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2023年2月26日日曜日

木匠塾:第六回インターユニヴァーシティー・サマースクール、雑木林の世界85,199609

木匠塾:第六回インターユニヴァーシティー・サマースクール、雑木林の世界85,199609

 雑木林の世界85

木匠塾:第六回インターユニヴァーシティー・サマースクール

 

布野修司

 

 「職人大学構想」が急ピッチで展開しはじめた。KGS(財団法人 国際技能振興財団 本部 東京都墨田区両国二-一六-五 あつまビル5F                 )が設立されて半年になるのであるが、その活動が徐々に軌道に乗りだしているのがひしひしと伝わってくる感じである。

 七月二四日には、KGSの「ぴらみっど匠のひろば」(                )が滋賀県八日市市に設立され、そのオープニング・パーティーが一五〇〇人の参加者を集めて華々しく開かれた。驚くべきエネルギーである。

 アカデミーセンターに、ハウジングセンター、ぴらみっどイベントホールに巨大な実試験センター。すぐにでも使える立派な施設群である。もちろん、半年やそこらでこれほど立派な施設ができるわけはない。財団副会長であり、SSF(サイト・スペシャルズ・フォーラム)副理事長、小野辰雄日綜産業社長が私財を財団に提供する形をとったのである。その意気込みには頭が下がる。

 職人パスポートも創られた。年会費四八〇〇円で、教育(一日五〇〇〇円の助成)、施設(「ぴらみっど匠のひろば」の利用)、サービス(国内外ホテル、リクレーション施設利用割引)、クレジットカード(キャッシング・サービス)、安心保障(傷害保険、生命保険への自動加入)、仕事(斡旋、仲介)、登録(職人工芸士名鑑への登録)など七つの特典がある。数の強さ、集まることの力が生かされる仕組みである。

 自民党を中心にした国会議員の諸先生の意気込みもすごい。職人大学設立促進議員連盟が一五〇名もの議員を要して結成され、この九月にはマイスター制度の視察に一〇人もの国会議員がヨーロッパへ出かけることになっている。「ぴらみっど匠のひろば」のオープニングには、八日市出身と言うことで、武村正義新党さきがけ代表も見えた。ドイツに留学経験があるということで、マイスター制度には随分造詣が深そうであった。

 さて、一方、どういう大学にするかも具体化しなければならない。理念は固まりつつあるのであるが、具体的な組織固めを始めなければならないのである。また、職人大学の理念がすんなりと既存の制度の枠内に収まるかどうかは予断を許されない。様々な紆余曲折が予想されるところである。

 「ぴらみっど匠のひろば」をどう使うかも大きなテーマである。とりあえず、ピーター・ラウ(建築家 ヴァージニア州立工科大学副教授)氏が、アメリカの大学の学生を日本に招いて木造の建築技術を学ぶプログラムを決定したのであるが、急いで全体計画を立てる必要がある。一週間程度の短期学習を積み重ねて、やがて恒常化していく必要がある。もっと重要なのは、地域との連携である。地域の優れた職人さんたちの技を学ぶ場を設定したいと考えている。また、木匠塾との連携も大いに追求したいと思っている。

 今年の木匠塾のインターユニヴァーシティー・サマースクール(第六回)は、去年に引き続いて、高根村と加子母村の二カ所で、七月三〇日~八月一〇日の間、開かれた。二カ所になり期間も長くなったのは、参加人数が多くなり、それぞれのグループ毎に独自のプロジェクトが展開され始めたからである。

 東西の学生が出会うメリットが失われることが危惧されるが、今年に限っては全く問題はなかったように見える。各大学の幹事が密に連絡を取り合い、見事な連携を見せたからである。学部大学院と二年三年木匠塾へ来てくれる学生が上下を繋げてくれるのも大きい。

 高根村の「日本一かがり火まつり」(毎年八月の第一土曜日 今年一〇回目)は魅力的である。今年は、京都造形大学と大阪芸術大学が屋台を出した。また、東洋大学、千葉大学、芝浦工業大学の東京組も、その日高山見学などを組み入れて、かがり火まつりの会場に集結してきた。翌日は、加子母村での懇親スポーツ大会で、翌々日のプレカット工場等の見学が共通プログラムである。

 加子母村では、高根村と同じように営林署の二棟の製品事業所の改装が今年は開始された。宿泊施設として使うためである。製品事業所のある渡合地区はすばらしいキャンプ場として整備されつつあるのであるが、電気の設備がない。自家発電装置が必要なのであるが、電気のない自然の中で暮らす経験も木匠塾の第一歩である。

 前にも記したことがあるのであるが、まず問題となるのが虫である。今年は蛾の類の虫の異常発生とかで、夜はたまらない。油断していると口の中に飛び込んできたりする。初めて木匠塾に来るとびっくりするのであるがすぐなれる。また、魚釣りをしたことのない学生が多いのに驚く。それだけ日本から自然が失われているというべきか。嬉々として魚釣りに興じる学生の顔を見ると、複雑な心境になる。とにかく、自然に触れるのは貴重な経験なのである。

 京都大学グループは、三年がかりの登り釜を完成させた。去年は素焼き止まりであったが、今年は釉薬を塗って素晴らしい焼き上がりとなった作品ができた。釜の構造も補強し、ほぼ恒久的に使えるようになった。素人がつくった釜でも一応使えるのが確認できたのは大収穫である。

 もうひとつのプロジェクトは、斜面への露台の建設である。清水の舞台、懸け造りとはとてもいかない。丸太を番線で緊結するプリミティブな手法だ。番線とシノの扱い方は、ロープ結びと並ぶ木匠塾の入門講座である。

 他のグループのプロジェクトは完成を見ていないからその全容はわからない。京都造形大学は、昨年の原始入母屋造りを山の斜面に向かって増築していく構えで、草刈り機をつかっての地業に余念がなかった。大阪芸術大学は、念願の風呂をつくるということで準備ができていた。継続的に、ものが出来ていくのは楽しいことである。

 バンガローの設計組立は、来年になりそうであるが、東洋大グループは、昨年のゲルを改良して移動住居として立派に使っていた。創意工夫もものをつくる源泉である。

 職人大学構想は大反響である。方々の自治体から誘致したいとの声がある。しかし、そんなに簡単なことではないということは、木匠塾の経験からもわかる。とりあえず、条件の整うところから、やっていくしかない。走りながら考えるのみである。

 

2023年2月9日木曜日

第五回インターユニヴァーシティー・サマースクール:かしも木匠塾開塾,雑木林の世界73,住宅と木材,199509

 第五回インターユニヴァーシティー・サマースクール:かしも木匠塾開塾,雑木林の世界73,住宅と木材,199509

雑木林の世界73 

第五回インターユニヴァーシティー・サマースクール:かしも木匠塾開塾

           

布野修司

 

 木匠塾の第五回インターユニヴァーシティー・サマースクールは、七月三一日~八月九日の間、岐阜県の高根村および加子母村の二ケ所で行われた。参加団体は、千葉大学、芝浦工業大学、東洋大学、そして茨城ハウジングアカデミーの関東勢に、京都造形大学、成安造形大学、大阪芸術大学、大阪工業技術専門学校、京都大学、奈良女子大学の関西勢を加えて一〇にのぼる。参加者数は、最大集結時で一三六名、延べ人数は優に一五〇名を超え、二〇〇に届かんとした。今年も大盛況、大成功であった。

 しかし、問題が無くもない。こうまで大勢になると施設の限界がはっきりしてくる。また、運営が難しくなる。食事の準備だけでも大事業である。会計だって大変である。かなりの金額を扱うことになる。

 人数が多いとグループ単位で行動することになる。今回から、朝食については、地元の商店の協力を得て、各グループ毎に食材を調達し、作ることにした。昼食は弁当とし、夕食は当番制である。見ていると、なかなか面白い。実に統率のとれたグループもあれば、てんでばらばらのグループもある。幹事役は大変である。各グループから幹事を出して幹事会を構成し、全体を運営する。木匠塾の目的は、自然に恵まれた環境の中で生活をしながら、木について学ぶことにあるのであるが、第一の意義は、集団で生活し、集団で交流するところにある。集団生活のルールを学ぶことも大切である。

 施設については、宿泊スペースが足りない。余裕をもって宿泊するにはせいぜい数十人がいいところであろう。寝袋や車の中や、実習でつくった仮設小屋の中で寝ることになる。それはそれで楽しいらしいのであるが、明け方は相当冷えるから風邪をひいたりする。最も問題なのは風呂である。車で二〇分のところにある旅館、あるいは露天風呂を使わせて頂いているのであるが、大勢で迷惑かけ放しである。時間を決めてグループ毎に利用するのであるが、ルール破りが出てくる。続いて報告するように千葉大学が昨年からシャワールームをつくったのであるが、水が冷たすぎて利用者が少ない。何日か風呂を我慢することも必要になるのであるが、最近の若い学生たちは綺麗好きで、毎日シャワー浴びないとたまらないらしい。

 お酒を飲み、開放的にもなると、いろいろトラブルもおこる・・・等々、山の一〇日間の生活はなかなか大変である。

 ところで、今年のプログラムを見てみよう。

 まず、特筆すべきは東洋大学のゲル(包・パオ)のプロジェクトである。正確にゲルの構造をしているわけではないのであるが、ゲルの形態を模した仮設の移動シェルターを建設するのが今年の東洋大学の実習内容である。高根村から加子母村に移動するのがヒントになったらしい。

 建設資材がユニークだ。垂木と壁材の主要構造部材は直径三センチほどの丸竹であるが、天蓋に使うのはタイヤ部分を除いた自転車の車輪である。また、天蓋部分には、スチール製の灰皿やビニール製の傘を使う。屋根と壁を覆うのはビニールシートである。組立にかかる時間はわずか三〇分足らず。文句無く傑作であった。十人近くが寝れる。おかげで宿泊スペースも少しカヴァーできた。

 同じく、シェルター建設をテーマにしたのが、京都造形大学と成安造形大学である。京都造形大学は、昨年の丸太による原始入母屋造りを発展させた。また、今年初参加の成安造形大学は樹上住居の建設に挑戦である。なかなか楽しい出来映えであった。

 大阪芸術大学は子どもたちのための木製の屋外遊具の制作をテーマとした。六〇センチ立方のキューブを各自がつくって組み合わせようというプログラムである。

 大阪工業技術専門学校は、音の出る階段とか、雛の声を聞く巣箱とか、サウンドスケープに関わる作品群がテーマであった。

 千葉大、芝浦工業大学は、日常施設の整備と修理にかかった。千葉大学は、昨年に続いて、浄化槽つきのシャワールームを組立てた。芝浦工業大学は、床の抜けた部屋の修理や保冷庫の整備を行った。

 また、茨城ハウジングアカデミーは、昨年一昨年に続いて、日本一かがり火祭り(八月五日)の屋台の組立に腕を奮った。

 そして、京都大学・奈良女子大学のグループは、昨年に続いて登り釜と陶芸に挑戦である。昨年は、釜を作るだけであったけれど、今年はいよいよ焼く段取りである。まずは、粘土をこねて、陶芸作品を作るところから始めた。空いた時間に陶芸教室が昨年までに完成した「蜂の巣工房」で開かれ、他のグループも大勢加わった。思い思いの作品をつくるとそれを乾かす。若干乾燥の時間が足りないけれど、火を入れることになった。ほぼ一昼夜、薪を焚いた。うれしかったのは、登り釜がちゃんと機能したことだ。火は登り釜を伝わって煙突まで確実に達したのである。今年は、釉薬を塗らず、素焼きの形にしたのであるが、本格的にやれそうである。来年度以降が楽しみである。製材で余った木片を薪にした陶芸も木匠塾の売り物になるかもしれない。

 ところで、今年は、八月八日には加子母村の渡合(どあい)キャンプ場に移って、第一回のかしも木匠塾の開塾式を行った。今年の一月、五月と続けてきたかしも木匠塾フォーラムの延長で、今後加子母を拠点とした構想をさらに練るためにである。加子母村は、本欄で触れた(雑木林の世界   一九九五年七月)ように、東濃ひのきの里として知られる。神宮備林も営林署の管内にある。また、産直住宅の村として知られる。その加子母村が、木の文化を守り育てる拠点づくりの一環として、木匠塾を誘致したいという。有り難い話である。

 しかし、これまでの木匠塾であるとするといささか荷が重いかもしれない。パワーアップが必要である。それにしても、高根村にまさるとも劣らない自然環境である。しかも、施設用地も提供して下さるという。もちろん、木匠塾のみで利用するのではないにしろ、夢膨らむ話である。具体的には、バンガローを一戸づつつくる話がある。学生参加のコンペにし、優秀作品を実際に作ろうというアイディアも出始めている。また、研修施設としての製品事業所の改造、新たな建設のプログラムもある。一朝一夕には出来ないであろうが、かしも木匠塾も今後具体的な可能性を様々に追求していくことになる。





2023年2月8日水曜日

木匠塾 第四回インタ-ユニヴァ-シティ・サマ-スク-ル,雑木林の世界62,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199410

 木匠塾 第四回インタ-ユニヴァ-シティ・サマ-スク-ル,雑木林の世界62,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199410

雑木林の世界62

木匠塾

第四回インターユニヴァーシティー・サマースクール

 

                布野修司

 

 木匠塾(岐阜県高根村)の第四回インターユニヴァーシティー・サマースクールが始まった(8月2日)。2日に先発隊が宿舎整備を行い、3日に開校式。レクチャー等は例年通りであるが、今年は実習のプログラムが盛り沢山である。4日、以下のリストの各プロジェクトが一斉に動きだしたところだ。ワープロを持ち込んだので日誌の形で実況中継しよう。

 8月4日:①太陽熱利用の温水化装置(芝浦工大)は、上家の屋根を利用。ポンプで水を屋根に揚げて、しし脅しの原理で水を流す実験を行う。②涌き水利用のクーリング装置(芝浦工大)は、恒久施設として施工開始。③工房建設計画(大阪芸術大学 茨城ハウジングアカデミー)は、物置小屋の改修計画。④施設周辺測量(京都大学)は、浜崎一志先生(京都大学)指導の最新コンピューター測量である。基準点を固定するためにモルタルを使う。モルタル用に川砂を採集するところから開始である。⑤施設周辺整備:物見の塔建設、上家、下家連絡通路建設(東洋大学)。⑥浄化槽付きシャワー室建設(千葉大学)は、仮設の足場用のシステムを使用、防水シートと組み合わせてシャワー・ルームをつくる。浄化槽は活性炭が高いので木炭を利用して濾過、とりあえず浸透式で考える。⑦原始入母屋実験住宅建設(京都造形芸術大学)は、試行錯誤を開始。皮を剥く作業が初めてなので苦労する。⑧登り釜建設(京都大学)は、焼き物をやろうと計画。耐火レンガ等調達に出かける。⑨高山祭屋台模型製作(京都造形芸術大学 茨城ハウジングアカデミー)は、毎年試行錯誤。今年は十分の一の臥龍台の図面が手に入った。⑩日本一かがり火まつり屋台改修計画(京都大学 茨城ハウジングアカデミー)は、昨年の部材の確認。黴落としから。⑪修了証焼き印製作(奈良女子大学)は、丸太をバウム・クーヘンのように輪切りする。鋸を使う練習である。

 8月5日:①は据え付け開始。②は完成。③は、床に敷く枕木が届いて、どんどん進行。ほぼ完成。設計、準備とも順調。草木染めを開始。夜には完成パーティー。④は、岩風呂計画等今後の施設計画のためのデータつくりに励む。凧を揚げて上空から撮る凧写真は失敗。⑤は、傾いた舞台を元に戻し、番線を締め直す。⑥は3Sシステムの加工は完了。⑦は準備不足で試行錯誤が続く。丸太の皮剥き、緊結用の番線の作り方、シノの使い方から学習。⑧は、て穴を堀出した。⑨は8日以降開始予定。⑩は、今年は親子格子を付け加える。製作開始。⑪は、焼き印を押し出す。ほぼ出来た。

 8月6日:日本一かがり火まつり。昨晩から、その準備で大童。今年のメニューは、焼き鳥、蛸焼き、おでん、ビールに地酒である。焼き鳥は一千本、昨晩、午前一時までかかって串刺しを用意した。かがり火祭りはすごい。地上高く燃え上がる三基の他に、点々と燃える小さなかがり火が効果的に配置されている。最後に打ち上げられる花火も間近に見上げる形で、火の粉が降り懸かってくる迫力だ。今年、飛び入り参加のデンマークからの研究生ハンセン君は、大感激である。みんなで松明をもって行列に参加した。販売の屋台は、もう、戦場である。呼び込みの甲斐もあって、ビールを除けば完売。今年の総売上はどうか。

 8月7日:祭りの興奮醒めやらぬうち、交流スポーツ大会。オケジッタ・グラウンドでの野球大会は、東洋大秋山研究室主体のチームが優勝。広いところで凧写真を再度揚げるも風がなくてまたしても失敗。カメラが少し重い。一方、⑦は、遅れを取り戻すべく、作業続行。夕方までにほぼ完成。夜はバーベキュー・パーティー。桜野功一郎さんの高山祭りについてのレクチャー。後は大宴会。

 8月8日:一日作業。①は、しし脅しの仕掛け完成。完成まで後一歩。③の工房は蜂の巣工房と命名。冬の雪に備えて封鎖。④の測量は施設周辺の測量をほぼ修了。上家と下家の連結部分に集中。コンピュータの威力はすごい。瞬時に三次元の座標を出してくれる。⑥の浄化槽付きシャワー室は木炭が届かないため未完成。千葉大学チームは後を他に託して引き上げる。⑧の登り釜建設が本格的の始まる。穴堀にほぼ一日かける。⑨の高山祭屋台の模型製作も開始。入手した図面を読む。模型材料が足りないか。夜は恒例のロシアン・ルーレットゼミ。誰に当たるか分からない緊張感でゲーム感覚もあるゼミ方式である。

 8月9日:高山へ出かける日。まず、高山祭りの模型(五分の一)を造っているお宅へ行って見せてもらう。その後、飛騨産業で家具の製作工程を見学。高山市内を見て、午後はオークビレッジと森林魁塾の見学。毎年のコースでお世話になっている。京都大学チームは、居残りで、登り窯の製作続行。僕は、京都造形芸術大学の坂本君と屋台模型製作の下準備。午前中に構造部材を揃える。後は、登り窯製作に参加。組積造は、また、柱梁とは全く異なる。耐火煉瓦をレヴェルを合わせながら積んで行くのはなかなか難しい。耐火モルタルを使うのも初めてである。夜は、高根村の荒井さんの「高根村の総合計画」についてのレクチャー。人口八四五人の全国で二七番目の小さな村だとか、色々な悩みを聞く。かがり火祭りにいくらかかっているかなど、色々な質問が飛んだ。

 8月10日:⑧の登り窯チームは、朝五時から作業開始。必死に今年の予定完了を目指す。⑨の高山祭屋台模型製作は、昨晩、チーム編成。一気に完成を目指す。一方で解体作業が進む。①の太陽熱利用の温水化装置は、一応実験成功、シャワーを浴びて、装置分解保存。⑥の浄化槽付きシャワー室建設は、木炭届かず、残念。分解部品保存。⑦の原始入母屋実験住宅は、骨組みだけ残して解体、部品保存。⑧の登り釜は、煙突二五段積みまでついに完成。煙が登る実験ののち越冬のための養生を検討。⑨の高山祭屋台模型製作は、いくつかのパーツは完成するも、組み立てるに至らず、断念。京都造形芸術大学が持ち帰って完成することにする。仕事を終えたチームは、高山へ出かけたり、沢で釣りで楽しんだ。夜はフェアウエル・パーティー。奇想天涯のゲームに楽しく最後の夜を過ごす。灯を消して空を見上げると、満天に無数の星が皆を包むように降り注ぐ感じである。

 8月11日:宿舎後片づけ。修了証書授与。解散式。

 以上、今年も特に大きな事故はなく、ますます充実する木匠塾サマースクールは無事修了したのであった。

    


2023年1月24日火曜日

第三回インタ-ユニヴァ-シティ-:サマ-スク-ル,雑木林の世界51,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199311

 第三回インタ-ユニヴァ-シティ-:サマ-スク-ル,雑木林の世界51,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199311

雑木林の世界51

飛騨高山木匠塾

第3回インターユニヴァーシティー:サマー・スクール

 

                       布野修司

 今年の飛騨高山木匠塾は、岐阜県と共催の研修プログラムやシンポジウムの開催、茨城ハウジングアカデミーの夏期研修など様々なプログラムが平行して行われ、実に多彩なものとなった。学生の自主的運営を段々目指そうとしているのであるが、全ての中心にいてプログラムを切り盛りしたのは、東洋大学の秋山哲一先生である。また、芝浦工業大学の藤澤好一先生である。

 僕の場合、先号で述べたように諸般の事情で二泊三日しか参加することができなかった。そこで、今回は、京大および関西組の幹事役を立派に果たした川崎昌和君(京都大学大学院)にレポートをお願いすることにした。

 

 今年の木匠塾は思いもかけぬ雨にたたられ、野外での活動を主旨とする木匠塾の参加メンバーにとっては何とも恨めしく思われた。にもかかわらず、昨年までの蓄積とメンバー達のやる気もあって、かなり充実したものになったといえよう。参加大学は七大学を数え、これに茨城ハウジングアカデミー、M  設計事務所、さらには高山からの一般参加者が加わり、一時は百人を越え、かなり賑やかな交流の場とすることができた。茨城ハウジング・アカデミーは、大工を目指す若者の学校であり、平日には実際の現場に出て作業・見習いをしながら週二日この学校で建築技術や理論を学ぶというものである。その行動力には目を見張るものがあり、彼らが今年の活力源になったといってもよいだろう。特に大学で安穏とした学生生活を送って者にはよい刺激となった。

  以下に今年の木匠塾の活動の日誌を書いてみる。

 

  八月一日  関東、関西の各地から三々五々車で木匠塾の宿舎(元は営林署の製品事業所で、かなりの年代物である)に参加者が集まってくる。一年間空き家となっていた場所であるので、総出で大掃除・布団干しをするが、今にも雨が降り出しそうな空の下なかなか布団が乾かず、その晩は幾分湿った布団で寝ることになる。

  八月二日  この日から本格的に活動が始まる。今年の実習は大きく三つに分かれた。まず、宿舎の周辺施設計画で、高低差のある二つの宿舎をつなぐルート、周辺の散策路、野外ステージ、果ては展望台までつくってしまおうとするものである。次は岩風呂計画。二つの宿舎の間にある朽ちかけた倉庫を利用し、かねてから望まれていた風呂をつくろうとするものである。そしてもう一つは飛騨高根村のかがり火祭りに出店する際の屋台をつくり、祭りの日にはお助け飯、野麦汁、焼き鳥、日本酒を売ってしまおうというものだ。それぞれのグループに分かれて案を詰める。この日の夜はオープニング・パーティーということで、高根村の村長さんがわざわざお見えになり、挨拶をしてくださった。高根村の方々にはいろいろと便宜を働いてもらっており、全く頭の下がる思いである。

  八月三日 雨が降ったり止んだりするなか、それぞれ作業を進める。散策路のグループは、薮の中を悪戦苦闘しつつ道を切り開き、切り出し材の皮を剥いだりする作業。岩風呂のグループは、この日から参加の三澤文子率いるM  設計の面々を中心に、一日で設計図からパース、木拾い表まで作り上げてしまった。プロは強い、と学生の面々。木匠塾の精神として、スクラップ・アンド・ビルドはやめようと現存の建物を生かす方向に決定。他のグループの精力的な活動に負けじと、屋台グループも本格的に制作を開始、ハウジング・アカデミーの人たちを中心に、装飾の格子、蔀戸などに慣れない手つきで挑戦する。

  八月四日  この日は林業経営についての実習と見学。アカマツの国有林に入り、間伐作業を体験。実際にはあまり高く売れないアカマツを植えざるを得なかった森林行政の悲しさを垣間みる。その後森林組合の製材所に行き、木材の加工現場を見学。夜は遅れ気味の屋台の制作が続く。

  八月五日  日綜産業の藤野さんによる足場組立実習および安全に関する講義。建設現場での事故をなくそうと尽力する藤野さんの熱意を無駄にしたくないものだ。丸太を使ったステージや展望台も大方できあがり、ちょっとしたフィールド・アスレチック上のような感じになってきた。岩風呂グループは来年度の作業の下準備ということで基礎部分の補強作業をする。晩には東洋大学の太田先生によるスライドを交えたレクチャー「世界の木造住宅」が行われた。例年であれば野外でのレクチャーとなるが、雨のおかげで百人近い人数が宿舎の食堂に所狭しと集まって聞くこととなる。

  八月六日  高山市内見物。ただし木匠塾が今年で三回目という者もおり、一部は残って作業を続ける。特に屋台グループは明日が本番とあって最後の追い込みとなり、晩になってようやく仮組立をすることができた。この日の宿泊者は百名を越え、寝場所がないといった具合になってしまう。

  八月七日  「日本一かがり火祭り」当日。女性陣を中心としたメンバーは売り物の調理を村民センターで行い、他のメンバーで会場で屋台の組立。十二時頃から販売開始、十万ほどの利益を挙げ何とか完売にこぎつけることができた。最もその利益も一日でビールの泡として消えていってしまうのだが・・・。

  八月八日  この日は二人の講師陣を迎えての特別講義。民家の再生の専門家の降幡氏と、建築、家具製作からパッシヴ・ソーラー・システムまで幅広く活躍されている奥村氏が熱弁を振るってくださった。

  八月九日  学生達が待ちに待った野球大会。昨日、今日とうまい具合に雨が降らず、少し救われた感がある。最後の夜とあって、フェアウェル・パーティーが行われ、長いようであっという間に過ぎていった今年の木匠塾を振り返った。来た当初には「こんな山奥から早く帰りたい」と言っていたハウジング・アカデミーの面々が「来年も後輩を連れてきます」といってくれたのは非常にうれしかった。

  八月十日  片付け・清掃をした後、各自帰路につく。

  ともかく今年も大きな事故もなく無事終了することができた。早くから準備に走り回っていただいた芝浦工大の藤澤先生、東洋大の秋山先生、また高根村の方々、講義をしてくださった先生方にこの場を借りてお礼を述べたい。

  今年の木匠塾では様々な企画が盛り込まれ、それぞれが作業にいそしむことができた反面、学生の間でのゼミをあまり行えなかった。真剣に自分の研究・他の者の研究について討論するというのは大切であり、ある意味でシビアな場を設けたかった。また高山からの一般参加の人たちは三日間の参加ということもあって、少しとけこみにくかったようで、この辺を是非来年に向けての課題としたいところだ。

 


2023年1月14日土曜日

飛騨高山木匠塾93年度プログラム,雑木林の世界46,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199306

 飛騨高山木匠塾93年度プログラム,雑木林の世界46,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199306


雑木林の世界 

飛騨高山木匠塾93年度プログラム

                        布野修司

 飛騨高山木匠塾の93年度プログラムが煮詰まってきた。

 岐阜県の住宅課長に赴任した井上勝徳氏の強力なサポートもあって大きく飛躍しそうである。井上勝徳氏と言えば、知る人ぞ知る、建設省でも指折りの木造大好き人間である。また、木造に関することは井上に聞けと言われる専門家である。四月七日には、芝浦工業大学の藤澤先生、東洋大学の秋山先生と一緒に岐阜県庁へお邪魔して打ち合せを行ってきた。

 今年は、過去二年のインター・ユニヴァーシティー・サマースクールを主体とするプログラムに、今年二年目を迎えた茨城ハウジングアカデミーのサマー研修と岐阜県の「木の匠」シンポジューム、高山一般セミナーおよび地元高山の工業高校生へのセミナー・プログラムが加わる。相当に賑やかになりそうである。

 カリキュラムを組むのが難しいほどで、秋山哲一先生を中心にプログラムを練った。以下、細部は変更されるかもしれないのであるけれど、木匠塾本体のスケジュールを中心に紹介しよう。奮って参加されたい。とはいえ、宿舎の設備に今のところ限界がある。八〇人を超えると苦しい。早めに連絡頂ければと思う。

 宿舎といえば、塾の拠点となる旧野麦峠製品事業所を払い下げて頂く問題が急速に進行中である。そもそも木匠塾の構想は、使われなくなった野麦峠製品事業所を何か有効に使えないかということから生まれたのであるが、維持管理の問題があり、所有者、管理主体を明確にする必要があった。特に、飛騨高山木匠塾の恒常化、長期的プログラムのためには、拠点となる場所をしっかり保持する体制が不可欠である。冬季の雪下ろしの問題もあるし、アプローチ道路の管理の問題もある。

 そこでどうするか。日本住宅木材技術センターに間に入って頂き、地元の高根村に営林署から払い下げて頂く。その基金は飛騨高山木匠塾が主体となって集め、高根村に寄付する。そのかわり、施設を使わせて頂く。夏期以外の使用については、高根村でも考えて頂く。細かい打ち合わせはこれからであるが、うまく行けば、来年以降、さらに様々なプログラムが展開されることになろう。春期や秋期、冬季の利用も具体化するかもしれない。

 高根村といえば、「日本一かがり火祭り」である。今年は、

 八月七日(土曜日)

である。当然、塾のプログラムもこの日を中心に組まれている。昨年約束した「かがりび祭り」への参加も決まった。軽音演奏の前座出演もあるが、前日までに模擬店用の屋台を製作し、当日は屋台を手伝うのである。当日、人手が足りなくて、食べ物がすぐ無くなるので応援してほしいという。もうけがでれば木匠塾で使って頂いて結構とのことで、高根村の村役場の人たちとも打ち合わせ済みである。

 さて、サマースクールは八月一日から一一日の予定である。スケジュールは以下のようだ。

 一日 集合 会場設営

 二日 会場設営+施設整備実習 オープニング式典 オープニング・レクチャー

 三日 大学別ゼミ 測量実習 施設整備実習 レクチャー①

 四日 林業経営レクチャー+見学 草刈・伐採実習 屋台製作実習 仮設計画レクチャー

 五日 仮設計画レクチャー 足場組立実習 レクチャー②

 六日 家具製作レクチャー+見学 屋台製作実習 模擬店準備 レクチャー③

 七日 模擬店準備 模擬店・かがりび祭り参加

    「木と匠」シンポジューム(高山市)

 八日 特別講義① 特別講義② ロシアンルーレット・ゼミ

 九日 交流野球大会 レクチャー③

一〇日 大学別ゼミ 高山市内見学 フェアウエル・パーティー

一一日 片付け・清掃 解散

 レクチャーは、次の予定である。

 オープニング・レクチャー 「すまいとまち」 布野修司(京都大)/レクチャー① 「世界の木造住宅」 太田邦夫(東洋大)/レクチャー② 「木造住宅の担い手育成」 藤澤好一(芝浦工大)/レクチャー③ 「地域のすまいづくり」 秋山哲一(東洋大)特別講義① 降旗隆信(予定) 特別講義② 奥村昭雄(予定)

 その他に次のレクチャーも予定されている。

 レクチャー④ 「住宅の生産供給システム」 浦江真人(東洋大)/レクチャー⑤ 「すまいの設計と人間工学」 安藤正雄(千葉大)/レクチャー⑥ 「都市と森林のネットワーク」 三澤文子(大阪芸大)/レクチャー⑦ 「高山の民家」 桜野攻一郎

 実習内容は、以下の通りである。

 ①施設整備計画実習 

 ②測量実習

 ③森林視察 製材見学

 ④草刈実習

 ⑤伐採実習

 ⑥家具製作実習

 ⑦模擬店屋台製作実習

 ⑧仮設計画実習 足場組立実習

 ⑨施設整備実習 シャワー室整備

 ⑩高山祭り模型製作実習

 実習担当の講師陣としては、昨年に引き続いて藤野功(日綜産業)氏が参加。ロープの結び方から足場組立、現場の心得全般について御指導願う。また、森林匠魁塾の佃、庄司の両先生にもお世話になる。さらに、久々野・高山営林署には、森林見学等で講義と見学指導を例年通りお願いしている。施設整備実習がどう進むかはわからないけれど、本格職人を目指す茨城ハウジングアカデミーの生徒?諸君に大いに期待する次第である。

 短い期間だけれど、自然に触れ、身体を動かし、木について学ぶ、学生にとってはいい体験である。また、大学間の交流は滅多にない機会である。特に、日本各地の学生が直接情報交換し、議論するのは極めて貴重である。レクチャーや実習は、まだまだたどたどしいのであるが、後々にまで記憶に残る、夏になるとやってきたくなるような、そんなサマースクールにしたいものである。

 

飛騨高山木匠塾連絡先 

 芝浦工業大学 藤澤研究室 03ー5476ー3090

 東洋大学 秋山研究室 0492ー31ー1134

 京都大学 布野研究室 075ー753ー5755



 


2023年1月3日火曜日

高根村・日本一かがり火まつり,雑木林の世界37,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199209

 高根村・日本一かがり火まつり,雑木林の世界37,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199209

雑木林の世界37

飛騨高山木匠塾・第二回インターユニヴァーシティー・サマースクール報告

高根村・日本一かがり火まつり

                        布野修司

 五月号でご案内した飛騨高山木匠塾・第二回インターユニヴァーシティー・サマースクール(七月二五日~八月二日)をほぼ予定どおり終えた。参加者は、ピーク時で八〇名、合わせて九〇名近くにのぼった。この「雑木林の世界」を読んで参加した人たちが十二名、感謝感激である。

 主な参加大学は、芝浦工業大学、東洋大学、千葉大学、京都大学、大阪芸術大学の五校。もちろん、単独の一般参加もあった。教師陣は、太田邦夫塾頭以下、秋山哲一、浦江真人、村木里絵(東洋大学)、藤澤好一(芝浦工業大学)、安藤正雄、渡辺秀俊(千葉大学)、布野修司(京都大学)。それに今年は、大阪芸術大学の三澤文子、鈴木達郎の両先生が若い一年生(一回生)を引き連れて参加下さった。三澤先生には、特別にスライド・レクチャーもして頂いた。

 極めて充実した九日間にわたるスクールの内容のそれぞれはとても本欄では紹介しきれない。いくつかトピックスを振り返ってみよう。

 なんといってもハイライトは足場丸太組み実習である。講師として、わざわざ藤野功さん(日綜産業顧問)が横浜から来て下さった。藤野さんは重量鳶の出身である。特攻隊の生き残りとおっしゃる大ベテランなのだが、若い。今でも十分現役が勤まる。外国にもしばしば指導に出かける大先達である。そうした大先生が二十歳の若者に負けない体力、気力を全面にたぎらせて、精力的に指導にあたって下さった。

 塾生のノリは明らかに違う。単なるレクチャーだと眠くなってしまうのであるが、実習となると生き生きしてくる。現場で学ぶことはやはり貴重である。

 藤野さんが到着した夜、早速講義である。四時間でも、五時間でも話しますよ、聞かないと損ですよ、というわけである。まずは、ロープ術である。キング・オブ・ノットと言われる、世界共通の基本の結び方から、「犬殺し」など数種の結び方を教わった。まるで手品のような早業なのであるが、よくよく理解すると、成るほど知恵に溢れた縛りかたである。ヨットや山登りをやるのならともかく、ロープの使い方など日常生活では習うことがない。極めて新鮮であった。

 ロープの結び方をマスターした翌日は、いよいよ、足場丸太組実習である。全員参加でステージをつくったのであるが、まずは丸太の皮剥きである。柄の長い鎌とナタ出で皮を剥いでいくのであるが、結構時間がかかる。そして、一方、丸太を縛る番線をみんなで準備した。これはなれるとそう難しくない。準備ができると、いよいよ組立である。

 番線を締めるシノの使い方が難しい。きちんと締めないとガタガタである。いっぺん失敗するとその番線は使えない。番線をいくつも無駄にしながらも、皆だんだん慣れてきた。うまく行き出すと一人前の鳶になった気分である。階段もつけ、梯子もつくってしまった。完成はしなかったものの、筏つくりに挑戦しようとしたグループもいる。

 藤野さんは、安全と集団の規律には厳しい。朝はラジオ体操で始まり、決められた時間と場所でしか喫煙は駄目である。当たり前のことだけれど、なかなかできない。若い諸君のだらしなさにはイライラされっぱなしであった。それでも、皆が一生懸命だったのを認められたのか、来年も来てやるとおっしゃった。何をつくろうか、今から楽しみである。

 測量実習では、敷地の測量を行った。来年以降の施設整備のためのベースマップとするためである。二つの棟をどう改造するか、また、どう結びつけるか、いささか不自由している風呂の問題をどうするか、バイオガス利用はどうするか、様々な意見が出始めている。来年は、大工仕事も実習になるかもしれない。

 今年は、切り出し現場および「飛騨産業」に加えて、製材所(安原木材)の見学を行った。また、オークヴィレッジと森林匠魁塾にもお世話になった。見学だけでは何かがすぐ身につくということではないけれど、木への関心を喚起するには百聞は一見に如かずである。飛騨の里というのは、木のことを学ぶには事欠かない、実にふさわしい場所である。

 渓流が流れ、朝夕は寒いぐらいに涼しい。森に囲まれ、飛騨高山木匠塾の環境は抜群である。野球大会や釣りなどリクレーションも楽しんだ。まだ、まだ、ハードスケジュールであったけれど、昨年よりはスケジュールの組み方はうまくいったように思う。食事の改善は見違える程であった。リーダーの工夫でヴァラエティーに富んだ食事を楽しむことができた。

 何よりも、学生にとってはそれこそインターユニヴァーシティーの交流がいい。特に、日本の東西の大学が交流するのはなかなか機会がないから貴重である。日本の臍といわれる飛騨高山はそうした意味でもいいロケーションにある。

 飛騨高山木匠塾は、実に多くの人々に支えられて出発しつつある。わが日本住宅木材技術センターの支援はいうまでもないのであるが、実際には久々野高山営林署(新井文男署長)の支援が大きい。また、地元、高根村の御理解が貴重である。

 ところで、その高根村で毎年八月の第一土曜日、「日本一かがり火まつり」が開かれる。昨年はみることができなかったのであるが、今年は最後にみんなで出かけて楽しんだ。

 とにかく、すごい。勇壮である。高根村と営林署の御好意で松明行列に残った全員で参加したのであるが、滅多にない体験である。火を直接使ったり、見たりする経験は、日常生活においてほとんどなくなりつつあるのであるが、原初の火に触れる、そんな感覚を味わうことができたような気分であった。わずかな時間であったが、高根村の企画部の人たちと飛騨高山木匠塾の塾生とささやかな交流をもつことができた。来年は、是非、飛騨高山木匠塾で店を出して欲しい、という要望があった。また、祭の出し物を何か出して欲しいという、要望もあった。

 「かがり火祭」は村を挙げての大イヴェントである。考えてみれば、大変忙しい時期にお邪魔して迷惑をかけているわけである。来年からは少しはお手伝いをしなければ申し訳ない。時間がかかるかも知れないけれども、飛騨高山木匠塾が根づくために、高根村の皆さんとの交流をさらに深めていくことは不可欠なことである。

 







2022年12月19日月曜日

第二回インタ-ユニヴァ-シティ-・サマ-スク-ルにむけて,雑木林の世界33,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199205

 第二回インタ-ユニヴァ-シティ-・サマ-スク-ルにむけて,雑木林の世界33,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199205

雑木林の世界33

飛騨高山木匠塾 

第二回 インターユニヴァーシティー・サマースクールへ向けて

 The 2nd Inter-University Summer School

 

                         布野修司

 

 一九九二年二月二七日、大阪のメルパルクホールで、AF(建築フォーラム)主催のシンポジウム「闘論・建築の世紀末と未来」(磯崎新・原広司 コーディネーター・浅田彰)が開かれた。壮々たるタレントを配したせいであろうか。千人の聴衆を集めた。これには主催者の一員である僕もびっくりである。開演は一八時半だったのであるが、なんとお昼過ぎには列ができた。建築のシンポジウムでこんなことはそうそうないのではないか。少なくとも僕にとって初めて経験であった。

 議論は、日本を代表する両建築家と天才・浅田彰の名司会で実に刺激にみち、充実したものとなった。内容については、今年の秋には刊行される『建築思潮』創刊号に譲るとして(AFでは現在会員募集中 連絡先は、06-534-5670 AF事務局.大森)、なぜ千人もの聴衆が集まったかについて、色々な意見が出た。なんとなく思うのは、バブル経済に翻弄されて忙しく、建築界に議論が余りにも少なかったために議論への飢えがあるのではないか、ということである。東京でなく大阪だったのもいいのかもしれない。スライド会のような講演会ばかりではなく、ちゃんとした議論を行なう場を今後ともAFは続けて行きたいものである。

 

 さて議論の場といえば、飛騨高山木匠塾の第二回「インターユニヴァーシティー・サマースクール」の開催要領案が出来上がった。以下にメモを記して御意見を伺いたいと思う。主旨はこれまでに二度ほど本欄(雑木林の世界23 飛騨高山木匠塾一九九一年七月。雑木林の世界25 第一回インターユニヴァーシティー・サマースクール 一九九一年九月)に書いてきた通りである。気負わずに言えば、建築を学ぶ学生、若い設計者ににできるだけ木に触れさせよう、そうした場と機会を恒常的につくりたいということである。今年も前途多難なのであるが、うまく行けば、秋口に全国から関心をもった人々を募ってシンポジウムが開けたらいいとも考え始めているところである。

 

  ●期間 1992年7月25日(土曜)~8月2日(日曜)

  ●場所 岐阜県高根村久々野営林署野麦峠製品事業所

 ●主催 飛騨高山木匠塾(塾長 太田邦夫)

 ●後援 名古屋営林局・久々野営林署/日本住宅木材技術センター/高山市/高根村/AF(建築フォーラム)/サイトスペシャルズフォーラム/日本建築学会/日本建築セミナー/木造建築研究フォーラム(以上 予定)

 ●1992年度スケジュール(予定)

 7月25日(土) 13:00 現地集合

                施設整備

 7月26日(日)       会場設営

          13:00 オープニング・パーティー

                              オープニング・レクチャー①

 7月27日(月)  9:00 山林見学 伐採 製材 

                フィールド・レクチャー A

            夜          レクチャー②

 7月28日(火)  9:00 オークヴィレッジ    B

                森林魁塾        C

            夜          レクチャー③

 7月29日(水)  9:00 高山見学・屋台会館   D

                飛騨産業(家具工場)  E

            夜          レクチャー④

 7月30日(木)  9:00 実習          F

            夜   ロシアン・ルーレット・ゼミ

 7月31日(金)  9:00 実習

            夜          レクチャー⑤

 8月 1日(土)     野球大会(オケジッタグラウンド)

                ます釣り 他

            夜   日本一かがり火祭り

                フェアウエル・パーティー

 8月 2日(日)       清掃

          10:00 解散     

●プログラム

○レクチャー ① 太田邦夫(塾長 東洋大学)  世界の木造建築/② 藤沢好一(芝浦工業大学) 木造住宅の生産技術/③布野修司(京都大学) 日本の民家の特質/④ 安藤正雄(千葉大学) 木造住宅のインテリア計画/⑤ 秋山哲一(東洋大学) 木造住宅の設計システム

 A 中川(久々野営林署次長)/B 稲本(オークビレッジ主宰)/C 庄司(森林魁塾)/D 桜野(高山市)他/E 日下部(飛騨産業)

 講師陣(予定)   浦江真人 村木理絵(東洋大学)、松村秀一(東京大学)、古阪秀三、東樋口護(京都大学)、大野勝彦(大野建築アトリエ)、古川修、吉田倬郎(工学院大学)、大野隆司(東京工芸大)、谷卓郎、松留慎一郎(職業訓練大学)、野城智也(武蔵工業大学)、深尾精一、角田誠(東京都立大学)他

○実習

 1。屋台模型制作実習 1/5および原寸部分/2。家具デザインコンペ /3。家具制作/4。足場組立実習/5。施設全体計画立案/6。野外風呂建設 /7。バイオガス・浄化槽研究/8。竈建設/9。測量実習 /10。型枠実習                       ●参加資格 木造建築に関心をもつ人であれば資格は問わない

 ●参加予定 芝浦工業大学・東洋大学・千葉大学・京都大学・東京大学・工学院大学・都立大学・東京工芸大学・職業訓練大学・武蔵工業大学

 ●参加費 学生 3000円/日(食事代、宿泊費含む)/一般 5000円/日(食事代、宿泊費含む)/但し、シーツ、毛布、枕カヴァーは各自持参のこと。

●連絡先 芝浦工業大学 藤澤研究室(tel 03-5476-3090)/京都大学  西川・布野研究室(075-753-5755)/千葉大学 安藤研究室(0472-51-7337)/東洋大学 太田・秋山・浦江研究室(0492-31-1134) 





2022年12月2日金曜日

2022年11月29日火曜日

涸沼合宿SSF,雑木林の世界26,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199110

 涸沼合宿SSF,雑木林の世界26,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199110

雑木林の世界26

涸沼合宿SSF 

                        布野修司

 

 八月二三日から二四日にかけて、茨城県の涸沼(ひぬま)へSSF(サイトスペシャルズ・フォーラム)の合宿のために出かけた。涸沼といっても知らない人も多いのかもしれないが、水戸から大洗鹿島線で四つめの駅が涸沼だ。電車で二〇分程、車で三〇分程であろうか。茨城町、旭村、大洗町にまたがる小さな湖である。大洗海岸へ通じでて太平洋へ至る。真水と塩水が混じり合い、蜆(しじみ)が採れる。川の幸と海の幸を嗜める絶好の地だ。

 涸沼へは二度目であった。最初訪れた時から親近感がある。同じように真水と海水が混じり合う、宍道湖と中海をつなぐ大橋川のほとりで育ったからである。大橋川というのは、時に右から左に流れ、時に左から右に流れる世にも不思議な川なのだが、大橋川は知らなくても宍道湖はご存じであろう。七珍味、中でも蜆は有名な筈だ。宍道湖の淡水化反対の理由のひとつは蜆が採れなくなるというものであった。関東へ送られる幼蜆というか種蜆の大半は宍道湖のものである。涸沼は宍道湖よりもちろん小規模なのだが、なんとなく雰囲気が似てもいるのだ。

 さて、SSFの涸沼合宿の目的とは何か。「職人大学」、「SSA(サイト・スペシャルズ・アカデミー)」の構想を煮つめようというのである。内田祥哉理事長以下、総参加人数二八名*1の大合宿となった。大合宿というのは人数だけではない。現地視察の後、夕食をはさんで前後四時間に及ぶ大議論は、真に合宿の名に値するものであった。

 藤澤好一SSFアカデミーセンター長によって用意された、当面の検討内容は以下のようであった。

 

 ①名称と形態 サイト・スペシャルズ・アカデミー(仮)

  当面は制約のない業界自前の機関として、自由で新しい育成方針を確立する。将来展望のある魅力的でユニークなものとする。「職人大学」という「大学」名に拘る必要はないのではないか。近い将来大学そのものの機能が危ぶまれる。

 ②設立運営主体

  設立運営の主体となる組織、SSA教育振興財団(仮)の検討。設立のための調査、交渉、調整、手続きなどを担当する設立準備委員会を早急に設立する。

 ③用地の確保

  適切な設置場所の選定。用地の確保。最低二万平方㍍は必要か。用地確保の時期、資金、財団への委譲手順の検討。

 ④施設配置計画

  教育研修施設、SSネットワークセンター、実習施設、研究開発施設、宿泊施設、リクリエーション施設等の検討

 ⑤研修課程と年限 入学定員と募集方法

  例えば、以下のような構成案についての検討。

  初期課程(高卒 二年課程)   一〇〇名

  専攻課程(実務五年 一年課程)  五〇名

  特別課程(実務十年 一年課程)  二五名

 ⑥学科

  例えば、以下のような二学科で開校してはどうか。

  a専門技術学科・伝統技能学科

  bサイトマネジメント学科

 ⑦修了者の処遇、資格

  公的な資格取得より、業界内で資格を設定し、価値あるものとしていく方向を検討する。

 ⑧ネットワークの構築

  国内外の関連施設(例えば、筑波研究学園都市)との提携、大学、研究機関との交流、教育スタッフ、学生の交換、既往の養成機関との連携などの検討。

 

 多岐にわたる検討内容を大まかに整理すれば、「職人大学」の内容をどうするか、用地をどう考えるか、財源をどうするか、という三つのテーマとなる。いずれも大きな課題である。前半部の司会を務めさせられたのであるが、いきなり問題となったのは、財源の問題であった。

 財源の問題がはっきりしないと全ては絵に描いた餅である。いきなり、財源の問題に議論が集中したのは参加者の真剣さを示していよう。職人の養成、結構、職人の社会的地位の向上、大賛成、しかし、お金は出せない、出したくない、というのがこの業界の常なのである。

 一体幾らかかるのか。内容とも関係するのであるが、みんなプロである。およそ検討はつく。プロが自力建設でやれば、相当安くつく筈だ。建設の過程を実習にすればいい、集まった資金でやれる範囲で施設をつくっていけばいいのではないか、等々色々なアイディアも出て来る。

 資金について議論の焦点となるのは、本当に自前で資金を用意できるかどうかということである。また一方で、サブコンだけでなく、ゼネコンにも協力を求めるべきではないか、結局ゼネコンにとっても重要な課題なのだから、という意見もでる。SSFは、主旨に賛同するあらゆる人や組織に開かれたフォーラムであるから、もちろんゼネコン(に限らずあらゆる機関)を排除しようということはもとよりないのであるが、やはりゼネコンの手を借りなきゃ、という意見と、どうせなら自前でやろうという意見が交差するのである。

 また、広く賛助金を募るためには、建設省など、公的機関のお墨付きが欲しいという意見がある。建設省が支援すれば、ゼネコンもお金が出しやすいし、沢山基金も集まるのではないか、という意見である。それに対しては、お墨付けをもらうといろんな制約が出て来るのではないか、という意見もある。

 内容についても、一方で、初期養成を中心にすべきだという意見と、もっと高度な機関にしたい、という意見がある。これについては、初期養成も無視しないけれど、全国の養成教育機関の拠点になるような高度な内容としたいということでまとまりつつあるところだ。問題は、そうした実力をSSFがもてるかどうかである。

 用地については、様々な意見がでた。さすがプロ集団である。引続き調査検討することになった。懇親会で深夜まで続いた議論で、最初期のイメージが出てきたように思う。早速、計画書の作成にかからなければならない。一一月初旬には、SSFのメンバーで、ドイツのマイスター制度を視察にいく。その旅行において、設立趣意書がまとめられることになっている。

 

 

*1 主要な参加理事は次の通り。小野辰雄(日綜産業、副理事長)、田中文男(真木 運営委員長)、斉藤充(皆栄建設)、入月一好(入月建設)、藤田利憲(藤田工務店)、曽根原徹三(ソネコー)、青木利光(金子架設工業)、黒沼等(越智建材)、上田隆(山崎建設)、富田重勝(内田工務店)、今井義雄(鈴木工務店)、深沢秀義(西和工務店)、伊藤弘(椿井組)、辰巳裕史(日刊建設工業新聞社)、田尻裕彦(彰国社)、安藤正雄、藤澤好一、布野修司





2022年11月28日月曜日

第一回インタ-ユニヴァ-シティ-・サマ-スク-ル,雑木林の世界25,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199109

 第一回インタ-ユニヴァ-シティ-・サマ-スク-ル,雑木林の世界25,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199109

雑木林の世界25

 飛騨高山木匠塾

 第一回インターユニヴァーシティー・サマースクール

                         布野修司

 

 飛騨高山木匠塾の第一回「インターユニヴァーシティー・サマースクール」(芝浦工業大学藤沢研究室、千葉大学安藤研究室、東洋大学太田・布野・浦江研究室を主体とする)を無事終えた(七月二三日~二九日)。参加人数は約六〇名。心地よい疲れが残っている。次のプログラムへ向けて、様々な思いが頭の中を駆け巡る。とりあえず、思いつくまま振り返ってみよう。およそのプログラムは以下のようであった。

 

●視察・見学

 ○植生論(中川護久々野営林署次長、上河同所長)

 名古屋営林支局管内の自然条件、飛騨の森林と林業、木の使い方などについて説明を受けながら、金山谷で桧の切り出しの現場をみる。リモコン・チェインソーとチェインソーによる伐採比較。ゆうに全日プログラムであるが、今回は半日。

  ○家具製作工程(於、飛騨産業)

  飛騨家具の特徴などの説明の後、曲げ木の製作工程見学。約一時間のプログラム。

 ○高山市内見学。

  屋台会館見学。吉島邸、日下部邸見学。伝統的建造物地区見学。二時間プログラム。これまた今回は時間不足であった。最低一日欲しい。

 

●演習・実習(安藤、藤澤、布野)

  ○木匠塾(岐阜県大野郡高根村阿多野郷久々野営林署野麦峠製品事業所)の整備(掃除に、布団干し)

  ○足場組立演習

  開校式の舞台設営を兼ねる。日総産業のスリー・エス・システム。SSF協賛のプログラムである。木匠塾に鋼管足場は似合わないのだが、早い。二時間で組立て終わる。来年は、足場丸太の演習か。足場解体演習も。

 ○高山祭り屋台 模型製作(10分の1)

  昼ごろ開始、深夜完成。

 ○ブリッジ・プロジェクト

  木匠塾の二棟をつなぐ、丸木橋の建設。番線緊結実習となる。

 ○ウオーターフォール・プロジェクト

  水道およびクーリング・プール(冷蔵池)の建設。

 

●講義

 ○木造建築技術者養成プログラム

  安藤正雄

  藤澤好一

  布野修司

 ○合同ゼミ(安藤、藤澤、布野)。ロシアン・ルーレット・ゼミ。木匠塾の改造計画についてフリーディスカッション。

 ○特別講義

 上河 潔(久々野営林署署長)「日本の森林と林業」

 足立秀夫(飛騨産業副社長)  「飛騨産業と飛騨高山」

 川尻又秀(高山屋台保存会) 「高山祭りと屋台」

 垣内忠佳(飛騨高山匠の家) 「産直住宅・飛騨高山匠の家」

 桜野功一郎(高山市文化課) 「高山の民家と町並み」

  小野辰雄(日綜産業)        「建築家とは」

 

 かなりのハードスケジュールであった。第二回からは、もう少しのんびりしていいと思う。午前中、一講義、午後、実習あるいはフリータイム、夜、一講義、ぐらいでいいのではないか。ファックス、コピー、ビデオ(テレビは、NHKしか入らない)があれば、自由時間にそれぞれ好きな仕事をする、そんな余裕が欲しかった。一回目ということで、少し入れ込み過ぎたきらいがある。フィールドでの植生論や高山の町並み視察は、ゆうに一日プログラムである。涼しい中で一夏過ごす、だんだん、そんなプログラムになっていくのかもしれない。そうなると、一年分ぐらいの大学のカリキュラムもこなせる筈だ。サマースクールも連合自由大学の色彩を帯びて来る。

 カリキュラムの内容については、今年数本のビデオのストックができたし、年々豊富化していくことは間違い無い。世界中の木造文化についてのビデオライブラリーが遠からずできるに違いない。

 実習については、教材は無限である。生活環境の整備でも沢山のプログラムができる。裏の山の木を間伐し、切り開きながら、必要な施設を造っていけばいい。トイレ用のバイオ・タンクとか、ソーラーバスとか、来年すぐ必要な施設もある。作業場とか、教場もつくる必要がある。宿舎棟の改造、建て替えも、日程にのぼる筈である。

 屋台の建設が時を刻む。今年は十分の一の模型だけど、来年は五分の一の模型である。それと原寸で部分をつくる。新しいメカニックを考案して、新たにデザインする。十年後にできれば立派なものだ。屋台保存会の川尻さんによれば、高山の屋台は二百年の年月をかけてつくられたのであり、一朝一夕にできるわけはないのである。屋台は生きている。番外で、高山祭りで曵かしてもらえる事態が起こるかもしれない。

 生活環境についての学生の反応が興味深かった。最初の日、布団を干したのであるが、シーツを持参しなかったこともあって、いやいやの態度がみえみえであった。それに汲み取り式便所が駄目である。さらに、蛾とか大きな蟻とか、虫が駄目である。生理的についていけない。日程の終わりには、慣れるのであるが、大自然の中で暮らすことだけでも意味があるのである。

 一週間寝泊まりして、費用はアルコール抜きでひとり一万五千円程度である。かなりの安上がりではないか。自炊をすれば、費用はもっと安くなる。困るのは、風呂である。近くの民宿の風呂と露天風呂を使わせてもらったのであるが、それでも車で二十分かかる。木匠塾に風呂はあるのであるが、いかにも狭い。来年はなんとかする必要がある。食事も工夫する必要があるかもしれない。

 第一回のインターユニヴァーシティー・サマースクールは、無事に終わった。しかし、これからが大変である。冬場の雪下ろしなど、維持管理の問題がある。端的に言って、費用がかかる。今回、木匠塾を使えるようにするのに百万円程度の費用がかかったのであるが、なんとか捻りださなければならない。

 まあなるようになるだろうと、楽天的なのであるが、いずれ、しっかりした基金を用意する必要がある。この場を勝手に借りて、読者の皆様の絶大なる支援をお願いしたい。また、来年以降、インターユニヴァーシティー・サマースクールには、さらに多くの大学の参加をお願いしたい。来年からは、八月の第一土曜日を最終日とする一週間程度の開校予定である。八月の第一土曜日には、毎年、木匠塾のある高根村で、「日本一かがり火祭り」が開かれるのである。

(第一回インターユニヴァーシティー・サマースクールの報告書、ヴィデオ(総集編 45分)は、布野もしくは藤澤までお問い合わせ下さい。)  

 

 七月二三日 一時半 現地飛騨高山木匠塾(岐阜県大野郡高根村阿多野郷久々野営林署野麦峠製品事業所)集合。午後いっぱい、木匠塾の整備(掃除に、布団干し)。夜、野麦峠の「お助け小屋」にて、前夜祭。

 七月二四日 午前 フィールド視察。植生論(中川護久々野営林署次長、上河同所長)、名古屋営林支局管内の自然条件、飛騨の森林と林業、木の使い方などについて説明を受けながら、金山谷で桧の切り出しの現場をみる。午後、開校式の舞台設営を兼ねて、足場組立演習。日総産業のスリー・エス・システム。SSF協賛のプログラムである。木匠塾に鋼管足場は似合わないのだが、早い。二時間で組立て終わる。来年は、足場丸太の演習か。午後三時より、開塾式並びに開校式、高根村、久々野営林署、ひだ高山・匠の家共同組合、高山屋台保存会、森林たくみ魁塾など、沢山の来賓の祝辞をうける。懇親会は、学生主体のパーフォーマンンス大会。大人が割り込んで大いに盛り上がる。

 七月二五日 午前、足場解体、後片付け。午後、大学対抗親睦野球大会。第一回は東洋大学の優勝。夕飯後、合同ゼミ。ロシアン・ルーレット・ゼミと呼ばれる。その後、木匠塾の改造計画についてフリーディスカッション。

 七月二六日 午前、飛騨産業にて家具製作工程視察。屋台会館見学。吉島邸、日下部邸見学。午後、レクチャー、夕食を夾んで四時限、各一時間半。

 上河 潔(久々野営林署署長)「日本の森林と林業」

 足立秀夫(飛騨産業副社長)  「飛騨産業と飛騨高山」

 川尻又秀(高山屋台保存会) 「高山祭りと屋台」

 垣内忠佳(飛騨高山匠の家) 「産直住宅・飛騨高山匠の家」

 七月二七日 午前 スライド・レクチャー。

 桜野功一郎(高山市文化課) 「高山の民家と町並み」

 午後、実習。

  a 高山祭り屋台 模型製作(10分の1) 深夜完成

  b ブリッジ・プロジェクト 木匠塾の二棟をつなぐ、丸木    橋の建設。番線緊結実習

    c ウオーターフォール・プロジェクト 水道およびクーリ    ング・プール(冷蔵池)の建設。

  夕刻より、AF(建築フォーラム)主宰パーテイー

 七月二八日 自由研修(高山見学 ます釣り等)。夕刻、フェアウエル・パーティー

 七月二九日 清掃、後片付け。十時すぎ解散。

 

 


2022年11月25日金曜日

「飛騨高山木匠塾」構想,雑木林の世界23,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199107

 「飛騨高山木匠塾」構想,雑木林の世界23,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199107

雑木林の世界23

 飛騨高山木匠塾(仮)構想

                        布野修司

 

 今年の一月末、ある秘かで微かな夢を抱いて、飛騨の高山へ向かった。藤澤好一、安藤正雄の両先生と僕の三人だ。新幹線で名古屋へ、高山線に乗り換えて、高山のひとつ手前の久々野で降りた。道中、例によって賑やかである。ささやかな夢をめぐって期待と懐疑が相半ばする議論が続いた。

 久々野駅で出迎えてくれたのは、上河(久々野営林署)、桜野(高山市)の両氏。飛騨は厳しい寒さの真只中にあった。暖冬の東京からでいささか虚をつかれたのであるが、高山は今年は例年にない大雪だった。久々野の営林署でその概要を聞く。久々野営林署は八〇周年を迎えたばかりであった。上河さんに頂いた、久々野営林署八〇周年記念誌『くぐの 地域と共にあゆんで』(編集 久々野営林署 高山市西之一色町三ー七四七ー三)を読むとその八〇年の歴史をうかがうことができる。また、未来へむけての課題をうかがうことができる。「飛騨の匠はよみがえるか」、「森林の正しい取り扱い方の確立を」、「木を上手に使って緑の再生を」、「久々野営林署の未来を語る」といった記事がそうだ。

 木の文化、森の文化を如何に維持再生するのか。一月の高山行は、大きくはそうした課題に結びつく筈の、ひとつのプログラムを検討するためであった。もったいぶる必要はない。ストレートにはこうだ。上河さんから、使わなくなった製品事業所を払い下げるから、セミナーハウスとして買わないか、どうせなら「木」のことを学ぶ場所になるといいんだけど、という話が藤澤先生にあった。昨年来、しばらく、その情報は、生産組織研究会(今年から10大学に膨れあがった)の酒の肴となった。金額は、七〇〇万円、一五〇坪。いくつかの大学か集まれば、無理な数字ではない。とにかく行ってみてこよう、というのが一月末の高山行だったのである。

 雪の道は遠かった。寒かった。長靴にはきかえて、登山のような雪中行軍であった。中途で道路が工事中だったのである。野麦峠に近い、抜群のロケーションにその山小屋はあった。印象はそう悪くない。当りを真っ白な雪が覆い隠している中でひときわ輝いているように見えた。

 それから、三ケ月、どう具体化するか、折りにふれて議論してきた。しかし、素人の悲しさ、議論してもなかなか具体的な方策が浮かばない。そのうちに、とにかく、わが「日本住宅木材技術センター」の下川理事長に話しをしてみろ、ということになった。頼みの藤澤、安藤の両先生は、ユーゴでの国際会議で出張中。塾長をお願いすることになっている東洋大学の太田邦夫先生と以下の趣旨文を携えて下川理事長にお会いすることになった。

 「主旨はわかります。しかし、どうして大学で「木」のことを教えることができないんですか」

 いきなりのメガトン級の質問に、太田先生と二人でしどろもどろに答える。

 「五億円集めて下さい。維持費が問題なんです。」

 絶句である。七〇〇万円のつもりが五億円である。言われてみれば当然のことである。どうも、いいかげんなのが玉に傷である。あとのことは、払い下げてもらってから考えればいい、なんて気楽に考えていたのだ。プログラムは、立派なつもりなのだけど、どうにもお金のことには弱いし縁もない。

 その後、建設省と農水省にも太田先生と行くことになった。生まれて初めての陳情である。しかし、陳情だろうと思いながら何を頼んでいいのかわからないのだから随分頼りない。

 しかし、乗りかかった船というか、言い出してしまったプログラムである。とにかく、賛同者を募ろう、というので、五月の連休あけに山小屋をまた見に行こうということになった。新緑の状況もみてみたかったのである。

 メンバーは、当初、太田邦夫、古川修(工学院大学)、大野勝彦(大野建築アトリエ)の各先生と藤澤、布野の五人の予定であったのだが、望外に、下川理事長が忙しいスケジュールを開けて下さった。全建連の吉沢建さんがエスコート役である。総勢七人+上河、桜野の九人。大いに構想は盛り上がることとなった。冬には行けなかったのであるが、新緑の野麦峠はさわやかであった。 さて、(仮称)飛騨高山木匠塾のプログラムはどう進んで行くのか。その都度報告することになろう。以下に、その構想の藤澤メモを記す。ご意見をお寄せ頂ければと思う。

 

飛騨高山木匠塾構想

設立の趣旨:わが国の山林と樹木の維持保全と利用のあり方を学ぶ塾を設立する。生産と消費のシステムがバランス良くつりあい、更新のサイクルが持続されることによって山林の環境をはじめ、地域の生活・経済・文化に豊かさをもたらすシステムの再構築を目指す。

設立の場所:岐阜県久々野営林署内・旧野麦製品事業所ならびに同従業員寄宿舎(この建物は、昭和四六年に新築された木造二棟で床面積約四八三㎡。林野合理化事業のため平成元年末に閉鎖され、再利用計画が検討されている。利用目的が適切であれば、借地権つき建物価格七〇〇万円程度で払い下げられる可能性がある)

設立よびかけ人: メンバーが建物購入基金を集めるとともに運営に参加する。また、塾は、しかるべき公的団体(日本住宅・木材技術センターなど)へ移管し、管理を委譲する。

学習の方法: 設立に参加した研究者・ゼミ学生と飛騨地域の工業高校生が棟梁をはじめ実務家から木に関するざまざまな知識と技能を学ぶ。基本的には参加希望者に対してオープンであり、海外との交流も深める。

 ここでの学習成果は、象徴的な建造物の設計・政策活動に反映させ、長期間にわたり継続させる。例えば、営林署管内の樹木の提供を受け、それの極限の用美として「高山祭り」の屋台を参考に、新しい時代の屋台の設計・製作活動を行うことも考えられる。製作に参加した塾生たちが集い、製作中の屋台曳行を行うなど毎年の定例的な行事とすることも考えられる。また、地元・高根村との協力関係による「施設管理業務委託」やさまざまな「地域おこし」も可能である。

開校予定:

 平成3年7月23日から芝浦工業大学藤澤研究室/東洋大学布野・浦江・太田研究室/千葉大学安藤研究室のゼミ合宿をもって開始する。