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2023年1月25日水曜日

現代建築の行方-日本と朝鮮の比較をめぐって,雑木林の世界52,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199312

現代建築の行方-日本と朝鮮の比較をめぐって,雑木林の世界52,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199312


雑木林の世界52 

出雲建築フォーラム第3回シンポジウム

現代建築の行方ーー日本と朝鮮の比較をめぐって

 

                       布野修司

 

 十月の頭に、スラバヤ工科大学のJ.シラス先生が北九州市にやってきた。世界銀行と国連地域開発センターが主催する国際会議に出席するためである。今後の研究計画について打ち合わせするために会いに行った。一緒に北方の居住環境整備の様子を見せて頂いた。大変な事業である。九州女子大の岡房江先生と九州大学の菊地朋明先生にお世話になって、翌日には、ネクストⅠ、Ⅱなど博多のハウジングを見せて頂いた。J.シラス先生とは短い時間であったが、互いに毎年のように行き来出来るようになったのは実にうれしい限りである。

 ところで、神無月、十月は出雲では神有月である。年に一度全国から八百万の神様が出雲大社に集まって会議を行なうことになっている。その出雲特有な神有月に全国から建築家を招いてシンポジウムや展覧会をやろうと始めた出雲建築フォーラムの恒例の行事も早いもので今年で三回目になる。

 今年のテーマは「朝鮮文化が日本建築に与えたもの」パート2ということで「現代建築の行方ーー日本と朝鮮の比較をめぐって」をサブテーマとした。パネリストは、韓国からの承孝相氏(TSC代表)、金奉烈氏(蔚山大学)の二人に、今年新たに村松伸氏(東京大学)、昨年に続いて韓三建氏(京都大学大学院)と小生である。しかし、それだけではない。フロアには、昨年のパネリスト張世洋氏(空間社代表)ら韓国から五人の建築家、日本からは鬼頭梓新日本建築家協会(JIA)会長、高松伸、渡辺豊和など壮々たるメンバーが陣取った。神々のシンポジオン(祝宴)の雰囲気である。

 今年の会場は、松江市の「くにびきメッセ」(島根県立産業交流会館)である。高松伸の最新作だ。見本市のための空間ということで大味だけれど力は入っている。JR山陰線からよく見える大橋川沿いの絶好の立地でもある。その国際会議場を借り切ったのであるが、いささか背伸びし過ぎたかもしれない。しかし、シンポジウムは例年通り力作の建築にまけない熱気に溢れたものとなった。特に、承、金両氏のスライド・プレゼンテーションは力のこもったものであった。

 金奉烈氏は以前紹介したのことがある(雑木林の世界    韓国建築研修旅行 一九九三年五月号)。一九五八年生まれで若いにもかかわらず、日本でも翻訳の出た『韓国の建築 伝統建築編』(西垣安比古訳 学芸出版社 一九九一年)の著者である。弱冠二六才でものしたこの著書は、ガイドブックといっていいのであるが、その水準を超えている。今は韓国の文化財保護委員である。また、金氏は現代建築についての批評家としても「空間」誌などでも活躍している。AAスクールに留学経験もあり、活動の広がりはインターナショナルである。

 今回のレクチャーは、「韓国建築の集合性」と題し、集合の形態という観点から韓国建築の特性を浮かび上がらせるものであった。日本のみならず、ヨーロパア諸国の事例との比較もあって学識の深さを感じさせるレクチャーであった。

  承孝相氏は、自分の作品を振り返る形のレクチャーであった。氏は一九五二年生まれだ。ソウル大卒で金奉烈氏は後輩になる。張世洋氏と同じく、空間社にあって金寿根氏に学んだ。ウイーンに二年間学んでいる。一九八九年独立。十四人の建築家からなる「4.3」グループという集団のひとりでもある。事務所TSC主催。Tとはテーマ、Sとはサイト(場所)、Cとはコンテンポラリー(時代性)を指すのだという。彼の建築観を示す三つの概念を事務所の名前にしたのである。

 彼は、如何に金寿根に学び金寿根以上に金寿根的な表現を目指してきたかを語った上で、新たに目指そうとしている建築について述べた。沈黙の建築と仮に彼はいうのであるが、伝統や地域性などの意味を殺ぎ落としたミニマルな表現を目指しているようだ。金寿根から如何に離れるか、その模索をとつとつと語る真摯な態度が好感を持てた。

 村松伸氏は、一年滞在した韓国の現代建築について語ると思い気や、台湾、中国、香港、シンガポール、インドネシアの現代建築をめぐってのスライド・レクチャーであった。アジアで建築の新しい動きが起こりつつあるその熱気を充分伝えるプレゼンテーションであった。

 小生の場合、北朝鮮のスライドを用意していたのであるが、余りに熱のこもったレクチャーが続いて全体で四時間も用意していたのに時間がなくなった。渡辺豊和さんとともに、懇親会でスライドを続けたのであった。韓三建君は、昨年に続いて、絶妙の通訳で大活躍であった。

 韓国の場合、一九五〇年代生まれの建築家がそろそろ中心になりつつある。相互の方法を真に突き合わせるそんな時代がきたというのが実感である。

 島根県の場合、慶尚北道と姉妹関係を結ぶなど韓国との交流に極めて熱心である。今回のシンポジウムも環日本海(東海・・韓国では日本海とは言わない)博覧会の一環として位置づけられたものであり、つい先頃も、環日本海の知事サミットも行っている。鳥取県、富山県、新潟県など日本の日本海沿岸の県知事とロシア沿海州、韓国、北朝鮮、中国の地方首長が一堂に会して議論するのである。こうした地域の特色を生かした国際化の動きはますます活発していくことになるであろう。

 懇親会では、来年は、韓国でフォーラムをやろうという声が出た。張世洋氏がすぐに答えた。前向きに検討しようと。ソウルの空間社ならいつでも開放しましょうと。また、今回のシンポジウムの内容を「空間」誌に載せるから投稿してくれという。来年、十月にはソウルで出雲建築フォーラムの第四回シンポジウムが開かれそうである。また、釜山に出雲建築フォーラムのような組織をつくろうという声が韓国側参加者から上がった。楽しみなことである。

 このところやけに島根づいている。川本町の「悠邑ふるさと会館」(仮称)のコンペの審査がある。これまた、公開ヒヤリング方式でやることになった。小生は関係しないのであるが、大社町の文化センターも公開ヒヤリング方式で行われる。もしかすると、島根方式になっていくかもしれない。また、美保関町の隠岐汽船のターミナル・ビルのコンペがある。しまね景観賞の審査がある。

 十月には、四回目の出雲市まちづくり景観賞の審査に行ってきた。また、大東町の景観研究会に出かけて話をする機会があった。全て、出雲建築フォーラムの動きが渦になっての展開である。忙しいけれど断れないのがいささか苦しい。しかし、もう少し軌道にのるまでという思いもある。しばらくは出雲に、島根に注目していきたいというところである。

 

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