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2026年3月25日水曜日

『群居』50号 最終号 対談・群居回顧・・・未来のために/布野修司+野辺公一

https://drive.google.com/file/d/1_1desGB06pVldNeqddL5TGE9iPXGyYHy/view?usp=drive_link
対談 群居回顧・・・未来のために
布野修司vs野辺公一 
オブザーバー:大野勝彦 

 群居の初心

 野辺 50号ということだけど、当初計画していた年4回刊行ということからすると4×17年で68号出してなくてはいけない計算だけど、これが50号ということは通年でいくとやっぱり年3回体制だったということだね。『群居』が一貫してこだわり続けてきたものは何か、ということを議論しなくちゃいけなくて、当初布野プログラムでは、季刊だから年4回ということで一つは都市計画より、それからデザイナー論というかいわゆるアーキテクト論、生産論があって、住まい手論があった。バックナンバーを見ていくと一応忠実にやってきたんだけど、一九八三年以降建築家のかかわる領域が邁進する資本主義の速度に理念的に追いつかなかった。それからすごく古いイメージの建築家論と調整役としてのアーキテクト論とか、食える食えないということを別として身体的にも分離してきちゃったじゃないかというのが一方であったわけです。

 布野 最初何て言ったっけ?

 野辺 都市計画論。大野さんで言えば都市から住宅、住宅から部品まで一貫してシステムとして捉えていこうという発想があって、確かにその通りだということがあったんだけど、僕らの認識でいくとそこはすべて市場性みたいなところで分離されていったという形があって、それはわりと『群居』は抵抗してきたと思っているんだけど。ただ逆に言うと、その先に行っちゃう、要するにそいつらよりももっと先に行ってた部分もあるんだけど、まったく行ってなかった部分もあるなという、そんな感じがしてるんですが、それはやっぱり時代の動きということがあるから、例えばインターネットを使ってやりとり、なんことはかつて想定もしてなかったことだし、外部的な要因もあるんだけど、内部的には建築家というのが一方で脆弱化したんだけど、新たな業態に変更せざるを得なかった部分があると思うのね。

 布野 『群居』の編集の当初のフレームとして、都市計画、建築のデザイン、生産、それから住み手の問題、という四つを確かに設定していた、一年四回順にやっていけばいい、というのが方針だった。

 その前に今野辺さんが言おうとした、建築家はいったいどうなんだというところなんだけど、僕の中では、幻なんだけどHPU(ハウジング計画ユニオン)があって『群居』だという気がずっとあるわけ。

 HPUというのは結局何もしなかったという評価もあるんだけど、刊行委員会と会員のやってることの全体がHPUの活動という気もずっとあるわけ。それが一般的な建築家論というかそういう話にも繋がっていくんだけど、最初四人が集まった時に僕はアジられたんです。建築家はもっと住宅の問題にかむべきだという。大野さんはまさに先端でやってるし、石山は何もやってなかったかもしれないけどコルゲートいっぱい作ってある種の何ていうか住宅と言えば住宅だけど、理論的に言えば工業製品を使って既存の部品のメカニズムと違うところで表現を成り立たせるみたいなことがあった。渡辺さんも全然違うみたいだけれど、建売やってみせたり、標準住宅001とか言ったりして、何か大きな意識があった。まあ渡辺さんはRIAにいたわけだから、戦後にラムダハウスとか標準のプロトタイプをつくるとか、戦後建築の初心の意識も多少引き継いでいるからね。

 八三年段階では、これは僕の言い方になりますけど、建築家が高度成長期にバーッと絵を描いたりしてたけど、結局何もタッチしてなかった。結局日本の住宅を動かしてるのは六〇~七〇年代に成立したメーカーだった。公団公社もあるけどね。その辺で一番かんでやってる建築家は大野さんだった。僕は組織的に何かできないかと直感したんだ。

 当初、あまり記録に残っていないかもしれないけど、四人で長崎の島崎工務店とかいったり、なかなかスタートがうまくいかなかったけど、うまくのってたらもしかしたら別の会社が出来てたりしたかもしれないですよ。結局はほぼバラバラで動いて行くことになるんだけど、それぞれが表現すればよくて、その動きが『群居』の誌面に反映されればいいというのがあった。当初『群居考現行』なんていうのがあって、いろんなところに行って、アクション起こしてという企画があったけど、だんだん刊行することが自己目的化していった。一つは四人プラス刊行委員会といってる部分がこの十何年間で何ができたのか、まわりの環境と実態がズレてきたということがある。当初のHPUという幻想は最初だけあって一七年が過ぎたのかもしれない。それで、これからもズルズルっていうのもないんじゃないかっていう気も僕はするんですよ。

 冷静に見て、二〇年前と今とで建築家のあり方がどう違ってきているのか、野辺さんはどう思うわけ。僕はあまり整理ついてないんだけど。

 

  HOPE(地域住宅)計画

 野辺 一つは、『群居』を最初にやった時に、HPU宣言では島田建設のあれもあったんだけど、ビルダーとか工務店向けにも何か言おうよっていう・・・

 布野 一つはあったんだけど、大野さんの『地域住宅工房のネットワーク』を出したのは何年ですか?

 大野 一〇年前。

 布野 だから五年くらい経ってから出してるから、ハイムからは既に地域にターゲットがあった。

 野辺 要するにビルダーとか工務店のような生産組織と大野さんのいう地域建築家っていうか、そこをどうやってラッピングさせるんだっていうのがあったと思うんですよね。その場合ホープ(地域住宅)計画というのが非常に有力な手掛かりだったと思うんです。

 布野 それが重なったわけでしょ。

 大野 スタートが同じなんですよ、八二年で。

 布野 だから一つのイメージとしては、地域ビルダーっていうか、『群居』でも特集やったけど、一方でアーキテクト・ビルダーの路線があって、設計屋が図面書いて済ますんじゃなくて、施工も生産もおりていって、地域で何でもやりましょうと、住宅からまちづくりにつながらないかと。それがホープに重なってたわけです。だけど僕に言わすと、バブルにやられたというか、ほとんどそれが消されたということがある。建築家はバブルで羽振りがよかった。また、住宅の問題はふっとんだんです。バブルがはじけてからのの状況を今日話さなければいけない話なんだけど、あまり読めてないんだね。今、性能表示が出てくるのは一体なんだ。わかるけどね。

 大野 あともう一つは不動産屋をやれなかったですね。

 布野 だれがやれなかったんですか。

 大野 『群居』で。不動産屋を扱わないとどうも抜けてる感じ。

 

  何故、タウンアーキテクトか

 布野 話が前後するけど、たまたま僕の本(『裸の建築家---タウンアーキテクト論序説』)持って来てくれたから言うと、僕が考えたのは、同じ人間だから『群居』でやったことから切れて考えたって話じゃないと思うんだけど、一つは建築家は量的にいらなくなる、ということ。建築家がどうやって食っていくかって時にビルダーを含めて半減しなくちゃいけないって話だから、重要な話ですよ。一つはメンテナンスにいく。『群居』はあまり扱ってないですね。設備的なこととかメンテナンスとか絶対あると思うんですけど、エンジニアリング的なとこ欠けてるわけ。工法とか生産的なとこは得意だったかもしれないけど環境工学的な話なんかね。スラバヤでエコハウス建てて見てわかった。

 もうひとつ町づくりへ本格的にシフトしていかざるを得ない。それが『裸の建築家---タウンアーキテクト論序説』書いた理由です。そうすると、町内会のお世話なんとかじゃないけど、そういうとこで食うしかないかもしれない。どうやって食うかはあまりわかってないんだけど。

 野辺 これ読んでて、前に大野さん言ってたんだけど、日本全国そういう形での建築家はせいぜい一〇〇人もいればいいんじゃないかと。

 布野 僕の構想でいうと最低全国の自治体の数だけはいる。

 野辺 三三〇〇人? まあそのくらいはいるとしても、所詮そんなものだと。つまり一%ぐらいしか成立しないよっていうのがあるじゃないですか。

 布野 一〇〇万人、建築士ベースで。

 野辺 そうすると、そこのとこの淘汰っていうか再編っていうか・・・

 布野 ちゃんと計算してないけど、計算すればはめ込めるっていう気がするよ。

 野辺 じゃあ皆がしがみついている、なんだかんだ言って食ってる部分ていうのは何だ、そこをどうするんだっていうのを『群居』ではあんまりやらなかった。あともう一つは、住宅=町づくりということでいくと、大野勝彦のスタンスというのは一戸だろうと、一〇戸だろうと、一〇〇〇戸だろうと基本的には同じスタンスで設計すべきで、つまり一戸の住宅を設計するということは一つの町を設計することにつながるわけだから、一戸の住宅を設計することは一つの集住を設計することと同じことだというような概念が大野さんの中にはあったと思うんです。だけど、現実の問題としてはできないところがあって、もう一つ僕が気にしてたのは、それをやることによって町の古層をよんでいくっていうか、ようするに依拠するべきものが当然の手法としては一つあったと思うんです。その古層から地域性であるとか特性をどんどん洗い出していってもこれだけの剥き出しの資本性の中で、依拠するのに万能というか依拠し得る根拠だったのかっていうのは良くわからない部分。

 

 笑う住宅が二つ並んだら大笑いだ、でも「住宅=町づくり」へ

 布野 今二つ問題が出されて、前半の部分に関しては一戸つくることは町をつくることにつながるというのは本当はある、と思う。町づくりやるときにわれわれは当然フィジカルな街並み、景観に責任がまずある。コニュミティがどうのこうのとか言う前にね。もちろん、コミュニティにインヴォルブされなければ何もできないということもあるけど、一方で部品でせめた方が早いという戦線があるんですよ。団地計画でもエクステリアの用品を用意しとけば自然に町はできていくという発想が多分ある。それはディベロッパーなりメーカーの住宅地計画レベルでは多分あって、例えば亡くなった宮脇壇さんなんかがセキスイの団地開発でやったようなせめ方がある。一戸一戸つくればいいというときに、一戸が二戸並ぶ時の話をやったかどうかっていうのは記憶が薄いけど、ゼロロットラインとか、総合設計制度とか、法律の話になるとちょっと弱かったかな。

 野辺 例えば石山さんが『笑う住宅』とかいくつか出してくわけです。それで、それが隣にもさらにその隣にも並んだら大笑いになってしまう、それは違うだろうという。

 布野 確かに。石山さんの住宅がふたつならんだら大笑いかもね。ポストモダンはそれでも成り立つかもしれないけど。何か欠けてるんですよ。伊豆で屋根をみんな右近色に塗ったりするからわけがわかんなくなる。もう一つ二番目に野辺さんが言った古層を解読するっていうのは、僕は間違ってるとは思ってなくて、・・・。

 

 地域の古層を読む・・・でっちあげてもいいんだ。

 野辺 いや間違っるとは思ってませんよ。

 布野 部品をどういうスケールでディストリビュートするかということにも関わるけど、例えばバス・ユニットは何百万単位で生産するとか部品によっていろいろ違うかもしれないけど、理念的に、頭の中では、使える材料で作ってローカルにまいていく、それに地域性みたいなものがでてくるかもしれない、というのが理論ですね。そんなものどこでもできてないといえばそうだけど、方法としてはどんなとこでも、コンビナートがたってる工業地帯になっててもそれをさぐればなんか手掛かりがあるはずだ。それを手掛かりに町づくりにつなげていくのは一つの有効な方法だと思ってるわけ。

 野辺 当然ですよね。ただ結局八〇年代、

 布野 そうバブルが強烈だった。

 大野 実は僕の原型は鹿島から始まったんだ。

 布野 波崎ですね。こないだテレビ見てたら、日本一投票率が低いとこだったんだって。漁港ですね・・・。

 大野 変わったね。

 野辺 その頃僕も波崎に行ってたんだけど・・・

 布野 あそこ砂しかないけど、江戸時代の新田開発の跡があったり、戦時中に飛行場に使われていたり、それじゃ何でもいいじゃないかと、要するに、極端に言うと地域性というのはでっちあげればいいと、僕は思った。そこで生きている人の個性を束ねたのが地域性なんだから。投票率が低いのは漁港の地域性でしょう。伝統を守っていけばいいっていう話じゃないから。

野辺 そこを読み取り間違った奴等が大野さんの真似をして、真似をしてるんだけど読み間違っちゃった。ウルトラ原理主義みたいなところにいっちゃってる人がいるじゃないですか。要するにこの地域では極端に言えばくぎを一本も使わないような伝統的なものでいったほうがいいんだとか。あり得ない話がでてくるでしょ。例えば昭和初期のロマン主義っていうか、そういう匂いがしてて、一方で危ない手法なんだなというのがあって、大野さんはハイムとか部品論を持ってるからさーっとそこはやれた。地域というのはそういうもんじゃないんだ。要するに人間の集団の分布の集まりの状況の中で地域というのをつくっていくんだというところがあるわけですよ。

 布野 そうだよね。

 野辺 だけど他はそうではなくて、建物そのもので地域性を演じようとかあほなことやってきたから・・・

布野 それについて言っておかなければいけないのは、それは大野さんのせいでも何でもないとおもうけれど・・・

 野辺 違う違う。

 布野 ホープ計画っていうと、すぐ木造公営ということになった。また、地域型住宅という話になって、有力ビルダーがそれを商品住宅化して、あるいはプロトタイプ化して、売った。その地域型住宅というと、勾配屋根がついてて、伝統型でという、それは全国ありますよ。ステレオタイプ化されたパターンが。それをどう差異化できたか、ちゃんと批判できたかどうか、きわどいんじゃないですか。端々には書いたかもしれないけど。

 野辺 亜流だって一言で言っちゃうのは簡単なんだけど、その方が行政から支援を受けやすいとか、で現実には何のインパクトにもなってない、効果もない、というところで終始してて、一方で地域建築家みたいな匂いを出してきちゃったと言う臭さがあるじゃない。それはだめなんだ、そんなこといくらやっても絶対だめだということを言えたかというと、僕もそうですけど言えてなかった。その辺はありますよね。その一方で彼らはそこにいっていたというのはどういうことかと言うと、都市部を中心としてバブルというものへの攻撃、そこから弾き出されるもしくは避難するという意味でも行っていたというところがあったと思います。で、その一方で、資本的な再生拡大ということに建築家がうまく取り入れられてきた。どこまで自覚的だったかわからないけど取り入れられてきた。

 

  地域住宅生産システムは如何に成立するのか

 布野 そっちへいく前に、スタイルだけの地域型住宅とか、うわっつらの話ではなくて、その地域の住宅生産システムが問題なんですよ。

 野辺 もちろんです。

 布野 今の時代、今後二一世紀にかけて、地域住宅生産システムがどういう範囲で成立して、どうなるのか、エコロジカルな問題も含めてね。多分誰もモデルを作ってなくて、『群居』は終わるけども続けていくテーマとしてはあると思うんですよ。

 野辺 それからもう一つ、地域の生産システムの話からいくと、いきなり言説として従来二五年もしくは三〇年で壊して新たに建てていくから需要が続くんだというレベルの話が、いきなり五〇年とか一〇〇年もたせるんだという、これはエコの問題もあるだろうけど、どうせ人口が減ってくるから住宅投資はでてこないよ、というように急に話が変わっちゃったわけですけど、だから逆に言うと一〇〇年というところになっていったときに、新築での仕事はなくなる、といったとこでもっと地域の生産システムに深く関わざるを得ないんじゃないかというのはあると思う。

 布野 原理的には、五〇年、一〇〇年もつという話になったとき、住宅のコストも上がれば同じ量だけど、あがらないとなったら、それこそ昔の大工が出入りで世話して直しをしたりとかせざるを得ない。

 野辺 だから循環型、要するにそれが適切に機能するのはどの規模なんだというのは見つけられてないと思うんですよ。もう一つ法的な制度との兼ね合いがすっきりしていない。

 布野 昨日たまたまNEXT21の話になったんだけど、一〇戸か二〇戸かしらないけど、あれで成立するのか、エネルギー的に、もっと外部?レベルで成立するのか、地方で成立するのか、これは実験的にでもこれからやっていくべきだと思う。

 

 外国人居住問題の本質

 野辺 地域っていう概念をどれくらいのレベルで考えていくのかっていうのがあまり明快じゃないですよね。もう一つ気にしてるのは、外国人居住というのがもう少し経ったらかなり明確になってくると思うんです。受け入れざるを得ない状況が一方であるし、もう一つは不法入国でも何でもいいんだけど、そうした時に布野さんなんかがやってきた寄せ場というような居住が今後おおきな問題をはらむわけですよ。そういう中で地域の生産システムもしくはコミュニティということと、文化の違う居住スタイルをもった人たちとの融合性をどう考えていくのかということは、先端的な問題としてあるなと思ってる。それはアジア的居住をいろいろ見てきた布野修司としてはどう捉えていくか。

 布野 『群居』でも在日居住の問題やったよ。石山さんが。

 野辺 それは受け入れのスタイルとしての発想で、それを町づくりとかに更に展開していく方法、例えば基本的には今日本人しか建築やってないけど、極端な話半分がアジアの人で一緒にやっていくというような未来像がみえる?

 布野 作ることに関して?、それは大いにあるよ。欧米人呼べばいいっていうじだいじゃないよ、最早。産業構成の問題もはっきりしてる。多分今の日本の社会構造からすると、先進諸国化して、サービス部門を外国人労働者に頼るというのは見えてますよ。例えば、介護とか看護も。日本は景気悪いと言ってるけど皆結構金持ってて、海外出かけてる。サッカーの応援なんか。建設労働についても、今寄せ場って言ったけど、僕がいうのは寄せ場的な単純労働部門はあんまり見向きもしない、日本人はね。今は入管でコントロールしてますよ。建設に限らないけど、研修ならということで制度的には受け入れてる。今、企業単位で研修してますから本当の混住は見かけ的にはおきてなくて、島的に、例えば群馬の太田市にブラジル人がいっぱいいるとか、イリーガルには新宿歌舞伎町だとか新大久保だとかある。

 日本では明治以降から在日韓国人とかアジア人の問題があるし、朝鮮半島や台湾、満州を植民地化してたというのもある。戦後初めてでしょう、バブル期にわーっと外国人が流入したのは。今度モスクできたでしょ、渋谷に。あれはトルコの技術者呼んでやったし、そういうことおこってもおかしくなくて、現場レベルではすでに、例えばホテル川久(白浜)の時はイタリア人職人呼んだし、進行するでしょう職人レベルの話としては。

 そういう外国人たちがどういう住み方をするかというのは隠されてると思います。町づくりとしてももっと多様な住み方ができるスケルトンを作るべきだという気はします。グローバルに見たときに日本が絶対おかしい。インド行ったってインドネシア行ったって、いろんなやつがいるのが都市なんだもん。ドイツならトルコ人がいるとか、フランスなら植民地のアフリカの連中が入ってきてと。ヨーロッパの場合は階層社会だから、清掃とかサービス部門に入り込んでる。本当に日本が開くかどうかというのはありますよ。

 野辺 混住というか、そこのとこからみていかないと、一つのポイントとして、要するに地域の住宅、町づくりというのは一方で見失うものがでてきちゃう。

布野 今の話と繋がってないのは、日本の建設産業を半分にしなくちゃいけないという時に、外国人を入れるというのは多分計算が成り立っていない。

野辺 労働者として入れるんじゃなくて、例えば介護でも何でもいいんだけど、それ以外の人たちがもっと公然とっていうか、今までの植民地居住っていうのではない形でなっていくんだろうと、その時の町づくりというか住宅イメージというのは、布野さんはちょこちょこっと言ってたけど、誰もあまり言わないなっていうのが気になって。一番定型的なのは大野さんが言ってるけど、地価の問題とか、そのへんの尺度をどうみとくというのはあると思う。

 大野 建設地余ってるっていうけど、農業的基盤からつっこんだみたいに、その前は軍隊的基盤が建設省に入ってくる、もう一度農業で使うのか、考えていくと、ぜんぜんおかしいって感じ。

 布野 先進的に考えていくと、農業に還るっていうのもあり得るかもしれないけど、量ではそういかないでしょ。

 大野 昔は兵隊帰ってくるでしょ。群馬は農業多かったけどもう家に帰れないでしょ。それで日雇い労務ってことで建設労働始まる。その人たちが戻る場がないというのが問題だった。

 布野 建設産業労働者というのは雇用の調節弁みたいな扱われかたをしているでしょ。公共事業やってこれだけ吸収しましたって話が基本ですね。

 

 やっぱり建築家というのはうさんくさい

 野辺 最初に戻ると、建築家っていうのが極めて曖昧なんですよ。業務の幅としてもいわゆる代願やってる人から磯崎新まで、これひとつのつながりなのかということを考えていくとどうみても違うなと。その切れ目はどこにあるっていうのがあまりはっきりしない。

 布野 なんだかんだ言ってもそれが建築なんですよ。僕は実際に建築やらないけど、建築しかないかなという気はある。例えば都市コンサルタントの連中とか一般の町づくりがなんだかんだ言ってる連中の話聞くと、一体それは何なんだと、逆にこっちがわかんない部分がある。それはいっぱい大事なことはありますよ。地域とか介護の問題とか、彼らは別にフィジカルに住宅がなんであろうと別に気にしない、プレハブだろうとなんだろうと。スターアキテクトっていうか、安藤忠雄でもなんでもいいけど、やっぱり何かのイメージ、住み方とか建築の空間のイメージを出すとか、それをやってみせるとか、そういう役割はある。

 野辺 それがずっとおりてくると、・・・

 布野 変なのもいますよ、そりゃ。僕の最初の意識ではHPUとか始めるときの意識はそうなんです。イメージだけではリアライズされていかないし、絵を描いた。そのためには生産の仕組みにも手を出すべきじゃないかと。そんなこと言っても繋がってないじゃないかというのが野辺さんの言い方かもしれないけど。全然別の市場だったり、業界の動き方してて、乖離してるんじゃないかっていうんでしょ。だけど繋がるべきだと。

 野辺 資格とか別として、最近工務店みてると設計事務所、アーキテクト・ビルダーっていったらいいのかよくわかんないけど、設計行為しかしてなくて、あとは大工とか調達して請け負いをやってる人たちも結構いるんですよ。

 布野 それが普通。

 野辺 それを遠くからみると工務店という言い方をするし、請負じゃなくてそれだけやってると設計事務所と呼ばれる。両者の差異というのは実はリスクをどう受けてるかどうか。

 布野 責任の問題。

 野辺 そうすると「建築家」っていうのは何だっていう。

 布野 社会的に位置づかないのは責任とってないからですよ。実際とってるのは施工会社でしょ。工務店だったりゼネコンだったり。建築家ってとりえない。だからセコムの会長の保険論って一理あるかなと、要するに保険で担保するしかない。

 野辺 単純にリスクというのと、住まい手と施工業者を結ぶジャッジメントをするやつだという考え方をするやつと、あくまでも設計料としてお金は貰うけど基本的には工務店のチームとして、もちろん住まい手もチームなんだけど、そこで一緒になって最大の彼らの望みとリスクを、コストコントロールとか部品のコントロールをしながらリスクを受けてくというタイプがいると思うけど、そっちは極めて少ないね。何かあると、それは工務店が悪くてオレは悪くない、というようなスタイルは許せない。

 布野 それは許せないでしょ。だから信用が得られないし、設計料もあがらない、ということだと思いますよ。基本的な理念はヨーロッパではクライアントのある種の代弁をやりますと、弁護士の如くクライアントの利益を法廷で守る、医者の如くクライアントの命を守る、建築家もクライアントの財産を守る、ということで成立しているわけです。不法な業者の間に立って理不尽なことを排除しますという理念はあるわけですよ。日本でそれが成立したかというと、今まで相当あやしいわけでしょ。建築家の先生に頼むと金ばっかりかかるとか。

 

 自分で建てて自分で売れ、それが表現

 野辺 逆に言うと地域の住宅づくりのレベルで、何ゆえ建築家がかめないのか、というところに還ってくると思うんですよ。極端なこと言うと何で設計料がもらえないのか、というのが一つあって、もう一つは前に石山さんにも言ったんだけど、あんたそんなにへんな家いっぱいつくりたいんだったら自分で建てて自分で売ればいいじゃないかと。少なくとも他の表現者という人たちはそのくらいのリスクを皆負うぜ、と。そしたら石山さんただ一言「俺達は金もないし、気もちっちゃいんだ」と。それってかなり微妙なとこだと思うわけ、要するに一方でデザイナーとての表現にこだわりつつ、そのリスクはすべて他人に負わせる構造というのは、表現論としてかなりむずかいところにある。

 布野 それ賛成だよ。表現というのは自分でも成り立たせるレベルで表現しないとまずい。人の金使って好きなことやるって言われても。

 野辺 何ていうか、パトロネージュの構造っていうか、その辺がはっきりしないと建築家像がみえてこない。だから地域でもあいつらにたのむんだったら、要するに住まい手も俺達にリスクを感じない公共でも便所でもやってくれ、となっていっちゃう部分だと思うんだよね。

 布野 僕がタウンアーキテクトっていってるのは、フレーム、骨組みを提出するやつ、個々のデザインは差別化してもいいけど、この町はこういう骨格で作るというやつが必要だということなんだよね。

 野辺 確かにその通りで、昔から言ってたように大工のイメージができてて、例えば建て替えするならこれはこういうふうにしたほうがこの町としてはとってもいいんですよ、といった時にこれを担保する制度って何かあるの?

 

 みんな市長になれ・・・それで何ができるか

 布野 僕に言わせるとそれは市長なんですよ。市町村長なんですよ。町づくりというのは自治体が責任をもって、権限をもってやるべきなんですよ。市長が得意じゃなければ委員会でもいいんですけど。

野辺 もっと進めていけばそこの市ではこういう計画がある、おれが住むんだったらこっちよりあっちの計画の方がやりやすそうだとか、そういう選択性が明快じゃないわけですよ。そこまでいけばおもしろいのかなと思うんだけど。

 布野 それは別の話で動くと思いますよ。分権があって、税金とか、どう動くかわからないけど、もしシステムとしてうまくいけばここへ住むより向こうのがいいとか。メディアが発達したら山奥でも在宅オフィスシステムで動く可能性はあると思いますよ。町づくりという点では動くというより、それぞれやり方が違ってもいいと。

 野辺 それはかなり成熟した大衆社会というか、大衆性みたいなものを前提としてるわけよね。そこが非常にむずかいという感じがするけど。そこまで言った時に、マスターアーキテクトは三、三〇〇人いればいいんですよ。

 布野 大小ありますからね。それに三、三〇〇がいいかどうか・・・

 野辺 最大でも一万人いればいい世界ですよ。

 布野 淘汰の時代だから、差別化しましょうよ、って話でしょ。群居だってそうだったんじゃないかと僕は思うわけ。

 野辺 人材の問題もでてくるんですけど。そういう志向性というか理念性みたいなのが与えられてないとこで、建築教育とか職人教育もそうなんだけど、問題がある。

 布野 大問題ですよ。

 大野 それを今の二〇代、三〇代前半の人たちに質問したときに、どう返ってくるか。

 布野 今、タウンアーキテクト論を大学院で講義してるけど。

 大野 反応はどう?

 布野 すごくいいですよ。いいんだけど、他人事みたいなことをいうやつがいっぱいいるのが困る。おまえの話だろう、と言い返すんだけど。今神戸大でもしゃべってますけど反応はいいですよ。一理も二里もあるっていう。

 大野 『群居』始めた時、布野さん三三歳くらいだったと思うんだけど、今の同年代の人たちが、群居的じゃなくてもいいんだけど、どういうことをするかしないか?

 野辺 一番の問題は、おまえら理念があったって何か意味があるのかっていうのが多分若い方からは一方でそういう話があると思うの、あいつら感がいいから。

 布野 そんな若いやつがいたらいい方だよ。今、建設産業だめだから就職でもいまゼネコン離れなわけ。それにゼネコンがほしいのは施工なんですよ。施工へはいかない。

 

 やっぱり、現場が面白い

 大野 どういうとこなら手あげます。

 布野 やっぱり建築やりたい、例えばアトリエ的なとこ一割くらい。

 大野 そのパターンは変わらないね。

 野辺 具体的に作品をやってみたいわけでしょ。そういう志向性とタウンアーキテクトをやりたいという志向性ってあるの。

 布野 僕の研究室は、職人になって京都の町の現場へ行くなんてのがいる。ちょっと変わってるかもね。木匠塾なんか嬉々としてやる。あれ不思議なんだけど。具体的につくりたいんだよね。

 野辺 そこまでいったときに、じゃあ建築家的な役割と生産から統合的にやってしまう部隊と、その差異は何だっていうとこまで・・・・

 布野 一番おもしろいのは線引いてモノになるときの、その取り合いのとこなんだね。要するに現場を知らない。その訓練をするとこが、学生にそんなことを教えるやつがいないから、それがまず問題。それを訓練して世の中にだせばどっちでもいいわけ。うまいやつは職人をやればいいし、知ってるやつは線引いて、コンビくんで、現場とディテールとつながって全部やれるやつがアーキテクトでいいわけですよ。それが繋がってない。「裸の建築家」っていうのはそういうことですよ。ぜんぜん技術もないし、役に立たない。

 野辺 どうしてそうなったのかもわからない。

 布野 雨漏ったときにも何でかわからなくておろおろして何の手立てもできない。職人がちょっとやってふさいだほうが早い。

 野辺 最初に言ったリフォームだとかいうときにまったくわかってないから、設計事務所は部隊になり得ない。

 

 ストック型現場へ???

 布野 切り替えないといけない。ストック型の実践教育をしないといけないですよ。

 野辺 ストック型の現場へ行って設計事務所どうですか、って聞くと、じゃまなんだと。

 大野 若いうちにやらないとだめかもしれないね、頭でっかちになっちゃって。

 野辺 大野さんの話聞いてると、石山もそうだけど、現場行って石ころ投げられたりという話が冗談でも出てくるでしょ。でも今の人たちの話聞くとそういう話全然ないもんね。

 布野 若いから大工さん教えてくれるんですよ。あまりえらくなってしまうと言ってくれない。

 野辺 そういう意味でいくとタウンアーキテクトというチーム、それから一戸一戸現実に担うアーキテクトという像があったとすると、それに対する人材養成ってまったくないというのがあって、ぎゃくにいうと今までわれわれが向けてたビルダーとか工務店に対してもそういう意識をもってるかというと、もってないですよね。

 布野 僕は大学にいるからその辺は致命的というか、ひどいよ。今度ものづくり大学できるから、これも苦戦するかもしれないけど、予想はあたるかもしれないですよ。どういう教育をしてどういうふうにシフトして、とか本当はいろいろ議論しなくてはいけないけど一切ない。建築家が都市計画やるのはヨーロッパでは当たり前なんだって、大学の授業で英国の学生がいうんだ。日本はどうして・・・というわけ。

 

 リフォーム市場へ???

 大野 東大で都市工つくったときに、日本の社会が何かへんなふうになったかもしれない。

 布野 都市工はあってもいいんだけど、あと土木との関係かな。きのう会った同級生の川端直志って都市工でてるけど、おまえの武器は何だってなったときに都市開発論という。しかし、そうするとみんな制度でしょ、ヨーロッパの制度はこうなってるとか。それを知ってるのが武器なんですよ。

 大野 今若手の先生そこんとこやってるんだよね、だけどなぜかうまくつながらない。

 布野 それはやっぱり利権の構造がそうなってるから。例えば全部市町村でやれればいい。えらそうにいうとそれが自治体でしょ。

 大野 うまくいった場合は、市長は相当傷つきながらうまくまぜた場合ですよ。もう一つはその部署に土木でも建築でも設備屋でもいいけど、美意識をもった若いのがいる場合。

 布野 だからタウンアーキテクトが自治体の数だけ三、三〇〇人っていうの賛成なんだけど、建築主事はもうちょっと少ない二〇〇〇人、一七〇〇か、それでいい。だけどそれが能力がないとおっしゃるから・・

 野辺 あとは行政側というか権力側が理解度がまったくないから、こいつとこいつとこいつにここは託そうという話が全然ないじゃない。それに繋がって考えていくと、マンションの建て替えとか、ストックの再生という話の場合も、誰を何の根拠で選ぶのかというところにもまた一つ問題がでてくる気がしてる。

 布野 それは誰を、設計者を?

 野辺 設計者をどうやって選ぶのか、誰が選ぶのかというポイントがあるわけですよ。例えば妙に素人うけしてて実は何もないやつとか。そういうところでそれが選ばれていくとか。

 布野 マンションのリフォームとか、都会では市場になってると思うけど、これからでしょう。

 野辺 これからのことで、だからこそタウンアーキテクトというのが機能してもらわないと困るわけ。布野さんの考えてるのとちょっと違うんだけど、ストックの再生とか、現実にはドロドロした問題が起きるわけですよ。それをやり得るのは、多分ここでいうタウンアーキテクト的な資質をもったやつ。

 布野 それは含めてるよ、タウンアーキテクトの職能に。今の首長は公共事業で補助金システムで、土建業界がくっついてて選ばれる。だけど実際はもう終わるでしょ、河川とか道路とか皆整備されちゃってるんだから。単純労働で地域に日銭を落とすというけど、それを今後は修理の方に回せばいいだけでしょう。

 

 アトリエ作家の役割

 野辺 一方でそういう像がありながら、作家というかアトリエ派というか、建築家像がイメージとして強い。

 布野 野辺さんが過剰に思ってるだけで、実態は組織事務所とか、環境的システムの方が請け負っている。

 野辺 それは充分わかってる。

 布野 そこへ風穴を開けるためには個人の名前をもったアトリエ派の役割もあると思う。野辺さんはアトリエ派にきついけどね。

 大野 メディアが偏ってるからじゃないかと思うんだ。

 野辺 片方でそういうのがありながら、それとどうやって通底する、風穴が開くのかって。

 布野 だから群居はそれをやってきたって。

 野辺 そうだけど、

 布野 石山みたいなドンキホーテ使って繋げる。職人と町づくりをやるっていうことで彼は彼なりに踊ってきてる。

 野辺 僕言ってるのは若いやつの方イメージをしていって単純に何か一個できましたっていうような世界があって、簡単には繋がんないんだろうなって。

 布野 若いやつは修業して最後はタウンアーキテクトになる、それが上がりのイメージですと、その上はもっと国際的に。原点は仕事で食っていく。能力あるやつは公共建築やればいいし。フランスなんかでも若いときは公営住宅の図面引いたりしてそれでデビューしていくわけだから。

 野辺 もう一つは公共とくっつかない設計者というのの生存領域というのはたしかに布野さんのいうようになってて

 布野 民間はまた別でしょ。民間は自治体がコントロールするとかそういう関係でしょ。

 大野 公共の力はものすごく落ちてる。

 野辺 そうですね。お金ないですね。

 大野 パワーが落ちてるって最近感じてる。

 布野 僕に言わせると簡単で、限られたパイをどうやって分けるか。要するに一部の能力のあるやつに回す評価基準があればいい。地域で議論を積み重ねれば基準はできる。これは僕は楽観的なんだ。

 野辺 どっちだと思います?

 

 構想力が問題

 布野 現実にはいかないですよ、利権の方に動くから。いかないけど、それを利用してその中でモデルを作って、全体の制度なんていらない。どっかでやってみせればいいわけ。ただ、石山個人でやるようなものじゃだめで、もっと広げた話として一個の町や村をぱくってぐらいでやらないと。それは群居でやりきれなかった。大野さんホープいくつやった?

 大野 一〇個。

 布野 僕も島根県の松江だとか出雲はやろうと思ってるけど、こっちがあまりでっぱると今のシステムとかち合うわけ。だからしばらく引かないと。またあったら行くとかね。

 野辺 大野さんのみてると、モノを作るというより、あまり好きな言葉じゃないけど、人作るというか根付かせるというか。

 布野 人の人生を狂わせるわけですよ、アジって。僕も狂わされた。

 大野 モノがないと伝わらない。

 野辺 勿論そうですけど、メディアがモノだっていうことなんだけど、そっちのがいいんだなって感じはするんだけど。

 布野 概念とモノですよ。モノは反発もくらうけど、下手やるとね。

 野辺 他は圧倒的に建築家がもってる構想力が弱くなってる気がするんですよ。それがもっと先に出てくるというか、先を読めるというか、きちっといかないとだめだな、と。どんな提案してるかというと、何のことはない家一戸、それもろくな提案じゃないというところで終始しているから、だから僕はいなくていいと思ってるわけ。

 布野 概念提示。構想力のことでしょう。その言い方に関しては誰でも建築家になり得るんだよね。

 野辺 だからそこのところを、要するに建築家という制度が先にあるんじゃなくて、こういう業態やってるのそれ何?やっぱりそれ建築家なのよ、ってとこでいかないと、もっとおびやかさないと。一〇〇万人自動的に消滅するわけじゃないからもうちょっとおびやかさないといけなかったんじゃないかなっていう気はしますよね。

 

 家族のあり方

 大野 最終号の対談というより、次どうしようって話になってる。

 布野 総括して、次に渡すということだから。住宅のあり方とか家族のあり方とかまだ話したくて、はっきりしてんのは高齢化と・・・。

 野辺 少子化で、ストックが余ってくる。

 布野 余るし、家族の形が、今核家族で戦後の高度成長を支えるために核家族で、2DKでという労働単位をしてきたけど、それでいかないでしょう、というのがあるじゃない。今グループホームとかコレクティブとか、僕はあんなに急速に制度化されるとは思ってなかった。インドネシアのモデルは先進的だと行ってたんだけど、日本でもそうなった。しかし、いい設計はなかなか無い。今のところは。始まったばかりだ。

 大野 今年の一月号と六月号に住宅雑誌の住宅で発表されたものの住まい手は、一人住宅と二人住宅が二五%を占めている。しかも高齢者だけではない。

 野辺 それが特殊かどうかわからないですけども、少なくとも住宅メーカーなんかがもっているコンセプトでは対応できない居住が増加している。

 布野 所有の問題とリンクするからギャップがどうしてもできる。実際はそうなんですよ。

 大野 一方、都市部では実はオーナー一人二人だから複合居住的なマーケットが増えてる。それを引いてみると、最大六割くらいしか普通にみえる家族っていうのはいなくて、そのうちの半分くらいはまだ親と同居してるって感じだから、リビングっていっても三割くらいしか反応しない。それくらい変わってきてる。

 

 器を用意する

 布野 そう思いますよ。それは見えてたけど、じゃあ器の方がくっついていってるかっていうと、土地の問題があるから、なかなかそうはいかない。メーカー批判した方がいいと思ってるんだけどね。エコハウスとかみんなやってるけど、大丈夫かなあ。メーカーのモデル、学生連れて見に行ったら、二つバーンと作ってある、エコハウスとバリアフリーの住宅。そうなっちゃうわけ、それでめちゃくちゃ高い、エレベーターついてて段差がなくてとか。なんでこれがエコハウスって感じだけど。家族の形がこうなって、2DKでやってきたのがあわなくなるってのは見えてるじゃないですか。やっぱりコレクティブというのはあって個室型の、ただグループホームっていってもいい案がないでしょ。グループホームなのかもっとどうなのか。今の鉄賃というのはどういうのが売れるのか。従来型の学生や単身者入れとけばいいのか、高齢者になったときにどういうパターンがあるのかとか。本当は家族の話したいんだけど、今器の話になってんだけど、それは今の介護保険とか、相当の問題だと思う。

 大野 多様化してんだけど、わけちゃうくせがあるのかもしれないね。組み合わせを考えないっていうか。

野辺 高齢化してる、今のnLDKでは通用しないんだっていうけど、確かにそうなんだけど、これはストックとして残そうとした場合に、つぎのところに移ったと、要するに同じ住宅だけど住まい手がどんどん変わっていくというイメージを想起できるかどうか。

 布野 三階建てとかやったときに考えたでしょ。上は下宿とか

 野辺 大野さんの好きな大家さんシステムっていう話もあるんだけど、基本的には住宅メーカーレベルというのはそんなこと想起してないわけですよ。そこは決定的な違いなんですよ。いくらストックストックってわめきながらもその仕掛けは全然できてない。

 布野 土地の供給と今言ったようなことがずれてるから、そんな変わらないよね。

 野辺 例のリバースモービルだってとんでもない話ですよね、今や。こんなに皆が家持たせ過ぎたって発想も大野さんの中にはあるだろうけど、

 布野 オレなんかもってないよ。この年で持たないってヤバイと思う。町家借りようかな。

 野辺 家族の話した時に、住宅全能論みたいな、日経なんかのコラムにこういうふうに住むと子供が切れないとか、ばかなこといってるやつがいるじゃん。そんな甘くないよっていうなかで、そっちはそっちで建築家がいかにも家族に対応していますみたいな顔みせてるんだけど、本当はそうじゃないんだ、家族の状況がどうこうよりもっと町に広がってく構想を持ってない限り、そこに単純に一個の特殊な家族の話をもっていっても無効だということにどうして気がつかないのかなって気がするよね。

 

 グループホーム

 布野 誰が? 建築家が気がつかないの? 『群居』が非力って話もあるけど。だけど一個一個の家は勝手にやればいいわけで、すべてがインテリアデザイナーだし、建築家なわけだから。もうちょっと形式を、例えばグループホームなりを提案したりするのが建築家だと僕は思うけど。

 野辺 グループホームは、今の厚生省の制度とか関係するんだけど、ああいう考え方というのはこれからもっと出てくる。例えば我々が三人住んだとする、そういう考え方はあると思う。要するに家族で住む必要ないじゃないかというのは住宅の中で完全にある。

 布野 家族じゃなくてもいいけど、今の高齢シングルとか、ハイシングルも含めて、宅配がきた時とか困っちゃう、nLDK買って一戸一戸住む必要はまったくない。違うタイプを

 野辺 そうするとコストの問題、居住を担保する時のリスクの問題とか出てくる。

 布野 それを誰か開発してやればヒットすると思うんだけど。

 野辺 今小さなビルダーがグループホーム用の商品化住宅というのを開発したりしてるわけだけど。

 布野 それは厚生省から補助金がでるって話でしょ。

 野辺 そうそう。だけど、そうじゃなくて居住形態でそういうところがあって・・・

 布野 だって市場にまかせないじゃない。

 大野 補助金を食ってるだけ。

 野辺 そこがどうしようもないところなんですよ、今は。

 布野 外国人居住の話も、いろんなやつが住む空間を作っておけば対応できると思ってるわけ。それこそ市場原理でいいんですよ。福祉住宅の問題は別に立てる。ただ今の土地、戸建て一戸、持ち家という意識に入り込んだのと、今の経済的な、貯蓄とか、そんなに簡単には解けない。

 

 地価、土地の問題・・・バブル社会

 大野 地価がもうしばらく下がっていくと変わると思うけど。

 布野 それが一つの希望ですね。

 野辺 僕はそこは割りと悲観的で、限りなく下がっていくと、まとぞろ戸建て主義に回帰していくというふうに思ってる。それを止める担保、例えば環境問題とかいろいろあります、それによってコストが上がるから止まるという考え方もあるけど、それよりはそうじゃなくてその時にどうするんだという最初の構想、首長と組んだタウンアーキテクトなのかどうか別として、その手のところを押さえる人たちが多分いないだろうなと。要するに市場原理で、はいいただきますまた注文ありがとうございます、わが設計事務所にありがとうございますって話でいってしまう。

 布野 あのね、はっきりいって経済の話はわからない。腹立つくらいだ。何で不良債権なんだ、じゃあインフレおこさないと駄目だなんて、・・・経済学者って信用できないんじゃないの。

 野辺 あんなナンセンスな話はないですね。

 布野 直感的にナンセンスだと思うけど、例えば今や経済企画庁長官の堺屋太一だって以前として博覧会主義でしょ、イベントやってそれで投資やってと、今のITだって民主党まで言ってる、あんな話じゃ絶対ないんじゃないかと思う。だけどはっきり言えない、こっちは別に経済成長しなくてもいいんじゃないか、皆がそこそこ食えればいいんじゃないか、そのための住宅とは何かというのは絶対的少数派でしょ、多分。国の経済政策としてそんなこと言っていいのといわれたら黙るしかないでしょ。

 大野 居住してる個人の意識が高まってくると、国家とかそういう制度はいらないかもしれない。

 布野 それはそれでいいんだけど、

 野辺 今みたいなインフラ制度というのが、要するにインフラ、IT革命に名前を借りた公共土木ですよね、結局やろうとしていることは。だから相変わらず大規模なコストをかけて非常に小規模な効用しかもたらさない。今の仕組みでいけば何もしなくたってできるんですよ。あと一〇年経ったらどうなるのかよくわからないけど。我々も皆いい年になってきちゃったから同じようにどうせ世界史的な役割は終わってるんだから

 

 群居の精神・・・・変わるものと変わらないもの やれることとやれないこと

 布野 そうですよ。『群居』やめるのもそういうことだと思います。変わるものと変わらないもの、やれることとやれないこと、二〇年くらいやってだれでも見えてくる。同じ言い方はやめた方がいい。前向きにやめるっていうのはそういうことですよ。それぞれの器で発想して今後やればいい。僕はやりますよ。

 野辺 僕の考えていたことっていうのは、かつて大野さんからコーチを受けていた頃の大野戦略というのが全部インプットされているわけですよ。

 布野 やっぱそれはおかしいぞとか思ってるわけでしょ。

 野辺 大野さんのここはだめだ、ここはいい、ってところはあるわけですよ。それを現実に実務というかマーケットというレベルの中で考えた時に大野勝彦がやりきれなかったところ、もしくはお前がやれっていってることなのかもしれないなって部分をやっていかざるを得ないじゃないかっていうのがあって

 布野 それは受け継いで、バトンタッチしていかないといけない。

 野辺 それで、一つは藤澤先生と組んでやってるSAREXという工務店、工務店といいながら結構設計業態なんですね、その人たちとのネットワークというか、組合という名前だけど、二一世紀に残す生産部隊というのは何だろう、要するに残るのは何だろうということで今考えてやってるんだけど。

 布野 やっぱりそれは性能表示と対応してんじゃないの?

 野辺 そんなものがあろうとなかろうと、法律というのは一つの時代の表現というか鏡だと思ってる部分もあるから、その手のニーズはあったんですよ。だけどそれを制度でやる必要全然ない部分てあるわけで、例えば市場原理、市場経済でいけば性能表示なんて基本的にはガイドラインは国が作ったとしても、実行するしないは保険との制度の話だから保険会社が新たなシステムを作って、我々もこれにのったほうが資産価値としてはこうだよとか保険料はゼロになるよとかいうような話なんですよ。

 布野 それはそうだけど、行政が仕掛けてくるというのは問題だ。

 野辺 それはわかるけど、僕は言うんだったら性能表示の問題の前に基準法という問題を『群居』は徹底的にやっとくべきだったなと。

 布野 法の問題全然やらなかったね。

 野辺 そこはやっとかないと、性能表示とかいく前の前提として基準法の問題というのを

 布野 やらなかったね。

 野辺 そうすると、石山の違法建築というのはどういう意味があるんだとかいうことをちゃんとやっとかなくちゃいけなかった。誰一人として基準法の改正もしくは基準法を成立させてる思想というか、国家的な思考法みたいなとこをちゃんとやっとかないといけなかった。

 布野 基準法についてはいろいろあって、今は性能規定になったから性能表示ですよっていう流れの話かもしれませんけども、何か違う。それこそ今の地域型住宅とか地域の住宅生産システムとか地域的町づくりとかいったときに、圧倒的におかしいわけですよ、全国一律の研究とか。もっと地域バージョン、標準憲法と条例でもいいんだけど、例えば北海道と沖縄とどうして同じだっていう、

 大野 金融公庫がようやっと地域仕様を作り始めた。

 布野 その動きと今の性能表示というのは僕は矛盾してると思うけどどうなの。メーカーは一応ユーザーに対して一〇年保証とかそういう保証制度を担保できた。だけど中小はユーザーに対して何もしてないじゃないかという話でしょう。

 野辺 それは大いなるウソですね。逆に言うと中小の、まあいろいろあるわけですけど、少なくともまともな工務店というのはらくらくクリアーなんですよ。こんなとこで苦しむ必要ない。こんなとこでわざと叫んで、工務店はできない、あぶないって言ってるやつらの方が逆に言うと敵の回し者というふうに思ってて、

 布野 でもその意図があるんじゃないの。

 野辺 小規模というのは自在性があるからそんなにあんたたちの都合のいいようにはいきませんよというのが一方ではあるんです。また直感的に彼らが考えてるのは、大手系というのは結構弱いんじゃないのっていう考え方もでてきてますね。

 布野 その言い方は与したいけど、ユーザーの意識が低いからそんなこといってられるわけであって、いまの戦略で全部やられたら差別化がどんどん進むって話でしょう。実態はそこまでしっかりしてないって話こないだ聞いたからわかってるけど、戦略的にはそうじゃないかと思う。やっぱりプレハブ買うとかね。

 野辺 その辺は今精力的にやってるところですけど、それが足切りになるのかっていえば、もともと減ってくからもう足切りは起きてるんですよね。そこにたまたまタイミングよく法律がでてきたからこれで足切りされるんだというような気持ちになってるかもしれないけど、現実にはもう足切り始まっているわけですよ。分け合う量が減ってきてるわけだから当然そこでは新しい業態にシフトせざるを得ないわけです。そうすると今まで家をつくるというところがある種立脚点だったのが、家を作るというより家を維持する、もしくはストックとして管理していくというところが実は立脚点となる可能性があるだろう、その時に家だけつくれるっていうだけではだめで、作ってなおかつ守れる、維持できるというような立脚点に工務店もスタンス広げていかないと存在しない、そんなの当たり前じゃないかというところから考えていかないと、そんな法律は逆手にとって使いまくってやればいいんだというくらいの気持ちがないと、やっぱタフじゃないなって気がするんだよね。一方的に弱者意識というのが一番だめだとおもってる。

 布野 自民党的にはやっぱり弱者が組合作って、補助金もらって献金するという構造は残る。

 野辺 依然としてそういう構図はあるんだよね。

 大野 主事さんの配属の問題もあるし。不動産というのは売り手と買い手と両方からもらえるんだよね。設計料というのはクライアントからだけもらう、まずいんじゃないかと最近思ってる。

 布野 そういう話聞くと野辺さん、群居精神でずっとやってる気がするけどどうするの。








 

2026年3月24日火曜日

アジア海域世界の港市ー異文化共生の原理ー店屋と四合院、科研費、出版助成、2024年度応募

 アジア海域世界の港市ー異文化共生の原理ー店屋と四合院

1 著者(編者)の主要著書・論文・研究歴等

著者(編者)の次の点について過去から年次順に記述すること。

   主要著書の題名、出版社等名、及び発行年

   主要論文名、掲載された雑誌名、及び発表年

   主要職歴及びこれまでの主な研究内容

なお、著者(編者)が多人数のため、書ききれない場合は、代表して何名かの著者(編者)について、収まる範囲で記述すること。

主要著書(*1*4 は受賞作

布野修司編:アジア都市建築史,アジア都市建築研究会,昭和堂,2003 (亜州城市建築史,胡恵琴・沈謡訳,中国建築工業出版社,2009

布野修司編:近代世界システムと植民都市,京都大学学術出版会,2005 *1

布野修司編:世界住居誌, 昭和堂,2005 (胡恵琴訳中国建築工業出版社2010

布野修司:曼荼羅都市ヒンドゥー都市の空間理念とその変容,京都大学学術出版会,2006

Shuji Funo & M.M. Pant“Stupa & Swastika” Kyoto University Press + Singapore National University Press 2007

布野修司+韓三建+朴重信+趙聖民:韓国近代都市景観の形成-日本人移住漁村と鉄道町,京都大学学術出版会,2010 *2

布野修司・ヒメネス・ベルデホ,ホアン・ラモン:グリッド都市-スペイン植民都市の起源,形成,変容,転生,京都大学学術出版会,2013 *3

布野修司:大元都市-中国都城の理念と空間構造-,京都大学学術出版会,2015

布野修司+田中麻里+ナウィット・オンサワンチャイ+チャンタニー・チランタナット:東南アジアの住居 その起源・伝播・類型・変容,京都大学学術出版会,2017

布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019

布野修司:スラバヤ 東南アジア都市の起源・形成・変容・転生コスモスとしてのカンポン―, 京都大学学術出版会,2021

主要論

学位請求論文『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究ーハウジング計画論に関する方法論的考察』(東京大学,1987 *4

Shuji Funo The Spatial Formation of Cakranegara Lombok in Peter J.M. Nas (ed.) Indonesian Town RevisitedMuenster/Berlin Lit Verlag2002

Shuji Funo: Ancient Chinese Capital Models-Measurement System in Urban Planning-, Proceedings of the Japan Academy Series B Physical and Biological Sciences, November 2017 Vol.93 No.9, 721-745

主要職歴・研究内容・受賞

1976      5月 東京大学助手 1984 4      東洋大学助教

1991   9月 京都大学助教授

2005 4月   滋賀県立大学大学院環境科学部教授 環境科学部長 副学長 理事

2015 4 月   日本大学生産工学部建築工学科特任教授 2020 4月 同 客員教授

地域生活空間(建築)計画研究,アジア都市組織研究,地域の生態系に基づく住居システムに関する研究,アジア都市建築史研究専攻。日本建築学会副会長(20112013 年)。名誉会員(終身)。上記*1*4 の図書・論文で,各種学術賞を受賞。*1 2013 年日本建築学会著作賞*2平成 17 年度日本都市計画学会論文賞,*3 2015 年日本建築学会著作賞,*4 1991 年日本建築学会賞論文賞。


 刊行の目的及び意義

当該刊行物を刊行するに当たって、次の点について、焦点を絞り、具体的かつ明確に記述すること。

   当該刊行物と類似・関連する国内外の研究成果等を適宜引用し、それらとの違いを明確にした上で「刊行の目的」、「意義」、「学術的価値」及び「国内外における当該刊行物の位置づけ」について具体的に記述すること。

   当該年度(又は翌年度)に刊行する意義及び学術的価値について記述すること。

※当該年度:令和6(2024)年度、当該年度翌年度(令和7(2025)年度)

刊行の目的,意義,学術的価値及び国内外における当該刊行物の位置づけ

本書が意図するのは,「アジア海域世界」そして「港市」を対象として,「港市」の基本特性を明らかにするとともにその地域性と多様性を生む原理を明らかにすることである。その前提として,アジア海域世界の代表的港市について,その起源,形成,変容,転成の過程を,臨地調査を基にして都市組織(アーバン・ティッシュurban tissuesurban fabrics),すなわち,都市の形態あるいは空間構成(街路体系,街区構成,住居形式 棲み分けのパターン……)に焦点を当てて明らかにしている。

本書の背景にあるのはこの間の海域研究の展開である。海域研究の嚆矢とされるの F.ブローデル(199195)の『地中海』(Braudel 1949)である。地中海を取り巻く地域を生態的基盤を共有する一つの世界としてとらえ,世界史をダイナミックに描き出そうとする試みは,「陸域」の分割・統合をめぐって叙述されてきた世界史のフレームに大きなインパクトを与えることになった。『地中海』以降,C.N.チョウドリーを先駆として,アジア海域世界(インド洋海域世界)に軸足をおいた海域研究が様々に展開されてきた。日本における海域研究の先駆となるのは,ブローデルも「ギリシャ・ローマの華々しい古代文明史と近代世界システムのもとに統合化されていく西ヨーロッパ勢力による世界の海域征服史であり,「大航海時代」を美化しようとする「ヨーロッパ中心史観」を脱し得ていない」として,インド洋海域世界そしてアジア海域世界全体に視野を広げてきた家島彦一である。その後,東アジア海域については,「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成寧波を焦点とする学際的創生科研費特定領域研究)(20052009)が展開され,その成果が,小島毅監修(2014『東アジア海域に漕ぎ出す』全 6 巻,小島毅監修201018)『東南アジア海域叢書』~20 としてまとめられつつある。また,歴史学研究会編20052006)「シリーズ 港町の世界史」3 巻などがまとめられている。

「陸域」と「海域」の接点に位置し,「陸域」と「陸域」を連結するのが港市である。海域研究が主題とするのは,交換される「人」「物」「情報」であり,その担い手(航海士,商人,伝道師)である。しかし何故か,「人」「物」「情報」が交換される場所,その担い手が居住する港市の空間そのものはほとんど問題にされない。ブローデルにしても,環境の役割を第一に主張するにも関わらず,個々の都市の形態や空間構造の差異への関心が決定的に欠けている。地中海の心臓部における主要都市としてバルセロナ,マルセイユ,ジェノヴァなどを挙げるが,形態は基本的に同じだとし、唯一ヴェネツィアについて人口分布図と添付の分布図を示すけれど,港市の形態,空間構成には触れない。また家島も,港市の形態,役割と機能,その立地について分類するが,港市の形態あるいは空間構成については追究していない。各港市の性格が相当に異なっているにもかかわらず、民族や生業の多様性などの表現で極めて単純化、一般化されてしまっている。本書が焦点を当てるのは,「人」「物」「情報」が交換される「場所」すなわち「空間」である。家島は,歴史的港市について 101 の港市をリストアップするが既に廃墟となった港市が少なくない。本書は,現在に至るそれぞれの海域を代表する港市44をとり挙げる。その立地、誕生、変容の歴史、影響下にあった世界宗教や文化圏などの違いは、各港市の過去、現在、未来に極めて大きなバリエーションを与えてきた。こうした違いを明瞭に反映しているのが、街区構成であり「都市組織(urban tissues)」である。本書は、建築史、都市史の立場から歴史文献を精査・再評価し、それを現地のフィールドワークで補完することで、各都市の空間構成を明らかにして、その性格を再考しようという試みである。さらに,本研究は、国際関係の軋轢が表面化しつつあるアジア海域世界において,急速に変容しつつある港市の変容の過程をヴィヴィッドに記録するという,世界の現代都市研究に議論の視点と具体的な資料を提供する意義を有している。

本書の編者,申請者は,この間いくつかの研究テーマ,フレームを仮構しながら,アジアを中心として様々な都市について臨地調査を積み重ねてきた。その中には多くの港市が含まれていたが,振り返ってみると,これまで焦点を当ててきた都市は基本的に「陸域」の都市であり,視点も「陸域」からみた都市(外港)であった。一方,海域や港市をテーマとした研究は数多いが,その空間構成を歴史的に分析したものは少なく,『スラバヤ――コスモスとしてのカンポン』はそうした試みであったが,ジャワ世界の単一の都市の分析にとどまっている本書が意図するのは,「アジア海域世界」全体を対象として,「港市」の基本特性を明らかにすることである。人類の歴史において,またアジア海域世界において港市が果たした役割を大きく振り返ることによって,その連結機能を見直し,アジアの諸都市を対象とする都市組織研究の共通の基礎を提起する,大きな学術的価値を有している。

 

海は本来「無主」の場であり,「自由」の場であった。そして,港市は,外部から来る多様な人々に対して,身の安全,滞在の自由,自治的裁判権,物の保管。貯蔵と交換の自由などを保証し,この中立性がさまざまな人間を集合させ,物・情報を交換することを可能にしてきた。港市の自律性,交易・契約の自由,多様性の許容,多民族共住といったルール,原理,システムを生んできた。いま,ネットワーク社会について議論される分散型自立組織DAOに通じる,その原型が浮かび上ってくるのではないか。港市のあり方が示唆するのは,出自を異にする様々な民族集団の棲み分けの原理であり,異文化共生の原理である。

 

当該年度(又は翌年度)に刊行する意義及び学術的価値

都市の歴史は,専ら西欧の都市の歴史を中心に書かれてきた。アジアの都市も基本的には西欧の都市概念を基準として,西欧的視点から扱われ,扱われること自体がそもそも少ない。申請者は,この間,『曼荼羅都市』『ムガル都市』『大元都市』といった著作によってアジアの都市の形成過程について大きなフレームを示す一方,『近代世界システムと植民都市』『グリッド都市』といった著作によって,植民都市のアジアにおける世界史展開についても,ひとつのパースペクティブを示してきた。さらに,あるひとつの都市の起源,形成,変容,転生の過程に都市のグローバルヒストリーを読む試みとして『スラバヤ――コスモスとしてのカンポン』を上梓することもできた。

本書はその研究蓄積の上に立ち,港市に焦点を当てることによって,これまで追究してきたアジアに視点を置いた世界都市史の試みを集大成しようとするものである。アジア海域世界は,ヨーロッパ諸国が進出することによって「ヨーロッパの海」と化し,さらに「経済の海」と化した。そして,海域世界は,基本的に「陸域」の「国家の領海」と化しつつある。文化的背景を異にする地域と地域を媒介してきたかつての港市は,グローバリゼーションの波の中で,急速に変容している。生で観察できる過去の痕跡が日々消失する今日,この時期を逃しては,一都市から世界史を描くという方法論を今後の都市史研究に残すことが難しくなる。また先述したように,国際政治においてアジア海域世界を一つのものとして繋げる動きがある中で,その地域性・多様性を論じることは学問の役割でもある。その点で,できるだけ早く本書を刊行し,新たな研究の展開に寄与したいと考える。


 


3 刊行物の内容(概要)

当該刊行物の内容について次の点について記述すること。

   当該刊行物の目次の項目及び各項目の頁数について列記すること。

   当該刊行物の概要について、目次に記載した編・部・章等の単位でまとめ、それぞれ記述すること。必要に応じて完成した原稿の内容(図表等含む)を用いること。

なお、本欄は、審査を行う上で重要な欄であるため、内容が的確に把握できるよう、十分検討の上記述すること。

アジア海域世界の港市異文化共生の原理 目次と頁数

1p38 ×35 行=1330 字(図表込)800

口絵(8p

目次(4p

図表リスト(12p

はじめに(2p

序章(22p

1 海域世界と港市/2 コスモロジーとネットワーク/3 港市/4 植民都市/5 店屋=ショップハウス・ラフレシア/6 本書の構成

アジア海域世界の港市58p

1アジア海域世界/2航海記の中の港市/3船と航海術/4陶磁の道/5海洋遺産中考古学の展開

東アジア海域の港市205p

1東アジア海域の興亡

東シナ海域・日本海域/2-1 日本の港市/2-2 博多/2-3 長崎/2-4 釜 山 Column Ⅰ 朝鮮半島の漁港/2-5 那覇琉球王国の外港/2-6 寧波/都市住居の類型TUD 四合院/Column Ⅱ 倭寇と海禁

3 台湾海峡/3-1 台湾/3-2 台北/3-3 馬公(澎湖島)/3-4 福州/ 3-5 泉州/3-6 漳州/Column Ⅲ  F.ザビエルとポルトガル海商

南シナ海域/4-1 広州/4-2 マカオ/4-3 海口/都市住居の類型TUD 柴欄厝・手巾寮・竹筒屋

東南アジア海域の(150p

東南アジア海域の興亡

フィリピン海域スペイン帝国と中華帝国の邂逅/2-1 スペイン東インド/2-2 マニラ

3 ヴェトナム海域/3-1 ハノイ/3-2 ホイアン/3-3 プノンペン/ColumnⅣ 南洋日本町と御朱印船

タイランド湾/4-1 アユタヤ/4-2 パタニ/4-3 ソンクラー

マラッカ海峡/5-1 シュリーヴィジャヤとマジャパヒト/5-2 マラッカ/5-3 バンテン/5-4 ジョージタウン/5-5 シンガポール都市住居の類ショップハウス・ラフレシア

インド洋海域の港市262p

インド洋海域の興亡/都市住居の類型 ハヴェリ

ベンガル湾海域/2-1 エーヤワディ流域/2-2 ヤンゴ/2-3 コルカタ/Column Ⅴ 仏教の伝播

3 南インド海域/コロマンデル海岸/3-1 チェンナイ/3-2 ナガパットナム/  3-3 ラーメシュワラム/スリランカ/3-4 ゴール/3-5 コロンボ/都市型住居の類型 オランダのテラスハウス/マラバール海岸/3-6 コーチン/3-7 コージコード/3-8 ゴア/3-9 ムンバイ/ColumnⅥ 大英帝国とアジア

グジャラート海域/4-1 スーラト/4-2 カンベイ/4-3 ムンドラ

アラビア海域/5-1 マスカト/5-2 アデン/5-3 モカ/都市住居の類型都市住居の起源

アフリカ東沿海/6-1 ラム/6-2 モンバサ/6-3 ストーンタウン/6-4 キルワ

結章 異文化共生の原理 分散型自立組織を目指して39p

1アジア海域世界の現在/2港市ネットワークの世界史/3港市の形態/4棲み分けのかたちー異文化対立・融合・共存/5店屋と四合院都市住居の世界史

あとがき(2p)/執筆担当・参考文献/学位論文(修論・博論)/関連論文(21p)/索引(13p

 

アジア海域世界の港市異文化共生の原理 概要

序章において,本書の基本的な視点,問題意識,そしてその背景を明らかにしている。

アジア海域の港市に焦点を当てる大きな理由は,港市が,これまで『曼荼羅都市』『大元都市』などによって明らかにしてきたコスモロジー型の都城とは異なるネットワーク型の都市であることである。『ムガル都市』では,イスラーム都市をネットワーク型の都市として規定したが,実際,アジア海域世界における港市のネットワークを大きく形成したのはイスラームのネットワークである。しかし,逆に港市のネットワークがイスラームの伝播に大きな役割を果たしたことが指摘される。アジア海域世界を行きかった「人」「物」「情報」は多様であり,重層的である。港市のネットワーク港市のネットワークはダイナミックに生成し,変化する。イスラームのみならず,インド都城の系譜の東南アジアへの展開を媒介したのも,中国都城の東南アジアへの展開を媒介したのもアジア海域世界の港市である。イスラームにひとつの都市の形態にコスモス(世界=宇宙)を投影させる思想はない。マッカ,マディーナそしてエルサレムを中心とするイスラーム都市のネットワーク全体がひとつのコスモスを形成している。それに対して,予め,港市を都市国家としての港市 Independent Port CityPI),内陸国家に従属する港市(外港)OutportPO),海域交易国家 Maritime Trading NationPM)に分けたが,PIPMという類型は,自律分散型都市のモデルとなるというのが本書の視点である。

港市は,多様な民族,文化,価値体系を許容する空間である。港市の基本特性について,その原初的形態であるギリシャのペリウスに代表されるエンポリアムに遡って,その境界性,連結性,媒介性,さらにその類型などについて既往の議論を整理した上で,本書が港市の棲み分けの空間構造,そして,港市を構成する都市住居の形式,とりわけ,東アジア海域から東南アジア海域にかけて建設された店屋=ショップハウスに焦点を当てる意義を説いている。ショップハウスという英語は中国語の店屋の直訳であり,S.ラッフルズが建設したシンガポールにおいて定式化され,東南アジア各都市のみならず中国華南そして台湾に「騎楼」と呼ばれる逆輸入された興味深い都市住居の形式である。

 

では,アジア海域世界を成り立たせてきた基本的な事項,海域区分,モンスーン,船と航海術など航海を支えたインフラストラクチャー,人類の拡散からオーストロネシア世界の成立,陶磁の道などこれまで考古学によって明らかにされてきたことをまとめている。そして,数少ない史料として断片的に用いられてきた,『エリュトラー海案内記』,マルコ・ポーロの『東方見聞録』,イブン・バットゥータの『大旅行記』,鄭和の「西洋下り」に参加した馬歓の瀛涯勝覧』,費信の『星槎勝覧』(1436),トメ・ピレス『東方諸国記』について全体を精読し,記載される歴史的港市を重ね合わせている。本書が扱う港市がアジア海域世界を代表する港市であることが確認される。海域における人類の営みは,例えば,沈没船という形で海中に遺構として残され,今日に伝えられる。最後に,近年の水中考古学あるいは海洋考古学の動向にも触れた。

 

章~第章は,海域毎にまず海域全体を概観し,重要な役割を果たした港市とその

ットワークについてその歴史をまとめている。そしてさらに小海域毎にそのネットワークの重要局面について港市間の関係に焦点を当てている。また,各海域について,さらにアジア海域全体にかかわるテーマについてColumn朝鮮半島の漁港, 倭寇と海禁,  F.ザビエルとポルトガル海商, 南洋日本町と御朱印船, 仏教の伝播, 大英帝国とアジア)を設けた。

各港市については,1港市の歴史,地域の生態基盤,2都市形成,3都市構成,4都市住居の類型と変容という共通のフレームでまとめている。

例えば,泉州(第Ⅱ章3-5)については,1 泉州と異邦人として, シーラーフ(施那愇,尸羅囲)との関係,市舶司蒲寿庚,マルコ・ポーロ,フランシスコ会の修道士ポルデノーネのオドリコ(12861331),マリニョーリ(1290 1357,イブン・バットゥータについて触れた上で,2泉州の都市形成をまとめている。そして臨地調査をもとに現在の鯉城区の空間構成を明らかにし,「大厝」「手巾寮」「騎楼」という3つの都市住居類型のそれぞれの変容型を明らかにしている。

都市住居の類型TUDについては各地域について基本型についてまとめている(Ⅰ 四合院,Ⅱ 店屋と亭子脚,Ⅲ 柴欄厝・手巾寮・竹筒屋,Ⅵ ショップハウス・ラフレシア,Ⅴ ハヴェリ,Ⅵ オランダのテラスハウス,Ⅶ 都市住居の起源)。

 

東アジア海域の港市については,市舶司が置かれた寧波,泉州,福州,広州を中心に,北海(東シナ海),台湾海峡,南海(南シナ海)に分けて,日本との関係では,博多寧波,那覇福州,平戸・長崎マカオ,東南アジア海域との関係で,漳州-マニラ(ガレオン交易),華人の東南アジア移住の中継港市として海口をとりあげている。

東南アジア海域の港市については,基本的に A.リード1997,2002のいう交易の時代1450-1680以降を扱うが,ポルトガル(マラッカ),スペイン(マニラ),オランダ VOC(バンテン),英国(ジョージタウン,シンガポール)といった西欧諸国の建設した港市の他に,南洋日本町が形成されたアユタヤ,プノンペンも加えている。

 

章 インド洋海域の港市については,コロマンデル地域のチェッティ,チュリア,南インド地域のマニグラーマム(商人村),アイニューットゥルヴァル(500 人組),グジャラート地域のバニヤ,ボーラ,ホージャなど,港市を股に掛けたインド商人を海域区分している。ハイライトは,オマーンのマスカット,東アフリカのザンジバル,ラムといった港市へ移住したことが知られるボーラなどグジャラート商人である。

 

結章では,経済の海と化したアジア海域の港市の現状をコンテナ貨物量をもとに比較し,歴史的港市の立地がそれなりに現在に引き継がれていることを確認した上で,港市の原型としての地中海モデルを念頭に港市ネットワークの世界史の枠組みを提示した。港市の全体形状は自然地形によって大きく規定されること,港市は沿岸部の変化に従って変化していくこと,港市の場合,都市の理念型を幾何学的な秩序として表現することは極めて難しいこと,港市は海(川)によって境界づけられる一方,線状の沿海部から自由に出入りするがことができることを確認している。

そして,棲み分けの異文化対立・融合・共存のかたちとして,唐人町,蕃坊,チャイナタウン,南洋日本町,カンポン・アラブ,リトル・インディア,カースト別・宗教別・商人集団別棲み分け,ホワイトタウン・ブラックタウン,商館,疎開など多様なあり方について確認した。そして,都市住居については,港市に限らず,中庭式住居-コートハウスそして街屋-タウンハウスが普遍的形式として見られる一方,店屋=ショップハウスという形式が港市において成立した可能性を示唆した。また,19 世紀から 20 世紀にかけて東南アジアから中国南部にかけて,ダイナミックな伝搬拡散過程があったことを確認した。そして,こうした都市住居の形式の伝播はインド洋海域の港市でもみられ,グジャラートのガラの形式は,主として有力商人であったボーラ商人によって建設されてきたとされるが,ボーラ商人などグジャラート商人が移住していったオマーンなどアラビア半島南部,そしてスワヒリ沿海部の港市にも同様の形式をみることができる。また,各地域の都市住居の差異は,ファサードのデザイン,テラス,ヴェランダ,バルコニー,そしてドアなどのデザインの際に表現される。その最もわかりやすい例としてザンジバルのストーンタウンの3種類のドアインド,オマーン,スワヒリ)をまとめとしてあげている。

 

本書の基になる公開済み論文な

該当しない。各港市について臨地調査をもとにした以下のような論文(泉州について例示)は公表されているが,全体はオリジナルの論考である。

趙冲,布野修司,川井 操:泉州鯉城区(福建省)の住居類型とその分布に関する考察 Considerations on distribution of house types of Licheng District(Quanzhou Fujian),日本建築学会計画系論文集,77巻,No.669pp20332040201111

趙冲,布野修司,川井操:泉州鯉城区(福建省)の住居の平面構成とその変容に関する考察 Considerations on Transformation of House Plan of Licheng DIistrict (QUANZHOU FUJIAN),日本建築学会計画系論文集,pp24992506,第77巻,NO.6812012.11


4 本刊行物が学術の国際交流に対して果たす役割

当該刊行物の刊行が、学術の国際交流に対して果たす役割(例えば日本独自の文化、歴史等についてとりまとめた研究成果を外国語で刊行することにより、海外における当該研究領域にもたらす効果、国際的に行われている学術研究領域において当該刊行物が果たす役割等)について記述すること。

特に、翻訳・校閲の上、刊行する場合は、本刊行物を広く海外に提供することの目的及び意義について、必ず記述すること。

なお、学術の国際交流を目的としていない場合は、「該当しない」と記述すること。

本書のもとになっているのは基本的には国際共同研究である。東アジア海域の中心となる港市である福州,泉州,漳州,広州,さらに海口については,現在,福州大学に所属する趙冲教授との共同調査である。また,パタニ,アユタヤについてはチェンマイ大学のナウィット・オンサワンチャイ教授との共同調査である。さらに,インドネシアの諸都市については,スラバヤ工科大学の J.シラス名誉教授のグループとの共同研究である。

インド洋関連の調査研究も「植民都市の形成と土着化に関する研究」(布野修司,科学研究費補助金:国際学術調査 199798 年),「インド洋海域世界における港市の空間的連関・伝播・融合・転成に関する研究」(文部科学省科学研究費:基盤(B20112013:布野修司,研究代表者 山根周)など国際学術調査として展開してきたものである。

本書が対象としたアジア海域世界は,直接接する国だけでも相当の数に上る。そうした国々の港市について同様の手法で臨地調査を積み重ねた研究展開はおそらく他にないのではないか。問題は,その成果を比較可能なかたちでいち早く公表することである。本書の刊行によって多くの国の研究者に貴重な情報を提供することが第一の国際貢献である。アジア海域世界における港市についての研究は,自由で開かれた時代の豊かな交流を振り返る試みでもある。

そして,さらに本書が目指しているのは,上述のように,アジアに軸足をおいた世界都市史,都市論の再構築への貢献である。本書の刊行は,中国,東南アジア,さらには西アジア,東アフリカの研究者を巻き込んで,新たな共同研究,学術交流を生む可能性がある。また,本書は西欧の研究者への少なからぬ提起を含んでいる。

 

申請者は,“Stupa & Swastika”(Shuji Funo & M.M.Pant, Kyoto University Press+Singapore National University Press, 2007)の刊行,日本学士院の紀要への投稿採用(‘Ancient Chinese Capital Models-Measurement System in Urban Planning-’, PJA Series B Physical and Biological Sciences, November 2017, Vol.93 No.9, 721-745.)など,欧文による発表も進めてきている。『亜州城市建築史』『世界住居』に続いて『大元都市』の中国語訳も完成し,近々出版の予定である。また,「古代インドの都市理念」The Idea of the City in Ancient India(「東南アジアの古代都市を考える」東京文化財研究所,2018 , 古代中国都城モデル都市計画における寸法体系-城市规划的尺寸系统- 鴻勛建筑史学国際学術研討会,中国建築学会建築史学分会,福州大学,2018 )など国際学会 における発表も行ってきている。上述の通り,今回刊行する京都大学学術出版会は海外の学術出版社と提携した国際出版も積極的に行っており,本書についても,刊行された暁には,国内外での評価や批判を踏まえながら,英文による出版など,国際発信をさらに追求していきたい。

本書がきっかけとなって,日本の,また,アジアの,さらに世界の,アジアの都市をめぐる議論が大いに盛り上がること,ひいては世界都市史へ向けての国際学術交流が活発化することを目指したい。


 







布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...