはいうまでもない。

 敷地は、空間社のすぐ裏手にあった。長細い三角形をしているのが特徴的である。すぐ眼の前に秘園のある昌徳宮の塀がある。景福宮と昌徳宮を結ぶ道の始点・終点である。まずは敷地分析の結果を聞くところから始めた。通訳には韓三建君がついてくれた。韓君は抜群のデザインセンスを持っているから百人力であった。

 三週間の敷地分析を聞いて、基本テーマ、基本コンセプトを決めなければならない。何せ時間がないのである。一瞬の閃きで、「時の門              ーメディエイティング・トライアングル」というタイトルを決定。作業開始である。

 学生達は大変である。三泊四日の間に作品を仕上げねばならない。その間にレクチャーがあり、講評があり、フリーディスカッションがある。僕だって大変だった。四日の間に、二回スライド・レクチャーを行い、講評、ディスカッションの全てに参加しなければならない。各チームは競争で、先生同士も競争である。実に苦しい、楽しい四日間であった。

 最初の日、タイトルといくつかのねらいだけ決めた。午前中に都さんの「パラダイム・シフト」をめぐる哲学的講義があり、午後、僕がハウジングにおけるパラダイムシフトについて講義した後である。サマースクールは飛騨高山木匠塾と同じく今年で三回目で「思考の転換」をテーマとしたのである。

 さあやろう、といって、次の打ち合わせを夜中にしたいというので行ってみると、何も出来ていない。かなりあせる。チーム内でかなりの意見の相違が出て対立してしまった。これだからグループ設計は面白い。困った、明日の中間発表は基本コンセプトのプレゼンテーションで何とかしのごう、ということになった。

 翌朝行ってもさしたる進展がない。午後からの中間発表を聞いていささか安心する。議論ばかりでちっとも進んでないように見えるチームもあったのである。というように悪戦苦闘しながら、最終日を迎えて驚いた。ものすごい馬力である。方針を最終決定するやすさまじい勢いで作業が進んだのである。模型もあっという間に出来た。さすがにえり選った精鋭である。我がチームも格好がついた。いい線いったように思う。残念ながら最終展示は見届けられなかったのであるが、すぐさま展覧会が開かれた(八月四日~一六日)。結果はまた『空間』誌に掲載される。楽しみである。

 


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