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2023年1月10日火曜日

建築戦争が始まる 第二回AFシンポジウム,雑木林の世界41,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199301

 建築戦争が始まる  第二回AFシンポジウム,雑木林の世界41,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199301


雑木林の世界40

建築戦争が始まる

第二回AFシンポジウム

                       布野修司

 

 「建築戦争が始まる」といういささか変わったタイトルのシンポジウムが開かれた(一九九二年一一月一九日 大阪YMCA会館)。AF(建築フォーラム)主催の第二回目のシンポジウムである。パネラーは、宇野求、平良敬一、山本理顕、渡辺豊和、布野修司。コーディネーターは、美術評論の高島直之がつとめた。

 第一回のシンポジウムは、「建築の世紀末と未来」と題した、磯崎新、原広司、浅田彰三氏によるシンポジウムで千人近い参加者を集めたのであるが(雑木林の世界33)、今度も四百人を超える聴衆が集まった。東京ではこう人は集まらないと思うのであるが、どうだろう。あるいは、議論の季節が来たのかも知れない。昔から、不況になれば建築運動が起こるといわれるのであるが、バブルが弾けて果たしてどうか。とにかく議論が必要だというのが、AF結成の主旨(雑木林の世界19)だから歓迎すべきことである。

 今回も、スライドはなしで、三時間、建築界で何が問題なのか本音で話し合おう、というのが主旨だ。しかし、座談会ならわかるけれど、四百人もの聴衆を前にして、どうすればいいのか。何を問題とすればいいのか、そう例のない、少なくとも僕にとっては初めての経験である。

 最初はいささかぎこちないスタートとなった。楽屋では盛り上がっていたのだけれど、一巡するまでなかなかかみ合わないのである。建築界の積年の諸問題をどう突破するか、その発火点をどこにもとめるかという筋立てとなっていくことで、どうやら格好がついたのであるが、話がどう転ぶかわからない、スリル満点のシンポジウムとなったのであった。

 建築界の諸問題としては、実に様々な問題が出された。建築デザインの全体的衰退、企業クライアントの水準の低さ、建築家における倫理の喪失、日本の景観の酷さ、職人世界の崩壊、建設業界の川上化、重層下請構造の問題、談合問題、地球環境問題、建築行政の問題、公共建築の設計者選定(コンペ、設計料入札等)問題、建築ジャーナリズムのだらしなさ・・・はては、建築教育、大学の建築学科の再編成、さらに偏差値社会全体の問題まで、問題はとてつもなく広範囲に及ぶのである。

 建設業界の川上化というのは、建設請負業(ゼネコン)がどんどんソフト化(サービス業化)し、現場離れしつつあることをいう。その一方で、ウエイトをもちつつあるのが、具体的な現場技術を支える専門工事業者(サブコン)であり、現場技能者(サイト・スペシャリスト)なのであるが、利益は川上に厚く、川下に薄い。これはおかしいのではないか。建築家はもっと職人さんたちと連帯すべきではないのか。

 全く、思いもかけなかったのであるが、サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)で職人大学(サイト・スペシャルズ・アカデミー(SSA))建設を推進する小野辰雄氏(日綜産業 SSF副理事長)の顔が会場に見えた。これぞとばかりに発言を求めたところ、壇上にたってまで、職人問題について熱弁をふるって頂けた。建築家の集まりにはいささか唐突であったのであるが、反響は十分であった。むしろ、日経新聞や京都新聞の記者の反応が面白かった。小野発言は、建築家のいつものわけのわからない(?)話よりよっぽどわかりやすかったというのである。

 またさらに、会場を沸かしたのは、パネラーからの挑発的なビジネス社会批判である。特に、バブルの最中に思いつきとも見える建築を無見識に建てた大企業の問題が鋭く告発されたのであるが、一般的な大企業批判に会場から反論が出るのは必然であった。建築家だってもう少し現場を知るべきだ云々。期待すべき建築家にしても、モラルの低下、はなはだしいものがあるではないか等々。

 どこに発火点をもとめるかという後段のまず最初はこうしてまずサブコン、あるいは職人さんに期待するということになったのであるが、もちろん、多様な提起がなされた。

 むしろ期待すべきは、地方で頑張っている人たちではないか、というのが平良敬一氏である。一方、山本理顕氏は、都市も問題だ、建築家は都市住宅の問題をさぼってきているという。宇野求氏は、住宅については男性では駄目だ、女性にしか期待できない、という。調子に乗って、グローバルには南の国、第三世界に期待せざるを得ないのではないかと言ったのは僕である。

 地方、サブコン、職人、女性、第三世界・・・・並べ挙げていくと、これまで建築界で必ずしも焦点を当てられてこなかったところである。おそらくそうしたところから考えていくのが筋なのであろう。

 議論は、もちろん、開かれたままである。すぐにどうこうしようということではない。ただ、これからの中心的テーマの手がかりが得れたのは収穫だったように思う。キーワードは、「都市革命」である。平良敬一氏の、「いまこそ都市革命が必要ではないか」というシンポジウムでの提起がきっかけである。日本の諸都市は果たして今のままでいいのか。「都市革命」というのは、六〇年代末にH.ルフェーブルによって出された概念であるが、その後の日本の都市の混乱は、「都市社会」の実現とはほど遠いことを示している。『建築思潮』2号のテーマは「都市革命」(仮)ではどうか、ということになりつつあるのである。

 そういえば、『建築思潮』創刊号「未踏の世紀末」がいよいよ出る(一九九二年一二月一八日 学芸出版社 連絡先は、06-534-5670 AF事務局.大森)。

 大阪でのシンポジウムを終えて二日後、名古屋へ行った。「建築デザイン会議」の「現代建築家100人展 変貌する公共性」名古屋展のオープニングに呼ばれたのである。「人と建築と社会と」と題して何かしゃべろ、という。おこがましいけれど、旧知の酒井宣良氏、大島哲蔵氏の依頼とあって断れない。両氏との鼎談の形ならと無理を言って楽しく議論できた。「建築戦争」の余韻があったかもしれない。熊本アートポリス、京都の景観問題などをめぐってホットな話題が続出した。聞けば、JR名古屋駅も高層化の計画があるという。C.アレグザンダーの千種台団地の建て替えの問題など足元に大きな問題が横たわってもいるのである。

 一日置いて、こんどは京都大学の11月祭の建築学科の企画(「珍建築」展)に竹山聖氏と呼ばれて、建築教育をめぐる問題をとことんしゃべらされた。

 議論の季節がやってきた、そんな感じがひしひしとしてくる。議論ばかりでは何にもならないのであるが、地についた議論を深めておかないと、ひとたび状況がかわるとすぐさま足元を掬われるのが建築界なのである。






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