災害を「学」にするということ!?,すまいろん,住宅総合研究財団,2009春号
災害を「学」にするということ!?
布野修司
特集の意義は、編集責任者である中谷礼仁先生が自負するとおりで、異議なし、である。しかし、災害をテーマとする「実践的」研究集団をつくりたいというのはどういうことか、と、ちょっと首を傾げた。以下は、各論考へのコメントというより、全体を読みながら思い起こしたことである。
2004年12月26日朝、僕はスリランカのゴール・フォートにいて、インド洋大津波を経験した。などと呑気に書くけれど、フォート周辺で数百人が亡くなり、15分違いの命拾いであった。帰国後、NHKテレビの特集でゴールのバスターミナルでみるみる溢れる水になすすべもなく巻き込まれていく人の映像をみて、心底ぞっとした。ツナミが到達するのがもう少し遅ければ同じ目にあっていたのである。この時のことは、求められるままに『みすず』(「スリランカ「ツナミ」遭遇記」2005年3月)に書いた。
その瞬間何が起こったのか皆目分からなかった。スリランカには、『マハーヴァンサ』という「古事記」があって、2000年前に女王が波にさらわれたとある、だから2000年ぶりだと、翌日のTV番組で学者がしゃべるのを聞いた。スリランカには地震はない。牧紀男先生の示す地震ハザードマップもスリランカは真っ白である。そして、ツナミなど誰も考えなかった(と思う)。満月の日の高潮か、水道管が破裂したか、僕の頭にも浮かんだのは全くトンチンカンな妄想である。目の前にひっくり返っているバスや車、サッカー場に乗り上げている船を見て、ようやくツナミと理解したのは、同じく命拾いした応地利明先生から、インド洋プレートの滑り込みとヒマラヤの造山活動、ツナミの速度(ジェット機より早い)についての説明を聞いてからである。事態を理解するまでに2時間近くかかった。家族を突然失った人にとってこれは神隠しと思うしかない。これは全く、林勲男先生のいう「災害」人類学の対象である。
何かの因縁を感じて、翌年、翌々年とスリランカに通った。モラトゥア大学の友人が復興計画に携わるというのでその手伝いをするというのが口実である。一年後、コロンボからゴールへ走って驚いた。やたらに眼に入るのが各国NGOの看板なのである。これみよがしに復興援助をうたうけれど、車を降りてみると何もない。スリランカ出身の構造デザイナー、セシル・ベルモンドの復興プロジェクトも大々的に喧伝された。翌々年だったと思う。日本政府は、80億円を投じて(援助して)、復興団地の事業コンペを行う。アチェでもそうだけれど、災害援助が明るみにするのは、第一に国際援助の巨大なブラックボックスである。
ゴール周辺に被災者のためのテントは残っていたけれど、バスターミナルは、全く何事もなかったようであった。NHK特集のビデオを撮ったカメラ屋の前に多くの新聞記事と亡くなった人の写真が貼られており、唯一ツナミの記憶を伝えていたが、その様子を写真に撮ったら、金をせびられ、思わず手をあげそうになった。大災害も飯の種にする(観光化する)したたかなあるいは切羽詰った人々がいる。これも「災害」人類学のテーマだろう。
亡くなった人たちを除けば、最も多くの被害を受けたのは、コロンボに近い海岸部に居住していたスコッターたちである。ツナミの直後に、行政当局は、これ幸いに、海岸線から100mを建設禁止区域とし、杭を打った。その決定を下した責任者と直接議論したけれど。海岸は共有地だ、この際、スコッター問題に手をつけるのだ、と強硬であった。もちろん、スコッターたちもしたたかであり、すぐさまバラックを建てて棲み続けた。このせめぎあいは日常社会に内在していたものだ。
災害は、地域の文化の再発見に結びつくというけれど、社会の亀裂をさらに顕在化させ、激化させもする。スリランカの場合、ツナミは、住宅問題、都市問題を直撃したのである。そして、さらに政治問題も大きく後退させた。知られるように、スリランカは長年、南北、シンハラータミルの両民族間で内戦といっていい状態にあった。実は、ゴールで命拾いする直前、初めてタミル解放の虎が実効支配する北部に行くことができ、陸路アヌラーダプラに抜けて、コロンボに至りゴールに向かったのである。確かに、一国内に別の国家があり、パスポートも入出領域税も取られた。しかし、雪解けの雰囲気は感じられた。だから外国人も旅行できたのである。しかし、ツナミ後、再び、対立は深まったように見える。援助物資の配分がうまく行われなかったのが一因だと思う。一方、アチェの場合、本特集の報告からは伺えないけれど、武装対立から融和へうまく?動きだしたのではないか。
災害は、危機的対立を強化する方向へも、さらに対立を緩和する方向へも作用する。大災害を好機とすべきとすれば明かに後者の方向である。ピナツボ火山の噴火以降、アエタが先住民族として誕生したことは、そうした評価を超えた問題であるけれど、ある種の共生の契機になったと理解したい。
・・・等々、特集を自らの経験にひきつけて考え始めるととても紙数が足りない。阪神淡路大震災にしても、集集大地震にしても、それなりに歩き回って考えたけれど、要するにはっきりするのは、災害が明るみに出すのは、日常が拠ってたつ基盤(インフラストラクチャー、地域社会、・・・)である、ということである。大災害が起こるたびに現地に出かけて行って、何がしかの教訓を得るのもいいけれど、日常が拠って立つ基盤の脆さを見通す眼が獲得されなければその教訓は活かされることはない、そのことを本特集は教えてくれているように思う。フィールドワークが目指すのは、そうした眼の力を鍛えることである。そうした意味では、青井・陳論文には好感をもった。佐藤滋先生のいう「事前復興」もそういうことだろう。ただ問題は、災害を「学」にすることではなくて、日々の暮らしの安心安全であろう。空地は震度8にもマグニチュードいくつでも耐えると唐山市長が言ったというけれど、本当にそう思う。肝心なのは、建造物が潰れても、人命が失われないことである。
「災害」に関する実践的研究というのは、・・・・。
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