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2023年1月13日金曜日

韓国建築研修旅行,雑木林の世界45,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199305

 韓国建築研修旅行雑木林の世界45住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199305

雑木林の世界 

韓国建築研修旅行

                        布野修司

 

 三月の一三日から二二日の一〇日間、韓国へ行ってきた。韓国へはこれで三度目なのであるが、本格的に建築を見て歩くのは始めてである。とはいえ、漢陽大学(ソウル)と蔚山大学(蔚山)でのセミナーおよび国際シンポジウムが主目的だから、駆け足に違いはない。ソウル↓大邱↓慶州↓蔚山↓釜山というコースである。ひとつには、出雲建築フォーラムのシンポジウム「朝鮮文化が日本建築に与えたもの」(雑木林の世界   一九九二年一二月号)に刺激されたということがある。シンポジウムで話題になった、「宗廟」や「秘苑」、また、韓国の伝統的集落、マウル、韓三建君が紹介した「廟」での祭礼を実際にみてみたかったのである。春分の日を日程に組み入れたのは、慶州の「崇徳殿」(全国朴氏の廟)の祭礼を見るためである。

 ソウルでは、漢陽大学の朴勇煥(パク・ヤンファン)教授と久しぶりに再会した。大学院時代からの友人である。研究室を訪問すると、その旺盛な研究ぶりが研究室の熱気と共に伝わってきた。もともとは、福祉施設の研究が専門であり、その学位論文を手伝ったのが懐かしいのであるが、研究はハウジングの分野を含めてさらに広がっていた。当然といえば当然であろう。特に、今、植民地時代に建てられた「日(本)式住居」の調査を全国規模で展開しているのが印象的であった。日本と韓国の建築学会にとってなくてはならない存在に大成?している様子が実に頼もしい。

 水原(スウォン)では、ソウル大の任勝淋(イム・センビン)教授に会った。水原は、城壁を復原し、その城塞都市の雰囲気を残すいい町だ。実をいうと、任さんとは、出発の直前、第3回国際景観材料シンポジウム「アジアの景観ーーー材料の未来」(大阪綿業会館 3月12日)で初めて会ったばかりである。「景観感覚」(センス・オブ・ランドスケープ)という概念を打ち出すその基調講演は実に立派であり、パネル・ディスカッションでも、その優等生振りに、コーディネーターとして随分助けられた。韓国へ行くというと、是非、研究室へ来なさいという。水原に彼の研究室があるのを知って厚かましくもお邪魔し、水原カルビまでご馳走になった次第である。議論をさらに深めることができ、今後の交流を深めることができたのは大きな収穫だった。

 「空間社」の張世洋さんに再会したのはいうまでもない。世の中狭いものである。朴氏、張氏は高校の先輩後輩だというし、任氏、張氏はソウル大の建築学科の先輩後輩だという。一堂に会して、大パーティーが盛り上がったことはいうまでもない。

 今回のプログラムを用意してくれたのは、韓三建君である。蔚山大学はその母校である。国際シンポジウムでは、「東南アジアの土俗建築」と題して講演したのであるが、まあまあであった。「アンニョン ハシムニカ」とやったら冒頭から大受けで、気持ちよくしゃべれた。質問も厳しく、レヴェルが高い。いいシンポジウムだったと我ながら思う。講演者のひとりであった、弱冠二六才で『韓国の建築』(西垣安比古訳 学芸出版社)を書いた金奉烈氏や多くのスタッフと交流できたのも大きい。蔚山大学では、こうしたシンポジウムは初めてのことであり、他の大学からの参加者も多かったという。テレビの取材が2局もあり、地方新聞にも取り上げられる一大イヴェントとなったようである。

 旅行を通じて、少し系統的に見たのは近代建築である。同行した学生の中に伊東忠太研究をテーマにする青井哲人君がいて、リストを持参していたせいもある。ソウルでは、朝鮮総督府(国立中央博物館 デ・ラランデ 野村一郎 国枝博)やソウル駅(辰野金吾 塚本靖)を始め、梨花女子大(ヴォーリス)、天道教本部(中村輿資平)などかなりみた。釜山では、あまり見ることができなかったのであるが、ほとんど残っていない印象であった。大邱では、いくつか注目すべきものをみたが、慶北大学医学部本館などなかなかの迫力であった。

 しかし、僕にとって印象的であったのはやはり住居であり、集落であり、都市である。都市としては、ソウルは短期間では手に余るとして、水原、そして慶州のスケールがよかった。特に、慶州は、韓三建君の『慶州邑城の空間構造に関する研究』(修士論文 一九九〇年)をテキストに、また、本人の解説つきでまわれたのが最高であった。また、釜山では、出来上がったばかりの許萬亨氏の『韓国釜山の都市形成過程と都市施設に関する研究』(学位論文 一九九三年)をもとに倭館や日本居留地の跡をまわったのが感慨深かった。

 集落として見れたのは、良洞マウル(大邱近郊)と妙洞マウル(慶州近郊)の二つなのであるが、何よりも感じるのは、日本や東南アジアの民家との違いである。木の文化と言うけれど、韓国の場合、石の感覚、土の感覚が相当強い。何をいまさらということかもしれないのであるが、実際にみた素直な感想である。

 韓国の場合、木がそう豊かではない。すなわち、建築用材として使える樹木が少ないことが、石や土という素材を用いるひとつの理由だろう。それに、オンドルの使用が決定的である。熱を通すには木や紙ではまずい。隙間を塞ぐのには、土を塗込めた方がいい。すきま風を通す解放的なマルと塗込めたオンドルバンとを明確にわけるところに韓国の住居の特徴があるのである。オンドルは、半島北部に発生したものが高麗時代に全島に普及したとされる。マル(板の間)の成立をめぐる議論が示すように、別の伝統が考えられるのは当然であるが、今日、オンドルは韓国の住居に一般的であり、そのあり方を大きく規定しているのである。

 韓国の建築は粗雑である、洗練の度合いが低い。こうした見方を支配的にしたのは、日本の建築史学の大先達である。日本の文化の優位性を疑わなかった植民地時代のことだ。日本の建築の方がはるかに技術的に洗練され、高度に美しい、という価値判断をそうした先達も当然のように受け入れていたのであった。

 実をいうと、僕自身、そうした見方をしていたことがある。写真でみる韓国の建築にはどうしても違和感があったのである。第一、屋根の瓦が漆喰で固められるのがしっくりこない。第二、屋根の反りがどうもしっくりこない。第三、石の積み方が粗雑である。

 かって、以上のような違和感を口にして、大議論した相手が朴勇煥教授であった。朴さんの反論は今でも覚えている。韓国の建築の方がはるかに自然に対しては高度なのだというのが彼の主張である。仏国寺(慶州)を見よ。地面から石積みになる、石積みも荒くそして精緻になる。大地から生い出るように建築がなされるのが基本だ。その配置にしろ、単純な人口的なシンメトリーはつかわない。ヴォリュームと視覚のバランスを微妙にとるのが韓国の建築なのだ。韓国の建築には韓国の建築の論理があり、美学がある。今回それを体感できたことは大きな収穫であった。

 それにしても、至るところ、秀吉の影が現れる。彼の建造物破壊の暴挙は今猶、さらに末永く、われわれのぬぐいさることのできない汚点である。

 






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