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2024年6月29日土曜日

X twitter 2024年6月20日~29日

 

布野修司 Shuji Funo
今日は講義日13:00-16:10を終え津田沼から国分寺へ。藤井VS伊藤匠の叡王戦、2勝2敗の決戦日。亀戸AIは56-44で藤井有利。じわじわ差を広げるいつものパターンか?お茶の水50-50。駅に着いてTaxiで終局に間に合った。匠君でかした。藤井君の苦渋の表情はめったに見られないよ。匠・藤井時代の始まりか?

ホモ・サピエンスの起源に遡って、コミュニティ(共同体)の起源に関わるクドクドとした呟きを続けていて、都市国家の構造にさしかかろうとする矢先に、先日「コミュニティ/新しい希望」で一緒した小熊英二さんが消滅自治体に関連して、自治体は2万必要という発言(朝日6・19)小学校区の規模である。


山本理顕のいうコミュニティ権、地域社会圏が如何に成立するか?というのが一連の呟きの出発点である。小熊英二さんの言う小学校区がベースとなるというのは、1924年にアメリカの社会・教育運動家で地域計画研究者であったクラレンス・ペリーが発表した『近隣住区論』The neighborhood unitである。

コミュニティ権の成立根拠をめぐって呟いてきて、ハンナ・アレントへ行きたいけど、さらに寄り道。昨日A-Forumに寄って『コミュニティ事典』(春風社2017)を拝借。これまでの呟きが都市社会学の流れでピント外れでないかどうか確認しよう。ただ、冒頭、総論に、コミュニティとは何かの説明はない?


『コミュニティ事典』「1総論 コミュニティの思想と歴史」「1伝統的コミュニティ論と現代1-1日本社会とコミュニティ」(長谷部弘)は、全国で7万余あった「近世村」は、身分原理の強く働く共同体と考えられてきたが、既にその分化は進み、村落における村請制自治行政体として機能していたという。