12 カピス貝の街,おしまいの頁で,室内,199812
カピス貝の町
布野修司
フィリピンでは散々であった。フィリピン航空のストライキで足がない。ヴィガンへの四〇〇キロは車をチャーターすることになった。高速道路などないから半日以上かかる。おまけに台風だ。マニラは水浸しである。洪水の中を走って、マニラを抜けるのに二時間もかかる。早朝出発したのに着いたのは深夜である。帰りには橋が流されていて、遠回りする始末だった。
しかし、それにも関わらずかってのスペインの植民都市ヴィガンへ行ったのは最高であった。ハノイ、マラッカ、ジョージタウン(ペナン)・・・ヨーロッパ人が造った東南アジアの都市は随分見てきたけれど、こんな街が残されているとは全く知らなかった。ガイドブックに載っていないのが不思議である。世界遺産に登録されてもおかしくない。植民都市として世界文化遺産に登録された都市にスリランカのゴールがある。行ってみたけど、ヴィガンはまさるともおとらない。
ヨーロッパ風の街並みの中で何よりも興味深いのが障子窓だ。格子の枠は日本より細かい正方形だ。フィリピンに流されたキリシタン大名が伝えたという説があるのも面白い。しかし、白く見えるのは紙ではなくて貝である。カピス貝と呼ばれる貝を薄く剥がして木の格子に挟んである。貝を通して室内に入ってくる光がなんとも優雅である。そのカピス貝の窓が連続した街並みをつくっている。
ヴィガンではD.キングというすばらしい人にあった。ヴィガンのことは何でも知っている郷土史家である。歳は五〇代前半で若く、普段は食堂を経営しているただのおじさんに見えるけど、心底すごい。英語の本も書いているけれどスペイン語も自由自在である。なにより記憶力がすごい。一緒にヴィガンの町を歩くと喋りっぱなしである。この家は一七四〇年に建てられ、元々誰彼の所有でその後どうなって・・・とまるで生き字引だ。
『室内』おしまいの頁で199801~199912
◎01百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801
◎02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802
◎03英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803
◎04 アンコ-ルワット,おしまいの頁で,室内,199804,
◎05 ヤン・ファン・リ-ベック,おしまいの頁で,室内,199805
◎06 秦家,おしまいの頁で,室内,199806
◎07 木匠塾,おしまいの頁で,室内,199807
◎08建築家と保険,おしまいの頁で,室内,199808
◎09桟留,おしまいの頁で,室内,199809
◎10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810
◎11 ヴィガン,おしまいの頁で,室内,199811
◎12カピス貝の街,おしまいの頁で,室内,199812
◎13ダム成金の家,おしまいの頁で,室内,199901
◎14 J.シラスのこと,おしまいの頁で,室内,199902
◎15 ジベタリアン,おしまいの頁で,室内,199903
16西成まちづくり大学,おしまいの頁で,室内,199904
17 スラバヤ・ヤマトホテル,おしまいの頁で,室内,199905
◎18京都デザインリ-グ構想,おしまいの頁で,室内,199906
◎19 ジャングル,
おしまいの頁で,室内,199907
◎20 大工願望,おしまいの頁で,室内,199908
◎21日光,おしまいの頁で,室内,199909
◎22ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910
◎23北京の変貌,おしまいの頁で,室内,199911
◎24群居,おしまいの頁で,室内,199912
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