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2022年2月28日月曜日

風水(Feng Shui),雑木林の世界07,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199003

風水(Feng  Shui),雑木林の世界07,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199003

雑木林の世界7

 風水(Feng Shui

                        布野修司

 

 ロンドンではしこたま本を買い込んだ。こまめに注文していれば慌てる必要はないのであるが、眼の前に実物があるとつい手がでてしまう。買い込んで読むかというと、つんどくだけだから始末が悪い。チャールズ皇太子の本とM.ハッチンソンの反論の本はさすがに好奇心にかられて眼を通したのであるが、大半は持って帰ってそのままだ。もっとも、船便で送った大半の本は未だに届かないのだけれど。

 今回ロンドンで買った本の中に『パースペクティブズ』というのがある。建築について書かれた文章の引用を集めた本だ。「建築とは・・・」というのが九七、「建築家とは・・・」というのが八十など全部で千一の格言、金言、ことわざなどが引いてある。

「建築とは凍れる音楽である」、「建築の歴史は世界の歴史である」、「建築とは意味を生産する機械である」等々、退屈しのぎにはいい。「評論家は常にあなたを鳩の穴へ押し込める。あなたがたまたま鳩でないとすれば、実に不愉快なことだ。」なんてのもある。

 ところで、もう一冊、つい手がでてしまった本がある。『チャイニーズ・ジオマンシー』という中国の風水についての小さな本だ。風水についてなら日本にも沢山文献があるから必要ないのであるが、英文のものを手にしたかったのはわけがある。インドネシアのソロで開かれたユネスコの会議で風水が大きなテーマになったのが頭に残っていたのである。RIBA(英国王立建築家協会)の本屋に行くと並んでいる。奥付を見ると一九八九年の出版である。風水についての関心はグローバルなんだなあ、とつい買ってしまったのである。

 

 

 インドネシアで開かれた(一九八九年一一月)ユネスコの会議のテーマは「発展途上国における伝統的価値と現代建築および人間居住計画の統合」というものであった。その会議の冒頭で、ファースト・スピーカーはフィリピンのリリア・カサノバ女史であったのであるが、いきなり風水(Feng Shui)という言葉が飛び出したのである。「住宅およびニュータウン開発における社会的文化的価値のインパクト」と題したその講演のなかで、女史はニュウタウンの計画において、計画と入居者の生活のずれをいくつかの事例を上げながら説明したのであるが、その原因は人々が住居に対して持つ伝統的価値、住居観を理解しなかったからだという。どこでも起こった話である。

 フィリピンにおける伝統的住居観については、フィリピン大のマナハン教授のレクチャーを受けたことがある。一九八二年に東京で行ったシンポジウムの折にである。カサノバ女史もそのマナハン教授のその時のレポートを引いていた。以下にいくつかみてみよう。

 

一.建物配置

 a.タガログ地方では、十字形をした家の間取りは縁起が悪い。

 b.家の中に聖者やキリストの肖像を掲げるのはカソリック信   者の古くからの習慣である。

 c.精霊が棲むと考えられているいくつかの樹種がある。その   樹が敷地にある場合切ってはならない。切れば不幸になる。

 d.地下に居間を設けることは西洋人の近代的概念である。し   かし、とりわけフィリピンの迷信深いチャイニーズにとっ   てはタブーである。

二.開口部

 a.ドアは互いに向かい合ってはならない。そうすると繁栄は   ありえない。

  b.ドアは西を向いてはいけない。西を向くと、死や不健康や   いさかいを招く。

 c.ドアは太陽の方を向くべきである。そしてまた、階段の最   初と最後の段が金(oro)にあたると(金、銀(pla   ta)、死(mata)、金、銀、死と数える)吉である。

  d.ドアとドアの間に何もないと、すぐに通りぬけれるから、   死を招く。

  e.足あるいは頭をドアに向くようにベッドやマットを配置す   ると早死する。

  f.入口の扉を直接外部に向けるのは、幸運が逃げていくから   よくない。

  g.表の門を直接通りに向けるのはさけた方がいい。

三.柱の建立

  a.柱の基礎にコインを埋めるといい。

  b.木の柱あるいは竹の柱は台風に備えて時計周りに建ててい   く。

  c.ひびの入った柱は使わない。不幸になる。

四.家の立地

 a.袋小路はよくない。 

  b.T字路に直面する家は望ましくない。

 

 たわいもないと思われるだろうか。以上は断片にすぎない。理解不可能なこともある。しかし、こうした民俗信仰、慣習に基づいた「迷信」の世界はわれわれにも親しい。家相、地相の世界なのだ。

 フィリピンではパマヒイン(Pamahiin)というのだという。そういう民俗信仰であれば、ホンスイと呼ばれる、とタイの建築技術研究所のエカチャイ氏がいう。風水からきているのは明らかだ。

インドネシアではどうだ。カパルチャヤアン(kaparchayaan)という。実はインドネシアについては前から気になっていた。特に、ジャワにはプリンボン(primbon)という、運勢を占う本がかなり広範に市販されているのである。井戸や門や、住まいに関わることももちろん書かれている。ジャワ島の住居や集落を調べる上ではプリンボンを調べる必要がある、と思っていたのである。

 中国の風水説、風水思想の影響は実に大きい、といえるだろう。中国文明、そしてインド文明の影響はは東南アジアに深く及んでいるのである。しかし、こうした地相、家相の説はどこにも普遍的にあるのではないか。ユネスコの会議でまず確認されたのは、その点であった。

 中国においては、秦、漢の昔から、あるいは、殷、夏の昔から、風水は術として大きな伝統となってきた。風水の術が発達してきたのは、墓所の位置、都城の位置などを決める上で様々な戦術的な意味があったからである。英国でもとめた本には、現代の風水師七人の写真がのっていた。風水師というプロフェッションは細々と現在にまで至っているのだ。

 だがしかし、かっては風水師は至るところに存在していたのである。現代の建築士は風水師たりえないのだろうか、というより、建築士の存在が風水師を抹殺してきたのではないのか。 

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