このブログを検索

2022年2月28日月曜日

風水(Feng Shui),雑木林の世界07,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199003

風水(Feng  Shui),雑木林の世界07,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199003

雑木林の世界7

 風水(Feng Shui

                        布野修司

 

 ロンドンではしこたま本を買い込んだ。こまめに注文していれば慌てる必要はないのであるが、眼の前に実物があるとつい手がでてしまう。買い込んで読むかというと、つんどくだけだから始末が悪い。チャールズ皇太子の本とM.ハッチンソンの反論の本はさすがに好奇心にかられて眼を通したのであるが、大半は持って帰ってそのままだ。もっとも、船便で送った大半の本は未だに届かないのだけれど。

 今回ロンドンで買った本の中に『パースペクティブズ』というのがある。建築について書かれた文章の引用を集めた本だ。「建築とは・・・」というのが九七、「建築家とは・・・」というのが八十など全部で千一の格言、金言、ことわざなどが引いてある。

「建築とは凍れる音楽である」、「建築の歴史は世界の歴史である」、「建築とは意味を生産する機械である」等々、退屈しのぎにはいい。「評論家は常にあなたを鳩の穴へ押し込める。あなたがたまたま鳩でないとすれば、実に不愉快なことだ。」なんてのもある。

 ところで、もう一冊、つい手がでてしまった本がある。『チャイニーズ・ジオマンシー』という中国の風水についての小さな本だ。風水についてなら日本にも沢山文献があるから必要ないのであるが、英文のものを手にしたかったのはわけがある。インドネシアのソロで開かれたユネスコの会議で風水が大きなテーマになったのが頭に残っていたのである。RIBA(英国王立建築家協会)の本屋に行くと並んでいる。奥付を見ると一九八九年の出版である。風水についての関心はグローバルなんだなあ、とつい買ってしまったのである。

 

 

 インドネシアで開かれた(一九八九年一一月)ユネスコの会議のテーマは「発展途上国における伝統的価値と現代建築および人間居住計画の統合」というものであった。その会議の冒頭で、ファースト・スピーカーはフィリピンのリリア・カサノバ女史であったのであるが、いきなり風水(Feng Shui)という言葉が飛び出したのである。「住宅およびニュータウン開発における社会的文化的価値のインパクト」と題したその講演のなかで、女史はニュウタウンの計画において、計画と入居者の生活のずれをいくつかの事例を上げながら説明したのであるが、その原因は人々が住居に対して持つ伝統的価値、住居観を理解しなかったからだという。どこでも起こった話である。

 フィリピンにおける伝統的住居観については、フィリピン大のマナハン教授のレクチャーを受けたことがある。一九八二年に東京で行ったシンポジウムの折にである。カサノバ女史もそのマナハン教授のその時のレポートを引いていた。以下にいくつかみてみよう。

 

一.建物配置

 a.タガログ地方では、十字形をした家の間取りは縁起が悪い。

 b.家の中に聖者やキリストの肖像を掲げるのはカソリック信   者の古くからの習慣である。

 c.精霊が棲むと考えられているいくつかの樹種がある。その   樹が敷地にある場合切ってはならない。切れば不幸になる。

 d.地下に居間を設けることは西洋人の近代的概念である。し   かし、とりわけフィリピンの迷信深いチャイニーズにとっ   てはタブーである。

二.開口部

 a.ドアは互いに向かい合ってはならない。そうすると繁栄は   ありえない。

  b.ドアは西を向いてはいけない。西を向くと、死や不健康や   いさかいを招く。

 c.ドアは太陽の方を向くべきである。そしてまた、階段の最   初と最後の段が金(oro)にあたると(金、銀(pla   ta)、死(mata)、金、銀、死と数える)吉である。

  d.ドアとドアの間に何もないと、すぐに通りぬけれるから、   死を招く。

  e.足あるいは頭をドアに向くようにベッドやマットを配置す   ると早死する。

  f.入口の扉を直接外部に向けるのは、幸運が逃げていくから   よくない。

  g.表の門を直接通りに向けるのはさけた方がいい。

三.柱の建立

  a.柱の基礎にコインを埋めるといい。

  b.木の柱あるいは竹の柱は台風に備えて時計周りに建ててい   く。

  c.ひびの入った柱は使わない。不幸になる。

四.家の立地

 a.袋小路はよくない。 

  b.T字路に直面する家は望ましくない。

 

 たわいもないと思われるだろうか。以上は断片にすぎない。理解不可能なこともある。しかし、こうした民俗信仰、慣習に基づいた「迷信」の世界はわれわれにも親しい。家相、地相の世界なのだ。

 フィリピンではパマヒイン(Pamahiin)というのだという。そういう民俗信仰であれば、ホンスイと呼ばれる、とタイの建築技術研究所のエカチャイ氏がいう。風水からきているのは明らかだ。

インドネシアではどうだ。カパルチャヤアン(kaparchayaan)という。実はインドネシアについては前から気になっていた。特に、ジャワにはプリンボン(primbon)という、運勢を占う本がかなり広範に市販されているのである。井戸や門や、住まいに関わることももちろん書かれている。ジャワ島の住居や集落を調べる上ではプリンボンを調べる必要がある、と思っていたのである。

 中国の風水説、風水思想の影響は実に大きい、といえるだろう。中国文明、そしてインド文明の影響はは東南アジアに深く及んでいるのである。しかし、こうした地相、家相の説はどこにも普遍的にあるのではないか。ユネスコの会議でまず確認されたのは、その点であった。

 中国においては、秦、漢の昔から、あるいは、殷、夏の昔から、風水は術として大きな伝統となってきた。風水の術が発達してきたのは、墓所の位置、都城の位置などを決める上で様々な戦術的な意味があったからである。英国でもとめた本には、現代の風水師七人の写真がのっていた。風水師というプロフェッションは細々と現在にまで至っているのだ。

 だがしかし、かっては風水師は至るところに存在していたのである。現代の建築士は風水師たりえないのだろうか、というより、建築士の存在が風水師を抹殺してきたのではないのか。 

雑木林の世界 00+3 01~95 総目次 『住宅と木材』連載 198909~199707 (財)日本住宅・木材技術センター

  雑木林の世界 総目次 『住宅と木材』連載 198909~199707(財)日本住宅・木材技術センター


[00] 熊谷うちわ祭,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター, 198208

[00] 熊谷木造住宅調査近況,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター, 198301

00] カンポン調査ノ-ト,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター, 198309

 

1989

[01] 雑木林のエコロジ-雑木林の世界01住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター198909

[02] 草刈十字軍雑木林の世界02住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター198910

[03] 出桁化粧造雑木林の世界03住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター198911

[04] 智頭杉「日本の家」雑木林の世界04住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター198912

1990

[05] 富山の住宅雑木林の世界05住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199001

[06] UK-JAPAN  ジョイントセミナ-雑木林の世界06住宅と木材日本住宅木材技術センター,199002

[07] 風水(Feng  Shui雑木林の世界07住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199003

[08] 伝統建築コ-ス雑木林の世界08住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199004

[09] 出雲建築フォ-ラム雑木林の世界09住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199005

[10] 家づくりの会雑木林の世界10住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199006

[11] ワンル-ムマンション研究雑木林の世界11住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199007

[12] 地域職人学校雑木林の世界12住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199008

[13] 中高層共同住宅生産高度化推進プロジェクト,雑木林の世界13,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199009

[14] カンポンの世界,雑木林の世界14,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199010

[15] 「木都」能代,雑木林の世界15,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199011

[16] 「樹医」制度/木造り校舎/「樹木ノ-ト」,雑木林の世界16,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199012

1991

[17] 秋田・建設業フォ-ラム,雑木林の世界17,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199101

[18]サイト・スペシャルズ・フォ-ラム,雑木林の世界18,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199102

[19] 建築フォ-ラム,雑木林の世界19,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199103

[20] 地球環境時代の建築の行方,雑木林の世界20,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199104

[21] [イスラ-ムの都市性]研究,雑木林の世界21,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199105

[22] 住居根源論,雑木林の世界22,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199106

[23] 「飛騨高山木匠塾」構想,雑木林の世界23,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199107

[24] 「木の文化研究センタ-」構想,雑木林の世界24,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199108

[25] 第一回インタ-ユニヴァ-シティ-・サマ-スク-ル,雑木林の世界25,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199109

[26] 涸沼合宿SSF,雑木林の世界26,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199110

[27]茨城ハウジング・アカデミ-,雑木林の世界27,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199111

[28] 第一回出雲建築展・シンポジウム,雑木林の世界28,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199112

1992

[29] 割箸とコンクリ-ト型枠用合板雑木林の世界29住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199201

[30] ロンボク島調査雑木林の世界30住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199202

[31] 技能者養成の現在雑木林の世界31住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199203

[32] 地球の行方--東南アジア学フォ-ラム雑木林の世界32住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199204

[33] 第二回インタ-ユニヴァ-シティ-・サマ-スク-ルにむけて雑木林の世界33住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199205

[34] 土木と建築雑木林の世界34住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199206

[35] 望ましい建築まちなみ景観のあり方研究会雑木林の世界35住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199207

[36] エスキス・ヒヤリングコンペ公開審査方式雑木林の世界36住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199208

[37] 高根村・日本一かがり火まつり雑木林の世界37住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199209

[38] 京町屋再生研究会,雑木林の世界38,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199210

[39] マルチ・ディメンジョナル・ハウジング,雑木林の世界39,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199211

[40] 朝鮮文化が日本建築に与えたもの,雑木林の世界40,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199212

1993

[41] 建築戦争が始まる  第二回AFシンポジウム雑木林の世界41住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199301

[42] 『群居』創刊一〇周年雑木林の世界42住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199302

[43] 京都・歩く・見る・聞く雑木林の世界43住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199303

[44] 日本の集合住宅雑木林の世界44住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199304

[45] 韓国建築研修旅行雑木林の世界45住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199305

[46] 飛騨高山木匠塾93年度プログラム雑木林の世界46住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199306

[47] 北朝鮮都市建築紀行雑木林の世界47住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199307

[48] 職人大学(SSA)第一回パイロット・スク-ル佐渡雑木林の世界48住宅と木

[49] 東南アジアの樹木雑木林の世界49住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199309

[50] 空間ア-トアカデミ-:サマ-スク-ル雑木林の世界50住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199310

[51] 第三回インタ-ユニヴァ-シティ-:サマ-スク-ル雑木林の世界51住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199311

[52] 現代建築の行方-日本と朝鮮の比較をめぐって雑木林の世界52住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199312

1994

[53] 職人大学第二回スク-リング-宮崎校雑木林の世界53住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199401

[54] 町家再生のための防火手法雑木林の世界54住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199402

[55] 木造建築のデザイン雑木林の世界55住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199403

[56] これからの住まい・まちづくりと地域の住宅生産システム雑木林の世界56住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199404

[57] 松江城周辺の建築物の高さを規制するべきか否か雑木林の世界57住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-199405

[58] ジャイプルのハヴェリ雑木林の世界58住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-199406

[59] 町全体が「森と木と水の博物館」雑木林の世界59住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-199407

[60] 東南アジアのエコハウス雑木林の世界60住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-199408

[61] マスタ-・ア-キテクト制雑木林の世界61住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199409

[62] 木匠塾 第四回インタ-ユニヴァ-シティ・サマ-スク-ル雑木林の世界62住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-199410

[63] ジャワ島横断雑木林の世界63住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-199411

[64] AFシンポ「アジアの建築文化と日本の未来」雑木林の世界64住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-199412

1995

[65] 韓・日國際建築シンポジウム,雑木林の世界65,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199501

[66] 新・木材消費論,雑木林の世界66,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199502

[67] 阪神大震災と木造住宅,雑木林の世界67,住宅と木材,199503

[68] 戦後家族とnLDK,雑木林の世界68,住宅と木材,199504

[69] 北京・天津・大連旅日誌,雑木林の世界69,住宅と木材,199505

[70] 阪神大震災に学ぶ(1),雑木林の世界70,住宅と木材,199506

[71] かしも木匠塾フォ-ラム,雑木林の世界71,住宅と木材,199507

[72] 中高層ハウジング研究会,雑木林の世界72,住宅と木材,199508

[73] かしも木匠塾開塾,雑木林の世界73,住宅と木材,199509

[74] ア-バンア-キテクト制,雑木林の世界74,住宅と木材,199510

[75] エコハウス イン スラバヤ,雑木林の世界75,住宅と木材,199511

[76] ベトナム・カンボジア行,雑木林の世界76,住宅と木材,199512

1996

[77] 80年代とは何だったのか、雑木林の世界77199601

[78] 都市の記憶・風景の復旧,雑木林の世界78,住宅と木材,199602

[79] 社区総体営造-台湾の町にいま何が起こっているか,雑木林の世界79,住宅と木材,199603

[80] 職人大学設立へ向けて・・・SSFの現在,雑木林の世界80,住宅と木材,199604

[81] 台湾紀行,雑木林の世界81,住宅と木材,199605

[82] 明日の都市デザインへ,雑木林の世界82,住宅と木材,199606

[83] 日本のカンポン雑木林の世界83199607

◎[84] 東南アジアのニュータウン、雑木林の世界84199608

[85] 木匠塾:第六回インターユニヴァーシティー・サマースクール、雑木林の世界85199609

[86] 住宅の生と死・・・住宅は何年の寿命を持たねばならないのか,雑木林の世界86199609

[87] インド・ネパ-ル紀行,雑木林の世界87,住宅と木材,199611

[88] 漂流する日本的風景,雑木林の世界88,住宅と木材,199612

1997

[89] 京都グランドヴィジョン研究会,雑木林の世界89,住宅と木材,199701

[90] 組織事務所の建築家,雑木林の世界90,住宅と木材,199702

[91] パッシブ・アンド・ロ-・エナジ-・ア-キテクチャ-,雑木林の世界91,住宅と木材,199703

[92] 景観条例とは何か,雑木林の世界92,住宅と木材,199704

[93] パッシブ・ソ-ラ-・システム・イン・インドネシア,雑木林の世界93,住宅と木材,199705

[94] スタジオ・コ-ス,雑木林の世界94,住宅と木材,199706

[95] 木の移築プロジェクト,雑木林の世界95,住宅と木材,199707

 

[96]雑木林の世界から八年間、グローバル&ローカルを視座に連載を続けてきました、住宅と木材、199708



住居/土間式住居/米倉,『東南アジアを知る事典』,平凡社,198607:池端 雪浦 監修, 桃木 至朗・クリスチャン ダニエルス・深見 純生・小川 英文・福岡 まどか・石井 米雄・土屋 健治・立本 成文・高谷 好一 編集,東南アジアを知る事典,改訂版,平凡社,2008年

 住居/土間式住居/米倉,『東南アジアを知る事典』,平凡社,198607:池端 雪浦 監修, 桃木 至朗クリスチャン ダニエルス深見 純生小川 英文福岡 まどか石井 米雄土屋 健治立本 成文高谷 好一 編集,東南アジアを知る事典,改訂版,平凡社,2008

住居

 

[鞍形屋根と高床式住居]

東南アジアには実に多彩な木造建築の伝統がある。中でも、棟がゆるやかに反り上がった鞍形屋根(舟形屋根)と呼ばれる独特の屋根形状が、島嶼部を中心にミナンカバウ族(西スマトラ)、バタク諸族(北スマトラ)、サダン・トラジャ族(南スラウェシ)などの住居に見られ、世界的に見ても注目される。

伝統的住居のあり方を歴史的に明らかにする資料は少ないが、ドンソン銅鼓など考古学的出土品に描かれた家屋紋や家型土器にこの鞍形屋根がみられることや、雲南の石寨山で発見された貯貝器の取っ手は今日のミナンカバウ族の住居にそっくりであることなど、ある程度共通の住居形態が古来より存続してきたと考えられる。ドンソン銅鼓は、ベトナムのみならず、中国南部からニューギニア東部のサンゲアン島でも発見されており、相当広範囲に鞍形屋根の形態が分布していた可能性がある。言語学的な復元によると、東はイースター島から西はマダガスカル島までの広大な海域に居住していたのがオーストロネシア語族で、共通の居住文化を保持していたとされ、その源郷は台湾(あるいは中国南部)という説が有力である。

鞍形屋根とともに、東南アジア(さらにオーストロネシア世界)の住居のもう一つの特徴が高床式である。ボロブドゥールやプランバナンのレリーフに描かれた家屋紋も例外なく高床式である。ただし、いくつかの例外があり、ベトナム南シナ海沿岸部、ジャワ、マドゥラ・バリ・ロンボク西部、マルク諸島のブル島は高床式の伝統を欠いている(ジャワ島でもスンダ地方は、バドゥイの住居のように高床である)。ベトナムの場合は中国の影響が考えられるが、ジャワ・マドゥラ・バリが地床(土間)式である理由については、南インドのヒンドゥー住居の影響、イスラームによる高床の禁止など諸説ある。バリの住居は基壇の上に建てられ、煉瓦造と木造の混構造であること、分棟形式をとることなどを特徴とする。また、ヒンドゥーの世界観に基づく、一貫する配置原理、寸法体系の維持で知られる。ジャワの住居は、屋根形式によって、ジョグロ(寄棟高塔)、リマサン(寄棟)、タジュク(方形)、カンポン(切妻)などに類型化される。ジョグロは、4本柱の中央を高く突き出す形態で、興味深いことにスンバワ島によく似た形式がある。ジャワにもプリンボンと呼ばれる建築書(家相書)が伝えられる。

高床式の系譜として注目されるのが、倉型住居(高倉)である。倉が鼠返しのついた高床の形式で建てられるのはごく自然であり、地床式のジャワ・マドゥラ・バリ・ロンボクでも米倉は高床式である。日本の神社、貴族住宅(寝殿造り・書院造り)も高倉から発達したとされるが、倉そのものが住居の原型となる。フィリピン・ルソン島北部の山岳地帯には、高倉の屋根をそのまま降ろして壁で囲う入れ子状になった住居があり、日本の南西諸島の高倉との関連をうかがわせる。また、インドネシア東部にも、同じように小さな倉型住居が分布する。今のところ、高床式住居は稲作が行われる以前から存在すると考えられるが、稲の東南アジアへの伝播とともに、この倉型の建築形式が伝播していったことは大いに考えられる。

多様であるにもかかわらず、共通の要素や系譜をもつのが東南アジア木造建築の興味深い点であるが、その根拠となるのが木造架構の原理である。すなわち、木材の組み合わせは無限ではなく、とりわけ構造力学的制約によって、架構方法はいくつかに類型化される。G.ドメニクの構造発達論は、日本の竪穴式住居の架構から様々な形の鞍形住居の架構ヴァリエーションをうまく説明する。湿潤熱帯を中心とするため、木を横に使ういわゆる校倉造り、井籠組(ログ)は少ないが、北スマトラのカロ高原の南に居住するバタク・シマルングン族の住居などなくはない。トロブリアンド島のヤムイモの収納倉が高床式の校倉造りであることはよく知られる。形態として興味深いのは、円形もしくは楕円形の住居で、ニアス島からチモール島にかけて分布する。ニアス島の住居は床下に斜材を用いるのがユニークである。

[住居の集合形式]

住居の集合形式としては、まずロングハウス(長屋)がある。東南アジア大陸部ではカチン族など、島嶼部ではカリマンタンからニューギニアにかけての地域に分布する。タイ北部では屋敷地に分棟形式で住居を建てて親族が住む形態がみられ、「屋敷地共住結合」と呼ばれる。東南アジアでは、大陸部でも当初部でも一般に双系制の親族原理が支配的であるとされ、世界で最大の母系制社会を形成するミナンカバウや父系的であるバタク諸族は、むしろ例外である。これらの場合、一室の大空間に複数の家族が居住する形式をとる。

バタク・トバやサダン・トラジャが典型的であるが、住居と倉を平行に配置する集落形式はマドゥラ島など他にも見られる。スンバワ島には、広場を円形に囲む形式も見られる。時代は下るが、都市住居として、南中国で成立したと考えられる店屋(ショップハウス、街屋)の形式が港市都市に成立する。

西欧列強の進出によって、いわゆるコロニアル住居が建てられ始める。西欧列強の拠点となったマラッカ、オランダ東インド会社の拠点であったジャカルタをはじめスマラン、スラバヤなどジャワの諸都市、英国の海峡植民地となったペナン、シンガポールなど数多くの都市の都市核に植民地建築の遺産が残されている。西欧の住居形式がそのまま導入される一方、土着の空間形式や架構方法が様々に取り入れられ、新たな住居の伝統を形成することになったのである。(布野修司)

 

 

2022年2月27日日曜日

災害を「学」にするということ!?,すまいろん,住宅総合研究財団,2009春号

 災害を「学」にするということ!?,すまいろん,住宅総合研究財団,2009春号

 

 災害を「学」にするということ!?

 布野修司

 特集の意義は、編集責任者である中谷礼仁先生が自負するとおりで、異議なし、である。しかし、災害をテーマとする「実践的」研究集団をつくりたいというのはどういうことか、と、ちょっと首を傾げた。以下は、各論考へのコメントというより、全体を読みながら思い起こしたことである。

 20041226日朝、僕はスリランカのゴール・フォートにいて、インド洋大津波を経験した。などと呑気に書くけれど、フォート周辺で数百人が亡くなり、15分違いの命拾いであった。帰国後、NHKテレビの特集でゴールのバスターミナルでみるみる溢れる水になすすべもなく巻き込まれていく人の映像をみて、心底ぞっとした。ツナミが到達するのがもう少し遅ければ同じ目にあっていたのである。この時のことは、求められるままに『みすず』(「スリランカ「ツナミ」遭遇記」2005年3月)に書いた。

その瞬間何が起こったのか皆目分からなかった。スリランカには、『マハーヴァンサ』という「古事記」があって、2000年前に女王が波にさらわれたとある、だから2000年ぶりだと、翌日のTV番組で学者がしゃべるのを聞いた。スリランカには地震はない。牧紀男先生の示す地震ハザードマップもスリランカは真っ白である。そして、ツナミなど誰も考えなかった(と思う)。満月の日の高潮か、水道管が破裂したか、僕の頭にも浮かんだのは全くトンチンカンな妄想である。目の前にひっくり返っているバスや車、サッカー場に乗り上げている船を見て、ようやくツナミと理解したのは、同じく命拾いした応地利明先生から、インド洋プレートの滑り込みとヒマラヤの造山活動、ツナミの速度(ジェット機より早い)についての説明を聞いてからである。事態を理解するまでに2時間近くかかった。家族を突然失った人にとってこれは神隠しと思うしかない。これは全く、林勲男先生のいう「災害」人類学の対象である。

何かの因縁を感じて、翌年、翌々年とスリランカに通った。モラトゥア大学の友人が復興計画に携わるというのでその手伝いをするというのが口実である。一年後、コロンボからゴールへ走って驚いた。やたらに眼に入るのが各国NGOの看板なのである。これみよがしに復興援助をうたうけれど、車を降りてみると何もない。スリランカ出身の構造デザイナー、セシル・ベルモンドの復興プロジェクトも大々的に喧伝された。翌々年だったと思う。日本政府は、80億円を投じて(援助して)、復興団地の事業コンペを行う。アチェでもそうだけれど、災害援助が明るみにするのは、第一に国際援助の巨大なブラックボックスである。

ゴール周辺に被災者のためのテントは残っていたけれど、バスターミナルは、全く何事もなかったようであった。NHK特集のビデオを撮ったカメラ屋の前に多くの新聞記事と亡くなった人の写真が貼られており、唯一ツナミの記憶を伝えていたが、その様子を写真に撮ったら、金をせびられ、思わず手をあげそうになった。大災害も飯の種にする(観光化する)したたかなあるいは切羽詰った人々がいる。これも「災害」人類学のテーマだろう。

亡くなった人たちを除けば、最も多くの被害を受けたのは、コロンボに近い海岸部に居住していたスコッターたちである。ツナミの直後に、行政当局は、これ幸いに、海岸線から100mを建設禁止区域とし、杭を打った。その決定を下した責任者と直接議論したけれど。海岸は共有地だ、この際、スコッター問題に手をつけるのだ、と強硬であった。もちろん、スコッターたちもしたたかであり、すぐさまバラックを建てて棲み続けた。このせめぎあいは日常社会に内在していたものだ。

災害は、地域の文化の再発見に結びつくというけれど、社会の亀裂をさらに顕在化させ、激化させもする。スリランカの場合、ツナミは、住宅問題、都市問題を直撃したのである。そして、さらに政治問題も大きく後退させた。知られるように、スリランカは長年、南北、シンハラータミルの両民族間で内戦といっていい状態にあった。実は、ゴールで命拾いする直前、初めてタミル解放の虎が実効支配する北部に行くことができ、陸路アヌラーダプラに抜けて、コロンボに至りゴールに向かったのである。確かに、一国内に別の国家があり、パスポートも入出領域税も取られた。しかし、雪解けの雰囲気は感じられた。だから外国人も旅行できたのである。しかし、ツナミ後、再び、対立は深まったように見える。援助物資の配分がうまく行われなかったのが一因だと思う。一方、アチェの場合、本特集の報告からは伺えないけれど、武装対立から融和へうまく?動きだしたのではないか。

災害は、危機的対立を強化する方向へも、さらに対立を緩和する方向へも作用する。大災害を好機とすべきとすれば明かに後者の方向である。ピナツボ火山の噴火以降、アエタが先住民族として誕生したことは、そうした評価を超えた問題であるけれど、ある種の共生の契機になったと理解したい。

・・・等々、特集を自らの経験にひきつけて考え始めるととても紙数が足りない。阪神淡路大震災にしても、集集大地震にしても、それなりに歩き回って考えたけれど、要するにはっきりするのは、災害が明るみに出すのは、日常が拠ってたつ基盤(インフラストラクチャー、地域社会、・・・)である、ということである。大災害が起こるたびに現地に出かけて行って、何がしかの教訓を得るのもいいけれど、日常が拠って立つ基盤の脆さを見通す眼が獲得されなければその教訓は活かされることはない、そのことを本特集は教えてくれているように思う。フィールドワークが目指すのは、そうした眼の力を鍛えることである。そうした意味では、青井・陳論文には好感をもった。佐藤滋先生のいう「事前復興」もそういうことだろう。ただ問題は、災害を「学」にすることではなくて、日々の暮らしの安心安全であろう。空地は震度8にもマグニチュードいくつでも耐えると唐山市長が言ったというけれど、本当にそう思う。肝心なのは、建造物が潰れても、人命が失われないことである。

「災害」に関する実践的研究というのは、・・・・。






2022年2月26日土曜日

すまいろん 研究哲学 海外住居研究の展開,『すまいろん』2002年夏号,通巻第63号,20020701

海外住居研究の展開『すまいろん』2002年夏号通巻第6320020701

 

すまいろん 研究哲学

海外住居研究の展開---アジアの住居に関する研究をめぐって

 

布野修司

 

はじめに

「海外の伝統的住居の研究論争」というのが与えられたテーマであるが、「海外」、「伝統的住居」、また「論争」について予め留保と限定を許されたい。研究対象として「伝統的」住居をうたう研究は極めて少ない[1]。「海外」[2]というと広すぎる。「論争」なるものも記録に残される形で展開されたことはないと思う。いささか勝手ではあるが、ここでは「日本人」[3]による「アジア」の「住居」に関する研究一般を念頭におきたい。

住宅総合研究財団(住宅建築研究所)による研究助成「地域の生態系に基づく研究」[4]以降、論者がこの間展開してきた調査研究は必ずしも「伝統的住居」そのものを対象とするものではない[5]。また、そもそも「伝統的住居」という規定は曖昧である。

「伝統的住居」の並ぶ集落と見えて、わずか五〇年あまり前に移住してきた集団の村であったという例がある。また、原住民の集落として大々的に喧伝される村が全戸土産物屋を経営するといった例がある。こうした例を「伝統的住居」研究というかどうか、「伝統的住居」とは一体何をいうのか、住居の何を問題にするのか、をめぐって既に議論が必要である。そうした意味では、「ヴァナキュラー(土着的)建築」(=「住居」)に関する研究を対象とするといった方がしっくりくるけれど、もちろん、ヴァナキュラーという概念、「地域の生態系」といった概念についても同相の議論は必要である。

「伝統」traditionという言葉は、もともとtradere---「手渡す」あるいは「配達する」---という言葉を起源とする[6]。各地域の住居に引き継がれてきたものを明らかにするということは住居研究における重要なテーマであるが、その前提となっているのは、住居が生き物であり、変容するということである。「伝統」という概念が「近代」において「成立」するのも「変化(近代化)」が強く意識されるからであり、伝統と近代(近代化)は表裏のテーマである。

われわれが直接研究対象としうるのは現代の住居である。文献資料に依る住居(史)研究も含むけれど、「海外住居」という時、主として問題とされるのは臨地調査(フィールド・サーヴェイ)を基礎にした研究であろう。そうした意味では、臨地調査の基本的問題がクローズアップされることになろう。

 

 1.日本におけるアジア住居研究

 日本におけるアジアの住居に関する研究の歴史は戦前期に遡る。その概要は京都帝国大学工学部建築学教室編『大東亜建築論文索引』(清閑社、一九四四年)で知られるが、体系的まとまりという意味では、村田治郎の「東洋建築系統史論」其一、其二、其三(『建築雑誌』、一九三一年四月、五月、六月)をもってその嚆矢とする。あるいは、郷土会そして白茅会(一九一六年結成)以降の、日本の民家研究の流れを端緒とする。小田内通敏『朝鮮部落調査予察報告』(朝鮮総督府、一九二三、二四年)が早い例で、今和次郎も一九二四年に『朝鮮部落調査特別報告、第一冊(民家)』を書いている。村田治郎も「南鮮民家の家構私見(一)(二)(三)」(『朝鮮と建築』、一九二四年三,五、七月)を書いて「マル」の起源を論じ、藤島亥治郎と若干のやりとりをしている[7]

 アジアの住居に関する研究の出自をめぐっては論ずべき多くの問題がある。その起源において既に今日の議論に通底する諸問題を指摘できる筈である。「アジア」という空間的枠組みの設定にまず問題がある[8]

しかし、ここでは出発点を一九八九年にとろう。平成元年だからということではない。日本建築学会の建築計画協議会『住居・集落研究の方法と課題:異文化の理解をめぐって』が行われ(一九八八年)、その記録・討論資料集『住居・集落研究の方法と課題Ⅱ:討論:異文化研究のプロブレマティーク』(一九八九年)がまとめられているからである。前者には、一九七五年以降一九八八年までの文献リスト(日本建築学会大会学術講演梗概集、支部研究報告集、論文報告集、建築雑誌、日本都市計画学会学術研究論文集、住宅研究所報、学位論文)があり、後者には中国(浅川滋雄)、中国窰洞関係(八代克彦)、台湾(乾尚彦)、韓国(朴庚玉)、インドネシア(佐藤浩司)について文献解題が書かれているのである。鈴木成文とハウジング・スタディ・グループ、原広司と世界集落調査隊、太田邦夫と東洋大AAA-Japan、武者英二と法政大民家・集落研究グループ、茶谷正洋と中国窰洞研究グループ他、青木正夫と九州大学・九州産業大学グループ、鳴海邦碩と大阪大学グループ、東京芸大中国民居研究グループ・・・・など、当時の「海外住居集落研究」に関わるグループをほぼ網羅している。論者はその協議会を組織し、まとめ役を務めた。グローバルには、B.ルドフスキーが先鞭をつけ、P.オリヴァー、A.ラポポートらが開拓してきたヴァナキュラー建築をめぐる議論も含めて、日本の戦後における「海外住居研究」の概要は以上の二冊の資料集に総括されていると考えている。

 

 2.住居・集落研究の方法と課題1988/89

 「住居・集落研究」の目的、対象、方法、意義、体制、課題をめぐっての総括は「住居・集落研究の課題」(一九八九年)として書いた。また、それ以前に、「都市集落町並研究の課題」[9]、「海外住居集落研究の課題」[10]を書いている。繰り返しを恐れず要点を列挙すれば以下のようである。この間、「海外住居研究」をめぐる論争があったとすれば、そのの種は以下に含まれていよう。

 

A.    研究の目的となるのは、「住居集落の構成原理の解明」「すぐれた建築を生み出す魔法のプロセス」の解明(稲垣栄三)である。あるいは、「集落モデルをつくる」(原広司)こと、「エスノ・アーキテクチュア(テクノロジー)」の解明(太田邦夫)、そして「住居の近代化のプロセス、現代における住居の変容を明らかする」(鈴木成文)ことである。

 

ここで問題とされるべきは「面白ければいい」「最終目標なんてない」と言い切る立場である。西村一朗は、「本質・発展追求的立場」「分布・系譜追求的立場」「学習・空間計画語彙獲得的立場」「遊戯的・趣味的立場」の四つの立場を区別するが、問われるのは研究の立脚する土台そのものである。

 

B.    何故、海外の住居なのか、異文化における住居を何故問題にするかと言えば、日本の住文化を相対化するためである。また、近代建築の理念を相対化するためである。何故アジアか、については、西欧vs日本という二項対立の図式が不毛だからである。「最も近い文化を有する韓国との比較が興味深い。類似性が高いだけに相違も目立ち、相対的に日本が見えてくる」(鈴木成文)。「沖縄というのはいったい日本なのか」(武者英二)。「その地域なり民族なりに固有の科学があり、固有の技術がある」(太田邦夫)。

 

A.と合わせて、「西欧近代における住宅計画の方法とは異なった方法の確立」、「地域に固有な住居集落の構成原理の解明」への期待がアジアの住居に関する研究にはある。

 

 

C.    海外の住居に関する研究の展開において否応なく問われるのは日本の「建築学」という学問のあり方である。海外の住居集落研究の場合、基本的に共同研究として行われる(のが原則である)。その場合、専門分野を異にする研究者が共同研究を行うことも珍しくない。そこで、例えば、日本に特有の「建築学」や「建築計画学」の存立基盤が問われることになる。

 

「建築計画学は輸出できるか」(青木正夫)。一体何のための研究なのかは、海外研究の場合、より厳しく問われることになる。

 

D.    「生活改善的立場」と「好事家的採集的立場」の差異は日本の民家研究、住宅研究の流れにおいても問われてきたが、「海外の住居研究」についても同様である(A)。そして、歴史(主義)か構造(主義)か、より具体的に建築史における民家研究と建築計画における住居研究の違いをめぐって議論がある。問題はディシプリンを截然と分ける態度であろう(C)。住居を対象とし、生活の全体を対象としようとする場合、アプローチに本質的差異はない。

 

 インドネシアの住居集落の場合、文献資料は皆無に近い。文献資料をもとにした実証史学は果たしてお手上げであろうか。地面に聞くこと、土地の形、建築類型を手掛かりにするティポロジア(類型学)の方法は共有されてきたのではないか。

 

E.    住居研究をめぐっては、さらに、人類学、民俗学、地理学など、境界領域、他分野との関係が問われる。その体系化を目指すのであれば固有の方法がそこで問われるであろう。個別専門分野を超えた地域研究の成立可能性を問う議論が関わっている。

 

F.    地域研究の成立根拠とともに問われるのは「エスノ・アーキテクチャー」なる概念、「地域に固有な住居集落の構成原理」である(B)

 

G.    調査研究の方法は以上の全てに関わる。風のように集落を駆け抜けることによって何が明らかにできるのか。単にフィジカルな形式を図面化すればいいのか。一方、インテンシブな調査とは何か。何年調査すればいいのか。ただ現地に住み込めばいいのか。人類学あるいは地域研究では臨地調査が不可欠とされるが、アームチェア・アンスロポロジストと呼ばれる学者がいないわけではない。臨地調査を出発点にするのが基本であるにしても、何をどう記述するのかは大きなテーマである。

 調査に関わる本質的な問題として「調査の暴力」がある。これは「海外」であるかどうかを問わない。被調査者に対して、その時間やプライバシーを侵すといった暴力にとどまらない。生活者の生活を断片化し、抽象化し、類型化し、一定の枠に嵌め込んでしまう、そうした思考の枠組みの暴力が問題にされなければならない。「スラム」改善のための調査が「スラム」のコミュニティの存在の根底を揺るがしかねないが故に大きな抵抗を受けることは一般的である。

 

H.    あらゆる調査研究には背景がある。アジアの「住居」研究に研究助成が行われる社会的背景がある。調査研究のための資金、研究体制について自覚的である必要がある。海外研究の場合、国際的な共同研究の組織体制の確立が不可欠である。相互に学ぶ研究体制がなければ、その持続はありえない。研究成果がいかに還元されるかは常に問われている。

 

I.    出発点となるのは現代の住居であり、集落であり、都市である。現代の住居、集落、都市をどう把握し、どういう計画的提案をなしうるかが建築計画研究における住居研究の基本的構えである。また、フィールド・サイエンスもフィールドから組立て、フィールドに還元するのが基本である。調査するのみでは、また、計画言語、空間的語彙を引き出すだけでは完結しない。得られた成果がフィールドに投げ返されチェックされることによってしか研究の全体性は保証されない。

 

 3.「海外研究」という枠組みを超えて

 以上のような確認の後、どのような研究が展開されてきたのか。残念ながら、九〇年代における研究展開は八〇年代までと比べると低調と言わざるを得ないのではないか。敢えて個々の研究グループの、その後の展開を論うことはしないけれど、持続的にアジアの住居研究を展開する研究者、研究グループはむしろ減っているのである。

問題は、少なくとも日本建築学会の論文集を見ると、きちんとまとめられた成果が少ないことである。また、日本の建築計画学の「手法」をアジアの住居に当てはめる構えの研究が目立つことである。むしろ、後退と言わざるを得ない。「手法」なるものがフィールドと切り離されて問題とされるところに大きな問題がある。

 九〇年代における研究状況を特徴づけるのはアジア各国からの留学生による研究の圧倒的増加である。極めて印象深かったのは、滋賀県立大学で行われた大会協議会[11]で「海外研究」のレヴェルの低さが槍玉に上がったことである。論文の生産性が低く、「手法」が未熟(研究方法がいいかげん)だというのである。また、「海外研究」を全体としてうさんくさいものとして否定する論調もあった。あたかも研究のレヴェルが低くなったのは留学生のせいだと言わんばかりの指摘にはいささか腹が立った記憶がある。レヴェルが低いとすれば、指導者なりカウンターパートとして留学生に対する日本の研究者の方であり、アジアからの留学生が増加してきた研究環境についてあまりにも無自覚な研究者は現在も少なくない。また、「海外研究」であれ「国内研究」であれ、研究の抱える問題の質は同じであることを理解しない研究者は少なくない。

 例えば、東南アジアについては、R.ウォータソンの『生きている住まいー東南アジア建築人類学』[12]を超える研究はこの間ない。日本建築学会集合住宅小委員会の海外情報WGの持続的活動もあるが、情報収集あるいは文献収集の段階を超えて、そろそろ、研究成果がグローバルな平面で問われる段階に達しているのではないか。一九九五年から行ってきた「アジア都市建築研究会」は既に五二回を数える。興味深いテーマは山ほどある。留学生を主体とする「アジアと建築の未来」(日本建築学会近畿支部創立50周年記念シンポジウム、一九九七年)、また、「アジアの建築交流国際シンポジウム」を第二回(神戸、一九九八年)、第三回(済州島、二〇〇〇年)と議論を重ねて、今年第四回を重慶で行う。英文論文集JAABEも発刊された(二〇〇二年三月)。アジアの住居研究が新たなステージを迎えていることは間違いない。

 

 4.アジアの都市住居モデル

 この二〇年余り、発展途上地域の大都市の居住地について考えている。ロンボク島[13]やマドゥラ島[14]など農村部の集落についての研究も展開しているが、その場合も主要な関心は都市と農村の関係にある。具体的に焦点を当て研究対象としてきたのは湿潤熱帯(東南アジア)の都市集落であり、続いて南アジアであり、それぞれの気候風土に相応しい居住地を構成する都市型住居モデルの開発を主題としてきた。「地域の生態系に基づく住居システムに関する研究」が常に原点にある。

二一世紀を迎えて「地球環境問題」がますます深刻なものとして意識されつつある。そこで、グローバルに大きな焦点となるのは、発展途上地域の大都市の居住問題である。今後ますます人口増加が予想されるのは熱帯地方の発展途上地域であり、人口問題、食糧問題、エネルギー問題、資源問題など地球環境全体に関わる様々な問題は既に先進諸国よりもアジア、アフリカ、ラテン・アメリカの大都市においてクリティカルに顕在化しつつあるのである。発展途上地域の大都市の居住問題に対してどういう解答を与えるかは、都市計画・地域計画の大きな課題であり続けていると思う。

とりわけ熱帯の発展途上地域が問題なのは、そこで先進諸国と同じように人工環境化が進行しつつあるからである。すなわち、問題は、先進諸国の住居がモデルとされ、目標とされ、エネルギー消費を考慮しないアクティブな技術が専ら導入されつつあることである。大きな課題となるのは、湿潤熱帯の気候に相応しいパッシブ技術を基本とする「環境共生」型の住居モデルおよび居住地モデルを開発することである。

一九七九年以降、インドネシアを中心とする東南アジアの居住問題に関わってきた。その最初の成果は、『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究』[15]にまとめたが、そのハウジング計画論を基礎に生まれたのがJ.シラス教授(スラバヤ工科大学)による積層住宅(ルーマー・ススン)モデルである[16]。居間、バス・トイレを共用空間とするその集合住宅はインドネシア版の都市型住宅として注目を集め、ジャカルタなどでも建設されつつある。そして、その集合住宅モデルをもとに、地域産材の利用(ココナツの繊維を断熱材に用いた)、輻射冷房のための井水の利用、太陽電池など様々な「環境共生」技術を導入する実験住宅(「スラバヤ・エコ・ハウス」)を設計、建設する機会を得た[17]

以上のような経験を踏まえた現在の関心は居住地モデルの開発である。住居が集合する形式によって涼しく風通しのいい居住地の提案は可能である。事実、アジア各地においてもそうした形式が伝統的につくられてきた。各地の都市住居については、ラホール[18]、アーメダバド[19]、デリー、ジャイプル[20]、カトマンドゥ盆地[21]、ヴァラナシ、台湾[22]、北京[23]などで調査を展開してきた。それぞれに興味深い都市住居の形式がある。

研究は、もちろん、紆余曲折がある。スラバヤ・エコ・ハウスの開発過程で、「日本ではクーラーを無制限に使いながら、原初的な技術を押しつけようとしている!」という批判を受けた。本質的に突きつけられる問いである。モデル開発が先進諸国の側から一方的になされるとすれば、極めて傲慢と言わざるを得ないだろう。モデル開発は、基本的に日本の都市型住居モデル、居住地モデルの問題でもある、というのが前提である。

日本においては、発展途上地域の居住地モデル、都市型住宅モデルについての研究が極めて少ない。また、発展途上国においても、独自の居住地モデルを開発しようという動きは希薄である。「環境共生」技術、「環境共生」建築というテーマは、熱帯についてはほとんど等閑視されているように思われる。これまでの経験をつき合わせ議論する相手が少ないのはいささか寂しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



[1] 日本建築学会の論文集19801月~20003月を見ると、「伝統住宅」「伝統的住居」等をタイトルに含むものは以下にすぎない。

貞植 他、「韓国・河回における伝統住宅の空間構成に関する研究」、JAPEEAIJNo.417,pp.51-60 199011

富樫穎 他、「住居語彙からみたダイ族住居の伝統的空間構造」、JAPEEAIJNo.483,pp.169-17819965

上田博之、「中国雲南省孟連県のダイ・リャム族の伝統的住居の空間構造」、JAPEEAIJNo.518,pp.97-104 1999年4月

山根周 他、「ラホールにおける伝統的都市住居の構成」、JAPEEAIJNo.521,pp.219-22619997

 

[2] 海外のヴァナキュラー建築についての集大成は、EVAW(P. Oliver (ed.) ;”Encyclopedia of Vernacular Architecture of the World, Cambridge University Press, 1997)に示されている。また、CEDRCenter for Environmental Design Research)の論文集がある。その執筆者の研究全体を総括するのは手に余る。

[3] アジア各国からの留学生が日本人の指導によって日本で発表した論文も含むこととする。

[4] 地域の生態系に基づく住居システムに関する研究()(主査 布野修司,全体統括・執筆,研究メンバー 安藤邦広 勝瀬義仁 浅井賢治 乾尚彦他) ,住宅建築研究所, 1981年、(Ⅱ)住宅総合研究財団,1991

[5]  布野修司および布野研究室によるアジアの住居に関する研究は、いくつかのフレームをもつが、都市住居あるいは都市組織Urban Tissueに関する研究が中心である。また、基本的には居住環境整備という極めて実践的な調査研究を出発点としている。布野修司:カンポンの歴史的形成プロセスとその特質,日本建築学会計画系論文報告集,433,p85-93,1992.03/布野修司,田中麻里(京都大学):バンコクにおける建設労働者のための仮設居住地の実態と環境整備のあり方に関する研究,JAPEEAIJ,483,p101-109,1996.05/田中麻里(群馬大学),布野修司,赤澤明,小林正美:トゥンソンホン計画住宅地(バンコク)におけるコアハウスの増改築プロセスに関する考察,JAPEEAIJ,512,p93-99,199810月など。

[6] 14世紀に古フランス語を経て英語に入ってきたととされる。

[7] 藤島亥治郎、「抹樓の起源に就いて」、『朝鮮と建築』、一九二五年八月

[8] 近代日本の建築とアジアをめぐっては、布野修司建築論集Ⅰ『廃墟とバラック・・建築のアジア』(彰国社、一九九八年)で論じた。特にⅡ章「建築のアジア」を参照されたい。

[9] 日本建築学会『建築年報』、一九八三年

[10] 日本建築学会『建築年報』、一九八七年

[11]  「計画研究の新しい視座を求めて:アジアにおける住居・集落研究の蓄積を素材に」1996916日(『建築雑誌』、1997年2月号)。

[12]  布野修司(監訳)+アジア都市建築研究会,The Living House: An Anthropology of Architecture in South-East Asia,1990、学芸出版社,19973

[13] ロンボク島については、脇田祥尚,布野修司,牧紀男,青井哲人:デサ・バヤン(インドネシア・ロンボク島)における住居集落の空間構成,JAPEEAIJ,478,p61-68,1995.12/布野修司,脇田祥尚(島根女子短期大学),牧紀男(京都大学),青井哲人(神戸芸術工科大学),山本直彦(京都大学):チャクラヌガラ(インドネシア・ロンボク島)の街区構成:チャクラヌガラの空間構成に関する研究 その1,JAPEEAIJ,491,p135-139,19971/布野修司,脇田祥尚(島根女子短期大学),牧紀男(京都大学),青井哲人(神戸芸術工科大学),山本直彦(京都大学):チャクラヌガラ(インドネシア・ロンボク島)における棲み分けの構造 チャクラヌガラの空間構成に関する研究その3,JAPEEAIJ,510,p185-190,19988月など

[14] マドゥラ島については、山本直彦(京都大学),布野修司,脇田祥尚(島根女子短期大学),三井所隆史(京都大学):デサ・サングラ・アグン(インドネシア・マドゥラ島)における住居および集落の空間構成,JAPEEAIJ,504,p103-110,19982月など

[15] 学位請求論文、東京大学,一九八七年.日本建築学会賞受賞、一九九一年。『カンポンの世界』(PARCO出版、1991年)。

[16]  布野修司,山本直彦(京都大学),田中麻里(京都大学),脇田祥尚(島根女子短期大学):ルーマー・ススン・ソンボ(スラバヤ,インドネシア)の共用空間利用に関する考察,JAPEEAIJ,502,p87~93,199712

[17]布野修司,山本直彦,小玉祐一郎:湿潤熱帯におけるパッシブシステム実験住宅建設の試み・・・インドネシア・スラバヤ工科大学キャンパスにおけるエコ・ハウス,日本建築学会,2回アジアの建築交流国際シンポジウム論文集,神戸,199898-10/ Shuji Funo, Naohiko Yamamoto: Evaluation of Surabaya Eco-house Project (Passive Solar System in Indonesia) and the Future Program of the Sustainable Design in the Humid Tropics, International Symposium of Eco House Research Project, Institute of Technology Sepuluh Nopember-Surabaya, Ministry of Construction, Indonesia, 19th March, 1999など

[18] 山根周(滋賀県立大学),布野修司,荒仁(三菱総研),沼田典久(久米設計),長村英俊(INA):モハッラ,クーチャ,ガリ,カトラの空間構成ーラホール旧市街の都市構成に関する研究 その1,513,p227~234, 199811

山根周(滋賀県立大学),布野修司,荒仁(三菱総研),沼田典久(久米設計),長村英俊(INA):ラホールにおける伝統的都市住居の構成:ラホール旧市街の都市構成に関する研究 その2,JAPEEAIJ,521,p219226 ,19997月など

[19] 根上英志(京都大学),山根周,沼田典久,布野修司:マネク・チョウク地区(アーメダバード、グジャラート、インド)における都市住居の空間構成と街区構成,JAPEEAIJ,535, p75-82, 20009/山根周(滋賀県立大学),沼田典久,布野修司,根上英志:アーメダバード旧市街(グジャラート、インド)における街区空間の構成,JAPEEAIJ,538, p141-148, 200012

[20] 布野修司,山本直彦(京都大学),黄蘭翔(台湾中央研究院),山根周(滋賀県立大学),荒仁(三菱総合研究所),渡辺菊真(京都大学):ジャイプルの街路体系と街区構成-インド調査局作製の都市地図(1925-28)の分析その1,JAPEEAIJ,499,p113~119,19979/布野修司,黄蘭翔(台湾中央研究院),山根周(滋賀県立大学),山本直彦(京都大学),渡辺菊真(京都大学) :ジャイプルの街区とその変容に関する考察ーインド調査局作製の都市地図(1925-28)の分析その3, JAPEEAIJ, 539,p119-127,20011/ Shuji Funo, Naohiko Yamamoto, Mohan Pant: Space Formation of Jaipur City, Rajastan, India-An Analysis on City Maps(1925-28) Made by Survey of India, Journal of Asian Architecture and Building Engineering, Vol.1 No.1 March 2002など

[21] Mohan PANT(京都大学),布野修司:Spatial Structure of a Buddhist Monastery Quarter of the City of Patan, Kathmandu Valley,JAPEEAIJ,513,p183~189,199811/黒川賢一(竹中工務店),布野修司,モハン・パント(京都大学),横井健(国際技能振興財団):ハディガオン(カトマンズ,ネパール)の空間構成 聖なる施設の分布と祭祀,JAPEEAIJ,514,155-162p,199812/Mohan PANT(京都大学),布野修司:Ancestral Shrine and the Structure of Kathmandu Valley Towns-The Case of Thimi, カトマンドゥ盆地の町ーティミの空間構成と霊廟に関する研究 ,JAPEEAIJ,540, p197-204, 2001530日年2/Mohan PANT(京都大学),布野修司:Analysis of Settlement Clusters and the Development of the Town of Thimi, Kathmandu Valley  カトマンドゥ盆地のティミの街区組織の段階構成に関する研究 ,JAPEEAIJ,543, p177-185, 20015/

[22] 闕銘宗(京都大学),布野修司,田中禎彦(文化庁):新店市広興里の集落構成と寺廟の祭祀圏,JAPEEAIJ,521,p175181,19997/闕銘宗(京都大学),布野修司,田中禎彦(文化庁):台北市の寺廟、神壇の類型とその分布に関する考察,JAPEEAIJ,526,p185-192,199912/闕銘宗(京都大学),布野修司:寺廟、神壇の組織形態と都市コミュニティー:台北市東門地区を事例として,JAPEEAIJ,537, 219-225,200011月など

[23] トウイ(京都大学),布野修司:北京内城朝陽門地区の街区構成とその変化に関する研究,JAPEEAIJ,526,p175-183,199912/トウイ(神戸大学),布野修司,重村力:乾隆京城全図にみる北京内城の街区構成と宅地分割に関する考察,JAPEEAIJ,536,p163-170, 200010月など

 JAPEEAIJ)=日本建築学会計画系論文集