文明と森,シルバン編集委員会,シルバン6,1996AUTUMN
文明と森
布野修司
世界単位
「総合的地域研究の手法確立」という文部省の五カ年にわたる重点領域研究の末端に加えさせて頂いている。京都大学の東南アジア研究センターを中心とする東南アジア研究者が主体となる研究プロジェクトであるが、そのタイトルが示す通り、「総合的地域研究の手法確立」がテーマであり、研究対象は東南アジア地域に限定されない。「外文明と内世界」、「地域発展の固有論理」、「地域性の形成原理」などいくつかの班からなるけれど、総括班が主催する「地域間研究」の視点が刺激的である。
「東南アジアと南アジア」、「東南アジアと中東」、「東南アジアと中国」という形で地域間比較を行いながら、地域研究の方法をグローバルな視野において問いつつあるのである。その中心にいて議論を仕掛けているのは、見るところ、「世界単位論」を提起する(『新しい世界秩序をめざして』 岩波新書)高谷好一氏(滋賀県立大学)だ。将来の世界における地域のあり方を展望するために提出されたのが世界単位という概念だ。世界単位は必ずしも生態学的に自立可能な単位ということではないのであるが、「エコ・ロジック(生態論理)」がその基礎に置かれていることは間違いない。中国は一つの世界単位になる。東南アジア全域も世界単位足りうる。日本は、しかし、世界単位にはならないのではないか。
「地球環境時代」の行方をめぐっては、構想力豊かなプログラムと共に具体的な実践が必要とされる。「エコ・ロジック」がその鍵を握っていることは疑いのないところである。
地域間比較・・・生態論理
手元に出席できなかった「東南アジアと中東」を比較する研究討論会の記録(一九九六年四月)が届いた。いくつかのトピックを取りあげれば以下のようである。
まず、冒頭で、古川久雄先生(京都大学)が「風土の変貌」と題して、東南アジアと中東の比較を試みている。東南アジアは湿潤な世界であり、中東は乾燥の世界である。発生学的風土という視点からみると、中東地域は生態区分が単純で、陸、砂漠、ワジ、ドライステップぐらいしかなく、人間の居住できる場所は古くから限定されてきた。限定された場所に密集して住むことから、隣人関係から、戦闘、交易、支配、服従といった社会的関係の処理の制度を発達させてきた。それに対して、東南アジアは、生態区分が豊富である。まず、森があるが、森といっても多様で、何層にも樹冠の重なる熱帯降雨林、落葉するモンスーン林、また、テラテラした葉をつける照葉樹林などが区別される。また、海も、マングローブの密生する浅海、珊瑚礁の海など様々である。
生業について見ると、中東は居住可能な場所イコール水のある場所であり、「オアシス農耕牧畜複合」を基本とするのに対して、東南アジアは基本的には採集の世界である。こうした比較は、宗教、規範へと展開されていくのであるが、地域を生態学的な基盤においてまず捉える見方に対して、中東の場合、器としての地域より、人の動きとネットワークが地域性を形づくるのではないか、という議論が提出される。家島彦一氏(東京外国語大学)の「都市とネットワーク」がそうである。
属地か属人か、という概念フレームは「イスラームの都市性」をめぐって提出されたものであるが、地域をどうとらえるか、という際の大きな軸となる。「イスラーム」が属人的な特性をもち、それを産んだ中東の地域性も属人的なネットワークとして理解する一方、「イスラームの地域性」を問題にするのが大塚和夫氏(東京都立大学)である。世界最大のムスリム人口をもつインドネシアを含む東南アジア地域も、イスラームの地域化として捉えられるという、主張がある。
舌足らずにしか触れ得ないのであるが、東南アジアと中東に限らず、東南アジアと南アジアをめぐっても、地域とは何か、地域をどう捉えるか、をめぐって、大きな議論が展開されつつあって、実にスリリングである。
何よりも興味深いのは、専門的な細かい議論よりも、地域の中心を大づかみにするイメージが重視されていることである。中東のイメージは、高谷好一氏によれば以下のようだ。
断面図をとると、左に地中海、そしてレバントの山脈があり、その背後にダマスカスがある。それから、チグリスの大シリアの平原が拡がり、ザクロスの山があって、後ろにイスファハンがある。最後にペルシャの高原があって、アフガンにつながる。中東全体として都市と遊牧の世界であるが、いくつかに分けるとすると、山国とゾロアスター教のペルシャ、森と遊牧民のトルコ、商人の大シリア、農民のエジプト、というイメージになるのではないか、というのが高谷説である。
高谷説の基本は、結局全ては「エコ・ロジック」にできていると考えるところにある。そして、三つの生態/世界単位類型の組み合わせが考えられている。第一は、砂漠と草原、すなわち乾燥帯。第二が、森。第三が、森が切り開かれた「野」。そして、高谷氏はそれぞれの地域を捉える視角は別々にならなければならない、という。
森を切る視角はエコロジー。野を切る視角は統治の論理、あるいはイデオロギー。草原、砂漠、海を切る視角は、ネットワークもしくは属人性。野とは、具体的にはインドと中国である。東南アジアは森の世界である。
森と文明の物語
以上のような議論を頭の隅に置きながら、安田喜憲氏の『森と文明の物語ー環境考古学は語る』(ちくま新書 一九九五年)を読んだ。森こそが文明の盛衰の鍵であるという、森林史観とでもいうべき文明観が示されている。武器とされるのが花粉分析である。花粉というのは皮膜に覆われて強く、腐らないのだという。ボーリングによって各地層に含まれる花粉の種類と量によって、かっての植生がわかる。環境考古学と言われる新しい魅力的分野の成果である。
かって文明が栄えた地域には豊かな森があった。中東のチグリス、ユーフラテス川流域は古代メソポタミア文明発祥の地として知られる。世界最古の都市文明が成立した場所とされる。この都市文明の成立こそ、森林破壊の第一歩であった、というのが『森と文明の物語』の基調である。
花粉分析によれば、現在のレバノンからシリア、そしてトルコの地中海沿岸には樹齢六〇〇〇年以上のレバノンスギの巨木が天空高く聳える森があった。上の高谷モデルでいうとレバントの山脈の地域がそうである。そのレバノンスギの森の存在は、紀元前三〇〇〇年に書かれた人類最古の叙事詩『ギルガメシュ』に登場する。ギルガメシュとは、レバノンスギの森を征服したウルクの王の名前である。
紀元前五五〇〇年頃、大規模な気候変動が起こった。それとともに乾燥化、砂漠化が始まる。従って、冒頭の中東の地域の生態区分は修正の必要はないのであるが、この間の考古学的発見が明らかにするのは、その気候変動によって、すなわち森林資源の枯渇によって滅びた国があることである。レバノンスギの集散地であったと考えられるエブラ王国がそうである。木材は、建築用材として、また、造船用材として、燃料として無くてはならない資源であった。さらに、木棺にも大量に用いられたという。木材資源の争奪をめぐって、エブラ王国は滅びるのである。安田喜憲氏は、トロイ戦争もペロポネソス戦争も森林争奪戦争であったという。
ヨーロッパ文明と森をめぐっても、興味深い物語がある。知られるように、イギリスでもフランスでも、イタリアでもオーストリアでもドイツでも、一六~一八世紀に森は消滅したということがある。ロンドンから木造建築が消えたのは、一六四四年のロンドン大火からであるが、実際には、森林資源の枯渇があった。ドイツのシュヴァルツバルトの大半は、一九世紀以降植林されたものである。
ヨーロッパ文明と新大陸の接触によって、南北アメリカ大陸でいかに森林が破壊されたか、イースター島のモヤイの像が何故つくられなくなったのか、等々、森の文明史は数々の教訓を与えてくれる。そこでどう未来を展望するのか。現代文明はあと一〇〇年以内に崩壊するだろうと安田氏はいう。「現代文明の末期には環境難民が多発し、その文明の崩壊、これまでのいかなる文明も体験しなかった地球全体を巻き込んだ破滅的なものになるだろう」というのがそのシナリオである。森の文明を再認識すること、共生と循環、そして平等主義に立脚した新しい文明を創り出すことが展望されるけれど、容易なことではない。
木匠塾
木匠塾という集まりを開始して六年になる。毎夏、インターユニヴァーシティ・サマースクールと称して、合同合宿のようなことを行うだけだから、どうということはないのだけれど、森のことを考えるいい機会になっている。
営林署の製品事業所が使われなくなったので、払い下げてもらったのがきっかけである。岐阜県高根村で開始して、昨年は加子母村でも集まりをもつようになった。
今年の木匠塾のインターユニヴァーシティー・サマースクール(第六回)は、去年に引き続いて、高根村と加子母村の二カ所で、七月三〇日~八月一〇日の間、開かれた。二カ所になり期間も長くなったのは、参加人数が多くなり、それぞれのグループ毎に独自のプロジェクトが展開され始めたからである。
高根村の「日本一かがり火まつり」(毎年八月の第一土曜日 今年一〇回目)は魅力的である。今年は、京都造形大学と大阪芸術大学が屋台を出した。また、東洋大学、千葉大学、芝浦工業大学の東京組も、その日高山見学などを組み入れて、かがり火まつりの会場に集結してきた。翌日は、加子母村での懇親スポーツ大会で、翌々日のプレカット工場等の見学などが共通プログラムである。
加子母村では、高根村と同じように営林署の二棟の製品事業所の改装が今年は開始された。宿泊施設として使うためである。製品事業所のある渡合地区はすばらしいキャンプ場として整備されつつあるのであるが、電気の設備がない。自家発電装置が必要なのであるが、電気のない自然の中で暮らす経験も木匠塾の第一歩である。
まず問題となるのが虫である。今年は蛾の類の虫の異常発生とかで、夜はたまらない。油断していると口の中に飛び込んできたりする。初めて木匠塾に来るとびっくりするのであるがすぐなれる。また、魚釣りをしたことのない学生が多いのに驚く。それだけ日本から自然が失われているというべきか。嬉々として魚釣りに興じる学生の顔を見ると、複雑な心境になる。とにかく、自然に触れるのは貴重な経験なのである。
京都大学グループは、三年がかりの登り釜を完成させた。去年は素焼き止まりであったが、今年は釉薬を塗って素晴らしい焼き上がりとなった作品ができた。釜の構造も補強し、ほぼ恒久的に使えるようになった。素人がつくった釜でも一応使えるのが確認できたのは大収穫である。
もうひとつのプロジェクトは、斜面への露台の建設である。清水の舞台、懸け造りとはとてもいかない。丸太を番線で緊結するプリミティブな手法だ。番線とシノの扱い方は、ロープ結びと並ぶ木匠塾の入門講座である。
京都造形大学は、昨年の原始入母屋造りを山の斜面に向かって増築していく構えで、草刈り機をつかっての地業に余念がなかった。大阪芸術大学は、念願の風呂をつくるということで準備ができていた。継続的に、ものが出来ていくのは楽しいことである。
バンガローの設計組立は、来年になりそうであるが、東洋大グループは、昨年のゲルを改良して移動住居として立派に使っていた。創意工夫もものをつくる源泉である。
まあ、たわいのない遊びのようなものだけれど、森を考えるきっかけにはなる。木匠塾は可能な限り続けていくことになろう。