日本建築学会編(2018)『建築フィールドワークの系譜 先駆的研究室の方法論を探る』昭和堂
「全ての地域に世界を読む」
活動期間:1976年-現在
主なフィールド:インドネシア、イスラーム都市、ヒンドゥー都市、中華都市、近代植民都市
研究室キーワード:歩く、見る、聞く、ビール、都市組織、変容プロセス、建築類型、研究-実践-検証
解説用キーワード:
ハウジング:住宅供給。供給の仕組みと、供給される住宅の双方を含む。
居住環境:建造環境と社会的環境、自然環境とが人の居住活動をつうじて結びあわされた複合的システム。居住の主たる場である街区スケールを中心に成立する。
タウン・アーキテクト:建築家としての立場と、地域住人の立場を兼ね備え、地域に密着した居住環境形成の専門家。地域コミュニティとフォーマルな計画とを媒介し、活力ある居住環境形成の要となる。
■フィールドワークの方法論
出発点
フィールドワークの根底には、住宅まちづくりのあるべき姿への問いがある。建築計画学の初心が出発点である。戦後の公共住宅のモデルとなった51C型や小学校、病院など公共施設の基本型(プロトタイプ)の設計を主導した東大吉武研究室が出身研究室である。1968年に全国の住宅総数が世帯数を超え、1973年には全都道府県で住戸数が世帯数を上回った。戸数は足りたけれど、その質はどうか、量より質へというのがスローガンとなっていた。私たちの生活が標準化されていく一方、プロトタイプを生みだした当の建築計画学の方も、制度を前提として、施設内部のみの問題を考察するようになっていた。吉武研究室は、戦後まもなくの住宅調査やの銭湯調査、貸本屋調査など、実際の住まい方との密な関わりを出発点としてきた。実際の町との関係が希薄化しているように思えた建築計画の現状に対して、原点に立ち返り、実地に学ぶことから住まうことの要求に応えるべきだと考えた。
インドネシアへ
1978年から東洋大学で教えるようになったことを契機に、実際の町での多様な住まい方の理解と多様な住まい方に対する建築的解法の探求を目的としつつ、新たな取組みとして機会を与えられて海外フィールド調査をはじめた。第二次大戦や戦後の日系企業進出などで、密接かつ困難な関わりを持つ隣人でありながら、当時は関心を向けられることの少なかった東南アジアをターゲットとし、様々なネットワークと出会う中でインドネシアのスラバヤをフィールドとした。原広研究室の世界集落調査などが先行していたけれど、国際共同研究というフレームを設定したのは建築計画における戦後最初の海外調査だったと思う。
1979年に初めてインドネシアを訪れ、スラバヤのカンポンと呼ばれる高密な居住地を1982年から毎年のように通った。カンポンは「スラム」ではない。一般的に言えば「都市村落urabn village」で、農村から都市へ出てきた移住者が、農村の相互扶助の仕組みや生活様式を基礎としながら形成されたインドネシア固有の居住地だった。発展途上国の大都市の拡大する市街地の典型であり、インドネシアが対応を必要とした最重要課題である。
フィールドで考える
カンポンの住居には、恒久的な建物から仮設の小屋まであり、形や規模も多様である。多様な人の活気にあふれる住まい方がそこにあった。目の前に展開するカンポンの多様性と活力の秘密を丸ごと理解するため、調査にあたっては、あらかじめ定型化した手法を考えていたわけではない。フィールドで考える、フィールドで問題を発見するのが基本姿勢。もちろん、いくつかの前提、基本的な構えはあった。ハウジングの提案をゴールとする一連の過程の中で、住み方を理解することである。実際にハウジングを提案することで人の生活形成を支えるのが建築計画の存在意義である。具体的には、未来のハウジングを考える基礎となる、住宅プロトタイプを発見するということである。プロトタイプの発見提案が、将来建設される住宅を考える基礎となる。もう1つは、実際に生活の営まれる住居の集合(近隣単位)を単位として、住居間の相互作用の中で住居を考える、ということである。住まい手の多様な活動は、住居の内外を横断しながら連続していた。住まい手の住まい方を成立させる住居の集合の仕方とその働きの中ではじめて、個々の住居の妥当性は判断できるはずである。
住居の集合した居住地を形成する街区、基本的にはコミュニティの単位(インドネシアではRW,RT)を調査対象とし、まずそのベースマップを準備(既存のものがあれば利用し、なければつくる)して、1つ1つ全ての住居、施設を確認する悉皆調査をおこなう。はじめは予備調査で、住人の活動を観察し、住人へのインタビューをおこなうとともに、出会ったことをできる限り何でも記録し、写真を撮る。そして建物の平面、断面、立面図を作成する。同時に、居住地全体を視覚的に把握する、施設分布図や街路の連続立面を作成する。予備調査として複数の住居を観察する中で、個々の住居を越えて街区全体に通底すると考えられる特長的要素が発見される。発見した要素を指標に含めて本番の悉皆調査をおこない、街区全体に通底する要素を1つづつ確認しながら、カンポンが生まれる具体的メカニズムを考える。具体的メカニズムを総合することで、住まい手の活動や社会的、技術的要因の相互作用から生まれた、特定の形を持つ物理的要素の特定の仕方での組みあわさりからなる、都市組織と呼ばれる、街区(居住地)の構成システムが明らかとなる。
カンポンの世界
街区スケールの施設分布図では、ランガー(モスク)や見張所などカンポンの住まい方を支える特有の共用施設を記録すると同時に、水場、椅子など個々の世帯の利用する一時的構造物などを記録した。施設分布の調査から、自律的な住民の結びつきを起源とする、RTルクン・テタンガ、RMルクン・マルガというコミュニティが、個々の区画割りや道を調整し、住居の形成プロセスを支えていることが見えてきた。
個々の建物の物理的、形態的特長は、屋根の架構形式に規定されていた。材料、技術、価格のせめぎ合いの中で、規格化された屋根用トラスが市販部材として流通するようになっており、住宅奥行きを決めていた。悉皆調査では、部屋数、構造などを住居建物の物理的構成を把握する共通の指標とした。加えて、建物の形態的特長に影響する敷地条件として、敷地規模などを指標とした。住居を、物理的指標を基準に分類し、類型化することで、いくつかのプロトタイプを見出すことができる。
何より、第一に注目すべきは生活の単位としての世帯である。住居と都市組織の将来の変容を予想する場合には、1つの建物は、考察の基礎的単位となるとは限らない。例えば、建物に2つの世帯が住む場合、1方の世帯の居住部分のみが増築されて拡大したりする。世帯の生活は、それを構成する個々の行為が一続きに連なったシステムであり、ダプール(炊事場)など、行為と物のセッティングとしての「空間的要素」が、その部分々々を構成する。この空間的要素が室内化されることではじめて、部屋、建物はあらわれる。こうして、世帯の現状と来歴、空間的要素も調査の共通指標とするようになった。世帯の現状と来歴については、社会科学的調査と共通する手法で、社会、経済的背景の指標化と数量的把握をおこなった。公的統計も併せて参照する。建物、世帯、空間的要素の情報を集約し、総合してはじめて、街区スケールで展開する住居の変容プロセスが浮び上る。
フィールドの経験を普遍的手法へ一般化する
行為と物のセッティングとしての空間的要素に着目し、空間的要素の結びつきのシステムの時間的変化を辿ると、住居の更新プロセスにパターンが見出される。また、住居の平面を収集して適切な指標で類型化することで、出発点や到達点となる住居のプロトタイプを得ることができる。そして、住居の平面と住居の更新プロセスのパターンとを重ねあわせることで、プロトタイプを基準としてそこから派生する各住居の更新パターンの全体像、すなわち、カンポンの構成メカニズムを得ることができる。カンポンの多様な外観は、住居のプロトタイプと、個々の更新プロセスの重層によって生まれている。
生活が営まれるところではどこでも必ず、生活を構成する部分として、地域で歴史的に見出されてきた空間的要素と、生活の発達に伴うパターン化した住居の変容プロセス、プロトタイプとなる住居が存在する。それらに辿りつくまで、フィールド調査では、指標を見出し、組みあわせを試し続ける。調査者は探偵(あるいはスパイ)のようである。目の前で繰り広げられている出来事から、都市組織の構成メカニズムに関わる要素とその変容プロセスの法則性を推理し、謎解きをする。現在の都市組織の構成メカニズムを把握することで、将来の姿を検討することが可能となる。カンポンの調査では最終的に、カンポンの今後の形成に資するカンポン・ハウジング・システムを提案した。
住居のプロトタイプと更新プロセスのパターンは、地域によって多様である。しかし、住居のプロトタイプと更新プロセスのパターンを捉えること、という都市組織の構成メカニズムを読み解く手法は、どの地域でも共通して用いることができる。加えて、都市組織は都市の一部であり、都市の動態を形づくる。複数の都市組織の集合として、都市の動態を読み解くことが可能となる。
■フィールド日記
カンポンからグローバルへ
都市での住まい方を規定する要素は多岐にわたる。カンポンの独自性に目を向けると、移住元の伝統的な住まい方とヴァナキュラー建築が問題となる。政治、政策も住まい方に広範で長期的な影響を与える。1976年にハビタット(国連人間居住)会議があり、住まい方と住居は国際的な政治の課題となっていた。カンポン調査と並行し、都市居住の広がりを見据えて、地域の生態系や歴史を含めて、東南アジア一帯で住まいを総合的に理解する目的でタイ、フィリピン、マレーシア、シンガポール各地をまわり、また日本国内をまわった。大学の同僚には民族建築学の太田邦夫、学長には人間居住の第一人者である磯村英一がいた。JICAの東南アジア遺跡保全事業に携わっていた千原大五郎、東南アジア研究所の高谷好一らに出会った。スラバヤではカンポンのハウジングを精力的に研究、実践するヨハン・シラスに出会い、長年の共同調査者となった。1974年からマニラでセルフ・ビルドのローコスト・ハウジングに携わっていたNGOフリーダム・トゥ・ビルド、1978年からバンコクでサイト・アンド・サービスを実践するNGOビルディング・トゥゲザーを主催したアレグザンダーの弟子エンジェルに出会った。フィールドである東南アジア、研究活動の場である日本での出会いの度に、研究の視野、対象は広がった。
インドネシアが世界一のイスラーム教徒人口を有する国家だったことから、1987年からイスラームの都市性の研究に関わり西川幸治、応地利明に出会う。その縁で京都大学へ移り、またイスラーム以前の東南アジアに受容されていたヒンドゥーの都市と都市組織も1991年から研究の射程に入った。インドネシアはまた、オランダの植民地でもあった。1997年からオランダ、イギリスなどの近代植民都市と都市組織のグローバルな研究をおこなうこととなった。東南アジアは華人移住者とも縁が深い。華人の都市と都市組織の研究も並行しておこなった。
いずれの研究でも、調査地は具体的な居住地である。日記には、調査地での食事やレストランのカードから、フィールドで得たグローバルな研究フレームの着想まで、スケールを往還し、文化間を横断しながら日々の出来事が随時連続的に記録されている。日記で一日を振り返る。時間がないことも少なくないが、フィールドを越えて、日常生活の場である日本でも日々の出来事は継続的に記録している。日記は、個々のフィールドの記録を結びつけ、また研究も教育、社会活動も等しく記録し、それらを相互に結びつけて、研究、教育、社会活動それぞれに新たな広がりと一貫性とを生みだす源泉となっている。
個々のフィールド調査の図面やデータは基本的に日記とは別に採る。しかし、移動中の出来事や緊急性を要する場合は手帳に殴り書きで記録することもある。上手い下手を気にすることはない。大切なのは、体験を記述し伝達することである。
■フィールドワークのスケッチ
フィールド調査は、教育・学習の最も総合的で最良の場である。教員、院生、学生、複数人からなるチームでおこない、記録を共有する。現場をつうじて、言語化されない知識、調査の姿勢が伝達される。
基本はとにかく歩くことである。インタビューを伴わない場合、毎日1日に10~20kmは歩く。歩いて自分から探索し、見た分だけ、都市組織の成り立ちを理解する鍵と洞察を得ることができる。複数の街区に分かれて調査し、昼に集合してビールを飲みながら、午前中の発見を交換し午後の調査方針を立てる。ビールを飲むのは好きだからだが、それだけでなく、もう1つ理由があると主張したい。アルコールはイスラームや厳格なヒンドゥーの地域ではフォーマルには禁止されている。しかし、そうしたフォーマルな世界とは別に、必ず飲みたい人間はいて、インフォーマルな仕方で取り扱われている。ビールを飲むことで、日常のインフォーマルな構成原理に触れることができる。
図 行為と物のセッティングとしての空間的要素(ダプール(炊事場)と屋台)
生活の焦点となる空間的要素は重点的に調査をおこなう。カンポンでは特長的な空間的要素として、水場、ルアン・タム(居間・客間)、ルアン・ティドゥ―ル(寝室)、カマール・マンディー(バスルーム)、ダプール(炊事場)、ルーマー・マカン(食事スペース)、屋台が見出された。ダプール(厨房)では、点景のスケッチと道具調査をおこなった。屋台は、カンポンの生活を支える多様なサービスを担う重要な空間的要素である。
図 街区スケールの都市組織の悉皆調査
悉皆調査では、調査項目を調査シートに記入するか、ベースマップに直接記入する。調査データを元に街区の施設分布図やアクティビティマップが作成される。
図 カンポンの住まい方を支える特有の共用施設 ランガー(モスク)、バトミントン・コート、ポス・ジャガ(休憩用東屋)、移動トイレ
他にも代表的共用施設として、見張所、学校、パレ(集会所)、がある。ストリートマーケットを構成する屋台も共用施設といえる。
図 住居類型の変容プロセス
生活を構成する空間的要素と、建物の空間構成に影響する指標、世帯の社会的背景の指標、そしてインタビューと重ねあわせることで、住居の変容プロセスを跡付けることができる。はじめは木、竹の骨組みだけの小屋と井戸がある。空間的要素が所有権の安定、資金の保持とともに、空間的要素はテンポラリーな構造からパーマネントな構造へ建替えられ、室内化されて住居へ統合される。ルアン・タム、ダブールが世帯の核となり、そこからプロトタイプとなる住居、あるいは変則的住居が発達することがわかる。住居の発達の原動力となるのは、世代の増加など世帯の構成要素の変化である。
■フィールドワークの成果
多様な地域性の把握では、調査者の能力が問われることとなる。調査者は目いっぱいアンテナを広げ、感覚を研ぎ澄ますことが必要となる。フィールド調査での姿勢として自身が語ってきたことを、滋賀県立大学で学生たちが「フィールド調査の心得7カ条」としてまとめてくれた。
一.臨地調査においては全ての経験が第一義的に意味をもっている。体験は生でしか味わえない。そこに喜び、快感がなければならない。
二.臨地調査において問われているのは関係である。調査するものも調査されていると思え。どういう関係をとりうるのか、どういう関係が成立するかに調査研究なるものの依って立っている基盤が露わになる(される)。
三.臨地調査において必要なのは、現場の臨機応変の知恵であり、判断である。不満の事態を歓迎せよ。マニュアルや決められたスケジュールは往々にして邪魔になる。
四.臨地調査において重要なのは「発見」である。また、「直感」である。新たな「発見」によって、また体験から直感的に得られた視点こそ大切にせよ。
五.臨地調査における経験を、可能な限り伝達可能なメディア(言葉、スケッチ、写真、ビデオ・・・)によって記録せよ。如何なる言語で如何なる視点で体験を記述するかが方法の問題となる。どんな調査も表現されて意味をもつ。どんな不出来なものであれその表現は一個の作品である。
六.臨地調査において目指すのは、ディティールに世界の構造を見ることである。表面的な現象の意味するものを深く掘り下げよ。
七.臨地調査で得られたものを世界に投げ返す。この実践があって、臨地調査はその根拠を獲得することができる。
フィールド調査は日本でおこなうこともできる。2000年から最も身近な京都で、地元の都市組織に関わる建築家、建築学生(コミュニティ・アーキテクト)からなる大学横断のNGO、京都CDLの活動が展開された。コミュニティ・アーキテクトの活動は、2005年に滋賀県立大学へ移ってから、近江環人へと継承された。また、日本でのセルフ・ビルドの取組みとして、工務店とともに木でものづくりをおこなう木匠塾を1991年からおこなってきた。共同調査の成果は、スラバヤ工科大学のシラス教授による、インドネシアの集合住宅ルマ・ススンのプロトタイプの設計、建設へと結実した。2000年にはまた、地域の気候、生態に適合した集合住宅プロトタイプ、スラバヤ・エコハウスを共同で建設した。
図 スラバヤエコハウス
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