チャンディ・スク チャンディ・チョト,東南アジアの建築世界2,GLASS LIFE,セントラル硝子,199006
東南アジアの建築世界2
チャンディー・スク
チャンディー・チョト
布野修司
東南アジアの建築というとまず想い浮かぶのはアンコールワットやボロブドゥールのような巨大遺跡の建築であろう。東南アジア地域は古くから中国文明とインド文明という二つの大きな文明のインパクトを受けてきたのであるが、とりわけ、インド(ヒンドゥー)文明は東南アジア世界に深く及んでいる。その後、イスラム化の波が東南アジア全体を襲う。現在ではヒンドゥー教が支配的なのはバリ島のような特定の地域にすぎなくなった。しかし、一皮めくった基層文化として共通なのはやはりヒンドゥー文化である。その伝統は様々な形で今日でもみることができるのである。東南アジアのインド化の歴史を示すのが各地に残されたヒンドゥー(・仏教)建築である。そうしたヒンドゥー建築のなかにちょっと変わったチャンディーがある。チャンディー・スクとチャンディー・チョトである。
チャンディー( )とは、ジャワのヒンドゥー・仏教寺院の総称である。寺院といっても様々な建造物からなるのであるが、チャンディーというとストゥーパ(卒塔婆 )と違って内部空間をもつものをいう。礼拝供養の対象物(仏像、神像、リンガなど)を納めた祠堂である。一般的には、チャイティア・グリハ( 「礼拝物の家」の意)といわれる建造物に当たる。実際に僧侶が住む僧院はヴィハーラ( )である。しかし、内部空間をもたない立体曼陀羅であるボロブドゥールもチャンディー・ボロブドゥールと呼ばれるし、いくつかのチャンディー群のコンプレックス全体もチャンディーと呼ばれる。ジャワでチャンディーというと、タイのワット( )と同じように、日本語の「お寺」という感じで一般的に使われているのである。
建築物としてのチャンディーは、大きく三つの部分からなる。すなわち、屋蓋、身舎、基壇の三つである。その三層の構成は宇宙の三界(さんがい)を表現しているといわれる。すなわち、ヒンドゥーのチャンディーでは、マハーメールのそびえる神の領域であるスヴァルローカ(天界)、地下世界であるブール・ローカ(地界)、その間に広がるブヴァル・ローカ(空界)の三つをそれぞれが象徴する。また、仏教のチャンディーでも、須弥山を中心とする三界観(大乗の場合は、アルーパダーツ(無色界)、ルーパダーツ(色界)、カーマダーツ(浴界)の三界、南方上座部(小乗)仏教の場合、アルーパローカ(無色界)、ルーパローカ(色界)、カーマローカ(浴界)の三界)に対応してチャンディーも三つにわけられるのである。
もちろん、ヒンドゥー教の宇宙観はそう簡単に図式化できるわけではない。以上は大まかな構成原理であって、細部は様々である。また、地域によって異なる。チャンディーも中部ジャワと東部ジャワとで違う。ヒンドゥー・ジャワとヒンドゥー・バリの建築も少しずつ違う。中部ジャワから東部ジャワへ、そして、バリへ、ヒンドゥー王国の中心は移動して行くのであるが、チャンディーの様式も地域地域で異なっていくのである。
大まかにいうと、中部ジャワのチャンディーは、ずんぐりと太めである。それに対して、東部ジャワのチャンディーはスレンダーである。バリにはグヌン・カウィに石窟のチャンディーがあるのであるが、細身で東部ジャワに近い。プロポーションが一見して違うのである。また、チャンディーの向きについても違いがある。中部ジャワではいくつかの例外を除いて、東か西を向くのが原則であるが、東部ジャワではその原則が崩れることが多いのである。東部ジャワでは、東西南北より、ローカルなオリエンテーションの方が重視されるのである。メール山(須弥山)となる山の方向を向くことが一般的なのである。
また、西部ジャワのチャンディーは装飾が過剰である。東南アジアのヒンドゥー・仏教建築に関する研究の先達であり、第一人者である千原大五郎氏は以下の三つの点をあげる( )。
(1)開口部や壁がんがカーラ・マカラ・オーナメントによって縁どりされていること
(2)階段の両翼の耳石がS字形をなし、その上下端がカーラとマカラで装飾されていること
(3)主堂の前面に突出して設けられている前房の屋根が日本建築の唐破風に似た曲版屋根であること
カーラ( )あるいはマカラ( )というのは、ヒンドゥー教の宗教的表徴である。半神的性格をもち、動植物をモチーフとする彫刻や文様として表現される。カーラは鬼面のようにみえる。面白いことに中部ジャワでは、上顎までしかないのであるが、東部ジャワでは下顎さらに腕を含めて表現される。カーラとは、「時」あるいは「黒」を意味する。カーリーがカーラの女性形で、カーリー女神は、人の頭蓋骨を綴った飾りを首から垂らし、人の腕を綴った帯を腰につけている。おどろおどろしい。マカラはもともとは山羊だろうか、口の中にライオンがいる。学問の神様ガネシャ( )は 象である。
全体的に中部ジャワ期のチャンディーは、インド的祖型を強く残し、その理念型を忠実に実現しようとしているようにみえる。それに対して、東部ジャワ期のチャンディーは、より土着化し、変容を受けているようにみえる。
ところで、そうした中でちょっと珍しいのがチャンディー・スクである。いささか謎めいている。以上に触れたチャンディーとは全く異なったチャンディーのようにみえるのだ。みた瞬間、想起したのはマヤのピラミッドである。よく似ている。きれいな四角錘台の形態をしているのである。
チャンディー・スクというのは、中部ジャワの古都ソロ(スラカルタ)ーーブンガワンソロのソローーの東方、ラウ山( )の山腹に位置する。ソロから車で一時間ほどであろうか、中部ジャワといっても、もう東部ジャワとの境界である。昨年、ソロのマンクヌガラ宮で開かれたユネスコの国際会議に出席した際、初めて訪れる機会があった。近くに変わったチャンディーがあるというのでふとでかけてみたのである。チャンディー・スクへ行くというとみんなにやにやする。エロティックなチャンディーというのだ。確かに、性のシンボルがところどころにおおらかに置かれたチャンディーであった。
チャンディー・スクは15世紀の建造だとされるのであるがわかっていないことが多い。中部ジャワ期のチャンディーは、7世紀後半から10世紀後半の建造とされるから、中部ジャワに位置するといっても、チャンディー・スクが建てられたのは、ヒンドゥー王国の中心が既にクディリ、シンゴサリを経て、モジョパイトへと移ったころである。不思議なのはその形態だけではない。ピラミッドの階段を上がってみると、中央に穴がうがたれていた。そこには巨大なリンガが置かれてあったという。リンガとは男根である。チャンディーの多くはリンガを奉る。しかし、それを覆う建造物が残されていないのは何故か。そこには、バリに見られるような、何層かの木造の塔状の建築があったのではないか。実際、レリーフには、そうした建物が描かれているではないか。
また、子宮のなかにマハーバーラタの英雄ビマ( )を描いた巨大なレリーフは一体何に使われたのか。また、無造作に、甲が平らな大きな亀が投げ出されている。これは何を意味するのか。日本で亀の上に墓石を載せるように何かを載せていたのであろうか。亀というと、蛇の上に亀の載ったインドの宇宙図を思い出すのであるが、それであろうか。沢山のレリーフが方々に置かれているのであるが、意味のわからないものが実に多い。
チャンディー・スクは、実に抜群の見晴らし台にある。軸線は一直線にとられ、下界を見おろしている。何故こんなところにという気がしてくる。立地も他のチャンディーと違っているのである。千原大五郎氏は、ジャワにも、インド化以前の土着固有の巨石文化が生きており、この巨石文化の名残と消え行くヒンドゥー文化が融合して造られたのがチャンディー・スクだという。果してそうだろうか。巨石文化というほどスケールはなさそうなのだ。
チャンディー・スクで不思議な気分にさせられたあと山を降りようとすると、近くにもうひとつチャンディーがあるという。また、にやにやである。見逃す手はない。好奇心にかられて行ってみた。チャンディー・スクからさらに登ったところになるほど不思議なチャンディーがもうひとつあった。それがチャンディー・チョトである。
チャンディー・チョトについてはほとんど情報がなかった。ジャワで出された『中部ジャワのチャンディー』( )という本には記述がないのである。後で調べると丁寧なガイドブックにはちゃんと場所が示されていたのであるが、名のみで何の記述もない、そんなチャンディーである。まずは木造の建物の方形の屋根が目につく。バリのプラ( 寺院)に似ている。第一感はこれは新しいだろうということであった。イジュク( やしの繊維)で葺かれた屋根や木造が新しいのである。しかし、もちろん、木造の建造物は何度も建て替えてきたはずだ。急な階段を上がると最初の広場に変なものがある。海亀の大きな姿が石のモザイクで描かれている。よくみると、魚や蟹がいる。そしてリンガもある。さらに、チャンディー・スクにあった甲の平らな亀がある。明らかに、チャンンディー・スクの親戚である。ここでは亀は階段の踏石として使われている。とすると、チャンディー・スクの亀石も踏石だったのではないか。
スケールはチャンディー・チョトの方がはるかに大きい。ここでも軸線は一直線にとられ、はるかに下界をみおろしている。構成原理は同じだ。階段状の構成は、急でダイナミックである。最上部には同じようにピラミッド状のチャンディーがある。何故か、ここも上屋がない。
チャンディーの前に二対の祠があり、そこにリンガが奉られていた。随分と具象的である。にやにやの理由である。男根崇拝は至るところにあるということか。ところが、その直後にみたものには、いささか度肝を抜かれてしまった。
最上部のチャンディーのさらに上に建物の陰がみえる。木造の塔のようである。近づいてみると三重の塔である。イジュクに苔が生えているけれど、新しい。木造の技術も稚拙だ。しかし、かってはこうした塔がピラミッドの上に建っていたのではないか、その代わりに近くのカンポン(ムラ)の人たちが建てたのではないか。そう推測した瞬間、異様なものが眼に入った。なんと、塔の上に巨大なリンガがそびえたっていたのである。
リンガを最重要の崇拝物とするのはシヴァ派である。あるいはシヴァ派と結び付いたタントラ教である。チャンディー・スク、チャンディー・チョトはその流れを汲むのかもしれない。タントラ教は、宇宙の生成、発展を男女の性的結合になぞらえて理解する。そのシンボルがリンガであり、女性性器ヨーニである。ヨーニはリンガを受ける台座として表現される。リンガ、ヨーニに対する崇拝はもちろんタントリズムに固有というより、ヒンドゥー教全体のものである。チャンディー・スクとチョトは、ヒンドゥー・ジャワ文化のデカダンスの姿だという説がある。怪奇的で独特な表現だという。また、イスラムによる偶像崇拝を禁ずるイスラムに対するはかない抵抗だという。しかし、俗っぽい感じはするけど、教義には素直ではないか。抵抗というより大らかな感じが強い。ジャワのチャンディーは、ずいぶんと見て歩いた。リンガもずいぶんみた。チャンディー・チョトの三重の塔の上の、こんなあっけらかんなのは初めてであった。
*1 千原大五郎:『東南アジアのヒンドゥー・仏教建築』 鹿島出版界 1983年
千原大五郎:『インドネシア社寺建築史』 1975年
*2
写真リスト
①チャンディー・スク
②チャンディー・チョト 最上部のピラミッド
③チャンディー・チョト 軸線上の階段
④チャンディー・チョト 下から見上げる
⑤子宮のなかのビマ マハーバーラタの物語 :チャンディー・スク
⑥チャンディー・スクのレリーフ
⑦チャンディー・スクのレリーフ
⑧チャンディー・チョト リンゴ(御神体)
⑨チャンディー・チョト 三重の塔
⑩チャンディー・チョト 三重の塔のリンガ
⑪チャンディー・スク 亀石
⑫チャンディー・チョト 海亀
⑬チャンディー・スクのレリーフ 三重の塔がある
⑭カーラ
⑮マカラ
⑯ガネシャ
⑰チャンディー・カラサン:中部ジャワ
⑱チャンディー・シンゴサリ:東部ジャワ
⑲ボロブドゥール
⑳ロロジョングラン(プランバナン)
























































